森﨑 浩司(もりさき こうじ、1981年5月9日 - )は、… 森﨑 浩司(もりさき こうじ、1981年5月9日 - )は、広島県広島市安芸区出身の元プロサッカー選手、サッカー解説者。現役時代のポジションはミッドフィールダー(MF)。 現在はサンフレッチェ広島のアンバサダーを務める。 地元矢野小学校で兄・和幸と共に小学2年からサッカーをはじめる。山出久男から指導を受け、小学6年次に兄と共に全日本少年サッカー大会に出場している。佐藤康之・皆本勝弘は矢野中学校の先輩。矢野中学校からサンフレッチェ広島ユースへ入団。同級生は、兄・和幸、駒野友一、久保田学。木村孝洋から指導を受けた。攻撃的なMF・左アウトサイドとして活躍した。1999年高校3年次には2種登録選手となり、Jサテライトリーグでのパフォーマンスがエディ・トムソン監督に認められ、同年11月20日にガンバ大阪戦に初ベンチ入りした。
鶴岡 哲生(つるおか てつお、1981年1月9日 - )は、… 鶴岡 哲生(つるおか てつお、1981年1月9日 - )は、広島県佐伯郡大野町(現廿日市市)出身で、Jリーグ・サガン鳥栖のトレーナー。
的場 千尋(まとば ちひろ、1980年2月26日 - )は、… 的場 千尋(まとば ちひろ、1980年2月26日 - )は、広島県出身の元サッカー選手。 福山大学からの初のプロ契約選手。2001年、全日本大学サッカー選手権大会で初の8強入り。同年全広島サッカー選手権大会優勝に貢献し、天皇杯全日本サッカー選手権大会には広島県代表として出場した。高校時代の2年先輩に金本圭太、1年先輩に為末大・梅田直哉、1年後輩に朝日大輔、2年後輩に瀬戸彬仁・秦賢二。大学の同級生に大坪博和がいる。 2002年、セレクションを経て水戸ホーリーホックへ入団する。 コスタリカ代表との親善試合に出場しクリエイティブなプレーを披露したが、2004年3月、「1年前に血管の手術をしたのですが、これ以上プロの世界ではやっていけないと判断しました」とのコメントを残し、現役を引退した。
行友 亮二(ゆくとも りょうじ、1979年4月20日 - )… 行友 亮二(ゆくとも りょうじ、1979年4月20日 - )は、広島県東広島市出身の元サッカー選手(DF、MF)、指導者(JFA公認B級コーチ)。実兄はプラシア山口コーチの行友健太郎、甥に愛媛FC所属の行友翔哉と藤枝MYFC所属の行友祐翔がいる。 1995年、サンフレッチェ広島ユースに入団、同期生は石川裕司、秋元雅博、大畑隼哉ら。実兄の健太郎も広島ユース出身。両サイドをこなせるのウィングバックとして活躍した。U-18日本代表にも選ばれ、SBSカップ 国際ユースサッカーに出場している。 1998年にトップとトレーニー(練習生)契約した。同期入団は、大久保誠、石川、池端陽介、植田元輝、大畑、秋元、山下一弥。
秋元 雅博(あきもと まさひろ、1979年4月15日 - )… 秋元 雅博(あきもと まさひろ、1979年4月15日 - )は大分県出身の元プロサッカー選手(FW)。 1995年、サンフレッチェ広島ユースに入団。同期生は石川裕司、大畑隼哉、行友亮二ら。1997年Jユースカップでは得点王になり、U-17日本代表・U-18代表候補にも選ばれた。 その後1998年にトップと練習生契約。同期入団は、前述の石川、大畑、行友のほか大久保誠、池端陽介、植田元輝、山下一弥ら。しかし翌1999年の夏ごろには事実上の戦力外とみなされた。同年9月、10月に大分トリニティの入団テストを受けるも不合格、その後新日鐵大分へ移籍した。
大畑 隼哉(おおはた じゅんや、1979年4月6日 - )は… 大畑 隼哉(おおはた じゅんや、1979年4月6日 - )は、東京都出身の元プロサッカー選手。ポジションはMF。 1995年、サンフレッチェ広島ユースに入団、同期生は石川裕司、秋元雅博、行友亮二ら。 1998年にトップとトレーニー(練習生)契約。同期入団は、大久保誠、石川、池端陽介、植田元輝、行友、秋元、山下一弥。しかし翌年1999年に戦力外通告を受け、大学進学を目指し、2000年に日本体育大学へ進学した。
正木 裕史(まさき ひろふみ、1979年1月22日 - )は… 正木 裕史(まさき ひろふみ、1979年1月22日 - )は、広島県廿日市市出身のサッカー指導者。日本サッカー協会公認A級ライセンス所持。国士舘大学卒。 国士舘大学在学中から指導を始め、高校生以下育成年代の指導を経て、2008年より東京電力女子サッカー部マリーゼのコーチに就く。選手からの信頼は厚く、2012年にはマリーゼの選手と共にベガルタ仙台レディースへ転籍。コーチとして、女子サッカー指導経験の無かった千葉泰伸監督にとって大きな支えになった。2015年、A級ジェネラルライセンス取得。2016年限りで仙台コーチを退任。 2017年、浦和レッドダイヤモンズ・レディースコーチに就任。2018年10月、石原孝尚監督の解任に伴い監督に昇格した。
梅田 直哉(うめだ なおや、1978年4月27日 - )は、… 梅田 直哉(うめだ なおや、1978年4月27日 - )は、広島県安芸郡府中町出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。ポジションはフォワード。 小学生時代は元日本代表DFの小沢通宏から指導を受けた。ただ高校時点までは脚光を浴びる存在ではなかった。 明治大学に入学早々の1997年、関東大学リーグ1部で1年生にして得点王を獲得し大きな注目を浴びた。その後しばらく怪我で不調の時期が続くものの、大学3年時には1999年夏季ユニバーシアード日本代表にも選ばれている。大学卒業の際には3チームからオファーがあった。 2001年、サンフレッチェ広島へ入団。当初はFWだったが途中からDFに、翌2002年にはMFにコンバートされる。
上野 哲也(うえの てつや、1978年4月18日 - )は、… 上野 哲也(うえの てつや、1978年4月18日 - )は、広島県安芸郡坂町出身のサッカー選手。
高田 純(たかた じゅん、1977年12月6日 - )は、広… 高田 純(たかた じゅん、1977年12月6日 - )は、広島県三原市出身の元プロサッカー選手。ポジションはフォワード。 1993年、サンフレッチェ広島ユース一期生として入団、同級生は原田紘介ら。1995年には小林伸二監督のもと10番を背負い第3回Jリーグユース選手権大会優勝に貢献した。 1996年、トップチームに昇格、ユースから初めてのトップ昇格選手である。同期入団は、服部公太、影山貴志、金本圭太、松永一慶、山口哲治、秋満勝二、上田実。たたトップチームであるサンフレッチェ広島では公式戦に全く出場できなかった。 1997年、当時旧JFLのブランメル仙台(現ベガルタ仙台)へ期限付き移籍、徐々に出場機会を増やし1998年には鈴木武一監督に抜擢され一時はレギュラーに抜擢される。
迫井 深也(さこい しんや、1977年5月8日 - )は、広… 迫井 深也(さこい しんや、1977年5月8日 - )は、広島県出身のサッカー指導者、元プロサッカー選手。現Jリーグ・横浜F・マリノスヘッドコーチ。 順天堂大学で主将を務め、2000年にJ1昇格初年度を控えるFC東京へ入団。大卒即戦力ルーキーとしてFW戸田光洋と共に期待されての入団であった。しかしJ1を戦うFC東京ではレギュラー獲得には至らず、J2への期限付き移籍も経験。レンタル先では、2001年・2002年には横浜FCでセンターバックとしてフル回転し、2004年にはモンテディオ山形で右サイドバックのレギュラーをつかみ実力を発揮したが、レンタルから復帰したJ1の舞台では「貴重なバックアッパー」の域を脱する事が出来なかった。
石本 慎(いしもと まこと、1977年1月11日 - )は広… 石本 慎(いしもと まこと、1977年1月11日 - )は広島県出身の元サッカー選手。ポジションはミッドフィールダー。 沼田高校時代には日本で開催された1993 FIFA U-17世界選手権に出場するU-17サッカー日本代表のメンバーに選出され、中田英寿、財前宣之、宮本恒靖、松田直樹らと共にボランチとして4試合すべてに出場し、ベスト8進出に貢献した。 その後、早稲田大学を卒業しJFL・横河電機サッカー部(現東京武蔵野シティFC)でプレーをした。
竹中 穣(たけなか みのる、1976年11月19日 - )は… 竹中 穣(たけなか みのる、1976年11月19日 - )は、広島県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。 帝京大学卒業後、リトアニアのFKアトランタスでプロ選手となる。アトランタスではリーグ戦通算58試合に出場して7得点を挙げた。2001年と2002年にはUEFAカップ予選にも3試合出場している。 2003年6月にJ2・横浜FCに加入したが、2試合の出場にとどまった。2003シーズン限りで契約満了に伴い退団。 2004年からはFC町田ゼルビアにてコーチ兼選手を務め、町田が日本フットボールリーグ(JFL)に昇格した2009年からは、現役選手としては東京都社会人リーグ3部に所属するセカンドチーム・FC町田ゼルビア・ツヴァイテに登録されつつ、トップチームのコーチを引き続き務めている。
山根 巌(やまね いわお、1976年7月31日 - )は、広… 山根 巌(やまね いわお、1976年7月31日 - )は、広島県広島市出身の元プロサッカー選手。サッカー選手の山根永遠は実子。 幼いころに小児喘息だったため体を鍛えるために小学5年からサッカーを始める 二葉中を経て広島皆実高校を卒業し 、1995年にサンフレッチェ広島に入団。1997年、エディ・トムソン監督によって攻撃的MFとして評価され主力になる。が、翌1998年、同ポジションにアウレリオ・ヴィドマー、皆本勝弘、山口敏弘、大久保誠が加入。外国人監督とのコミュニケーション不足もあって出場機会が激減。同年11月、当時広島と提携関係にあった旧JFL所属の大分トリニティへ期限付き移籍した。 翌1999年にJリーグ ディビジョン2 (J2)が発足し大分が「大分トリニータ」としてJ2に参入すると、後に「最良の理解者」と呼べる関係となる石崎信弘が監督に就任。
阿江 孝一(あえ こういち、1976年4月15日 - )は、… 阿江 孝一(あえ こういち、1976年4月15日 - )は、広島県出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。現在、サンフレッチェ広島ジュニアユースGKコーチ。 中央大学時代は1997年ユニバーシアード大会でユニバ代表の正GKを務めるなど、大学ナンバーワンGKとの呼び声が高かったが、1999年に入団したガンバ大阪ではGKの層が厚かった為に出場機会が訪れず、期限付き移籍を繰り返す。2003年にモンテディオ山形に完全移籍するが、2005年シーズン終了後に戦力外通告を受けて現役を引退。 現役引退後の2006年からは地元のサンフレッチェ広島で育成部GKコーチに就任、ジュニア・ユース年代の指導にあたっている。
下田 崇(しもだ たかし、1975年11月28日 - )は、… 下田 崇(しもだ たかし、1975年11月28日 - )は、日本の元プロサッカー選手(GK)、指導者。広島市南区上東雲町出身。広島県立広島皆実高等学校卒業。元日本代表。 現サッカー日本代表・U-21サッカー日本代表のゴールキーパーコーチ。 実家は喫茶店を経営。小さいころは野球少年で、リトルリーグで外野手やキャッチャーとしてレギュラーだった。サッカーをやっていた兄の影響もあり、小学4年生からサッカーに転向しフォワードやミッドフィールダーとしてプレー、中学では攻撃的なミッドフィールダーとしてプレー。 1991年、高校に入学。監督の勧めで1年時から本格的にゴールキーパーを始めた。1993年3年生の時に香川・徳島国体選抜として出場したことが唯一の全国大会での成績。
若井 研治(わかい けんじ、1974年9月22日 - )は、… 若井 研治(わかい けんじ、1974年9月22日 - )は、広島県福山市出身の元サッカー選手(FW)、サッカー指導者。福山平成大学福祉健康学部健康スポーツ科学科講師、サッカー部監督。 府中高校サッカー部に所属し、丹下大が同級に当たる。高校卒業後、筑波大学へ進学。興津大三、佐藤一樹らが同級生。天皇杯にも出場した。 1997年にサンフレッチェ広島に入団。同期入団は川島眞也、安武亨、荒木亮次など。リーグ戦・カップ戦合わせて3試合出場。1年で広島を退団。1998年5月に府中高校サッカー部コーチに就任。1999年4月より広島県立戸手高等学校に転じた。また、同時期に中国サッカーリーグ・NKK福山サッカー部でプレーした。
河村 優(かわむら すぐる、1974年4月13日 - )は、… 河村 優(かわむら すぐる、1974年4月13日 - )は、広島県出身のサッカー指導者。 広島県立広島観音高等学校、神戸学院大学を卒業後、母校の神戸学院大学や神戸のサッカーチームであるFCフレスカなどでコーチを歴任。2003年から4年間はイタリアに渡って語学と指導の経験を積み、ペルージャ外国人大学監督や少年チーム監督、通訳などをした。2007年に日本帰国してからは、TASAKIペルーレFCヘッドコーチや姫路獨協大学サッカー部の男子部ヘッドコーチや女子部監督を歴任。2013年は1年間、アルテリーヴォ和歌山監督を務めた。 イタリア語を習熟した経験を活かし、2014年から2015年にはマッシモ・フィッカデンティらイタリア国籍の指導者、選手を抱えるFC東京で通訳を担った。
竹村 栄哉(たけむら よしや、1973年12月6日 - )は… 竹村 栄哉(たけむら よしや、1973年12月6日 - )は、広島県三次市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはミッドフィールダー。 広島県山陽高校卒業後、1992年にフジタ(ベルマーレ平塚)に加入。1994年8月17日のニコスシリーズ第3節でJリーグ初出場、1995年9月2日のニコスシリーズ第6節でJリーグ初ゴールを記録。 その後、1998年から水戸ホーリーホック、1999年途中から大分トリニータ、2002年から大宮アルディージャ、2004年からサガン鳥栖でプレー。2006年シーズン限りで鳥栖との契約が満了になり、クラブ側からはコーチ就任を打診されたが、大分時代の同僚である原田武男に誘われて九州リーグのV・ファーレン長崎に移籍。
山口 貴之(やまぐち たかゆき、1973年8月1日 - )は… 山口 貴之(やまぐち たかゆき、1973年8月1日 - )は、広島県生まれ、東京都町田市出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはミッドフィールダー。 戸塚哲也、菊原志郎から繋がり、財前宣之へと続く「ヨミウリ天才少年」の系譜を受け継ぐ。ユース時代から司令塔タイプとして注目され、「ラモス2世」の呼び声もあった。また同時代には各年代の代表にも選出された。 1992年、ユース時代から在籍していたヴェルディ川崎のトップチームに昇格する。1995年にはU-23アトランタオリンピック代表に選出されたが、本大会のメンバーには選出されなかった。 1995年のブランメル仙台への期限付き移籍を皮切りに数多くのクラブに在籍。
家本 政明(いえもと まさあき、1973年6月2日 - )は… 家本 政明(いえもと まさあき、1973年6月2日 - )は、広島県福山市出身の元サッカー審判員。国際審判員・プロフェッショナルレフェリーも務めた。国際審判員としては、本名の「當麻 政明」(とうま まさあき、TOMA Masaaki)の名義を用いていた(「家本」は旧姓)。 福山市立瀬戸小学校–福山市立済美中学校–福山葦陽高校–同志社大学経済学部卒。福山葦陽高校時代はDFとしてプレーし、広島県選抜にも選出されたが、当時から激しい運動の後で吐血することがしばしばあった。同志社大学経済学部に進んでもサッカー部に入ったが、1年の夏にフィジカルトレーニング後に大量の吐血を経験し、ドクターストップがかかって選手としての現役続行を断念。
小山 健二(こやま けんじ、1972年9月5日 - )は広島… 小山 健二(こやま けんじ、1972年9月5日 - )は広島県出身の元サッカー選手。現役時代のポジションはゴールキーパー。 1995年、大分トリニティに入団。即戦力として入団直後から正GKの座を掴んだ。しかし、2000年になると元日本代表の前川和也が加入し控えに降格。前川引退後の2002年には同じく代表経験者である岡中勇人が加入し、出場機会は限られてた。結局、2003年に退団。 2004年に横浜FCへ移籍するも、既に菅野孝憲がレギュラーとして君臨しており、2005年にリーグ7試合に出場した以外は出場機会を得られなかったが、チームが初のJ1昇格から1年でJ2に降格し、菅野が柏レイソルへ移籍した2008年は大分時代以来となる正GKとしてプレー。
皆本 勝弘(みなもと かつひろ、1972年7月2日 - )は… 皆本 勝弘(みなもと かつひろ、1972年7月2日 - )は、広島県広島市安芸区矢野出身の元サッカー選手。現役時代のポジションはMF、中盤のあらゆるポジションを担当した。 広島市立矢野中学校出身で、先輩に佐藤康之、後輩に森崎和幸・浩司兄弟がいる。広島県立広島工業高等学校 では、1つ先輩に桑原裕義・梶山洋一がいる。桑原とはのちにサンフレッチェ広島で共にプレー経験がある。 1991年高校卒業後、ヤンマーディーゼルサッカー部(現セレッソ大阪)に入部する。1994年セレッソ大阪設立 後も主力メンバーとして活躍した。 1998年、地元のサンフレッチェ広島へ移籍。同年のシーズン終了後に戦力外通告を受け、現役を引退した。
森島 寛晃(もりしま ひろあき、1972年4月30日 - )… 森島 寛晃(もりしま ひろあき、1972年4月30日 - )は、広島県広島市南区出身の元プロサッカー選手。現役時代のポジションはミッドフィールダー(オフェンシブハーフ)、フォワード(セカンドトップ)。元日本代表で、1998年・2002年のFIFAワールドカップメンバー。現在はセレッソ大阪運営会社「株式会社セレッソ大阪」代表取締役会長を務める。 Jリーグの開幕連続得点記録保持者(7試合連続)、オールスターゲーム最多得点記録保持者(通算6ゴール)。セレッソ大阪在籍時に最も得点を取った選手。セレッソ大阪の初代8番。 広島県の大河FCから、静岡県の東海大学第一高校(現:東海大学付属静岡翔洋高校)へ進学し、1991年に、当時JSL2部のヤンマーディーゼルサッカー部に入団。
桑原 裕義(くわばら ひろよし、1971年10月2日 - )… 桑原 裕義(くわばら ひろよし、1971年10月2日 - )は、広島県広島市出身の元サッカー選手。ポジションはMF(守備的MF)。 広島県立広島工業高等学校出身。2つ先輩に棚田伸(元柏レイソル)、同級生に梶山洋一(元ヴィッセル神戸)、1つ後輩に皆本勝弘(元セレッソ大阪)。皆本とはのちにサンフレッチェ広島で共にプレー経験がある。 大阪体育大学2年の時に1991年ユニバーシアード・シェフィールド大会代表に選出、1993年バッファロー大会代表に選出され、バルセロナオリンピックアジア予選候補に選出される。この際にサンフレッチェ広島のチームドクターがスタッフとして入っており、そのドクターから広島入団へとリクルートされる。
梶山 洋一(かじやま よういち、1971年9月8日 - )は… 梶山 洋一(かじやま よういち、1971年9月8日 - )は、広島県出身の元プロサッカー選手。現役時代のポジションはディフェンダー。 広島工業高校を卒業後、川崎製鉄(後のヴィッセル神戸)に入団。1996年にジャパンフットボールリーグで2位となり、1997年にJリーグに昇格した。退団後、佐川急便東京でプレー。選手兼監督を務め、現在は千葉県浦安市、市川市でサッカースクール、ジュニアユースチームの代表を務める。
田坂 和昭(たさか かずあき、1971年8月3日 - )は、… 田坂 和昭(たさか かずあき、1971年8月3日 - )は、広島県広島市出身の元サッカー選手で、サッカー指導者(JFA 公認S級コーチ)。現役時代のポジションは主にミッドフィールダー(MF)。元日本代表。 1994年、ベルマーレ平塚がJリーグに昇格した年に入団。初年度からディフェンシブハーフ(ボランチ)のポジションを前年不動のレギュラーであった松山広淳から奪い、開幕戦から出場。平塚競技場のこけら落としとなった第2節では渡辺卓と激突し、顔面を骨折してその後1ヶ月を棒に振ったものの、復帰後は中心選手として活躍した。1stステージは岩本輝雄、名良橋晃の超攻撃的両サイドバックのフォローに追われたが、NICOSシリーズは優勝争いを演じ、田坂自身はJリーグ新人王を獲得した。
沖本 辰也(おきもと たつや、1971年7月1日 - )は、… 沖本 辰也(おきもと たつや、1971年7月1日 - )は、日本のサッカー指導者(JFA 公認B級コーチ、公認B級GKコーチ)、元サッカー選手。広島県広島市東区中山出身。 兄の影響で小学校3年生からサッカーを始め、選手引退後もサッカー指導者としてサッカーに携わる。 選手としては無名だったが、小学校時代は広島県代表として全日本少年サッカー大会 に出場、中学時代も広島県代表として中国中学校サッカー大会に出場した。小学校時代は小沢通宏、高校時代は船本幸路、中国リーグ時代は小滝勇一 など全日本経験者の指導を受けている。 現役引退後、出身チームの中山サッカークラブで少年サッカーの指導者として、指導の道に進む。
古邊 考功(ふるべ よしのり、1970年12月9日 - )は… 古邊 考功(ふるべ よしのり、1970年12月9日 - )は、広島県福山市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。 現役時代のポジションは、ディフェンダー(DF)。一時期、登録選手名を"考功"から"芳昇"に改名(読みは同じ)していた事がある。 大学卒業後、香川紫雲クラブ (現:カマタマーレ讃岐)を経て、1994年に中央防犯FC藤枝ブルックスに加入。以後ジャパンフットボールリーグからJリーグ昇格、アビスパ福岡へとプロ化した直後のチームをキャプテンとして支え、1998年末にはJ1参入決定戦で川崎フロンターレやコンサドーレ札幌を破りJ2降格回避に貢献した。 1999年にJ2・FC東京に移籍。プロ化及びJリーグ加盟初年度のチームにおいて、Jリーグ経験者として守備陣をバックアップし、激しくパワフルなプレーでチームの精神的支柱として活躍した。
後藤 太郎(ごとう たろう、1969年12月24日 - )は… 後藤 太郎(ごとう たろう、1969年12月24日 - )は、日本の元プロサッカー選手、サッカー指導者。ポジションはフォワード(FW)、ミッドフィールダー(MF)。
和田 治雄(わだ はるお、1969年12月8日 - )は、広… 和田 治雄(わだ はるお、1969年12月8日 - )は、広島県出身のサッカー指導者。Jリーグ・レイラック滋賀FC監督。 神戸大学を卒業後、1993年にスロベニアへコーチ留学した。スロベニアサッカー協会プロライセンスを取得し、2005年にはUEFAプロライセンスを取得した(但し、日本サッカー協会公認S級コーチライセンスは取得していない)。 なお、コーチだけではなく通訳も兼ねており、1997年にはブランメル仙台でブランコ・エルスナーの、2002年から2004年は名古屋グランパスエイトおよびベガルタ仙台でズデンコ・ベルデニックの通訳を務めた。 2009年にMIOびわこ滋賀の監督に就任したが、2011年10月に成績不振で監督解任となった。
高田 哲也(たかだ てつや、1969年7月31日 - )は、… 高田 哲也(たかだ てつや、1969年7月31日 - )は、広島県出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。 現役時代はボランチを中心に、センターバック、左サイドバックを担当。1993年に湘南ベルマーレの前身のフジタSCに入団以来、ベルマーレ一筋にプレーして2000年に引退した。 引退後は湘南ユースのコーチ、監督を経て、2006年はトップチームのコーチに就任。2009年から2017年まで名古屋グランパスにてU-15、U-18監督、テクニカルダイレクター、アカデミーダイレクターを歴任した。 2018年よりサンフレッチェ広島のジュニアユース監督に就任。2020年からはユース監督に就任した。
棚田 伸(たなだ しん、1969年7月25日 - )は、広島… 棚田 伸(たなだ しん、1969年7月25日 - )は、広島県広島市安佐北区口田(高陽町)出身の元プロサッカー選手。ポジションはMF(ミッドフィールダー)。1994年の柏レイソルのJリーグ昇格をもたらした名選手である。サンフレッチェ広島の棚田遼は甥。 広島県立工業出身。2学年後輩に桑原裕義、梶山洋一がいる。1年からレギュラーに据えられ、テクニックのあるレフティーとして広島のマラドーナと呼ばれた[誰によって?]。1985年高校総体ベスト4、1987年高校選手権では準決勝まで勝ち進んだ室蘭大谷高校に初戦、PK戦で敗れた。この時唯一外したのが棚田である。順天堂大学を経て1992年に日立製作所サッカー部(現・柏レイソル)入団。
猿澤 真治(さるさわ しんじ、1969年6月9日 - )は、… 猿澤 真治(さるさわ しんじ、1969年6月9日 - )は、広島県出身のサッカー指導者、元サッカー選手。 広島県出身。広島工業高校では1986年、1987年と2年連続で全国高校サッカー選手権に出場した。大阪体育大学を卒業後は、香川県内の中学校に勤務しながら、1999年まで香川紫雲クラブ(現・カマタマーレ讃岐)でプレーした。また1993年には、香川県として出場した国体 成年2部で優勝の実績を挙げた。 1996年からは、香川県や四国の3種(U-15)トレセン責任者を歴任。2007年より日本サッカー協会(JFA)ナショナルトレセンコーチ四国担当に就任した。2008年7月に中学校を退職後、日本オリンピック委員会(JOC)のスポーツ指導者海外研修員として同年8月から1年間フランスに派遣され、フランスナショナルフットボール学院(INF)でU-13からU-15年代の育成プログラムの研修を受けた。
野村 雅之(のむら まさゆき、1966年12月11日 - )… 野村 雅之(のむら まさゆき、1966年12月11日 - )は、東京都生まれ、広島県育ちの元サッカー選手、サッカー指導者、解説者。岡山県作陽高等学校サッカー部総監督。 1983年広島国泰寺高校のゴールキーパーとして吉田安孝らとともに高校選手権出場。義田貴士は同級生である。1988年筑波大学に進学しサッカー部で活躍。中山雅史、井原正巳、森山佳郎らが大学の後輩。 1990年招かれて保健体育教諭として作陽高等学校に赴任しサッカー部コーチとなり、1999年監督就任。2007年、高校選手権で同校を岡山県勢初の決勝進出に導いた。2005年にJFA公認A級ライセンス、2008年に同S級ライセンスを取得している。
吉田 安孝(よしだ やすたか、1966年11月22日 - )… 吉田 安孝(よしだ やすたか、1966年11月22日 - )は、広島県出身の元サッカー選手、現・サッカー解説者。 現役時代は、タイトなマークのディフェンダー として活躍、広島国泰寺高校時代の同期に野村雅之。 1988年東海大学卒業後、マツダSCの今西和男監督に誘われていたが、すでに入社を決めていた日本サッカーリーグ2部の田辺製薬サッカー部へ入団。田辺製薬がJリーグ参加を見送ることになり、再び今西に誘われ、1991年マツダSCに移籍。Jリーグ発足でサンフレッチェ広島になった1994年のサントリーシリーズのステージ優勝を経験した。1995年からコスモ石油四日市FCでプレーするも1996年のチームの解散で現役を引退。
佐藤 康之(さとう やすゆき、1966年4月12日 - )は… 佐藤 康之(さとう やすゆき、1966年4月12日 - )は、広島県広島市安芸区矢野出身の元サッカー選手。ポジションはDF。 スピードとフィジカルの強さが売り。パンチパーマがトレードマークで、広島のみならず、Jリーグ屈指の強面選手だったが、愛嬌がありおしゃべりだったため、当時人気選手の一人だった。 森崎和幸・浩司兄弟は矢野中学校の後輩。広島国泰寺高校の野村雅之、吉田安孝は同い年で高校時代のライバルであった。地元山陽高校からマツダ入り。1988年には日本代表のメンバーに選ばれ中東遠征に参加した。Jリーグ開幕の頃にはマンチェスター・ユナイテッドFCへ修行に出されていた。1994年にレギュラー獲得、柳本啓成とともにコンビを組み活躍、サントリーシリーズ制覇に貢献した。
森下 聖二(もりした せいじ、1964年11月5日 - )は… 森下 聖二(もりした せいじ、1964年11月5日 - )は、日本の元サッカー選手、指導者。広島県豊田郡大崎上島町出身。 元アンジュヴィオレ広島監督。 県立大崎高校(現広島県立大崎海星高等学校)、国士舘大学卒業。大学時代はサッカー部に所属した。 大学を卒業後、フジタに入社し、広島フジタSCに所属する。小滝勇一監督のもと沖野等らとプレーした。 一方で1988年からフジタサッカースクール広島校(フジタSSS)の指導者としても活躍、ジュニアユース監督など各年代指導者を歴任した。 1997年、日本女子サッカーリーグ(当時L・リーグ)所属のフジタSCマーキュリーに転身し、結城治男監督のもとコーチとして活躍した。
松村 和彦(まつむら かずひこ、1963年7月17日 - )… 松村 和彦(まつむら かずひこ、1963年7月17日 - )は、広島県出身の元サッカー審判員。サッカー指導者。 筑波大学卒業。1995年12月に1級審判登録され、主にJリーグ ディビジョン1で主審を務めた。2008年までは国際主審も務め、2006 FIFAワールドカップ・アジア予選や2010 FIFAワールドカップ・アジア3次予選で笛を吹いた。 少々の接触プレーではほとんどファウルを取らない、Jリーグでも屈指の「流す主審」として知られ、審判批評を行う石井紘人も「Jリーグで最もフットボールコンタクトに寛容な主審」の上位に名を連ねる一人だろうと評している。時に明らかなファウルすら流して物議をかもすことはあるが、頻繁にプレーを止めて試合を壊すことのない判定姿勢である。
山西 博文(やまにし ひろふみ、1963年6月22日 - )… 山西 博文(やまにし ひろふみ、1963年6月22日 - )は、広島県出身の元サッカー選手(DF)、元サッカー審判員。現在はJリーグのサンフレッチェ広島職員。 広島市立舟入高等学校、東京農業大学卒業。高校・大学の1年先輩に石井知幸がいる。 卒業後マツダに入社、マツダSC(現サンフレッチェ広島)に在籍。ディフェンダーとして松田浩や信藤克義)らとともにDFラインを形成し、高橋真一郎、風間八宏、森保一、織田秀和、前川和也らとプレーした。 Jリーグ発足後はプロ契約を結ばず、サンフレッチェ広島強化部の職員としてユース年代の指導に当たりつつ、審判員として活動する。1997年に1級審判員登録。以後、J1を中心とした国内試合の主審として笛を吹く。
石井 知幸(いしい ともゆき、1963年2月28日 - )は… 石井 知幸(いしい ともゆき、1963年2月28日 - )は広島県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはDF。 1981年に日本ユース代表としてAFCユース選手権出場。1985年にユニバーシアード代表として神戸大会出場の経験を持つ。 大学卒業後にヤマハ発動機サッカー部(現、ジュビロ磐田)に入部し、主にサイドバックとして活躍した。 引退後は主にジュビロ磐田の下部組織の指導に携わっていたが、2007年と2008年はアルビレックス新潟のヘッドコーチを務めた。2009年からはジュビロ磐田に復帰している。ジュビロ磐田のスカウト時代には福西崇史らを獲得している。
結城 治男(ゆうき はるお、1963年1月9日 - )は、広… 結城 治男(ゆうき はるお、1963年1月9日 - )は、広島県出身の元サッカー選手、及びサッカー指導者。 広島工業高等学校から東京農業大学を経て湘南ベルマーレの前身であるフジタサッカークラブでプレー。1992年の現役引退後はJリーグに昇格したベルマーレのJrユースコーチなどを経て1997年よりL・リーグ所属のフジタSCマーキュリーの監督に就任。チームが解散する1998年まで指揮(1998年は総監督として)をとっていた。マーキュリー解散後はベルマーレに戻りユースチームの指揮をとるなどしていた。1999年にJFA 公認S級コーチのライセンスを取得している。 2003年に選手時代から長年所属していたベルマーレを去り、Jリーグ所属のヴァンフォーレ甲府のコーチに就任。
今川 正浩(いまがわ まさひろ、1960年10月28日 - … 今川 正浩(いまがわ まさひろ、1960年10月28日 - )は、広島県福山市出身の元サッカー選手(FW)・指導者(JFA 公認S級コーチ)。現東海大学競技スポーツ学科専任准教授、サッカー部総監督(2024年–)。 福山市立樹徳小学校–福山市立城北中学校–福山葦陽高等学校–東海大学卒。大学卒業後、1983年にマツダに入社。同期に小林伸二、信藤克義ら。現役時代はマツダSCでプレー。1987年、信藤と共にマツダのプロ契約第1号となる。同年には、高橋真一郎、猿沢茂、ディド・ハーフナーらと共に天皇杯決勝進出に貢献した。 現役引退後、母校の東海大学体育学部特任教員などを経て、1999年に東海大学体育会サッカー部監督に就任。
信藤 健仁(しんとう かつよし、1960年9月15日 - )… 信藤 健仁(しんとう かつよし、1960年9月15日 - )は、日本の元サッカー選手(DF)、指導者(JFA 公認S級コーチ)。広島県広島市出身。元サッカー日本代表。中央大学文学部国文科卒業。JSL時代の登録名は信藤 克義(しんとう かつよし)で、Jリーグ後は信藤 健仁と登録されている。 広島のサッカー無名校である広島県立安古市高等学校(2期生)、中央大学を卒業後の1983年、今西和男総監督と二村昭雄監督に誘われ日本サッカーリーグ1部所属のマツダSC(現 サンフレッチェ広島)に入団。その年、チームは最下位となりチームは2部転落してしまう。 翌年ハンス・オフトおよびディド・ハーフナーがコーチに招聘され、双方からプロとして大きな影響を受けた。
大井 成元(おおい なりもと、1960年3月20日 - )は… 大井 成元(おおい なりもと、1960年3月20日 - )は、広島県大竹市出身の元サッカー選手(MF)・監督。 5歳上の兄・一成の影響で小学5年からサッカーを始め、中学卒業後の1975年に県立広島工高へ入学。兄の薦めもあり、当時広島で一番の強豪校で憧れの県工サッカー部で、松田輝幸監督から指導を受けてサッカーが上達したいという思いから入学したが、練習の厳しさは想像を絶していた。春に70名程いた新入部員が、夏には30名に減っていったほどで、大井もその厳しい練習に何とか付いて行く。2学年上の金田喜稔や1学年上の木村和司ら一流選手のプレーを手本にできたことで、徐々に上達していった。3年次の1977年には猿沢茂、沖野隆幸、中本邦治、沖宗敏彦、木村ら強力メンバーが揃って社会人や大学生を含んだ全広島大会で優勝し、県内ではJSLの東洋工業を除いて敵なしの力を誇った。
猿沢 茂(さるさわ しげる、1960年1月30日 - )は広… 猿沢 茂(さるさわ しげる、1960年1月30日 - )は広島県安芸郡府中町出身の元サッカー選手(MF、FW)。 府中中学に入学後から本格的にサッカーをはじめ、1年次からセンターフォワード(CF)として活躍。2年次には中国大会優勝を飾った。また、中学時代に広島大河FCに入ってプレーしている。 県立広島工業高等学校(通称・県工)時代 は高校1年次からCFとしてレギュラーとなり高校選手権出場。2年次にはインターハイ出場。3年次では攻撃的なMFとしてチームの軸となりインターハイ、選手権の両大会で活躍した。かつて御三家と言われながら、永らく低迷が続く広島高校サッカーが久しぶりに輝いた瞬間だった。現在では県工出身者の中でも知名度は低いが、当時はこの猿沢の才能が最も注目され、ルックスの良さもあり一番人気が高かった。
中本 邦治(なかもと くにはる、1959年10月29日 - … 中本 邦治(なかもと くにはる、1959年10月29日 - )は広島県出身の元サッカー選手。 広島工業高校では大井成元、沖宗敏彦、室野哲雄らとディフェンスラインを組み2年次1976年、新潟高校総体ベスト8、国体準優勝(1-4静岡県選抜)、3年次1977年、岡山高校総体ベスト4進出に貢献した。 中央大学を経て日本鋼管サッカー部に所属。小柄ながら俊足とジャンプ力に優れた主力DFとして日本サッカーリーグ(JSL)151試合に出場した。日本鋼管では田中孝司、倉又寿雄、GK松井清隆らとゴールを守りJSLで1985年からの優勝争い(1985年、1986年-1987年、1987年-1988年シーズン三年連続2位)、1987年JSLカップ制覇に貢献した。
沖宗 敏彦(おきむね としひこ、1959年9月7日 - )は… 沖宗 敏彦(おきむね としひこ、1959年9月7日 - )は広島県出身の元サッカー選手、元日本代表選手。 広島工業高校時代 の2年次の1976年、新潟高校総体ベスト8、国体準優勝(1-4静岡県選抜)、3年次の1977年、岡山高校総体ベスト4進出に貢献した。 その後は川崎フロンターレの前身である富士通サッカー部に11年所属。望月豊仁、来海章、中村一義、城福浩、岩渕弘幹、沈祥福らとプレー。フィジカルの強さとテクニックに優れた左利きのディフェンダーで、センターバックや左サイドバックをこなした。1979年、U-20サッカー日本代表としてワールドユース日本大会に出場。また日本代表として1981年のムルデカ大会など、国際Aマッチ2試合にも出場した。
沖野 隆幸(おきの たかゆき、1959年4月10日 - )は… 沖野 隆幸(おきの たかゆき、1959年4月10日 - )は、広島県出身の元サッカー選手。 県立広島工業高校の3年時の1977年には猿沢茂とツートップを組み岡山高校総体ベスト4、得点王も獲得し全日本高校選抜にも選出された。 1982年に東京農業大学を卒業後、日本サッカーリーグ2部に降格した杉山隆一監督下のヤマハ発動機サッカー部に入部。突破力とシュート力を買われすぐにFWとして起用され、同期入団の内山篤や柳下正明らと共に活躍した。 前期終了後にコーチとして招聘されたハンス・オフトからトータルサッカーの要である攻撃的MFにコンバートされ、忠実なプレーでチームの1部昇格に貢献した。 第62回天皇杯では若き主将として大活躍を見せる。
沖野 等(おきの ひとし、1959年3月19日 - 2009… 沖野 等(おきの ひとし、1959年3月19日 - 2009年9月11日)は、日本の元サッカー選手、指導者(JFA 公認S級コーチ)。広島県広島市出身。 広島市立似島中学校、広島市立広島工業高等学校、明治大学出身。1981年、フジタに入社、広島フジタSCに所属。 現役引退後は指導者として活躍。1994年から広島フジタサッカースクールのコーチとして、猿田浩得・柴村直弥などを育てた。その後フジタの子会社だった関係から、2001年から湘南ベルマーレに入社し育成部門の責任者に就任、2004年にJFA 公認S級コーチライセンス取得。2005年から川崎フロンターレ普及グループ長に就任した。 2006年、J1に復帰したアビスパ福岡にサテライト監督として入団。