半明 正之(はんみょう まさゆき、1940年(昭和15年)1… 半明 正之(はんみょう まさゆき、1940年(昭和15年)11月8日 - 2016年(平成28年)8月29日)は、JFEスチール元会長。香川県善通寺市出身。川崎製鉄との経営統合を決めた下垣内洋一の後を受け、NKKの最後の社長として統合実現にあたる。 技術畑出身でNKK社長となった珍しいケース。経営統合相手の川崎製鉄には技術出身者が社長となる慣例があり、下垣内洋一前社長がそれを意識したようだ。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
結城 貢(ゆうき すすむ、1940年〈昭和15年〉8月6日 … 結城 貢(ゆうき すすむ、1940年〈昭和15年〉8月6日 - 2022年〈令和4年〉4月24日)は、日本の料理研究家。愛称は「結城先生」。 旧満州旅順(現在の中華人民共和国遼寧省大連市旅順口区)に生まれ、香川県の善通寺市で育った。香川県立善通寺第一高等学校、日本大学経済学部卒業後、野村證券入社。3年間サラリーマン生活を送った後、料理の道へ進んだ。ロシア料理店で修業後、原宿に会員制割烹料理「結城」を開店、フジテレビのプロデューサーが多く通っていた縁で同局の番組に出演するようになる。 1980年代にオールナイトフジの「結城先生の真夜中のお料理教室」や料理番組『夕食ばんざい』に出演した。独特のダミ声と頑固親父のキャラクターで人気を博し、フジテレビの女子アナウンサーや女性アイドルなど多くが結城の洗礼を受けている。
真鍋 武紀(まなべ たけき、1940年〈昭和15年〉4月3日… 真鍋 武紀(まなべ たけき、1940年〈昭和15年〉4月3日 - )は、日本の政治家、農林水産官僚。香川県知事を務めた。 日本統治下の朝鮮の京畿道京城府(ソウル市)生まれ。香川県木田郡下高岡村(現三木町)出身。香川県立高松高等学校、東京大学法学部卒業。1963年(昭和38年)4月農林省に入省。農林水産省大臣官房企画室長、水産庁漁政部長、環境庁水質保全局長、農林水産審議官などを務め、1996年(平成8年)7月退官。同年8月国際協力事業団副総裁に就任。1998年(平成10年)9月、香川県知事に就任。 県知事としては、大的場健康体育センター、津田病院、栗林公園動物園の閉鎖や公共事業の縮小、県職員の人件費カットなどによる行財政改革に取り組んだ。
小西 淳二(こにし じゅんじ、1940年 - )は、日本の臨… 小西 淳二(こにし じゅんじ、1940年 - )は、日本の臨床研究者。甲状腺の研究を基盤とし、核医学の分野で大きな足跡を残した。京都大学医学部核医学講座教授および京都大学医学部附属病院放射線部長を歴任した後、京都大学名誉教授、杉田玄白記念公立小浜病院 名誉院長、公益財団法人体質研究会顧問を務める。 1940年香川県高松市生まれ。1958年香川県立高松高等学校卒業、1958年京都大学医学部入学、1964年京都大学医学部附属病院にて実地修練を行う。 1965年京都大学第2内科大学院(三宅儀教授)に入学し、甲状腺の診療と研究に携わる。鳥塚莞爾 以下13名の甲状腺グループで、「バセドウ病のアイソトープ治療に関する研究」をテーマとし、晩発性甲状腺機能低下症の発症機序を探る臨床研究を進めた。
久保 紘章(くぼ ひろあき、1939年11月1日 - 200… 久保 紘章(くぼ ひろあき、1939年11月1日 - 2004年8月2日)は、日本の社会福祉学者。専門分野は、精神医学ソーシャルワーク、セルフヘルプグループ等。香川県出身。 香川県観音寺市生まれ。 1965年四国学院大学文学部基督教学科(社会福祉学専攻)卒業。保健所の精神衛生相談員(PSW)を務めた後に、1969年関西学院大学大学院社会学研究科社会福祉学専攻修士課程修了(社会学修士)。 同年よりケースワークの専任教員として四国学院大学に赴任する。 四国学院大学教授、東京都立大学 (1949-2011)教授等を歴任し、2000年より法政大学現代福祉学部教授に就任するも在任中に逝去。1975-76年キングス・カレッジ・ロンドン精神医学研究所(IoP)客員研究員。
安藤 元博(あんどう もとひろ、1939年〈昭和14年〉10… 安藤 元博(あんどう もとひろ、1939年〈昭和14年〉10月26日 - 1996年〈平成8年〉6月17日)は、香川県三豊郡詫間町(現:三豊市)出身のプロ野球選手(投手)。 東京六大学野球・早稲田大学野球部の歴史における名選手の1人である。 坂出商では、エースとして1956年秋季四国大会県予選準決勝に進むが、岡村浩二のいた高松商に敗退。翌1957年夏の北四国大会決勝で松山商を延長13回の末に降し、夏の甲子園に出場。準々決勝に進出するが戸畑高に敗退。地区予選から本大会の2回戦まで65イニングス連続無失点という記録を残している。同年秋の静岡国体では、決勝で広島商を1-0で降し初優勝、「四国に安藤あり」と注目されるようになる。
近藤 文男(こんどう ふみお、1939年7月18日 - )は… 近藤 文男(こんどう ふみお、1939年7月18日 - )は、日本の経済学者。専門は、日本企業のグローバルマーケティングの研究。博士(経済学)。京都大学名誉教授。マーケティング史学会名誉会員。 香川県観音寺市出身。香川県立観音寺第一高等学校、香川大学経済学部経済学科卒業。京都大学大学院経済学研究科経営学専攻博士課程修了。 1989年(平成元年)「成立期マーケティングの研究」で学位修得(京都大学 経済学博士)。 研究は、主に3つに分かれる。第1にマーケティング発祥の地アメリカにおける成立期のマーケティングの研究を通じて、マーケティングの本質に迫ろうという研究。第2に国際マーケティング研究において、日本の家電企業の対米輸出マーケティングに関する歴史的研究。
岡下 信子(おかした のぶこ、1939年6月28日 - )は… 岡下 信子(おかした のぶこ、1939年6月28日 - )は、日本の政治家。衆議院議員(通算2期)を務めた。 香川県観音寺市出身。香川県立観音寺第一高等学校、学習院女子短期大学文科英語専攻卒業。 1962年(昭和37年)に大蔵省職員の岡下昌浩と結婚。1989年(平成元年)に夫が大蔵省を退職し、政治活動を始めると、秘書として夫を支える。昌浩は、1990年(平成2年)の総選挙には無所属で、1993年(平成5年)および1996年(平成8年)の総選挙には自由民主党から出馬するがいずれも落選。その後、1998年(平成10年)に昌浩が急逝する。 2000年(平成12年)の総選挙に、岡下は夫の地盤を引き継ぎ、大阪17区から自民党公認で出馬し初当選。
小山 修三(こやま しゅうぞう、1939年3月24日 - )… 小山 修三(こやま しゅうぞう、1939年3月24日 - )は、日本の文化人類学者・考古学者。専門は、民族学(オーストラリア・アボリジニ)、考古学(縄文時代)。国立民族学博物館名誉教授。
井下 靖央(いのした やすお、1939年3月11日 - 20… 井下 靖央(いのした やすお、1939年3月11日 - 2005年5月13日)は、TBSテレビ(旧TBSエンタテインメント)制作1部所属のテレビドラマの演出家。
町田 章(まちだ あきら、1939年2月5日 - 2011年… 町田 章(まちだ あきら、1939年2月5日 - 2011年7月31日)は、考古学者。独立行政法人文化財研究所理事長。前奈良国立文化財研究所所長。 1939年、香川県善通寺市生まれ。1962年に関西大学文学部を卒業した後、立命館大学大学院に進み、東洋思想専攻修士課程で学ぶ。1964年に大学院を修了。卒業後は奈良国立文化財研究所に入所し、数々の遺跡発掘調査に携わった。特に1988年に長屋王家木簡を発掘したことが知られる。日本考古学協会、日本考古学会、考古学研究会に所属した。また奈良国立文化財研究所の平城宮跡発掘調査部長や文化庁文化財鑑査官などの要職を務めた。2011年7月31日、肺がんのため奈良市の自宅で死去。
池原 昭治(いけはら しょうじ、1939年 - )は、日本の… 池原 昭治(いけはら しょうじ、1939年 - )は、日本の画家。童絵作家を名乗って活動している。日本漫画家協会会員。 高松短期大学客員教授、香川県「子育て心配無用教え隊」、埼玉県川越市「小江戸川越大使」、埼玉県狭山市「狭山観光大使」も務めている。 読売新聞、朝日新聞、神奈川新聞、上毛新聞、四国新聞、日本農業新聞などに、童絵や民話、連載漫画などを掲載。 日本各地の民話を訪ね歩き、『童絵』という独自の画風を確立。観音霊場や祭りに関する多くの著書がある。 香川県高松市出身。高校卒業後、会社勤めを経て1963年に東映動画に入社し、アニメーターとして働く。1983年から、テレビ「まんが日本昔ばなし」の演出・作画・美術を担当する。
藤村 貞夫(ふじむら さだお、1939年 - )は、日本の工… 藤村 貞夫(ふじむら さだお、1939年 - )は、日本の工学者。博士(工学)。東京大学名誉教授。
安西 愈(あんざい まさる、1938年10月19日 - )は… 安西 愈(あんざい まさる、1938年10月19日 - )は、日本の弁護士・元官僚。安西法律事務所所長。イカイほか企業顧問を多く務める。元・中央大学教授。香川県出身。専門は、労働法や社会保障法(特に労働保険法)。中央大学法学部通信教育課程出身の生え抜き法曹の一人 この他、東京基督教大学神学部兼任講師、中央労働災害防止協会参与会議長、法務省司法書士簡裁訴訟代理等能力認定考査委員、厚生労働省特定社会保険労務士紛争解決手続代理業務試験委員なども務めた
三宅 孝夫(みやけ たかお、1938年10月1日 - )は、… 三宅 孝夫(みやけ たかお、1938年10月1日 - )は、日本の実業家、元プロ野球選手(外野手)。 香川県出身。香川県立観音寺第一高等学校卒業。孫は、元タレントの三宅ひとみ(元アイドリング!!!)。 1956年(昭和31年)7月、第38回全国高等学校野球選手権大会香川県予選に観音寺第一高校の3番センターとして出場する。決勝戦まで勝ち進み、高松商業高校と対戦、0対2で敗れたが準優勝を果たした。香川県野球連盟から優秀選手として敢闘賞が贈られた。 同年8月2日、香川県予選の準優勝校として同選手権大会北四国大会に野球部創設以来初出場する。愛媛県予選の優勝校の西条高校と対戦、1対6で敗れ、甲子園出場は成らなかった。
松崎 キミ代(まつざき きみよ、1938年6月18日- )は… 松崎 キミ代(まつざき きみよ、1938年6月18日- )は、香川県三豊郡高瀬町(現三豊市)出身の元卓球選手。現姓・栗本。専修大学卒業。戦型はペン表ソフト前陣速攻型。日本卓球界の黄金時代を代表する女子選手のひとりであり、1997年にはその功績をたたえられ世界卓球殿堂入りを果たした。 酒屋の6人姉妹の長女。憧れの卓球選手は江口冨士枝。 小学校5年の時に卓球を始めた。1959年に行われた世界卓球選手権大会の女子シングルスで優勝、その後1963年の大会でも優勝し世界チャンピオンとなった。1961年の世界選手権の際に、周恩来からマオタイ酒をプレゼントされた。2020年、渋谷区名誉区民に顕彰された。 2010年4月17日の渋谷区体育協会のジュニア育成事業の合同開講式で『一番大事なのは気持の持ち方だ。
近藤 昭仁(こんどう あきひと、1938年4月1日 - 20… 近藤 昭仁(こんどう あきひと、1938年4月1日 - 2019年3月27日)は、香川県高松市出身のプロ野球選手(内野手)・コーチ・監督、解説者・評論家。 妻は元女優の北沢典子。一男二女の子がおり、次女は女優の近藤典子。プロレスラーの中西学は次女の元夫で、長女が結婚した際にはタモリ夫妻が媒酌人を務めた。 近藤の登録上の誕生日は1938年4月1日であるが、実際は4月10日が誕生日である。9日の違いがあるのは父親が「1年得するから」という理由で誕生日を繰り上げて役所に届け出たためである。 近所の遊び友達に4学年上の中西太がおり、1953年に中西と同じ高松一高へ進学。3年次の1955年には春季四国大会に進むが、準決勝となった1回戦で鳴門高に敗れる。
真鍋 康彦(まなべ やすひこ、1938年1月30日 - )は… 真鍋 康彦(まなべ やすひこ、1938年1月30日 - )は、日本の実業家。香川県を本拠とすることでんグループ代表で、同グループ傘下のほとんどの会社(高松琴平電気鉄道、ことでんバス、ことでんサービス、屋島ドライブウェイ、高松グランドカントリー他)の社長を務めていた、現在は会長。香川日産自動車相談役。アイル・パートナーズ(旧サンクスアンドアソシエイツ東四国)相談役。 元香川経済同友会代表幹事。元香川県経営者協会会長。 香川県高松市に生まれ。1962年香川大学経済学部を卒業し日興証券入社。父親の後を受けて香川日産自動車の社長、会長を歴任。その後、サンクスアンドアソシエイツ東四国の経営を経て2002年、前年に民事再生法適用を申請した高松琴平電気鉄道から社長就任を要請され、「地域社会への使命感」から受諾した。
若三杉 彰晃(わかみすぎ あきてる、1937年(昭和12年)… 若三杉 彰晃(わかみすぎ あきてる、1937年(昭和12年)9月24日 - 1983年(昭和58年)11月2日)は、香川県丸亀市土居町出身で花籠部屋に所属した大相撲力士。本名は杉山 昇(すぎやま のぼる)。最高位は東関脇(1963年(昭和38年)5月場所、同年7月場所など)。現役時代の体格は188cm、133kg。得意手は左四つ、寄り、上手投げ。若乃花幹士 (初代)の義弟であり、貴ノ花利彰の義兄である。 香川県立丸亀高等学校では柔道部に所属していたが、花籠親方(元前頭3・大ノ海)に勧誘され、高校を2年で中退して花籠部屋へ入門。1955年(昭和30年)3月場所で初土俵を踏んだ。当初の四股名は、本名と同じ「杉山」。
木村 操(きむら みさお、1937年(昭和12年)9月7日 … 木村 操(きむら みさお、1937年(昭和12年)9月7日 - 2020年(令和2年)2月8日)は、日本の官僚。元名古屋鉄道会長。香川県出身。
香西 隆男(こうざい たかお、1937年7月26日 - 2… 香西 隆男(こうざい たかお、1937年7月26日 - 2024年4月29日)は、日本のアニメーター、キャラクターデザイナー。香川県出身。東京芸術大学卒。 漆職人を目指して、高松工芸高等学校へ。しかし漆にかぶれる体質から、東京芸術大学彫刻科へ進学する。卒業後は、東映動画(現:東映アニメーション)に入社。アニメのことを全く知らずに、東映で実写映画のスタッフになろうと入社試験を受けての入社だったという。アニメ映画『西遊記』を経て、アニメーターとなる。入社4年後の1964年に、永樹凡人、我妻宏、小泉謙三らと共に退社し、ハテナプロの設立に参加。同プロでは東映動画作品の『魔法使いサリー』などの作画を担当した。
森安 重勝(もりやす しげかつ、1937年7月9日 - 19… 森安 重勝(もりやす しげかつ、1937年7月9日 - 1984年1月21日)は、香川県坂出市出身の騎手。実兄はナスノコトブキで菊花賞を、ニットエイトで天皇賞(秋)を制した森安弘明(騎手・調教師)。 1956年9月8日の東京第1競走3歳未勝利・メモリー(13頭中13着)でデビューし、10月7日の東京第4競走4歳以上40万下・ラントウで初勝利を挙げる。同期には矢野進、増沢末夫らが、課程違いの同年デビューに池江泰郎、武邦彦(池江と武は直接厩舎に入って騎手見習生であった)らがいる。関東競馬界の名門・尾形藤吉に師事したが、兄弟子に戦前から主戦を張っていた大騎手・保田隆芳が、弟弟子には後年尾形厩舎の主戦騎手となる伊藤正徳がいたこともあり、現役時代は必ずしも騎乗馬には恵まれなかった。
笠井 和彦(かさい かずひこ、1937年1月16日 - 20… 笠井 和彦(かさい かずひこ、1937年1月16日 - 2013年10月21日)は、日本の実業家。富士銀行(現みずほ銀行)取締役副頭取や、安田信託銀行(現みずほ信託銀行)取締役会長、福岡ソフトバンクホークス代表取締役社長兼オーナー代行を歴任した。 香川県木田郡三谷村(現高松市)出身。香川県立高松商業高等学校を経て、1959年香川大学経済学部卒業。近世欧州経済史の家名田克男ゼミ第1期出身。ゼミ生は1人だけだった。大学卒業後、富士銀行(現みずほ銀行)入行。 1964年本店の外国部外国資金課に配属。1969年スイス銀行(チューリッヒ)での半年間研修、1973年から1977年までのニューヨーク支店勤務を含め、為替ディーラーとして活躍。
宮下 裕(みやした ゆたか、1937年〈昭和12年〉1月1日… 宮下 裕(みやした ゆたか、1937年〈昭和12年〉1月1日 - 2014年〈平成26年〉8月16日)は、日本の航空自衛官、政治家。香川県善通寺市長(4期)。最終階級は空将。航空自衛隊航空総隊司令官。 香川県出身。尽誠学園高等学校を経て、1959年、防衛大学校電気科卒。同年、航空自衛隊入隊。 1989年、航空開発実験集団司令官、1990年、西部航空方面隊司令官、1991年、統合幕僚学校校長、同年、統合幕僚会議事務局長、1992年、航空自衛隊航空総隊司令官、1993年に退官。 その後、帰郷し1994年に善通寺市長選挙に立候補し初当選。市長在職中には職員削減や市の財政健全化を推進した。1998年、2002年、2006年の市長選挙はいずれも無投票当選だった。
原 剛 (はら たけし、1937年(昭和12年) - )は、… 原 剛 (はら たけし、1937年(昭和12年) - )は、日本の軍事史研究者、陸上自衛官。防衛省防衛研究所図書館調査員、軍事史学会副会長。最終階級は1等陸佐。専攻は日本軍事史(特に国土防衛史)。 香川県出身。県立観音寺第一高校卒業後、1960年(昭和35年)防衛大学校本科卒業(第4期生)。同年陸上自衛隊入隊。第10普通科連隊、第28普通科連隊に勤務後、防衛大学校、陸上自衛隊少年工科学校、陸上自衛隊幹部候補生学校教官を歴任。この期間に日本大学法学部政治経済学科を卒業(通信教育課程)、国士舘大学で歴史学を研修[要出典]。 1980年(昭和55年)より防衛庁防衛研究所戦史部所員。1991年に自衛官を退官後、教官として防衛研究所戦史部勤務、1998年定年退官し非常勤調査員として戦史部に勤務後、現職。
池田 守男(いけだ もりお、1936年〈昭和11年〉12月2… 池田 守男(いけだ もりお、1936年〈昭和11年〉12月25日 - 2013年〈平成25年〉5月20日)は、株式会社資生堂相談役、資生堂美容技術専門学校理事長、東洋英和女学院理事長・院長、株式会社小松製作所社外取締役、教育再生会議座長代理、日本基督教団銀座教会員。香川県高松市出身。神学部卒の異色経営者として知られた。
小西 博行(こにし ひろゆき、1936年10月19日 - 2… 小西 博行(こにし ひろゆき、1936年10月19日 - 2022年1月23日)は、日本の政治家。参議院議員を2期12年務めた。 香川県善通寺市生まれ。 1959年に高知大学農学部農芸化学科を卒業後、淀川製鋼所に入社する。近畿大学の講師を経て、1977年7月に行われた第11回参議院選挙で広島県選挙区から民社党公認で立候補したが落選する。1980年6月に行われた第12回参議院選挙に立候補して初当選を果たした後、1986年の第14回参議院選挙で再選。1992年7月の第16回参議院選挙では「連合の会」から立候補したが落選した。2009年、旭日中綬章受章。 2022年1月23日16時30分、肺炎のため、広島県呉市の病院で死去。
白川 文造(しらかわ ぶんぞう、1936年(昭和11年)9月… 白川 文造(しらかわ ぶんぞう、1936年(昭和11年)9月11日 - )は、日本の実業家、テレビドラマのプロデューサー。ビーエスフジ(BSフジ)社長、鹿児島テレビ放送副社長を務めた。 香川県観音寺市出身。香川県立観音寺第一高等学校、東京大学文学部西洋史学科卒業。 1962年(昭和37年)東京大学卒業後、フジテレビジョン入社。編成局に勤務し、『鉄腕アトム』 『鉄人28号』 『夜のヒットスタジオ』 『北の国から』 など数多くのヒット番組の編成・企画・プロデュースに携わる。 1981年(昭和56年)10月9日、『北の国から』の第1話が放映される。初回視聴率16.4%、最終回は21.0%を獲得した。視聴者からの反響は絶大で、以後20年間で8本のスペシャルが放送される国民的ドラマとなった。
公文 宏(くもん ひろし、1936年9月6日 - 2020年… 公文 宏(くもん ひろし、1936年9月6日 - 2020年1月8日)は、日本の大蔵官僚。国土庁長官官房長、内閣官房内閣内政審議室長、国土事務次官、石油公団副総裁、住友生命総合研究所副社長などを歴任。血液型はAB型。 香川県坂出市出身(父母も香川県)。香川県立坂出高等学校、東京大学法学部卒業。東大法学部在学中に国家公務員上級甲種試験(法律)を合格。1959年 大蔵省に入省(主計局総務課)。総務課長に中尾博之、その後、主計官(総務課企画担当)に海堀洋平が就き、同期で同じ係には斎藤次郎がいた。1966年7月1日 甲府税務署長。主に課長補佐時代は大臣官房と主計局に勤務。1968年7月から2年間は和歌山県総務部財政課長として出向。
関森 正治(せきもり まさはる、1936年9月4日 - )は… 関森 正治(せきもり まさはる、1936年9月4日 - )は香川県出身の元プロ野球選手。昭和30年代の近鉄球団の主力選手であった。
小山 勉(こやま つとむ、1936年7月26日 - 2012… 小山 勉(こやま つとむ、1936年7月26日 - 2012年7月2日 )は、日本の元バレーボール選手、指導者。1964年東京オリンピックバレーボール男子銅メダリスト。 香川県坂出市出身。坂出東部中学校から香川県立坂出商業高等学校に進学し、1953年の全日本高校選手権で攻守の要としてチームを全国優勝に導いた。関西学院大学でも全日本大学選手権制覇に貢献。 大学卒業後は実業団の富士フイルムに加入し、ここでもチームの全国制覇に貢献。全日本男子にも選出され、1964年の東京オリンピックでは銅メダル獲得に貢献。選手引退後は指導者に転じ、富士フイルム監督に就任。 1972年に松平康隆の後を引き継いで全日本男子監督に就任、モントリオールオリンピック日本代表チームを率いたが、準決勝でポーランドに敗れてオリンピック連覇を逸した。
岩倉 壽(いわくら ひさし、1936年6月30日 - 201… 岩倉 壽(いわくら ひさし、1936年6月30日 - 2018年10月11日)は、日本画家。元日本藝術院会員。元日展常務理事。京都市立芸術大学名誉教授。 香川県三豊郡山本町(現 三豊市山本町)出身。香川県立観音寺第一高等学校、京都市立美術大学(現 京都市立芸術大学)日本画科卒業。同大学専攻科修了。 風景や花鳥などの題材を淡い色彩で描く。京都市立美術大学在学中に日展への初入選を果たす。1959年(昭和34年)同大学卒業後、晨鳥社に入り、山口華楊に師事。日展を中心に活躍する一方、大学に残り、後進の指導に当たってきた。1961年(昭和36年)同大学専攻科修了。1962年(昭和37年)同大学教授に就任。
田中 尊(たなか たかし、1936年4月11日 - 2005… 田中 尊(たなか たかし、1936年4月11日 - 2005年5月12日)は、香川県高松市出身の元プロ野球選手(捕手)・コーチ。
久保 武士(くぼ たけし、1936年4月10日 - 202… 久保 武士(くぼ たけし、1936年4月10日 - 2025年11月22日[要出典])は、日本の医学者・産婦人科医。筑波大学名誉教授。 専門は産婦人科学。医学博士(東京大学・1968年)。 東京大学附属病院助手・筑波大学臨床医学系産婦人科教授・筑波大学臨床医学系長・龍ケ崎済生会病院初代院長を歴任した。 香川県善通寺市生まれ。善通寺第一高校卒業。 専門は産婦人科学であり、周産期医学、産婦人科ME、新生児・産婦人科疫学、計量診断学などの研究に従事。筑波大学教授として産科医療に従事する他、茨城県周産期医療体制の構築にあたり、母胎搬送等の基準の作成や運用に関する中心的役割を果たした。 1992年から2000年まで日本産婦人科学会茨城地方部会会長を務め茨城県の産科学、婦人科学の進歩・発展に寄与。
小松 範任(こまつ のりひで、1936年〈昭和11年〉4月8… 小松 範任(こまつ のりひで、1936年〈昭和11年〉4月8日 - 2018年〈平成30年〉2月22日)は、日本のテレビドラマ監督・脚本家。 香川県高松市出身。声優の小松由佳は娘。DTMerのfkomは息子。 幼少期から榎本健一(エノケン)のファンで、本人曰く、その幼い頃から劇場に行ってエノケンの映画を観て育って来たとのこと。地元・高松では無料だったこともあって東宝の映画をよく観ていたという。早稲田大学第一文学部仏文科卒業を控えた就職試験の時に、映画会社では東宝は縁故のコネが無いと受験できなかったということで、これしか募集が無かった東映を受験、しかし当時東映作品と言えばチャンバラの剣劇以外の作品を知らなかったので、口頭試問の時に困ったという。
加藤 義和(かとう よしかず、1936年(昭和11年)1月7… 加藤 義和(かとう よしかず、1936年(昭和11年)1月7日 - 2021年(令和3年)2月5日)は、日本の政治家。実業家。香川県観音寺市長(4期)。加ト吉(現・テーブルマーク)創業者。 香川県三豊郡観音寺町(現・観音寺市)出身。1951年、観音寺町立観音寺中学校(現・観音寺市立観音寺中学校)卒。中学卒業後、魚の行商を始め、1956年、20歳で加ト吉水産を創業し、社長となる。1967年、観音寺市議会議員となり、2期務め、1973年に市議会議長となった。1975年、観音寺市長に当選、1991年までの4期16年務めた。その一方で1974年、加ト吉会長に就任、冷凍食品開発で業績を伸ばした。1994年、居酒屋チェーン店の村さ来を傘下に入れ、社長を兼務。
松尾 陽(まつお よう) 松尾 陽(まつお よう、1936年… 松尾 陽(まつお よう) 松尾 陽(まつお よう、1936年1月1日 - 2012年1月30日)は、日本の建築設備工学者。 専門は、建築環境工学・建築設備。東京大学名誉教授。元 明治大学教授。工学博士。 建築伝熱や建築の省エネルギーの分野において、多大な業績を残す。 熱負荷および空調負荷計算の分野では、標準気象データの整備や熱負荷・空調システム計算プログラムHASP/ACLDの開発に携わる。 1983年には「外界気象の影響下における建築物の熱的挙動並びに熱負荷に関する一連の研究」で日本建築学会賞(論文)を受賞。 空気調和・衛生工学会では会長(70・71期、1996・1997年度)を務めた。 日本建築学会では環境工学委員会の委員長などを務める。
岡田 恒男(おかだ つねお、1936年 - )は、日本の工学… 岡田 恒男(おかだ つねお、1936年 - )は、日本の工学者。専門は、地震防災学。博士(工学)。東京大学名誉教授。
多田野 栄(ただの さかえ、1935年11月14日 - )は… 多田野 栄(ただの さかえ、1935年11月14日 - )は、日本の経営者。タダノ社長、会長を務めた。 香川県高松市出身。1958年に慶應義塾大学経済学部を卒業し、同年に日商岩井に入社。 1959年に多田野鉄工所(のちのタダノ)に転じ、1975年に取締役に就任し、1979年11月に常務、1985年11月に常務、1993年6月に副社長を経て、1997年6月には社長に就任。2003年6月に会長に就任し、205年3月からは相談役を務めた。 2004年4月に藍綬褒章を受章。
佐川 守一(さがわ もりかず、1935年11月11日- )は… 佐川 守一(さがわ もりかず、1935年11月11日- )は、香川県出身の元プロ野球選手(投手)。 香川県立観音寺第一高等学校卒業。 1954年(昭和29年)観音寺第一高校を卒業後、倉敷レイヨン(現・クラレ)へ入社。同社の硬式野球部(1973年に廃部)に入部し、活躍する。 1955年(昭和30年)倉敷レイヨンを退社し、西鉄ライオンズ(現・埼玉西武ライオンズ)へ入団。同年3月31日、近鉄パールス戦(平和台球場)で、プロ初勝利を記録する。同年4月17日、大映スターズ戦(茨城県営球場)で、2勝目を挙げる。 1958年(昭和33年)広島カープ(現・広島東洋カープ)へ移籍。しかしここでは、1試合のみの登板に終わる。
大野 功統(おおの よしのり、1935年〈昭和10年〉10月… 大野 功統(おおの よしのり、1935年〈昭和10年〉10月16日 - 2023年〈令和5年〉7月16日)は、日本の政治家、大蔵官僚。位階は従三位、勲章は旭日大綬章、レジオンドヌール勲章シュヴァリエ。 防衛庁長官(第70・71代)、文部科学副大臣(第2次森改造内閣)、衆議院議院運営委員長(第62代)、衆議院議員(8期)などを歴任した。 香川県副知事を務めた大野乾は父、衆議院議員を務めた加藤常太郎は岳父、衆議院議員の大野敬太郎は長男。 日本統治時代の台湾生まれ。父は大野乾、母はカツエ。台湾で第二次世界大戦敗戦を迎える。小学校が閉鎖されたため、引き揚げまでは新聞配達のアルバイトをして過ごしていた。1947年、香川県三豊郡豊浜町(現観音寺市)に引き揚げ。
牛川 喜幸(うしかわ よしゆき、1935年10月11日 - … 牛川 喜幸(うしかわ よしゆき、1935年10月11日 - 2009年2月16日)は、日本の造園学者。長岡造形大学名誉教授。専門は日本庭園史。農学博士。 香川県高松市出身。1959年、京都大学農学部林学科を卒業し、引き続き大学院に進み、1961年に京都大学大学院農学研究科林学専攻修士課程を修了した。文化庁で主任文化財調査官を務め、奈良国立文化財研究所飛鳥藤原宮跡発掘調査部長となる。1993年より長岡造形大学造形学部環境デザイン学科教授に就任した。 1998年 - 1999年に日本庭園学会会長、2003年に日本遺跡学会会長をそれぞれ務め、京都橘大学文学部文化財学科教授でもあった。平成18年度日本造園学会賞上原敬二賞を受賞した。
石野 倬(いしの あきら、1935年8月22日 - 2012… 石野 倬(いしの あきら、1935年8月22日 - 2012年7月2日)は、元NHKアナウンサー。 香川県出身。高松高校、東京教育大学卒業後の1958年入局。囲碁や将棋関係の番組を担当したほか、大河ドラマ「勝海舟」などのナレーションを担当した。2000年頃までアナウンサーとして活動し、その後桐蔭横浜大学工学部教授を務めた。
真鍋 賢二(まなべ けんじ、1935年〈昭和10年〉7月14… 真鍋 賢二(まなべ けんじ、1935年〈昭和10年〉7月14日 - 2024年〈令和6年〉3月2日)は、日本の政治家。自由民主党所属。 環境庁長官(第36代)、参議院議員(4期)、参議院予算委員長、裁判官弾劾裁判所裁判長などを歴任。 香川県三豊郡仁尾町(現 三豊市仁尾町)出身。香川県立観音寺第一高等学校、岐阜大学農学部農学科卒業。 1958年(昭和33年)岐阜大学卒業後、植物病理学を専攻し、学究の道を選択した同年4月、大平正芳衆議院議員と出会い、以後19年間秘書を務めた。1977年(昭和52年)7月に参議院議員に初当選した。 1998年(平成10年)7月、環境庁長官に就任。1993年(平成5年)に名古屋市がゴミ処分場として計画した藤前干潟の埋立てについて、長官在任直後の1998年8月「鳥類・海洋生物保護の立場から反対する」と当時としては異例の表明を行い、2000年(平成12年)の同計画中止のきっかけとなった。
大矢根 博臣(おおやね ひろおみ、1935年〈昭和10年〉7… 大矢根 博臣(おおやね ひろおみ、1935年〈昭和10年〉7月1日 - )は、香川県三豊郡仁尾町(現:三豊市仁尾町)出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 現役時代はNPB(セントラル・リーグ)の中日ドラゴンズで先発投手として活躍し、在籍7年間(1954年 - 1960年)で84勝52敗を記録した。特に1956年には中日のエースとして20勝を挙げ、1958年には自己最多の24勝を挙げた。 中日時代の通算防御率は1.99、通算勝率は0.618。2020年シーズン終了時点で、前者は中日の球団記録であり、後者も杉下茂・服部受弘・吉見一起に次ぐ球団史上4位(いずれも通算投球回1000イニング以上の投手に限る)である。
岡部 征純(おかべ せいじゅん、1935年6月13日 - )… 岡部 征純(おかべ せいじゅん、1935年6月13日 - )は、日本の俳優である。本名・旧芸名、岡部 正純(おかべ まさずみ)。香川県坂出市出身。 香川県立坂出高等学校卒業後、1954年(昭和29年)東映東京撮影所に入所。映画を皮切りに舞台等で活動した。悪役から実直な市民、時代劇から現代劇まで幅広い役柄を演じている。 東映の大部屋俳優として出発し、監督では内田吐夢、沢島忠、演出家では三木のり平、木村光一、俳優では萬屋錦之介、勝新太郎、三國連太郎の下で修業をし、徐々に舞台へも活動を広げた。三木のり平に指導を受けるのは舞台出演時である。 東映退社後、天知プロに所属した関係で、天知茂の出演した舞台・テレビドラマでの出演も多い。
月原 茂皓(つきはら しげあき、1935年〈昭和10年〉3月… 月原 茂皓(つきはら しげあき、1935年〈昭和10年〉3月2日 - 2019年〈平成31年〉1月19日)は、日本の政治家、防衛官僚。本名:月原 重明。 衆議院議員(通算3期)、参議院議員(1期)、郵政政務次官(宇野内閣・第1次海部内閣)、国土交通副大臣(第1次小泉内閣)などを歴任した。 香川県観音寺市出身。幼少期を中国の奉天で過ごす。香川県立観音寺第一高等学校、東北大学法学部卒業。学生生活は民法学者である中川善之の私塾冲和寮で送る。 1960年(昭和35年)東北大学卒業後、防衛庁に入庁。1963年(昭和38年)大蔵省主計局、1971年(昭和46年)和歌山県警警務部長、1973年(昭和48年)防衛庁長官秘書、1976年(昭和51年)国連事務総長スタッフ、1978年(昭和53年)防衛庁広報課長を歴任。
大藪 春彦(おおやぶ はるひこ、1935年〈昭和10年〉2月… 大藪 春彦(おおやぶ はるひこ、1935年〈昭和10年〉2月22日 - 1996年〈平成8年〉2月26日)は、日本の小説家、狩猟家。日本統治期の朝鮮・京城生まれ。日本におけるハードボイルド小説の先駆者の1人である。 アクション・エンターテインメント色の濃い作風で知られ、代表作には『野獣死すべし』『蘇える金狼』『汚れた英雄』などがある。作品の多くは電子書籍化され、映像化作品も多い。 1935年 2月22日、日本統治下の 京城(ソウル)で生まれ、年内に山形県酒田市へ移転。1941年、当時(「韓国併合ニ関スル条約」に基づき)大日本帝国の領地だった朝鮮半島北部の新義州に移転し、国民学校へ入学する。 1945年に父が応召。
西村 貞朗(にしむら さだあき、1934年11月25日 - … 西村 貞朗(にしむら さだあき、1934年11月25日 - 2015年8月3日)は、香川県仲多度郡琴平町出身のプロ野球選手(投手)、野球解説者、実業家。 史上5人目の完全試合達成者。 琴平高校ではエースとして活躍。1951年、2年生の時に秋季四国大会県予選決勝に進み、高松一高の荒井健と投げ合うが完封を喫する。翌1952年夏は県予選決勝で高松一高を降し優勝、北四国大会に進出するが八幡浜高に敗退。春夏とも甲子園出場はならなかった。 1953年に西鉄ライオンズに入団。同期入団に豊田泰光、高倉照幸、河村久文がいる。また、同郷の中西太がいたためチームにすぐ溶け込むことができた。 本格派右腕として期待され、開幕直後から先発として起用されるが、結果を残せず同年は2勝に終わる。
大西 淳(おおにし あつし、1934年10月27日 - )は… 大西 淳(おおにし あつし、1934年10月27日 - )は、日本の実業家。四国電力社長や、同社会長、四国経済連合会会長を務めた。旭日大綬章受章。 香川県出身。1953年香川県立丸亀高等学校卒業。1957年香川大学経済学部卒業、四国電力入社。1995年常務取締役。1996年常務取締役電源立地推進本部長。1998年取締役副社長電源立地推進本部長。1999年代表取締役社長、日本原燃取締役。2005年四国電力取締役会長。2008年旭日大綬章受章。2009年四国電力相談役。