髙橋 快秀(たかはし かいしゅう、2005年12月21日 -… 髙橋 快秀(たかはし かいしゅう、2005年12月21日 - )は、香川県丸亀市出身のプロ野球選手(投手・育成選手)。右投右打。千葉ロッテマリーンズ所属。 丸亀市立垂水小学校時代に7歳上の兄が野球をやっていた影響で小学2年生の時に野球を始め、綾歌少年野球クラブで野球を始める。丸亀市立丸亀南中学校時代には軟式野球部で速球派右腕として、香川県内の高校野球関係者の間で広く名前が知られる存在となった。 香川県立多度津高等学校に進学すると3年生夏の香川県大会で1回戦ではNPB6球団のスカウトが視察する中で完投勝利を挙げ、大きな注目を集める。3回戦では強豪校相手に善戦するも悔しい敗戦となり、甲子園出場はかなわなかった。
寿賀 弘都(すが ひろと、2005年6月16日 - )は、香… 寿賀 弘都(すが ひろと、2005年6月16日 - )は、香川県高松市出身のプロ野球選手(投手・育成選手)。オリックス・バファローズ所属。 小学校2年生のときに香西汐風クラブで野球を始め、高松市立勝賀中学校では硬式野球の高松リトルシニアに所属していた。 英明高校に進学すると、1年秋から背番号12でベンチ入りし、投手としては2年時から公式戦に登板。背番号11で迎えた2年夏は県大会決勝で高松商業に敗れた。新チームでは背番号8を付け、全公式戦で4番に座った。2年秋は四国大会決勝で高松商業を破り、チーム8年ぶり2度目の明治神宮大会に出場すると、山梨学院との初戦に勝利し、同大会初白星を飾った。3年春にはチーム5年ぶり3度目となるセンバツに出場すると、智辯和歌山との初戦に勝利し、同大会初白星を飾った。
浅野 翔吾(あさの しょうご、2004年11月24日 - )… 浅野 翔吾(あさの しょうご、2004年11月24日 - )は、香川県高松市出身のプロ野球選手(外野手)。右投右打。読売ジャイアンツ所属。 徳島県生まれ。徳島商OBであった父の転勤により、隣の香川県に移り住んだ。高松市立屋島小学校3年生の時に野球を始め、高松市立屋島中学校では軟式野球部に所属。3年時は全日本少年軟式野球大会に四国代表として出場しベスト8まで勝ち進むと、U-15アジア野球選手権大会の日本代表に選出された。 四国のみならず関西地区の私立強豪校から声を掛けられるが、地元の香川県立高松商業高等学校に進学し、1年夏の独自大会からレギュラーに定着。2年夏は第103回全国高等学校野球選手権大会に出場し、「2番・右翼手」でベスト16に進出。
古市 尊(ふるいち たける、2002年6月15日 - )は、… 古市 尊(ふるいち たける、2002年6月15日 - )は、香川県丸亀市出身のプロ野球選手(捕手)。右投右打。横浜DeNAベイスターズ所属。 6歳から綾歌少年野球クラブで野球を始める。丸亀市立綾歌中学校時代はリトルリーグシニアチームに所属した。 香川県立高松南高等学校では1年時は外野手を務め、2年生から捕手に転向する。2020年夏の代替地方大会では1番打者を務めた。当時よりプロ野球ドラフト会議指名候補と報じられ、8月に阪神甲子園球場で開催されたプロ志望高校生合同練習会に参加した。プロ志望届を提出したが、NPBにはドラフト指名されなかった。プロ志望届は、古市に着目していたNPB球団のスカウトからの依頼で出したものだったが、指名されなかったことで却ってNPB入団を望む気持ちが生じたという。
水野 達稀(みずの たつき、2000年7月30日 - )は、… 水野 達稀(みずの たつき、2000年7月30日 - )は、香川県丸亀市出身のプロ野球選手(内野手)。右投左打。北海道日本ハムファイターズ所属。愛称は、忍者。 丸亀城西高等学校では高校通算27本塁打。2年時には香川県高等学校野球連盟が早稲田実業高校を招待した試合が行われた。この試合では1回表に水野の2ランHRが飛び出したこともあり10対9で勝利した。また、早稲田実業高校には3年生であった清宮幸太郎が所属していた。3年生時の第100回全国高等学校野球選手権大会・香川大会ではリードオフマンを務め、決勝の高松高校戦では逆転となる左中間三塁打を放ち、13年ぶり5回目の夏の甲子園出場に貢献した。甲子園では1回戦で日南学園と対戦。
東山 玲士(ひがしやま れいじ、2000年5月5日 - )は… 東山 玲士(ひがしやま れいじ、2000年5月5日 - )は、香川県坂出市出身のプロ野球選手(投手・育成選手)。右投右打。オリックス・バファローズ所属。 5歳ごろにテレビで阪神タイガースの試合を見ると「金本(知憲)さんが格好良くて」と親にグラブとボールを買ってもらい、小学校入学までは連日「親に止められるまでやってましたね」と日が暮れるまで壁当てをしていた。 坂出市立川津小学校1年生のときに『川津野球スポーツ少年団』で本格的に野球を始め、投手兼捕手。坂出市立坂出中学校では軟式野球部に所属して投手。3年春の県大会で準優勝し、四国大会では1回戦敗退であった。 丸亀高校では投手・三塁手・外野手としてプレーし、1年夏から背番号18でベンチ入りした。
富田 龍(とみだ りゅう、1999年11月11日 - )は、… 富田 龍(とみだ りゅう、1999年11月11日 - )は、香川県高松市出身のプロ野球選手(投手・育成選手)。左投左打。読売ジャイアンツ所属。 高松市立牟礼南小学校時代は軟式野球の牟礼南クラブに所属。高松市立牟礼中学校では軟式野球部に所属するとともに、元プロ野球選手の高橋浩司が開く「高橋野球塾」で硬式野球の指導を受けていた。 香川県立志度高等学校では2年秋に背番号11で公式戦デビュー。3年春からエースとなり、3年夏の香川県大会は初戦(2回戦)の高松商戦に先発したが、1/3回で3安打を打たれて降板し、チームは0-10で6回コールド負けを喫した。甲子園出場経験はなし。 四国学院大学では、13試合に登板して通算1勝ながら、43回2/3を投げ42奪三振と高い奪三振率を誇った。
三好 大倫(みよし ひろのり、1997年9月28日 - )は… 三好 大倫(みよし ひろのり、1997年9月28日 - )は、香川県大川郡白鳥町(現:東かがわ市)出身の元プロ野球選手(外野手)、YouTuber。左投左打。 兄はJR四国に所属する社会人野球選手の三好大輝。 東かがわ市立白鳥小学校2年時に「白鳥ジュニアファイターズ」で野球を始め、東かがわ市立白鳥中学校時代までは軟式野球をプレーする。 香川県立三本松高等学校へ進学すると、投げては最速144km/h、打っては高校通算26本塁打を記録し、二刀流の投手としてプロから注目される。しかし、甲子園出場は無かった。 高校卒業後はJFEスチールに入社し、同社の社会人野球チームであるJFE西日本でプレーをする。入社3年目まで投手としてプレーし、4年目からは外野手に転向した。
笹 真輔(ささ しんすけ、1997年7月2日 - )は、香川… 笹 真輔(ささ しんすけ、1997年7月2日 - )は、香川県丸亀市出身のプロ野球審判員。審判員袖番号は5。 香川県立丸亀城西高等学校では野球部で主将を務め、3年夏の香川大会では準優勝した。高校卒業後は丸亀市のスポーツ推進課職員となり、丸亀市民球場に勤務。球場で行われていた高校野球の試合などを見て、また野球に携わりたいという思いから香川県高校野球連盟で審判を始めた。 2017年にNPBアンパイア・スクールの制度を知り、自身の技術向上のために参加。その中で刺激を受け、日本野球機構の審判員を目指すようになり、2018年のアンパイア・スクールも参加するが選考を通過できなかった。2018年の試験会場で、当時、独立リーグの四国アイランドリーグplusの審判部長を務めていた神谷佳秀から話を聞いたことで、独立リーグで審判員の経験を積むことを決める。
塹江 敦哉(ほりえ あつや、1997年2月21日 - )は、… 塹江 敦哉(ほりえ あつや、1997年2月21日 - )は、香川県高松市出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。広島東洋カープ所属。 高松市立屋島小学校3年生の時に野球を始める。香川県立高松北中学校・高等学校への進学を経て、高校1年生時に投手へ転向すると、秋からエースと4番打者を務める。高校時代の最高成績は、2年生夏の香川大会ベスト4で、3年生時の同大会では3回戦で敗退した。 高校3年生時から150km/h台の球速を計測しているストレートなどが評価されて、2014年のプロ野球ドラフト会議では、広島東洋カープから3巡目で指名。契約金4000万円、年俸500万円(金額は推定)という条件で入団した。背番号は36。
野村 勇(のむら いさみ、1996年12月1日 - )は、兵… 野村 勇(のむら いさみ、1996年12月1日 - )は、兵庫県神戸市垂水区出身のプロ野球選手(内野手)。右投右打。福岡ソフトバンクホークス所属。 香川県の寒川高等学校から拓殖大学に進学。高校の2学年上には鶴田圭祐がいる。 拓殖大学野球部に所属するも入部時はBチームだった。1年秋から2部リーグであったが、その後4年生の時にレギュラーを掴み、チームの主戦力として活躍する。拓殖大学野球部時代の同期に岸潤一郎がいる(なお、岸は中退)。 拓殖大学卒業後は、NTT西日本硬式野球部でプレーした。都市対抗野球は3年連続でチームが出場し、自身は2年目から試合に出場した。 2021年10月11日のドラフト会議において、福岡ソフトバンクホークスから4位指名を受け、12月8日に契約金5000万円、年俸1200万円で入団に合意した(金額は推定)。
末包 昇大(すえかね しょうた、1996年5月27日 - )… 末包 昇大(すえかね しょうた、1996年5月27日 - )は、香川県坂出市出身のプロ野球選手(外野手)。右投右打。広島東洋カープ所属。 坂出市立白峰中学校から進学した高松商業高校時代は、1年秋より一塁手としてレギュラーとなり、秋季四国大会に出場。2年から三塁手となり、3年夏は4番打者を務めた。高校通算11本塁打。 東洋大学時代は、3年生時からリーグ戦に出場。守備位置は右翼手に転向。野球部の同期には後にプロ野球に進んだ人物が多く、甲斐野央、梅津晃大、上茶谷大河、藤井聖、中川圭太がいる。 大学ではレギュラーにはなれなかったが、当時大阪ガス副部長を務めていた竹村誠に見いだされ同社に入社。1年目は控え選手だったが、2年目から4番打者を務め、都市対抗に出場。
田中 耀飛(たなか あきと、1996年3月5日 - )は、日… 田中 耀飛(たなか あきと、1996年3月5日 - )は、日本の元プロ野球選手(外野手)。右投右打。NPB時代の登録名は「耀飛」。 小学2年生の時に「長曽根ストロングス」で外野手として野球を始める。中学時代は「浜寺ボーイズ」に所属。 英明高等学校では1年秋にレギュラーを獲得。2年秋には県大会で優勝し、四国大会8強に進出。全国大会出場はなかったものの、高校通算18本塁打を記録した。 高校卒業後は芦屋大学に進学し、2015年に芦屋大学と教育提携を結んでいるBASEBALL FIRST LEAGUEの兵庫ブルーサンダーズに入団する。 1年目は37試合に出場し、打率.333を記録。2年目は長打力が開花し、5本塁打を放ち本塁打王を獲得する。
松本 直樹(まつもと なおき、1993年10月17日 - )… 松本 直樹(まつもと なおき、1993年10月17日 - )は、香川県坂出市出身のプロ野球選手(捕手)。右投右打。東京ヤクルトスワローズ所属。 小学生の時、金山野球スポーツ少年団で野球を始める。香川大学教育学部附属坂出中学校では長尾健司監督の指導の下、放課後の練習時間が1時間弱という環境の中、四国大会準優勝を達成した。 丸亀高時代は3年夏の全国高等学校野球選手権香川大会決勝戦で松本竜也擁する英明高に完封負け。立教大学に一般入試で進み、硬式野球部ではリーグ戦通算13試合に出場(フル出場は3試合)したが、無安打に終わった。 社会人の西濃運輸では1年目から正捕手の座を掴むなど急成長を遂げ、都市対抗野球8強入りに貢献。
松本 竜也(まつもと りゅうや、1993年4月29日 - )… 松本 竜也(まつもと りゅうや、1993年4月29日 - )は、香川県木田郡三木町出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。 寒川高校出身で三菱重工三原に在籍していた元社会人野球選手の実父の指導で、2歳の時に利き腕を左利きに矯正した。 小学校3年生より「平井軟式スポーツ少年団」で野球を始め、三木町立三木中学校では2年生時の香川県大会において、7回15奪三振で完全試合を達成したほか、四国中学校秋季大会にも出場し準優勝すると、父親の寒川高校時代の恩師である香川智彦が指導していた英明高校に進学し、1年夏からベンチ入り。 全国高等学校野球選手権香川大会初戦の尽誠学園高校戦において救援で高校野球公式戦初登板。
川崎 ひかる(かわさき ひかる、1992年5月28日 - )… 川崎 ひかる(かわさき ひかる、1992年5月28日 - )は、日本の女子プロ野球選手。香川県出身。
南川 忠亮(みなみかわ ただすけ、1992年1月13日 - … 南川 忠亮(みなみかわ ただすけ、1992年1月13日 - )は、香川県高松市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 小学校3年生の時に野球を始め、高松市立古高松中学校では捕手としてプレー。 香川県立高松工芸高等学校では1年生の時に投手に転向し、同年の秋季大会よりベンチ入り。2年生時の第90回全国高等学校野球選手権記念大会香川大会では救援で2試合に登板した。同年秋からエースとなり。3年生時の第91回全国高等学校野球選手権大会香川大会では準々決勝までの3試合に登板して防御率0.69、準決勝の対高松商業戦で11回を投げて2失点、チームはサヨナラ負けする。 高校卒業後はJR四国に就職し、野球部に所属。
秋山 拓巳(あきやま たくみ、1991年4月26日 - )は… 秋山 拓巳(あきやま たくみ、1991年4月26日 - )は、阪神タイガースに所属する香川県出身のプロ野球選手(投手)。右投左打。
関口 将平(せきぐち しょうへい、1989年4月14日 - … 関口 将平(せきぐち しょうへい、1989年4月14日 - )は、香川県小豆郡小豆島町出身の元プロ野球選手(投手)。
山中 達也(やまなか たつや、1988年12月23日 - )… 山中 達也(やまなか たつや、1988年12月23日 - )は、香川県坂出市出身のプロ野球選手(投手)。
白川 大輔(しらかわ だいすけ、1988年6月30日 - )… 白川 大輔(しらかわ だいすけ、1988年6月30日 - )は、元プロ野球選手(内野手)。香川県仲多度郡琴平町出身。
松永 昂大(まつなが たかひろ、1988年4月16日 - )… 松永 昂大(まつなが たかひろ、1988年4月16日 - )は、香川県さぬき市出身のプロ野球選手(投手)。千葉ロッテマリーンズ所属。
髙尾 健太(たかお けんた、1988年1月17日 - )は、… 髙尾 健太(たかお けんた、1988年1月17日 - )は、野球選手(投手)。香川県高松市出身。
岡本 秀寛(おかもと ひでひろ、1983年4月19日 - )… 岡本 秀寛(おかもと ひでひろ、1983年4月19日 - )は、香川県高松市出身の元プロ野球選手(投手)。 1999年に鳴門第一高に進学。在籍時は一つ上の学年に藤田一也がおり、1年秋は県大会準優勝で四国大会初戦敗退。2年秋は県大会決勝で延長12回完投勝利、初戦完投勝利するも準々決勝で敗れた。 2002年に川崎製鉄水島に入社し、翌2003年にJFEホールディングスの経営統合に伴ってJFE西日本へ転籍した。2004年にはドラフト指名資格が解禁となった。チーム内でも貴重な左腕ということもあって、大事な試合を任される機会が増えた。しかし当時は安定感を欠いており、プロからの声はかからなかった。 2007年のシーズンは主力投手として重用され、予選全6試合に先発し、チームの2年ぶりの都市対抗野球出場の原動力となった。
鈴木 義広(すずき よしひろ、1983年1月5日 - )は、… 鈴木 義広(すずき よしひろ、1983年1月5日 - )は、香川県仲多度郡まんのう町(旧満濃町)出身の元プロ野球選手(投手)。 愛称は「スーさん」。 小学2年生から野球を始め、香川県立多度津工業高等学校では2年春・夏の県大会で8強入りを果たした。 愛知大学野球リーグでは1年春から投げて新人賞を獲得し、2年春には同朋大学1回戦でリーグ11人目のノーヒットノーランを達成し、最優秀防御率を獲得。大学4年間で通算18勝を挙げた。2004年の中日ドラゴンズ優勝パレードの際にアルバイトとして沿道の警備にあたっていた。その年のドラフト会議で、中日ドラゴンズから5巡目指名を受けて入団。中部大学から初めて誕生したプロ野球選手となった。
高橋 浩司(たかはし こうじ、1982年11月12日 - )… 高橋 浩司(たかはし こうじ、1982年11月12日 - )は、香川県さぬき市出身の元プロ野球選手(捕手)。「高橋野球塾」塾長、NPO法人讃們球友倶楽部理事長。 香川県立志度高等学校時代から、パンチ力のあるバッティングが持ち味の選手として有名であった。高校2年夏は県大会準決勝で丸亀高校を相手に本塁打を放つが敗退。秋の県大会も準決勝で丸亀高と対戦して先発登板したが大差で途中から捕手を務めて敗戦。3年夏は県大会準決勝でまたも丸亀高を相手に先発完投したが延長10回で敗れ甲子園出場はならなかった。2000年のドラフト8位でオリックス・ブルーウェーブに指名され入団。なお、入団の際の契約内容はオリックスが当時下位指名の選手に対し行っていた契約金ゼロ・一軍出場数による出来高払い制の変則契約である。
新田 玄気(にった げんき、1982年8月22日 - )は、… 新田 玄気(にった げんき、1982年8月22日 - )は、香川県高松市出身の元プロ野球選手(捕手)。
松家 卓弘(まつか たかひろ、1982年7月29日 - )は… 松家 卓弘(まつか たかひろ、1982年7月29日 - )は、香川県高松市出身の元プロ野球選手(投手)。東京大学経済学部卒業。現在は高校の教諭。
齊藤 信介(さいとう しんすけ、1982年2月12日 - )… 齊藤 信介(さいとう しんすけ、1982年2月12日 - )は、香川県高松市出身の元プロ野球選手(投手)。 高松一高時代は、2年秋の県大会ベスト4が最高。龍谷大学時代は、関西六大学リーグ通算21試合に登板し、10勝5敗、防御率1.77、147奪三振。2003年の秋季リーグ戦では6勝を挙げて最優秀投手に選ばれた。明治神宮大会に出場し初戦から先発し14奪三振、2回戦も柳瀬明宏へリレーするが青学大に惜敗。1学年上の投手に杉山直久、植大輔がいた。 大学卒業後は、社会人野球のNTT西日本に入団。オーバースロー・スリークォーター・サイドスローとフォームに試行錯誤を繰り返していたが、MAX149km/hのストレートとスライダー・フォークを操り、セットアッパーとして臨んだ2005年の第32回社会人野球日本選手権大会では、計8イニング無失点の活躍で決勝進出に導いた。
佐々木 貴賀(ささき きよし、1981年9月15日 - )は… 佐々木 貴賀(ささき きよし、1981年9月15日 - )は、香川県高松市出身(生まれは大阪府)の元プロ野球選手(投手)。左投左打。 大阪で生まれ4歳の時に香川へ移住し、小学3年の時に野球を始める。中学時代までは外野手だったが高松西高へ進学後に外野からの本塁返球を見た監督が投手に転向させた。その後はトレーニングを重ね直球が140km/h代後半を記録するようになった。2年秋からエースとなり3年春の香川県大会の高瀬高校戦で5回参考ではあるがノーヒットノーランを記録。5月末の練習試合で150km/hを記録した。3年時は夏の県大会2回戦で尽誠学園に敗れた。1999年のドラフト会議で日本ハムファイターズが4位指名で交渉権を獲得し、契約金4000万円、年俸450万円(金額はいずれも推定)で入団した。
福家 英登(ふけ ひでと、1979年12月14日 - )は、… 福家 英登(ふけ ひでと、1979年12月14日 - )は、香川県綾歌郡綾川町出身のプロ野球審判員。審判員袖番号は33。 坂出一高校卒業後に広島のスポーツ医学専門学校へ進学し、野球部で審判技術を学んだ。更に二度アメリカへ海外留学し、ジム・エバンス審判学校、ハリー・ウェンデルステッド審判学校に所属した。 近畿大学を経て、2003年からパシフィック・リーグ審判員となる。香川県出身の審判員は沖克己以来だった。 プロ野球審判を目指すきっかけは軟式野球の審判をやっていた父親の影響と語っている。 2012年にオールスターゲームに初出場し、松山・坊っちゃんスタジアムで行われた第2戦で球審を務めた。 2015年3月3日、香川県丸亀市に完成した丸亀市民球場(四国Cスタ丸亀)のこけら落としイベントとして行われたオープン戦の阪神対ソフトバンク戦で球審を務めた。
前田 大輔(まえだ だいすけ、1979年9月14日 - )は… 前田 大輔(まえだ だいすけ、1979年9月14日 - )は、日本の香川県高松市出身の元プロ野球選手(捕手、右投右打)、コーチ。 駒澤大学では2年からレギュラーとなり、4年時の第32回明治神宮野球大会では決勝で勝ち越し2ランを放つと優勝を果たし、秋季東都大学リーグベストナインにも選出される。駒大では同期に稲田直人と川岸強、3学年先輩に新井貴浩、1学年先輩に武田久、1学年後輩に梵英心、2学年後輩に古谷拓哉、3学年後輩に服部泰卓がいた。リーグ通算64試合出場、167打数32安打、打率.192、1本塁打、19打点。神戸製鋼では2002年の第29回社会人野球日本選手権大会に出場。チームが休部のため、入社1年目で同年のプロ野球ドラフト会議でオリックス・ブルーウェーブから4巡目指名を受け入団。
天野 浩一(あまの こういち、1979年4月12日 - )は… 天野 浩一(あまの こういち、1979年4月12日 - )は、香川県高松市出身の元プロ野球選手(投手)、野球指導者。現在は徳島アストロズの監督を務める。 高松東高では元々は捕手か一塁手を務めていたが、地肩の強さを買われ2年夏に捕手から投手に転向。高校時代は3年の夏の県大会ベスト16が最高成績。その後四国学院大学に進み、四国六大学リーグ時代には1年の春からエースを務め、リーグ優勝5回をはじめ、最優秀新人賞・最多勝3回・最優秀防御率4回を受賞、リーグ通算30勝7敗。同校初出場となった2年の大学選手権では山井大介(奈良産大)と投げ合い完投も惜敗。4年の春、右足首に打球を受けて骨折し、秋の段階でも完治しておらず足にボルトを入れたままだった。
神田 義英(かんだ よしひで、1979年2月27日 - )は… 神田 義英(かんだ よしひで、1979年2月27日 - )は、香川県高松市出身の元プロ野球選手(投手)。
平井 英一(ひらい えいいち、1978年10月4日 - )は… 平井 英一(ひらい えいいち、1978年10月4日 - )は、香川県出身の元社会人野球選手(投手)、コーチ。 香川中央高から国士舘大学を経て、2001年に朝日生命に入社し野球部に入部。同期に金剛弘樹がいた。同年の都市対抗野球への出場を果たしたものの、チームはこの年限りで廃部となり富士重工業に移籍した。 移籍1年目の2002年はプロ注目選手として期待されたが、シーズン開始直後に突然投球イップスを発症して投球ができなくなった。平井の場合はボールが握れなくなるという深刻なもので、一時はチームに引退を申し出たものの、当時の監督・コーチが懸命に説得し、どうにか引退を思いとどまらせた。 その後は、毎年のように投球フォームを変える試行錯誤を繰り返した。
矢野 諭(やの さとし、1978年4月25日 - )は、香川… 矢野 諭(やの さとし、1978年4月25日 - )は、香川県綾歌郡綾南町(現:綾川町)出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 帝京第五高校時代は、1996年夏の全国高等学校野球選手権愛媛大会決勝戦で松山商業に敗れ準優勝。同年のドラフト会議で日本ハムファイターズが1位指名で交渉権を獲得し契約金8000万円、出来高払い2000万円、年俸700万円(金額は推定)で入団合意した。 1997年5月31日の対千葉ロッテマリーンズ戦で一軍初登板・初先発し勝利投手となった。これは球団では1966年の森安敏明以来、31年ぶりの高卒ルーキーの初登板初先発勝利だった。 翌年以降に新人王の資格を持っていたが97年オフのプロ野球スポーツイベントで両足首を故障。
三瀬 幸司(みせ こうじ、1976年3月11日 - )は、香… 三瀬 幸司(みせ こうじ、1976年3月11日 - )は、香川県観音寺市出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。現在は中日ドラゴンズのスカウトを務めている。 香川県立観音寺第一高等学校入学時は外野手であったが、当時の監督に勧められ投手に転向。岡山理科大学は中国地区大学野球連盟の二部リーグで、本人曰く「うちの高校のほうが強いんじゃないかというぐらいのチーム」だった。当時は全くの無名選手だったため、高校は一般入試で、大学は野球とは関係ない指定校推薦でそれぞれ入学している。2年秋には2部リーグ優勝でMVP、ベストナインを獲得して3年からは主将も務めるとその春も優勝したがいずれも入替戦で敗れた。 大学卒業後は野球をやめるつもりで就職活動をしていたが、父親の知り合いの紹介で社会人野球のNTT四国のテストを受け高評価を得る。
川畑 勇一(かわばた ゆういち、1972年10月6日 - )… 川畑 勇一(かわばた ゆういち、1972年10月6日 - )は、香川県東かがわ市出身の元プロ野球選手(捕手)、スポーツトレーナー。1996年以降の登録名は川畑 勇市。 三本松高校では1年秋に4番・捕手として県大会決勝へ進出したが宮地克彦が先発した尽誠学園に大敗し、四国大会も初戦敗退。JR四国へ進み1993年の都市対抗野球にNTT四国の補強選手として出場、ドラフトで同期入団の山部太とバッテリーを組んだ。同年ドラフト4位でヤクルトスワローズに入団したものの、一軍の公式戦には出場することなく1997年に引退。 その後は鍼灸師・柔道整復師に転身。四国アイランドリーグ発足1年目の2005年3月から香川オリーブガイナーズのトレーナーとなる(本名で活動)。
大西 敏文(おおにし としふみ、1971年8月21日 - )… 大西 敏文(おおにし としふみ、1971年8月21日 - )は、香川県出身の元アマチュア野球選手である。ポジションは投手。 観音寺第一高校卒業後に立命館大学に入学する。1992年の春季リーグと秋季リーグでチームの優勝に貢献し、春季リーグでベストナインにも選ばれ、日本学生野球協会表彰選手にも選ばれた。同年の日米大学野球選手権大会の全日本メンバーにも選ばれた。 大学卒業後は、社会人野球の四国銀行に入り2003年からはコーチを兼任した。
三野 勝大(みの かつひろ、1971年7月6日 - )は、香… 三野 勝大(みの かつひろ、1971年7月6日 - )は、香川県坂出市出身の元プロ野球選手(投手)。
古池 拓一(こいけ たくいち、1971年4月19日 - )は… 古池 拓一(こいけ たくいち、1971年4月19日 - )は、香川県出身の元プロ野球選手(投手)。 中学の時に野球を始める。 坂出商業高校時代は1年秋からエースとなり、2年春の四国大会で優勝する。2年生の夏にエースとして第70回全国高校野球選手権大会に出場するも、1回戦で篠田淳率いる大垣商業に敗れた。3年生の夏は香川県大会決勝戦で宮地克彦・谷佳知を擁した尽誠学園に敗れた。 高校卒業後は社会人野球の松下電器では都市対抗野球に登板。 1992年度ドラフト会議にて中日ドラゴンズから6位指名で交渉権を獲得し、契約金4500万円、年俸720万円(金額は推定)で入団。サイドスローからスライダーやシュートを武器とした。
若松 幸司(わかまつ こうじ、1970年12月25日[要検証… 若松 幸司(わかまつ こうじ、1970年12月25日[要検証 – ノート] - )は、香川県出身の元アマチュア野球選手である。ポジションは投手。 丸亀高校では2年秋に県大会準優勝で四国大会へ進んだ。高校卒業後の1988年に慶應義塾大学に入学し野球部入部。1989年、東京六大学野球秋季リーグの東大2回戦でノーヒット・ノーランを達成した。日米大学野球選手権大会の1990年(第19回大会)、1991年(第20回大会)の全日本メンバーにも選ばれた。同期小桧山雅仁と左右の両輪として同期大久保秀昭とバッテリーを組み、1学年下の印出順彦らの打撃陣を擁して、1991年の4年次のリーグ戦を春秋連覇。続く春の第40回全日本大学野球選手権大会、秋の明治神宮大会に出場。
長尾 健司(ながお けんじ、1970年4月23日 - )は、… 長尾 健司(ながお けんじ、1970年4月23日 - )は、香川県丸亀市出身の高校野球指導者、保健体育教諭。 学生時代は香川県立丸亀高校、順天堂大学で内野手としてプレー。 高校2年から監督に就いた搆口秀敏の指導に影響を受け、指導者を志すようになり、大学卒業後は中学校の講師となり、軟式野球部の指導に携わるようになる。講師を7年間務めたのち、中学教諭採用試験に合格して2000年に丸亀市立飯山中学校に赴任。2004年に全国中学校軟式野球大会に出場。2006年、香川大学教育学部附属坂出中学校に異動し、平日放課後の練習時間が1時間弱という環境の中、2008年に春、夏及び秋の香川県大会3冠を達成。2011年に全日本春季少年軟式野球大会に出場した。
吉井 憲治(よしい けんじ、1966年1月24日 - )は、… 吉井 憲治(よしい けんじ、1966年1月24日 - )は、香川県出身の元社会人野球選手(投手)・コーチ。 三本松高校では、エースとして1982年秋季四国大会1回戦に進むが、池田高の水野雄仁に完封を喫する。翌1983年春季四国大会県予選では決勝で尽誠学園に惜敗。夏も県予選で敗れ、甲子園には出場できなかった。高校同期に東哲也がいる。 高校卒業後、西濃運輸に入社し硬式野球部でプレー。サイドスローの好投手として11年間活躍したが、1994年に世代交代のために戦力外通告を受け、翌1995年に当時結成2年目だったシダックスに転籍。シダックスでは主にリリーフ投手として起用され、1球ごとに雄叫びを上げる投球スタイルで「調布魔神」と呼ばれた。
東 哲也(あずま てつや、1965年7月7日 - )は、香川… 東 哲也(あずま てつや、1965年7月7日 - )は、香川県大川郡大内町(現:東かがわ市)出身の元プロ野球選手。ポジションは外野手。 三本松高校では、エース吉井憲治を擁し1982年秋季四国大会1回戦に進むが、池田高の水野雄仁に完封を喫する。翌1983年春季県大会では決勝で尽誠学園に惜敗。夏も県大会で敗れ、甲子園には出場できなかった。 1983年のドラフト会議で阪急ブレーブスへ4位指名で入団。外野手に転向したが1軍に出場したのは1987年の1試合だけに留まり1989年を最後に引退した。
青井 要(あおい かなめ、1964年5月1日 - )は日本の… 青井 要(あおい かなめ、1964年5月1日 - )は日本の元プロ野球選手(投手)。
白井 一幸(しらい かずゆき、1961年6月7日 - )は、… 白井 一幸(しらい かずゆき、1961年6月7日 - )は、香川県大川郡志度町(現:さぬき市)出身の元プロ野球選手(内野手)、プロ野球コーチ、野球解説者。ジャニーズ事務所の社外取締役。 志度東中学・志度商高・駒澤大学のすべてで主将を務めた。志度商高では1979年夏の甲子園県予選準々決勝に進出するが、丸亀商高に完封負けを喫した。駒澤大学に進学し、東都大学野球リーグでは1983年に、同期の鍋島博(後にNTT東京)、1年下の河野博文の両エースを擁し春秋季連続優勝。同年の全日本大学野球選手権大会でも決勝で近畿大を降し優勝、明治神宮野球大会では東海大に敗れ準優勝。リーグ通算73試合に出場し、打率.330(270打数89安打)、3本塁打、26打点。
葛川 健司(くずかわ けんじ、1960年4月10日 - )は… 葛川 健司(くずかわ けんじ、1960年4月10日 - )は、香川県観音寺市出身の元プロ野球選手。ポジションは外野手。
後藤 祝秀(ごとう のりひで、1960年2月6日 - )は、… 後藤 祝秀(ごとう のりひで、1960年2月6日 - )は、日本のプロ野球選手(投手)、俳優。芸名はマック後藤。
熊野 輝光(くまの てるみつ、1957年8月28日 - )は… 熊野 輝光(くまの てるみつ、1957年8月28日 - )は、香川県木田郡三木町出身の元プロ野球選手(外野手)、野球指導者。 ロサンゼルスオリンピック野球競技の金メダリスト。 志度商業高校では、遊撃手として1975年の春の選抜に出場。志度商としては34年ぶりの選抜出場(甲子園出場は28年ぶり)であり大きな話題となるが、1回戦でエース小林誠二を擁する広島工に敗退。同年夏は北四国大会準決勝で続木敏之、片岡大蔵のいた新居浜商に敗れた。 卒業後は中央大学に進学。東都大学リーグでは1979年春季リーグに優勝。同年の全日本大学野球選手権大会でも決勝で岡田彰布らを擁する早大を降し優勝。リーグ通算103試合に出場し、390打数90安打、打率.231、5本塁打、31打点。