高井 保弘(たかい やすひろ、 1945年2月1日 - )は… 高井 保弘(たかい やすひろ、 1945年2月1日 - )は、愛媛県今治市出身の元プロ野球選手(内野手)。
愛媛県:1,527人
高井 保弘(たかい やすひろ、 1945年2月1日 - )は… 高井 保弘(たかい やすひろ、 1945年2月1日 - )は、愛媛県今治市出身の元プロ野球選手(内野手)。
近藤 勝重(こんどう かつしげ、1945年 - 2024年5… 近藤 勝重(こんどう かつしげ、1945年 - 2024年5月10日)は、日本のジャーナリスト、編集者、コラムニスト。サンデー毎日編集長、毎日新聞客員編集委員を務めた。 愛媛県新居浜市出身。愛媛県立西条高等学校、早稲田大学政治経済学部を卒業した。愛媛県を放送対象地域に定めている南海放送の記者を経て、1969年に毎日新聞へ入社した。 毎日新聞大阪本社社会部への配属後は、警察担当記者を10年ほど務めた後に、遊軍記者として1980年代に関西で頻発した大事件(グリコ・森永事件や豊田商事事件など)を取材した。また、関西の芸能・文化に対する造詣が深く、「大阪スペクタクル」(三省堂)「やすし・きよしの長い夏 ― 大阪狂騒曲」(新潮社)「笑売繁盛 ― よしもと王国」(毎日新聞社)などを著した。
入江 禎(いりえ ただし、1944年12月9日 - )は、日… 入江 禎(いりえ ただし、1944年12月9日 - )は、日本のヤクザ。大阪府に本部を置く暴力団・二代目宅見組組長。 神戸山口組に在籍していた際は、組長に次ぐ立場の副組長のポストにあった。なお、六代目山口組時代は最高幹部の一役にあたる『総本部長』や『舎弟頭』を歴任した。 1944年(昭和19年)、愛媛県宇和島市に出生。高校を中退後、賭場への出入りを繰り返す内、暴力団員となる。 1997年(平成9年)に初代宅見組組長・宅見勝が五代目山口組中野会により暗殺されると、同組織の首領の座を継承。同時に上部団体にあたる五代目山口組の直参となった。そして司忍率いる六代目体制の発足と同時に六代目山口組『総本部長』に就任。
山下 律夫(やました りつお、1944年10月20日 - 2… 山下 律夫(やました りつお、1944年10月20日 - 2011年4月10日)は、愛媛県南宇和郡愛南町出身の元プロ野球選手。大洋ホエールズ、クラウンライターライオンズ・西武ライオンズ、南海ホークスに所属した。
小清水 漸(こしみず すすむ、1944年10月19日 - )… 小清水 漸(こしみず すすむ、1944年10月19日 - )は、日本の彫刻家・インスタレーション・アーティスト。京都市立芸術大学名誉教授。 愛媛県生まれ。小清水は1980年から京都市立芸術大学の専任教員であったが、後に、宝塚大学の教員となり、2011年7月末に前任者の西村武が健康を害して学長職を退いたのを受けて学長代行となり、10月には学長となって、2014年までその任にあった。 また、1960年代後半から70年代にかけて台頭した「もの派」 グループの中心メンバーとしても知られている。「もの派」とは、作家の干渉を最大限に排除し、主に石、砂、木、綿、ガラスや鉄といったありのままの物質をそのままの形で配置した彫刻やインスタレーションで主に構成された反モダニズム的な作品を発表していた作家達のゆるやかな集まりのことを指す。
若松進一(わかまつしんいち、1944年10月3日 - )は、… 若松進一(わかまつしんいち、1944年10月3日 - )は、愛媛県の地域づくりリーダー。愛媛県伊予郡双海町下灘(現在は伊予市)出身。愛媛県立宇和島水産高等学校漁業科を卒業後、家業の漁業に就く。青年団活動で愛媛県青年団連合会会長、四国四県青年団連絡協議会会長などを歴任。総理府第10回青年の船班長としてアメリカ・メキシコを訪問。リーダーシップを見込まれて双海町役場に入庁。広報、社会教育主事等を担当。国鉄下灘駅のプラットフォームコンサート、双海シーサイド公園など双海町の「夕日のまちづくり」を主導してきた。1994年地域振興課長、2003年教育長などを歴任。教育長を最後に役場を定年退職後、双海町下灘の「水平線の家」で人材育成を実践している。
上田 龍三(うえだ りゅうぞう、1944年9月20日 - )… 上田 龍三(うえだ りゅうぞう、1944年9月20日 - )は、日本の医学者。主な業績は成人T細胞白血病・リンパ腫に対する抗体医薬開発のトランスレーショナル・リサーチの実践。朝鮮・京城府生まれ、愛媛県松山市出身。医学博士(名古屋大学、1981年)。
向井 久了(むかい ながのり、1944年9月13日 - 20… 向井 久了(むかい ながのり、1944年9月13日 - 2010年5月24日)は、日本の法学者。専門は憲法、憲法訴訟。帝京大学法学部法律学科教授、中央大学・慶應義塾大学非常勤講師を歴任。愛媛県出身。佐藤功門下。
三井 環(みつい たまき、1944年6月10日 - 2025… 三井 環(みつい たまき、1944年6月10日 - 2025年1月9日)は、日本の元検察官。大阪高等検察庁公安部長を務めた。 1944年(昭和19年)、愛媛県新居郡角野町(現・新居浜市)生まれ。愛媛県立松山東高等学校、中央大学法学部卒業。1970年司法試験合格、司法修習(第24期)、1972年検事任官。京都、福岡、神戸、鹿児島、大阪地検検事、1988年高知地方検察庁次席検事、高松地方検察庁次席検事。高松地検次席時に、被告人と弁護人の接見時間を不当に制限して減給1か月の懲戒処分を受ける。大阪高等検察庁検事、名古屋高等検察庁総務部長、1999年大阪高等検察庁公安部長 。大阪高検公安部長は検事2号俸であるが3号俸に据え置かれた。
坪内 稔典(つぼうち としのり、俳号ではねんてん、1944年… 坪内 稔典(つぼうち としのり、俳号ではねんてん、1944年4月22日 - )は、日本の俳人、国文学者。京都教育大学名誉教授。「船団の会」元代表。研究者としての専門は日本近代文学で、特に正岡子規に関する著作・論考が多い。 俳句の口誦性を重んじ、遊び心と軽妙なリズム感豊かな句を詠む。句集に『落花落日』(1984年)、『猫の木』(1987年)、『ヤツとオレ』(2015年)、評論に『俳句のユーモア』(1994年)など多数。 愛媛県西宇和郡町見村九町(現在の伊方町)に生まれる。愛媛県立川之石高等学校、立命館大学文学部日本文学科卒業。同大学院文学研究科修士課程修了。園田学園女子大学助教授、京都教育大学教授、京都教育大学教育学部附属桃山中学校校長、佛教大学教授などを歴任。
片山 美佐子(かたやま みさこ、1944年4月11日 - )… 片山 美佐子(かたやま みさこ、1944年4月11日 - )は、日本の陸上競技の選手である。 1964年東京オリンピックで女子やり投に出場した。 バンコクで開催された1966年アジア競技大会に出場し、やり投で優勝した。
伊能 正司(いのう まさし、1944年3月21日 - )は、… 伊能 正司(いのう まさし、1944年3月21日 - )は、愛媛県出身の元プロ野球選手。ポジションは内野手。
青野 勝広(あおの かつひろ、1944年2月7日 - )は、… 青野 勝広(あおの かつひろ、1944年2月7日 - )は、日本の経済学者、松山大学経済学部教授、元松山大学学長。経済学博士。専門は土地問題。 愛媛県松山市出身。松山商業高校および松山大学卒業後、1971年神戸大学大学院博士課程修了。 1980年より松山大学経済学部教授、1983年~1987年に松山大学経済経営研究所長、1992年~1993年は松山大学副学長、2001年~2003年には松山大学理事長・学長をそれぞれ務めた。学長当時、将来を展望して新学部構想として「総合政策学部」の開設を構想したが、既存の学部と重複する、あるいは改革が急であるとの反発を受けたために実現しなかった。2018年からは倉敷芸術科学大学危機管理学部の非常勤講師を務める。
桐野 豊(きりの ゆたか、1944年(昭和19年)1月22日… 桐野 豊(きりの ゆたか、1944年(昭和19年)1月22日 - )は、日本の薬学者。薬学博士(東京大学、1972年)。東京大学名誉教授。元徳島文理大学学長。東京大学薬学部卒業。同大学大学院薬学系研究科博士課程修了。愛媛県西条市出身。 愛媛県西条市出身。1962年(昭和37年)、愛媛県立丹原高等学校を卒業。1967年(昭和42年)、東京大学薬学部を卒業。1972年(昭和47年)、同大学大学院薬学系研究科博士課程修了。東京大学薬学博士、論文の名は「アスコルビン酸酸化反応中間体のESRによる研究」。 1973年(昭和48年)、カーネギーメロン大学放射線研究所のポスト・ドクトラルフェローに就任。1975年(昭和50年)、東京大学薬学部の助手に就職。
稲川泰弘(いながわ やすひろ、1944年1月1日 - )は日… 稲川泰弘(いながわ やすひろ、1944年1月1日 - )は日本の通産官僚。資源エネルギー庁長官、IHI副会長、同社会長などを務めた。 愛媛県松山市生まれ。愛媛県立松山東高等学校、東京大学法学部第1類(私法コース)卒業。 1967年 通商産業省に入省。工業技術院総務部総務課に配属。 1990年6月29日 立地公害局総務課長。1991年6月14日 産業政策局総務課長。1992年6月23日 資源エネルギー庁石炭部長。1993年6月25日 大臣官房審議官(産業政策担当)。1994年7月1日 国土庁長官官房審議官(長官官房担当)。1995年1月20日 国土庁長官官房審議官(長官官房担当)兼防災局付。 同年6月21日 関東通商産業局長。
真木 太一(まき たいち、1944年1月 - )は、日本の農… 真木 太一(まき たいち、1944年1月 - )は、日本の農業気象学・農業工学の研究者。学位は、農学博士(東京大学)。九州大学名誉教授。日本学術会議会員、日本農業工学会長、日本農業気象学会長、日本沙漠学会長などを歴任。専門は、農業気象学・農業環境工学・農業工学。 愛媛県立西条高等学校を経て東京農工大学農学部で学び1966年に卒業。1966年九州大学大学院農学研究科修士課程に進学し農業気象学を専攻・修了。1968〜1983年農林省(農林水産省)農業技術研究所、1969〜1971年南極地域越冬隊員、1983年農林水産省農業環境技術研究所、1985年四国農業試験場、1988年熱帯農業研究センター、1993年農業研究センター、1995年農業環境技術研究所を経て、1999年愛媛大学教授、2001年九州大学教授、2007年定年退職、九州大学名誉教授、2007年琉球大学教授、2009年筑波大学客員教授、2013年(独)国際農林水産業研究センター 特定研究主査として現在に至っている。
永井 吐無(ながいとむ、1944年 -2024 )は、洋画家… 永井 吐無(ながいとむ、1944年 -2024 )は、洋画家、無所属。 愛媛県新居浜市生まれ。香川県立高松工芸学校図案科卒。 1970年、東京日本橋「此花画廊」にて初個展。 以後欧州各地に取材制作活動を重ねながら、主に発表の場を個展に求め、各地にて開催している。 1984年、フランスのサロンドートンヌ展、1988年、安井賞展等に発表し、高い評価を得るが、永井の真の姿は彼自身の個展の中にある。 それは永井もよく理解していて、1970年の初個展以来、積極的に作品を発表している。 その個展の数は2021年現在で既に82回を記録し、日本で最も権威ある日本橋三越ギャラリーでも定期的に開催している。 永井の作風の根幹は緻密な構成力と魂のこもった線にあるだろう。
白岡 順(しらおか じゅん、1944年 - 2016年3月1… 白岡 順(しらおか じゅん、1944年 - 2016年3月17日)は、写真家。愛媛県新居浜市出身。 1967年信州大学文理学部自然科学科物理学専攻卒業。1979年から2000年までパリを拠点に活動を行い、アルザス成城学園で数学の教員を務めていたこともある。 東京都新宿区にレンタル暗室カロタイプを開いていた。 2016年3月17日、肝細胞がんのため死去。71歳没。 この項目は、美術・芸術に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
神津 陽(こうづ あきら、1944年 - 2025年4月14… 神津 陽(こうづ あきら、1944年 - 2025年4月14日)は、日本の社会評論家・運動家。元駿台予備学校講師。 愛媛県宇和島市出身。愛媛県立宇和島南高等学校、中央大学法学部一部法律学科卒業。 三上治(味岡修)とともに新左翼の党派である共産主義者同盟(ブント)叛旗派の理論的指導者として、中大闘争、三多摩闘争、三里塚闘争等を主導する。著書『蒼氓の叛旗』はベストセラーとなった。70年代以降ブント内でも赤軍派に見られるような急進的軍事革命路線と、その他穏健派閥の中で対立が生まれ、新左翼グループ内で内ゲバが横行するようになると、これに嫌気をさした神津は1976年叛旗派を解散。以後在野の社会評論家として活動した。
大野 照旺(おおの てるお、1943年11月24日 - )は… 大野 照旺(おおの てるお、1943年11月24日 - )は、日本の実業家、馬主。愛媛県松山市に本社を置くオオノ開發株式会社の創業者で、現代表取締役会長。 1943年、愛媛県松山市出身。1966年8月、土木工事を請け負う大野開発を設立。1973年11月に大野開発株式会社に改組、代表取締役に就任。1980年2月に現在のオオノ開發株式会社に商号を変更した。その後廃棄物処理業の許可を受けつつ1992年には会社の資本金を7000万円とし、東京都や大阪府にも支店を設けたのちの2016年に社長の席を大野剛嗣(息子)に譲り代表取締役会長に就任。2022年に剛嗣が急逝すると4月に再び代表取締役に就任。2024年、取締役社長であった山下裕二が代表取締役社長となり、大野は再度会長となっている。
復本 一郎(ふくもと いちろう、1943年9月5日 - )は… 復本 一郎(ふくもと いちろう、1943年9月5日 - )は、日本の国文学者・俳人。神奈川大学名誉教授。専門は、近世・近代の俳文学。俳号は復本鬼ヶ城(おにがじょう)。「阿」の会代表。 愛媛県宇和島市生まれ。神奈川県横浜市で育ち、横浜市立青木小学校、横浜市立栗田谷中学校、神奈川県立横浜翠嵐高等学校を卒業。1966年、早稲田大学第一文学部文学科国文学専修卒業。1972年、同大学院博士課程単位取得満期退学、福岡教育大学助手。1973年、講師、1974年、助教授。同年、書籍 (『芭蕉における「さび」の構造』)で窪田空穂賞(早稲田大学国文学会)受賞。1977年、静岡女子大学文学部助教授。1979年10月、静岡大学人文学部助教授、1988年、教授。
菅 良二(かん りょうじ、1943年(昭和18年)8月27日… 菅 良二(かん りょうじ、1943年(昭和18年)8月27日 - )は、日本の政治家。愛媛県今治市長(3期)、愛媛県議会議員(2期)、大三島町長(2期)、大三島町議会議員(5期)等を務めた。 愛媛県今治市大三島町生まれ。愛媛県立今治南高等学校、第一薬科大学薬学部卒業。薬剤師免許を取得している。 製薬会社での勤務を経て、大三島に帰郷し薬局を開業。1977年、大三島町議会議員選挙に出馬し、初当選。以後5期連続当選。 5期目の任期途中で町議を辞職し、菅省三町長死去に伴い1996年に行われた大三島町長選挙に立候補し初当選。2000年の大三島町長選挙でも再選を果たした。 町長時代には伯方塩業の誘致実現やラントゥレーベン大三島(滞在型農園施設)の整備等を手がけた。
鷹城 勲(たかしろ いさお、1943年7月13日 - )は日… 鷹城 勲(たかしろ いさお、1943年7月13日 - )は日本の実業家。 1943年生まれ。愛媛県出身。青山学院大学経済学部第二部経済学科に進学。同校卒業後に日本空港ビルデングに入社し、1995年に取締役、2003年に副社長、2005年に代表取締役社長に就任、それぞれ歴任したのち、2016年に代表取締役会長兼CEOに就任。傘下の複数の空港関連企業の役員を兼任している。 2011年春、藍綬褒章を受章した。 2025年5月9日付で横田信秋社長と共に辞任した。同日、子会社が古賀誠元自民党幹事長の長男が代表を務めるコンサルティング会社に利益供与していたとされる問題で、同社の特別調査委員会は利益供与目的の不適切な取引があったとする調査結果を公表し、横田社長が主導し、鷹城も容認、助長していたと認定した。
桑原 真人(くわばら まさと、1943年7月5日 - )は、… 桑原 真人(くわばら まさと、1943年7月5日 - )は、日本の歴史学者。学位は、経済学博士。専門は近代北海道史。愛媛県西条市出身。 愛媛県立松山南高等学校を経て、1966年横浜市立大学文理学部卒。1968年北海道大学大学院文学研究科修了。北海道大学文学部助手、北海道開拓記念館学芸部研究職員を経て、1989年札幌大学教養部助教授、同教養部教授、1995年札幌大学経済学部教授。2011年札幌大学学長および札幌大学女子短期大学部学長。2017年札幌大学学長・同短期大学部学長退任。札幌大学退職。 この他、札幌大学経済学部評議委員、同大学院経済研究科長、同附属総合研究所長を務め、札幌学院大学人文学部や北海学園大学法学部で非常勤講師も務めた。
千田 啓介 (せんだ けいすけ、1943年6月28日 - )… 千田 啓介 (せんだ けいすけ、1943年6月28日 - )は、愛媛県出身の元プロ野球選手。ポジションは遊撃手。
作道 烝(さくどう すすむ、1943年6月28日 - )は、… 作道 烝(さくどう すすむ、1943年6月28日 - )は、愛媛県出身の元プロ野球選手(外野手、捕手)。
河東 義之(かわひがし よしゆき、1943年3月22日 - … 河東 義之(かわひがし よしゆき、1943年3月22日 - )は、日本の建築史研究者。小山工業高等専門学校名誉教授。専門は近代建築史。藤森照信、堀勇良らが結成した「東京建築探偵団」のメンバーの一人。 愛媛県大洲市出身。1967年東京工業大学工学部建築学科卒、同年東京工業大学工学部助手。1976年小山工業高等専門学校助教授、1989年教授。1999年名誉教授、千葉工業大学工学部建築都市環境学科教授。2008年退職。 1980年からは宇都宮大学工学部非常勤講師を併任。1985年栃木県文化財保護審議会委員。2011年日本大学芸術学部非常勤講師。2013年日本大学大学院芸術学研究科非常勤講師。 2025年4月瑞宝小綬章受章。
藤岡 一郎(ふじおか いちろう、1943年 - )は、日本の… 藤岡 一郎(ふじおか いちろう、1943年 - )は、日本の法学者、第5代京都産業大学学長、京都産業大学名誉教授。刑法、犯罪学、刑事政策を専門とし、大学では、副学長、学長を歴任し、また、京都市生活安全懇話会会長なども務めた。 『刑法判例百選』には、第3版から第6版まで寄稿している。 愛媛県に生まれ、愛光学園の4期生として学ぶ。 1973年、同志社大学大学院法学研究科修士課程を修了した。 1980年に京都産業大学法学部講師となり、1990年に教授に昇任し、その後長く、法学部や法学研究科、法務研究科の教育にあたり、また、就職部長、法務研究科長などを歴任した。1996年、京都産業大学学長補佐職となり、制度変更により2000年に副学長となって、2002年までその任にあった。
木村 紀子(きむら のりこ、1943年(昭和18年) - )… 木村 紀子(きむら のりこ、1943年(昭和18年) - )は、日本の言語学者、国語学者、奈良大学名誉教授。専攻は言語文化論・意味論。 愛媛県松山市出身。奈良女子大学文学部卒業。奈良大学助教授、教授、2008年名誉教授。
伊藤 宏太郎(いとう こうたろう、1942年(昭和17年)1… 伊藤 宏太郎(いとう こうたろう、1942年(昭和17年)12月14日 - 2015年(平成27年)2月12日)は、日本の政治家。元愛媛県西条市長(通算5期)。西条市名誉市民。 愛媛県西条市生まれ、父親も元西条市長。松山商科大学(現在の松山大学)卒業。伊予銀行入社。1991年(平成3年)西条市議会議員に立候補し初当選。 西条市議会議員を1期務めた後は1995年4月に行われた市議会議員選挙には出馬せず、西条市長選挙に向けた準備を進めた。同年11月26日に公示された西条市長選挙に立候補。市長を務めていた桑原富雄が引退し、他に立候補者はなく無投票当選となった。 1999年11月の西条市長選挙では無投票当選を果たし2選。
越智 靖朗(おち やすお、1942年12月3日 - )は、愛… 越智 靖朗(おち やすお、1942年12月3日 - )は、愛媛県新居浜市出身の元プロ野球選手。 新居浜工業高校から1961年に近鉄バファローズへ入団。 1961年・1964年に1軍出場を果たす。
村上 周三(むらかみ しゅうぞう、1942年11月24日 -… 村上 周三(むらかみ しゅうぞう、1942年11月24日 - )は、日本の工学者。研究分野は、計算流体力学、人体周辺環境、建築・都市環境工学、地球環境工学、サステナブル建築。学位は、工学博士(東京大学・1972年)。東京大学名誉教授。独立行政法人建築研究所理事長。慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科特別研究教授。 慶應義塾大学教授や日本建築学会会長、空気調和・衛生工学会会長を歴任。 愛媛県出身。私立愛光高等学校卒業 (1961)、東京大学工学部建築学科卒業 (1965)、東京大学大学院工学系研究科修士課程建築学専攻修了 (1967)、同大学大学院工学研究科博士課程建築学専攻中退 (1968)。
浜田 吉治郎(はまだ よしじろう、男性、1942年10月25… 浜田 吉治郎(はまだ よしじろう、男性、1942年10月25日 - 2013年9月22日)は、日本の元アマチュアボクシング選手、指導者。東京オリンピック日本代表。元近畿大学ボクシング部総監督。 新田高校から近畿大学に進み、全日本選手権優勝。東京オリンピックにウェルター級で出場、準々決勝に進出も、金メダルを獲得したマリアン・カスプルシクに敗れる。 引退後は近大ボクシング部でコーチ、後に総監督として現総監督の赤井英和やWBA世界スーパーフライ級王者名城信男らを指導、同部が不祥事で一時廃部になる2009年まで指導の場に立った。 2013年9月22日午前6時8分、心不全のため奈良県北葛城郡河合町の自宅で死去。
門田 洋子(かどた ようこ、1942年(昭和17年)10月5… 門田 洋子(かどた ようこ、1942年(昭和17年)10月5日 - )は、日本のアナウンサー。元徳島文理大学音楽学部教授。 愛媛県松山市。高知女子大学文学部英文学科卒業。 愛媛県北条市(現:松山市)で生まれ、学生時代から高知放送劇団員として活動、これを続けていくうちにアナウンサーに憧れて目指すようになる。 高知女子大学(現・高知県立大学)文学部英文学科を卒業し、大学卒業後の1965年(昭和40年)に南海放送に入社。 南海放送でテレビやラジオのアナウンサーを務め、1974年(昭和49年)に退社。その後、BS21ブライダルサービス取締役に就任し、南海放送ではラジオプレゼンターを務めた。また2013年(平成25年)からはエンディングカウンセラーとして活動を行う。
谷岡 ヤスジ(たにおか ヤスジ、男性、1942年8月29日 … 谷岡 ヤスジ(たにおか ヤスジ、男性、1942年8月29日 - 1999年6月14日)は、日本の漫画家。愛媛県宇和島市出身。赤塚不二夫と並ぶ日本のギャグ漫画界の巨匠と言われる[誰によって?]。本名、谷岡泰次(やすつぐ)。元プロ野球選手の谷岡潔はいとこにあたる。 1959年、保善高等学校在学中、『中国小学生新聞』(中国印刷)に掲載された『やっちゃん』でデビュー。その後、わちさんぺいのアシスタントを経て本格的に活動する。 愛媛県宇和島市出身。山内一豊の末裔を自称[要出典]。高校生時代からすでにプロであった。実の父親からは「お前は天才だ」と言われていたと本人が雑誌のインタビューで語っている[要出典]。
伊藤 武志(いとう たけし、1942年(昭和17年)5月14… 伊藤 武志(いとう たけし、1942年(昭和17年)5月14日 - )は、日本の政治家。元愛媛県新居浜市長。 新居浜市出身。1961年(昭和36年)愛媛県立新居浜東高等学校を経て、1965年(昭和40年)早稲田大学商学部卒業。 同年住友スリーエムに入社。村上信二郎、毛利松平の秘書を経て、1979年(昭和54年)愛媛県議会議員に当選。1984年(昭和59年)新居浜市長に当選し、4選した。
森本 潔(もりもと きよし、1942年4月13日 - )は、… 森本 潔(もりもと きよし、1942年4月13日 - )は、愛媛県西条市大谷出身の元プロ野球選手(内野手)。
高野 宗城(たかの むねき、1942年4月4日 - )は、日… 高野 宗城(たかの むねき、1942年4月4日 - )は、日本の政治家。元愛媛県上浮穴郡久万高原町長(2期)、元久万町議会議員。なお、戸籍上の氏は「髙野」。 愛媛県上浮穴郡久万町(現: 久万高原町)出身。愛媛県立上浮穴高等学校卒業。久万町においてスキー場などを経営、久万町議会議員を務めた。 ※当日有権者数:9,309人 最終投票率:85.99%(前回比:-pts) ※当日有権者数:8,594人 最終投票率:80.71%(前回比:−5.28pts) ※当日有権者数:7,896人 最終投票率:82.38%(前回比:+1.67pts)
松原 正毅(まつばら まさたけ、1942年3月15日 - )… 松原 正毅(まつばら まさたけ、1942年3月15日 - )は、日本の社会人類学者。国立民族学博物館名誉教授、総合研究大学院大学名誉教授。元大阪外国語大学理事。専門は社会人類学・遊牧社会論。 広島市出身、愛媛県松山市育ち。1960年3月に 愛光高等学校を卒業し、京都大学文学部へ進む。1965年3月、同大学文学部を卒業(考古学)。1967年3月 京都大学大学院文学研究科修士課程修了、1970年3月 京都大学大学院文学研究科博士課程中退。 生前の司馬遼太郎との親交があり、これが縁で2007年4月に開館した坂の上の雲ミュージアム館長を務めている(2017年3月末まで)。
山田宏臣(やまだ ひろおみ、1942年3月4日 - 1981… 山田宏臣(やまだ ひろおみ、1942年3月4日 - 1981年10月21日)は、日本の陸上競技選手。元男子走幅跳日本記録保持者で、1964年東京オリンピックとメキシコオリンピックに出場した。
佐伯 守(さえき まもる、1942年 - )は、日本の哲学者… 佐伯 守(さえき まもる、1942年 - )は、日本の哲学者・法学者(法哲学)。元松山大学法学部教授。哲学・倫理学・法哲学専門。 松山市生まれ。東洋大学大学院博士課程満期退学、毎日新聞嘱託。横浜国立大学講師、琉球大学教育学部助教授、1989年松山大学法学部教授、2013年退職。
井川 満(いかわ みつる、1942年 - )は、日本の数学者… 井川 満(いかわ みつる、1942年 - )は、日本の数学者。専門は、偏微分方程式論。博士(理学)。京都大学名誉教授。大阪大学名誉教授。
兵頭 勲(ひょうどう いさお、1942年 - 2022年6月… 兵頭 勲(ひょうどう いさお、1942年 - 2022年6月15日)は、日本の農学博士(畜産学)、元東京都畜産試験場長。 1942年、愛媛県東宇和郡野村町前石(現・西予市)に生まれる。 1960年、愛媛県立野村高等学校を卒業。同年東京農業大学に入学、同大学院農学科畜産を専攻する。大学院修了後は、駒沢学園女子高等学校で生物の教鞭を執っていた。しかし、日本の農業に携わる仕事への欲求から、1971年に東京都職員となり、新島での養豚の技術指導に当たる。その後、東京都畜産試験場で研究員として養豚を担当する。 東京都畜産試験場で、環境畜産部長、畜産試験場長を経て2002年3月に東京都畜産試験場を退職する。 その後は、東京都農業会議や民間会社の役員を歴任。
高野 公彦(たかの きみひこ、1941年12月10日 - )… 高野 公彦(たかの きみひこ、1941年12月10日 - )は、日本の歌人。歌誌「コスモス」編集人、選者。本名は、日賀志康彦。 「コスモス」に入会し、宮柊二に師事。厳選された端正な表現で人生の深奥をうたう。「桟橋」創刊。歌集に『汽水の光』(1976年)、『天泣』(1996年)、『水苑』(2000年)、『河骨川』(2012年)、『流木』(2014年)などがある。 愛媛県喜多郡長浜町(現・大洲市)出身。東京教育大学文学部国文科卒業。1964年、「コスモス」に入会し、宮柊二に師事する。河出書房新社の編集者を26年間務めた後、青山学院女子短期大学国文学科教授。日経歌壇選者(1993年~2004年)、朝日歌壇選者(2004年~)、新潟日報読者文芸選者 、南日本新聞南日歌壇選者。
村上 護(むらかみ まもる、1941年11月28日 - 20… 村上 護(むらかみ まもる、1941年11月28日 - 2013年6月29日)は、日本の文芸評論家、俳人。
河内 紘一(こうち こういち、1941年(昭和16年)11月… 河内 紘一(こうち こういち、1941年(昭和16年)11月12日 - )は、元愛媛県喜多郡内子町長。 喜多郡内子町生まれ。1959年(昭和34年)愛媛県立内子高等学校卒業、1963年(昭和38年)東京農業大学農業経済学部卒業、家業の農業に就く。1979年(昭和54年)より2009年(平成21年)まで旧内子町長を連続7期、平成の町村合併後の新・内子町長を1期務めた。 内子町長在職当時、最初は町並み保存を手かがりに、やがて「町並みから村並みへ」、「エコロジータウン内子」を掲げ、町政を進めてきた。具体的には、町長就任後の昭和50年代には町中心部の旧街道沿道に保存されていた八日町・護国地区において町並み保存を手がけ、同地区は昭和61年に重要伝統的建造物保存群に選定された。
井上 和久(いのうえ かずひさ、1941年6月5日 - )は… 井上 和久(いのうえ かずひさ、1941年6月5日 - )は、日本の政治家。元公明党衆議院議員(1期)。元公明党愛媛県議会議員(4期)。元公明党松山市議会議員(2期)。 愛媛県松山市出身。1966年、松山商科大学短期大学部中退。1978年、松山市議会議員選挙に公明党公認で立候補し初当選。1983年、再選。1986年、第38回衆議院議員総選挙に旧愛媛1区から公明党公認で立候補し初当選。愛媛県選出の公明党公認国会議員の初例となる。公明党愛媛県本部代表に就任。1990年、第39回衆議院議員総選挙で落選。1991年、愛媛県議会議員選挙松山市選挙区に公明党公認で立候補し初当選。1995年、公明から立候補して再選。
石本 藤雄 (いしもと ふじお、1941年3月10日 - )… 石本 藤雄 (いしもと ふじお、1941年3月10日 - )は、日本のテキスタイルデザイナー。マリメッコ社(フィンランド)のテキスタイルデザイナーとして活躍。
菊川 剛(きくかわ つよし、1941年2月27日 - )は、… 菊川 剛(きくかわ つよし、1941年2月27日 - )は、日本の実業家である。2001年(平成13年)から2011年(平成23年)までオリンパスの社長を務めた。 1941年(昭和16年)、日本発送電に勤務していた父・博と、母・花子の長男として愛媛県西条市に生まれた。愛知県守山町小幡小学校、振甫中学、旭丘高校を経て、慶應義塾大学法学部に進学した。 大学を1963年(昭和38年)卒業し、中堅商社の関連会社に入ったが、配属されたのは倉庫係。荷物を運ぶ日々が続き、転職先を探した。大学卒業の翌年1964年(昭和39年)10月にオリンパス光学工業に入社。1977年(昭和52年)、アメリカに同年設立された販売子会社であるオリンパス・カメラ・コーポレーションに出向し、ロサンゼルス勤務を経て、翌1978年(昭和53年)にニューヨーク州ロングアイランドに着任。
鈴木 皖武(すずき きよたけ、1941年2月6日 - )は、… 鈴木 皖武(すずき きよたけ、1941年2月6日 - )は、愛媛県四国中央市出身の元プロ野球選手。 土居高校では、1957年秋季四国大会県予選準々決勝に進むが北宇和高に敗退。 1958年、グラウンドに土を運ぶ作業中に土砂崩れで左骨盤を骨折し、卒業後に約束されていた伊予銀行への入社を断念する。卒業後は大毎オリオンズの入団テストを受けるも不合格。 1959年に東京鉄道管理局へ入社。 1961年の産業対抗では全国鉄のエースとして活躍、準々決勝に進むが熊谷組に惜敗。同大会の優秀選手に選出される。 1962年に国鉄スワローズへ入団。1年目から41試合に登板し、中継ぎ、抑えとして活躍する。 1966年はリーグ最多の62試合に登板し、初の規定投球回(リーグ7位、防御率2.33)にも達する。