山岡 均(やまおか ひとし、1965年6月21日 - )は、… 山岡 均(やまおか ひとし、1965年6月21日 - )は、日本の天文学者。専門は、天体物理学。 愛媛県松山市出身。愛光中学校・高等学校卒業。東京大学理学部天文学科卒業。1992年東京大学大学院理学研究科天文学専攻博士課程中退。大学院時代は野本憲一に師事した。九州大学理学研究院物理学部門助教を経て、2017年現在、総合研究大学院大学物理科学研究科天文科学専攻准教授兼国立天文台広報室室長。NPO日本スペースガード協会の理事。
中野 知律(なかの ちづ、1959年 - )は、日本の仏文学… 中野 知律(なかの ちづ、1959年 - )は、日本の仏文学者、マルセル・プルースト研究者。一橋大学名誉教授。渋沢・クローデル賞、フランス大使館・エールフランス特別賞受賞。 愛媛県松山市生まれ。1981年東京大学教養学部教養学科卒業。モンペリエ第III大学留学を経て、1989年パリ第IV大学文学博士。1991年東京大学人文科学研究科仏語仏文学博士課程満期退学。1991年一橋大学社会学部専任講師。1993年一橋大学社会学部助教授。1999年に第16回渋沢・クローデル賞、フランス大使館・エールフランス特別賞受賞。2003年一橋大学大学院社会学研究科総合社会科学専攻社会文化研究分野(仏語圏文芸思想)教授。
蒲池 美鶴(かまち みつる、1951年9月13日 - )は、… 蒲池 美鶴(かまち みつる、1951年9月13日 - )は、日本の英文学者、立教大学名誉教授。博士(文学)(京都大学、1999年)(学位論文「エリザベス朝演劇のアナモルフォーズ」)。
坪内 稔典(つぼうち としのり、俳号ではねんてん、1944年… 坪内 稔典(つぼうち としのり、俳号ではねんてん、1944年4月22日 - )は、日本の俳人、国文学者。京都教育大学名誉教授。「船団の会」元代表。研究者としての専門は日本近代文学で、特に正岡子規に関する著作・論考が多い。 俳句の口誦性を重んじ、遊び心と軽妙なリズム感豊かな句を詠む。句集に『落花落日』(1984年)、『猫の木』(1987年)、『ヤツとオレ』(2015年)、評論に『俳句のユーモア』(1994年)など多数。 愛媛県西宇和郡町見村九町(現在の伊方町)に生まれる。愛媛県立川之石高等学校、立命館大学文学部日本文学科卒業。同大学院文学研究科修士課程修了。園田学園女子大学助教授、京都教育大学教授、京都教育大学教育学部附属桃山中学校校長、佛教大学教授などを歴任。
復本 一郎(ふくもと いちろう、1943年9月5日 - )は… 復本 一郎(ふくもと いちろう、1943年9月5日 - )は、日本の国文学者・俳人。神奈川大学名誉教授。専門は、近世・近代の俳文学。俳号は復本鬼ヶ城(おにがじょう)。「阿」の会代表。 愛媛県宇和島市生まれ。神奈川県横浜市で育ち、横浜市立青木小学校、横浜市立栗田谷中学校、神奈川県立横浜翠嵐高等学校を卒業。1966年、早稲田大学第一文学部文学科国文学専修卒業。1972年、同大学院博士課程単位取得満期退学、福岡教育大学助手。1973年、講師、1974年、助教授。同年、書籍 (『芭蕉における「さび」の構造』)で窪田空穂賞(早稲田大学国文学会)受賞。1977年、静岡女子大学文学部助教授。1979年10月、静岡大学人文学部助教授、1988年、教授。
佐藤 恒雄(さとう つねお、1941年2月 - 2025年1… 佐藤 恒雄(さとう つねお、1941年2月 - 2025年10月8日)は、日本の国文学者、香川大学名誉教授、広島女学院大学教授。 愛媛県四国中央市出身。 1965年東京教育大学国文科卒。1971年同大学院文学研究科博士課程単位取得退学。 香川大学にて助手、教育学部講師を経て1973年に助教授、1981年に教授となる。 2004年香川大学を定年退職し、名誉教授となり、その後は2005年に広島女学院大学文学部教授を務める。 2002年に『藤原定家研究』で角川源義賞を受賞し、2004年同書で筑波大学から文学博士を贈られる。 2025年10月8日死去。85歳没。没後に正四位に叙された。
安西 徹雄(あんざい てつお、1933年4月20日 - 20… 安西 徹雄(あんざい てつお、1933年4月20日 - 2008年5月29日)は、日本の英文学者、演出家。上智大学名誉教授。専門はイギリス文学、特にウィリアム・シェイクスピア。日本のシェイクスピア研究の第一人者である。大学での研究教育の他、自身の著書多数あり、演劇集団「円」では演出家・翻訳家として活動した。 1933年、愛媛県松山市生まれ。愛媛県立松山東高等学校時代の友人に伊丹十三がいる。1958年愛媛大学文理学部を卒業。上智大学大学院文学研究科に進み、1965年に博士課程を中退して、上智大学の講師となる。1970年より助教授、1978年より教授。2003年に定年退任し、同校名誉教授となった。 1975年、芥川比呂志らと演劇集団 円の創立に参加、訳・演出によるシェイクスピア作品を多数上演し、近年ようやく安西訳によるシェイクスピア作品の刊行が始まった。
白方 勝(しらかた まさる、1932年(昭和7年)8月19日… 白方 勝(しらかた まさる、1932年(昭和7年)8月19日 - )は、国文学者、愛媛大学名誉教授。愛媛県松山市生まれ。1955年愛媛大学教育学部中等教育国語科卒業、愛媛県立松山東高等学校教諭、1962年新居浜工業高等専門学校講師、1974年愛媛大学教育学部助教授、78年教授。1997年定年退官、名誉教授、松山東雲女子大学教授。2003年退職。第26回河竹賞受賞。愛媛出版文化賞受賞。2012年4月瑞宝中綬章受章。
村上 哲見(むらかみ てつみ、1930年7月18日 - 20… 村上 哲見(むらかみ てつみ、1930年7月18日 - 2022年3月12日)は、古典中国文学者。文学博士(京都大学・論文博士・1974年)。東北大学名誉教授。専攻は唐代から宋代にかけての詩人たちの研究。 中国・大連生まれ。愛媛県松山市出身。1953年京都大学文学部中国文学科卒業。 京都学芸大学講師、助教授、東北大学教養部助教授、教授、1975年奈良女子大学文学部教授、85年東北大学文学部教授、1994年定年退官、名誉教授、奥羽大学教授、1999年近畿福祉大学教授、2007年退職。 1972年日本中国学会賞、1974年「北宋詞研究」で京都大学より文学博士の学位を取得。2009年「宋詞に関する研究」により日本学士院賞恩賜賞受賞。
北川 忠彦(きたがわ ただひこ、1927年1月27日 - 1… 北川 忠彦(きたがわ ただひこ、1927年1月27日 - 1994年4月3日)は、日本の国文学者。専攻は能・狂言研究。 愛媛県松山市出身。京都大学文学部卒業。愛媛大学助教授、立命館大学助教授、天理大学教授、京都女子大学教授、龍谷大学教授を歴任。1994年4月3日、膵臓癌のため死去。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
和田 茂樹(わだ しげき、1911年4月12日 - 2008… 和田 茂樹(わだ しげき、1911年4月12日 - 2008年4月29日)は、愛媛県松山市出身の国文学者。愛媛大学名誉教授。
中野 好夫(なかの よしお、1903年〈明治36年〉8月2日… 中野 好夫(なかの よしお、1903年〈明治36年〉8月2日 - 1985年〈昭和60年〉2月20日)は、日本の英文学者・評論家。英米文学翻訳者の泰斗であり、訳文の闊達さでも知られている。東京大学教授・中央大学教授を歴任。 愛媛県松山市生まれ。旧制徳島中学校(現在の徳島県立城南高等学校)在学中、スパルタ教育に反発して退学。のち旧制第三高等学校へ入学。旧制第三高等学校では野球部に入っており、野球部の1年先輩には戦前最後の沖縄県知事を務めた島田叡がいた。 第三高等学校卒業後に入学した東京帝国大学文学部英文学科で斎藤勇に師事。同じ斎藤勇の弟子に平井正穂がいる。 1926年に卒業後、新聞社入社に失敗して千葉県の私立成田中学校に英語教師として赴任。
志賀 勝(しが まさる、1892年3月29日 - 1955年… 志賀 勝(しが まさる、1892年3月29日 - 1955年8月1日)は、日本のアメリカ文学者。 愛媛県宇和島市出身。関西学院高等学部文科英文学科卒業、のち母校教授、戦後は関西学院大学英文科主任教授を務めた。早くからアメリカ文学に注目し、病気に苦しみながら著作、翻訳多数を上梓した。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
片上 伸(かたがみ のぶる、1884年(明治17年)2月20… 片上 伸(かたがみ のぶる、1884年(明治17年)2月20日 - 1928年(昭和3年)3月5日)は、日本の文芸評論家、ロシア文学者。初期は「天弦」の号で執筆活動をしていたので、片上天絃(片上天弦)の名でも知られる。 1884年、愛媛県今治市波止浜生まれ。一族は裕福な庄屋であり、伸の父・良(つかさ)は月番所詰めの役人であった。幼いころから神童と呼ばれ、新聞・雑誌の投稿欄の懸賞金を学資に当てていたという。旧制愛媛県立松山中学校(現・愛媛県立松山東高等学校)を卒業後、1900年に東京専門学校(現・早稲田大学)予科に入学する。在学中は英文学を学んだが、一方で当時勃興期であった自然主義文学に傾倒。卒業後は『早稲田文学』の記者をとなり、後に早稲田大学の教員となった。
櫻井 鴎村(さくらい おうそん、1872年7月31日(明治5… 櫻井 鴎村(さくらい おうそん、1872年7月31日(明治5年6月26日) - 1929年(昭和4年)2月27日)は、日本の翻訳家、児童文学者、教育者、実業家である。本名は彦一郎(ひこいちろう)。日本で新渡戸稲造の『武士道』を出版したことで知られる。津田梅子とともに女子英学塾(今の津田塾大学)を設立して幹事となる。北樺太石油(英: Northern Karafuto Oil Consession)の取締役を務める。日本陸軍軍人の櫻井忠温は弟である。
村上 春太郎(むらかみ はるたろう、明治5年(1872年)1… 村上 春太郎(むらかみ はるたろう、明治5年(1872年)1月2日 - 昭和22年(1947年)6月10日)は、日本の天文学者、物理学者。 愛媛県越智郡東伯方村大字有津の庄屋、村上重吉の長男として生まれる。独学で数学、物理学、化学の高等教員資格検定を合格、教授免状を取得する。 同志社理科学校で教え、明治36年(1903年)9月に第七高等学校造士館に赴任し、物理学教授として教鞭を振るう傍ら、赤道儀を設置した望遠鏡を備えた天文台を建設。啓蒙書「天文学一夕話(島津源蔵、明治35年)」、「天文と地象(恒星社厚生閣、1944、1949)」および旧制高校の教科書「物理学原論」を著した。
簡野 道明(かんの どうめい(みちあき)、慶応元年4月9日〈… 簡野 道明(かんの どうめい(みちあき)、慶応元年4月9日〈1865年5月3日〉 - 昭和13年〈1938年〉2月11日)は日本の漢文学者(漢字学者)・言語学者・教育者である。 江戸八丁堀で伊予国吉田藩藩士の子として生まれる。幼名は米次郎である。 4歳の時伊予国吉田(現在の愛媛県宇和島市吉田町)に戻り、小学校に入ってから漢学・習字に学び、中学を卒業後小学校の教員を経て愛媛県師範学校に入学する。卒業後は南予地区で教鞭を執る。 1892年に上京後苦労の生活の日々を送り、30歳で東京高等師範学校に入学し、卒業後は東京で再び師範学校教師になる。在任中に「漢文読本」「故事成語大辞典」の編集を担当した。 1923年に漢和辞典「字源」を編集し刊行した。
大和田 建樹(おおわだ たけき、安政4年4月29日(1857… 大和田 建樹(おおわだ たけき、安政4年4月29日(1857年5月22日) - 明治43年(1910年)10月1日)は、日本の詩人、作詞家、国文学者。東京高等師範学校(現・筑波大学)教授。「鉄道唱歌」「故郷の空」「青葉の笛」などの作詞者として知られている。 1857年(安政4年)4月29日、伊予国宇和島に生まれた。父の大和田水雲は宇和島藩士であり、その影響で幼少期から書道・四書・和歌・俳句を学び、1869年(明治2年)には培寮に入学して漢学を学ぶ。同時期に穂積重樹や清家堅庭について国学や和歌を学ぶ。 1873年(明治6年)頃、翻訳書によって外国事情を知り、宇和島藩校明倫館卒業後、1876年(明治9年)広島外国語学校(後の広島県立広島国泰寺高等学校)に入学するも、1878年(明治11年)母の死亡のため退学(持病とも言われる)。