有馬 惠叶(ありま けいと、2006年9月20日 - )は、… 有馬 惠叶(ありま けいと、2006年9月20日 - )は、愛媛県宇和島市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。中日ドラゴンズ所属。 小学校1年時に野球を始め、当初は主に外野手のポジションを務めた。 聖カタリナ学園高等学校へ進学した後は、入部後1か月のタイミングで発生した部内不祥事の影響で練習ができない時期が続き、この間に山本由伸を参考にしたフォームを構築した。3年時夏の愛媛県大会2回戦における今治西高戦で公式戦初登板を果たし、9回1失点の好投でチームのサヨナラ勝ちを呼び込み、夏の甲子園初出場のきっかけを作った。甲子園では初戦の岡山学芸館高戦にて7回2/3を1失点(自責点0)に抑え、自己最速を更新する146km/hを記録するなど好投を見せるも、打線が振るわず敗退した。
宇都宮 葵星(うつのみや きさら、2004年6月23日 - … 宇都宮 葵星(うつのみや きさら、2004年6月23日 - )は、愛媛県松山市出身のプロ野球選手(内野手、外野手)。右投左打。読売ジャイアンツ所属。 三人兄弟の長男として生まれる。父はかつて四国アイランドリーグplusの愛媛マンダリンパイレーツに在籍した元プロ野球選手の宇都宮勝平。松山市立余土小学校で4年生の時にクラブチームの椿ジャビッツで野球を始め、松山市立余土中学校では軟式野球部に所属した。 愛媛県立松山工業高等学校に進学し、遊撃手のレギュラーを務めた。3年間で甲子園大会出場はなし。卒業後、かつて父も在籍した愛媛マンダリンパイレーツに入団した。 1年目の2023年は43試合に出場して打率.256、14打点を記録。
田中 怜利 ハモンド(たなか れいり ハモンド、2004年1… 田中 怜利 ハモンド(たなか れいり ハモンド、2004年1月17日 - )は、東京都板橋区出身のプロ野球選手(投手・育成選手)。右投右打。福岡ソフトバンクホークス所属。 2024年からの登録名はハモンド。 ナイジェリア人の父と日本人の母の間に生まれた。 板橋区立若木小学校時代は軟式野球のグリーンファイターズに所属し、板橋区立中台中学校時代は東板橋リトルシニアに所属し控えの野手だった。 高校は愛媛県の帝京第五高等学校に進学し、1年の夏から本格的に投手に転向した。3年夏の愛媛県大会は将来性を評価されて7球団のスカウトが訪れるなど注目され、2回戦の新居浜工戦に先発したが、2回1/3を無失点に抑えたところで初回に皮がめくれた右足親指が悪化したため降板。
矢野 泰二郎(やの たいじろう、2002年5月22日 - )… 矢野 泰二郎(やの たいじろう、2002年5月22日 - )は、愛媛県今治市出身のプロ野球選手(捕手)。右投右打。東京ヤクルトスワローズ所属。 済美高等学校3年時には愛媛県独自大会(新型コロナウイルス感染症流行に伴う特例措置)の準決勝で宇和島東高等学校に敗退した[要出典]。2学年下に、愛媛でも同僚となる三上愛介がいる。 高校3年生の2020年に四国アイランドリーグplusのトライアウトを受験し、地元球団である愛媛マンダリンパイレーツの特別合格選手となり、入団した。矢野が受験したのは「トリドールホールディングス×四国アイランドリーグplus 高校生トライアウト」で、新型コロナウイルス感染症流行の影響で出場機会に影響を受けた四国の高校生を対象に受験料無料などの優遇措置を伴って実施された。
上甲 凌大(じょうこう りょうた、2001年1月29日 - … 上甲 凌大(じょうこう りょうた、2001年1月29日 - )は、愛媛県西予市出身のプロ野球選手(捕手・育成選手)。右投左打。横浜DeNAベイスターズ所属。 愛媛県立宇和島東高等学校3年時にプロ志望届を提出するが、その後取り下げた。プロ志望届提出後の取り下げは、現行のプロ志望届制度が始まってからは上甲が初めて。高校在学時の全国大会への出場はない。 高校卒業後は、広島県東広島市の社会人野球チーム・伯和ビクトリーズに入団。企業チームであるため、午前中は社業に就いていたが、体調に異変を感じるようになり、2021年6月にバセドウ病と診断される。5か月の間、治療とリハビリに励み野球から離れていたが、11月に行われた第92回都市対抗野球大会に出場すると2打席連続本塁打を記録するなど主力選手として活躍。
土居 豪人(どい ひでと、2000年4月2日 - )は、愛媛… 土居 豪人(どい ひでと、2000年4月2日 - )は、愛媛県宇和島市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 宇和島市立城東中学校を卒業後、聖カタリナ学園高等学校に進学したが、1年夏に松山聖陵高等学校に転校(2学年先輩にはアドゥワ誠がいた)。2年秋の秋季愛媛大会で優勝し、秋季四国大会に出場。準決勝の明徳義塾で市川悠太と投げ合ったが1-3で敗れる。秋の公式戦では、7試合中6試合で完投した。翌年の第90回記念選抜高等学校野球大会の出場校に選出され、初戦の近江戦で先発するが5回2/3を投げ8失点で降板し、チームも5-8で敗れた。3年夏の選手権愛媛大会は初戦(2回戦)で新田と対戦し、8回を142球で完投するも、被安打11、5失点で敗れた。
渡部 健人(わたなべ けんと、1998年12月26日 - )… 渡部 健人(わたなべ けんと、1998年12月26日 - )は、神奈川県横浜市旭区出身の元プロ野球選手(内野手)。右投右打。 横浜市立大池小学校在学時に父の影響でプロ野球を見ていたことがきっかけで、ひかりが丘少年野球部に入り野球を始める。横浜市立上白根中学校在学時に中本牧シニアに所属し、全国制覇も経験した。中学時代は遊撃手として出場していた。シニアの同期には石川達也がいる。 中学卒業後は横浜商科大学高等学校へ進学。1年夏からレギュラーとして県大会にも出場していたが、家庭の事情により1年生の2月に日本ウェルネス高等学校東京キャンパスへ転校した。日本高野連の規定により、転入学をすると1年間公式戦に出られないため、2年生の期間はチームのサポートに徹した。
糸川 亮太(いとがわ りょうた、1998年4月30日 - )… 糸川 亮太(いとがわ りょうた、1998年4月30日 - )は、愛媛県四国中央市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。埼玉西武ライオンズ所属。 2人の兄(7歳上と3歳上)の影響で四国中央市立妻鳥小学校1年生のときに『妻鳥ファイターズ』で野球を始め、四国中央市立川之江北中学校では硬式野球の『川之江ボーイズ』に所属。中学3年時はチームのキャプテンとエースを務め、夏には愛媛県選抜に選ばれた。 川之江高校に進学し、1年夏からベンチ入りしたが、結果を残せずにいた。控え投手であった2年夏は愛媛大会準々決勝で敗退し、新チームが始動して間もない頃に友近拓也監督から「変化球ピッチャーになれ」と告げられ、投球スタイルを変更すると、エースに成長。
大本 将吾(おおもと しょうご、1998年4月22日 - )… 大本 将吾(おおもと しょうご、1998年4月22日 - )は、愛媛県西条市出身の元プロ野球選手(外野手)。右投左打。NPB在籍時は育成選手だった。 西条市立壬生川小学校の1年生頃から、「小松リトル」で野球を始める。2年生からは「西条リトル」に所属。小学3年生の頃に、西条市東予運動公園野球場でおこなわれた四国アイランドリーグの愛媛マンダリンパイレーツ主催試合を観戦しており、これが初めて実際に見た「プロ野球」だったという。 西条市立東予東中学校時代には、「西条シニア」や「BB凌駕」(ヤングリーグ)で、投手や一塁手としてプレーする。打順は4番だった。 高校は帝京第五高等学校に進学。1年の新人戦からベンチ入りし、2年生春からは4番・一塁手で先発出場する。
安樂 智大(あんらく ともひろ、1996年11月4日 - )… 安樂 智大(あんらく ともひろ、1996年11月4日 - )は、愛媛県松山市出身のプロ野球選手(投手)。右投左打。メキシコシティ・レッドデビルズ所属。 旧字体の「樂」の代わりに新字体の安楽の表記も多い。 愛媛県松山市で出生してから、実父の転勤に伴って高知市へ転居。高須小学校2年生の時に軟式野球チーム「高須ザイオン」で投手として野球を始めた。その後再び松山に移り住み道後小学校3年生から「東雲イーグルス」に、道後中学校時代は「松山クラブボーイズ」に所属した。 済美高等学校では1年生の秋に背番号1を背負った。2年生の時、第85回記念選抜高等学校野球大会では初戦の対広陵戦で2年生の甲子園最速となる152km/hを記録。
越智 達矢(おち たつや、1996年7月8日 - )は、愛媛… 越智 達矢(おち たつや、1996年7月8日 - )は、愛媛県西条市出身の社会人野球選手(外野手)。 西条市立東予西中学校時代は軟式野球部に所属していた。 高校は地元の丹原高に進学。高校通算47本の本塁打を放ち、四国地区屈指の強打者として注目されていたが甲子園出場はなかった。 高校卒業後は明治大学に進学。2年春から公式戦に出場し、3年春からレギュラーとして活躍。4年春には打率3割6分2厘、3本塁打、14打点の好成績でベストナインを受賞した。2018年には第6回FISU世界大学野球選手権大会の日本代表に選出された。大学通算打率2割7分4厘、5本塁打、34打点。 大学卒業後は日本生命に入社し野球部に入部。
澤田 圭佑(さわだ けいすけ、1994年4月27日 - )は… 澤田 圭佑(さわだ けいすけ、1994年4月27日 - )は、愛媛県松山市出身のプロ野球選手(投手)。右投左打。オリックス・バファローズ所属。
高岸 宏行(たかぎし ひろゆき、1992年〈平成4年〉10月… 高岸 宏行(たかぎし ひろゆき、1992年〈平成4年〉10月8日 - )は、日本のお笑いタレント、プロ野球選手(投手)、俳優。愛媛県西条市出身。お笑いコンビ・ティモンディのボケ・応援担当。グレープカンパニー所属。プロ野球選手としては独立リーグ・ルートインBCリーグの栃木ゴールデンブレーブス所属。妻は女優の沢井美優。 公式プロフィールでは愛媛県西条市出身となっているが、生まれて1年足らずで滋賀県に転居しているため、厳密には愛媛県生まれ・滋賀県出身である。。中学卒業までを同県で過ごした後、済美高校に進学することになり、再び愛媛に戻ることになった。東洋大学経営学部卒業。 大学3年の時に故障して野球の道を断念し、今後のことを考えていた時に、東日本大震災を受けてのサンドウィッチマンの復興活動を見て感動したことを思い出し、高校時代から仲の良かった同級生の前田裕太を誘って2015年にコンビ結成。
長﨑 望未(ながさき のぞみ、1992年6月19日 - )は… 長﨑 望未(ながさき のぞみ、1992年6月19日 - )は、愛媛県新居浜市出身の女子ソフトボール選手(外野手)。元トヨタ自動車レッドテリアーズ所属。元ソフトボール日本代表。JD.LEAGUEブランドアンバサダー。 愛媛県新居浜市出身。小学校3年生からソフトボールを始める。男子に混じり、6年生の時には4番バッターとなった。中学時代には全国中学校ソフトボール大会に出場。京都西山高等学校在学中の2008年にはインターハイ優勝に大いに貢献した。 高校卒業後の2011年にトヨタ自動車に入団。ルーキーイヤーから日本リーグ優勝の原動力となり、自らも本塁打王・打点王・ベストナイン賞・新人賞の四冠に輝いた。新人での四冠達成は山田恵里以来9年ぶり。
篠原 慎平(しのはら しんぺい、1990年6月13日 - )… 篠原 慎平(しのはら しんぺい、1990年6月13日 - )は、愛媛県四国中央市出身の元プロ野球選手(投手)、女子野球監督。右投左打。 小学2年で軟式野球を始め、中学時代は川之江ボーイズ(第10期生)に所属。愛媛県立川之江高等学校では、1年夏に県大会4強、1年秋に四国大会8強、2年夏に県大会4強を経験するが、同校野球部の不祥事に巻き込まれ、同校を中退した。しかし、野球への思いを断ち切れず、独立リーグ・四国・九州アイランドリーグ(現・四国アイランドリーグplus)の愛媛マンダリンパイレーツに2008年入団。 愛媛マンダリンパイレーツ入団後は、1年目から公式戦に出場する。今治精華高等学校通信制課程松山校に通いながら19試合64.1回をこなし、4勝3敗、防御率3.36の成績を残した。
熊代 聖人(くましろ まさと、1989年4月18日 - )は… 熊代 聖人(くましろ まさと、1989年4月18日 - )は、愛媛県上浮穴郡久万高原町出身のプロ野球選手(外野手)。右投右打。埼玉西武ライオンズ所属。
西原 圭大(にしはら けいた、1988年9月29日 - )は… 西原 圭大(にしはら けいた、1988年9月29日 - )は、愛媛県今治市出身の元プロ野球選手(投手)。 愛媛県立今治北高校時代には、2年の秋にエースとして四国大会で準優勝。3年春の第78回選抜高等学校野球大会出場を果たす。3年夏は愛媛大会の決勝戦で熊代聖人らを擁する愛媛県立今治西高校に敗れた。 高校卒業後に関西外国語大学へ進学すると、硬式野球部へ入部。1年春から、阪神大学野球のリーグ戦で登板した。在学中には、リーグ戦で通算53試合に登板したが、9勝25敗という成績に終わった。松下一郎とバッテリーを組んだ。 大学卒業後にニチダイへ入社すると、硬式野球部へ所属。チームの都市対抗初勝利に貢献した。 2013年のプロ野球ドラフト会議で、広島東洋カープから4巡目で指名。
鵜久森 淳志(うぐもり あつし、1987年2月1日 - )は… 鵜久森 淳志(うぐもり あつし、1987年2月1日 - )は、愛媛県松山市出身の元プロ野球選手(外野手・内野手、右投右打)。 小学4年時に野球を始め、中学時代はボーイズリーグの松山クラブへ所属し、本塁打は打っていない。当時は投手だったが、済美高校への進学後に外野手へ転向した。 高校3年時の2004年には、「4番・左翼手」として春夏連続で阪神甲子園球場の全国大会に出場。いずれもチーム史上初めての出場だったが、春の選抜大会優勝・夏の全国選手権大会準優勝に貢献した。また、春の選抜大会で2本、夏の全国選手権大会で3本の本塁打を放つなど、在学中には対外試合で通算47本塁打を記録した。ちなみに、同級生の高橋勇丞は3年時の主将で、上記の選抜大会にはクリーンアップを組んでいる。
高橋 勇丞(たかはし ゆうすけ、1986年6月7日 - )は… 高橋 勇丞(たかはし ゆうすけ、1986年6月7日 - )は、愛媛県川之江市(現:四国中央市)出身の元プロ野球選手(外野手)。 愛媛県川之江市出身。川之江市立上分小学校3年時に軟式野球の「上分とどろき」で野球を始め、川之江市立川之江南中学校時代はボーイズリーグの「川之江ボーイズクラブ」に所属してエース投手として四国大会準優勝。済美高校では上甲正典監督の下、3年時には主将で3番打者として第76回選抜高等学校野球大会準々決勝の東北高校戦で逆転サヨナラ3ラン本塁打を放つなど、同校の初出場初優勝に貢献。しかしその後、主将でありながら寮則に違反したとして公式戦出場はおろかベンチからも外された。夏の第86回全国高等学校野球選手権大会ではチームメイトとともにスタンドで明るくチームを応援する姿がテレビに映り、チームは準優勝。
田中 幸長(たなか ゆきなが、1986年2月1日 - )は、… 田中 幸長(たなか ゆきなが、1986年2月1日 - )は、元社会人野球選手(内野手)である。トヨタ自動車に所属していた。178cm、82kg。右投右打。背番号25。
鎌倉 健(かまくら けん、1984年11月25日 - )は、… 鎌倉 健(かまくら けん、1984年11月25日 - )は、愛媛県川之江市(現:四国中央市)出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 2002年の第84回全国高等学校野球選手権大会で、浦和学院高校の須永英輝と投げ合った。終盤で浦和学院に逆転されたがその後再逆転し、サヨナラ勝ちを収めている。また、この試合で鎌倉は左翼へ本塁打を放っている。この大会では鎌倉を擁した川之江高校は、仙台西、浦和学院、桐光学園、遊学館を破って同校初の4強進出を果たすが、優勝した同じ四国勢の明徳義塾高校に準決勝で敗れた。(同大会では8強に四国4県が全て残り、四国勢の強さを印象付けた。)また、同年の国体では、川之江高校は初優勝を果たした。
松下 圭太(まつした けいた、1984年9月18日 - )は… 松下 圭太(まつした けいた、1984年9月18日 - )は、愛媛県出身の元プロ野球選手(外野手)。
阿部 健太(あべ けんた、1984年9月8日 - )は、愛媛… 阿部 健太(あべ けんた、1984年9月8日 - )は、愛媛県松山市出身の元プロ野球選手(投手)。大阪近鉄バファローズの歴史において、最後の敗戦投手として知られている。
梅田 浩(うめだ ひろし、1983年10月25日 - )は、… 梅田 浩(うめだ ひろし、1983年10月25日 - )は、愛媛県松山市出身の元プロ野球選手(外野手、捕手)。
高木 啓充(たかぎ ひろみつ、1983年9月16日 - )は… 高木 啓充(たかぎ ひろみつ、1983年9月16日 - )は、元プロ野球選手(投手)。
越智 大祐(おち だいすけ、1983年6月30日 - )は、… 越智 大祐(おち だいすけ、1983年6月30日 - )は、愛媛県今治市出身の元プロ野球選手(投手)。
筒井 和也(つつい かずや、1981年10月5日 - )は、… 筒井 和也(つつい かずや、1981年10月5日 - )は、愛媛県伊予市出身の元プロ野球選手(投手)、阪神タイガースのスカウト。 愛媛県立松山北高等学校では2年夏からベンチ入りし、2年秋からはエースとなった。愛知学院大学では1年秋に明治神宮大会で登板、2年生の時に出場した大学選手権2回戦で対戦した久保裕也が投げる東海大に対し敗れたものの、大会記録となる8者連続奪三振を達成し敢闘賞に選ばれた。2年秋は最多勝で明治神宮大会では前年優勝の慶大に完封しベスト4。3年春はMVPも大学選手権は初戦敗退、秋は神宮大会初戦敗退。愛知大学野球リーグでは24連勝を記録し、6季連続優勝に貢献した。大学での通算成績は29勝4敗、防御率1.04、特別賞2回、最優秀防御率1回、ベストナイン3回。
塀内 久雄(へいうち ひさお、1981年7月7日 - )は、… 塀内 久雄(へいうち ひさお、1981年7月7日 - )は、愛媛県西宇和郡三瓶町(現:西予市)出身の元プロ野球選手(内野手)。右投左打。
近平 省悟(ちかひら しょうご、1981年2月12日 - )… 近平 省悟(ちかひら しょうご、1981年2月12日 - )は、愛媛県出身の元プロ野球選手(投手)。
西山 道隆(にしやま みちたか、1980年1月9日 - )は… 西山 道隆(にしやま みちたか、1980年1月9日 - )は、愛媛県松山市出身の元プロ野球選手(投手)。
大山 貴広(おおやま たかひろ、1979年12月10日 - … 大山 貴広(おおやま たかひろ、1979年12月10日 - )は、愛媛県大洲市出身の元プロ野球選手(内野手)。
岩村 明憲(いわむら あきのり、1979年2月9日 - )は… 岩村 明憲(いわむら あきのり、1979年2月9日 - )は、愛媛県宇和島市出身のプロ野球選手(内野手)、プロ野球監督。現在はベースボール・チャレンジ・リーグの福島ホープスに選手兼任監督として所属。また、2015年11月1日より、同球団の球団代表に就任。野球解説者。
山村 路直(やまむら みちなお、1978年12月5日 - )… 山村 路直(やまむら みちなお、1978年12月5日 - )は、愛媛県伊予郡松前町出身の元プロ野球選手(投手)。 愛媛県立松山中央高等学校、九州共立大学卒業。 高校3年の夏、愛媛県大会で全国制覇することになる松山商に敗れてベスト8。 九州共立大学1年時の1997年秋、明治神宮大会で当時アマチュア球界最強を誇った3年二岡智宏擁する近畿大(この大会で優勝)を相手に好投し注目を集めた。2年時の1998年、大学選手権では延長10回0-1で敗れたものの、4年上原浩治(当時大体大)と投手戦を繰り広げて評価を高めた。3年時の1999年秋の明治神宮大会では全試合救援登板をし決勝の東海大戦で1年新垣渚の後を受け5回無失点に抑えて大学日本一となった。
宮出 隆自(みやで りゅうじ、1977年8月18日 - )は… 宮出 隆自(みやで りゅうじ、1977年8月18日 - )は、愛媛県宇和島市出身の元プロ野球選手(外野手、内野手、投手)。野球指導者。現在は東京ヤクルトスワローズの打撃コーチを務める。
中須賀 諭(なかすか さとし、1977年6月22日 - )は… 中須賀 諭(なかすか さとし、1977年6月22日 - )は、社会人野球選手(投手、右投げ右打ち)。JR東海所属。175cm、75kg。背番号11。
藤井 秀悟(ふじい しゅうご、1977年5月12日 - )は… 藤井 秀悟(ふじい しゅうご、1977年5月12日 - )は、愛媛県伊予市出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。現在は読売ジャイアンツで打撃投手を務める。
橋本 将(はしもと たすく、1976年5月1日 - )は、愛… 橋本 将(はしもと たすく、1976年5月1日 - )は、愛媛県宇和島市出身の元プロ野球選手(捕手)。右投左打。
岩村 敬士(いわむら たかし、1975年12月25日 - )… 岩村 敬士(いわむら たかし、1975年12月25日 - )は、愛媛県宇和島市出身の元プロ野球選手(外野手)。現在は宇和島市に本社を置く水産会社・有限会社アクアプラスの代表兼運営統括責任者を務める。
平井 正史(ひらい まさふみ、1975年4月21日 - )は… 平井 正史(ひらい まさふみ、1975年4月21日 - )は、日本の元プロ野球選手(投手)。愛媛県宇和島市出身。現在はオリックス・バファローズ二軍投手コーチを務める。
今井 圭吾(いまい けいご、1974年7月16日 - )は、… 今井 圭吾(いまい けいご、1974年7月16日 - )は、愛媛県伊予郡松前町出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 伊予高校時代は3年夏の大会に出場も県大会3回戦で敗退。卒業後、近畿大学に進学。1995年の秋のシーズンと1996年の秋のシーズンでは最優秀選手と最優秀投手のダブル受賞と大活躍し、「近大に今井あり」と謳われた。関西学生リーグ通算36試合登板、22勝7敗、防御率1.37、197奪三振。1996年のドラフト2位で日本ハムファイターズに入団。 1年目から開幕ローテーションに加わり、1997年4月16日に新人で一番乗りの完封勝利を挙げる。だが、これがプロで唯一の勝利となった。2年目以降は2軍暮らしが多くなり、2000年から3年は1軍登板すらなかった。
野口 茂樹(のぐち しげき、1974年5月13日 - )は、… 野口 茂樹(のぐち しげき、1974年5月13日 - )は、愛媛県東予市(現:西条市)出身の元プロ野球選手(投手、左投左打)、野球指導者。 現役時代はNPBの中日ドラゴンズでエースとして活躍し、1999年には19勝を挙げてチームのセントラル・リーグ優勝に貢献、リーグ最優秀選手賞 (MVP) を受賞した。また1998年にはセ・リーグ最優秀防御率のタイトルを獲得、2001年にも最優秀防御率と最多奪三振の投手二冠を獲得した。現役引退後は球界を離れ、愛知県西尾市の一般企業に勤務している。 東予市立多賀小学校、東予市立東予東中学校出身。東予東中学校3年生だった1989年、愛媛県中学総体で優勝。準々決勝から決勝まで3試合連続で完封した。
神野 信也(じんの しんや、1973年4月19日 - )は、… 神野 信也(じんの しんや、1973年4月19日 - )は、愛媛県出身の元プロ野球選手(投手)。 現在は、埼玉西武ライオンズの打撃投手。 新居浜商業高時代は、四国屈指の好投手として注目されていた。エースで4番を務め、3年春は県大会準優勝。社会人野球のNTT四国入りも噂されたが、1991年のプロ野球ドラフト会議で西武ライオンズから5位指名を受け入団。 左の軟投派ピッチャーとして期待されていたが、二軍でも成績は振るわずショートリリーフでの起用が多かった。 一軍登板のないまま1996年限りで現役を引退し、打撃投手に転身した。
宮下 典明(みやした のりあき、1973年1月26日 - )… 宮下 典明(みやした のりあき、1973年1月26日 - )は、愛媛県八幡浜市出身の元プロ野球選手(内野手)。
沖原 佳典(おきはら よしのり、1972年7月27日 - )… 沖原 佳典(おきはら よしのり、1972年7月27日 - )は、愛媛県松山市出身の元プロ野球選手(内野手、右投右打)・コーチ。
岡崎 淳二(おかざき じゅんじ、1972年6月20日 - )… 岡崎 淳二(おかざき じゅんじ、1972年6月20日 - )は、元社会人野球選手(投手、左投げ右打ち)。
山部 太(やまべ ふとし、1971年1月4日 - )は、愛媛… 山部 太(やまべ ふとし、1971年1月4日 - )は、愛媛県八幡浜市出身の元プロ野球選手(投手、左投左打)・コーチ。 愛媛県立八幡浜工業高等学校では、1988年の夏の甲子園県予選で準決勝に進出、同年春の選抜優勝校である宇和島東高を破る。決勝では松山商に大敗し甲子園出場を逸するが、好投手として注目を集めた。 プロ野球11球団からドラフト指名挨拶があるも、腰に不安がありNTT四国に進む。同期の西山一宇と左右の二本柱となり、1990年から4年連続で都市対抗に出場。1992年の日本選手権では先発で2勝をあげてベスト8進出に貢献し、優秀選手となった。1993年には第11回インターコンチネンタルカップ日本代表、第17回アジア野球選手権大会日本代表に選出される。
水口 栄二(みずぐち えいじ、1969年1月9日 - )は、… 水口 栄二(みずぐち えいじ、1969年1月9日 - )は、愛媛県出身の野球指導者。元プロ野球選手(内野手)。
佐野 慈紀(さの しげき、1968年4月30日[注 1] -… 佐野 慈紀(さの しげき、1968年4月30日[注 1] - )は、愛媛県松山市出身の元プロ野球選手(投手)、野球解説者・野球評論家。所属プロダクションは有限会社セットアッパーであり、同社の代表取締役を務める[10][11]。また、石川ミリオンスターズの取締役でもある[12]。本名およびかつての登録名は、佐野 重樹(読み同じ)[注 3]。愛称は「ハゲ魔神」。
塩崎 兼一(しおざき けんいち、1968年4月29日 - )… 塩崎 兼一(しおざき けんいち、1968年4月29日 - )は、愛媛県出身の元プロ野球選手(投手)。右投げ右打ち。 八幡浜高では1年秋は先発として県大会優勝に貢献、四国大会も先発したが初戦で池田高に敗れた。3年春は県大会優勝し、夏は県大会準決勝で水口栄二らを擁する松山商に8回コールドで敗退。1986年のプロ野球ドラフト会議で横浜大洋ホエールズから5位指名を受け入団。 プロ1年目の1987年から一軍初登板を果たし、1988年はアメリカルーキーリーグビュート・カッパー キングに野球留学し、4勝4セーブを記録した。1992年限りで現役を引退した。 引退後は、1993年から打撃投手に転身したが同年限りで退団した。
西川 慎一(にしかわ しんいち、1967年2月26日 - )… 西川 慎一(にしかわ しんいち、1967年2月26日 - )は、愛媛県大洲市出身の元プロ野球選手(投手)。 大洲農高から進んだNTT四国では渡辺智男、左腕・山部太とも同僚。1993年度のNPBドラフト会議前に近鉄バファローズを逆指名し、ドラフト会議当日に近鉄から2位指名を受け、同年11月29日に契約金8000万円、年俸1000万円の契約条件で仮契約した。 即戦力として期待されながら思うような結果が残せなかったが、1996年の後半からリリーフで1軍登板を重ね、1997年に51試合、1998年にはチーム最多の61試合に登板し、中継ぎの柱として活躍する。 しかし翌年以降は不振の投球が目立ち2000年シーズン途中、杉山賢人との1対2の交換トレードで吉田剛と共に阪神タイガースへ移籍。