嶋村 麟士朗(しまむら りんしろう、2003年7月13日 -… 嶋村 麟士朗(しまむら りんしろう、2003年7月13日 - )は、高知県高知市出身のプロ野球選手(捕手)。右投左打。阪神タイガース所属。 高知市立潮江東小学校4年から潮江東スポーツ少年団で野球を始め、6年生から主に捕手としてプレーするようになる。高知市立潮江中学校では軟式野球部に所属。全国中学生都道府県対抗野球大会の高知県代表に選出され、後にチームメイトとなる森木大智とバッテリーを組んだ。 高知市立高知商業高等学校には捕手として入学したが、チームでは主に内野手と外野手を務めた。3年夏の高知県大会では4番としてプレーするも、準決勝で代木大和擁する明徳義塾高等学校に敗れた。 高校卒業後は福井工業大学に進学したが、中退。
森木 大智(もりき だいち、2003年4月17日 - )は、… 森木 大智(もりき だいち、2003年4月17日 - )は、高知県土佐市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。MLBのサンディエゴ・パドレス傘下所属。 土佐市立蓮池小学校1年時に「蓮池ホワイトシャーク」に入団しソフトボールを始め、同3年時に「高岡第二イーグルス」に入団して軟式野球に転向。投手の他、内野手や捕手も努め、6年時には全国大会出場を果たした。高知中学校では同校の軟式野球部に所属。3年夏に出場した全国大会で軟式球史上最速となる150km/hを記録し、「スーパー中学生」として注目された。同大会の決勝では秀光中学校の伊藤樹と投げ合い、勝利して優勝している。 その後高知高等学校に進学。1年夏からエースとなり、高知大会決勝に進出したが、明徳義塾に敗れた。
川田 悠慎(かわだ ゆうしん、2002年2月20日 - )は… 川田 悠慎(かわだ ゆうしん、2002年2月20日 - )は、高知県宿毛市出身のプロ野球選手(外野手)。右投左打。埼玉西武ライオンズ所属。 山奈小学校1年生の時に「山奈レンジャーズ」で野球を始め、6年時は「中村スポーツ少年団」でプレーした。四万十市立中村中では3年時にKボール高知県選抜で準優勝した。 中学卒業後は高知高等学校に進学。2年の秋から主将を務め、秋の高知県大会では準優勝して四国大会へ出場した。3年夏の高知県大会では明徳義塾に敗れ準優勝。3年間での甲子園出場経験はない。高校の2学年後輩に森木大智がいる。 高校卒業後に京都産業大学へ進学し、4年の春から同大学野球部の主将となったが、肩や足首などのケガに苦しみ、思うようなプレーが出来なかった。
市川 悠太(いちかわ ゆうた、2001年3月29日 - )は… 市川 悠太(いちかわ ゆうた、2001年3月29日 - )は、高知県高知市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 高知市立潮江中学校から明徳義塾高等学校に進学。2年生の春夏、3年生春と3季連続で甲子園に出場。2年生秋には秋季四国大会、第48回明治神宮野球大会でエースとして全試合完投して両大会で優勝した。 2018年のドラフト会議で東京ヤクルトスワローズから3位で指名を受け、契約金5000万円、年俸580万円という条件で入団した。 2019年は二軍で登板を重ね、18試合に登板し1勝0敗、防御率2.79の成績を残したが、翌年も一軍登板の機会はなく、初登板は2022年7月1日の横浜DeNAベイスターズ戦で、1回1失点(一塁手の野選による失点)だった。
榮枝 裕貴(さかえだ ゆうき、1998年5月16日 - )は… 榮枝 裕貴(さかえだ ゆうき、1998年5月16日 - )は、高知県高知市出身のプロ野球選手(捕手)。右投右打。阪神タイガース所属。 高知市立朝倉小学校1年で「朝倉スワローズ」に入団し野球を始め、主に捕手を務め、6年時には全国大会で準優勝に貢献。高知中学校時代は同校の軟式野球部に所属、全国優勝を経験した。 高知高校では、1年秋からベンチ入りすると共に正捕手の座を掴むと、その後「4番・捕手」を担った。2年夏は県大会決勝で明徳義塾に6-7で敗れ準優勝。6-5とリードし迎えた9回表二死一・二塁、カウント1ボール2ストライクと追い込み、甲子園まであとストライク1つの場面で逆転適時三塁打を打たれた試合だった。
和田 恋(わだ れん、1995年9月26日 - )は、読売ジ… 和田 恋(わだ れん、1995年9月26日 - )は、読売ジャイアンツに所属するプロ野球選手(内野手)。
森下 貴裕(もりした たかひろ、1995年6月4日 - )は… 森下 貴裕(もりした たかひろ、1995年6月4日 - )は、日本の元プロ野球選手(外野手)。出身地は高知県長岡郡本山町。 本山町土佐町中学校組合立嶺北中学校から土佐高等学校へ進学し、3年となった2013年の第85回記念選抜高等学校野球大会に21世紀枠で出場し、2回戦で浦和学院高等学校に敗れた。 高校卒業後は慶應義塾大学環境情報学部へ入学に伴い神奈川県横浜市へ移住し慶應義塾体育会野球部へ入部し野球部員として活動していた。4年となった2017年秋にプロ志望届を提出したが、NPB球団からのドラフト指名はなかった。 卒業後の進路はベースボール・チャレンジ・リーグ志望としたものの進路未定で大学卒業することになった。
木下 拓哉(きのした たくや、1991年12月18日 - )… 木下 拓哉(きのした たくや、1991年12月18日 - )は、中日ドラゴンズに所属するプロ野球選手(捕手)。
馬淵 烈(まぶち つよし、1989年6月5日 - )は、高知… 馬淵 烈(まぶち つよし、1989年6月5日 - )は、高知県須崎市出身の元社会人野球選手、野球指導者。 父親は高校野球の名将としても知られる、明徳義塾高校硬式野球部監督の馬淵史郎。 父が監督を務める明徳義塾高校ではエースで主将として活躍。 高校卒業後は東都大学野球連盟所属の拓殖大学に進学。三塁手として活躍し、4年秋には24年ぶりのリーグ2部優勝を果たす。 大学卒業後は岡山県の自動車販売店・シティライトに入社し、同社の野球部・シティライト岡山に入部。ここで4シーズンプレーし、2014年にはチーム主将も務めたが、同年のシーズン終了後に退部。 2015年からは再び母校の拓殖大学に戻り、コーチを務める。
入野 貴大(いりの たかひろ、1988年11月26日 - )… 入野 貴大(いりの たかひろ、1988年11月26日 - )は、高知県香美郡野市町(現・香南市)出身の元プロ野球選手(投手)。右投左打。 小学4年生の時に「桜ヶ丘スポーツ少年団」で野球を始めた。野市中学校では二塁手、三塁手、遊撃手などでプレー。岡豊高校入学後も内野手としてプレーしていたが、3年生時の春から投手としてもプレーするようになった。6月には日米親善高校野球大会の高知県選抜チームに選出された。高校通算では10本塁打を放った。 高校卒業後に一度は国士舘大学への進学を決めるも実際には入学せず、広島県にあったプロ育成野球専門学院に進んだが、同学院は1年で閉校した。 2008年に四国・九州アイランドリーグ(現・四国アイランドリーグplus)の愛媛マンダリンパイレーツに入団し、5年間で183試合に登板、17勝9敗14セーブの成績を残した。
二神 一人(ふたがみ かずひと、1987年6月3日 - )は… 二神 一人(ふたがみ かずひと、1987年6月3日 - )は、高知県幡多郡大月町出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。
小松 剛(こまつ たけし、1986年9月26日 - )は、高… 小松 剛(こまつ たけし、1986年9月26日 - )は、高知県室戸市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 現役引退後は広島東洋カープの二軍マネージャー兼広報を務めた。2022年からは人材紹介会社に転職。 1986年に高知県高知市で生まれる。小学3年生の時に室戸市へ転居すると、室戸市で知り合った友人や友人の保護者の影響で野球を始める。小学5年生から投手を始め、室戸市立佐喜浜中学校を経て高知県立室戸高等学校に進学、3年生でエース・主将を務めた。 高校卒業後は法政大学へ進学し、2年春にリーグ戦デビューするといきなり3勝を挙げ、優勝決定戦でも完投して胴上げ投手となった。その後もチームの主戦投手の一角を任せられるが勝ち星が伸び悩み、4年生秋季では背筋痛で出遅れるが、対早稲田大学1回戦で斎藤佑樹に完投勝利するなど、復調した。
甲藤 啓介(かっとう けいすけ、1983年11月12日 - … 甲藤 啓介(かっとう けいすけ、1983年11月12日 - )は、高知県香美市出身の元プロ野球選手(投手)。
東 和政(あずま かずまさ、1982年6月1日 - )は、高… 東 和政(あずま かずまさ、1982年6月1日 - )は、高知県宿毛市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 小学2年生で野球を始め、中学3年生の時に全国大会で優勝。県内強豪校からの誘いもあったが、拒否して地元の宿毛高に進学し、3年夏は県大会準決勝で明徳義塾に敗退。2000年度ドラフト会議にて横浜ベイスターズから4位指名を受けて入団。高卒ながら1年目から一軍で登板を果たす。 2002年は一軍で28試合に登板。2003年5月25日、対読売ジャイアンツ戦(横浜スタジアム)でプロ初先発。フレッシュオールスターに出場。イースタン選抜の先発投手を務めた。イースタン・リーグの最優秀防御率賞投手(防御率1.55)。
土居 龍太郎(どい りょうたろう、1981年1月11日 - … 土居 龍太郎(どい りょうたろう、1981年1月11日 - )は、高知県吾川郡春野町(現:高知市)出身の元プロ野球選手(投手)。2005年から2007年の登録名は龍太郎。
藤川 球児(ふじかわ きゅうじ、1980年7月21日 - )… 藤川 球児(ふじかわ きゅうじ、1980年7月21日 - )は、阪神タイガースに所属する高知県高知市出身のプロ野球選手(投手)。右投左打であり選手登録上も同様であるが、相手投手の利き手によっては右打席に入る場合がある。マネジメント会社はエイベックス・スポーツ。
吉川 昌宏(よしかわ まさひろ、1978年6月29日 - )… 吉川 昌宏(よしかわ まさひろ、1978年6月29日 - )は、元プロ野球選手(投手)。高知県出身。
宮﨑 一彰(みやざき かずあき、1975年4月24日 - )… 宮﨑 一彰(みやざき かずあき、1975年4月24日 - )は、高知県出身の元プロ野球選手(内野手)で、現在は日本競輪選手会高知支部所属の競輪選手。
宮﨑 一彰(みやざき かずあき、1975年4月24日 - )… 宮﨑 一彰(みやざき かずあき、1975年4月24日 - )は、高知県四万十市出身の元プロ野球選手(内野手)で、現在は日本競輪選手会高知支部所属の競輪選手。 明徳義塾高校では2年夏に甲子園出場、星稜高校との松井秀喜5打席連続敬遠があった試合でも、控え選手としてベンチ入りしていた。 高校卒業後は法政大学に入学、同期には真木将樹らがおり、4年生の時にレギュラーを獲得。4年秋にはベストナインに選出され第28回明治神宮野球大会で準優勝したが、ドラフト会議では指名されなかった。 大学卒業後は社会人野球のいすゞ自動車に進んだが、約半年で退社し、1999年にアメリカ独立リーグ・ノーザンリーグのアディロンダック・ランバージャックス(英語版)に入団。
西山 一宇(にしやま かずたか、1970年8月28日 - )… 西山 一宇(にしやま かずたか、1970年8月28日 - )は、高知県高知市出身の元プロ野球選手(投手)。現在は、読売ジャイアンツのスコアラー。
岡 幸俊(おか ゆきとし、1970年5月31日 - )は、高… 岡 幸俊(おか ゆきとし、1970年5月31日 - )は、高知県土佐清水市出身の元プロ野球選手(投手)。
町田 公二郎(まちだ こうじろう、1969年12月11日 -… 町田 公二郎(まちだ こうじろう、1969年12月11日 - )は、高知県高知市出身の元プロ野球選手(外野手、内野手)、野球指導者。2013年より三菱重工広島硬式野球部のヘッドコーチ、2015年からは監督を務めている。
野村 貴仁(のむら たかひと、1969年〈昭和44年〉1月1… 野村 貴仁(のむら たかひと、1969年〈昭和44年〉1月10日 - )は、高知県吾川郡春野町(現:高知市)出身の元プロ野球選手(投手、左投左打)。2000年から2001年までの登録名は「野村 空生(のむら たかき)」。 高知県立高岡高等学校宇佐分校(現:高知県立高知海洋高等学校)ではエースとして1986年の高知大会準決勝に進み、高知商業の岡林洋一と投げ合うが、延長12回の末に惜敗し甲子園出場を逸する。卒業後は三菱重工三原に入社。1987年の都市対抗では高卒新人ながら三菱重工広島の補強選手として1回戦に先発したが2回3失点で退いている(なお、高卒新人で補強選手として本大会で先発登板した選手は野村を最後に2019年まで出ていない)。
岡林 洋一(おかばやし よういち、1968年4月11日 - … 岡林 洋一(おかばやし よういち、1968年4月11日 - )は、元プロ野球選手(投手)。現在は東京ヤクルトスワローズスカウト。
中山 裕章(なかやま ひろあき、1967年11月4日 - )… 中山 裕章(なかやま ひろあき、1967年11月4日 - )は、高知県高知市出身の元プロ野球選手(投手)。大洋、中日、台湾球界に在籍し 2003年に引退した。
渡辺 智男(わたなべ とみお、1967年6月23日 - )は… 渡辺 智男(わたなべ とみお、1967年6月23日 - )は、高知県高岡郡佐川町出身の元プロ野球選手(投手)。 センバツ甲子園準決勝にて清原和博・桑田真澄のKKコンビ率いるPL学園に得意の速球で投げ勝ち勝利。清原・桑田の5回の甲子園出場において唯一の決勝進出阻止を果たした。 愛称は、「ナベトミ」。ソウルオリンピック野球の銀メダリスト。 高知県高岡郡でイチゴなどを栽培する農家の長男として生まれる。中学校時代にヒジを剥離骨折し、投手にならないという条件で伊野商業高校に進学した。しかし、2年の春になってから投手として練習するようになり、秋にはエースナンバーをもらった。県内の同学年の投手には高知商の中山裕章や明徳義塾高の山本誠がおり、球速は中山、制球力や変化球は山本の方が上だと感じたため、球持ちの良さや速球のキレに磨きをかけたという。
山本 誠(やまもと まこと、1967年4月8日 - )は、高… 山本 誠(やまもと まこと、1967年4月8日 - )は、高知県出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。
近田 豊年(ちかだ とよとし、1965年12月11日 - )… 近田 豊年(ちかだ とよとし、1965年12月11日 - )は、高知県宿毛市出身の元プロ野球選手(投手)。日本プロ野球史上唯一のスイッチピッチャーとして知られる(2016年終了時点)。
津野 浩(つの ひろし、1965年8月6日 - )は、高知県… 津野 浩(つの ひろし、1965年8月6日 - )は、高知県高岡郡四万十町出身の元プロ野球選手(投手)。現在はプロゴルファー。
藤本 茂喜(ふじもと しげき、1964年10月7日 - )は… 藤本 茂喜(ふじもと しげき、1964年10月7日 - )は、高知県出身の元プロ野球選手(内野手)。
浜田 一志(はまだ かずし、1964年9月11日 - )は、… 浜田 一志(はまだ かずし、1964年9月11日 - )は、高知県高知市出身の元アマチュア野球選手(外野手)、野球指導者。学習塾「Ai西武学院」塾長。 小学4年生の頃から野球を始める。土佐高校での夏の大会後、その時点では偏差値38ながら独自の勉強法で東京大学理科二類に現役合格。硬式野球部に所属し、東京六大学野球リーグでは1985年の春季にシーズン本塁打、1試合最多本塁打記録をマークし、翌年には主将を務めた。 その後は、東京大学大学院工学系研究科に進学し、大学院修了後は新日本製鉄で勤務した。1994年より文武両道を目指す学習塾「Ai西武学院」を経営する。 2008年に東大野球部のスカウティング事務局を立ち上げ、2013年から2019年までには母校の東京大学の監督を務め、宮台康平らを育てた。
横田 真之(よこた まさし、1962年11月26日 - )は… 横田 真之(よこた まさし、1962年11月26日 - )は、高知県南国市出身の元プロ野球選手(外野手)。 現役からの引退後は、鹿児島商業高校硬式野球部のコーチを経て、2019年12月から2023年3月まで監督を務めた。 長男の横田慎太郎も元プロ野球選手(外野手)。 本来は右利きだが、王貞治のファンだった実父の影響で、幼少期に王と同じく左打ちに転向した。南国市立香長中学校への進学後は、校内の軟式野球部に所属。3年時には「3番・三塁手」として高知県大会の決勝まで進んだが、中西清起を擁する宿毛市立小筑紫中学校に敗れた。その一方で、南国市の相撲大会で優勝している。 高知県内で創立されたばかりの明徳高等学校(現:明徳義塾高等学校)から入学を熱心に誘われていたため、中学校からの卒業を機に同校へ進学するとともに、硬式野球部へ所属。
中西 清起(なかにし きよおき、1962年4月26日 - )… 中西 清起(なかにし きよおき、1962年4月26日 - )は、高知県宿毛市出身の元プロ野球選手(投手)、野球指導者、野球解説者。右投右打。現役時の背番号は19。
森 浩二(もり こうじ、1962年1月1日 - )は、高知県… 森 浩二(もり こうじ、1962年1月1日 - )は、高知県中村市(現:四万十市)出身の元プロ野球選手(投手)。
森岡 浩(もりおか ひろし、1961年4月10日 - )は、… 森岡 浩(もりおか ひろし、1961年4月10日 - )は、日本の姓氏・野球史研究家。日本文藝家協会所属。 高知県高知市生まれ。土佐中学校・高等学校を経て、早稲田大学政治経済学部卒業。中学生の頃、近隣に同じ名前を持つ住人が集まる地域があり、電話帳で調べたことが名字に興味を持つきっかけとなる。大学在学中から日本人の名字に関して独学で研究を始める。また、高校野球に重心を置いた野球史の研究も行う。 名字関連の書籍や名字辞典には記載されているものの、実在しない名字の総称として幽霊名字を提唱している。
国沢 道雄(くにざわ みちお、1960年7月26日 - )は… 国沢 道雄(くにざわ みちお、1960年7月26日 - )は、高知県土佐市出身の元プロ野球選手(投手)。 伊野商業高では1年秋の県大会準決勝で中村高の山沖之彦と投げあって敗戦、1978年のプロ野球ドラフト会議で日本ハムファイターズから4位指名を受け入団。 しかし、制球難から一軍登板のないまま1982年限りで現役を引退した。 引退後は、日本ハムの打撃投手を2年間務めた後、高知県に戻り伊野町の町議員となった。
山沖 之彦(やまおき ゆきひこ、1959年7月26日 - )… 山沖 之彦(やまおき ゆきひこ、1959年7月26日 - )は、高知県幡多郡黒潮町出身の元プロ野球選手(投手)・野球指導者、野球解説者。 中学校ではバスケットボール部に所属。すぐにレギュラーとなったが「練習がきつくて」2年生時に野球部に移るも、活躍はできなかった。野球を続ける気はなかったが、進学先の中村高校で熱心に勧誘され、入部するとたちまち頭角を現す。1977年の春の選抜にエースとして出場(チームメンバー12名で「二十四の瞳」と称された)。1回戦第1試合で戸畑高を完封し波に乗る。準々決勝では天理高の福家雅明に投げ勝った。決勝まで勝ち進み、石井雅博や上川誠二のいた箕島高と対戦。左腕エース東裕司(三菱自動車水島)と投げ合うが0-3で完封を喫し、準優勝にとどまった。
松下 建夫(まつした たてお、1958年2月3日 - )は、… 松下 建夫(まつした たてお、1958年2月3日 - )は、高知県出身の元プロ野球選手(内野手)。 長男は、2010年から2015年まで埼玉西武ライオンズの投手だった松下建太。 宿毛高から、1975年オフにドラフト外で広島東洋カープに入団。 一軍公式戦出場のないまま、1978年限りで現役を引退した。
杉村 繁(すぎむら しげる、1957年7月31日 - )は、… 杉村 繁(すぎむら しげる、1957年7月31日 - )は、元プロ野球選手(内野手)、プロ野球コーチ。高校時代のポジションは三塁手、プロ入り後はそのほかに二塁手、遊撃手もこなした。 2014年シーズンより東京ヤクルトスワローズ一軍打撃コーチを務める。
美口 博(びぐち ひろし、1957年5月29日 - )は元プ… 美口 博(びぐち ひろし、1957年5月29日 - )は元プロ野球選手(投手)。右投右打。高知県中村市具同町出身。登録名を美口 靖夫( - やすお)としていた時期もあった。 高知・中村高校では、1975年夏の甲子園予選南四国大会準決勝に進む。鳴門高の住友一哉らと投げ合うが、試合中に中指を怪我し大差で完封負け、甲子園には出場できなかった。1975年のドラフトで田尾安志(外野手、同志社大)に次ぐ2位指名を受け中日ドラゴンズに入団。しかし怪我等に泣かされ、5年間一軍出場のないまま1980年末に戦力外通告を受け、事実上現役を引退。 その後は中日新聞社に入社し、中日スポーツの紙面レイアウトを担当。同紙の紙面隅部分に、時折「レイアウト:美口博」の署名がある。
鹿取 義隆(かとり よしたか、1957年3月10日 - )は… 鹿取 義隆(かとり よしたか、1957年3月10日 - )は、高知県香美市出身の元プロ野球選手(投手)、野球指導者。
北尾 一喜(きたお かずき、1952年2月10日 - )は、… 北尾 一喜(きたお かずき、1952年2月10日 - )は、高知県幡多郡西土佐村出身の元プロ野球選手。ポジションは内野手。 高知県立中村高等学校では遊撃手で主将。1969年夏南四国大会まで進んだが、初戦で国岡恵治(阪急)がエースの鴨島商に敗れて甲子園には出場できなかった。 1969年のドラフトで南海ホークスから9位で指名され入団。 一軍公式戦に出場することはなく引退した。
井本 隆(いもと たかし、1950年11月21日 - 201… 井本 隆(いもと たかし、1950年11月21日 - 2015年1月21日)は、高知県出身のプロ野球選手(投手)。 高知県高岡郡宇佐町(現・土佐市宇佐町)に生れる。伊野商業高では、1967年秋季四国大会県予選準決勝に進出、土佐高の萩野友康と投げ合うが1-2で惜敗。1968年夏の甲子園県予選でも準々決勝で高知工業高に延長10回敗退。高校の同期生に巨人や日本ハムでプレーした控え投手の谷山高明がいる。高校卒業後は、社会人野球の鐘淵化学に進み、速球投手として頭角を現す。1971年の都市対抗野球に出場し、1回戦では先発を任され好投、電電東北を降す。 1972年の都市対抗野球にも連続出場、同年の産業対抗では準優勝に貢献し敢闘賞を獲得した。
谷山 高明(たにやま たかあき、1950年10月8日 - )… 谷山 高明(たにやま たかあき、1950年10月8日 - )は、高知県出身の元プロ野球選手(投手)。 伊野商業高時代は、同期に同じく投手の井本隆がいる。 高校卒業後、社会人野球の愛媛相互銀行では第42回都市対抗野球大会に補強選手として出場、1971年のプロ野球ドラフト会議で読売ジャイアンツから2位指名を受け入団。 1972年11月20日には、イースタンの教育リーグ最終戦のロッテ戦(巨人軍多摩川グラウンド)に2番手で登板し5回3分の1を4安打に抑える好投。「ウチには珍しいシュートで勝負する投手に成長するはず。もう少しコントロールさえつけば、来年は一軍でも十分通用する」と二軍監督の中尾碩志も太鼓判を押すほどだった。
萩野 友康(はぎの ともやす、1950年7月15日 - )は… 萩野 友康(はぎの ともやす、1950年7月15日 - )は、高知県出身の元社会人野球の野球選手(投手)、野球指導者。 土佐高では、1967年の2年生時に夏の甲子園に出場。準々決勝に進出するが中京高の川口勉に抑えられ敗退。秋は県大会準決勝で伊野商の井本隆に投げ勝つが決勝で高知商に敗れて準優勝。四国大会は初戦で徳島商の松村憲章と投げ合うも敗れた。翌1968年夏は、高知県大会決勝に進出するが、高知高に0-1で延長10回サヨナラ負け、甲子園出場を逸する。 高校卒業後の1969年、慶應義塾大学に進学し野球部に入部。東京六大学野球リーグでは1971年秋季リーグから3季連続優勝。同期の長谷部優との二本柱で活躍する。
竹村 一義(たけむら かずよし、1949年12月19日 - … 竹村 一義(たけむら かずよし、1949年12月19日 - )は、高知県安芸郡安田町出身の元プロ野球選手(投手)。 安芸高校ではエースとして活躍。1967年春季四国大会県予選で決勝に進出し、土佐高の萩野友康と投げ合うが惜敗。夏の甲子園県予選では準々決勝で高知工に敗退、甲子園には出場できなかった。 同年11月、ドラフト7位で大洋ホエールズに指名され、卒業後に入団。しかし在籍5年半で僅か2勝しかできず、1973年のシーズン途中に山口富士雄との交換トレードで阪急ブレーブスへ移籍した。この年は8勝を挙げて、パ・リーグのプレーオフ(対南海ホークス)にも出場し活躍している。 1974年には開幕投手を務め9勝3敗、勝率.750という好成績を残して、最優秀勝率投手のタイトルも獲得。
弘田 澄男(ひろた すみお、1949年5月13日 - )は、… 弘田 澄男(ひろた すみお、1949年5月13日 - )は、高知県宿毛市出身の元プロ野球選手(外野手)、監督、野球解説者、評論家。
山下 司(やました つかさ、1948年7月8日 - )は、高… 山下 司(やました つかさ、1948年7月8日 - )は、高知県出身の元プロ野球選手(内野手)。 伊野商業高校では1965年秋季四国大会県予選準決勝に進むが、土佐高の上岡誠二らに抑えられ敗退。翌1966年夏の甲子園県予選でも準々決勝に進出するが、弘田澄男のいた高知高に完封負け、甲子園出場はならなかった。 1966年第1次ドラフト会議で読売ジャイアンツから1位指名を受け入団。中央球界では無名だが、フットワークがよく四国球界では随一といわれる遊撃手だった。1967年から2年連続ジュニアオールスターにも出場。 しかし、プロ入り後は特に打撃面で伸び悩んだ。ファームではそこそこ安打を打ち盗塁王も獲得したが、一軍では守備固めと代走要員としてたまに出場するに留まった。
上岡 誠二(かみおか せいじ、1948年 - )は、高知県出… 上岡 誠二(かみおか せいじ、1948年 - )は、高知県出身の元アマチュア野球選手(投手)。 土佐高では、1965年に1年下の広田義典と投の二本柱を組み、秋季四国大会に進む。決勝で高知高を降し、翌1966年春の選抜への出場を決めた。大会では先発を任され、準々決勝で平安高の門野利治と投げ合い1-0で完封勝ち。準決勝でも育英高を降し決勝に進出。中京商の加藤英夫との投手戦となるが3回の1失点を挽回できず、0-1で敗退し準優勝にとどまる。同年夏は南四国大会決勝に進むが、鳴門高の森進(三井造船)、板東順司の継投に抑えられ惜敗、甲子園出場を逸する。 慶應義塾大学に進学。東京六大学野球リーグでは1967年春季リーグに優勝を経験するが、その後は優勝に届かなかった。
江本 孟紀(えもと たけのり、1947年7月22日 - )は… 江本 孟紀(えもと たけのり、1947年7月22日 - )は、高知県香美郡土佐山田町(現:香美市)生まれ、高知県高知市出身の元プロ野球選手(投手)、元参議院議員。東京都在住。