井上 佐由紀(いのうえ さゆき、1974年 - )は福岡県柳… 井上 佐由紀(いのうえ さゆき、1974年 - )は福岡県柳川市出身の写真家。
福岡県:15人
井上 佐由紀(いのうえ さゆき、1974年 - )は福岡県柳… 井上 佐由紀(いのうえ さゆき、1974年 - )は福岡県柳川市出身の写真家。
川保 天骨(かわほ てんこつ、1970年 - )は、雑誌・書… 川保 天骨(かわほ てんこつ、1970年 - )は、雑誌・書籍編集者、著作家、写真家、空手家、音楽・映像プロデューサー。株式会社オルタナエンターテイメント元代表取締役。福岡県立小倉東高等学校、大東文化大学卒業。 編集プロダクション・ラッシュの編集兼カメラマンを経て1999年独立。雑誌編集、音楽、映像コンテンツの制作会社、株式会社ギョクモンエンターテイメントを2001年に設立。株式会社オルタナエンターテイメントに改称後、オルタナパブリッシング、ドラゴンフィルムなどのメディア事業を展開。 飲食店経営などを経て2019年7月に株式会社オルタナエンターテイメントを解散。2019年8月より一般財団法人国際真武士道財団の理事に就任。
進藤 祐光(しんどう ゆうこう、1969年 - )は、日本の… 進藤 祐光(しんどう ゆうこう、1969年 - )は、日本の写真家。福岡市出身。 公益社団法人日本広告写真家協会(APA)福岡県美術協会会員。 東福岡高等学校。九州産業大学芸術学部写真学科。渡豪、渡米。 電通 映像制作部撮影課を経て、進藤祐光写真事務所を設立。 現在福岡市中央区唐人町にて家業である「フォト・スタジオYasuko」4代目を継承。 地域密着の営業写真を基盤とし様々な写真を発表している。 また人物や商品、被写体の種別・大小を問わず、起こりうる限りのあらゆる広告撮影に精通するため、 大手クライアントやアートディレクターからの信頼が厚い。 加えて時代に左右されない撮影センスによって、電通に在籍した2000年代から現在に至るまで常に日本の広告写真の第一線で活動。
岡嶋 和幸(おかじま かずゆき、1967年1月1日 - )は… 岡嶋 和幸(おかじま かずゆき、1967年1月1日 - )は、日本の写真家。福岡県福岡市生まれ。 福岡市立福岡西陵高等学校、東京写真専門学校(現・専門学校東京ビジュアルアーツ)卒業。リュウスタジオ、写真家の森健児、沼田早苗の助手などを経てフリーランスとなる。広告や雑誌などの写真撮影を担当するかたわら、世界を旅して詩情豊かな作品を発表。執筆、セミナー講師、フォトコンテスト審査員と活動の範囲は多岐にわたる。
寺岸 宏一(てらぎし こういち、1966年7月26日 - )… 寺岸 宏一(てらぎし こういち、1966年7月26日 - )は、日本の写真家。北九州市小倉出身。株式会社 寺岸堂 代表取締役。 Teragishi photo Studioを拠点に総合写真サービスを展開。 ◆写真撮影スタジオ部門:自社写真スタジオ運営、ポートレートから、美術品、絵画等、出張撮影に印刷物等のプロデュース ◆コマーシャル部門:専門エンジニアと提携。Webサイト、デザイン、印刷物、アート関連サービスを展開 ◆音楽事業部:各専門エンジニアと連携、ミュージシャンのサポート、ライブプロデュース、録音、CD製作、ライブ運営等 ◆音響部門:専門家と提携しオリジナル音響機器の制作、販売、メンテナンス等。
梶山正(かじやまただし、1959年 - )は、日本の写真家で… 梶山正(かじやまただし、1959年 - )は、日本の写真家である。長崎県出身。福岡県宗像市育ち。福岡県立宗像高等学校卒業。 少年時代は虫が大好きで、暗記するほど昆虫図鑑ばかりを眺めていたり、昆虫の標本をたくさん作っていた。 高校在学中に山岳部に所属していた。 18歳の時、実家がある福岡からバイクを走らせて、大学に通い始めた友人の新生活を見に京都を訪ねる。友人は山岳部に入っており、梶山も山岳部室に通っては、部員たちと一緒に登山のトレーニングに励んだ。周りにインド旅行から帰ってきたばかりの先輩がいて、彼からインドの魅力を毎日のように聞かされる。福岡の大学に戻ることが無意味に思え、大学を辞める。 その後大阪で正社員として就職。
中野 正貴(なかの まさたか、1955年8月2日 - )は、… 中野 正貴(なかの まさたか、1955年8月2日 - )は、日本の写真家。人の姿が全く無い東京の風景を撮影した「TOKYO NOBODY」をはじめ、都市を独自の視点で捉えた作風で知られている。
栗原 隆司(くりはら たかし、1952年 - )は、フリーの… 栗原 隆司(くりはら たかし、1952年 - )は、フリーの鉄道写真家。福岡県太宰府市出身。福岡県立筑紫丘高等学校を経て、1年浪人の後、東京写真大学短期大学部写真応用科卒。 高等学校在学時代に筑豊の各地の専用線、貝島炭鉱専用線、筑豊本線、室木線、香月線、宮田線、その他北九州地区の蒸気機関車列車の撮影を開始、そのまま、鉄道写真に生涯を捧げ、鉄道写真家として著名なフォトグラファーとなる。「九州・花の旅」(海鳥社、2004年刊)等の花の写真をも手がける。主として日本国内の鉄道写真、特にJR九州の写真が主。現在は太宰府市在住。
谷口 雅(たにぐち みやび、1949年 - )は、写真家、写… 谷口 雅(たにぐち みやび、1949年 - )は、写真家、写真評論家。2002年より2012年まで東京綜合写真専門学校校長。 1949年愛知県生まれ。福岡県立福岡高等学校を経て、東京綜合写真専門学校卒業。 「写真批評」編集部に勤務。その後、東京綜合写真専門学校講師となる。 写真家による自主ギャラリー「プリズム」(東京・新宿)設立にかかわる(このギャラリーは東京綜合写真専門学校や東京造形大学の在校生や卒業生が中心となって1976年3月に設立された。その後、このプリズムは閉廊している)。 1985年のつくば写真美術館'85の企画にも参加した。 個展、グループ展や展覧会の企画も行う。 なお、福岡在住で布を使った作品を制作する谷口雅()は別人。
石川 賢治(いしかわ けんじ、1945年1月2日 - )は、… 石川 賢治(いしかわ けんじ、1945年1月2日 - )は、福岡県出身の写真家。月光写真家。月明かりのみを用いて撮影する「月光写真」を撮り続けている。 1945年福岡県に生まれる。 1967年日本大学芸術学部写真学科を卒業。同年、ライトパブリシティ写真部入社。 1976年フリーの写真家としてコマーシャルフィルム及びスチルを数多く手掛ける。 1984年から1985年まで日本とサイパンにおいて月光写真の露出テストを繰り返す。 1986年サイパンで本格的に月光写真の撮影を開始、『月光浴』を発表。 以後、月光写真家として世界各地を巡り作品を撮り続け、写真集を多数発表。写真集と個展による発表を中心に活動を続けている。
有田 泰而(ありた たいじ、1941年1月31日 - 201… 有田 泰而(ありた たいじ、1941年1月31日 - 2011年7月17日)は、日本の商業写真家。非商業的なヌード作品なども発表し、写真以外の芸術作品も制作した。 有田泰而は、1941年1月31日に、当時の福岡県小倉市(現在の北九州市小倉北区)に生まれた。中央大学法学部に進学したものの、程なくして写真家を志し、東京綜合写真専門学校の学生となって石元泰博の下で学んだ。 有田は、1964年から1991年まで、もっぱら写真家として活動した。1964年から1966年には、日本デザインセンター写真部に所属し、その後、1977年まではフリーランスの写真家として数多くの出版社や広告企業に作品を提供した。1975年に、自分の家族(最初の妻とその息子)を撮影した「First Born」の作品群を発表した。
上杉 満生(うえすぎ みつお、1939年11月13日 - 2… 上杉 満生(うえすぎ みつお、1939年11月13日 - 2009年12月25日)は、日本の写真家。琵琶湖などの風景写真を得意とした。 第1回前田真三賞(旧風景写真新人杯)受賞者。日本風景写真協会(略称JNP)創立に参画。日本風景写真協会の創設に尽力し、同協会初代会長として卓越したリーダーシップを発揮して1400名を超える組織を育て、まとめて来られたことは多くの風景写真愛好家の知るところである。 前田真三賞: 風景写真では国内最高峰の写真コンテストで二年がかりで審査される。一年目の予選は10枚二年目の本選は30枚の組写真を提出する必要があり、全て一貫性のあるテーマによって組まれていなければならず大変高いレベルが要求される。
榊 晃弘(さかき てるひろ、1935年 - )は、日本の写真… 榊 晃弘(さかき てるひろ、1935年 - )は、日本の写真家。福岡県福岡市出身。
奈良原 一高(ならはら いっこう、1931年11月3日 - … 奈良原 一高(ならはら いっこう、1931年11月3日 - 2020年1月19日)は、日本の写真家。 大牟田に生まれる。本姓は楢原。判事であった父親の転勤にともない日本各地を転々とし3歳から6歳までを長崎で過ごす。1950年、島根県立松江高校(現・島根県立松江北高等学校)卒業。1954年、中央大学法学部を卒業し、早稲田大学大学院芸術専攻(美術史)修士課程に入学。 前衛美術に傾倒し、1955年には、池田満寿夫、靉嘔らが結成したグループ「実在者」に参加。桜島の黒神村、長崎の端島(軍艦島)における人々の生活から鮮烈な印象を受け、両島の取材を開始。その成果を問うべく1956年5月に開催した初個展「人間の土地」が大きな反響を呼び、写真家としての道を進めた。
片山 摂三(かたやませつぞう、1914年3月22日 - 20… 片山 摂三(かたやませつぞう、1914年3月22日 - 2005年3月23日)は、日本の写真家である。 1914年(大正3年)3月22日にシベリア(ロシア)・ブラゴヴェシチェンスクで生まれ、福岡県久留米市で育つ。1932年(昭和7年)県立中学明善校卒業、西南学院専門学校を卒業した。家業は福岡市中央区の営業写真館。1929年(昭和4年)、シベリアで父が死去。1932年(昭和7年)、疋田晴久に写真の技術を学び、1935年(昭和10年)、21歳で営業写真を撮影し始める。戦時中、日本写真サロンや日本写真美術展、国際写真サロンなどで入選を続ける。日本写真家協会に加入。専門分野は肖像写真で、1960年(昭和35年)頃から河北倫明の紹介によって、志賀直哉、梅原龍三郎、武者小路実篤、白洲正子、片岡球子、鈴木大拙といった昭和時代の日本を代表する人々の姿を撮影した。