永石 小雪 (ながいし こゆき、2003年11月19日 - … 永石 小雪 (ながいし こゆき、2003年11月19日 - ) は、日本の女子陸上競技選手。専門は短距離走。佐賀県唐津市出身。唐津市立長松小学校、唐津市立第一中学校、佐賀県立佐賀北高等学校、立命館大学スポーツ健康科学部卒業。立命館大学大学院在籍。2021年の全国高校総合体育大会女子100mの優勝者である。 小学校まで(〜2015) 保育園に通っていた頃は足が速い方ではなく、速くなりたいと思っていたことと、母・智子さんに勧められ3歳からクラシックバレエの習い事をしており、その体力や体幹を鍛えるために陸上競技を始めた。当時は、クラシックバレエの先生になることも夢見ていたが、走ることが徐々に好きになり、迷った末に中学進学以降は陸上競技一本に決めたという。
牧瀬 圭斗(まきせ けいと、1999年12月29日 - )は… 牧瀬 圭斗(まきせ けいと、1999年12月29日 - )は、日本の陸上競技選手。佐賀県伊万里市出身。専門は長距離。佐賀県立白石高等学校、順天堂大学出身。 中学時代まではバスケットボールをしており、白石高校に入ってから陸上を始めた。高校時代は同校OBである松瀬元太の指導を受けるが全国高校駅伝への出場は叶わなかった。大学は順天堂大学に進学するも「力の劣る世代」と言われ続け、箱根駅伝への出場を果たしたのも主将となった4年時が最初で最後だったが、山下りの6区で区間賞を獲得しチームの準優勝に貢献した。 卒業後は実業団のトヨタ自動車九州に進んだ。第1回奥球磨駅伝2区、2022年九州実業団毎日駅伝3区では区間賞を獲得している。
古賀 淳紫(こが きよし、1996年4月30日- )は日本の… 古賀 淳紫(こが きよし、1996年4月30日- )は日本の陸上競技選手。専門は長距離走。佐賀県立鳥栖工業高等学校卒業。安川電機所属。 福岡県出身。趣味は野球観戦、音楽・映画鑑賞。佐賀県立鳥栖工業高等学校卒業後、大学を経ずに安川電機に入社する。実業団駅伝では、入社1年目からチームの主力選手として活躍。2019年元日のニューイヤー駅伝では、7区で区間賞を獲得している。また、都道府県対抗男子駅伝には、佐賀県代表のふるさと選手として出場を続けており、2020年大会では3区終盤を先頭で独走し、チームの8年ぶり入賞に貢献した。個人種目では、2020年の全日本実業団ハーフマラソンにて、1時間00分49秒という日本歴代7位(当時)の好タイムで日本人トップの2位でゴールし、第24回世界ハーフマラソン選手権大会日本代表に内定した。
坂本 佳太(さかもと けいた、1995年8月16日 - )は… 坂本 佳太(さかもと けいた、1995年8月16日 - )は、佐賀県佐賀市出身の陸上競技選手。専門は長距離種目。上武大学ビジネス情報学部卒業。実業団では小森コーポレーション、ひらまつ病院を経て現在は愛知製鋼陸上競技部に所属。 佐賀市立大和中学校、佐賀県立鳥栖工業高等学校を経て上武大学に進む。鳥栖工業高では全国高校駅伝や都道府県対抗駅伝に佐賀県代表として出場、上武大駅伝部では入学時の監督であった花田勝彦及び3年次より監督に就任した近藤重勝の指導を受け、1年次から全日本大学駅伝や箱根駅伝のメンバーに起用される。1年次の第91回箱根駅伝では3区を走り区間16位、2年次の第92回箱根駅伝では10区を走り区間20位、3年次・4年次はともに1区を走り3年次は区間10位、4年次は区間8位の成績を残す。
紫村 仁美(しむら ひとみ、1990年11月8日 - )は、… 紫村 仁美(しむら ひとみ、1990年11月8日 - )は、日本の陸上競技選手。専門は短距離走(100mハードル)。リタジャパンアスリートクラブ(RITA JAPAN AC)所属。 佐賀県鳥栖市出身。筑紫女学園高等学校、早稲田大学スポーツ科学部卒。 早稲田大学在学中はインカレで2度優勝。2013年4月同学卒業後、佐賀県立三養基高等学校の保健体育教員となり、同年6月に開催された第97回日本陸上競技選手権大会100mハードルにおいて、日本歴代2位タイ・大会新となる13秒02で優勝。モスクワで開催された世界陸上にも出場した。 2015年8月から東邦銀行陸上競技部に所属し、2017年ロンドン世界陸上や2018年アジア大会の日本代表に選出されたが、目標としていた東京オリンピック出場は叶わず、2021年11月末、大学の先輩で棒高跳び選手の笹瀬弘樹との結婚を機に退部した。
廣瀬 英行(ひろせ ひでゆき、1989年7月20日 - )は… 廣瀬 英行(ひろせ ひでゆき、1989年7月20日 - )は、佐賀県出身の陸上競技選手。専門は短距離走の400m。自己ベストは45秒84。2009年ベルリン世界選手権、2011年大邱世界選手権、2013年モスクワ世界選手権と、3大会連続で世界選手権に出場した実績を持つ。 佐賀県出身。佐賀県立佐賀北高等学校、慶應義塾大学環境情報学部卒業。富士通所属。 小学校時代は水泳とソフトボールを経験し、陸上は中学の時に兄から誘われて始める。400mを始めたのは高校1年の時で、それまでは100mや200m、ハードルや走幅跳などをやっていた。高校2年の時に47秒95をマークしてその年のユースランキング1位になり、翌年のインターハイでは優勝候補にもなったが決勝に進めず、高校時代は全国タイトルを獲得できなかった。
陣内 綾子(じんのうち あやこ、1987年1月21日 - )… 陣内 綾子(じんのうち あやこ、1987年1月21日 - )は、日本の陸上競技選手。2007年世界陸上選手権日本代表。専門は800m、1500mで、800では2007年世界陸上出場、1500では2012年から日本選手権3連覇を果たした。メモリード陸上部所属。 佐賀県佐賀市出身。800m走は中学校時代から得意としていて、2001年(3年生の時)、全日本中学校陸上競技選手権大会で優勝。 翌2002年に佐賀県立佐賀西高等学校に進学すると、その年のよさこい高知国体少年女子Bカテゴリーで優勝した。2004年(3年生の時)、中国04総体の陸上競技で同種目を制し、注目を集めるようになった。 県外の大学からも誘いがあった が、環境の変化を避けるため、2005年、あえて地元の佐賀大学文化教育学部に進学した。
田上 貴之(たがみ たかゆき、1984年5月29日 - )は… 田上 貴之(たがみ たかゆき、1984年5月29日 - )は、日本の元陸上競技選手。佐賀県武雄市出身。専門は長距離。佐賀県立白石高等学校、城西大学出身。 高校時代は高井和治、松瀬元太らと同級生で、3年時の全国高校駅伝では最終7区で区間賞の走りを見せ佐賀県勢最高の成績となる準優勝に貢献した。大学は平塚潤を監督に迎え創部3年目となる城西大学に進学。同大のエースとして箱根駅伝、全日本大学駅伝の初出場時は共にメンバー入りした。なお箱根駅伝には1年時から4年連続で出場している。2005年にはユニバーシアード大会の代表選考会である日本学生ハーフマラソンで優勝。出場したユニバーシアード・イズミル大会のハーフマラソンで銀メダルを獲得した。
高井 和治(たかい かずはる、1984年5月10日 - )は… 高井 和治(たかい かずはる、1984年5月10日 - )は、日本の陸上競技選手。専門は長距離走。佐賀県鹿島市出身。佐賀県立白石高等学校、駒澤大学卒業。現役時代は九電工に所属していた。 同級生には箱根駅伝10区区間記録保持者の松瀬元太(順天堂大学卒)、2005年ユニバーシアードハーフマラソン銀メダルの田上貴之(城西大学卒)がいる。また在学時期は重なっていないが、九電工のチームメイト前田和浩は3学年上の先輩である。 2002年のインターハイ1500mで5位入賞。同年の第53回全国高校駅伝では4区に出走し、13年ぶりに区間記録を塗り替える力走(記録:22分53秒)。3区を担当した松瀬、7区で区間賞を獲得した田上らとともに白石高校史上最高成績である準優勝に貢献した。
吉冨 博子(よしとみ ひろこ、1983年12月26日 - )… 吉冨 博子(よしとみ ひろこ、1983年12月26日 - )は日本の女子陸上競技(長距離走・マラソン)選手。佐賀県佐賀市出身。メモリード所属。 兄の影響で鹿島実業高校で陸上を始め、卒業後の2002年から実業団のサニックス陸上部に所属。駅伝を中心に競技を行っていたが故障のため2年で退部。その後2006年に監督の重松森雄の呼びかけで復帰したが、半年後の2007年に陸上部が廃部。重松の紹介で結婚・出産により一旦競技を引退後、市民ランナーとしてマラソン復帰を目指していた小鴨由水(重松が監督を務めていた岩田屋陸上部に所属していた)の練習パートナーとしてトレーニングを重ね、さらに小鴨と重松が立ち上げた福岡県のクラブチーム「ファーストドリームAC」の佐賀チームを作り練習を継続した。
藤山 哲隆(ふじやま のりたか、1983年11月25日 - … 藤山 哲隆(ふじやま のりたか、1983年11月25日 - )は、日本の元陸上競技選手。佐賀県出身。専門は長距離。佐賀県立白石高等学校、駒澤大学出身。 佐賀県陸上界の名門である白石高校から駒澤大学へ進む。箱根駅伝では優勝した81回大会の6区に出走し区間5位。翌82回大会は1区で区間2位。卒業後は実業団のコマツ電子金属(後、SUMCO TECHXIV)に進み、ニューイヤー駅伝や朝日駅伝などに出場したが陸上部が廃部となり、住友電工に移籍した。住友電工時代の主な実績に、第68回びわ湖毎日マラソンで日本人選手8位入賞。大阪ハーフマラソン2位など。2015年から同部で長距離コーチを務めている。 弟に自身と同じく白石高校-駒澤大学と進んだ陸上競技選手の藤山修一が居る。
前田 和浩(まえだ かずひろ、1981年4月19日 - )は… 前田 和浩(まえだ かずひろ、1981年4月19日 - )は、日本の陸上競技元選手、現指導者。専門は長距離走・マラソン。 2006年ドーハアジア競技大会男子5000m・4位、世界陸上大阪大会男子10000mおよび世界陸上ベルリン大会・世界陸上モスクワ大会・世界陸上北京大会各男子マラソン日本代表など。身長166cm、体重54kg。 佐賀県杵島郡白石町出身。白石町立白石中学校を経て佐賀県立白石高等学校卒業後は大学へ進学せず、地元九州の実業団チーム・九電工(福岡県福岡市)に就職し、同社陸上競技部に所属。 高校時代から各種大会に出場経験を持っている選手で、九州では名の知られた選手であった。トラック種目を中心に競技活動を続け、2000年10月に世界ジュニア陸上競技選手権大会へ日本代表選手として出場した経歴を持っている。
飛松誠(とびまつ まこと、1980年8月18日 - )は、佐… 飛松誠(とびまつ まこと、1980年8月18日 - )は、佐賀県鳥栖市出身の男子陸上競技選手(長距離種目)。身長165cm、体重58kg。 背中を丸め、肩をいからせたように走るフォームが特徴の陸上競技(長距離)選手。その力強く独特な走りから、ベストタイムや実績にも勝る人気を得ている。 故郷の鳥栖市神辺町は相撲が盛んな地域でもあり、小学生時代にわんぱく相撲全国大会への出場経験がある。また鳥栖市立田代中学校時代も、陸上部所属でありながら全国中学相撲選手権大会団体戦の出場経験を持つ。 鳥栖工業高等学校に進学後、国体3000m障害で2位に入賞するなど頭角を現す。 帝京大学に進学後、箱根駅伝にも4年間出場し、1年時の第76回箱根駅伝では5区山上りで区間6位(1時間13分37秒)とまずまずの走りを見せてチームも往路3位、総合4位となった。
福光 久代(ふくみつ ひさよ、本名:森田 久代、1960年2… 福光 久代(ふくみつ ひさよ、本名:森田 久代、1960年2月19日- )は、日本の元陸上競技選手。女子走高跳の元日本記録保持者である。佐賀県東脊振村(現・吉野ヶ里町)出身。1984年ロサンゼルスオリンピック女子走高跳日本代表。 佐賀県立鳥栖高等学校1年生の時に国民体育大会で1学年上の八木たまみを初めて目にし、「雲の上の人」という印象を抱く。高校在学時代の八木には一度も勝てなかったが、目標として練習に励んだ。八木が高校を卒業した後の1977年の全国高等学校総合体育大会に1メートル (m)78センチ (cm)の記録で初優勝。 高校卒業後、静岡県の大昭和製紙に入社。1979年のアジア陸上選手権(東京)では銅メダル。
川本 和久(かわもと かずひさ、1957年12月5日 - 2… 川本 和久(かわもと かずひさ、1957年12月5日 - 2022年5月11日)は、日本の陸上競技指導者。福島大学人文社会学群人間発達文化学類教授。福島大学陸上競技部監督。東邦銀行陸上競技部監督。日本陸上競技連盟女子短距離部長。 これまで教え子たちが樹立した日本記録は、リレーなども含めて51回。日本選手権は65勝。オリンピック・世界選手権などの日本代表は26名。日本インカレでは2連勝。雉子波秀子(現二瓶)、池田久美子(現井村)、丹野麻美(現千葉)、吉田真希子、久保倉里美が日本記録を更新している。 1957年佐賀県伊万里市生まれ。1970年伊万里市立山代西小学校卒業。1973年伊万里市立山代中学校卒業。
武冨 豊(たけとみ ゆたか、1954年2月16日 - )は佐… 武冨 豊(たけとみ ゆたか、1954年2月16日 - )は佐賀県出身の元陸上競技選手、現指導者。 佐賀県立多久工業高等学校時代に全国高等学校総合体育大会陸上競技大会(インターハイ)5000mに出場。予選会となる北九州総体で4位に入賞して全国大会出場を決めたが、そのときの優勝は喜多秀喜、2位は宗茂、3位は宗猛と上位入賞者は全て後のオリンピック代表(ただし喜多は幻の1980年モスクワオリンピックのみの代表)だった。 1972年に神戸製鋼所に入社。喜多秀喜らとともに陸上部の中心選手となる。 1978年にボストンマラソンで9位入賞、1979年に別府大分毎日マラソンで1位と0.3秒差の2位。翌1980年に同マラソンで優勝。
喜多 秀喜(きた ひでき、1952年9月28日 - )は、佐… 喜多 秀喜(きた ひでき、1952年9月28日 - )は、佐賀県鹿島市出身の元陸上競技選手、流通経済大学社会学部教授、陸上競技部監督。 佐賀県立鹿島実業高等学校を卒業後、福岡大学に進学。福岡大学卒業後、神戸製鋼所に入社。武冨豊らと陸上部を引っ張った。 1978年12月の福岡国際マラソンでは優勝した瀬古利彦に次ぐ2位、1979年2月の別府大分毎日マラソンで優勝。日本が不参加となった1980年モスクワオリンピックには、マラソンの選考レースだった福岡国際マラソンは惨敗したものの、5000、10000メートルの代表に選ばれている。1981年には海外の強豪を抑え第1回東京国際マラソンで優勝を果たした。その後北京国際マラソン、青梅マラソンを制した。
佐々木 精一郎(ささき せいいちろう、1945年9月2日 -… 佐々木 精一郎(ささき せいいちろう、1945年9月2日 - )は、日本の男子陸上競技(長距離走・マラソン)選手。 1960年代後半から1970年代前半の戦後日本の男子マラソン第1次黄金時代に活躍したランナーで、1968年メキシコシティーオリンピックに男子マラソン日本代表として出場した。佐賀県鳥栖市出身。 佐々木とマラソンの出会いは佐賀県の鳥栖市立田代中学校時代。「1年か2年の時(本人談)」に校内マラソン大会で10位に入り、市内の中学駅伝大会の代表選手になったことがきっかけだった。当時同校には陸上部がなく、バレー部顧問の教諭の指導を受けた。 高校は佐賀県立鳥栖工業高等学校に進学。陸上部に入り、全国高等学校総合体育大会陸上競技大会(インターハイ)、国体で上位入賞する他、2年・3年時に全国高等学校駅伝競走大会に出場。
大串 啓二(おおぐし けいじ、1934年4月3日 - 202… 大串 啓二(おおぐし けいじ、1934年4月3日 - 2020年3月17日)は、日本の元陸上競技選手、陸上競技指導者。専門は短距離、ハードル。 佐賀県杵島郡六角村東郷(現在の白石町東郷)出身。 佐賀県立佐賀農業高等学校を卒業後、佐賀県立白石高等学校の定時制に1年通学して東京教育大学へ進学。 東京教育大学時代は第10回国民体育大会(1955年、神奈川県)で男子400mハードルで優勝したのを始め、400m走とハードルの二刀流で活躍、大学時代には1956年メルボルンオリンピックに出場。そのメルボルンオリンピックでは男子400mハードルに出場、53秒22【電気計時】の日本学生記録(当時)を樹立した。 1957年の世界大学スポーツ選手権(フランス・パリ)陸上競技の男子400mハードルで銅メダル(3位)を獲得している。
内川 義高(うちかわ よしたか、1931年4月4日 - )は… 内川 義高(うちかわ よしたか、1931年4月4日 - )は、日本の元陸上競技選手、指導者。現役時代の専門は長距離走・マラソン。 1952年ヘルシンキオリンピックのマラソン競技に日本代表として出場した。 佐賀県神埼郡東背振村(現・吉野ヶ里町)出身。7人兄妹の三男だった。 卒業した佐賀県立三養基高等学校では目立った競技歴はなく、旧制中学5年の時に駅伝選手の不足を理由に走ることを強要された時には練習にいつもついていけなかったという。1955年の読売新聞記事では、その学年の12月に学校が佐賀県の駅伝大会で優勝したことで陸上競技への関心が高まり、先輩選手が二人在籍する三井山野炭鉱に入社したと記されている。
田島 政次(たじま まさじ、1929年4月5日 - )は、日… 田島 政次(たじま まさじ、1929年4月5日 - )は、日本の陸上競技選手。 1952年ヘルシンキオリンピックでは走幅跳と100m走、1956年メルボルンオリンピックでは走幅跳と400mリレーに出場した。 佐賀県佐賀郡久保田村(現在の佐賀市久保田町)生まれ。小学校時代にオリンピックの記録映画を見、オリンピック出場を志したという。佐賀県立佐賀工業学校(現在の佐賀県立佐賀工業高等学校)機械科に入学し、本格的に走幅跳を始めた。 1947年に佐賀工業学校を卒業し、いったん社会人となったのち、中央大学に入学。中央大学在学中の1950年から1953年にかけ、日本陸上競技選手権大会の走幅跳種目を4連覇した。