田川 兼三(たがわ けんぞう、1996年10月31日 - )… 田川 兼三(たがわ けんぞう、1996年10月31日 - )は、日本の柔道家。長崎県長崎市出身。階級は66kg級。身長173cm。組み手は右組み。血液型はAB型。得意技は足技。 柔道は5歳の時に橘柔道教室で始めた。小学校5年の時に全国小学生学年別柔道大会の45kg級に出場するが予選リーグで敗れた。6年の時には50kg級の決勝トーナメント1回戦で敗れた。東長崎中学3年の時に全国中学校柔道大会55kg級の初戦で神戸生田中学2年の阿部一二三に指導2で敗れた。長崎日大高校1年の時に全国高校選手権60kg級で5位となった。2年の時には66kg級に階級を上げるが、インターハイでは3回戦で敗れた。全国高校選手権では73kg級の2回戦で敗れた。
深見 利佐子(ふかみ りさこ、1994年6月27日 - )、… 深見 利佐子(ふかみ りさこ、1994年6月27日 - )、タイ名:ウォラシーハ・ガチャコーン(Warasiha Kachakorn)は、タイの女子柔道家。現役時の階級は52kg級。2021年開催東京オリンピックにタイ代表として出場。2018年アジア大会銅メダリスト。2019年東南アジア競技大会金メダリスト。タイのコーンケン県生まれ、長崎県佐世保市育ち。筑波大学卒業、同大学院修了。 父はタイ人、母は日本人。得意技は大外刈、体落。2024年現在の段位は二段。 筑波大学大学院博士後期課程で世界文化遺産学を専攻して博士号を取得した。 タイのコーンケン県で生まれて、1歳の時に母の故郷である佐世保市へ移り、6歳の時に格闘技好きの父の影響で柔道を始めた。
永瀬 貴規(ながせ たかのり、1993年10月14日 - )… 永瀬 貴規(ながせ たかのり、1993年10月14日 - )は、長崎県長崎市出身の日本の柔道家。階級は81kg級。身長182cm。組み手は右組み。段位は五段を取得。得意技は内股、足技。2021年開催の東京オリンピック柔道ならびに2024年開催のパリオリンピック柔道の男子81kg級金メダリスト(五輪同階級での史上初の連覇達成)。 柔道は6歳の時に、世界選手権の中量級で2位になった永瀬の大叔父にあたる平尾勝司が師範を務める養心会で兄とともに始めた。兄弟は他に姉がいる。小学校高学年になると修喩館にも通うようになった。長崎大学教育学部附属小学校5年の時には全国小学生学年別柔道大会の40kg級に出場するが、栃木県代表の髙藤直寿に敗れて5位だった。
池田 賢生(いけだ けんせい、1989年4月13日 - )は… 池田 賢生(いけだ けんせい、1989年4月13日 - )は長崎県出身の日本の柔道家。90kg級の選手。身長178cm。血液型はO型。組み手は右組み。得意技は背負投。 柔道は5歳の時に吉岡道場で始めた。西諫早中学2年と3年の時に全国中学校柔道大会の60kg級に出場するが、ともに3回戦で敗れた。西陵高校へ進むと、インターハイには2年の時に73kg級、3年の時には81kg級で出場するがともに初戦で敗れた。 2008年に日本大学へ進学すると、1年の時に全日本ジュニア90kg級の2回戦で桐蔭学園高校3年の西山大希に効果で敗れるが、敗者復活戦を勝ち上がって3位になった。3年の時には学生体重別の3回戦で敗れた。
佐野 奈津子(さの なつこ、1975年1月24日 - )は長… 佐野 奈津子(さの なつこ、1975年1月24日 - )は長崎県出身の日本の柔道家。現役時代は66kg級と70kg級の選手。身長171cm。なお、48kg級で活躍していた長井淳子とはいとこにあたる。 三井楽中学から柳川高校へ進むと、1年の時には早くも先輩の松永真里子や国吉真子らとともに、金鷲旗での優勝に貢献した。新設されたインターハイ女子団体戦決勝の夙川学院高校戦では1年生ながら代表戦に出場して、同じく1年生の吉田早希と対戦するが判定で敗れて2位に終わった。全国高校選手権の66kg級では優勝を飾った。2年の時には金鷲旗で2連覇を果たした。インターハイの団体戦では予選リーグで夙川学院高校と同じブロックに入ってしまったこともあって、得失点差で決勝トーナメントに進めなかった。
松尾 徳子(まつお のりこ、1971年8月15日 -)は長崎… 松尾 徳子(まつお のりこ、1971年8月15日 -)は長崎県出身の日本の柔道家。現役時代は66kg級~72kg超級の選手。身長171cm。段位は四段。現在は三浦市にある南下浦中学の教員を務めている。
坂上 洋子(さかうえ ようこ、1968年8月29日 - )は… 坂上 洋子(さかうえ ようこ、1968年8月29日 - )は、長崎県出身の元柔道選手。身長163cm、体重95kg。得意技は大外刈。現姓・石角。日本マスターズ柔道協会会員。 長崎市立西北小学校1年の時に柔道を始めた。その後、長崎市立岩屋中学校、長崎県立長崎西高等学校を経て筑波大学卒業。 1992年バルセロナオリンピック女子柔道72kg超級で、準決勝で抑え込まれて完敗するも、3位決定戦ではポーランドのベアタ・マクシモフを逆に抑え込み一本で破り銅メダルを獲得した。 引退後は阪神・淡路大震災に被災したことをきっかけに、アマチュア無線の免許を取得。パネルディスカッションにパネラーとして出演し、災害時にアマチュア無線をどう生かすか、またその際の問題点などについて、被災の実体験を元に語っている。
向井 幹博(むかい みきひろ、1962年4月22日 - )は… 向井 幹博(むかい みきひろ、1962年4月22日 - )は長崎県出身の日本の柔道家。現役時代は60kg級の選手。段位は七段を取得。身長170cm。のちに講道館道場指導部課長に。 長崎県立長崎南高等学校から筑波大学を経て、筑波大学大学院へ進んだ。大学時代にはフランスのストラスブルクで開催された世界学生の60kg級で3位、団体戦で2位となった。さらにはこの当時、全日本学生柔道連盟と対立関係にあった全日本柔道連盟側の全日本大学柔道連盟が新たに設けた第一回の全日本大学柔道体重別選手権大会において優勝を飾った。ブルガリア国際でも優勝した。1986年には佐世保南高校の教員として、モスクワで開催されたCNN創業者のテッド・ターナー考案による第一回のグッドウィル・ゲームズに出場すると、決勝で地元ソ連の選手を破って優勝を飾った。
吉岡 剛(よしおか つよし、1956年7月20日 - 202… 吉岡 剛(よしおか つよし、1956年7月20日 - 2020年2月23日)は、日本の柔道家。階級は重量級。現役時代は身長185cm。体重145kg。全日本柔道連盟副会長。徳山大学経済学部教授。 長崎市出身。嘉穂高校2年の時に金鷲旗の準決勝で九州学院高校と対戦すると、超高校級と話題の1年生である山下泰裕を判定ながら破るも、決勝では鹿児島実業高校に敗れて2位だった。インターハイの団体戦では優勝した。新人体重別の重量級でも優勝を飾った。3年の時にはインターハイの団体戦で2連覇を飾ると、個人戦決勝ではこの年の全日本選手権に高校生ながら出場を果たして話題となった関高校3年の松井勲を破って、団体戦との2冠を達成した。
宇土 虎雄(うと とらお、1891年1月30日 - 1986… 宇土 虎雄(うと とらお、1891年1月30日 - 1986年12月23日)は日本の柔道家(講道館9段)、スポーツ指導者。 柔道家として全日本選士権優勝等の実績を持つ一方、熊本県に様々な近代スポーツを紹介して“熊本近代スポーツの父”や“ミスター熊本”とも呼ばれる。 長崎県南高来郡湯江村(現・島原市)の生まれ。鎮西学院中学在学中に柔道を始め、卒業後1912年に東京の東京高等師範学校に進学して山下義韶や永岡秀一(いずれも後の講道館10段)に師事し柔道を学んだ。東京高師時代の同期には岡部平太や会田彦一、先輩に1909年入学の大谷武一や甲佐知定のほか中途退学したものの徳三宝らの顔触れがあり、後輩には1913年入学で東口真平や後に“高師の秀才”と謳われた桜庭武らがいた。
佐原 恭輔(さはら きょうすけ)は長崎県出身の日本の柔道家。… 佐原 恭輔(さはら きょうすけ)は長崎県出身の日本の柔道家。階級は65kg級。 国士舘大学から長崎県警所属となった。1975年の選抜体重別軽量級では多賀高校教員の柏崎克彦に敗れて2位だった。1977年の選抜体重別65kg級では新日鉄広畑の南喜陽に敗れて2位にとどまった。1978年から1981年にかけての選抜体重別では、東海大学教員となった柏崎に敗れ続けると、1982年の決勝でも新日鉄広畑の斉藤俊郎に敗れて、この大会では計7回も2位にとどまり1度も優勝できずに終わるという珍記録を達成した。その一方で、1976年、1978年、1979年の講道館杯決勝では柏崎を破るなど、1983年も含めて計4回の優勝を果たした。