柳 明日菜(やなぎ あすな、2004年2月7日 - )は、日… 柳 明日菜(やなぎ あすな、2004年2月7日 - )は、日本の映画監督、脚本家。 熊本県出身。熊本県立玉名高等学校1年の時、ノリで廃部寸前の演劇部に入部。活動を続けるうち、のめり込み、脚本も手がけるようになる。 2023年、全国高校生マイプロジェクトアワード2023で、全国優秀賞、地域Summit特別賞を受賞。。 2021年、美少女図鑑アワード2021九州「グランプリ」受賞。 2023年、渡辺紘文(英語版)監督「テクノブラザーズ」の主演で長編映画デビュー。4月、ウーディネ極東映画祭に正式出品された。 くまもと復興映画祭2023のゲスト。 2023年8月、現役高校生ながら地元熊本県にて初監督・脚本作である映画「レイニーブルー」の製作を発表。
嶺 豪一(みね ごういち、1989年7月17日 - )は、熊… 嶺 豪一(みね ごういち、1989年7月17日 - )は、熊本県出身の俳優であり、映画監督。バードレーベル所属。 多摩美術大学在学中から役者として活動。 同大学の卒業制作『故郷の詩』では監督を務め、東京学生映画祭グランプリを獲得するなど映画監督としても活動の幅を広げている。
芦塚 慎太郎(あしづか しんたろう、1982年 - )は日本… 芦塚 慎太郎(あしづか しんたろう、1982年 - )は日本の映画監督。熊本県出身。 東放学園専門学校デジタル映画科(現・東放学園映画専門学校)卒業。ドラマ・映画業界に入る。様々な作品で助監督を務めた後、オリジナルビデオ作品やTVドラマを監督。2013年に私立恵比寿中学の鈴木裕乃初主演映画『ジョーカーゲーム 脱出』で劇場監督デビュー。
波多野 貴文(はたの たかふみ、1973年9月3日 - )は… 波多野 貴文(はたの たかふみ、1973年9月3日 - )は、日本のテレビドラマの演出家、映画監督。 熊本県山鹿市出身。熊本県立鹿本高等学校、日本大学生産工学部建築工学科卒業。2005年に『逃亡者 木島丈一郎』でテレビドラマ初演出。2010年に『SP THE MOTION PICTURE』で映画監督デビュー。
行定 勲(ゆきさだ いさお、1968年〈昭和43年〉8月3日… 行定 勲(ゆきさだ いさお、1968年〈昭和43年〉8月3日 - )は、日本の映画監督、演出家、脚本家。熊本県熊本市出身。 小学生の時、熊本城で黒澤明監督の映画『影武者』が撮影されている現場を見て映画を作る人になりたいと思い、熊本県立第二高等学校卒業後[リンク切れ]、映像系の専門学校である東放学園専門学校[リンク切れ]在学中より製作会社へ入社。岩井俊二監督のテレビドラマ(『GHOST SOUP』・『打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか?』、共にフジテレビ)の助監督、林海象監督のインディーズ系映画の助監督等を経て、岩井俊二監督の劇場映画『Love Letter』(1995年、ヘラルド・エース)・『スワロウテイル』(1996年、日本ヘラルド)、ハル・ハートリー監督の『FLIRT/フラート』(1995年)等に助監督として参加。
内村 光良(うちむら てるよし、1964年〈昭和39年〉7月… 内村 光良(うちむら てるよし、1964年〈昭和39年〉7月22日 - )は、日本のお笑いタレント、司会者、俳優、映画監督。 南原清隆とお笑いコンビ「ウッチャンナンチャン」を結成。 熊本県人吉市出身。愛称は「ウッチャン」。マセキ芸能社所属。妻は徳永有美。 熊本県球磨郡上村(現:あさぎり町)に生まれ、免田町立免田小学校(現・あさぎり町立免田小学校)に入学。小学4年生の時に熊本県人吉市の人吉市立西瀬小学校に転校し、人吉市立第二中学校、熊本県立人吉高等学校を卒業。映画監督を志し横浜放送映画専門学院(現・日本映画大学)演劇科に第9期生として入学。南原清隆、出川哲朗、入江雅人らと出会う。 在学中の1984年、漫才の授業をきっかけに南原とコンビを結成。
佛田 洋(ぶつだ ひろし、1961年10月10日 - )は、… 佛田 洋(ぶつだ ひろし、1961年10月10日 - )は、日本の特撮監督。株式会社特撮研究所代表。別名義は原田洋。 熊本県山鹿市出身。熊本大学教育学部附属中学校・熊本県立済々黌高等学校・九州大学工学部資源工学科卒業。 1984年に大学卒業後、幼馴染で熊本大学附属中学校の同級生でもある三池敏夫とともに上京し、特撮研究所に入社。『超電子バイオマン』で美術スタッフとして入り、大澤哲三に師事。その後、矢島信男に師事し、各種東映特撮テレビ番組の特撮パートの美術スタッフとして活動。1990年の『地球戦隊ファイブマン』で特撮監督デビュー。また、1990年代前半はスーパー戦隊シリーズの特撮監督と並行しながらメタルヒーローシリーズの特撮パート美術スタッフも続けていた。
後藤 大輔(ごとう だいすけ、1957年5月24日 - )は… 後藤 大輔(ごとう だいすけ、1957年5月24日 - )は、日本の映画監督、脚本家、映画プロデューサーである。 1957年(昭和32年)5月24日、熊本県熊本市に生まれる。 早稲田大学文学部英文学科に入学、在学中に学生映画の監督として活動、1980年(昭和55年)に自ら製作、監督を務めた45分の短編「休暇の前提」を発表した。 大学を卒業後、にっかつ(現在の日活)に入社し、「にっかつロマンポルノ」の助監督として、西村昭五郎、小沼勝、滝田洋二郎に師事したほか、プロデューサーとしても活動した。1988年に『ベッド・パートナー』で監督デビュー。ズーム・アップ映画祭で新人監督賞を受賞するが、この作品が「にっかつロマンポルノ」にとって最後の作品となった。
黒土 三男(くろつち みつお、1947年(昭和22年)3月3… 黒土 三男(くろつち みつお、1947年(昭和22年)3月3日 - 2023年(令和5年)3月25日)は、日本の脚本家・映画監督。熊本県熊本市出身。 熊本県立熊本高等学校、立教大学法学部を卒業後、木下惠介プロダクションの助監督となる。2年間の勤務を経てフリーの脚本家となる。 1978年(昭和53年)TBS系で放送された『コメットさん』でTV脚本家としてデビューした。 1988年「とんぼ」「うさぎの休日」などで第7回向田邦子賞受賞。 1989年(平成元年)『オルゴール』で映画監督デビュー。自身がメガホンを取った作品は全て自らが脚本を手がけている。 山田洋次監督作品映画『幸福の黄色いハンカチ』で脚本家の一人として参加し、以来、木下惠介とともに山田洋次を師として仰ぐ。
中山節夫(なかやませつお、1937年7月29日 - )は日本… 中山節夫(なかやませつお、1937年7月29日 - )は日本の映画監督。熊本県菊池郡合志町(現合志市)出身。 1960年、多摩美術大学付属芸術学園映画科を卒業し、日活撮影所に入所。1962年よりフリーの助監督として多数の作品に携わった。その後熊本に帰郷し、1969年に映画デビュー作「あつい壁」を監督した。ハンセン病に対する根強い差別を扱い、話題になった。 2007年『新・あつい壁』を手がける。 この項目は、映画監督に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ映画)。
江崎 実生(えざき みお、本名:江崎 雅一、1932年1月3… 江崎 実生(えざき みお、本名:江崎 雅一、1932年1月3日 - )は、日本の映画監督。熊本県熊本市出身。
牛原 虚彦(うしはら きよひこ、1897年3月22日 - 1… 牛原 虚彦(うしはら きよひこ、1897年3月22日 - 1985年5月20日)は、日本の映画監督、脚本家。本名は牛原 清彦。 初期の松竹蒲田撮影所で活躍した映画監督で、鈴木傳明とのコンビで明朗な青春映画などを作り、島津保次郎らとともに蒲田映画の一翼を担った。渡米してチャールズ・チャップリンの映画『サーカス』の製作に参加したことでも知られる。監督引退後は日本大学芸術学部教授や日活芸術学院初代学院長などに就いて後進の指導にあたった。毎日映画コンクール創設メンバーの一人でもある。妻は女優の三村千代子で、息子は日活で活躍した映画監督の牛原陽一。 1897年(明治30年)3月22日、熊本県熊本市京町に、父・満太郎と母・冬の6人兄妹の5番目として生まれる。
仁科 熊彦(にしな くまひこ、明治29年(1896年)1月1… 仁科 熊彦(にしな くまひこ、明治29年(1896年)1月1日 - 昭和62年(1987年)4月10日)は、日本の映画監督である。山中貞雄を助監督として起用し、その脚本を数多く監督した。川谷拓三は義理の息子、仁科貴と仁科扶紀は孫にあたる。 両親とも会津若松(現福島県会津若松市)生まれで、父は会津藩藩士の家系。1896年(明治29年)1月1日、軍人だった父の赴任地、熊本県熊本市新屋敷町に生まれる。福岡県門司(現北九州市)、神奈川県小田原町(現小田原市)で育ち、中学3年のとき会津に戻る。 1916年(大正5年)、福島県立会津中学校(旧制、現在の福島県立会津高等学校)を卒業、上京して早稲田大学を志すも、予備校に通うのみで学業を放棄、天然色活動写真巣鴨撮影所の現像場に職を得、技術部に入社、撮影助手となる。