大野 萌亜(おおの もあ、2004年3月6日 - )は、熊本… 大野 萌亜(おおの もあ、2004年3月6日 - )は、熊本県出身の、日本の柔道選手。階級は57kg級。身長169cm。組み手は右組み。得意技は内股。 玄武館少年柔道クラブで柔道を始めると、託麻中学3年の時に全国中学校柔道大会52㎏級に出場するも3回戦で敗れた。熊本西高校へ進むと、2年の時に高校選手権57㎏級の3回戦で敗れた。2022年に福岡大学へ進学すると、1年の時に優勝大会で3位となった。2年の時に全日本ジュニアで3位だった。3年の時には全日本ジュニアの決勝で筑波大学1年の白金未桜に敗れて2位だった。講道館杯では3位になった。グランドスラム・東京では2回戦で敗れた。グランドスラム・タシケントでは決勝まで進むと、帝京大学4年の大森朱莉に大外刈で敗れるも2位となった。
白石 響(しらいし ひびき、2001年5月31日 - )は、… 白石 響(しらいし ひびき、2001年5月31日 - )は、熊本県熊本市出身の、日本の女子柔道選手。階級は52kg級。身長155cm。組み手は右組み。握力は右28kg、左29kg。血液型はO型。得意技は小内刈。 柔道は5歳の時に姉の影響で始めた。一心館小山道場と天明少年柔道クラブで稽古を積んだ。天明中学3年の時に全国中学校柔道大会の48kg級で5位となった。熊本西高校に進むと、1年の時にインターハイと全国高校選手権ではそれぞれ3回戦で敗れた。2年の時にはインターハイの決勝で南筑高校2年の古賀若菜に指導2の僅差で敗れた。全国高校選手権には52㎏級で出場すると、決勝で富士学苑高校2年の藤城心を技ありで破って優勝した。
米村 克麻(よねむら かつま、1996年3月27日 - )は… 米村 克麻(よねむら かつま、1996年3月27日 - )は、熊本県出身の、日本の柔道家。階級は60 kg級。身長166 cm。血液型はA型。組み手は左組み。得意技は背負投。 柔道は6歳の時に玄武館で始めた。九州学院中学3年の時に全国中学校柔道大会の55 kg級で5位になった。九州学院高校1年の時には全国高校選手権の60 kg級に出場するが初戦で敗れた。2年の時には全国高校選手権の3回戦で敗れた。日体大へ進学すると、3年の時には全日本ジュニアで優勝した。講道館杯でも5位になった。4年の時には体重別の準決勝でパーク24の高藤直寿に敗れるも3位となった。続く東アジア選手権で国際大会初優勝を飾った。国体成年男子の部では東京都の一員としてチームの2連覇に貢献した。
森崎 由理江(もりざき ゆりえ、1991年3月12日 - )… 森崎 由理江(もりざき ゆりえ、1991年3月12日 - )は、熊本県八代市出身の日本人の女子柔道選手である。階級は48kg級。身長151cm。血液型はB型。組み手は右組み。得意技は背負投。 柔道は8歳の時に文政少年柔道クラブで始めた。 八代第三中学から宮崎日大高校へ進むと、3年の時にインターハイ48kg級で3位となった。 2009年に鹿屋体育大学へ進むと、3年から2年連続で学生体重別で3位となった。2013年には鹿屋体育大学柔友会所属となり、柔道部のコーチも務めることになった。シニアの強化指定選手には一度も加わったことのない無名の選手ながら、講道館杯では決勝まで進むと、アジアチャンピオンである筑波大学の遠藤宏美と有効を取り合った末に送襟絞で一本勝ちして、予想外の優勝を飾った。
穴井 亮平(あない りょうへい、1988年1月20日 - )… 穴井 亮平(あない りょうへい、1988年1月20日 - )は、熊本県出身の柔道家。階級は90kg級。現在は東海大学付属熊本星翔高校で指導にあたっている。 7歳の時に柔道を始めた。小国中学、東海大学第二高等学校から東海大学に進み、2009年には全日本学生柔道優勝大会と学生体重別で優勝を果たして全日本柔道連盟90kg級の強化選手になった。大学を卒業後、了徳寺学園の所属となった。2011年の体重別90kg級では決勝で寝業師である千葉県警の加藤博剛に肩固で一本勝ちして優勝を飾った。その後階級を100kg級に変更すると、2016年の体重別で3位になった。 (出典、JudoInside.com)
立山 真衣(たてやま まい、1986年6月14日 - )は、… 立山 真衣(たてやま まい、1986年6月14日 - )は、熊本県八代市出身の、日本の女子柔道選手である。階級は78kg超級。身長171cm。体重118kg。血液型はB型。組み手は右組み。段位は弐段。得意技は払腰。現在はフォーリーフジャパンに所属。 柔道は5歳時に始めた。八代第七中学2年と3年の時に全国中学校柔道大会70kg超級で3位になった。熊本西高校1年の時には高校選手権78kg超級で優勝した。2年の時にはアジアジュニアで優勝するが、高校選手権では3位だった。3年の時にはインターハイと全日本ジュニアで優勝すると、世界ジュニアでもオール一本勝ちで優勝を果たした。 東海大学に入学すると、1年の時に福岡国際の78kg超級と無差別で優勝を果たした。
秋本 啓之(あきもと ひろゆき、1986年1月31日 - )… 秋本 啓之(あきもと ひろゆき、1986年1月31日 - )は、日本の柔道家である。熊本県下益城郡松橋町(現・宇城市)出身。血液型はA型。階級は73kg級。得意技は背負投。柔道全日本代表コーチ。 下益城郡富合町(現・熊本市南区)の藤井道場、松橋中、桐蔭学園高校、筑波大学出身。父親は1978年嘉納治五郎杯東京国際柔道大会65kg級優勝、1980年講道館杯全国柔道体重別選手権大会65kg級優勝の秋本勝則。兄は1999年全日本ジュニア柔道体重別選手権大会73kg級優勝の秋本修平。妻は元バレーボール選手の大友愛。長女(継子)はバレーボール選手の秋本美空。他に大友との間に一男二女がいる。 柔道は5歳の時に始める。
立山 広喜(たちやま ひろき、1985年11月24日 - )… 立山 広喜(たちやま ひろき、1985年11月24日 - )は、熊本県出身の、日本の柔道選手である。階級は100 kg超級。身長195 cm、体重145 kg。 熊本県玉名郡南関町出身。南関中1年の時に地元の温泉で偶然、大牟田高・柔道部の監督と出会い、「週末にうちの練習にきてみないか」と誘われた事により、本格的に柔道を始めた。 大牟田高校では同級生の187cmある高橋和彦とともにその身長の高さからツインタワーと呼ばれ活躍する。因みに高橋と共に相撲部屋から力士にならないかとの誘いを蹴っての同校入学だった。ただし、高校3年になる直前の高校選手権の準決勝では、自分よりはるかに小柄な66kg級の秋本啓之に翻弄されて敗れ、3位に終った。
高橋 和彦(たかはし かずひこ、1985年4月3日 - )は… 高橋 和彦(たかはし かずひこ、1985年4月3日 - )は、熊本県出身の、日本の柔道選手である。階級は100 kg超級。身長189 cm、体重130kg。得意技は大外刈、払腰。現在は日本製鉄に所属。 熊本県阿蘇市出身。小学校1年から柔道と相撲を始め、4年時には相撲で全国大会2位になった事もある。 阿蘇市立一の宮中学校進学と同時に柔道に専念、3年時には九州ブロック代表としてシドニー五輪の柔道競技見学派遣に選ばれるなど、早くから注目を集めていた。 進学した大牟田高校では同級生の193cmある立山広喜とともにその身長の高さからツインタワーと呼ばれ活躍する。高校3年の時にはインターハイで2位、ジュニアの体重別でも3位となる。
福岡 政章(ふくおか まさあき、1984年7月12日 - )… 福岡 政章(ふくおか まさあき、1984年7月12日 - )は、日本の柔道家。熊本県出身。階級は66kg級。身長167cm。得意技は背負投。綜合警備保障を経て、現在は東海大学付属高輪台高等学校・中等部の監督。 柔道は5歳の時に始めた。鎮西高校2年の時にインターハイ60kg級で3位となった。東海大学に進学後は学生チャンピオンになるなど活躍した。社会人になってからは、2007年の体重別決勝でミキハウスの野村忠宏に敗れるが2位に入った。さらに、2009年、2010年と2年続けて同学年のライバルである了徳寺学園の平岡拓晃に決勝で敗れるものの、2位になった。一方、国際大会ではグランドスラム・東京で優勝を飾るなど一定の活躍を示した。
松崎 みずほ(まつざき みずほ、1979年1月20日 -)は… 松崎 みずほ(まつざき みずほ、1979年1月20日 -)は熊本県の上益城郡御船町出身の日本の柔道家。現役時代は78kg級の選手。身長161cm。得意技は背負投。 最初はバレエに取り組んでいたが、小学校6年の時に近所にある山下泰裕を育てたことで知られる白石礼介の運営する道場で柔道を始めることになった。九州学院中学から九州学院高校へ進むと、1,2年の時に全国高校選手権72kg級を連覇した。1997年に帝京大学に進むと、大学2年の時には全日本ジュニア78kg級で優勝して、世界ジュニアでも2位となった。また、この年から体重別決勝では警視庁の阿武教子に4年連続で敗れて2位にとどまることにもなった。全国女子体重別では2連覇を果たした。
二宮 美穂(にのみや みほ、1975年(昭和50年)8月22… 二宮 美穂(にのみや みほ、1975年(昭和50年)8月22日 - )は、日本の柔道選手。熊本県菊池郡大津町出身。身長167cm、体重95kg。得意技は大内刈。 中学生の時に柔道を始めて、熊本県立阿蘇高等学校に入学後は全国大会でも活躍するようになり日本体育大学体育学部武道学科に進学。1995年(平成7年)の福岡国際では日本選手がそれまでなかなか勝てなかった中国の張穎を破り2位に入った。 1997年(平成9年)の全日本選手権では高校時代からのライバルである阿武教子を実に11度目の対戦にして初めて破り、優勝を果たした。世界選手権では2階級で代表になり、72kg超級では準決勝でオリンピックチャンピオンである中国の孫福明を見事な体落で破り、決勝でも地元フランスのクリスティーヌ・シコに技ありを奪ってリードしていたが、逆転負けを喫して2位に終わった。
中野 陽一(なかの よういち、1973年8月1日 - )は熊… 中野 陽一(なかの よういち、1973年8月1日 - )は熊本県出身の日本の柔道家。78kg級の選手。身長177cm。 託麻中学から東海大第二高校を経て、1992年には東海大学へ進学した。同期には後にアトランタオリンピックの71kg級で金メダルを獲得することになる中村兼三などがいた。3年の時には正力杯の78kg級で優勝を飾った。嘉納杯では決勝で高校時代からのライバルである福岡大学3年の中嶋靖宏を終了直前に背負投の有効で破ると、試合終了直後には両足を前後に開脚する「コミカルジャンプ」を3度も繰り広げるパフォーマンスを演じて見せた。なお、表彰式ではプレゼンターとして登場した読売ジャイアンツ監督の長嶋茂雄にメダルを授与された。
宮家 江美(みやけ えみ、1972年4月24日 - )は熊本… 宮家 江美(みやけ えみ、1972年4月24日 - )は熊本県出身の日本の柔道家。61kg級の選手。身長167cm。 城南中学から熊本西高校へ進むと、2年の時に当時無差別の個人戦で争われていた金鷲旗で3位となった。全国高校選手権の66kg級では決勝まで進むも、松戸馬橋高校1年の藤本哲子に送足払の技ありで破れて2位だった。3年の時には全日本選手権に出場するも、3回戦で筑波大学3年の鈴木香に崩袈裟固で敗れた。1991年には拓殖短期大学へ進み木村政彦や岩釣兼生の指導を受けることになると、1年の時には強化選手選考会61kg級決勝で住友海上の西野弘子を腕緘で破って優勝を飾った。2年の時には選抜体重別の準決勝でミキハウスの小林貴子に判定で敗れて3位だった。
板楠 忠士(いたくす ただし、1971年12月10日 -)は… 板楠 忠士(いたくす ただし、1971年12月10日 -)は熊本県出身の日本の柔道家、サンビスト。 現役時代は柔道では60kg級の選手であり、サンボでは68㎏級の選手。 身長167cm。組み手は右組み。得意技は背負投 巴投 払腰 腕挫十字固。 別名はヴィクトル板楠(Victor Itakusu)。 現在は熊本中央高校の教諭、柔道部顧問、モンゴル国体育大学客員講師。また、九州サンボ連盟の副会長兼技術委員長も務めている。 柔道は小学校2年の時に兄に無理やり誘われて、近くの松龍館で始めた。何度もやめようと思いながらも兄が怖くて続けていたが、そのうち力を付け始めて、楠中学3年の時には全国中学校柔道大会55kg級で優勝するまでになった。
山部 伸敏(やまべ のぶとし、1969年4月4日 - )は、… 山部 伸敏(やまべ のぶとし、1969年4月4日 - )は、熊本県出身の、日本の柔道選手である。階級は65kg級。身長167cm。 柔道は小学校1年の時に始めた。一の宮中学3年の時に全国中学校柔道大会55kg級で3位になった。 鎮西高校から鹿屋体育大学へ進むと、1年の時には正力杯66kg級で3位に入った。2年の時には正力杯で3位だったが、正力国際では決勝まで進むもソ連のグラム・モデバーゼに敗れて2位だった。3年の時には正力国際の決勝で筑波大学3年の大幡悦雄に判定で敗れるも、団体戦では優勝した。4年の時には正力国際の個人戦で3位だったが、団体戦では再び優勝を飾った。 1992年に鹿屋体育大学の大学院へ進むと、体重別では3年連続3位になった。
高野 裕光(たかの ひろみつ、1959年8月25日 - )は… 高野 裕光(たかの ひろみつ、1959年8月25日 - )は熊本県下益城郡出身の日本の柔道家。階級は78kg級。身長は175cm。得意技は大外刈、大内刈。
原口 謙一(はらぐち けんいち、1957年8月26日 - )… 原口 謙一(はらぐち けんいち、1957年8月26日 - )は、熊本県出身の日本の柔道家。階級は60kg級。身長167cm。得意技は巴投、腕挫十字固。 熊本市立藤園中学校、九州学院高校では山下泰裕と同期だった。大学は山下と同じく東海大学に進むと、1976年の全日本新人体重別軽量級で優勝を飾った。1979年には全日本学生柔道選手権大会60kg級で優勝すると、選抜体重別でも国士舘大学教員の森脇保彦を破って優勝するが、世界選手権代表には選出されなかった。1980年には大学を卒業して栃木体育館所属となった。1981年には今市高校教員となり、日本国際柔道大会で優勝すると、1982年にはフランス国際でも優勝を飾った。
山下 泰裕(やました やすひろ、1957年〈昭和32年〉6月… 山下 泰裕(やました やすひろ、1957年〈昭和32年〉6月1日 - )は、日本の柔道家、体育学者。学位は体育学修士(東海大学大学院・1983年) 。第5代日本オリンピック委員会(JOC)会長。東海大学体育学部武道学科 教授(1996年 - )、体育学部 学部長(2009年4月 - )、副学長(スポーツ・一貫教育担当)(2011年10月 - )。 「日本柔道界最強の男」と称された実力者であった。 熊本県上益城郡矢部町(後の 山都町)出身。東海大学柔道部監督。柔道指導員、全日本柔道連盟名誉会長、東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会副会長、日本オリンピアンズ協会理事。 過去に、全日本柔道男子強化ヘッドコーチ(1992年 - 2000年)、男子強化部長(2000年 - 2004年)、強化副委員長(2004年 - 2008年)、理事・副会長・強化委員長(2013年 - 2017年)、国際柔道連盟教育コーチング理事(2003年 - 2007年)、神奈川県体育協会会長、朝日新聞社嘱託社員(1986年 - 2017年)、日本オリンピック委員会 (JOC) 会長(2019年 - 2025年)などを歴任。
吉村 和郎(よしむら かずお、1951年7月6日 - )は日… 吉村 和郎(よしむら かずお、1951年7月6日 - )は日本の柔道家(八段)。熊本県出身。現役時代の階級は71キログラム級。 熊本県熊本市に4人兄妹の末弟として生まれ、兄の影響や父親の勧めで小学校1年次時より柔道を始める。典型的なスパルタ教育をする父(ただし、柔道には素人であった)の元、体を大きくするために練習前にうどんやラーメンを食べさせられ、練習後にも必ず牛乳を3本飲ませられたほか、兄たちが強かった関係で、小学校高学年になると少年部のみならず一般部の稽古にも参加していたため、柔道家としての礎が築かれていった。 兄が通っていた柳川商業高校(現・柳川高校)に進学し、1年次にインターハイの県予選で準優勝、これを勇んで父に報告すると「そんな調子なら柔道をやめろ」と激怒されたため、この父親を見返すために高校時代は土日を含め毎日のように猛練習を積んだ。
上村 春樹(うえむら はるき、1951年<昭和26年>2月1… 上村 春樹(うえむら はるき、1951年<昭和26年>2月14日 - )は、日本の柔道家(講道館9段)。 1976年モントリオールオリンピックの柔道無差別級金メダリスト。引退後は全日本柔道連盟会長(2009年4月 - 2013年8月)、国際柔道連盟指名理事(2007年9月 - 2013年8月、2015年8月 - )、第5代講道館館長(2009年4月 - )等を歴任している。 熊本県下益城郡小川町(現・宇城市)出身。生来の肥満体を案じた両親に勧められ小学校5年生の時に柔道を始めた。6年生で出場した地域の小学生大会で優勝を果たしたが、上村は「周りの子が体重40kg前後なのに対し自分だけ70kgだったから優勝して当たり前」「翌日に学校の朝礼で表彰された時は嬉しいを通り越して恥ずかしかった」と述懐している。
岩田 久和(いわた ひさかず、1949年12月17日 - 2… 岩田 久和(いわた ひさかず、1949年12月17日 - 2017年9月22日)は、日本の柔道家(講道館9段)。 現役時代は主に軽重量級・無差別級で活躍し、世界選手権大会3位や全日本選手権大会準優勝といった成績を残した。また、娘の岩田千絵も全日本の強化指定選手として、全日本実業個人選手権大会や講道館杯で活躍していた。 熊本県熊本市にて三兄弟の長男として生まれる。市立藤園中学校時代に白石礼介に師事し、鎮西高校では牛島辰熊直系の弟子である船山辰幸の薫陶を受けた。3年生の時にはインターハイ団体戦で優勝。岩田は高校時代も幼少時より慣れ親しんだ背負投に拘り、これを重量級の選手相手にも使えるようにと腰を鍛えるために、重量級の練習相手を2人重ねて担ぎ上げるという激しい練習を日課にしていたという。
岩釣 兼生(いわつり かねお、1944年3月25日 - 20… 岩釣 兼生(いわつり かねお、1944年3月25日 - 2011年1月27日)は、日本の柔道家。七段。身長182 cm、体重105 kg(全盛期)。熊本県出身。晩年、雑誌などでは岩釣 兼旺を名乗ることが多かった。 熊本県立鹿本高等学校時代、木村政彦にスカウトされ拓殖大学に入学。当時の木村の指導方法は、気が向いたら真夜中だろうと部員を叩き起こすというもので、1日のうち24時間が練習時間と言っても過言ではないくらい厳しいものであったとされる。 岩釣は師匠ゆずりの独特の大外刈や腕緘(キムラロック)を身につけて、1965年の大学4年時、キャプテンとして部を率い、全日本学生柔道優勝大会決勝でそれまで4連覇していた明治大学を破って拓殖大学を戦後団体戦初優勝に導く。
木村 政彦(きむら まさひこ、1917年〈大正6年〉9月10… 木村 政彦(きむら まさひこ、1917年〈大正6年〉9月10日 - 1993年〈平成5年〉4月18日)は、日本の柔道家・プロレスラー。段位は講道館柔道七段。鬼の木村の異名を持つ。 全日本選手権13年連続保持、天覧試合優勝も含め、15年間不敗のまま引退。「木村の前に木村なく、木村の後に木村なし」と讃えられ、後々にも史上最強の柔道家と称されることが多い。身長170 cm、体重85 kgと小兵ながら、トレーニングにより鍛え抜かれた強靭な肉体、爆発的な瞬発力、得意技である切れ味鋭い大外刈りのスピードとパワー、高専柔道で身につけた寝技技術、またこれらを支える一日10時間を越える練習量と柔道に命を賭す強靭な精神力を武器に15年間不敗を成し遂げた。
牛島 辰熊(うしじま たつくま、1904年(明治37年)3月… 牛島 辰熊(うしじま たつくま、1904年(明治37年)3月10日 - 1985年(昭和60年)5月26日)は、日本の柔道家。段位は講道館柔道九段。大日本武徳会柔道教士。 明治神宮大会3連覇、昭和天覧試合準優勝。その圧倒的な強さと気の荒さから「鬼の牛島」と称された。柔道史上最強を謳われる木村政彦の師匠として有名だが、牛島自身も木村に負けぬ実績を持つ強豪であった。 熊本県熊本市の製油業者の家に生まれる。元々は剣道を修行していたが、15歳の時に長兄の影響で肥後柔術三道場の一つ、扱心流江口道場に入門した。熊本では講道館柔道よりも、まだ古流柔術の方が盛んであった。 この肥後柔術三道場の対抗戦は、判定勝利はなく「参った」のみで勝負を決するもので、時には腰に短い木刀を差して試合をやり、投げて組み伏せ、最後は木刀で相手の首を掻き斬る動作をして一本勝ちとなるルールでも戦った。
吉永 浩二(よしなが こうじ)は熊本県出身の日本の柔道家。中… 吉永 浩二(よしなが こうじ)は熊本県出身の日本の柔道家。中量級の選手。 鎮西高校1年の時には早くもインターハイ団体戦で優勝を飾った。2年と3年の時は3位だった。また、3年の時は個人戦の重量級で3位に入った。 明治大学へ進学すると、1年の時から団体戦のレギュラーで活躍して優勝大会では2位になった。2年の時には新人体重別の重量級決勝で天理大学の奥田元則を破って優勝すると、優勝大会でも優勝を果たした。全日本学生選手権には中量級で出場するが、決勝で高校時代からのライバルだった明治大学では1学年下となる原吉実(吉永とは同じ年だが、浪人したために学年は1つ下となった)に合技で敗れた。3年の時には優勝大会で2連覇すると、体重別の中量級で3位になった。
秋本 勝則(あきもと かつのり)は熊本県牛深市出身の柔道選手… 秋本 勝則(あきもと かつのり)は熊本県牛深市出身の柔道選手である。1975年世界柔道選手権大会の軽中量級で銅メダル、1978年の嘉納治五郎杯東京国際柔道大会で優勝している。 牛深市立牛深中学校卒業後、柔道の名門である鎮西高等学校、拓殖大学に進学、当時の拓殖大学柔道部監督は木村政彦。現役時代の階級は軽中量級(65kg級)。現在は熊本県宇城市(旧下益城郡松橋町)で秋本整骨院を経営している。 バロン吉元作「現代柔侠伝」の主人公柳勘一のモデルといわれており、柔道の強さに反して人情味溢れる物腰の柔らかい人柄で、慕う大学の後輩も多い。 長男の秋本修平(鎮西高校・中央大学出身、元了徳寺学園職)は1999年インターハイ73kg級2位・全日本ジュニア柔道体重別選手権大会1999年73kg級優勝・2000年66kg級2位、次男の秋本啓之(桐蔭学園高等学校/筑波大学出身、了徳寺学園職)は2007年のフランス国際柔道優勝、2010年世界柔道選手権大会で金メダルを獲得し史上初の親子メダリストとなった。