島津 佳一(しまづ よしかず、1948年7月29日- )は、… 島津 佳一(しまづ よしかず、1948年7月29日- )は、大分県日田市出身の元プロ野球選手(外野手)である。
大分県:1,211人
島津 佳一(しまづ よしかず、1948年7月29日- )は、… 島津 佳一(しまづ よしかず、1948年7月29日- )は、大分県日田市出身の元プロ野球選手(外野手)である。
後藤 博子(ごとう ひろこ、1948年(昭和23年)5月21… 後藤 博子(ごとう ひろこ、1948年(昭和23年)5月21日 - )は、日本の政治家、社会活動家。国民新党の元参議院議員(1期)。 大分県大分市出身。一男一女をもうける。国際協力事業団(JICA)支援によりブラジルのアマゾナス州マナウスに家族で工業移住。 マナウス日伯文化協会の日本語学校で日系二世・三世に日本語や日本文化について指導する。 2001年(平成13年)の第19回参議院議員通常選挙では自由民主党の公認を受け、大分県選挙区から出馬し参議院議員に初当選。2004年(平成16年)、政治家の年金未納問題が注目された際に年金の未納が発覚している。2005年(平成17年)8月8日、郵政民営化関連法案の参議院本会議採決では反対票を投じ、「郵政解散」につながる同法案否決への道を開いた。
成重 春生(なりしげ はるお、1948年4月20日 - )は… 成重 春生(なりしげ はるお、1948年4月20日 - )は、大分県豊後高田市真玉町出身の元プロ野球選手(投手)。 大分高田高校では、2年次の1965年に控え投手として中九州大会準決勝に進出するが、八代東高に敗退。3年次の1966年には夏の県予選準々決勝で岩崎忠義のいた津久見高に敗れ、甲子園には出場できなかった。高校時代の3年間は先発をさせてもらえず、3年次の同年も2年生が先にマウンドに登り、打たれると成重の出番であった。 高校時代の戦績はゼロに等しかったが、プロでやりたいという気持ちからヤクルトと中日のテストを受けた。結果はどちらも不合格で、成重は「それなら社会人」と松下電器のセレクションを受ける。
河野 隆(かわの たかし、1948年3月23日 - 2017… 河野 隆(かわの たかし、1948年3月23日 - 2017年11月3日)は、日本の篆刻家・書家・教育者。大東文化大学文学部書道学科名誉教授。号・鷹之。室号は晨風廬。 大分県臼杵市生まれ。生井子華に師事。日展会員、読売書法会常任理事、全日本篆刻連盟会長、大東文化大学書道科教授、国立台湾芸術大学客員教授、西泠印社名誉社員、中国芸術研究院中国篆刻芸術院研究員を歴任。 2017年11月3日、肺癌のため死去。
魚本 公博(うおもと きみひろ、1948年(昭和23年)3月… 魚本 公博(うおもと きみひろ、1948年(昭和23年)3月19日 - )は、日本のテロリスト。よど号グループのメンバー。旧姓は安部。 1948年3月、大分県別府市石垣に高校教師の子として生まれる。おじがフィリピンで戦死しており、進駐軍の暴力的行為にも反感があったことから、子供時代は反米愛国少年だった。関西大学に入学。佐世保エンタープライズ寄港阻止闘争で学生運動を知り、共産主義者同盟系の学生グループを経て赤軍派となり、東大安田講堂事件に参加。1970年(昭和45年)によど号ハイジャック事件を起こし、北朝鮮に亡命。当初、警察の指紋照合による9人のメンバーの割り出しでは「梅内恒夫」と間違って発表されたが、10日後に「安部公博」と訂正された。
辛島 文雄(からしま ふみお、1948年3月9日 - 201… 辛島 文雄(からしま ふみお、1948年3月9日 - 2017年2月24日)は大分県出身のジャズピアニスト。
澤井 英久(さわい ひでひさ、1948年 - )は、日本の弁… 澤井 英久(さわい ひでひさ、1948年 - )は、日本の弁護士。新四谷法律事務所代表。日本弁護士連合会副会長、日本弁護士国民年金基金理事長、電気通信大学産学官連携センター客員教授等を歴任。 大分県大分市出身。1973年一橋大学法学部卒業。1979年澤井法律事務所開設。2002年新四谷法律事務所を設立し代表に就任。2010年電気通信大学特任教授。2011年第二東京弁護士会会長、日本弁護士連合会副会長。2012年日本弁護士政治連盟副理事長、電気通信大学産学官連携センター知的財産部門客員教授、文部科学省学校法人運営調査委員。2015年日本弁護士国民年金基金第9代理事長、冨士ダイス取締役、2016年アイセイ薬局監査役。
吉用 清(よしもち きよし、1948年〈昭和23年〉 - 2… 吉用 清(よしもち きよし、1948年〈昭和23年〉 - 2020年〈令和2年〉1月4日)は、日本の剣術家。兵法二天一流第12代宗家。居合道教士七段。剣道四段。 1948年、大分県宇佐市出身。父は第8代宗家・青木規矩男の高弟、五所元治(英語版)。幼少時から関口流居合道、剣道を学び、高校時代から二天一流の修行を始める。その後、県外で就職したが三十代に帰郷し、地元の貴金属会社に務めながら、平成6年(1994年)に関口流、平成10年(1998年)に二天一流の免許皆伝をした。 第11代宗家・清長文哉が平成16年に次代を指名しないまま急逝したので、親族門人たちによる協議の結果、三周忌にあたる平成19年(2007年)に第12代宗家に推挙された。
釘宮 磐(くぎみや ばん、1947年(昭和22年)10月6日… 釘宮 磐(くぎみや ばん、1947年(昭和22年)10月6日 - )は、日本の政治家。 大分県大分市長(3期)、衆議院議員(1期)、参議院議員(1期)、総務省顧問(鳩山由紀夫内閣)、九州市長会会長、参議院外務委員長、大分県議会議員(2期)などを歴任した。 大分県大分市出身。大分県立大分舞鶴高等学校、明治学院大学社会学部社会福祉学科卒業。大学卒業後は東京都社会福祉協議会に勤務する。 1987年、大分県議会議員選挙に立候補し、初当選。1991年の県議選で再選されたが、翌1992年に県議を辞職。第16回参議院議員通常選挙に自由民主党公認で大分県選挙区から立候補し、初当選した。1993年、自民党を離党して新生党の結党に参加。
衛藤 晟一(えとう せいいち、1947年〈昭和22年〉10月… 衛藤 晟一(えとう せいいち、1947年〈昭和22年〉10月1日 - )は、日本の政治家。 参議院議員(3期)、衆議院議員(4期)、内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方対策、消費者及び食品安全、少子化対策、海洋政策)(第4次安倍第2次改造内閣)、内閣総理大臣補佐官(教育再生・少子化・その他国政の重要課題担当)(第3次安倍第1次改造内閣・第3次安倍第2次改造内閣・第3次安倍第3次改造内閣・第4次安倍内閣・第4次安倍第1次改造内閣)、内閣総理大臣補佐官(国政の重要課題担当)(第2次安倍内閣・第2次安倍改造内閣・第3次安倍内閣)、厚生労働副大臣(第2次小泉改造内閣)、運輸政務次官(第2次橋本内閣)、衆議院厚生労働委員長大分県議会議員(2期)、大分市議会議員(2期)、自由民主党党紀委員長、自由民主党政務調査会長代理、自由民主党参議院幹事長代行、自由民主党地方組織・議員総局長、自由民主党政務調査会副会長を歴任。
藤田 紀子(ふじた のりこ、1947年9月7日 - )は、大… 藤田 紀子(ふじた のりこ、1947年9月7日 - )は、大分県大分市出身の女優、タレント。本名・旧芸名は、藤田 憲子(読み同じ)。 松竹時代は、映画やドラマでもどこに出ているか確認するのが困難なほどの端役専門の女優であったが、1967年(昭和42年)に『雌が雄を喰い殺す 三匹のかまきり』に出演してからは、一部で注目され短いセリフのある端役を演じるようになった。 1970年(昭和45年)10月、当時屈指の人気幕内力士だった貴ノ花と結婚し、芸能界を引退した。2児をもうけたが、2001年(平成13年)、不倫疑惑が報道される中で別居し、後に離婚して芸能界に復帰した。 2008年(平成20年)12月27日、芸名を本名の藤田憲子から藤田紀子に改名したことを公式ブログで発表した。
藤田 紀子(ふじた のりこ、1947年9月7日 - )は、大… 藤田 紀子(ふじた のりこ、1947年9月7日 - )は、大分県大分市出身の女優、タレント。本名・旧芸名、藤田 憲子(ふじた のりこ)。
浜口 政信(はまぐち まさのぶ、1947年7月7日 - )は… 浜口 政信(はまぐち まさのぶ、1947年7月7日 - )は、大分県出身の元プロ野球選手。守備位置は投手。 別府鶴見丘高校では、主戦投手として1964年秋季九州大会県大会準決勝に進むが、佐伯鶴城高の山中正竹に完封負け。翌1965年夏の甲子園県大会では中津南高から22奪三振を記録するが、準々決勝で衛藤雅登のいた別府大付高に敗退。八代一高の豊永隆盛、高鍋高の牧憲二郎とともに、九州の三羽烏として注目された。高校の1年下に大場隆広。 1965年ドラフト会議でサンケイスワローズ(現・東京ヤクルトスワローズ)に4位指名で入団。1年目の1966年から一軍に上がり、翌1967年には中継ぎとして10試合に起用される。
西村 敏雄(にしむら としお、1947年7月4日 - 200… 西村 敏雄(にしむら としお、1947年7月4日 - 2008年6月18日)は、大分放送(OBS)の元アナウンサー。愛称はビンビン。 実父の仕事の関係で、小・中学生時代には、大分・熊本両県を中心に6回の転居を経験。大分県別府市の小学校へ入学したことを皮切りに、小学校を4回、中学校を2回転校している。 1970年(昭和45年)4月1日付で大分放送へ入社。同じくOBSアナウンサーの植木伴子(愛称:バンバン)とのビンビン・バンバンのコンビで出演したラジオ番組『ナウナウナウ大行進』等で人気を集めた。 その後、アナウンス部長等を経て、報道局局長職に在職中の2008年(平成20年)6月18日、食道癌のため60歳で逝去。
山中 正竹(やまなか まさたけ、1947年4月24日 - )… 山中 正竹(やまなか まさたけ、1947年4月24日 - )は、元社会人野球の選手(投手)・監督。
大悟法 久志(だいごぼう ひさし、1947年3月20日 - … 大悟法 久志(だいごぼう ひさし、1947年3月20日 - 2011年8月29日)は、日本の高校野球指導者。大分県中津市出身。柳ヶ浦高等学校、明豊高等学校、福岡県立青豊高等学校で指揮を執った。 浅沼学園中津高等学校、駒澤大学卒業。現役時代は捕手であり、大学では準硬式野球部に所属していたが、全日本入りしたことがある。 大学4年の時、高校時代の恩師・植島安朝が野球部監督を務める柳ヶ浦高等学校のコーチを務めたことから、卒業後の1969年、柳ヶ浦に社会科教諭として赴任し、同時に野球部監督に就任した。柳ヶ浦は元は女子高で、1966年に共学化された私立高校であり、赴任当時は女子生徒の割合が高く部員確保が困難であった。
中村 国昭(なかむら くにあき、1947年2月28日 - )… 中村 国昭(なかむら くにあき、1947年2月28日 - )は、大分県出身の元プロ野球選手。ポジションは内野手。
広瀬 宰(ひろせ おさむ、1947年2月20日 - 1999… 広瀬 宰(ひろせ おさむ、1947年2月20日 - 1999年9月9日)は、大分県佐伯市勝尾出身のプロ野球選手(内野手)・コーチ。 佐伯豊南高を卒業し、1965年に東京農業大学へ進学。東都大学野球リーグでは一部昇格はならず、二部リーグ2位が最高成績であった。二部リーグ通算打率.303、4本塁打を記録。 1968年のドラフト2位でロッテオリオンズに入団。 1969年には山崎裕之が二塁手に回った後を受けてレギュラー遊撃手となる。9月16日の阪急戦(東京)で宮本幸信から初ソロ本塁打を放ち、この時の試合は、2回表に岡村浩二の適時打で先制され、3回表にはウインディの適時打で追加点を許した。その裏に広瀬のソロ本塁打で追い上げたが、4回表さらに2点を追加され阪急ペースの試合になったが、6回裏には有藤通世のソロ本塁打が飛び出し、次打者池辺巌が安打で出塁したがここで雷雨が激しくなってコールドゲームとなり、2-4で首位阪急に敗れた。
青木 剛(あおき つよし、1947年1月3日 - )は、日本… 青木 剛(あおき つよし、1947年1月3日 - )は、日本の水泳指導者。2020年東京オリンピック・パラリンピック組織委員会理事。
篠原 文也(しのはら ふみや、1947年 - )は、日本の政… 篠原 文也(しのはら ふみや、1947年 - )は、日本の政治解説者(評論家)、元政治部記者、元テレビ東京解説委員、昭和女子大学客員教授。 大分県大分市生まれ。早稲田大学政治経済学部政治経済学科卒業後、1971年4月日本経済新聞社に入社。政治部記者として、総理大臣官邸、自民党キャップ、1986年4月、政治部次長、1990年9月の人事にて、宇都宮支局長へ異動。1993年4月付けで、テレビ東京の報道局解説委員を担当。解説委員長を含め務め、2007年11月まで担当し同時に日経新聞社を退職。 京都工芸繊維大学特別教授、昭和女子大学客員教授。2009年3月、文部科学省中央教育審議会委員、2012年3月から内閣府再就職等監視委員会委員を務める。
勢古 浩爾(せこ こうじ、1947年 - )は、日本の評論家… 勢古 浩爾(せこ こうじ、1947年 - )は、日本の評論家、エッセイスト。 1947年大分県生まれ。明治大学政治経済学部卒、明治大学大学院政治学修士課程修了。橋川文三に師事。大学院修了後、洋書輸入会社に勤務。「石原吉郎論」で開高健賞候補。その後文筆活動に入り、『まれに見るバカ』がベストセラーとなる。1988年、第7回毎日21世紀賞受賞。2006年退社し文筆に専念。新書による人生論が多かったが、2009年本格評論『大和よ武蔵よ』を刊行。
村上 憲郎(むらかみ のりお、1947年 - )は、日本の実… 村上 憲郎(むらかみ のりお、1947年 - )は、日本の実業家。システムエンジニア。豊の国かぼす特命大使。 大分県佐伯市出身。大分県立佐伯鶴城高等学校、京都大学工学部資源工学科卒業。 日立電子、DECを経て、Northern Telecom Japan代表取締役。2001年、ドーセントの日本法人を立ち上げる。 2003年4月1日より、Google米国本社副社長兼Google日本法人代表取締役に就任。2008年12月31日に退任し、2009年1月1日より同社名誉会長。現在は同社の経営からは退き、村上憲郎事務所代表を務めている。 2014年4月 東京工業大学学長アドバイザリーボード委員、大阪工業大学情報科学部客員教授に就任。
苅谷 俊介(かりや しゅんすけ、1946年11月26日 - … 苅谷 俊介(かりや しゅんすけ、1946年11月26日 - )は、日本の俳優・アマチュア考古学者。日本考古学協会会員。本名は苅谷 俊彦(かりや としひこ)。 大分県速見郡日出町出身。大分県立大分工業高等学校卒業。石原プロモーション、青山芸術企画に所属していた。 身長は178cm、血液型はA型。 高校卒業後、家庭の事情で大学進学を諦めて上京して就職。働きながら俳優になろうと東宝芸能学校演技科に入学して、1968年3月に卒業。1970年の日米合作映画『トラ・トラ・トラ!』の助監督を経て、1971年に渡哲也主演の松竹映画『さらば掟』で映画俳優デビュー。 東宝や東映の千葉真一主演映画で脇役として出演した後、1974年に石原プロモーションに入社。
西嶋 泰義(にしじま やすよし、1946年(昭和21年)9月… 西嶋 泰義(にしじま やすよし、1946年(昭和21年)9月6日 - )は、日本の政治家。元大分県佐伯市長(3期)、元佐伯市議会議員(5期)。
古庄 幸一(ふるしょう こういち、1946年(昭和21年)5… 古庄 幸一(ふるしょう こういち、1946年(昭和21年)5月13日 - )は、日本の海上自衛官、第26代海上幕僚長。英霊にこたえる会会長、日本会議代表委員。 海上幕僚長時代、防衛大綱の見直しを庁内で議論する「防衛力のあり方検討会議」において、「統合運用体制への移行に際しての長官補佐体制」と題した文書を提示して説明し、制服組の最高ポストとして統合幕僚長が新設される組織改編にあわせ、内局の組織や制服組との関係の見直しを求めた。具体的には、「(自衛隊創設)50年を経た現在、統合運用に移行し、長官補佐を健全かつ円滑なものとするとの観点から適切ではない」と指摘し、防衛参事官制度の削除(廃止)を要求したほか、防衛庁(当時)・自衛隊全体への「監督権」を防衛事務次官に付与していた内閣府設置法61条を改正して、「部隊運用に関する監督機能を削除」、さらに「統合幕僚長が自衛隊の運用に関する事務を所掌するよう明記する」ことを求めた。
池田 重喜(いけだ しげき、1946年5月1日 - )は、大… 池田 重喜(いけだ しげき、1946年5月1日 - )は、大分県出身の元プロ野球選手(投手)。
井脇 ノブ子(いわき ノブこ、1946年2月11日 ‐ )は… 井脇 ノブ子(いわき ノブこ、1946年2月11日 ‐ )は、日本の教育者、政治家。 衆議院議員(1期)、自由民主党女性局次長、学校法人理事長、国民の祝日を祝う会理事、志帥会参与などを歴任。 愛称はノブ姉。著名な親族として政治家の大江康弘(井脇の甥の嫁が大江の親戚)、競泳選手の谷川禎次郎、ダイノジの大谷ノブ彦がいる。 漁師の9人兄妹の末っ子として、大分県南海部郡東中浦村梶寄(現佐伯市鶴見梶寄浦)で誕生。男勝りな性格から金太郎というあだ名が付けられた。 家は決して裕福ではなく、毎日朝4時から海に潜り、アワビやサザエを採取して市場で売り家計を助けていた。水泳の上達はその賜物である。小学校のときには厚生大臣になるという夢を持つ。
山口 喜司(やまぐち よしじ、1946年1月17日-)は、大… 山口 喜司(やまぐち よしじ、1946年1月17日-)は、大分県宇佐市江須賀出身の元プロ野球選手(投手・外野手)。左投げ左打ちであった。 大分県立中津東高等学校から大分鉄道管理局と陸上自衛隊西部を経て、1968年のドラフト3位で広島東洋カープに入団。投手経験は自衛隊入隊ごろからで、一年と浅かったが、柔かい手首を利してのスピードボールはすでにスカウト間で高い評価をしていた。自衛隊からのプロ入りは小平誠司につぎ二人目で、山口はその小平と短期間ではあるがバッテリーを組んだこともある。武器はストレートとシュート。プロ入り後、野手に転向した。一軍戦には1試合に代打で出場、1打席凡退の成績しか残せず、3年で引退した。
三原修二(みはら しゅうじ、1946年 - )は、日本の実業… 三原修二(みはら しゅうじ、1946年 - )は、日本の実業家。 大分県出身。大分県立大分鶴崎高等学校を経て、1969年(昭44年)東北大学経済学部卒、川崎重工業入社。2009年副社長、2011年顧問。2012年本州四国連絡高速道路社長に就任。兵庫県経営者協会会長。
栗山 政雄(くりやま まさお、1946年 - )は、日本の建… 栗山 政雄(くりやま まさお、1946年 - )は、日本の建築家。大分県日田市生まれ。福岡県で活動する。 1968年、日本大学工学部建築学科卒業。横浜建築設計研究所、三島設計事務所をへて1975年、栗山建築設計研究所を設立。 1975年、ふじ丘ニュータウンモデル住宅設計競技最優秀賞、1993年福岡県文化教育功労賞・文部大臣賞(教育)。1999年には海宴亭ホワイトロード店で照明学会優秀施設賞、2003年日田市総合文化施設公募型エスキスコンペで佳作入選、内田こどもクリニックで福岡県建築士事務所協会優秀賞を受賞した。その他の作品に海宴亭福岡店、アールイン博多、佐賀記念病院、服巻医院デイケア施設と住居、養護老人ホームシルバーケア武雄などがある。
佐藤 廣士(さとう ひろし、1945年9月25日 - )は、… 佐藤 廣士(さとう ひろし、1945年9月25日 - )は、日本の実業家、工学博士。神戸製鋼所代表取締役社長、同社代表取締役会長、神戸国際会館代表取締役社長、関西経済連合会副会長、日本鉄鋼連盟副会長、日本知的財産協会会長等を歴任。 大分県日出町出身。大分県立杵築高等学校を経て、九州大学工学部金属学科卒業。表面処理分野研究室出身。1970年九州大学大学院工学研究科冶金学専攻修士課程修了、神戸製鋼所入社。1983年「チタンの不働態化反応と局部腐食に関する研究」で九州大学より工学博士の学位を取得。 神戸製鋼所では技術開発本部材料研究所長、開発企画部長、技術開発本部長を経て、1996年取締役に昇格。常務、専務を経て、2004年代表取締役副社長。
高橋 栄子(たかはし えいこ、1945年9月21日 - )は… 高橋 栄子(たかはし えいこ、1945年9月21日 - )は、日本の元競泳選手。神奈川県出身。1964年東京オリンピック日本代表。100m・200mバタフライの元日本記録保持者。 別府市立山の手中学校、大分県立佐伯鶴城高等学校、別府大学出身。 1962年アジア競技大会に出場。100mバタフライで金メダル、400mメドレーリレーで銀メダルを獲得した。 1964年東京オリンピック日本代表に選出された。100mバタフライでは予選で1分8秒4、準決勝で1分7秒8と連続で日本新記録を更新して決勝に進出し、7位になった。400mメドレーリレーでは予選で4分40秒6の日本新記録を樹立、決勝では4位入賞を果たした。
後藤 晃(ごとう あきら、1945年9月7日 - )は、大分… 後藤 晃(ごとう あきら、1945年9月7日 - )は、大分県生まれの日本の経済学者。専門は産業組織論。東京大学名誉教授。
井沢 満(いざわ まん、本名:井澤 満(いざわ みつる)、1… 井沢 満(いざわ まん、本名:井澤 満(いざわ みつる)、1945年8月6日 - )は、日本の脚本家、小説家。大分県出身。コメンテーターとしてテレビ番組にも出演する。 日本統治下の朝鮮・京畿道京城府(現在のソウル特別市)に誕生。終戦に伴い、0歳の時に居留日本人の引揚船でもともとの郷里である長崎へ帰り、4歳までを過ごす。大分県立大分舞鶴高等学校卒業。早稲田大学第一文学部仏文科中退後、オーストラリアへ渡る。帰国後、NHKのラジオドラマのシナリオコンクールに佳作入選したのをきっかけとして、脚本家の道へと進む。 脚本家として、しばらくはラジオを中心に書いていたが、NHKやTBSのテレビドラマでピンチヒッターのライターを務めるうちに、テレビへと方向転換をする。
川野 淳次(かわの じゅんじ、1945年7月11日 - )は… 川野 淳次(かわの じゅんじ、1945年7月11日 - )は大分県中津市出身の元サッカー選手、サッカー指導者(JFA 公認S級コーチ)。 大分県立中津南高等学校を卒業後、東京教育大学に入学。蹴球部在籍時に日本代表に初めて選出された他、1965年のAFCユース選手権にも出場した。大学卒業後は東洋工業に所属し、ディフェンダーとして活躍。日本代表として1970 FIFAワールドカップ・予選など、国際Aマッチ2試合に出場した。 現役引退後は大分FC(現:大分トリニータ)のゼネラルマネージャーなどを務めた。
松下 芳夫(まつした よしお、1945年5月21日 - 20… 松下 芳夫(まつした よしお、1945年5月21日 - 2020年2月29日)は、大分県出身の元プロ野球選手。ポジションは捕手。 別府緑丘高校から電電近畿へ入社。都市対抗野球にチームは出場するも試合には出ていない。 1967年ドラフト会議で近鉄バファローズから5位指名を受け入団。 1軍出場は1968年の偵察メンバー1試合のみ。1969年に引退。
前田 晃伸(まえだ てるのぶ、1945年〈昭和20年〉1月2… 前田 晃伸(まえだ てるのぶ、1945年〈昭和20年〉1月2日 - )は、日本の投資家。元みずほフィナンシャルグループ社長・会長。第23代日本放送協会会長。元国家公安委員会委員。肥後銀行監査役。勲等は旭日大綬章。 5人兄弟の長男。出生自体は熊本県であるが、1歳のときに両親の故郷である大分県中津市へ移り住み、以来この地をふるさととして育った。父・慶一は弁護士で、母・シモとともに放任主義の人であった。 小学生、中学校と音楽系の部活動に所属し、それぞれハーモニカ、トロンボーンを演奏していた。中学時代には西日本大会出場の成績も残している。 高校まで中津で過ごし、1浪の末、東京大学に合格し上京。法学部第1類(私法コース)3年生の夏休みには、ガラス店を営む祖母の家から運送用のバイクを借りて乗り回す。
岩崎 邦宏(いわさき くにひろ、1944年10月5日 - )… 岩崎 邦宏(いわさき くにひろ、1944年10月5日 - )は、大分県出身の元競泳選手。1964年東京オリンピック競泳男子800mフリーリレー銅メダリスト。大分県立佐伯鶴城高等学校、早稲田大学教育学部卒業。東京・メキシコの2大会に出場。 早稲田大学2年時に出場した1964年東京オリンピックでは400mリレーで4位入賞、800mリレーでこの大会競泳チーム唯一となる銅メダルを獲得する。 1966年アジア競技大会では100m自由形で優勝・日本新、200m自由形で優勝、800mリレーで優勝、400mメドレーリレーで優勝する 1968年メキシコシティーオリンピックでは100m自由形で準決勝敗退、200m自由形予選敗退、400mリレーでは8位、400mメドレーリレーでは5位、800mリレーでは予選敗退。
三浦 信由(みうら のぶよし、1944年5月11日 - )は… 三浦 信由(みうら のぶよし、1944年5月11日 - )は、日本の陸上競技(中距離走)選手。旧姓:松田。 大分県宇佐郡院内村景平(現在の宇佐市院内町景平)出身。陸上競技を行っていた3歳上の兄に刺激され、小学校5年生の時に陸上競技を始める。院内町立竜東中学校3年生のとき、全国中学校放送陸上競技大会に出場し3000m競走で優勝、大分県中学校駅伝会では宇佐郡チームの優勝に貢献。駅伝の強豪であった大分県立四日市農業高等学校(現在の大分県立宇佐産業科学高等学校)に進学し、1962年(昭和37年)には全国高等学校駅伝競走大会に大分県代表として出場した。 大分県陸上競技協会理事長であった池中康雄(東洋大学出身)の勧めで東洋大学に入学。
渡辺 峻(わたなべ たかし、1944年3月26日- )は、日… 渡辺 峻(わたなべ たかし、1944年3月26日- )は、日本の経営学者。立命館大学名誉教授。 大分市生まれ。1966年同志社大学商学部卒。1972年同志社大学大学院商学研究科博士後期課程単位取得修了。1986年「現代銀行企業の労働と管理ーーオフィス・オートメーションとホワイトカラーに関する経営経済学的研究」で立命館大学より経営学博士の学位を取得。1972年に立命館大学経営学部助教授、その後、教授、経営管理研究科教授。 この間、英国ウォーリック大学客員研究員(1987年)、英国シェフィールド大学客員教授(1994年)、非常勤として九州大学大学院、京都大学大学院、同志社大学大学院、関西学院大学大学院、関西大学大学院などで講義担当。
大塚 博堂(おおつか はくどう、本名の読み:おおつか ひろた… 大塚 博堂(おおつか はくどう、本名の読み:おおつか ひろたか、1944年3月22日 - 1981年5月18日)は、ニューミュージックのシンガーソングライター。大分県別府市出身。東洋音楽大学(現:東京音楽大学)声楽科中退。活動時の所属事務所は渡辺プロダクション。 以下の表記は、「博堂」で統一する。 1972年(昭和47年)に「大塚たけし」名義で歌手デビュー、デビュー曲は「自由に生きてほしい」。作曲:井上忠夫、作詞:阿久悠の音楽祭用の楽曲であったが、ヒットには繋がらなかった。その後クラブやライブハウスでの弾き語りの活動が評判になり、1976年(昭和51年)6月26日、『ダスティン・ホフマンになれなかったよ』で32歳での再デビュー。
新貝 正勝(しんがい まさかつ、1944年2月4日 - )は… 新貝 正勝(しんがい まさかつ、1944年2月4日 - )は、日本の元政治家、官僚。元大分県中津市長。元・防衛研究所長。
矢玉 四郎(やだま しろう、1944年2月3日 - 2024… 矢玉 四郎(やだま しろう、1944年2月3日 - 2024年7月14日)は、日本の児童文学作家、画家、漫画家、作詞家。日本児童出版美術家連盟(童美連)・日本文藝家協会会員。 大分県別府市に生まれる。千葉大学工学部工業意匠学科卒業後、商業デザイナーとしてサラリーマン生活の後、漫画家として独立する。週刊少年マガジンなどにナンセンス漫画を発表する。 しかしその後は児童文学に転向し、その第一歩として『おしいれの中のみこたん』を出版。1980年(昭和55年)には『はれときどきぶた』(岩崎書店刊)を発表。たちまち大ヒットとなった上、テレビアニメ化されたり各国語に翻訳されたりとさまざまな反響を呼び、現代を代表する児童文学の代表作ともなった。
佐藤 哲(さとう てつ、1944年(昭和19年)1月27日 … 佐藤 哲(さとう てつ、1944年(昭和19年)1月27日 - )は、大分県大分市出身の日本の洋画家。本名佐藤哲也。 1944年(昭和19年)1月27日、大分県大分市に生まれる。 1966年(昭和41年)、大分大学学芸学部美術科卒業。翌1967年(昭和42年)、江藤哲に師事。 1975年(昭和50年)日展初入選、同年東光展会友賞。1982年(昭和57年)「紫陽花の頃」が第14回日展特選を受賞、東光展会員賞。1991年(平成3年)ジャパンフェスティバル・イン・ベルリン展金賞。 2009年(平成21年)「ひととき」が第41回日展文部科学大臣賞受賞。2013年(平成25年)、「夏の終りに」が日本芸術院賞受賞。
河野 正憲(かわの まさのり、1944年 - )は、日本の法… 河野 正憲(かわの まさのり、1944年 - )は、日本の法学者(民事訴訟法・倒産処理法・国際仲裁法)、弁護士。法学博士(1995年)。元東北大学教授、名古屋大学名誉教授。元司法試験考査委員。
月 竜香(つき りゅうか、1944年 - 1948年の間の4… 月 竜香(つき りゅうか、1944年 - 1948年の間の4月5日 - )は、日本の占い師、ラジオパーソナリティ。愛知県名古屋市千種区在住。 この項目は、占いに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています。 この項目は、芸能人一般(俳優/女優・歌手・お笑い芸人・アナウンサー以外のタレントなど)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:芸能人)。
山口 怜子(やまぐち れいこ、1944年 - )は、日本の著… 山口 怜子(やまぐち れいこ、1944年 - )は、日本の著名なパッチワークキルト作家である。その創作活動は多岐にわたり、日本のキルト界において独自の地位を確立している。 また、山口は、創業以来続く老舗である山口酒造所の女将としても知られている。伝統ある酒造りの家を守りながら、地域文化の継承にも貢献している。 さらに、山口は料理研究家としても活動を展開している。豊かな知識と経験に基づいた料理は、多くの人々に支持されている。パッチワークキルト制作に加え、食に関する分野においてもその才能を発揮していることは特筆すべき点である。 大分県日田郡大山町(現・日田市)の出身である。父は、大山町長および大山町農業協同組合長を務めた矢幡治美(やはた はるみ)である。
池永 浩之(いけなが ひろゆき、1943年12月10日 - … 池永 浩之(いけなが ひろゆき、1943年12月10日 - )は、大分県大分市出身の元プロ野球選手。 大分商業高校から1962年に西鉄ライオンズへ入団。1966年に引退。 この項目は、野球選手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ野球選手/P野球)。
首藤 奉文(しゅとう ほうぶん、1943年(昭和18年)11… 首藤 奉文(しゅとう ほうぶん、1943年(昭和18年)11月8日 - )は、日本の政治家、元教諭。元大分県由布市長(3期)。 大分県庄内町(現・由布市)出身。大分県立大分上野丘高等学校卒業。1966年(昭和41年)3月、大分大学学芸学部卒業。同年4月、国語教諭として中学校に赴任する。 1999年(平成11年)2月、庄内町長に就任。2003年(平成15年)、2期目の当選。 2005年(平成17年)10月1日、大分郡挾間町・庄内町・湯布院町が新設合併して由布市が発足。これに伴って10月30日に行われた由布市長選挙に出馬。挾間町長の佐藤成己、湯布院町長の佐藤哲紹ら3人の候補者を破り初当選を果たした(首藤:8,538票、佐藤成己:8,424票、佐藤哲紹:7,161票、佐藤俊彦:796票)。
大石 弥太郎(おおいし やたろう、1943年10月6日 - … 大石 弥太郎(おおいし やたろう、1943年10月6日 - )は、大分県佐伯市出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ・監督、解説者。