白石 優生(しらいし ゆうせい、1997年〈平成9年〉3月2… 白石 優生(しらいし ゆうせい、1997年〈平成9年〉3月25日 - )は、日本の国家公務員、YouTuber。 農林水産省大臣官房広報評価課広報室で農林水産省の公式YouTubeチャンネル「BUZZ MAFF」の運用担当者を務め、2023年(令和5年)10月10日より農林水産省大臣官房政策課食料安全保障室に配属。 1997年(平成9年)3月25日、鹿児島県鹿児島市に生まれる。父は鹿児島県庁の農政部に勤務する地方公務員で、父方の祖父母は米の運送業を、母方の祖父母は農業を営んでおり、幼少期から農業が身近にある環境で育った。 3歳の時に父の仕事の関係で奄美大島に移住。奄美大島では海や川で父の職場の人や近所の人に教わりながら釣りをしていた。
美沢 将(みさわ まさる、1988年3月3日 - )は、鹿児… 美沢 将(みさわ まさる、1988年3月3日 - )は、鹿児島県大島郡喜界町出身の警察官、元プロ野球選手(内野手)。右投右打。 鹿児島県大島郡喜界町出身。小学生時代はサッカー少年だったが、中学校にはサッカー部がなかったため野球に転向。 喜界高時代に、投手から遊撃手となる。 高校卒業後には、野球をやめて自衛隊への入隊を希望していたものの、高校の監督の勧めによって県内の第一工業大学へ進学。大学ではすぐにショートのレギュラーをつかみ、1年春に鹿児島県リーグで新人賞、2年秋にはMVPなど、クリーンアップを打って活躍。県リーグ通算15本塁打。 2009年10月29日に行われたドラフト会議において埼玉西武ライオンズに2位で指名され、入団。
小平田 浩司(こひらた こうじ、1960年12月6日 - )… 小平田 浩司(こひらた こうじ、1960年12月6日 - )は、日本の国土交通技官。国土交通省九州地方整備局長や、土木学会全国大会実行委員長を務めた。 鹿児島県鹿児島市出身。鹿児島県立甲南高等学校を経て、1985年九州大学大学院工学研究科修士課程水工土木工学専攻修了、運輸省入省、港湾局開発課配属。沖縄開発庁沖縄総合事務局港湾計画課建設専門官等を経て、1997年建設省第四港湾建設局工務第二課長。 1999年関西国際空港株式会社工務部企画課長。2001年国土交通省航空局飛行場部計画課課長補佐。2003年国土交通省東北地方整備局塩釜港湾空港整備事務所長。2005年茨城県土木部港湾振興監。2008年国土交通省港湾局計画課港湾計画審査官、2009年国土交通省四国地方整備局港湾空港部長。
本田 勝規(ほんだ かつのり、1959年〈昭和34年〉3月2… 本田 勝規(ほんだ かつのり、1959年〈昭和34年〉3月2日 - )は、日本の地方公務員。元鹿児島県職員。奄美群島振興開発基金理事長。 鹿児島県大島郡龍郷町出身。兵庫県立兵庫高等学校を経て、1981年(昭和56年)3月、京都大学法学部を卒業。同年4月、鹿児島県庁へ入庁。 入庁後、土木部監理課用地対策室長、企画部離島振興課長、東京事務所次長、企画部次長(中長期政策等担当)兼交通政策統括監、鹿児島地域振興局長、農政部長などを歴任。大島支庁には2度赴任したことがあり、離島振興課長在任時には奄美群島の在り方検討委員会のメンバーとして、奄美群島の振興開発の方向性や方策などについて討議した。 2019年(平成31年)4月1日、独立行政法人奄美群島振興開発基金理事長に就任。
指宿清秀(いぶすき きよひで、1927年2月18日 - )は… 指宿清秀(いぶすき きよひで、1927年2月18日 - )は、日本の国会職員。第9代参議院事務総長、元財団法人奄美奨学会理事長。柔道家の徳三宝は伯父にあたり位牌を継ぐ親戚関係にある。
田畑 健介(たばた けんすけ、1921年(大正10年)3月1… 田畑 健介(たばた けんすけ、1921年(大正10年)3月16日 - 1989年(平成元年)7月31日)は、昭和期の地方公務員、政治家。東京都練馬区長。 鹿児島県大島郡名瀬村(現・奄美市)金久出身。兄に民俗学者の田畑英勝。旧制鹿児島県立大島中学校(鹿児島県立大島高等学校の前身)、旧制台北中学校(台北市立建国高級中学の前身)、旧制台北高等学校を経て、1944年東京大学法学部政治学科卒業。学徒出陣、復員後、郷里の奄美で大島郡連合青年団初代会長、大島高等学校教諭、古仁屋警察署署長を務める。 1950年東京都職員。労政課長、企画調整局参事などを経て、1969年主税局査察室長、1971年に練馬区総務部長となる。
鮫島 眞男(さめしま さねお、1909年9月2日 - 199… 鮫島 眞男(さめしま さねお、1909年9月2日 - 1995年10月2日)は、日本の国会職員、日本の法学者。第4代衆議院法制局長。衆議院法制局退官後は、城西大学と近畿大学の教授を務めながら商法を研究。位階は正三位。 鹿児島県日置郡東市来村長里(現・日置市東市来町長里)にて生まれ、1922年3月鶴丸尋常小学校卒業。鹿児島県立第二鹿児島中学校 (旧制)へ入学し、2年次から修了まで首席。1926年に同中を4年修了して、第七高等学校造士館 (旧制)へ進学し同校文科でも首位の成績。1930年3月第七高等学校造士館文科卒業。同年東京帝国大学法学部法律学科に入学、1933年、同学科を卒業。 1932年の高等試験司法科に合格し、1933年大学卒業後函館地方裁判所司法官補に任じられ、1934年12月より判事(東京地方裁判所、水戸地方裁判所)。
有馬 四郎助(ありま しろすけ、1864年3月9日(文久4年… 有馬 四郎助(ありま しろすけ、1864年3月9日(文久4年2月2日) - 1934年(昭和9年)2月4日)は、日本の刑務官、社会事業家。 監獄改良と行刑制度の確立に努め、少年釈放者の保護事業として家庭学園(横浜家庭学園)を設立。 現在の鹿児島県鹿児島市荒田町に生まれる。鍛冶を営む益満家の4男で、1869年(明治2年)に士族・有馬家の養子となる。1879年(明治12年)に鹿児島師範学校付属小学校訓導補助、1881年(明治14年)には京都府二等巡査となり、1885年(明治18年)には鹿児島県刑務補。翌1886年(明治19年)、北海道集治監での看守募集に応募し、看守長兼書記となる。 1898年(明治31年)、東京都港区赤坂の霊南坂教会で牧師の留岡幸助から受洗し、「クリスチャン典獄」と呼ばれた。
龍岡 信熊(たつおか しんくま、安政2年12月16日〈185… 龍岡 信熊(たつおか しんくま、安政2年12月16日〈1856年1月23日〉 - 1940年〈昭和15年〉7月27日)は、日本の警察官、政治家。函館区長(第8代)、函館支庁長(初代)、小樽区長、小倉市長(第4代)などを務めた。 薩摩国薩摩郡平佐村(現薩摩川内市)に生まれる。明治8年、警察官(四等巡査)になり第五方面勤務となる。西南戦争では植木口警視が率いる一番小隊の伍長を任される。明治17年に28歳で那覇警察署長となると、さらに2年後の明治19年には沖縄県警察 トップの警部長(本部長)にまでに昇りつめ、以後、宮崎県警察部、岡山県警察部、滋賀県警察部、佐賀県警察部各部の警部長を歴任した。その後は石川県書記官及び石川県参事会員を経て台湾へ渡り、台北県書記官や台湾総督府法院の高等法院検察官などを務めた。
大山 綱昌(おおやま つなまさ、1853年12月24日(嘉永… 大山 綱昌(おおやま つなまさ、1853年12月24日(嘉永6年11月24日) - 1934年(昭和9年)10月18日)は、日本の官僚、政治家、警察官、陸軍軍人。貴族院議員、錦鶏間祗候。位階および勲等は正三位・勲二等。4県の知事を務めた。幼名・勘助。 陸軍元帥の大山巌の父大山綱昌とは同姓同名だが、直接的な血縁関係はない。 薩摩国鹿児島郡鹿児島近在西田村(現鹿児島県鹿児島市)で、鹿児島藩士、大山探賢の長男として生まれる。1875年(明治8年)、警視庁13等出仕となる。1877年(明治10年)、陸軍中尉に任官し西南戦争に出征。階級は陸軍憲兵大尉まで昇り、一等警視補に転じた。次いで、農商務省に移り、権少書記官、書記官、参事官、工務局次長、商工局次長、権大書記官を歴任。
高崎 親章(たかさき ちかあき/しんしょう、1853年6月7… 高崎 親章(たかさき ちかあき/しんしょう、1853年6月7日(嘉永6年5月1日) - 1920年(大正9年)12月27日)は、日本の江戸~大正時代の武士(鹿児島藩士)・警察官(警察官僚)・政治家。貴族院議員。幼名は半十郎。 薩摩国日置郡市来郷の湊町(鹿児島県日置郡西市来村、市来町を経て現いちき串木野市内)生まれ。高崎親廣の長男。内務省警視庁に入庁。初任は警部補。1876年(明治9年)、同郷の同僚である中原尚雄らと共に、墓参のため帰郷した。実際は、下野していた西郷隆盛の実情を視察するため川路利良大警視の密命を受けたものであった。ところが、西郷の私学校から武器・弾薬を勝手に持ち出したため、私学校の生徒らに捕らえられた。
川路 利良(かわじ としよし、天保5年5月11日(1834年… 川路 利良(かわじ としよし、天保5年5月11日(1834年6月17日) - 明治12年(1879年)10月13日)は、日本の警察官・陸軍軍人。幕末から明治初期の薩摩藩士、内務官僚。階級は大警視(後に旧警視長を経て現在の警視総監)、陸軍少将(臨時)。位階は正五位。勲等は勲二等。 初代大警視(現・警視総監)を務め、欧米の近代警察制度を日本で初めて詳細に構築した事実上日本の警察の創設者にして、「日本警察の父」とも言われている。西南戦争では大警視と臨時に陸軍少将を兼任し、警視隊で組織された別働第三旅団を率いて抜刀隊を指揮して西郷軍に大きな打撃を与えた。 名は当初「としなが」と名乗っていたが、後に「としよし」と改名した。