竹田 展大(たけだ のぶひろ、1991年12月20日 - )… 竹田 展大(たけだ のぶひろ、1991年12月20日 - )は、鹿児島県曽於市出身のレスリング選手・指導者、スポーツ科学者、教育者である。日本ウェルネススポーツ大学・日本ウェルネススポーツ専門学校非常勤講師(2017年4月 - 2019年3月)、南九州大学教養教育センター助教(2020年4月 - 2025年3月)、宮崎大学非常勤講師(2021年4月 - 2022年3月)を経て、2025年4月より南九州大学教養教育センター講師。2020年より南九州大学レスリング部監督。同大学学友会体育会部長[要出典]。 学士(経済学)(2014年、専修大学)および修士(スポーツ教育学)(2016年、国士舘大学)の学位を取得し、地理歴史(高等学校)および保健体育(中学校・高等学校)の教育職員免許状、柔道二段の段位も持つ。
落合 渉悟(おちあい しょうご、1990年 - )は、日本の… 落合 渉悟(おちあい しょうご、1990年 - )は、日本の起業家、技術者、著述家。 ブロックチェーン領域で事業や執筆活動を行っており、特にイーサリアムに関連した実績が多い。著書として『僕たちはメタ国家で暮らすことに決めた』がある。訳書にはオライリージャパン社より「マスタリング・イーサリアム」。TEDx登壇やWired特集等の実績もある。 鹿児島県薩摩川内市生まれ。九州大学工学部物質科学工学科在学中にプログラミングを開始し、23歳に渋谷でフリーランス開発者、26歳にインドネシアでファッション通販アプリ会社のCTO。28歳でブロックチェーン関連企業を立ち上げ、東京大学特任研究員や大阪大学特任研究員に就任。
堀川 裕司 (ほりかわ ゆうじ、1977年 - )は経営学者… 堀川 裕司 (ほりかわ ゆうじ、1977年 - )は経営学者、博士(商学)。経営学の研究において業績を発表している。
杉安 和憲(すぎやす かずのり、1977年 - ) は、日本… 杉安 和憲(すぎやす かずのり、1977年 - ) は、日本の化学者、材料科学者。京都大学大学院工学研究科高分子化学専攻教授。 鹿児島県生まれ。1996年鹿児島県立川内高等学校卒業。2000年九州大学工学部応用物質化学科卒業。2002年九州大学大学院工学府物質創造工学専攻修士課程修了、修士(工学)。2005年九州大学大学院工学府物質創造工学専攻博士課程修了、博士(工学)。 同年マサチューセッツ工科大学化学科博士研究員(ティモシー・M・スワージャー)。2007年物質・材料研究機構NIMSポスドク研究員。2008年物質・材料研究機構主任研究員。2013年九州大学大学院工学府材料物性工学専攻材料有機化学研究室准教授兼任。
舞田 敏彦(まいた としひこ、1976年7月12日 - )は… 舞田 敏彦(まいた としひこ、1976年7月12日 - )は、日本の教育社会学者(博士(教育学))。専門は教育社会学、社会病理学、社会統計学。 1995年3月に鹿児島県立甲南高等学校を卒業、東京学芸大学教育学部に進学し小学校教員養成課程を1999年3月に卒業。2001年3月、鹿児島大学大学院教育学研究科修士課程修了。2005年3月、東京学芸大学連合大学院博士後期課程で教育社会学研究室で陣内靖彦に師事し修了。「高等教育就学機会の地域間格差に関する実証的研究」で博士(教育学)、甲種取得。 武蔵野大学、杏林大学、武蔵野学院大学で非常勤講師を務めた。自身のブログで記事を発表しながら、日本教育新聞や各ニュースサイトなどに寄稿や連載をおこなう。
原口 剛(はらぐち たけし、1976年 - )は、日本の地理… 原口 剛(はらぐち たけし、1976年 - )は、日本の地理学者、神戸大学大学院人文学研究科教授、専門は社会地理学・都市論。地図学者として紹介されることもある。釜ヶ崎(あいりん地区)の歴史や、野宿者調査などを通して、社会/空間的排除論を研究している。 千葉県に生まれ、鹿児島県で育ち、鹿児島県立鶴丸高等学校から、東京大学文学部に進んだ。学部での専攻は哲学であった。 2002年から2007年にかけて、大阪市立大学都市文化研究センターCOE研究員となった。 2007年、大阪市立大学大学院文学研究科博士課程を修了し、「都市日雇労働市場の編成と労働運動の動態に関する労働地理学的研究:高度経済成長期の大阪を事例として」により博士(文学)を取得した。
深見 聡(ふかみ さとし 1975年9月25日-)は、日本の… 深見 聡(ふかみ さとし 1975年9月25日-)は、日本の観光学者・地理学者。長崎大学環境科学部准教授。 1975年鹿児島市に生まれる。鹿児島県立鶴丸高等学校を経て、1998年に鹿児島大学理学部地学科(現:理学科地球科学プログラムコース)卒業。2001年、NPO法人まちづくり地域フォーラム・かごしま探検の会を設立し、2008年まで代表理事を務める。2003年、同大学大学院教育学研究科修士課程地理学分野修了。2006年、同大学大学院人文社会科学研究科博士後期課程地域政策科学専攻修了。鹿児島国際大学附置地域総合研究所客員研究員等を経て、2008年より現職。専門は観光地理学、環境教育論、地理教育論。
西 剛志(にし たけゆき、1975年4月8日 - )は、日本… 西 剛志(にし たけゆき、1975年4月8日 - )は、日本の脳科学者であり博士(工学)、分子生物学者。 ほか著作家、講演家、セミナー・研修講師、アドバイザー。武蔵野学院大学 客員研究員(スペシャルアカデミックフェロー)、LCA教育研究所顧問。T&Rセルフイメージデザイン合同会社代表取締役。 1975年、宮崎県高千穂生まれ。東京工業大学大学院非常講師、特許庁・知的財産研究所勤務を経て、2008年に企業・個人のパフォーマンスアップをサポートする会社を設立。
川畑 秀明(かわばた ひであき、1974年 - )は、日本の… 川畑 秀明(かわばた ひであき、1974年 - )は、日本の心理学者。慶應義塾大学文学部人文社会学科人間関係系教授。日本における感性心理学の第一人者。 専門領域は、感性心理学(実験美学,神経美学,対人魅力・対人印象研究,抗加齢医学分野の心理学的研究,感性教育,鑑賞教育)、芸術心理学、認知神経科学、知覚心理学などである。 主な研究テーマは、「美意識・美的な心の在り方」、「芸術や美の感じ方」、「顔や身体の魅力の認知と評価、抗加齢的処方への応用」、「美やアートの効用」などである。発達や文化差などを踏まえ、美とアートに関わる脳と心の働きについて多様性や個性についても研究を行っている。 研究対象は、絵画や音楽などの諸芸術、美、顔魅力、創造性、広告、ユーザー・エクスペリエンス,デザイン,ユーザビリティ,感性教育,鑑賞行動など多岐にわたる。
鮫島 卓(さめしま たく、1973年 - )は、日本の観光学… 鮫島 卓(さめしま たく、1973年 - )は、日本の観光学者。駒沢女子大学 観光文化学類 教授。研究分野は観光経済学、経済地理学。 鹿児島県南さつま市(旧坊津町)生まれ。1992年鹿児島県立加世田高等学校卒業。1996年明治学院大学国際学部卒業。2003年立教大学大学院観光学研究科博士前期課程修了(観光学修士)。世界75ヶ国を訪れた旅人。1996年エイチ・アイ・エス入社。経営企画など経て、2005年より堺屋太一らと取り組んだモンゴル建国800周年記念事業実行委員会の事務局長(出向)としてモンゴルに駐在。その後、ハウステンボス再生事業担当、エコツーリズムデスク所長。スタディツアーの取組みで観光庁長官賞受賞。
諸麥 俊司(もろむぎ しゅんじ、1973年 - )は、日本の… 諸麥 俊司(もろむぎ しゅんじ、1973年 - )は、日本の工学者。博士(Ph.D.)。専門は医用工学、福祉工学、生体工学、生体情報計測。中央大学准教授(2022年度現在)。 鹿児島県姶良市出身。鹿児島県立加治木高等学校を経て、1997年に長崎大学工学部機械システム工学科を卒業。1999年に電気通信大学大学院情報システム学研究科博士前期課程を修了し、修士(工学)の学位を取得。2003年、カリフォルニア大学アーバイン校Dept. of Civil&Environmental Engineering博士課程(Ph.D course)を修了し、Ph.D.(博士号)を取得。 2002年長崎大学工学部助手着任、2007年同学部助教に配置換え。
松田 忠大(まつだ ただひろ、1971年9月-)は、日本の法… 松田 忠大(まつだ ただひろ、1971年9月-)は、日本の法学者。法学博士。商法、特に海商法が専門。鹿児島大学教授・法文学部長(2020年度現在)。 鹿児島県姶良郡姶良町(現姶良市)出身で、姶良町立重富中学校を経て、1990年に鹿児島県立甲南高等学校を卒業。 1994年3月、早稲田大学法学部卒業。大学で先輩に誘われて中村眞澄の海商法のゼミに入り、海洋や船舶上の法に関心を持つようになる。同大学院法学研究科に進学し、そこで箱井崇史から研究者の道を勧められたため、1996年9月に修士課程修了して、1997年4月より宇部工業高等専門学校講師を務めながら研究を続ける。2000年4月に鹿児島工業高等専門学校講師となり、2002年4月より同校助教授。
北薗 幸一(きたぞの こういち、1971年8月 - )は、日… 北薗 幸一(きたぞの こういち、1971年8月 - )は、日本の工学者。博士(工学)。専門は材料工学、航空宇宙工学。2020年度現在、東京都立大学教授。 鹿児島県生まれ。ガンダム世代で小さい頃からロボットや宇宙が好きで、材料からロボットにアプローチするため材料工学の道に進む。1990年3月、鹿児島県立甲南高等学校卒業。1994年3月、京都大学工学部金属加工学科卒業。1996年3月東京大学大学院工学系研究科材料学専攻修士課程修了。1999年3月に同専攻博士課程修了し、「内部応力超塑性に関する研究」で博士(工学)取得。 1998年4月から1999年6月まで日本学術振興会特別研究員。1999年7月より文部省宇宙科学研究所宇宙輸送研究系助手、2003年10月より宇宙航空研究開発機構宇宙科学研究本部宇宙構造・材料工学研究系助手。
髙橋 聡美(たかはし さとみ、1968年 - )は、日本の看… 髙橋 聡美(たかはし さとみ、1968年 - )は、日本の看護学者。専門は精神看護学。つくば国際大学教授、防衛医科大学校教授を経て、一般社団法人髙橋聡美研究室代表。自殺予防活動に取り組む。博士(医学)取得者。 鹿児島県鹿屋市生まれ、南さつま市育ち。鹿児島県立加世田高等学校卒業、自衛隊中央病院高等看護学院卒業。後に、東北大学大学院医科学系研究科修了。 自衛隊中央病院高等看護学院卒業後は、国立国際医療研究センター国府台病院の精神科・心療内科に看護師として勤務。2003年~2005年にスウェーデンで医療福祉政策、メンタルヘルス制度について調査。帰国後、宮城大学助手となり、看護学部精神看護学領域で看護教育に従事しながら、宮城県内の自殺予防活動に着手。
山内 敏正(やまうち としまさ、1967年10月14日 - … 山内 敏正(やまうち としまさ、1967年10月14日 - )は、日本の医学者。東京大学大学院医学系研究科内科学専攻生体防御腫瘍内科学講座教授。専門は糖尿病学、代謝学。アディポネクチン受容体(AdipoR1及びAdipoR2)の研究で知られる。 日本内科学会(評議員)、日本糖尿病学会(事務局長,学術評議員)、日本内分泌学会(評議員)、日本臨床分子医学会(評議員)、日本病態栄養学会(評議員)、日本肥満学会(評議員)、日本肥満症治療学会(評議員)、国際スポートロジー学会(評議員)、日本体質医学会(評議員) 2014年の大晦日から論文の告発をされるようになり、国会でも何度か取り上げられたが、調査の結果、いずれも不正は認められていない。
瀧井 一博(たきい かずひろ、1967年1月28日 - )は… 瀧井 一博(たきい かずひろ、1967年1月28日 - )は、日本の法制史学者。専門は主に国制史、比較法史。国際日本文化研究センター教授。
恵 俊彰(めぐみ としあき、1964年〈昭和39年〉12月2… 恵 俊彰(めぐみ としあき、1964年〈昭和39年〉12月21日 - )は、日本のお笑いタレント、司会者、俳優、スポーツ科学者。学位は修士。お笑いコンビホンジャマカのツッコミ担当。相方は石塚英彦。愛称は、恵(めぐ)ちゃん。 鹿児島県鹿児島市出身。ワタナベエンターテインメント所属。 鹿児島大学教育学部附属小学校、鹿児島市立甲南中学校、鹿児島県立甲南高等学校卒業。3年間の浪人を経て、東放学園専門学校に就職。 1986年(昭和61年)、当時渡辺プロダクションが立ち上げた若手お笑いタレントグループ「BIG THURSDAY()」のオーディションに合格し、芸能界に入る。1988年(昭和63年)6月4日、インクスティック芝浦ファクトリーにて11人体制でホンジャマカ初ライブ「BIG THURSDAY ホンジャマカ VOL.1」を開催する。
床次 眞司(とこなみ しんじ、1964年11月2日 - )は… 床次 眞司(とこなみ しんじ、1964年11月2日 - )は、日本の物理学者。専門は保健物理学。 学位は、博士(工学)(早稲田大学・1995年)。弘前大学副学長(被ばく・防災、国際連携担当)及び被ばく医療総合研究所・教授。 出典はresearchmap。 鹿児島県生まれ。1983年鹿児島県立甲南高等学校卒業。1988年早稲田大学理工学部資源工学科卒業。1992年早稲田大学大学院理工学研究科修士課程物理学及び応用物理学専攻原子核工学専門分野修了。早稲田大学理工学研究所助手。 1994年早稲田大学大学院理工学研究科博士後期課程物理学及び応用物理学専攻原子核工学専門分野単位取得退学[要出典]。科学技術庁放射線医学総合研究所環境衛生研究部研究員。
八重倉 孝(やえくら たかし、1961年10月8日 - )は… 八重倉 孝(やえくら たかし、1961年10月8日 - )は、日本の会計学者。早稲田大学商学学術院教授。法学士(東京大学)、MBA(コーネル大学)、Ph.D. in Accountancy(イリノイ大学)。専門は、財務会計、経営分析、国際財務会計。 ラ・サール中学校・高等学校を経て、1986年、東京大学法学部公法コース卒業。三和銀行を経て、1991年にコーネル大学経営学大学院修士課程修了(MBA)、2001年にイリノイ大学大学院商学研究科博士課程修了(会計学博士)。この間、国際大学大学院や筑波大学の講師や、名古屋市立大学大学院・東北大学大学院・千葉大学・埼玉大学大学院・武蔵大学・早稲田大学大学院の非常勤講師等を務め、2004年から法政大学経営学部教授。
柳田 理科雄(やなぎた りかお、本名同じ、1961年(昭和3… 柳田 理科雄(やなぎた りかお、本名同じ、1961年(昭和36年)6月21日 - )は、日本の作家、漫画原作者、大学教員、ラジオパーソナリティ、YouTuber。 明治大学理工学部 兼任講師。株式会社『空想科学研究所』主任研究員。 鹿児島県熊毛郡南種子町出身。父は南種子町長を2007年まで4期16年務めた柳田長谷男。「理科雄」は、ペンネームではなく本名である。彼が生まれる2ヵ月ほど前(1961年4月12日)にユーリイ・ガガーリンが世界初の宇宙飛行に成功しており、これに感激した父が「これからは科学の時代だ」と考えて命名した名前であるという。「理科雄」という変わった名前で父が出生届を出した際、町役場の係員からは「本当にこれでいいんですね?」と繰り返し念を押されたという。
平田厚(ひらた あつし、1960年5月- )は、日本の弁護士… 平田厚(ひらた あつし、1960年5月- )は、日本の弁護士・民法学者。明治大学教授。 鹿児島市生まれ。鹿児島県立鶴丸高等学校卒業、1985年東京大学経済学部卒業、1987年司法試験合格。1990年弁護士登録。 1996年ベルギー、ルーヴァン・カトリック大学留学、2004年明治大学法科大学院専任教授となる(民法担当)。 2012年日比谷南法律事務所を設立。
佐藤 光三(さとう こうぞう、1960年 - )は、日本の工… 佐藤 光三(さとう こうぞう、1960年 - )は、日本の工学者、東京大学教授。専門は地球・資源システム工学。 1978年、ラ・サール高等学校卒業。1982年、東京大学工学部資源開発工学科卒業。1987年、スタンフォード大学地球科学部石油工学科修士課程、1992年同大学地球科学部石油工学科博士課程。 1982年~1999年まで帝国石油株式会社に勤務し、2003年から東京大学地球システム工学専攻教授。
今村 保忠(いまむら やすただ、1959年 - )は、日本の… 今村 保忠(いまむら やすただ、1959年 - )は、日本の生化学者、工学院大学教授、学長、学校法人工学院大学理事長。 おもな研究テーマは、コラーゲンを基質とする細胞培養などの生化学研究。 鹿児島県生まれ。同県肝属郡東串良町川東の役所地区出身。1978年鹿児島県立鹿屋高等学校卒業。 1983年に東京大学教養学部基礎科学科を卒業して大学院に進み、1985年に東京大学大学院理学系研究科相関理化学専攻修士課程を修了、1987年11月に博士課程を中途退学して、東京大学教養学部化学教室の助手となった。 1989年9月、「筋小胞体Ca[2+]輸送ATPaseにおけるエネルギー共役機構の研究」により、東京大学から理学博士を取得した。
上脇 博之(かみわき ひろし、1958年7月25日 - )は… 上脇 博之(かみわき ひろし、1958年7月25日 - )は、日本の法学者。憲法学を専門として研究・教育する憲法学者。1994年「政治改革」は日本国憲法の議会制民主主義に逆行する改悪だったとして、その違憲の諸制度により過剰代表されて誕生する政権与党の暴走を監視するために、市民運動にも積極的に取り組んでいる。弁護士の支援を受けて情報公開訴訟を提起したり、政治資金・選挙資金問題を中心に多数の大臣ら政治家を刑事告発してきた。神戸学院大学法学部教授。 鹿児島県姶良郡隼人町(現・霧島市隼人町)の会社員の家庭に生まれた。3人兄弟の次男で、父は九州電力に勤めていた。幼い頃は、父の転勤で姶良郡内を幾度か転居した。
西 研(にし けん、1957年 - )は、日本の哲学者。東京… 西 研(にし けん、1957年 - )は、日本の哲学者。東京医科大学教授。専攻は社会哲学、特にヘーゲル、ハーバーマス。その後、フッサールなど現象学分野にも関心を向けており、それに関連した著書もある(『哲学的思考』)。竹田青嗣との共著が多い。著書に『ヘーゲル・大人のなりかた』(1995年)、『哲学的再考』(2001年)、『社会学にできること』(共著 2009年)など。 また教育出版の小学6年生の教科書に書き下ろし作品(ぼくの世界、きみの世界)がある。 鹿児島県出身。ラ・サール中学校・高等学校を経て、1982年、東京大学教養学部教養学科相関社会科学専攻卒業、1986年、同大学院総合文化研究科修士課程修了。
中釜 斉(なかがま ひとし、1956年〈昭和31年〉7月25… 中釜 斉(なかがま ひとし、1956年〈昭和31年〉7月25日 - )は、日本の医師、医学者。専門分野は消化器内科、ライフサイエンス、病態医化学、分子腫瘍学、がんゲノム、環境発がん。日本医療研究開発機構理事長。国立がん研究センター理事長(第3代)などを務めた。 鹿児島県出身。7人兄弟の長男で、学生時代は陸上競技に興じた。ラ・サール中学校・高等学校を経て、1982年(昭和57年)3月、東京大学医学部を卒業。大学の同期生に医学者の森田明夫、小室一成らがおり、大学時代はバレーボールに興じた。 卒業後、東京大学医学部附属病院第3内科医員、国立がんセンター研究所発がん研究部研究員、東京大学医学部附属病院第3内科文部教官助手、マサチューセッツ工科大学がん研究センターリサーチフェローを経て、1992年(平成4年)3月、医学博士号を取得。
船津 公人(ふなつ きみと、1955年12月3日 - )は、… 船津 公人(ふなつ きみと、1955年12月3日 - )は、日本の化学者。理学博士。東京大学名誉教授。ケモインフォマティクス、データ駆動型化学を専門とする応用化学者。 1974年3月鹿児島県立甲南高等学校卒業。1978年3月九州大学理学部(化学)卒業、1983年3月九州大学大学院理学研究科博士後期課程修了。豊橋技術科学大学物質工学系助手(1984年3月-1990年3月)、講師(1990年4月-1992年3月)、同大学知識情報工学系助教授(1992年4月-2004年3月)を経て、2004年4月から東京大学工学系研究科化学システム工学専攻教授。2011年ストラスブール大学招聘教授。2017年10月から東京大学とのクロスアポイントメントにより奈良先端科学技術大学院大学データ駆動型サイエンス創造センター(DSC)研究ディレクターを兼任。
石井 恵子(いしい けいこ、旧姓・久村、1955年10月 -… 石井 恵子(いしい けいこ、旧姓・久村、1955年10月 - )は、日本の生理学者。理学博士(生物学)。専門は感染免疫学。東北大学医学系研究科および医学部(保健学専攻基礎検査医科学講座感染分子病態解析学分野)准教授(2018年現在)。 日本臨床細菌学会、東北院内感染対策研究会、日本ウイルス学会、日本免疫学会、日本分子生物学会、日本臨床検査医学会、日本細菌学会、日本環境感染学会、アメリカ免疫学会、日本生体防御学会、日本リウマチ学会、日本感染症学会
倉元 綾子(くらもと あやこ、1955年-)は、日本の家政学… 倉元 綾子(くらもと あやこ、1955年-)は、日本の家政学者・生活科学者。医学博士。西南学院大学教授を務めた。 鹿児島県出身で、1973年鹿児島県立甲南高等学校卒業、1977年奈良女子大学家政学部食物学科卒業、1980年同大学院家政学研究科食物学専攻修了(家政学修士取得)、1984年大阪市立大学大学院医学研究科生理系専攻生化学修了(医学博士取得)。生化学若い研究者の会(生化若手の会)で活動。1984年神戸女学院大学家政学部食物学科助手、1990年湊川女子短期大学助教授、1994年、鹿児島県立短期大学助教授(2007年より准教授)。2018年4月より西南学院大学人間科学部児童教育学科教授。2019年10月より日本家政学会代議員。
有馬 晋作(ありま しんさく、1955年 - )は、日本の行… 有馬 晋作(ありま しんさく、1955年 - )は、日本の行政学者。宮崎公立大学第8代学長・名誉教授。専門は行政学、地方自治論。博士(学術)。日本地方自治研究学会常任理事。 鹿児島県鹿児島市生まれ。1974年3月鹿児島県立甲南高等学校卒業。高校での部活動は化学部。1975年4月明治大学経営学部経営学科入学、1979年3月に卒業し、商業の高校教員免許を取得。1980年12月鹿児島県庁(鹿児島県上級行政職)に入職し、以降23年間勤務。県庁では高齢者福祉、過疎対策などを担当。その間に、自治省(現・総務省)財政局での「地方財政白書」の執筆や、鹿児島県大口市役所(現・伊佐市)での勤務を経験する。1996年4月鹿児島大学大学院法学研究科法学専攻へ入学して1998年3月修了し、修士(法学)の学位を授与される。
合原 一幸(あいはら かずゆき、1954年6月23日 - )… 合原 一幸(あいはら かずゆき、1954年6月23日 - )は、日本の工学者。 東京大学国際高等研究所ニューロインテリジェンス国際研究機構副機構長、東京大学特別教授。学位は、工学博士。福岡県出身。 福岡県出身の数理工学者。カオスニューラルネットワークの概念を提唱したことで知られる。神経回路のような複雑性を持つネットワークを対象とした、複雑系やカオス理論の知見を応用した数理モデルの研究を行っている。 実家は電気屋で、一幸で三代目にあたる。モットーは「大統領のように働き,王様のように遊ぶ」。昆虫博士になることを夢見ていたが、カナダの学会で現在の昆虫学者が脳神経科学に近い研究をしていることを知り、夢が実現していたことを知った。
酒匂 一郎(さこう いちろう、1954年-)は、日本の法学者… 酒匂 一郎(さこう いちろう、1954年-)は、日本の法学者。法学博士、九州大学名誉教授。専門は法哲学(法理学)で、法システムの基本構造の他、多文化主義をめぐる現代正義論、情報社会の秩序問題、生命倫理と法、グスタフ・ラートブルフ及び関連の法思想、法的思考の比較思想史などについて研究。 1973年3月鹿児島県立加治木高等学校卒業。同年4月に九州大学法学部へ入学し、1978年3月に卒業。同年4月、九州大学大学院法学研究科基礎法学専攻へ進学し、1980年3月に修士課程修了、1984年3月に博士課程単位取得退学。同年4月から1986年3月まで九州大学法学部助手を務める。1987年3月に論文「全体性の法思想 その構造と展開」で九州大学より法学博士号授与。
上甫木昭春(かみほぎ あきはる、1954年 - )は、日本の… 上甫木昭春(かみほぎ あきはる、1954年 - )は、日本の造園学者。大阪府立大学大学院生命環境科学研究科教授。学術博士。専門分野は、緑地計画および地域生態学。大阪府、兵庫県、神戸市、豊中市、吹田市、大阪狭山市などにおいて、土地利用審査会、河川審議会、都市計画審議会、環境審議会、文化財審議会などの委員を務める。社会的活動は「大阪湾見守りネット」や「阪神・都市ビオトープフォーラム」など。 鹿児島県生まれ。1979年大阪府立大学大学院農学研究科農業工学専攻修士課程修了後、株式会社景観設計研究所、兵庫県立人と自然の博物館などを経て現職。 主な著書として、『検証・学校ビオトープ』(大阪公立大学共同出版会、2009)、『大阪湾の自然と再生』(大阪公立大学共同出版会、2008)、『生態学からみた里やまの自然と保護』(講談社、2005)、『農学から地域を考える』(大阪公立大学共同出版会、2003)、『身近な森の歩き方』(文英堂、2003)などを分担執筆。
津止 正敏(つどめ まさとし、1953年11月 - )は、日… 津止 正敏(つどめ まさとし、1953年11月 - )は、日本の福祉学者、立命館大学名誉教授。介護・障害児保育。 鹿児島県生まれ。鹿児島県立甲南高等学校を経て、1977年立命館大学産業社会学部卒、95年同大学院社会学修士課程修了。京都市社会福祉協議会をへて、立命館大学産業社会学部教授。2009年に「男性介護者と支援者の全国ネットワーク」を起ち上げ、事務局長を務める。2019年定年退職、名誉教授。
堂免 一成(どうめん かずなり、1953年9月24日 - )… 堂免 一成(どうめん かずなり、1953年9月24日 - )は、日本の化学者。東京大学特別教授・名誉教授、信州大学特別栄誉教授、理学博士。太陽光エネルギーと水だけで貴重な水素を生み出し、水素を燃料としてだけでなく二酸化炭素(CO2)と触媒させることでプラスチックを製造し、環境に有害な炭素を排出せず繰り返し使うことが可能となる光触媒の研究で知られる。 鹿児島県日置郡阿多村(後に金峰町)中津野、現在の南さつま市金峰町中津野生まれ。金峰町立大田小学校、鹿児島市立玉江小学校、金峰町立阿多中学校で学ぶ(後に阿多中は金峰中学校、大田小は阿多小学校に統廃合、金峰中・阿多小ともに現 南さつま市立金峰学園)。鹿児島市にあるラ・サール高等学校を経て、東京大学教養学部前期課程理科一類に入学し、理学部化学科に進級。
石田 潤一郎(いしだ じゅんいちろう、1952年10月26日… 石田 潤一郎(いしだ じゅんいちろう、1952年10月26日 - )は、日本の建築史学者。武庫川女子大学教授。京都工芸繊維大学名誉教授。専門分野は日本近代建築史・都市史。 鹿児島市出身。ラ・サール高等学校卒業。1976年京都大学工学部建築学科卒業。1981年同大学院博士課程満期退学、京都大学工学部助手。1987年「近代日本の府県庁舎に関する建築史的研究」で工学博士の学位を取得。1995年滋賀県立大学助教授、2001年 - 2018年京都工芸繊維大学教授、2021年武庫川女子大学教授。2000年に建築史学会賞、2003年に日本建築学会賞を受賞。
河口 洋一郎(かわぐち よういちろう、1952年4月1日 -… 河口 洋一郎(かわぐち よういちろう、1952年4月1日 - )は、日本のコンピュータグラフィックスアーティスト、東京大学名誉教授、デジタルコンテンツ協会会長。文化功労者。 1952年、鹿児島県種子島に生まれる。西之表市大崎出身。1970年、旧鹿児島県立種子島高等学校卒業。 1976年に九州芸術工科大学画像設計学科を卒業し、1978年に東京教育大学大学院を修了する。 1979年よりSIGGRAPHに参加するようになり、1982年にSIGGRAPHで河口が発表した自己増殖する造形理論である「グロースモデル(The GROWTH Model)」は世界中から集まったコンピュータ・グラフィックス関係者に絶賛されることになった。
田畑 千秋(たばた ちあき、1952年 - )は、日本の民俗… 田畑 千秋(たばた ちあき、1952年 - )は、日本の民俗学者。大分大学名誉教授、博士(民俗学)。 鹿児島県名瀬市(現奄美市)出身。奄美大島の旧家に生まれる。民俗学者田畑英勝の三男。東京都練馬区長を務めた田畑健介は叔父(父英勝の弟)。 國學院大學文学部を経て法政大学大学院修了後、ドイツ・ボン大学に留学してクライナー・ヨーゼフに師事した。 奄美博物館創設に尽力、開館後初代主幹学芸員となった。国際日本文化研究センター客員助教授、鎌倉女子大学客員教授等を経て、大分大学教授。2004年、「奄美大島の口承文芸研究」で國學院大學より博士(民俗学)の学位を取得した。
加治佐哲也(かじさ てつや、1951年7月6日 - )は、日… 加治佐哲也(かじさ てつや、1951年7月6日 - )は、日本の教育学者、兵庫教育大学学長、日本教職大学院協会会長、日本ユネスコ国内委員会委員、中央教育審議会委員(教員養成部会長)。 鹿児島県南九州市生まれ。1974年広島大学教育学部卒、1979年同大学院教育学研究科博士課程後期退学、広島大学教育学部助手。1980年宮崎女子短期大学講師。1989年兵庫教育大学学校教育学部助教授、1997年教授。2010年兵庫教育大学長。2012年教員養成評価機構理事・評議員。2016年国立高等専門学校機構監事。2017年日本学校改善学会顧問。2019年兵庫教育大学長、文部科学省日本ユネスコ国内委員会委員、日本教職大学院協会会長。
畠中 宗一(はたなか むねかず、1951年1月10日- )は… 畠中 宗一(はたなか むねかず、1951年1月10日- )は、日本の家族社会学者。大阪市立大学名誉教授、博士(学術)。専門は、家族社会学・臨床社会学・家族福祉学。 鹿児島市生まれ。1969年3月に鹿児島県立甲南高等学校を卒業。1973年、鹿児島大学教育学部卒業。1975年、立教大学大学院社会学研究科応用社会学修士課程修了(社会学修士)。1980年、筑波大学大学院社会科学研究科社会学専攻博士課程単位取得退学。沖縄キリスト教短期大学講師、中国短期大学幼児教育科助教授、大阪市立大学生活科学部助教授を経て、大阪市立大学生活科学部・大学院生活科学研究科教授。1999年3月に大阪市立大学より博士(学術)の学位を取得。
久冨木原玲(久富木原玲、女性、くふきはら れい、1951年-… 久冨木原玲(久富木原玲、女性、くふきはら れい、1951年- )は、国文学者、愛知県立大学名誉教授・学長。 鹿児島県出身。鹿児島県立鶴丸高等学校卒業後、1975年早稲田大学法学部卒業。1985年東京大学大学院人文科学研究科国文学専攻博士課程単位取得退学。1987年鹿児島女子短期大学専任講師となり、助教授、1993年共立女子短期大学助教授、教授、2006年愛知県立大学教授となり、2016年名誉教授、2018年学長となる。2016年度サンパウロ大学客員教授を務めた。2005年「源氏物語歌と呪性」で立教大学文学博士。
岩切 信一郎(いわきり しんいちろう、1950年10月10日… 岩切 信一郎(いわきり しんいちろう、1950年10月10日 - )は、日本の美術史学者、新渡戸文化短期大学教授。出版文化・明治版画史専攻。 鹿児島県鹿児島市生まれ。1975年國學院大學大学院神道学科修士課程修了。2010年『明治版画史』で芸術選奨新人賞受賞。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
塩田 邦郎(しおた くにお、1950年8月19日-)は、日本… 塩田 邦郎(しおた くにお、1950年8月19日-)は、日本の農学者・生物学者。農学博士。東京大学名誉教授。元早稲田大学上級研究員・教授(客員)。 1969年3月、鹿児島県立甲南高等学校卒業。1973年春に宮崎大学農学部獣医学科を卒業して東京大学大学院農学系研究科獣医学専門課程に入学し、1975年に修士課程を修了して博士課程へ進学。在籍中の1977年2月から翌年3月の間、ワシントン大学医学部生化学部に留学。1979年3月に東京大学大学院農学系研究科獣医学専門課程博士課程を修了し農学博士号を取得。同年4月に武田薬品工業株式会社へ入社し中央研究所に勤める。1987年に退職し、4月より東京大学大学院農学生命科学研究科応用動物科学専攻および獣医学専攻の助教授に就任して、1998年4月に教授へ昇任。
山元 正博(やまもと まさひろ、1950年3月17日 - )… 山元 正博(やまもと まさひろ、1950年3月17日 - )は、日本の微生物学者。博士(農学)。株式会社源麹研究所代表取締役会長、株式会社河内源一郎商店代表取締役社長。鹿児島県鹿児島市清水町生まれ。在霧島スロバキア共和国名誉領事
片峰 茂(かたみね しげる、Shigeru KATAMINE… 片峰 茂(かたみね しげる、Shigeru KATAMINE、1950年 - )は、日本の医師、船医、医学者。学位は医学博士(東北大学大学院・1982年)。専門はウイルス学。長崎みなとメディカルセンター・理事長。長崎大学・第14代学長(2008年 - 2017年)。元国立大学協会副会長。 長崎県長崎市船大工町に生まれる。実家は1865年創業の薬局。父は医学者として長崎大学に勤務し寄生虫等を研究。長崎大学熱帯医学研究所の2代目所長を務めた。 一人っ子だったため、親元を離れたい思いがあり、県外の高校を受験する親友の影響を受けて、ラ・サール高等学校に進学した。大学は関東か関西の理工学部への進学を希望していたが、当時の社会情勢(学生運動、東大紛争による東京大学の入試中止等)から、地元の長崎大学医学部へ進んだ。
湯之上隆(ゆのうえ たかし、1949年8月2日 - )は、日… 湯之上隆(ゆのうえ たかし、1949年8月2日 - )は、日本史学者、静岡大学名誉教授、博士(文学)。専門は日本中世の宗教・文化と国家・地域社会の関係についての研究。東海地方・静岡県における古代・中世の交通史についても研究した。 鹿児島県鹿児島市生まれ。1968年鹿児島県立甲南高等学校卒業。1972年静岡大学人文学部人文学科卒業。鹿児島県立出水工業高等学校教諭、1974年退職[要出典]。九州大学大学院文学研究科史学専攻修士課程を修了し、文学修士の学位を取得。1977年九州大学大学院文学研究科史学専攻博士課程を中退し、静岡大学人文学部助手に就く。後に静岡大学人文学部助教授就任。1995年「日本中世の仏教徒文化」で九州大学より博士(文学)を授与される。
山内 廣隆(やまうち ひろたか、1949年 - )は、日本の… 山内 廣隆(やまうち ひろたか、1949年 - )は、日本の倫理学者。広島大学名誉教授。 1949年、鹿児島県鹿児島市で生まれた。鹿児島県立鹿児島中央高等学校を卒業し、鹿児島大学法文学部哲学専攻に進学。1975年に卒業し、広島大学大学院文学研究科西洋哲学専攻に進んだ。1982年、博士課程後期を単位修得退学。 卒業後は比治山女子高等学校教諭となり、1991年より比治山女子短期大学助教授。1994年に比治山大学助教授に昇進。1996年、広島大学文学部助教授となり、2001年より同文学研究科助教授、2004年に教授昇進。2003年、学位論文『ヘーゲル:哲学体系への胎動』を広島大学に提出して文学博士の学位を取得。
冨永 茂人(とみなが しげと、1949年(昭和24年)-)は… 冨永 茂人(とみなが しげと、1949年(昭和24年)-)は、日本の農学者、園芸学者。農学博士、鹿児島大学名誉教授。ポンカンなどの柑橘類を中心に果樹栽培を研究したほか、島嶼農業や農業環境論についても研究。 鹿児島県いちき串木野市羽島出身。果樹経営主体の農家に生まれる。鹿児島県立串木野高等学校および鹿児島大学農学部卒業。1975年(昭和50年)鹿児島大学大学院農学研究科修士課程農学専攻を修了し、農林省・農林水産省試験場の研究員となり四国農業試験場土地利用部研究員を経て、1981年(昭和56年)より果樹試験場興津支場研究員。1983年(昭和58年)より母校鹿児島大学農学部の講師。1988年(昭和63年)2月、論文「ポンカン(Citrus reticulata Blanco)の果実の品質向上に関する研究」にて農学博士取得(九州大学より授与)。
植田 康成(うえだ やすなり、1948年5月25日 - )は… 植田 康成(うえだ やすなり、1948年5月25日 - )は、日本の言語学者・ドイツ語教育学者。 出身は鹿児島県大島郡徳之島。神戸大学文学部哲学科(西洋哲学専攻)卒業後、広島大学大学院文学研究科修士課程ドイツ語学・ドイツ文学専攻修了。千葉大学人文学部助手・講師、九州大学教養部助教授を経て、広島大学文学部助教授(ドイツ語学)、教授(ドイツ語学)。組織替えにより、1997年より広島大学文学部教授(言語学)。さらに2001年の組織替えより広島大学大学院文学研究科教授(言語文化学)。2012年度をもって退職。カール・ビューラー研究の第一人者として知られ、過去数回にわたってオーストリア共和国グラーツ大学におけるカール・ビューラーの遺稿整理プロジェクトに参加。
久保 千春(くぼ ちはる、男性、1948年3月9日 - )は… 久保 千春(くぼ ちはる、男性、1948年3月9日 - )は、日本の内科医(心療内科学)、心身医学者。医学博士。第23代九州大学総長。日本心療内科学会理事長。 鹿児島県出身。鹿児島市立鹿児島玉龍高等学校卒業後、1966年に九州大学医学部へ入学。中村哲とは大学で同級。中村がアフガニスタンで凶弾に倒れた際には弔辞を読んだ。 鹿児島玉龍高等学校3年の時に慢性腎炎を患い、2ヶ月半の療養生活を送る。それがきっかけで腎臓病の解明と治療法の研究をするべく医師を志した。腎炎自体は大学入学後の食事療法と運動制限などの効果もあって、大学3年次には症状は好転したという。 大学5年次の臨床講義で池見酉次郎(九州大学精神身体医学研究施設教授)の心身医学講義を受講したことにより、心療内科医を志望することを決める。