谷口 彪賀(たにぐち ひょうが、1998年12月11日 - … 谷口 彪賀(たにぐち ひょうが、1998年12月11日 - )は、日本のプロボクサー、元陸上自衛官。第5代日本スーパーフェザー級ユース王者。協栄ボクシングジム所属。かつては八王子中屋ボクシングジムに所属していた。 鹿児島県鹿屋市出身。鹿屋工業高校出身。 2018年10月12日のデビュー戦は負傷判定引き分け。 2019年東日本スーパーフェザー級新人王として、西軍代表岩崎淳史を相手に4回1-0(39-37、38-38×2)の引き分けで規定により全日本新人王を獲得。 そして2022年7月10日にエスフォルタアリーナ八王子で行われた「ファイティング・スピリット・シリーズ44」にて石福田星河と日本スーパーフェザー級ユース王座決定戦を行い、8回3-0(79-71、80-70×2)判定勝ちで日本ユース王座獲得に成功。
外囿 祥一郎(ほかぞの しょういちろう、1969年12月4日… 外囿 祥一郎(ほかぞの しょういちろう、1969年12月4日 - )は、日本の音楽家、元航空自衛官。ユーフォニアムのトッププレーヤー。 鹿児島県鹿児島市出身。血液型はO型。東京音楽大学教授、エリザベト音楽大学、昭和音楽大学各客員教授および相愛大学音楽学部特別講師。ちなみに、音楽大学の出身ではない(トッププレーヤーとしては異例)。 ユーフォニアムは、三浦徹、露木薫、スティーブン・ミードに師事。使用楽器は、ベッソンのJモデルまたはプレステージBE2052モデルなどを使用している。マウスピースはJun'sのResonanceを主に使用している。 Twitterでは、「趣味はジョギング。好きな言葉は「軽く全開」と公開している。
西見 健吉(にしみ けんきち、1967年4月27日 - )は… 西見 健吉(にしみ けんきち、1967年4月27日 - )は、日本の元レスリング選手で元自衛官、階級は一等陸尉。職種は情報科。鹿児島県の徳之島(天城町)出身。1996年アトランタオリンピックの日本代表。現在はアイアンガードコーポレーション株式会社代表。 中学校では野球部所属であったが、徳之島の全島相撲大会に出場し優勝したことで鹿児島商工高等学校(現樟南高等学校)レスリング部の加治佐正昭監督のスカウトを受け、同校でレスリングを始めた。卒業後、自衛隊体育学校に進学、後に同校の第二教育科のレスリングコーチも務めながら競技を続けた。 全日本レスリング選手権大会では1991年にグレコローマン52kg級で優勝、1993年からは57kg級で3連覇、1996年からは58kg級で4連覇した。
内倉 浩昭(うちくら ひろあき、1965年〈昭和40年〉1月… 内倉 浩昭(うちくら ひろあき、1965年〈昭和40年〉1月11日 - )は、日本の航空自衛官。第37代航空幕僚長。第8代統合幕僚長。鹿児島県出身。 鹿児島県垂水市生まれ。1983年(昭和58年)、鹿児島県立鹿屋高等学校卒業。1987年(昭和62年)3月、防衛大学校(第31期)を卒業後、航空自衛隊に入隊。入隊後は、F-15戦闘機のパイロットとして活躍後、航空幕僚監部で防衛班長、防衛課長、防衛部長と主に防衛畑で勤務し、航空幕僚副長、第49代航空総隊司令官を経て、2023年(令和5年)3月22日の閣議において、3月30日付をもって航空幕僚長に任命する旨の人事が了承・発令された。2025年(令和7年)7月15日の閣議において、8月1日をもって第8代統合幕僚長に任命する旨の人事が了承・発令された。
竹原 信一(たけはら しんいち、1959年〈昭和34年〉3月… 竹原 信一(たけはら しんいち、1959年〈昭和34年〉3月7日 - )は、日本の政治家、元航空自衛官。鹿児島県阿久根市議会議員(4期)。前阿久根市長(2期)。最終階級は2等空尉。 1977年、鹿児島県立出水高等学校を卒業。総理府防衛庁入庁(防衛大学校入校)、1983年卒業(第27期。同期に佐藤正久)。航空自衛隊に幹部候補生として任官するも、1988年に二等空尉で退官。帰郷して父親の経営する建設会社である株式会社三笠興産に就職する。一時期は同社の代表取締役を務めた。 2005年、阿久根市議会議員選挙に出馬し、初当選。 2008年8月31日投開票の阿久根市長選挙に、阿久根市議会議員を辞職して立候補して初当選。
番匠 幸一郎(ばんしょう こういちろう、1958年〈昭和33… 番匠 幸一郎(ばんしょう こういちろう、1958年〈昭和33年〉1月5日 - )は、日本の陸上自衛官。第35代 西部方面総監。 鹿児島県鹿児島市出身。1980年(昭和55年)3月、防衛大学校を卒業し、陸上自衛隊に入隊。職種は普通科。1981年(昭和56年)3月に第30普通科連隊に配属。その後は富士学校幹部レンジャー課程修了。1989年(平成元年)、外務省アジア局北東アジア課に出向。1999年(平成11年)から米国陸軍戦略大学留学(戦略学修士) 2004年(平成16年)からの自衛隊イラク派遣では第1次復興支援群長(1等陸佐)を務めた。2005年(平成17年)7月、陸将補に昇任し、西部方面総監部幕僚副長、陸上自衛隊幹部候補生学校長兼前川原駐屯地司令を経て、陸上幕僚監部防衛部長に就任。
外薗 健一朗(ほかぞの けんいちろう、1951年(昭和26年… 外薗 健一朗(ほかぞの けんいちろう、1951年(昭和26年)9月15日 - )は、日本の航空自衛官。第30代航空幕僚長。職種は要撃管制。鹿児島県出身。
先崎 一(まっさき はじめ、1944年〈昭和19年〉5月4日… 先崎 一(まっさき はじめ、1944年〈昭和19年〉5月4日 - )は、日本の元陸上自衛官。第29代陸上幕僚長、第26代統合幕僚会議議長、初代統合幕僚長。1等陸佐までの職種は普通科。 鹿児島県出水郡高尾野町(現在の出水市)出身。4人兄弟の長男で「親に金銭的な迷惑をかけたくないと考え」、防衛大学校に進学した。1968年(昭和43年)3月に防大を卒業し、陸上自衛隊に入隊。幹部候補生学校を卒業後は第3普通科連隊に配属。その後、第39普通科連隊長、第3師団長、北部方面総監を経て、2002年(平成14年)12月に第29代陸上幕僚長に就任。2004年(平成16年)8月、第26代統合幕僚会議議長に就任、2006年(平成18年)3月に陸海空3自衛隊の指揮・命令系統を一元化するために統合幕僚会議を廃止して新設された統合幕僚監部の初代統合幕僚長に就任した。
西元 徹也(にしもと てつや、1936年〈昭和11年〉6月1… 西元 徹也(にしもと てつや、1936年〈昭和11年〉6月1日 - 2024年〈令和6年〉4月3日)は、日本の陸上自衛官、軍事評論家。第23代陸上幕僚長、第20代統合幕僚会議議長。元隊友会会長。1佐までの職種は機甲科。 鹿児島県垂水市出身。父親の仕事の関係で小中学校の時に二度ほど横浜に住んだが、中学一年の時に垂水市にもどる。県立垂水高校卒業後、防衛大学校に入校するが、高校の野球の試合の時に鹿児島の桟橋で防大生に出会ったことがきっかけであった。防大卒業後の1959年(昭和34年)に陸上自衛隊に入隊。幹部候補生学校卒業後は機甲科に進み、初任地は北恵庭の第101戦車大隊。ここでの勤務がその後の部隊勤務の基礎ができたと語っている。
左近允 尚敏(さこんじょう なおとし、1925年(大正14年… 左近允 尚敏(さこんじょう なおとし、1925年(大正14年)2月11日 - 2013年(平成25年)6月30日)は、大日本帝国海軍の軍人、海上自衛官。最終階級は海軍大尉、海将。鹿児島県出身。海兵72期。 海軍中将左近允尚正の次男。多号作戦で駆逐艦「島風」砲術長として「島風」沈没時(多号作戦)に戦死した海軍大尉左近允正章(まさふみ)は兄にあたる。 兄の正章と同じく旧制横須賀中(30期)から海軍兵学校へ入校。1943年(昭和18年)9月に卒業(第72期)、海軍少尉候補生。伊勢型戦艦1番艦「伊勢」乗組。乗艦実習の後、11月15日附で最上型重巡洋艦4番艦「熊野」乗組を命ぜられる。なお、兄の正章も太平洋戦争開戦時に海軍少尉として「熊野」に勤務している。
平野 晃(ひらの あきら、1922年(大正11年)1月15日… 平野 晃(ひらの あきら、1922年(大正11年)1月15日 - 2009年(平成21年)12月27日)は、大日本帝国海軍軍人及び航空自衛官である。第13代航空幕僚長。鹿児島県出身。 鹿屋中学を経て海軍兵学校(第69期)卒業。戦時中は当初は艦隊勤務で真珠湾攻撃時は戦艦「霧島」に乗艦して作戦に参加。軽巡洋艦「阿武隈」ではアッツ島の戦いで陸戦隊を指揮している。空母「翔鶴」では高角砲指揮官として南太平洋海戦、第二次ソロモン海戦に参加したが、航空機の優位を痛感し、飛行学生を志望する。 艦上爆撃機の訓練を受けるが、1944年(昭和19年)末に特攻隊が編成され、その分隊長となる。特攻兵器「桜花」22型の開発実験に携わり、1945年(昭和20年)8月15日午後1時に正式採用のための最終判定の実験が行われることとなり、爆撃機「銀河」に搭載された「桜花」に搭乗する予定であった。
肥田 真幸(肥田 眞幸、ひだ さねゆき、1919年(大正8年… 肥田 真幸(肥田 眞幸、ひだ さねゆき、1919年(大正8年)3月21日 - 2012年(平成24年)9月12日)は、元大日本帝国海軍軍人、海上自衛官。海兵第67期卒業。第9代航空集団司令官(海将)。 鹿児島県鹿児島市生まれ、日置郡串木野村(後の串木野町、串木野市、合併によりいちき串木野市)出身。旧制鹿児島県立第二鹿児島中学校(現鹿児島県立甲南高等学校)から、1936年(昭和11年)に海軍兵学校入学。1939年(昭和14年)7月25日、海軍兵学校(第67期)卒業。任海軍少尉候補生、「八雲」乗組。兵学校同期には中村悌次(元海上幕僚長)がいた。
鮫島 博一(さめじま ひろいち、1918年〈大正7年〉10月… 鮫島 博一(さめじま ひろいち、1918年〈大正7年〉10月26日 - 2000年〈平成12年〉8月14日)は、日本の海軍軍人及び海上自衛官。海軍兵学校卒業(第66期)。第10代海上幕僚長、第9代統合幕僚会議議長。 鹿児島県川辺郡東加世田村(のち万世町、加世田市、現南さつま市)出身。旧制第一鹿児島中学四年修了後、海軍兵学校に入校。海軍時代は艦攻のパイロットであり、飛行学生を首席で卒業。開戦から約7ヶ月は空母「龍驤」に乗組み、ダッチハーバー空襲等の作戦に参加。しかし、その後は陸上勤務で、海軍航空技術廠ではテストパイロットとして水平爆撃用の照準器や反跳爆弾の研究を続け、最後は陸上攻撃機「連山」の開発にも加わった。
黒江 保彦(くろえ やすひこ、1918年(大正7年)2月17… 黒江 保彦(くろえ やすひこ、1918年(大正7年)2月17日 - 1965年(昭和40年)12月5日)は、日本の陸軍軍人、航空自衛官。日本陸軍航空隊で戦闘機操縦者として日中戦争、ノモンハン事件、太平洋戦争で多数の空戦に参加して、エースパイロットの一人となった。航士50期。最終階級は、日本陸軍では陸軍少佐、戦後に奉職した航空自衛隊では1等空佐。 鹿児島県日置郡中伊集院村(現:日置市)にて、陸軍砲兵大尉・黒江敬吉の四男として生まれる。伊集院中学を経て陸軍士官学校予科(後の陸軍予科士官学校)に進んだ。日本統治時代の朝鮮の平壌における飛行連隊での隊附勤務を経て、1938年(昭和13年)6月に陸軍航空士官学校(航士)卒業・航空兵少尉任官(航士50期)。
山岡 大二(やまおか だいじ、1913年(大正2年)11月6… 山岡 大二(やまおか だいじ、1913年(大正2年)11月6日 - 1991年(平成3年)11月1日)は、東京都出身の日本の海軍軍人、海上自衛官。最終階級は、海軍少佐、海将補。 内務官僚・山岡国利の二男として東京で生れる。鹿児島一中を経て、1936年(昭和11年)3月、海軍兵学校(第63期)を卒業、遠洋航海終了後、戦艦「霧島」乗組となる。翌年4月、海軍少尉に任官し1937年(昭和12年)8月、新造の駆逐艦「涼風」乗組となり、以後、「伊号第五十七潜水艦」、「呂号第三十四潜水艦」乗組み、1938年(昭和13年)8月、呉鎮守府第四特別陸戦隊付となる。同年12月、重巡洋艦「三隈」乗組となり、重巡洋艦「筑摩」、水雷艇「鳩」乗組を経て、1940年(昭和15年)10月、駆逐艦「霞」砲術長となり太平洋戦争を迎えた。
緒方 景俊(おがた かげとし、1913年(大正2年)9月1日… 緒方 景俊(おがた かげとし、1913年(大正2年)9月1日 - 1982年(昭和57年)12月26日)は、日本の陸軍軍人及び航空自衛官、第8代航空幕僚長。 教員・緒方竜之進の息子として鹿児島県に生まれる。伊集院中学、東京府立四中を経て、陸軍士官学校に入校。陸軍大学校を恩賜軍刀組で卒業。第3飛行団司令部員、第51教導飛行師団参謀、大本営参謀等を務めたのち、陸軍省軍務局課員で終戦を迎える。 戦後は公職追放を経て、1952年(昭和27年)7月に警察予備隊に入隊。1954年(昭和29年)7月に航空自衛隊の発足と同時に転官。空自では航空保安管制気象群司令、空幕人教部副部長を務めたのち、陸自に転身して陸幕第5部副部長、その後は防衛研修所副所長、統合幕僚会議事務局長と空自の主流ポストを歩いてはこなかったが、術科教育本部長となり、1968年(昭和43年)7月にFX(次期主力戦闘機)の調査団長として渡米。
淵ノ上 忠義(ふちのかみ ただよし、1913年(大正2年)1… 淵ノ上 忠義(ふちのかみ ただよし、1913年(大正2年)1月5日 - 2001年(平成13年)7月29日)は、日本の台湾総督府官僚、陸軍司政官、陸上自衛官、弁護士。最終階級は陸将。 鹿児島県鹿児島市草牟田町に生まれる。鹿児島県立第二中学校、第八高等学校文科を経て、1935年(昭和10年)3月、東京帝国大学法学部を卒業する。同年10月高等試験行政科合格後、1936年(昭和11年)4月、台湾総督府財務局に奉職する。 ついで1938年(昭和13年)2月、地方理事官に進み、台中州大屯郡守に就任。のち高雄州警務課長、財務局事務官、台北州高等警察課長、台中州教育課長を経て、1942年(昭和17年)11月、陸軍司政官に選任され、第25軍軍政監部附となった。
大室 孟(おおむろ つとむ、1912年(明治45年)1月15… 大室 孟(おおむろ つとむ、1912年(明治45年)1月15日 - 2001年(平成13年)2月14日)は、日本の陸軍軍人、航空自衛官。最終階級は日本陸軍では陸軍少佐、航空自衛隊では航空幕僚長たる空将。 陸軍大佐大室勝の息子として生まれる。鹿児島一中、東京陸軍幼年学校、陸軍士官学校予科を経て、陸軍士官学校本科に入校。日本陸軍時代は司令部偵察機操縦者として活躍し、特に日中戦争時には九七式司令部偵察機をもって多大な功績を挙げ、偵察隊としては異例の功四級金鵄勲章および個人感状拝受の栄誉を受ける。太平洋戦争時代は主に一〇〇式司令部偵察機「新司偵」を愛機として、各司偵隊の隊長を務めた。 戦後は公職追放を経て、航空自衛隊に入隊し、創設時は教官としてパイロットの養成に尽力した。