扇畑 忠雄(おうぎはた ただお、1911年2月15日 - 2… 扇畑 忠雄(おうぎはた ただお、1911年2月15日 - 2005年7月16日)は、日本の歌人・国文学者。東北大学名誉教授。旧満州の旅順出身。京都帝国大学文学部国文学科卒。 父・孫一は旅順民政部で農林技師をしていた。父の急逝により8歳で広島県の祖父母の元に移住、12歳で広島市に移った。旧制広島一中を経て旧制広島高校に進学、北島葭江教授が指導する広高短歌会に所属した。広高在学中の19歳の時「アララギ」に入会。アララギ派の歌人となり、斎藤茂吉、土屋文明、中村憲吉に師事。京都帝大卒業後、旧制呉二中や旧制京都一女の教員を経て1942年に旧制第二高等学校教授となり、1946年東北アララギ会『群山』を創刊。
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古屋 徳兵衛(ふるや とくべえ、1911年 <明治44年> … 古屋 徳兵衛(ふるや とくべえ、1911年 <明治44年> 1月1日 - 1992年 <平成4年> 11月8日)は、日本の経営者。松屋社長、会長を務めた。位階は従四位。出生名は古屋祐次郎。 神奈川県出身。1935年に東北帝国大学法文学部法科を卒業し、同年に司法省に入省。1937年8月に名古屋地方裁判所判事に就任し、同年9月に松屋に転じ、1938年3月には社長に就任。1974年4月から1976年5月までに会長を務め、1972年から1974年までに日本百貨店協会会長も務めた。 1972年に藍綬褒章を受章し、1981年4月に勲二等瑞宝章を受章。 1992年11月7日慢性呼吸不全のために死去。81歳没。
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河合 徹(かわい とおる、1911年(明治44年) - 19… 河合 徹(かわい とおる、1911年(明治44年) - 1992年(平成4年))は、日本の政策研究者、地方政治家。 神戸市生まれ、東北帝国大学法文学部出身。在学中から社会問題に関心を持つようになり、1937年、全国農民組合関東出張所書記になる。当時は共産主義は危険思想として治安維持法の取り締まり対象となっていたため、1938年、人民戦線事件に連座して逮捕される。 1939年4月に転向を宣言(偽装転向)することにより、起訴猶予処分で釈放される。その後、友人の紹介で昭和研究会に事務職員として参画する。昭和研究会は近衛文麿のブレーン組織として各界の有識者を集めていたが、一方では革新官僚に代表される社会主義者が多数所属し、国家社会主義的な政策を提唱していた。
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栗原 百寿(くりはら はくじゅ、1910年12月26日 - … 栗原 百寿(くりはら はくじゅ、1910年12月26日 - 1955年5月24日)は、日本の農業経済学者。茨城県東茨城郡石塚町(現在の城里町)出身。 医者の長男として生まれ、家業を継ぐために水戸中学校から水戸高等学校へ進む。1931年に同校理科乙類を卒業するが、医学部へは進まず、東北帝国大学法文学部に進学する。大学時代は歴史哲学を学び、宇野弘蔵、新明正道らの講義を聴講していた。卒業論文は「ジョン・スチュアート・ミルの思想史的研究」。1937年に大学を卒業、直後に人民戦線事件で検挙される。 1939年、帝国農会へ就職するが、1942年12月に再び治安維持法違反容疑で逮捕される。戦後は農林省統計調査局調査室嘱託などを経て、1953年に拓殖大学政経学部教授となる。
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永野 為武(ながの ためたけ、1910年12月12日 - 1… 永野 為武(ながの ためたけ、1910年12月12日 - 1994年12月14日)は、日本の生物学者。俳人としても活動した。東北大学名誉教授。 1910年、愛媛県松山市で生まれた。東北帝国大学理学部生物学教室で学び、1933年に卒業。同年、同大学大学院に進学し、動物生理学を専攻した。 1936年3月、大学院を退学し、東北帝国大学理学部副手に採用された。後、講師昇格。 戦後、東北大学教養部、農学部助教授に昇格。1948年、学位論文『Physiological studies on the pigmentary system of Crustacea (甲殻類色素系の生理学的研究)』を東北大学に提出して理学博士号を取得。
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梅沢 伊勢三(うめざわ いせぞう、1910年11月27日 -… 梅沢 伊勢三(うめざわ いせぞう、1910年11月27日 - 1989年10月6日)は、国文学者、俳人。 埼玉県生まれ。本籍宮城県。1943年東北帝国大学法文学部日本思想学科卒。1962年「古事記及び日本書紀の研究 記紀両書の成立過程に関する文献学的並びに思想史的分析」で東北大学文学博士。1945年東北帝大助手、1952年教員となり宮城県立仙台図南高校(現仙台市立仙台大志高等学校)教諭、1963年宮城工業高等専門学校教授、76年定年退官、名誉教授、1978年東北福祉大学教授。83年退職。俳人として号を一栖。1933年「馬酔木」所属、59年「河」同人。1967年「澪」を創刊し、主宰。
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林信行(はやし のぶゆき、1910年9月12日-1998年8… 林信行(はやし のぶゆき、1910年9月12日-1998年8月6日)は、日本のアメリカ文学者。 千葉県出身。1935年東北帝国大学文学部英文科卒。旧・東京都立大学助教授、教授、74年定年退官、名誉教授、創価大学文学部教授。92年定年、名誉教授。
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菊池 喜充(きくち よしみつ、1910年8月19日 - 19… 菊池 喜充(きくち よしみつ、1910年8月19日 - 1984年10月31日)は、日本の電子工学者。電気音響工学、超音波工学の専門家で、魚群探知機、超音波探傷法の実用化、フェライトによる磁歪材料の開発などに貢献した。紫綬褒章受章。朝日賞等受賞。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
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石田 周三(いしだ しゅうぞう、1910年7月16日‐ 19… 石田 周三(いしだ しゅうぞう、1910年7月16日‐ 1985年6月20日)は、日本の動物生理学者。 東北帝国大学理学部卒。1956年「二枚介類における代謝型式」で理学博士。東北帝国大学浅虫臨海実験所、千葉大学文理学部助教授、教授、1974年定年退官、名誉教授。ダーウィンの『種の起原』を訳すなど啓蒙的著作・翻訳を行った。妻は西村伊作の長女の石田アヤ。娘は文化学院副院長を務めた立花利根(1937- )。
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二条 弼基(にじょう たねもと、1910年〈明治43年〉6月… 二条 弼基(にじょう たねもと、1910年〈明治43年〉6月19日 - 1985年〈昭和60年〉8月28日)は、日本の工学者、政治家、華族。貴族院公爵議員、工学博士。 東京府出身。男爵・二条正麿の三男として生まれ、二条家第28代当主・二条厚基の死後、相続争いが起こる中で、弼基の聡明さが認められて養子となる。 1930年(昭和5年)9月1日、公爵を襲爵。1934年(昭和9年)、東北帝国大学理学部地質科を卒業し、さらに1937年(昭和12年)に同大学工学部電気科を卒業。同年、逓信省電気試験所に入所し研究員となり、1939年(昭和14年)、逓信技師に任官。 1940年(昭和15年)6月19日、満30歳に達し貴族院公爵議員に就任し、火曜会に所属し1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任した。
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浅野 清(あさの きよし、1910年6月1日 - 1989年… 浅野 清(あさの きよし、1910年6月1日 - 1989年3月24日)は、日本の古生物学者。愛知県名古屋市出身。 名古屋市内において、11人兄弟の末っ子として生を受ける。第八高等学校(名古屋大学教養部の前身)を卒業後、東北帝国大学理学部、東北帝国大学大学院に進んだ。大学院において、小型有孔虫に関する研究に精力的に取り組む。 1938年(昭和13年)、南洋庁熱帯研究所嘱託となり、当時日本の委任統治下にあったパラオに赴いた。翌年技師となりサンゴ礁の研究を開始したものの、その年の秋には太平洋石油株式会社に移ることとなった。同社ではメキシコの石油資源調査に携わる。1941年(昭和16年)夏には仙台に戻り、東北帝大において副手の職を得た。
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田澤 巌(たざわ いわお、1910年〈明治43年〉5月15日… 田澤 巌(たざわ いわお、1910年〈明治43年〉5月15日 - 1990年〈平成2年〉6月30日)は、日本の政治学者。専門は政治思想史学、ヨーロッパの哲学史。北海道教育大学名誉教授・元旭川大学女子短期大学部学長。山形県出身。 『北海道人物・人材リスト 2004 か-と』(日外アソシエーツ編集・発行、2003年) この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
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豊田 武(とよだ たけし、1910年(明治43年)3月9日 … 豊田 武(とよだ たけし、1910年(明治43年)3月9日 - 1980年(昭和55年)3月29日)は、日本の歴史学者。東北大学名誉教授。日本中世史専攻。
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真方 敬道(まがた のりみち、1910年 - 1987年)は… 真方 敬道(まがた のりみち、1910年 - 1987年)は、日本の倫理学者。東北大学名誉教授。中世キリスト教哲学を専攻。 東北帝国大学卒業。1962年、「西洋中世哲学における個体論の研究」で文学博士。東北大学倫理学主任教授を務め、1973年、定年退官。東京女子大学教授、1980年、退職。
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太田 三郎(おおた さぶろう、1909年10月10日 - 1… 太田 三郎(おおた さぶろう、1909年10月10日 - 1976年10月11日)は、日本の英文学者・比較文学者。 1909年(明治42年)10月10日、朝鮮・釜山に生まれた。 1934年(昭和9年)に東北帝国大学法文学部英語英文科を卒業した。太平洋戦争後に東京工業大学助教授に就任し、その後教授に就任した。1948年(昭和23年)には中島健蔵、福田陸太郎とともに日本比較文学会を設立、幹事を務め、国際比較文学会に出席した。1966年(昭和41年)に千葉大学教授に就任し、1973年(昭和48年)に定年退官した。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
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佐々 久(ささ ひさし、1909年10月1日 - 1989年… 佐々 久(ささ ひさし、1909年10月1日 - 1989年6月8日)は、日本の郷土史家、東洋史学者、教育者。宮城県図書館長、仙台郷土研究会会長などを務めた。 宮城県仙台市生まれ。東北帝国大学で東洋史を専攻し東北学院の教授などを務めたのち、30代後半で宮城県の郷土史研究に転じる。公務員として教育行政や文化財保護、図書館運営に携わりながら『仙台市史』、『宮城県史』の編纂・執筆をし、また宮城県内の多くの自治体の地方史を監修した。1981年、勲四等瑞宝章受章。蔵書は宮城県図書館に寄贈され「佐々久文庫」として所蔵されている。 1909年(明治42年)10月1日、宮城県仙台市二十人町に7人きょうだいの長男として生まれる。
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土井 英一(つちい(どい) えいいち、1909年(明治42年… 土井 英一(つちい(どい) えいいち、1909年(明治42年)9月17日 – 1933年(昭和8年)9月9日)は、戦前日本のエスペランティスト。詩人土井晩翠の長男。第二高等学校在学中からエスペラント運動に取り組み、特にドイツの小学校長ヨハネス・シュレーダーと親交した。東北帝国大学入学後、ハンセン病患者救済のため寄附金付切手の導入を働きかけたが、在学中に病没した。 1909年(明治42年)9月17日、土井晩翠・八枝夫妻の長男として生まれた。片平丁尋常小学校(現在の仙台市立片平丁小学校)在学中に教師に飛び級を勧められ、5年次修了後に宮城県立仙台第一中学校(現在の宮城県仙台第一高等学校)に入学した。1年生の夏期休暇には原釜海水浴場で鰹漁船まで泳いだり、蔵王に登山するなど健康だったが、4年生の秋に発火演習で無理をしてから体調を崩した。
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遠山 啓(とおやま ひらく、1909年8月21日 - 197… 遠山 啓(とおやま ひらく、1909年8月21日 - 1979年9月11日)は、熊本県下益城郡(現・宇城市)出身の日本の数学者。数学教育の分野でよく知られる。
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畑井 小虎(はたい ことら、1909年7月22日 - 197… 畑井 小虎(はたい ことら、1909年7月22日 - 1977年9月12日)は、日本の古生物学者である。東北大学名誉教授。貝類や腕足類の生物学および古生物学に関する研究で知られる。 1909年、動物生理学者で、ペンシルベニア大学ウィスター研究所教授を務めた畑井新喜司の次男として、ペンシルベニア州Ridely Park で生まれた。東北帝国大学に入学し、入学時より父親の創立した東北大学浅虫臨海実験所(現在の浅虫海洋生物学研究センター)などで貝類や腕足類の生物学および古生物学に関する研究をした。 1948年、学位論文『日本新生代腕足類の研究』を東北大学に提出して理学博士号を取得。 1951年、東北大学助教授となり、1952年に教授昇格。
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赤沢 弘毅(あかざわ ひろたけ、明治42年〈1909年〉7月… 赤沢 弘毅(あかざわ ひろたけ、明治42年〈1909年〉7月17日 - 没年不詳)は、日本の医師、医学博士。赤沢医院院長。鳥取県医師会(昭和24年 - 昭和51年、理事・監事・代議員・議長等を歴任)。西部医師会顧問(副会長・会長を歴任)。米子ガス取締役。協同建設監査役。 兄は元自治大臣の赤沢正道。長女は鳥取大学名誉教授・宮川征男の妻。 鳥取県米子市西倉吉町出身。父・康平は、徳島県出身の土木建築業。 昭和10年(1935年)東北帝国大学医学部卒業。同年東北帝国大学附属病院第二内科勤務。 昭和16年(1941年)応召、第六三兵站病院勤務。 昭和21年(1946年)比島より帰還、赤沢医院を開業。 昭和51年(1976年)米子看護高等専修学校校長に就任。
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山本 義一(やまもと ぎいち、1909年7月4日 - 198… 山本 義一(やまもと ぎいち、1909年7月4日 - 1980年2月7日) は、日本の気象学者。東北大学名誉教授。元日本気象学会理事長。 石川県金沢市生まれ。第四高等学校を経て、1933年東北帝国大学理学部物理学科卒業、中央気象台入庁。1941年逓信省中央航空研究所研究官。1945年東北帝国大学理学部地球物理学科が新設されると同教授兼任。1946年東北帝国大学に学位論文を提出して理学博士を取得するとともに、専任の教授に異動。地球物理学第3講座を担任し、ここに東北帝国大における気象学講座発祥となった。1959年から国際放射委員会委員。1966年から1969年まで理学部長。1966年から68年まで国際科学会議大気科学委員会委員。
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石田 正実(いしだ まさみ、1909年6月26日 - 199… 石田 正実(いしだ まさみ、1909年6月26日 - 1997年4月1日)は、日本の経営者。出光興産社長、会長を務めた。福岡県宗像市出身。 1936年に東北帝国大学法文学部を卒業し、1938年に出光商会に入社した。1947年に出光興産取締役に就任し、常務、専務を経て、1968年に副社長に就任し、1972年に社長に昇格した。1977年に会長に就任し、1981年から取締役相談役を務めた。 1975年から1979年までに石油連盟会長を務め、1980年から1986年までに日経連副会長も務めた。 1987年に勲一等旭日大綬章を受章した。 1997年4月1日急性呼吸不全のために福岡県筑紫野市の自宅で死去。87歳没。
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大石 武一(おおいし ぶいち、1909年6月19日 - 20… 大石 武一(おおいし ぶいち、1909年6月19日 - 2003年10月19日)は、日本の医師、政治家。位階は正三位。医学博士。 衆議院議員(10期)、参議院議員(1期)。環境庁長官(第2代)、農林大臣(第47代)。 仙台市元常磐町1番地(現在の仙台市民会館付近)に 、後に衆議院議員を務めた大石倫治の長男として生まれた。宮城県男子師範附属小学校から、宮城県立仙台第二中学校(現在の宮城県仙台第二高等学校)、旧制第二高等学校理科乙類に進学し、中学校ではテニス、高等学校では野球に熱中した。高校時代には結核性の肋膜炎に罹患して留年、翌年には腹膜炎を患った。1935年(昭和10年)に東北帝国大学医学部を卒業、1940年(昭和15年)に同大学大学院医学博士課程を修了した。
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本多 修郎(ほんだ しゅうろう、1909年6月8日 ‐ 19… 本多 修郎(ほんだ しゅうろう、1909年6月8日 ‐ 1990年12月11日)は、日本の哲学者・科学史家。東北大学名誉教授。科学史・技術史を研究。 福島県耶麻郡長瀬村(現猪苗代町)出身。喜多方中学、二高理科を経て東北帝国大学哲学科卒。次いで東京帝国大学大学院に学ぶ。高橋里美、三宅剛一に師事。東北大学助教授、1950年教授。1962年「ヘーゲル弁証法と数学・自然科学」で文学博士の学位を取得。1973年定年退官、名誉教授。東北福祉大学教授。父寅多、母クラ、次男。
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斎藤 秀夫(さいとう ひでお、1909年〈明治42年〉5月4… 斎藤 秀夫(さいとう ひでお、1909年〈明治42年〉5月4日 - 2003年〈平成15年〉9月6日)は、日本の法学者。専門は民事訴訟法、特に競売法、司法学。学位は、法学博士(東北大学・論文博士・1952年)。東北大学名誉教授。司法権論、裁判官論など、日本の司法学の開拓者として著名。菊井維大門下。弟子に小室直人など。 宮城県出身。旧制仙台第一中学校(現・宮城県仙台第一高等学校)、旧制第二高等学校を経て、1933年東北帝国大学法文学部卒、同助手。東京帝国大学法学部に内地留学し、菊井維大、兼子一に師事した。その後、1937年東北帝国大学助教授、1949年東北大学法学部教授。1952年「国会と司法権の独立 国政調査権と裁判官弾劾」で東北大学より法学博士の学位を取得。
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村田 潔(むらた きよし、1909年2月28日 - 1973… 村田 潔(むらた きよし、1909年2月28日 - 1973年11月3日)は、西洋美術史学者。東北大学名誉教授。専門は古代ギリシア美術、フランス印象派。 長野県松本市出身。東北帝国大学文学部美学美術史学科で児島喜久雄に学び、1932年卒業後、東北帝大文学部助手。イギリスなどヨーロッパに学び、帰国後1937年講師、1939年助教授、1947年東北帝国大学教授、東北大学文学部教授、1950年「印象派美術論」で東北大学文学博士。1972年定年退官、名誉教授、武蔵野美術大学教授。
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古川 久(ふるかわ ひさし、1909年(明治42年)2月2日… 古川 久(ふるかわ ひさし、1909年(明治42年)2月2日 - 1994年(平成6年)8月15日)は、日本の国文学者。東京女子大学名誉教授。 愛知県名古屋市生まれ。東北帝国大学国文科卒、松本高等学校教授、宇都宮大学助教授、東京女子大学教授、68年定年退任、名誉教授、東京農業大学教授、武蔵野女子大学教授。52-81年法政大学能楽研究所兼任所員。能楽・狂言を主として研究。ほか、師の小宮豊隆を助けて戦後の岩波書店『漱石全集』の編纂に携わり、漱石研究も行った。墓所は多磨霊園
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浜田 隼雄(はまだ はやお、旧字体:濱田 隼雄、1909年1… 浜田 隼雄(はまだ はやお、旧字体:濱田 隼雄、1909年1月16日 - 1973年3月26日)は日本統治時代の台湾で活躍した日本の小説家。代表作は『南方移民村』。 宮城県仙台市生まれ。旧制台北高等学校を経て、東北帝国大学卒業後、台湾で教員となる。小説を西川満が主宰する『文芸台湾』に発表。1943年(昭和18年)、『南方移民村』で台湾文学賞を受賞。戦後は郷土を題材とした作品を執筆した。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
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打田 峻一(うちだ しゅんいち、1909年1月15日 - 1… 打田 峻一(うちだ しゅんいち、1909年1月15日 - 1992年6月19日)は、日本の法学者・弁護士・元国家公務員。 専修大学名誉教授。多数の門下生(研究者)を育てる。 「打田畯一」とも表記される。 1909年1月15日、東京市麹町区三番町に生まれる。東京府立第一中学校・第一高等学校を経て、1932年に東北帝国大学法文学部卒業、1934年には同大学院(旧制)修了。 その後、東京で弁護士として活動し、1945年東京大空襲の戦災に遭遇。再び東北大学の勝本正晃の下で助手を務め、1948年に衆議院法制局入局。1957年から1979年に定年退職するまで専修大学法学部教授にあった。1992年、脳梗塞のため死去。
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矢本貞幹(やもと ただよし、1909年1月11日 - 199… 矢本貞幹(やもと ただよし、1909年1月11日 - 1990年11月25日)は、日本の英文学・比較文学者。 岐阜県出身。1933年東北帝国大学文学部英文科卒。1949年大阪大学文学部助教授、1956年関西学院大学助教授、教授、70年「エリザベス朝文学論」で関西学院大文学博士。77年定年、名誉教授、梅光女学院大学教授。85年退任。 専門は英文学(エリザベス朝、批評)だが、夏目漱石などの比較文学研究もおこなった。
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岡本 博之(おかもと ひろゆき、1909年 - 2002年)… 岡本 博之(おかもと ひろゆき、1909年 - 2002年)は、日本の経済学者・大阪市立大学教授。雑誌『経済』初代編集長、日本共産党中央党学校校長、出版局長、社会科学研究所所長、新約『資本論』翻訳出版責任者等を歴任。専攻は経済学説史。先の大戦では、1943年より中部第二部隊に召集され、下士官として参戦。1945年日本の敗戦後1949年までシベリアに抑留された。 この項目は、経済学者(経済評論家を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ウィキポータル 経済学、ウィキプロジェクト 経済)。
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橘 忠衛(たちばな ただえ、男性、1909年 - 1975年… 橘 忠衛(たちばな ただえ、男性、1909年 - 1975年3月15日)は、英文学者。 高知県香美郡(現・香美市)に生まれる。高知高等学校を経て、1931年東北帝国大学英文科卒業、外務省嘱託、神戸大学助教授、明治大学教授を歴任。シェイクスピア、ゲーテを研究した。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
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淡中 忠郎 (たんなか ただお、1908年12月27日 - … 淡中 忠郎 (たんなか ただお、1908年12月27日 - 1986年10月25日)は、日本の数学者。専門は代数学。 愛媛県松山市生まれ。東北帝国大学卒。1945年東北帝国大学教授、後に東北学院大学教授を務めた。ポントリャーギン双対性をコンパクト群へ拡張した淡中-クラインの双対定理で著名。 この定理はグロタンディークによる淡中圏の概念へと発展した。 東京出版の月刊誌『大学への数学』で、「数学雑談」という連載記事の執筆を1960年(昭和35年)から晩年まで担当していた。 この項目は、数学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
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大池 唯雄(おおいけ ただお、1908年10月30日 - 1… 大池 唯雄(おおいけ ただお、1908年10月30日 - 1970年5月27日 )は、日本の作家。本名は小池忠雄(こいけ ただお)。 宮城県柴田郡船岡町(現在の柴田町)出身。仙台第二中学校(現宮城県仙台第二高等学校)、旧制第二高等学校文科甲類卒、東北帝国大学文学部中退。 東北初の直木賞作家。幕末や明治維新など、歴史に題材を求めた短編を多く残している。社会教育にも力を注ぎ、槻木公民館長、柴田町公民館長などを歴任。船岡中学校校歌の作詞も手掛けた。1939年、「兜首」「秋田口の兄弟」で、第8回直木三十五賞受賞。 1970年5月27日に死去。告別式は同月30日、柴田町立船岡小学校体育館で町の教育委員会葬として行われた。
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毛利 元靖(もうり もとやす、1908年〈明治41年〉9月5… 毛利 元靖(もうり もとやす、1908年〈明治41年〉9月5日 - 1961年〈昭和36年〉9月18日)は、徳山毛利家第12代当主。 1908年(明治41年)9月5日、山口県都濃郡徳山町において、旧徳山藩毛利家第11代当主・毛利元秀の長男として生まれる。 東北大学経済科卒業後、南満洲鉄道に入社し、本社総裁室管理課長代理、新京支社殖産課長、総務局管理課長などを務める。 1942年(昭和17年)5月に父・元秀が死去し、同年7月に家督を継承した。 1945年(昭和20年)10月に妻の毛利行子が死去。 1948年(昭和23年)3月に山口県公安委員となり、5月からは旅館「岐山」を経営し、1954年(昭和29年)12月に徳山商工会議所会頭に選ばれた。
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川崎 勉(かわさき つとむ、1908年(明治41年)8月27… 川崎 勉(かわさき つとむ、1908年(明治41年)8月27日 - 1997年(平成9年)4月22日 )は、日本の実業家。日本鉄鋼連盟(鉄連)欧州事務所長を歴任。経済学博士。 三重県出身の政治家・川崎克の長男。弟は衆議院議員の川崎秀二。妻は大審院次長検事、大阪控訴院検事長を務めた金沢次郎の長女。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
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沼田 一夫(ぬまた かずお、1908年〈明治41年〉6月30… 沼田 一夫(ぬまた かずお、1908年〈明治41年〉6月30日 - 1965年〈昭和40年〉11月22日)は、福島県内郷市(現・いわき市)長。位階は従六位。勲五等双光旭日章。 青森県弘前市出身。福島県立磐城中学校(現・福島県立磐城高等学校)、旧制第二高等学校を経て、東北帝国大学を卒業する。 卒業後は満州国に渡り、大同学院に入り、満州国の官吏となる。1943年、上海の満州国総領事館領事となる。終戦後は日本に引揚げ、経済安定本部に入り、同嘱託から経済査察官となった。 1951年、福島県内郷町の町長選挙に立候補し、当選する。1954年、内郷町の市制施行により、市長となる。1955年の市長選挙で再選。1959年と1963年の市長選挙で連続当選した。
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齋藤 尚一(さいとう しょういち、1908年6月1日 - 1… 齋藤 尚一(さいとう しょういち、1908年6月1日 - 1981年10月30日)は、日本の技術者、実業家。位階は正四位。勲等は勲二等。 トヨタ自動車工業株式会社会長(第3代)、社団法人自動車技術会会長(第9代)などを歴任した。 愛知県出身。1927年、旧制前橋中学校卒業。1931年、第八高等学校理科甲類卒業。1935年、東北帝国大学工学部機械工学科卒業、豊田自動織機自動車部入社。 創業期には数少なかった大学出身の技術者として、トヨタ自動車創業者豊田喜一郎の日本車生産構想を補佐し、日中戦争中、菅隆俊のもと、岩岡次郎、豊田英二と挙母工場(のちのトヨタ自動車本社工場)建設構想にあたった。第3代トヨタ自動車工業会長、第9代自動車技術会会長などを歴任。
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末永 茂喜(すえなが しげき、1908年5月5日 - 197… 末永 茂喜(すえなが しげき、1908年5月5日 - 1977年1月22日)は、日本の経済学者。東北大学名誉教授。おもに古典派経済学を研究した。 山口県萩市出身。1931年東北帝国大学法文学部卒。東北帝大副手、1940年助教授、1941年退官、参謀本部調査事務嘱託、中央物価統制協力会議調査部長、総理府統計局経済部長、1950年東北大学経済学部教授。1952年「リカアドウの貨幣論」で経済学博士。経済学部長。1972年定年退官、名誉教授。財団法人・東北経済調査協会理事。
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北村 晴朗(きたむら せいろう、1908年4月21日 - 2… 北村 晴朗(きたむら せいろう、1908年4月21日 - 2005年7月16日)は、日本の心理学者。 宮城県加美郡(現仙台市)出身。1935年東北帝国大学法文学部心理学科卒。1962年「心理学における自我の諸問題」で東北大学文学博士。1947年第二高等学校教授、1950年東北大学文学部助教授、1960年教授となり、1972年定年退官、名誉教授、秋田大学教授、1974年から東北福祉大学教授を務めた。後年には仏教に基づく心理学を研究した。
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川村 琢(かわむら みがく、1908年3月28日 - 199… 川村 琢(かわむら みがく、1908年3月28日 - 1993年3月19日)は、日本の農学者・経済学者。学位は、経済学博士(東北大学・論文博士・1961年)(学位論文「農産物の商品化構造」)。昭和期の農業経済学の大家。北海道大学名誉教授。1990年勲三等瑞宝章受章。秋田県大曲市(現・大仙市)生まれ。 1929年弘前高等学校卒業。1932年東北帝国大学法文学部経済学科卒業。 同法文学部助手。1934年北海道帝国大学農学部助手。1940年北海道農業研究会常任幹事。 1942年治安維持法違反容疑で拘禁(北海道農業研究会事件)。1945年GHQ指令で釈放。 北海道農業会農業経営調査課長。1948年北海道信用農業協同組合連合会参事。
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伊東 信雄(いとう のぶお、1908年(明治41年)3月17… 伊東 信雄(いとう のぶお、1908年(明治41年)3月17日 - 1987年(昭和62年)4月10日)は、日本の考古学者。東北地方の縄文・弥生・古墳時代、古代・中世・近世史、樺太(サハリン)の先史時代研究に大きな業績を残した。東北大学名誉教授。 1957年に東北大学考古学講座初代教授に就任した。東北地方の原始・古代文化を考古学的手法により解明し、「東北の考古学の父」と呼ばれた。伊東は、山内清男とともに東北の古い縄文土器の編年を確立し、特に青森県垂柳遺跡の発掘において、東北地方の稲作農耕を明らかにする研究を進めた。 戦前には、通説として「東北の古代文化は遅れていた」、「東北地方は鎌倉時代まで石器時代が続いた」とされていた。
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西村 節朗(にしむら せつろう、1908年(明治41年)3月… 西村 節朗(にしむら せつろう、1908年(明治41年)3月16日 - 1997年(平成9年)8月23日)は、日本の政治家。秋田県能代市長。秋田県議会議員(4期)。 秋田県出身。1931年、東北帝国大学工学部機械工学科卒。同年、中島飛行機に入り、技術部長などを務める。戦後、帰郷し、家業の酒造業に携わる。1948年、秋田県教育委員となり、1951年、秋田銀行取締役となる。1963年、秋田県議会議員(自由民主党)に当選し、4期務める。1969年に議長に就任した。1975年、能代市長に当選する。1979年と1983年も当選し、能代市長を3期務め、1987年に退任した。ほかに秋田県酒類卸協同組合理事長、全国酒類卸協同組合連合会会長、秋田県国民健康保険団体連合会理事長などを務めた。
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塚本 亮一(つかもと りょういち、1908年3月15日 - … 塚本 亮一(つかもと りょういち、1908年3月15日 - 2000年7月11日)は、日本の経営者。愛知県名古屋市出身。 1931年に東北帝国大学法文学部経済学科を卒業し、同年に第一生命保険に入社。1948年に総務部長に就任し、取締役、常務、専務を経て、1967年に副社長に就任し、1970年5月には社長に昇格した。1977年4月から1987年4月までに会長を務めた。 日本経営者団体連合会常任理事、経済団体連合会常任理事も務めた。 1972年10月に藍綬褒章を受章し、1979年11月に勲二等瑞宝章を受章した。 2000年7月8日肺炎のために死去。92歳没。
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瀬木 三雄(せぎ みつお、1908年3月3日 - 1982年… 瀬木 三雄(せぎ みつお、1908年3月3日 - 1982年5月8日)は、日本の医学博士。 愛知県名古屋市生まれ。旧制愛知県立第五中学校(現・愛知県立瑞陵高等学校)第14回生。東京帝国大学医学部卒業。旧厚生省の初代母子衛生課長として母子健康手帳を創設し、東北大学医学部にて公衆衛生学教室を主宰。癌統計学の第一人者として知られ、いわゆる「瀬木の帽子」(胎児の基底顆粒細胞集団)の発見者でもある。1971年に退官。瀬木学園(現 愛知みずほ大学等)理事長、学長、高校長を歴任。
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槙 哲夫(まき てつお、1908年1月23日 -2006年1… 槙 哲夫(まき てつお、1908年1月23日 -2006年12月23日)は、日本の外科医。専門は、消化器外科,胆石症の研究。医学博士。 青森県七戸町生まれ。 第二高等学校 (旧制)から、東北帝国大学医学部卒業。1933年、同医学部第一外科学教室(教授)に入局。1939年、同医学部助教授。1942-44年、中華民国無錫普仁医院へ出張。1945年、秋田県立女子医学専門学校教授。1949年、弘前医科大学(のち、弘前大学医学部)教授。1961年、東北大学医学部第一外科教授。1965年、東北大学医学部付属病院長。1967-70年、東北大学医学部長。1971年、東北大学名誉教授、東北労災病院長。平成18年死去、享年98。
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本部 均(ほんぶ ひとし、1908年1月22日 - 2005… 本部 均(ほんぶ ひとし、1908年1月22日 - 2005年5月9日)は、日本の数学者。東京都立大学 (1949-2011)名誉教授。専攻は微分幾何学。多数の学習参考書、受験参考書の執筆、編著でも知られる。 石川県出身。第四高等学校を経て、1930年東北帝国大学数学科卒業。北海道帝国大学助手、九州帝国大学助教授、同教授を歴任。1952年旧・東京都立大学教授となる。1971年の定年後、東海大学教授に転ずる。 東京出版の月刊誌『大学への数学』で、創刊号から長年執筆を続けていた。 2005年5月9日、肺気腫のため死去。
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谷田 専治(たにだ せんじ、1908年1月19日 - 199… 谷田 専治(たにだ せんじ、1908年1月19日 - 1994年1月1日)は、日本の生物学者、北海道大学名誉教授。 1908年、宮城県仙台市生まれ。1933年、東北帝国大学理学部を卒業。卒業後は、三井海洋生物研究所の研究員となり、下田で暮らす。1942年、北京・同仁会の華北防疫処に衛生昆虫研究室を開設するため赴任。1944年、学位論文『日本産石灰海綿の研究』を提出して理学博士号を取得。 1945年に太平洋戦争が終結すると、1946年に日本へ引き上げ帰国。その後は函館水産専門学校教授となった。1950年、水産資源研究所増殖部に着任。同研究所では、陸奥湾におけるホタテガイの耳づり養殖を試みるなどしている。
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三戸 寿(みと たもつ、1908年〈明治41年〉1月17日 … 三戸 寿(みと たもつ、1908年〈明治41年〉1月17日 - 1971年〈昭和46年〉8月27日)は、昭和期日本の法制史学者。学位は法学博士(京都大学)。「三戸壽」とも表記される。法制史学会発起人の1人。専門はローマ法。神戸史学会評議員、法制史学会理事を歴任。 宮城県仙台市出身。第二高等学校 (旧制)(1928年卒業)を経て、1931年に東北帝国大学法文学部を卒業した。同年に同学部副手となる。1937年に関西学院大学法文学部講師に転じ、助教授(1939年)を経て、1942年に教授に就任した。1947年に学部改編で法学部所属となり、1951年に法学部長・同大学院法学研究科委員長に就任した。1952年2月、京都大学より論題「ローマ法継受史の研究」で法学博士の学位を取得した。
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小川 登喜男(おがわ ときお、1908年 - 1949年)は… 小川 登喜男(おがわ ときお、1908年 - 1949年)は、日本の登山家。東京都出身。 東京高等学校 (旧制)、東北帝国大学、東京帝国大学で、山岳部に属し、スキー登山により、蔵王、八幡平で活躍し、東大では、谷川岳一之倉沢、穂高岳屏風岩、剣岳雪稜などを初登攀した。肺結核で若死にし、長く、その登山の偉業が知られることがなかったが、東北帝国大学時代に残した日記の精査により、近年、伝記が上梓され、昭和の天才登山家と評されるまでになっている。
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