永川 勝浩(ながかわ かつひろ、1980年12月14日 - … 永川 勝浩(ながかわ かつひろ、1980年12月14日 - )は、広島県三次市出身の元プロ野球選手(投手、右投右打)、プロ野球コーチ。 三次市立三次中学校時代はバスケットボール部に所属しており、後のチームメイトの梵英心は三次市の同じ少年野球チームに所属した幼なじみだった。 3年間のブランクがあったが広島県新庄高校で再び野球を始める。高校の同級生にMEG、2年先輩にCHEMISTRYの堂珍嘉邦がいた。卒業後は亜細亜大学へ進み、上級生になるとエース・木佐貫洋に次ぐ投手として、同じく同期の小山良男とバッテリーを組んだ。4年の大学選手権は準々決勝で先発勝利、明治神宮大会は準決勝で完封し優勝に貢献した。東都大学リーグ通算成績は、15試合の登板で、5勝4敗、防御率2.03。
飯田義隆(いいだ よしたか、1980年12月5日 - )は、… 飯田義隆(いいだ よしたか、1980年12月5日 - )は、セパタクロー日本代表選手、ポジションはサーバー。 横浜市立金沢中学校、神奈川県立氷取沢高等学校、亜細亜大学卒業。 幼少時、兄の影響を受けサッカーを始める。中学入学時、100名近い応募者の中から日産FC(現・横浜F・マリノス)Jrユースセレクションに合格。Jrユースチームに加入するも途中、方向性の違いから地元中学のサッカー部に転部。高校でもチームの中心選手として活躍。亜細亜大学入学時、同大学において当時コーチを務めていた日本代表エースアタッカーである寺本進とセパタクローに出会う。 全日本学生選手権において優勝を飾るなど期待のホープとして成長し、2002年アジア競技大会(韓国・釜山)にてセパタクロー日本代表チーム最年少として選出、銅メダル獲得に貢献。
小山 良男(こやま よしお、1980年7月14日 - )は、… 小山 良男(こやま よしお、1980年7月14日 - )は、神奈川県川崎市出身の元プロ野球選手(捕手)。 川崎市立平間中学校では中本牧リトルシニアに所属(後に横浜高校、中日でもチームメイトとなる小池正晃も所属していた)、1995年全日本中学野球選手権大会 ジャイアンツカップで優勝。シニア日本代表に選抜される。この時のメンバーに松坂大輔がおり、小池ら他のチームメイトと共に松坂に一緒に横浜高校に行こうと誘う。横浜高校では上地雄輔に代わり正捕手となり、3年時は渡辺元智監督に主将に任命され、松坂とバッテリーを組み、小池や後藤武敏らと共に1998年の甲子園春夏連覇及びかながわ・ゆめ国体で優勝を果たした。中村順司前PL監督が指揮を執る第3回AAAアジア選手権大会日本代表では寺本四郎・杉内俊哉・久保康友・上重聡ら松坂以外の投手からも全幅の信頼を置かれ優勝に貢献。
小原 裕貴(こはら ゆうき、1980年5月21日 - )は、… 小原 裕貴(こはら ゆうき、1980年5月21日 - )は、日本の元俳優、元タレント、元ジャニーズJr.。神奈川県出身。公文国際学園中等部・高等部、亜細亜大学経済学部卒業。 1990年代後半のジャニーズJr.全盛期においてトップクラスの人気を誇り、将来を有望視されたが2000年に学業に専念するため芸能界を引退。「伝説のJr.」などとも称される。 その後2003年に大学を卒業し一般企業に勤務しているが、2017年7月に放送された『ぼくらの勇気 未満都市 2017』で一夜限りの芸能界復帰を果たしている。 上記以外に、少年隊、SMAP、TOKIO、KinKi Kids、V6 等のコンサートのバックダンサーやジャニーズJr.コーナーに出演。
木佐貫 洋(きさぬき ひろし、1980年5月17日 - )は… 木佐貫 洋(きさぬき ひろし、1980年5月17日 - )は、鹿児島県川内市(現:薩摩川内市)出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 川内市川内南中学校では軟式野球部に所属。川内高校では3年時の1998年、鹿児島県高等学校春季野球大会にて杉内俊哉を擁する鹿児島実業を破り優勝。夏の全国高等学校野球選手権鹿児島大会決勝では鹿児島実業に1-3で惜敗。甲子園出場を逃した。卒業後は亜細亜大学に進学。2年時にはリーグ戦未勝利ながら大学選手権準決勝でドラフト有力候補だった山村路直(九州共立大)と延長10回を投げ合って完封勝利。決勝でも先発し3回1失点で交代するも優勝に貢献した。東都大学リーグ通算31試合登板、12勝8敗、防御率1.80、225奪三振。
堀越 勝太郎(ほりこし かつたろう、1980年5月15日 -… 堀越 勝太郎(ほりこし かつたろう、1980年5月15日 - )は、日本の陸上競技選手。群馬県出身。前橋育英高等学校から亜細亜大学に進学。 2003年、第79回箱根駅伝で6区に出走した際には、1時間03分36秒のタイムで区間20位(最下位)に終わった。 2004年、第80回箱根駅伝で9区に出走。1時間09分45秒の好タイムをマークし区間賞を獲得。チームの3位入賞に貢献した。 卒業後は小森コーポレーションに入社。第46回東日本実業団対抗駅伝競走大会2部・クラブチームの部に茨城陸上競技協会チームで出場し、優勝を果たした。
大久保 涼香(おおくぼ さやか、1980年4月29日 - )… 大久保 涼香(おおくぼ さやか、1980年4月29日 - )は、日本のフリーアナウンサー。 埼玉県出身。亜細亜大学経営学部経営学科卒業。一般企業でOLを勤めた後、26歳の時にアナウンサー職に転職。2006年8月、岩手めんこいテレビに入社。2011年3月31日までアナウンサーとして活動し、同日付で退職。在籍中は地上デジタル放送推進大使を務めていた。 2011年4月1日から、フリーとなりセント・フォースに所属し、その間2013年3月までWOWOW専属のアナウンサーとして活動。2013年9月末付でセント・フォースを退社し、翌10月よりオーケープロダクションへ移籍。2017年3月よりライムライトに移籍し、ガンバールに業務委託となった。
前田 和之(まえだ かずゆき、1980年2月10日- )は、… 前田 和之(まえだ かずゆき、1980年2月10日- )は、日本の陸上競技選手。長崎県西彼杵郡時津町出身。長崎県立諫早高等学校・亜細亜大学卒業。コニカミノルタ所属。 小学2年生頃兄の後を追って時津東小学校区の時津東陸上クラブに入部し陸上を始めた。中学時代第2回全国中学校駅伝大会において1区2位の成績を残した。高校時代の1997年にはインターハイ5000mで8位入賞を果たした。 諫早高校卒業後は亜細亜大学に進学し岡田正裕監督の指導を受ける。2002年4年時の箱根駅伝では2区(23.2km)を神屋伸行、オンベチェ・モカンバ、徳本一善らと走り、1時間08分37秒で区間3位の成績を残した。 亜細亜大学卒業後は、コニカミノルタに入社し酒井勝充監督の指導を受ける。
鷲見 麻有(わしみ まゆ、1979年12月20日 - )は、… 鷲見 麻有(わしみ まゆ、1979年12月20日 - )は、千葉県出身の元モデル。身長172cm。元シュルー所属。東京都私立亜細亜大学国際関係学部卒業。 1998年に東レキャンペーンガールに選ばれた。芸能事務所「研音」に所属したが、様々な理由で退所。19歳から始めたダンスでは、ダンサーとしても活動し、倉木麻衣や愛内里菜などを手掛けたDJ ME-YA(水谷智明氏)が手掛けている作品にダンサーとして出演。 2022年からジャパンプロダクション株式会社の取締役に就任し、俳優・タレントのマネージメント、映画などの制作現場において制作主任などに従事。 ・映画『ファストブレイク』制作担当(2024) ・映画「Diamond Shake」ラインプロデューサー(2024) ・一般社団法人 日本音楽事業者協会 ~違法薬物撲滅動画~「絶対零度のオアシス」制作担当(2023) ・映画「怪奇タクシー風の夜道に気をつけろ!」制作担当(2022)
金子 豊(かねこ ゆたか、1979年10月16日 - )は、… 金子 豊(かねこ ゆたか、1979年10月16日 - )は、埼玉県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションは、ミッドフィールダー。
中津川 弦(なかつがわ げん、1979年9月19日 - )は… 中津川 弦(なかつがわ げん、1979年9月19日 - )は、日本のお笑い芸人。マセキ芸能社所属。漫才協会にも所属する。 埼玉県川越市出身。亜細亜大学では落語研究会の会長を務める。2003年5月に初舞台。2005年に師匠である鯉川のぼるの勧めで漫才協会に加入した。 2012年に結婚。結婚に際しては浅草東洋館で結婚報告演芸会が開催された。 ナイツ独演会や歌謡ショーの司会も担当する。 ダジャレや謎かけを取り入れた漫談を行う。
山本 浩司(やまもと こうじ、1979年4月3日 - )は、… 山本 浩司(やまもと こうじ、1979年4月3日 - )は、元社会人野球選手 (投手)、野球指導者。JR東日本所属。181cm、77kg。右投げ右打ち。 小学校2年生から野球を始め、以降投手一筋。知立市立知立南中学校時代は「愛知衣浦シニア」に所属。大府高校から亜細亜大学に進学。3年時には大学野球選手権優勝を経験、4年時の2001年シーズンでは春秋通算で7勝をマークした。リーグ通算21試合に登板し7勝7敗。大学卒業後は社会人のJR東日本へ入社。1年上に吉川昌宏ら、1年下に木佐貫洋、永川勝浩、小山良男がいた。 JR東日本では入社1年目から先輩の松井光介と共に投手陣を支える存在となり、松井がプロ入り後はJR東日本のエースとして活躍した。
田中宝紀(たなか いき、1979年3月21日 - )は201… 田中宝紀(たなか いき、1979年3月21日 - )は2010年より特定非営利法人青少年自立援助センター定住外国人支援事業部責任者を務める。 1979年東京都で生まれる。小中学校時代にいじめを経験したことから、父親の勧めで16歳(高校一年生終了時)のときフィリピンのハイスクールに単身で留学する。帰国後、フリーターやパフォーマンス集団メンバーを経て20歳でセブ島へ移住。現地語であるセブアノ語(ビサヤ語)を学び、通訳や翻訳などに携わる中で国際協力への関心が高まり、大学で学ぶため、日本にて高卒程度認定試験を受験し合格。24歳で亜細亜大学国際関係学部国際関係学科に入学。大学時代に友人らと立ち上げたフィリピンの子ども支援NGOを経て、2010年より現職に就く。
久本 祐一(ひさもと ゆういち、1979年3月14日 - )… 久本 祐一(ひさもと ゆういち、1979年3月14日 - )は、大阪府大東市出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。 柏原高校(現:東大阪大学柏原高校)では1年秋の府大会準決勝で福留孝介を擁するPL学園高に大敗。亜細亜大に進学。大学時代は1年上に左腕・佐藤宏志、松井光介、吉川昌宏が同期、2学年下に木佐貫洋がいて2試合登板したのみで登板機会に恵まれず、通算2試合に登板、0勝0敗、防御率5.40を記録。2001年の第72回都市対抗野球大会で河合楽器が初優勝を果たした際、若獅子賞を受賞する働きを見せ一躍注目される。同年の野球部休部に伴い、特例措置で同僚の山井大介とともにドラフト4巡目指名で中日に入団。
岡崎 礼(おかざき れい、1978年〈昭和53年〉9月24日… 岡崎 礼(おかざき れい、1978年〈昭和53年〉9月24日 - )は、日本の政治活動家、アクション俳優、劇画作家である。東京都出身。身長177cm。血液型はB型。桜美林高等学校卒業。父親は昭和に活躍した俳優の岡崎二朗。祖父は亜細亜大学教授の倉岡克行。 2000年に俳優デビューし、主にVシネマを中心に出演していた。 2007年9月12日、仕事上のトラブルから映画制作会社の役員プロデューサーの男性を刃物で負傷させる事件を起こし、殺人未遂容疑で逮捕された。その後傷害罪で執行猶予付き有罪判決を受けたが、この執行猶予期間中に当時勤務していた焼鳥店で、口論の末に客の顔面を蹴ったとして傷害の疑いで再逮捕される(相手と和解し、示談金を支払い釈放)。
松井 光介(まつい こうすけ、1978年8月24日 - )は… 松井 光介(まつい こうすけ、1978年8月24日 - )は、北海道札幌市豊平区出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 現在は、東京ヤクルトスワローズのスコアラーを務めている。 中学2年時に父の転勤で東京都江戸川区に転居。江戸川南シニアを経て、1994年に横浜高校に入学。シニアリーグ、高校を通じて松坂大輔の2年先輩にあたる。 シニア時代は投手だったが、同期に丹波慎也がいたため投手としては同学年内では2番手という存在だったが2年次より外野手としてプレーしている。同年の第76回全国高等学校野球選手権大会に横浜高は5年振りの出場を果たすが、那覇商に初戦で敗れている。翌1995年春夏も甲子園出場を目指したが、叶わなかった。
佐藤 夕美子(さとう ゆみこ、1978年〈昭和53年〉7月1… 佐藤 夕美子(さとう ゆみこ、1978年〈昭和53年〉7月10日 - )は、日本の女優。本名、高添 夕美子(たかそえ ゆみこ)。 東京都大田区出身。亜細亜大学経営学部経営学科卒業。山梨県甲府市在住。パシフィックボイス所属。8歳の時にミュージカル『アニー』でデビューしミュージカル中心に活動を開始。1997年(平成9年)度後期のNHK連続テレビ小説『甘辛しゃん』でヒロインを務める。 1987年、小学校3年生の時に佐々木隆子の薦めでミュージカル『アニー』のオーディションに挑戦し、テッシー役を射止める。その後、名倉加代子ジャズダンススタジオに入り、翌々年ポリー役を務め、ミュージカルの楽しさに目覚める。この頃、映画『コーラスライン』『ウエストサイドストーリー』を見て、役者を意識し出す。
吉川 昌宏(よしかわ まさひろ、1978年6月29日 - )… 吉川 昌宏(よしかわ まさひろ、1978年6月29日 - )は、元プロ野球選手(投手)。高知県出身。
尚玄(しょうげん、1978年6月20日 - )は、日本の俳優… 尚玄(しょうげん、1978年6月20日 - )は、日本の俳優、モデル。芸能事務所エーライツ所属。既婚。妻は歌手のMay J.。 沖縄県那覇市出身。沖縄県立那覇高等学校、亜細亜大学卒業。 亜細亜大学卒業後、バックパックで世界中を40ヵ国以上旅しながらパリ・ミラノ・ロンドンでモデルとして活動した。 2004年、25歳で帰国し俳優としての活動を開始した。2005年、戦後の沖縄を描いた映画『ハブと拳骨』でデビューした。三線弾きの主役を演じ、第20回東京国際映画祭コンペティション部門にノミネートされる。その後も映画を中心に活動するが、2008年ニューヨークで出逢ったメソッド演劇に感銘を受け、本格的にニューヨークで芝居を学ぶことを決意しその年の末に渡米する。
菊池 洋之(きくち ひろゆき、1978年5月15日 - )は… 菊池 洋之(きくち ひろゆき、1978年5月15日 - )は、日本の元男子バレーボール選手。秋田県雄勝郡(現:湯沢市)出身。ポジションはミドルブロッカー。 雄勝中学1年よりバレーボールを始める。雄物川高校を卒業後、亜細亜大学へ進学した。 全日本ユース代表、ジュニア代表、ユニバシアード代表などを経験し、大学卒業後の2001年にNECブルーロケッツに入団。同年全日本代表に初選出され、ワールドリーグに出場した。 2009年5月、NECの無期限休部に伴い、現役引退した。
岡本 聖子(おかもと せいこ、1978年3月14日 - )は… 岡本 聖子(おかもと せいこ、1978年3月14日 - )は、大阪府豊中市出身の女子プロテニス選手。WTAツアーの2004年ホバート大会で浅越しのぶと組んだ女子ダブルスで優勝した。自己最高ランキングはシングルス178位、ダブルス123位。 豊中市立南桜塚小学校6年時にテニスを本格的に始め、1990年に進学した夙川学院中学校・高等学校では全国大会での団体優勝メンバーになった。1996年に亜細亜大学へ進学し、3年生の1998年にはインカレでシングルスと女子ダブルスの両方で優勝した。全日本選手権でもシングルで準優勝、女子ダブルスでもベスト4に入り、日本テニス界のトッププレーヤの1人となった。 2000年、大学卒業後にプロへ転向し、日本国内や海外の大会を転戦、2004年にはWTAツアーのホバート大会で浅越しのぶと組んだ女子ダブルスでツアー初優勝を飾った。
石川 亜沙美(いしかわ あさみ、1977年10月16日 - … 石川 亜沙美(いしかわ あさみ、1977年10月16日 - )は、日本のファッションモデル、女優。静岡県清水市(現静岡市清水区)出身。オスカープロモーション所属。 日出女子学園高等学校を経て、亜細亜大学経営学部卒業[要出典]。 1990年8月、オスカープロモーション主催の「第4回全日本国民的美少女コンテスト」でモデル部門賞を受賞し、1991年から雑誌『セブンティーン』などでファッションモデルとして活動。 2002年11月に女優転身を発表。その後はモデル業と並行する。 2006年7月13日にケツメイシのRyojiと結婚。2007年1月23日に第1子男児を出産。 2015年8月に離婚。男児の親権は石川が持つ。
藤本 敦士(ふじもと あつし、 1977年10月4日 - )… 藤本 敦士(ふじもと あつし、 1977年10月4日 - )は、兵庫県明石市出身の元・プロ野球選手(内野手)。野球指導者。
北川 祐介(きたがわ ゆうすけ、1977年9月30日 - )… 北川 祐介(きたがわ ゆうすけ、1977年9月30日 - )は、日本の元男子バレーボール選手。現在は愛知工業大学名電高等学校の保健体育の教員、同校の男子バレーボール部監督。 愛知県額田郡幸田町出身。中学3年よりバレーボールを始める。バスケットボール選手の大野篤史は高校の同期に当たる。 松下電器を退団後、豊田合成トレフェルサでバレーを続ける傍ら、愛知学院大学に通い教員免許を取得。 2010年2月2日、2009-2010年Vプレミアリーグをもって現役を引退し、4月1日から母校の愛知工業大学名電高等学校の教員となることが発表された。東レとの3位決定戦をもって現役を引退した。
佐藤 宏志(さとう ひろし、1977年8月11日 - )は、… 佐藤 宏志(さとう ひろし、1977年8月11日 - )は、元プロ野球選手(投手)。
中須賀 諭(なかすか さとし、1977年6月22日 - )は… 中須賀 諭(なかすか さとし、1977年6月22日 - )は、社会人野球選手(投手、右投げ右打ち)。JR東海所属。175cm、75kg。背番号11。
松 たか子(まつ たかこ、1977年6月10日 ‐ )は、日… 松 たか子(まつ たかこ、1977年6月10日 ‐ )は、日本の女優、歌手、声優。日本舞踊松本流名取、初代 松本 幸華(しょだい まつもと こうか)の名も持つ。東京都出身。スイングバイ所属。夫はギタリストで音楽プロデューサーの佐橋佳幸。日本ペンクラブ会員。 二代目松本白鸚(当時は六代目市川染五郎)と藤間紀子の末子として東京都に生まれる。白百合学園中学校・高等学校から、芸能活動のため堀越高等学校に転校し、卒業。亜細亜大学中退。 白百合学園小学校・中学校時代の同級生に宝塚歌劇団81期生の妃里梨江、堀越高等学校時代の同級生に浜崎あゆみ、はとこの市川團十郎 (13代目)がいる。 16歳だった1993年(平成5年)に、歌舞伎座で歌舞伎『人情噺文七元結』で初舞台を踏む。
菊池 完(きくち かん、1977年5月3日 - )は、東京都… 菊池 完(きくち かん、1977年5月3日 - )は、東京都西東京市出身のサッカーおよびフットサルの選手。ポジションはディフェンダー。 大学卒業後に下部リーグやフットサルで活躍し、30歳になって初めてJリーグのプロ選手になった、異色の経歴を持つサッカー選手である。 サッカーの強豪校で知られる都立久留米高校サッカー部でプレーした後、関東大学サッカーリーグ所属の亜細亜大学に進み、関東大学選抜にも選ばれた。しかし卒業後はJリーグ入りが叶わず、関東サッカーリーグに加盟する青梅FCに入団した。青梅FCには5シーズン所属し、2002年には関東リーグ優勝を果たしたが、関東代表として参加した全国地域リーグ決勝大会では1次リーグ敗退となり、日本フットボールリーグ(JFL)昇格を逃した。
仲津 正朗(なかつ まさあき、1977年 - )は、日本の実… 仲津 正朗(なかつ まさあき、1977年 - )は、日本の実業家。Orb共同創業者で、同社代表取締役CEOや、日本ブロックチェーン協会理事を経て、沖縄科学技術大学院大学アントレプレナー・イン・レジデンス。 祖父は金属製の笛などを製作していた大阪の仲津製作所創業者。父は国土庁審議官や東京電力顧問などを務めた官僚。2000年、亜細亜大学経済学部卒業。大学では金融論を学び、貨幣システムの研究をしていたが、大学院進学費用がなく、大学卒業後はTGキャピタル投資アナリストとしてニューヨーク市のウォール街などで働いていた。 その後起業家になるため情報技術などを学ぼうとセブンネットショッピングプロダクトマネージャーに転じ、3年間の修行ののちITコンサルタントとして独立し、起業の準備を進めた。
塩屋 大輔(しおや だいすけ、1976年9月6日 - )は、… 塩屋 大輔(しおや だいすけ、1976年9月6日 - )は、大阪府豊中市出身の元プロ野球選手(投手)。
柳貴家 小雪(やなぎや こゆき、1976年7月17日 - )… 柳貴家 小雪(やなぎや こゆき、1976年7月17日 - )は、落語協会に所属する太神楽師。所属事務所はオフィスまめかな。 この項目は、お笑いタレント・コメディアン(これらの関連記事を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:お笑い/PJ:お笑い)。
金谷 則幸(かなや のりゆき、1976年7月7日 - )は愛… 金谷 則幸(かなや のりゆき、1976年7月7日 - )は愛知県出身の元社会人野球選手、野球指導者。 名古屋市立今池中学校時代には「東山クラブ」に所属。 豊田大谷高校では2年夏に1年上のエース平田洋を擁して県大会ベスト4まで進出。亜細亜大学に進学、1年秋から外野手としてもリーグ戦に出場。4年次に井端弘和の後を受けて二塁手に定着すると4年春秋でリーグ優勝、ベストナイン。 同期には同郷の赤星憲広がいた。その後はJTに入社、第75回都市対抗野球大会ではベスト4に進出して優秀選手。チームの休部で地元のJR東海に移籍、ここでは大学からJTを通じて1年後輩であった中須賀諭と再びチームメイトになった。引退後はコーチを務める。
豊田 浩之(とよた ひろゆき、1976年6月1日 - )は日… 豊田 浩之(とよた ひろゆき、1976年6月1日 - )は日本の高校野球指導者。 亜細亜大学では、4年時に正捕手として1年下の佐藤宏志、2年下の吉川昌宏とのバッテリーで春秋リーグ戦優勝に貢献。同期に赤星憲広、1年上に井端弘和、飯塚智広がいる。石川県の北陸大谷高校でコーチとして4年間指導。 その後は母校の岩倉高校に着任。コーチ、監督を務め、2010年からは部長、2014年からは再び監督を務めている。現在では同校の生徒指導部長も務めている。
一宮 里絵(いちみや りえ、1976年4月21日 - )は、… 一宮 里絵(いちみや りえ、1976年4月21日 - )は、日本の女優。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
赤星 憲広(あかほし のりひろ、1976年4月10日 - )… 赤星 憲広(あかほし のりひろ、1976年4月10日 - )は、愛知県刈谷市出身の元プロ野球選手(外野手、右投左打)、野球解説者、野球評論家、タレント。妻はタレントの徳原恵梨。マネジメント契約は株式会社オフィスS.I.Cである。 赤星曰く、幼少期から運動神経が良く、刈谷市立住吉小学校時代には野球以外のスポーツで誰かに負けたことがなかった。特に足の速さに関しては幼稚園に入園する頃にはすでに自覚があり、誰かに負けた記憶がないという。ただし努力をしなくてもあらゆるスポーツで負けることがないことで「何をやっても面白くない」、何をやってもうまくいくがゆえに「逆に自分は何をするべきなのか、何をやると一番楽しいのかということがわからない」心境に陥っていた。
横田 宗(よこた はじめ、1976年3月20日 - )は東京… 横田 宗(よこた はじめ、1976年3月20日 - )は東京都八王子市出身の日本人社会起業家、特定非営利活動法人アクション代表。 学校の勉強が大の苦手で席に座っていられない為、小学校時代は4年生まで先生の隣に特別席が設けられ、全員の前で授業を受けていた。また吃音持ちのため、人前で話すのが苦手であった。東京都立第二商業高等学校入学後も勉強に対する苦手意識は変わらず、見かねた親の勧めで東京都が募集するボランティア養成講座に参加し、4泊5日の身体障害者施設でのボランティアに参加する。銃で撃たれ下半身不随になった元暴力団員の男性や、自殺未遂をして両足を切断した女性など、様々な背景を持ちながらも真剣に話をしてくれた大人たちに興味を持ち、週に1度のボランティア活動を始める。
寺本 進(てらもと すすむ、1976年1月28日 - )は、… 寺本 進(てらもと すすむ、1976年1月28日 - )は、日本のセパタクロー選手。同日本代表のキャプテン・エース。 広島県広島市西区観音出身。 元サッカー選手。山陽高等学校のサッカー部だった1994年、地元広島で開かれたアジア競技大会(広島)のプレ試合が開催されたが、広島にセパタクローのチームが無く「サッカー選手なら出来るんじゃないか?」と当時の監督に薦められ即席チームに参加。セパタクローはカバティなどと共に、広島のアジア大会から日本で知られるようになったスポーツだが、寺本自身も初めてセパタクローを知ったという。このスポーツの面白さに取り憑かれ、すぐに日本代表にも選ばれ世界大会に出場した。高校卒業後、亜細亜大学の一芸一能試験にセパタクローで合格。
宇野 涼子(うの りょうこ、1975年11月9日 - )は、… 宇野 涼子(うの りょうこ、1975年11月9日 - )は、神奈川県相模原市出身の元女子サッカー選手。現役時代のポジションはディフェンダー。 相模原SCでプレーし、相模原市立相陽中学3年生のころ日本女子サッカーリーグ(JLSL/L・リーグ/なでしこリーグ)の読売サッカークラブ女子・ベレーザ(現・日テレ・東京ヴェルディベレーザ)に入団した。また神奈川県立新磯高等学校、亜細亜大学へと進学した。 1991年には日本代表に初選出され、1995年の第2回FIFA女子世界選手権(女子W杯)スウェーデン大会にも出場した。またリーグ戦でも1991年から3年連続でベストイレブンに選出された。 2000年、この年にL・リーグへ参入したYKK東北女子サッカー部フラッパーズへ移籍。
飯塚 智広(いいづか ともひろ、1975年9月28日 - )… 飯塚 智広(いいづか ともひろ、1975年9月28日 - )は、千葉県鎌ケ谷市出身の社会人野球選手・コーチ・監督(外野手)。左投左打。 二松学舎沼南高校から亜細亜大学に進学。高校では主戦投手として2年春の県大会優勝、夏も県大会決勝に進出、のちに甲子園で準優勝する拓大紅陵に1-2で敗退した。3年春も県大会準優勝で2年連続で春季関東大会に出場。大学で外野手に転向し、井端弘和とともに1・2番を打った。東芝の安田真範とは高校でバッテリーを組み、大学でも同期生である。東都大学リーグ1部リーグ通算80試合出場、272打数79安打、打率.290、3本塁打、37打点。ベストナイン2回。2年春のみ2部リーグで12試合出場、47打数22安打、打率.468、0本塁打、8打点で首位打者。
安田 真範(やすだ まさのり、1975年9月17日 - )は… 安田 真範(やすだ まさのり、1975年9月17日 - )は、日本の社会人野球選手(捕手、指名打者)である。現役時代は東芝に所属していた。 常盤松中で工藤友也とバッテリーを組んだ。二松學舍附属沼南高校に進むと飯塚智広が同級生にいて、高校2年次の夏に県大会で準優勝する。亜大 では4年春に好リードで東都リーグ優勝に貢献し、全日本大学選手権では準優勝している。同年の日米大学野球代表に飯塚らとともに選ばれ、秋季リーグ戦では初のベストナインを受賞した。1部リーグ通算25試合出場、75打数20安打、打率.267、2本塁打、8打点。 大学卒業後は平馬淳らと東芝府中に入社。1年目の1998年からリード面などを評価されてスタメンで起用され、都市対抗では新日鐵名古屋との1回戦で2ランホームランを放っている。
田部井 華子(たべい はなこ、1975年〈昭和50年〉8月8… 田部井 華子(たべい はなこ、1975年〈昭和50年〉8月8日 - )は、元福島中央テレビのアナウンサー。 埼玉県越谷市出身。亜細亜大学法学部卒業。 1999年5月に福島中央テレビに入社。同期に元同局アナウンサーの須賀宣之がいる。 。後に出産を控え、2007年秋に福島中央テレビを退社した。 この項目は、アナウンサーに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(アナウンサーPJ)。
米丸 麻希子(よねまる まきこ 1975年〈昭和50年〉5月… 米丸 麻希子(よねまる まきこ 1975年〈昭和50年〉5月1日 - )は、日本の政治家、鹿児島県姶良市長(1期)。元鹿児島県議会議員(2期)。 鹿児島県姶良市出身。鹿児島純心女子中学校・高等学校、亜細亜大学経営学部卒業。 東京都のブランドコンサルティング会社シー・アイ・エーで働き、その後、ブライトン・ビジネス・スクールで経営学修士(MBA)取得。2007年に姶良市にUターンし、家業である葬儀社と旅行会社の役員を務める。 12歳の時マーガレット・サッチャーの「争いもなく幸せに生きていける様にするのが政治です。」という言葉に触れ政治家への志が芽生える。2019年鹿児島県議会議員選挙で姶良市区から立候補し、初当選。
工藤 友也(くどう ともや、1975年5月1日 - )は、千… 工藤 友也(くどう ともや、1975年5月1日 - )は、千葉県出身の元プロ野球選手(投手)。 千葉県流山市立常盤松中では後にアジア大会の主将を務めるなどアマチュアで活躍する安田真範(亜細亜大学 - 東芝)とバッテリーを組む。 湖北高3年夏の県大会は市立船橋にコールド負けするも、1993年ドラフト5位で中日ドラゴンズに入団。187cmもの巨体から繰り出される140km/hを超える速球を武器に期待されていた。 しかし、1年目の1994年は肘の故障により、一軍はおろか二軍の試合にさえも1試合も登板出来ず、ようやく肘が完治した2年目の1995年も結果を残す事が出来ず、一度も一軍に上がる事がないまま同年限りで戦力外通告を受け、引退した。
坂口 奈央(さかぐち なお、1975年4月19日 - )は、… 坂口 奈央(さかぐち なお、1975年4月19日 - )は、日本の社会学研究者、岩手大学地域防災研究センター准教授。災害社会学専攻。元岩手めんこいテレビアナウンサー。静岡県富士市出身。血液型はB型。
粉川 真一(こかわ しんいち、1975年4月15日 - )は… 粉川 真一(こかわ しんいち、1975年4月15日 - )は、日本のアナウンサー。宮崎放送 (MRT) 報道制作局アナウンス部 アナウンス担当部長。 立川らく生という落語家の一面も持つ。 三重県津市出身。高田高等学校在籍中に、「NHK杯全国高校放送コンテスト」や「NHK青春メッセージ」などで多数全国入賞し、亜細亜大学経済学部へ一芸一能推薦で進学。卒業後は1999年にMRT宮崎放送に入社する。 テレビ『MRTニュース Next』『イブニングニュース』など長きにわたり報道キャスターを務め、キャスター在任中は鳥インフルエンザ、口蹄疫、新燃岳噴火、東日本大震災などの取材にあたる。また、テレビ情報番組『生スタ955』『アッパレMiyazaki』のMCや、ラジオ番組『土曜に乾杯』『くらしのレーダー』などのパーソナリティを担当。
中川 奈美(なかがわ なみ、1975年4月4日 - )は、日… 中川 奈美(なかがわ なみ、1975年4月4日 - )は、日本の愛媛県宇和島市出身の女性歌手、声優、ナレーター。こくあ所属。 3歳でピアノを始め、小学生の頃から合唱に打ち込み、合唱部と宇和島少年少女合唱団に入団。母の影響で民謡をはじめ、吾妻流中伝を取得。愛媛県立宇和島東高等学校、亜細亜大学を卒業し、シェイクスピア・シアターへ入団。歌のキャストとして現在も出演している。 インターネットゲームの主題歌の仕事をきっかけに、歌の仕事がはじまる。民謡で鍛えられた民族コーラスの他、声楽コーラスなどを活かし、ゲームやアニメのバックコーラスを歌う。その他ナレーター・声優として活動しながらも、収録・ステージで歌を歌っている。
三浦 華子(みうら はなこ、1975年3月28日- )は、日… 三浦 華子(みうら はなこ、1975年3月28日- )は、日本の元体操選手。 広島県東広島市出身。藤村女子中学校・高等学校、亜細亜大学卒業。朝日生命体操クラブ出身。 女子段違い平行棒のオリジナル技「ミウラ」を編み出している(1992年登録)。 2004年に渡米し、現在はアメリカ合衆国カリフォルニア州にある体操クラブで指導にあたっている。
駒村 多恵(こまむら たえ、1975年2月18日 - )は、… 駒村 多恵(こまむら たえ、1975年2月18日 - )は、日本のタレント・フリーリポーター。 大阪府大阪市浪速区生まれ、奈良県奈良市育ち。帝塚山中学校、堀越高等学校、亜細亜大学国際関係学部卒業。 佐月亜衣という名前を自分で姓名判断をして名付け、1990年アイドル歌手デビュー。ファンクラブ入会特典も姓名判断だった。サックスも吹け、宮本亜門をゲストにディナーショーを開催しピアノの弾き語りを披露するなど、実力派アイドルだった。その後アメリカ合衆国に留学後、レポーター・キャスター業へ転身し、芸能キャスターなどを務める。現在は三桂所属。 1986年の『日本ちびっ子歌謡大賞』に奈良県代表で出場したことがあるが、その時に沖縄県代表で出場し大賞を獲ったのが、のちに「涙そうそう」でブレイクした夏川りみである。
大沢 健(おおさわ けん、1974年12月28日 - )は、… 大沢 健(おおさわ けん、1974年12月28日 - )は、日本の俳優。 東京都出身。株式会社mewgull所属。身長178 cm、体重65 kg。 幼少期にモデルとして活動を開始し、子役として伊丹十三監督の映画『タンポポ』やテレビドラマ『真田太平記』に出演する。1988年に『ぼくらの七日間戦争』で本格的にスクリーンデビューし、脚光を浴びた。 1991年、『電影少女 -VIDEO GIRL AI-』で映画初主演を果たす。1990年代前半にはアイドル雑誌でグラビア企画を組まれたり、ブティック社から自身の名を冠したスタイルブックが出版されたりもした。 映像作品と並行して舞台にも数多く起用され、シェイクスピア作品から特技の日本舞踊(花柳流)を活かした舞踊劇まで幅広い作品に出演している。
黄川田 賢司(きかわだ けんじ、1974年〈昭和49年〉10… 黄川田 賢司(きかわだ けんじ、1974年〈昭和49年〉10月28日 - )は、埼玉県新座市出身のサッカー選手、サッカー指導者。ポジションはFW、DF。身体能力が高く、ヘディングが得意。左サイドバック、センターフォワードなどでプレーした。 1997年当時、関東大学サッカーリーグ2部、亜細亜大学卒業後、コンサドーレ札幌にFWとして加入。1999年、岡田武史(前日本代表監督)のもと、中心選手として活躍。2000年、リーグ30試合にFWとして出場・5得点とJ1昇格に貢献。2002年に川崎フロンターレへ移籍後2003年に戦力外通告を受け現役を引退。その後は音楽業界に転身し、企画・運営などに携わり、FM NORTH WAVEでスーパーバイザーも務める。