三部航平(さんべ こうへい、1997年7月13日 - )は、… 三部航平(さんべ こうへい、1997年7月13日 - )は、山形県出身の卓球選手。シチズン時計所属。Tリーグは静岡ジェードなどに所属歴あり。国際卓球連盟のITTF世界ランキング最高は172位(2019年8月)。
専修大学:29人
三部航平(さんべ こうへい、1997年7月13日 - )は、… 三部航平(さんべ こうへい、1997年7月13日 - )は、山形県出身の卓球選手。シチズン時計所属。Tリーグは静岡ジェードなどに所属歴あり。国際卓球連盟のITTF世界ランキング最高は172位(2019年8月)。
及川 瑞基(おいかわ みずき、1997年6月26日 - )は… 及川 瑞基(おいかわ みずき、1997年6月26日 - )は、宮城県出身の卓球選手。木下グループ所属。Tリーグは岡山リベッツ所属。国際卓球連盟のITTF世界ランキング最高は47位(2023年9月)。U21男子シングルス1位.Jr.男子シングルス5.カデット男子シングルス2位。全日本卓球選手権男子シングルス優勝.男子ダブルス優勝。
安藤 みなみ(あんどう みなみ、1997年2月12日 - )… 安藤 みなみ(あんどう みなみ、1997年2月12日 - )は、愛知県名古屋市港区出身の元卓球選手。Tリーグはトップおとめピンポンズ名古屋所属。 卓伸クラブ(愛知県)出身。青森山田中学高等学校、慶誠高等学校を経て専修大学に入学した。2017年の全日本卓球選手権大会の女子シングルスで優勝候補の伊藤美誠を下し、話題になった。 専修大学在学中、2018-19シーズンにTリーグのトップおとめピンポンズ名古屋に所属した。大学卒業後は実業団の十六銀行に入社し、日本リーグの最高殊勲選手賞を受賞した。 2020-21シーズンから、十六銀行を退職してトップおとめピンポンズ名古屋に再び入団した。 2024-25シーズンで現役の引退を発表。
郡山 北斗(こおりやま ほくと、1996年12月19日 - … 郡山 北斗(こおりやま ほくと、1996年12月19日 - )は、岡山県出身の日本の男子卓球選手。左シェークドライブ型。ITTF世界ランキング最高位は211位(2017年4月)。Tリーグは木下マイスター東京に所属歴あり。 父の影響で3歳から卓球を始め、関西高等学校に進学して全日本ジュニアで3位に入るなど頭角を現した。 専修大学に進学後は、全日本学生選手権で男子ダブルス優勝などの成績を残した。 リコーに就職後、2019年後期日本卓球リーグで新人賞を獲得した。 2021年からTリーグの木下マイスター東京に入団した。
田添 響(たぞえ ひびき、1996年6月2日 -)は、日本の… 田添 響(たぞえ ひびき、1996年6月2日 -)は、日本の卓球選手。Tリーグの岡山リベッツに所属している。 福岡県北九州市出身。田添健汰(木下マイスター東京)は兄。 石田卓球クラブ(福岡県中間市)で力を磨き、希望が丘高等学校、専修大学へと進学した。 中学3年時の平成23年度全日本卓球選手権大会では、早田ひなとの混合ダブルスで一勝を挙げ、同種目の史上最年少ペア勝利を達成している。 2018-19シーズンからTリーグの木下マイスター東京に所属。2020-21シーズンから岡山リベッツに移籍した。2025-26シーズンより選手兼監督となる。
田添 健汰(たぞえ けんた、1995年4月2日 - )は、日… 田添 健汰(たぞえ けんた、1995年4月2日 - )は、日本の男子卓球選手。福岡県北九州市出身。木下グループ所属。右利き。Tリーグは木下マイスター東京所属。2017年ドイツデュッセルドルフで開催された第54回世界卓球選手権個人戦に前田美優との混合ダブルスで出場した。2021年12月23日に入籍したことをTwitter上で発表。 6歳の時に石田卓球クラブで卓球を始めた、ホープス代表も経験し、2007年の全国ホープス卓球大会で優勝した、中間東中学校、2008年にJOCエリートアカデミー(1期生)に入校したが上京直後に右ひじを故障し手術治療で約1年のブランクで帰京、希望が丘高等学校から専修大学へ進学。
森田 翔樹(もりた しょうき、1988年1月10日 - )は… 森田 翔樹(もりた しょうき、1988年1月10日 - )は、フリューゲル卓球クラブ代表の卓球選手。青森山田高等学校で主将を務め、専修大学を卒業。
岩崎 清信(いわさき きよのぶ 1967年1月30日- )は… 岩崎 清信(いわさき きよのぶ 1967年1月30日- )は日本の元卓球選手。1996年に全日本卓球選手権を制覇している。五段。 埼玉県立熊谷商業高等学校で吉田安夫の指導を受けた。専修大学に進学、関東学生卓球リーグでは4年間で36勝4敗の成績を残した。1988年の全日本学生卓球選手権で準優勝している。専修大学を卒業後、日産自動車に入社し社会人選手とし活躍、1993年の全日本社会人卓球選手権で優勝した。1996年には全日本卓球選手権で優勝した。1997年のジャパントップ12卓球大会でも優勝している。 卓球選手として引退後同社を退職しタマスに入社した。 所属は総務部だが卓球の振興のため全国各地で学生等の技術指導も行っている。
高橋 省子(たかはし しょうこ、現姓・石井、1955年または… 高橋 省子(たかはし しょうこ、現姓・石井、1955年または1956年 -)は、日本の元卓球選手。現役時代は日本代表として世界卓球選手権で女子ダブルス金メダル。国際卓球連盟世界ランキング最高位は37位。段級位は9段。 栃木県立真岡女子高等学校在学時の1973年度、全国高等学校卓球選手権大会ではシングルス、菅谷佳代と出場した女子ダブルスでともに優勝。国民体育大会卓球競技では高校の部で菅谷らとともに栃木県代表として優勝。 1974年度、テヘラン (イラン) で開催された1974年アジア競技大会卓球競技(英語版)では団体で枝野とみえ、大関行江らとともに銅メダル。国民体育大会では一般の部で栃木県を優勝に導く。
阪本 礼子(さかもと れいこ、1950年または1951年 -… 阪本 礼子(さかもと れいこ、1950年または1951年 - )は、日本の元卓球選手。現役時代は日本代表として活躍した。世界卓球選手権銀メダリスト。 四天王寺高校在学時の1968年度、全国高等学校卓球選手権大会シングルス、岡田千鶴と出場した女子ダブルスで優勝。 専修大学在学時の1970年度、全日本卓球選手権大会に平野美恵子と出場した女子ダブルス決勝で前年優勝の福野美恵子 / 山口朝子組を2-1で破り初優勝。伊藤繁雄と出場した混合ダブルス決勝で長谷川信彦 / 大関行江組に0-2で屈し準優勝。 1971年度、名古屋市で行われた第31回世界卓球選手権シングルスで16強。平野と出場した女子ダブルス準々決勝で小和田敏子 / 今野安子組(日本) に3-2で勝利。
平野 美恵子(ひらの みえこ、1948年または1949年 -… 平野 美恵子(ひらの みえこ、1948年または1949年 - )は、日本の元卓球選手。現役時代は日本代表として活躍した。 誠心高校在学時の1966年度、全国高等学校卓球選手権大会シングルスで優勝。 専修大学在学時の1967年度、シンガポールで開催されたアジア卓球選手権では井上哲夫と出場した混合ダブルスで金メダル。 1969年度、全日本卓球選手権大会に福野美恵子と出場した女子ダブルス決勝で前年優勝の小和田敏子 / 今野安子組を2-1で破り初優勝。 1970年度、名古屋市で開催されたアジア選手権で福野と出場した女子ダブルスで銀メダル。全日本大学対抗卓球大会では専修大を優勝に導き、敢闘賞に選出された。
福野 美恵子(ふくの みえこ、1947年または1948年 -… 福野 美恵子(ふくの みえこ、1947年または1948年 - )は、日本の元卓球選手。現役時代は日本代表として活躍した。 藤園女子高校在学時の1965年度、全国高等学校卓球選手権大会シングルスで優勝。 専修大学在学時の1967年度、国民体育大会卓球競技では一般の部で富山県代表として優勝。全日本卓球選手権大会に馬淵常美と出場した混合ダブルス決勝で河原智 / 大関行江組に0-2で敗れ準優勝。 1968年度、ジャカルタ (インドネシア) で開催されたアジア卓球選手権では大関と出場した女子ダブルス、伊藤繁雄と出場した混合ダブルスでともに金メダル獲得。全日本大学総合卓球選手権大会では広田佐枝子と出場した女子ダブルスで優勝。
河野 満(こうの みつる、1946年9月13日- )は、日本… 河野 満(こうの みつる、1946年9月13日- )は、日本の元卓球選手。1977年開催の第34回世界卓球選手権バーミンガム大会で優勝した、元世界チャンピオンでもある。青森県十和田市出身。 現在は青森大学卓球部監督。 コピー選手を育成するシステムが存在していた頃の中国卓球ナショナルチームに於いても「河野選手とワルドナー選手だけはコピー出来ない」と言われた。 ワルドナーは「自分が手本にしたプレイヤーは王会元選手と河野選手である」と明言している。 青森県十和田市の運動具店に生まれた。 青森商業高校時代、全日本卓球選手権大会ジュニアの部で優勝。 専修大学3年次の1967年に開催された第29回世界卓球選手権ストックホルム大会にて、世界選手権初出場。
広田 佐枝子(ひろた さえこ、1946年または1947年 -… 広田 佐枝子(ひろた さえこ、1946年または1947年 - )は、日本の元卓球選手。現役時代は日本代表として世界卓球選手権で金メダル2個を含む複数のメダルを獲得し、日本卓球界の黄金期を代表する選手として活躍した。段級位は9段。 中学1年から卓球を始め、広島県立大竹高等学校を経て専修大学に入学。 1967年度、ストックホルム (スウェーデン) で行われた世界選手権ではシングルスで16強。森沢幸子と出場した女子ダブルス準決勝ではスベトラーナ・グリンベル(英語版) / ソージャ・ルドノワ(英語版)組 (ソビエト連邦) に3-2で勝利。決勝では山中教子 / 深津尚子組 (日本) を3-0で下し金メダル。
伊藤 繁雄(いとう しげお、1945年1月21日 - )は、… 伊藤 繁雄(いとう しげお、1945年1月21日 - )は、日本の卓球選手。 山口県周南市生まれ。専修大学卒業。1969年の世界選手権で男子シングルス、男子団体優勝の2冠に輝いた。生まれつき左利きであるが、現役を引退するまで、右手でラケットを打ち続けた。現在は、小中学生対象の講習会に参加し選手育成に努めている。 1971年名古屋世界選手権では団体戦で調子が出ず、苦手を公言していたカラカセビッチ等欧州選手の他中国選手の前陣速攻にも苦戦していたが、個人戦になると期待された長谷川、河野が敗退する中で李富栄、シュルベクの強敵を連破、17歳のステラン・ベンクソンには敗れたものの決勝に進出し、面目を保った。
野平 孝雄(のひら たかお、1943年または1944年 – … 野平 孝雄(のひら たかお、1943年または1944年 – 2013年5月12日)は、日本出身の元卓球選手、指導者。現役時代は日本代表として世界卓球選手権で銀メダルを獲得。全日本監督も務めた。野平明雄は実兄。 専修大学在学時の1964年度、全日本学生卓球選手権大会シングルスで優勝。 1965年度、リュブリャナ (ユーゴスラビア) で開催された第28回世界卓球選手権男子シングルスで李富栄(英語版)(中国)に敗れ16強。団体は荻村伊智朗・木村興治・小中健・高橋浩とともに銀メダル。 大学卒業後、シチズン時計、唐橋卓球に所属。1983年から全日本のコーチ、監督、国際競争力委員長を歴任。2013年5月2日死去、享年69歳。
森沢 幸子(もりさわ さちこ、1943年 - )は、日本の卓… 森沢 幸子(もりさわ さちこ、1943年 - )は、日本の卓球選手。熊本県出身。日本卓球協会から9段に認定されている。女子選手ばなれした強打を放つ選手であった。 専修大学在学中の1963年10月に宮城県の仙台で行われた東日本学生卓球選手権では中央大学の関正子に1-3で敗れて準優勝となった。1964年10月の千葉県営体育館で行われた東日本学生卓球選手権では女子ダブルスで下山智子とのペアで同じ専修大学の大城・磯村組を3-1で破り初優勝した。1865年1月12日に日本卓球協会が発表したランキングで、山中教子、磯村淳、深津尚子に続いて4位となった。 1964年、1965年に関東学生卓球選手権で下山智子との女子ダブルスで2年連続優勝、1965年度の全日本硬式卓球選手権では準々決勝で関正子に打ち勝ち、準決勝で山中教子を破り、決勝でチームメートの下山智子を3-1で破り優勝した。
福島 萬治(ふくしま まんじ、1939年または1940年 -… 福島 萬治(ふくしま まんじ、1939年または1940年 - )は、日本の元卓球選手。現役時代は日本代表としてアジア競技大会卓球競技で金メダルを獲得した。 広島県立因島高等学校在学時に全国高等学校卓球選手権で準優勝。 専修大学在学時の1960年度、全日本卓球選手権大会で江頭新生と出場した男子ダブルス決勝で山本義徳 / 石橋征組に0-2で敗れ準優勝。 1961年度、全日本選手権で栗田和代と出場した混合ダブルス決勝で星野展弥 / 伊藤和子組に0-2で敗れ準優勝。 1962年度、全日本学生卓球選手権大会で吉本忠義と出場した男子ダブルス優勝。 全日本選手権で吉本と出場した男子ダブルス決勝で三木圭一 / 瀬川栄次組を2-0で下し優勝。
松崎 キミ代(まつざき きみよ、1938年6月18日- )は… 松崎 キミ代(まつざき きみよ、1938年6月18日- )は、香川県三豊郡高瀬町(現三豊市)出身の元卓球選手。現姓・栗本。専修大学卒業。戦型はペン表ソフト前陣速攻型。日本卓球界の黄金時代を代表する女子選手のひとりであり、1997年にはその功績をたたえられ世界卓球殿堂入りを果たした。 酒屋の6人姉妹の長女。憧れの卓球選手は江口冨士枝。 小学校5年の時に卓球を始めた。1959年に行われた世界卓球選手権大会の女子シングルスで優勝、その後1963年の大会でも優勝し世界チャンピオンとなった。1961年の世界選手権の際に、周恩来からマオタイ酒をプレゼントされた。2020年、渋谷区名誉区民に顕彰された。 2010年4月17日の渋谷区体育協会のジュニア育成事業の合同開講式で『一番大事なのは気持の持ち方だ。
星野 展弥(ほしの のぶや、1937年2月1日 – 2020… 星野 展弥(ほしの のぶや、1937年2月1日 – 2020年2月22日)は、日本の元卓球選手。現役時代は日本代表として世界卓球選手権で金メダル2個を含む計4個のメダルを獲得し、日本卓球界の黄金期を代表する選手として活躍した。国際卓球連盟世界ランキング最高位は9位タイ。段級位は9段。 1958年度、全日本卓球選手権大会シングルス決勝で成田静司に1-3で敗れ準優勝。 1959年度、ドルトムント (西ドイツ) で行われた世界選手権ではシングルスで16強。成田と出場した男子ダブルスでは準々決勝敗退。難波多慧子と出場した混合ダブルスでも準々決勝敗退。団体で成田、村上輝夫、荻村伊智朗と金メダル。世界ランキング13位タイ。
野平 明雄(のひら あきお、1937年 - 2015年2月4… 野平 明雄(のひら あきお、1937年 - 2015年2月4日)は、日本の卓球選手。 千葉県立佐倉高等学校を経て専修大学出身。 1955年度、全日本卓球選手権大会では津野達雄と出場した男子ダブルスで荻村伊智朗 / 田中利明組を2-0で破り優勝。 1956年、東京で開催された第23回世界卓球選手権シングルス準決勝で田中に1-3で敗れ銅メダル。津野と出場した男子ダブルスで16強。 フォアハンドの豪打を武器に専修大学で活躍。現役引退後は指導者としても活躍し、千葉県の千城台卓球クラブで少年少女の育成に励み、五輪代表、世界代表の選手を育て上げた。平成元年アジアジュニア男子監督。1993年のアジアカップ日本代表男子総監督。
井上哲夫(いのうえ てつお)は、千葉県八日市場市出身の元卓球… 井上哲夫(いのうえ てつお)は、千葉県八日市場市出身の元卓球選手。専修大学在学中、全日本学生卓球選手権大会で優勝を果たした。卒業後シチズン時計に所属した。世界卓球選手権にも日本代表として3大会に出場している。 千葉県立銚子商業高等学校から1967年に専修大学へ入学、2年次の1968年全日本選手権で3位となり、3年次の1969年には世界選手権ミュンヘン大会の代表となり、全日本学生卓球選手権で優勝、全日本選手権で準優勝した。4年次の1970年も全日本選手権で3位、卒業後はシチズン時計に入社して卒業後も実業団で卓球を続け1971年世界選手権名古屋大会、1977年世界選手権バーミンガム大会のメンバーになり、団体の予選リーグ、ユーゴスラビア戦では、4-4のラストで勝利し、準優勝に貢献した。
磯村 淳(いそむら すなお)は、日本の元卓球選手。現役時代は… 磯村 淳(いそむら すなお)は、日本の元卓球選手。現役時代は日本代表として世界卓球選手権で銀メダル獲得など活躍した。国際卓球連盟世界ランキング最高位は14位。 中学で卓球部に入部。かつては攻撃型だったが、1956年に東京で開催された第23回世界卓球選手権でのロゼアヌ (ルーマニア) のプレーに魅了され、カット主戦型に転向 。 1959年度、高校選手権個人の部で優勝。 1960年度、高校選手権で中田光子と出場したダブルスで優勝。 1963年度、全日本大学総合卓球選手権大会団体の部では専修大学を優勝に導き、敢闘賞に選出された。国民体育大会卓球競技では一般の部で東京都代表として関正子らと優勝。 1964年度、ソウル (韓国) で行われたアジア卓球選手権では女子ダブルスで銀メダル。
阿部 博幸(あべ ひろゆき)は山口県出身の元卓球選手。興國高… 阿部 博幸(あべ ひろゆき)は山口県出身の元卓球選手。興國高等学校、専修大学を経て協和発酵に所属した。 1973年にはインターハイでシングルス、阪井一利とのダブルスで優勝した。 全日本卓球選手権大会ではシングルスで1980年に優勝、ダブルスで1976年、1977年、阿部勝幸とのペアで1981年、前原正浩とのペアで優勝した。 また世界卓球選手権代表に3回選ばれ1979年の平壌大会、1981年のノヴィサド大会でともに団体3位、1983年の東京大会ではダブルスで小野誠治とのペアでベスト4に入った。1973年には来日した世界チャンピオンの郗恩庭を破っている。また、1984年にはピョンヤンで行われたフレンドシップ・ゲームズ(ドゥルージバ-84)(en) に参加し、小野誠治と組んだ男子ダブルスで金メダルを獲得した(en) 。
嶋内よし子(しまうち よしこ)は、高知県窪川町出身の卓球選手… 嶋内よし子(しまうち よしこ)は、高知県窪川町出身の卓球選手。興津中学校・土佐女子高等学校を経て専修大学へ進学した。主将を務めていた1979年1月に行われた全日本卓球選手権では、女子シングルス決勝で青山学院大学の菅谷佳代を破り優勝した。卒業後は三井銀行へ入社した。夫は卓球選手の斎藤清。 世界卓球選手権に3度出場、全日本卓球選手権でも2度優勝した名選手であったが、2003年12月23日に乳癌による呼吸不全のため46歳で死去した。
阿部勝幸(あべ かつゆき )は山口県出身の卓球選手。専修大学… 阿部勝幸(あべ かつゆき )は山口県出身の卓球選手。専修大学から協和発酵に所属し1980年に現役を引退した。 全日本学生卓球選手権では1971年にシングルス、1970年、1971年に藤原孝志とのダブルスで優勝した。 全日本卓球選手権大会では1971年に混合ダブルスで阪本礼子とのペアで1971年、1972年と2連覇、ダブルスで1972年に伊藤繁雄とのペアで1976年、1977年、阿部博幸とのペアで優勝、シングルスでも1974年に優勝している。 また世界卓球選手権代表に3回選ばれ1971年の名古屋大会、1975年のカルカッタ大会のダブルスでともにベスト4に入った。 現役引退後は専修大学監督などを務めている。
富田 芳雄(とみた よしお)は、日本の元卓球選手。現役時代は… 富田 芳雄(とみた よしお)は、日本の元卓球選手。現役時代は日本代表として世界卓球選手権で金メダル4個を含む多くのメダルを獲得し、日本卓球界の黄金期を代表する選手として活躍した。国際卓球連盟世界ランキング最高位は6位。段級位は9段。 1950年度、全国高等学校卓球選手権大会シングルス優勝。 専修大学在学時の1952年度、全日本学生卓球選手権大会でシングルス初優勝。全日本卓球選手権大会ではシングルス決勝で溝畑司呂を3-1で下し優勝。 1953年度、東京で開催されたアジア卓球選手権シングルスで銅メダル、団体で金メダル。学生選手権でシングルス2度目の優勝、川井一男と出場した男子ダブルスで初優勝。 1954年度、ウェンブリー (イングランド) で行われた第21回世界卓球選手権シングルスでは準々決勝でリチャード・バーグマン (イングランド)に1-3で敗れた。
村上 淑子(むらかみ よしこ)は、日本の元卓球選手。現役時代… 村上 淑子(むらかみ よしこ)は、日本の元卓球選手。現役時代は全日本卓球選手権大会など多くの大会で活躍した。 広島県立三原高等学校を経て専修大学入学。以降、記述するダブルスのペアは全て松崎キミ代。 1958年度、全日本大学総合卓球選手権大会個人の部女子ダブルスで優勝。全日本選手権女子ダブルス決勝では前年優勝の江口冨士枝 / 山泉和子組を2-1で下し初優勝。 1959年度、大学選手権女子ダブルスで2連覇。国民体育大会卓球競技で山泉、松崎とともに優勝。全日本選手権シングルス決勝では松崎に2-3で敗れ準優勝。女子ダブルス決勝では山泉 / 設楽義子組を2-1で下し2度目の優勝。 1960年度、帝人三原に所属。
渡辺 妃生子(わたなべ きいこ)(現姓:加藤)は、日本の元卓… 渡辺 妃生子(わたなべ きいこ)(現姓:加藤)は、日本の元卓球選手。現役時代は日本代表として世界卓球選手権で金メダル2個を含む多くのメダルを獲得し、日本卓球界の黄金期を代表する選手として活躍した。国際卓球連盟世界ランキングの最高位は3位。段級位は7段。 1953年度、全日本卓球選手権大会ではシングルス決勝で江口冨士枝を3-2で倒し、初優勝。 1954年度、ウェンブリー (イングランド) で行われた世界選手権では江口と出場した女子ダブルス準決勝でディアンヌ・ロー(英語版) / ロザリンド・ロー(英語版)組 (イングランド) に1-3で敗れ銅メダル。団体では金メダル獲得。世界ランキング7位。 1955年度、ユトレヒト (オランダ) で行われた第22回世界卓球選手権シングルスは準決勝でアンジェリカ・ロゼアヌ (ルーマニア)に0-3で敗れ銅メダル。