有田 泰而(ありた たいじ、1941年1月31日 - 201… 有田 泰而(ありた たいじ、1941年1月31日 - 2011年7月17日)は、日本の商業写真家。非商業的なヌード作品なども発表し、写真以外の芸術作品も制作した。 有田泰而は、1941年1月31日に、当時の福岡県小倉市(現在の北九州市小倉北区)に生まれた。中央大学法学部に進学したものの、程なくして写真家を志し、東京綜合写真専門学校の学生となって石元泰博の下で学んだ。 有田は、1964年から1991年まで、もっぱら写真家として活動した。1964年から1966年には、日本デザインセンター写真部に所属し、その後、1977年まではフリーランスの写真家として数多くの出版社や広告企業に作品を提供した。1975年に、自分の家族(最初の妻とその息子)を撮影した「First Born」の作品群を発表した。
桝本 賴兼(ますもと よりかね、1941年(昭和16年)1月… 桝本 賴兼(ますもと よりかね、1941年(昭和16年)1月29日 - )は、日本の政治家、元公務員。満洲国出身。元京都市長(3期)。
俵 義文(たわら よしふみ、1941年1月23日 - 202… 俵 義文(たわら よしふみ、1941年1月23日 - 2021年6月7日)は、日本の社会運動家。「子どもと教科書全国ネット21」前事務局長、日朝協会事務局長。 福岡県生まれ。福岡県立鞍手高等学校(定時制)卒業。1964年中央大学法学部法律学科卒業、新興出版社啓林館に入社。1965年家永三郎教科書裁判の支援会員になる。労働組合の幹部を務める。 1998年、「子どもと教科書全国ネット21」の結成に参加。事務局長に就任。2000年新興出版社啓林館を定年前に退社、活動に専念する。 出版労連教科書対策部長・同事務局長、教科書検定訴訟を支援する全国連絡会常任委員、子どもと教科書全国ネット21事務局長・同代表委員、日朝協会事務局長、和光大学・立正大学非常勤講師などを歴任。
梶井 純(かじい じゅん、1941年1月2日 - 2019年… 梶井 純(かじい じゅん、1941年1月2日 - 2019年7月23日)は、日本の漫画評論家。本名は長津忠。貸本漫画を主な評論対象とする。東京都出身。 東京都豊島区目白生まれ。1963年中央大学経済学部卒業。出版社勤務、編集プロダクション代表を経てフリーの評論家。 十代のある時期、トキワ荘に近い場所に居住していた。また、小学生のころから野球に熱中しており、高校では野球部に入り、大学では準硬式野球部に入った(1年の途中で退部)。 1967年に石子順造、権藤晋、菊池浅次郎(山根貞男)と、日本初の漫画評論誌『漫画主義』を創刊。1972年から7年間、『週刊読書人』にてマンガ時評を連載した。 また、著書『戦後の貸本文化』は、かつてはメジャーな文化でありながらほとんどその分析がされていない貸本文化についての、貴重な研究資料である。
藤井 武彦(ふじい たけひこ、1941年1月1日 - )は、… 藤井 武彦(ふじい たけひこ、1941年1月1日 - )は、日本の経営者。トーハン社長、会長を務めた。島根県出身。 1988年に中央大学法学部を卒業し、同年に三和銀行に入行した。1994年にトーハン取締役に就任し、1997年に副社長、2006年に財務顧問を経て、2012年6月に社長に就任。2018年6月には顧問に退いた。
別紙 壮一(べっし そういち、1941年 - )は、日本の元… 別紙 壮一(べっし そういち、1941年 - )は、日本の元アニメプロデューサー。香川県高松市出身。 香川県立坂出高等学校、中央大学商学部卒業。大学卒業後に日通液化ガス(在職中に日通商事へ社名変更。現:NX商事)へ入社し、主計課に配属される。その傍ら、妻の姉の友人である藤岡豊に経理業務の補佐を依頼され、非常勤のアルバイトとしてシンエイ動画の前身である有限会社エイプロダクション(Aプロ)に出入りするようになる。藤岡とはその後義兄弟の関係となる。 アニメ業界への関心が高まったことや、Aプロの社長である楠部大吉郎に乞われたこともあって転職を決意し、1966年11月に日通商事を退社して、総務経理の専従スタッフとしてAプロに入社。
伊藤 章雄(いとう ゆきお、1941年 - )は中央大学大学… 伊藤 章雄(いとう ゆきお、1941年 - )は中央大学大学院兼任講師、三井住友海上火災保険顧問。前職は東京都総務局理事。
篠田 庄司(しのだ しょうじ、1941年 - )は、日本の電… 篠田 庄司(しのだ しょうじ、1941年 - )は、日本の電子工学者。中央大学名誉教授。元電子情報通信学会編集長。元日本シミュレーション学会会長。 1973年中央大学大学院理工学研究科修了、工学博士。1982年中央大学理工学部教授。1989年カリフォルニア大学バークレー校客員研究員。1991年中央大学国際交流センター所長。1992年電子情報通信学会論文賞受賞。1993年学校法人中央大学評議員。1995年中央大学大学院理工学研究科委員長。同年IEEE ICSPNN Best Paper Award受賞。1997年電子情報通信学会論文賞受賞。1998年電子情報通信学会論文賞受賞。2000年電子情報通信学会フェロー、IEEE Third Millennium Medal受賞。
笹岡 征雄(ささおか まさお、1941年 - )は、日本のス… 笹岡 征雄(ささおか まさお、1941年 - )は、日本のスポーツ研究者。札幌学院大学名誉教授。専門分野はスポーツ、運動処方論、日本スポーツ史、北海道スポーツ史。 出典:(笹岡征雄教授略歴・主要業績目録)による。 1975年7月26日、笹岡指導の下、当時の札幌短期大学の女子学生ら6人が、日本陸上競技連盟公認コースとして網走市役所から大空町までの区間を42195キロ完走し、女子初のフルマラソンとして記録された。
関 正子(せき まさこ、1941年または1942年 - 20… 関 正子(せき まさこ、1941年または1942年 - 2019年9月18日、現姓は「両澤」)は、日本の元卓球選手。現役時代は日本代表として世界卓球選手権で金メダル4個を含む計8個のメダルを獲得し、日本卓球界の黄金期を代表する選手として活躍した。国際卓球連盟世界ランキング最高位は3位。段級位は9段。 安部学院高在学時の1958年度、全国高等学校卓球選手権大会シングルスで優勝。 1959年度、国民体育大会卓球競技では高校の部で東京都代表として優勝。 中央大学在学時の1960年度、全日本学生卓球選手権大会ではシングルス、小川節子と出場した女子ダブルスでともに優勝。 1961年度、北京 (中国) で行われた世界卓球選手権ではシングルスで16強、岡田と組んだ女子ダブルスでも16強。
角田 邦重(すみだ くにしげ、1941年〈昭和16年〉 - … 角田 邦重(すみだ くにしげ、1941年〈昭和16年〉 - )は、日本の法学者。専門は労働法。元中央大学学長。中央大学名誉教授。弁護士(虎の門法律経済事務所・パートナー)。民法学者・角田美穂子(一橋大学教授)は子。 熊本県本渡市生まれ、佐賀県鳥栖市育ち。佐賀県立鳥栖高等学校卒業後、1965年中央大学法学部二部法律学科卒業。1965年最高裁判所にて司法修習生。1967年中央大学法学部助手。横井芳弘に師事。 1971年中央大学法学部助教授。1978年中央大学法学部教授。1981年中央大学大学院法学研究科教授併任。1991年学校法人中央大学評議員(1999年まで)。1991年中央大学法学部長(1995年まで)。
福原 進(ふくはら すすむ、1941年 - 2020年2月6… 福原 進(ふくはら すすむ、1941年 - 2020年2月6日)は、茨城県生まれの日本の映画監督。日本映画監督協会会員。 1941年に茨城県で生まれる。1964年に中央大学法学部法律学科を卒業したのち、1969年にコマーシャルフィルムで監督デビューとともにフリー、数多くのCMを演出した。 1980年、日本テレビ・木曜スペシャル「大英博物館・三部作」を手がけたのを皮切りに、テレビ番組、博覧会映像を手がける。主な作品に、「ボストン美術館物語」(NTV創立30周年記念番組・ギャラクシー賞)、「正倉院・シルクロードの終着駅」(NTV創立40周年記念番組)、「潜入・クレムリン宮殿」、筑波EXPO85、住友館「大地の詩」瀬戸内博88、日本ハム館「ライン不思議な冒険」横浜未来博、日産館「Run for The Sun」がある。
藤本 哲也(ふじもと てつや、1940年〈昭和15年〉12月… 藤本 哲也(ふじもと てつや、1940年〈昭和15年〉12月18日 - )は、日本の法学者・弁護士。専門は、犯罪学・刑事政策・被害者学。Ph.D.(カリフォルニア大学バークレー校・1975年)。中央大学名誉教授。元常磐大学大学院教授。 現在、日本刑事政策研究会理事、法務省・性犯罪者処遇プログラム研究会構成員、法務省矯正研修所講師、財団法人矯正協会評議員、全国少年警察ボランティア協会顧問、日本更生保護協会理事、日本被害者学会理事、特定非営利活動法人全国就労支援事業者機構理事、内閣府少年非行事例等調査研究企画分析会議委員長、社会福祉士試験委員、最高検察庁参与。また、2000年まで司法試験考査委員を務めた。
吉川 春子(よしかわ はるこ、1940年11月26日 - )… 吉川 春子(よしかわ はるこ、1940年11月26日 - )は、日本の政治家。日本共産党所属の元参議院議員(4期)。 2007年2月21日、マイク・ホンダがアメリカ合衆国下院121号決議を成立させる動きに連動し、米議会の公聴会で慰安婦を名乗り証言した李容洙を招いて開催した集会に参加。円より子は「現在、『促進法案(戦時性的強制被害者問題解決促進法案)』が(審議されず)吊るしっぱなしになっている。法案を通過させ被害者の名誉を回復したい。そのために通常国会で審議されるよう努力していく」と述べた。岡崎トミ子は『(被害者の証言は)日本の国会がすべきこと。米国で先に実現し恥ずかしく思う。日本がアジアで尊敬される国になるには戦争加害責任をきちんととって周辺の国々と友好を深めていかなければならない』と述べた。
野崎 国昭(のざき くにあき、1940年11月22日 - … 野崎 国昭(のざき くにあき、1940年11月22日 - )は、日本の経営者、銀行家。北越銀行頭取を務めた。 新潟県出身。1963年に中央大学商学部を卒業し、同年9月に北越銀行に入行した。1995年6月に取締役に就任し、1998年6月に常務、2001年6月に専務を経て、2003年4月から2007年6月までに頭取を務めた。 2017年11月に藍綬褒章を受章。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
藤 ひさし(ふじ ひさし、1940年11月19日 - )は、… 藤 ひさし(ふじ ひさし、1940年11月19日 - )は、日本の映像作家、美術コンテンツ・プロデューサー。東京西麻布生まれ。本名は遠藤 欽久(えんどう よしひさ、一般社団法人日本美術アカデミー理事)。 中央大学フランス文学科を卒業後、会社員を経て映像制作会社を設立。ルーブル、プラド、エルミタージュ等、海外の有名美術館と直接交渉し、主要な所蔵作品をハイビジョン映像にて撮影。『世界の美術館』(ビデオ全18巻。後にレーザーディスク、DVD版も)として1991年に発売。以後、DVDやテレビ番組など美術関連の映像制作物の脚本・プロデュース、美術関連書籍の執筆など幅広く活躍。(参考資料:書籍の著者紹介、作品の制作資料)
荒木 紀一 (あらき きいち、1940年11月11日 - … 荒木 紀一 (あらき きいち、1940年11月11日 - ) は、日本の陸上競技選手。1964年東京オリンピック陸上日本男子円盤投代表候補選手 (膝の故障により出場断念)。円盤投男子元日本記録保持者。静岡県浜松市出身。中央大学法学部法学科卒業。 この項目は、陸上選手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:陸上競技/PJ陸上競技)。
石井 紘基(いしい こうき、1940年〈昭和15年〉11月6… 石井 紘基(いしい こうき、1940年〈昭和15年〉11月6日 - 2002年〈平成14年〉10月25日)は、日本の財政学者、政治家。民主党などで衆議院議員(3期)、総務政務次官(羽田内閣)として活動。国会で政府支出の無駄遣いに厳しく切込み、とくに特別会計について詳細な研究を行った。統一教会、オウム真理教等のカルト宗教問題にも取り組んでいた。 東京市世田谷区代沢で、明治薬科大学及び女子栄養大学の教授を歴任した父・嘉四郎と実践女子学園教員の母・緯子の長男として生まれる。世田谷区立池之上小学校、成城学園中学校高等学校卒業。中央大学法学部に入学、安保闘争に参加。国会に突入するデモ隊の先頭にいた石井は、ほぼすべての国会議員が逃げ出す中で、一人デモ隊の目の前まで出て行き騒乱の最前線に出向き警官を抑えようとする日本社会党書記長の江田三郎を見、このことを契機として政治家を目指した。
樋口 紀男(ひぐち のりお、1940年11月 - )は商学者… 樋口 紀男(ひぐち のりお、1940年11月 - )は商学者、マーケティング論研究者、クリエイティブ・ディレクター。元日本大学商学部教授。 1964年、中央大学商学部商業学科を卒業。1967年、中央大学大学院商学研究科修士課程を修了。その後、同大学で研究者、講師として勤務したのち、博報堂に転職。 1987年、東芝機械ココム違反事件において、共産主義国側との交渉役を務めた。 2010年11月、日本大学商学部教授を退職。大学教授退職後も、大学の非常勤講師としてだけではなく、実業家、政府・企業アドバイザー、ブレーンとして活動。 博報堂勤務時代は、『日清・カップヌードル』・『日清・どん兵衛』、『白鶴酒造・まる』等のマーケティング・ビジネスモデルの設計、デザイン・パッケージ作り、市場導入等の仕事を担当。
渡辺 長武(わたなべ おさむ、1940年10月21日 - 2… 渡辺 長武(わたなべ おさむ、1940年10月21日 - 2022年10月1日)は、日本のレスリング選手。1964年東京オリンピックレスリングフリースタイルフェザー級金メダリスト。北海道上川郡和寒町出身。「アニマル」の異名を持つ。 日本レスリング史上最強と言われる選手のひとり。 石材商の家に生まれ育ち、幼少時には石の積み卸しの手伝いをしたという。父は草相撲の力士も務め、渡辺の名前を「武運長久」から命名したが、渡辺の幼少時に過労からリウマチを発症して病床に伏した。その後は母が豆腐店を始め、豆を石臼で挽くことが渡辺の日課となった。これで腕力が鍛えられたという。 力士に憧れがあったが体格が小さかったため、体重制のレスリングに着目して北海道士別高等学校時代に取り組み始める。
田辺 清(たなべ きよし、1940年10月10日 - )は、… 田辺 清(たなべ きよし、1940年10月10日 - )は、日本の元プロボクサー。青森県青森市出身。1960年ローマオリンピックのフライ級銅メダリスト。不運な判定により五輪金メダルを懸けた決勝進出を妨げられ、プロ転向後は技術とパワーのバランスの取れた逸材として世界王座を嘱望されたが、世界挑戦を前に網膜剥離を発症し無敗のまま引退。 1958年、青森工業高校でボクシングを始め、高校日本一となった。 中央大学に進学。大学でアルバイトをしながら競技に打ち込み、国内タイトルを総なめにする。2年後輩に1964年東京オリンピック・バンタム級金メダリストとなった桜井孝雄がおり、公式戦では2度戦い、いずれも田辺が勝利。
渥美 雅子(あつみ まさこ、1940年〈昭和15年〉10月1… 渥美 雅子(あつみ まさこ、1940年〈昭和15年〉10月1日 - )は、日本の弁護士、評論家。 静岡県浜松市生まれ。静岡県立浜松北高等学校を経て、1963年に中央大学法学部を卒業後、1966年に弁護士開業。 千葉県の女性弁護士第1号。 家族、遺産相続、DVなどの問題を担当、人生相談の回答者として活動している。 女性と仕事の未来館館長(2003年 - 2011年)を務めたほか、NPO法人DV被害者支援活動促進のための基金を設立(同理事長)、NPO法人高齢社会をよくする女性の会監事などを務めている。2005年に男女共同参画社会づくり功労者として内閣総理大臣表彰を受けている。 法律事務所の会議室に高座をもうけて講談師を招き、「渥美講談塾」を開設。
渡辺 章(わたなべ あきら、1940年10月- )は、日本の… 渡辺 章(わたなべ あきら、1940年10月- )は、日本の法学者、筑波大学名誉教授。 山梨県生まれ。山梨県立甲府第一高等学校卒業、1964年中央大学法学部法律学科卒業、1970年東京大学大学院法学政治学研究科民刑事法専門課程博士課程単位取得退学、東京学芸大学講師、73年助教授、86年教授、90年筑波大学教授、2002年同名誉教授、東京経済大学現代法学部教授、2004年専修大学大学院法務研究科教授、2011年定年退職。労働法が専門。
斉藤 安弘(さいとう やすひろ、1940年〈昭和15年〉8月… 斉藤 安弘(さいとう やすひろ、1940年〈昭和15年〉8月21日 - )は、日本のフリーアナウンサー。ニッポン放送元アナウンサー。愛称は「安弘」を音読みさせたアンコー、アンコーさん。 神奈川県横浜市出身。神奈川県立横浜平沼高等学校、中央大学法学部法律学科卒業後、1964年ニッポン放送入社(同期のアナウンサーは宮田統樹ら)。1967年スタートの同局看板番組「オールナイトニッポン」で、初代パーソナリティとして名を馳せた。同期入社の亀渕昭信とカメ&アンコーのコンビで人気を集め、「水虫の唄」を大ヒットさせるなどラジオ業界の深夜放送ブームに寄与した。 「オールナイトニッポン」降板後は『朝はおまかせアンコーです!』などワイド番組を担当したが、1986年管理部に異動、アナウンサー職を離れた。
佐川 一信(さがわ かずのぶ、1940年(昭和15年)8月1… 佐川 一信(さがわ かずのぶ、1940年(昭和15年)8月1日 - 1995年(平成7年)11月19日)は、日本の法学者・政治家である。茨城県水戸市生まれ。 中央大学法学部卒業。早稲田大学大学院法学研究科修了。金属加工会社経営のかたわら、法学研究者として、早稲田大学、中央大学、茨城大学などで労働法を講義。1978年水戸市民の会を主宰し「市民からの出発」を発刊。1984年水戸市長に当選。1992年、水戸市長に3選されたが、1993年8月、竹内藤男の汚職事件による辞職に伴って執行された茨城県知事選挙に出馬するため水戸市長を退任。橋本昌に敗れた。1995年に入院、死去。2007年、水戸市名誉市民の称号が贈られた。
有富 慶二(ありとみ けいじ、1940年7月25日 - )は… 有富 慶二(ありとみ けいじ、1940年7月25日 - )は、日本の実業家。ヤマトホールディングス前会長。栃木県出身。
松平 和夫(まつだいら かずお、1940年7月19日- )… 松平 和夫(まつだいら かずお、1940年7月19日- )は、日本の経営者。長崎新聞社社長を務めた。 長崎県出身。1963年に中央大学法学部を卒業し、同年に長崎新聞社に入社した。1991年に取締役に就任し、1994年に常務を経て、2000年12月から2008年12月までに社長を務めた。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
若狭 繁行(わかさ しげゆき、1940年7月7日 - )は、… 若狭 繁行(わかさ しげゆき、1940年7月7日 - )は、樺太出身の元スキージャンプオリンピック代表選手。スキー解説者。 樺太生まれで、終戦による引き揚げで歌志内市へ移住した。歌神小学校のときジャンプを始め、歌志内高校2年時に全国高校スキー優勝。その素質に目をつけた中央大学のスキー部は高校3年の若狭を中央大学付属杉並高校に転校させ囲い込みを図った。 中央大学に進学後2年生と4年生の2度全日本学生選手権で優勝し、また1962年の第2回ユニバーシアード冬季大会個人純ジャンプで金メダルを獲得した(ちなみに同大会で日本ジャンプ陣は金・銀・銅メダルを独占、上位7人中6人を占める偉業を達成した)。 1962年ノルディックスキー世界選手権に出場、65m級(ノーマルヒル)50位、90m級(ラージヒル)18位だった。
松浦敬紀(まつうら たかのり、1940年7月5日 - )は、… 松浦敬紀(まつうら たかのり、1940年7月5日 - )は、日本の教育者。多摩大学経営情報学部名誉教授。専門は、経営組織論、職業論。
沖村 憲樹(おきむら かずき、1940年7月3日 - )は、… 沖村 憲樹(おきむら かずき、1940年7月3日 - )は、日本の官僚。元科学審議官。科学技術振興事業団理事長を務めていた期間に第1回アジア科学技術フォーラムの開催、湯川秀樹のノーベル賞受賞論文などの電子アーカイブ化しての公開を始めた。 <理事>公益財団法人立石科学技術振興財団、公益財団法人東京応化科学技術振興財団、公益財団法人日本学術協力財団、公益財団法人徳山科学技術振興財団、一般財団法人養蜂・薬草産業基盤復興促進協議会 等 <評議員>一般財団法人日本科学技術連盟、公益財団法人岩谷直治記念財団、公益財団法人未来工学研究所、公益財団法人つくば科学万博記念財団、公益財団法人日本海洋科学振興財団 等 <顧問等>NPO法人STSフォーラム監事、一般財団法人先端技術産業戦略推進機構顧問、一般財団法人世界貿易センター東京顧問、高知県産学官連携事業化支援顧問、日本科学新聞社監事、中国科学院科技政策与管理科学研究所特別顧問、中国科学技術部中国科学技術信息研究所(iSTIC)特別研究者、中国北京交通大学 特任教授、中国科学院大学名誉教授、人民日報社国際問題研究センター外国人専門家委員会委員、中国 大連理工大学名誉教授 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
野崎 靖博(のざき やすひろ、1940年6月24日 - )は… 野崎 靖博(のざき やすひろ、1940年6月24日 - )は、日本のスポーツライター(スポーツジャーナリスト)。元日刊スポーツ編集委員。石川県生まれ。 テレビ番組への出演も多く、眉毛がとてつもなく太くて濃いため「まゆげのノーさん」、「眉毛の野崎さん」の愛称で親しまれた。 1960年、東京都立桜町高等学校から中央大学法学部法律学科に入学。1964年に同大学を卒業後、日刊スポーツ新聞社に入社。校閲部を経て、1968年には野球部に配属。その後コミッショナー事務局、遊軍記者を経て、1980年12月に野球部次長に就任。 1986年4月よりテレビ朝日『ニュースステーション』に出演。木曜日のプロ野球コーナーを担当するなどメディアにも登場し、テレビゲーム「プロ野球チームをつくろう!」にも「まゆげのノーさん」として登場した。
荒井 幸昭(あらい ゆきあき、1940年(昭和15年)6月2… 荒井 幸昭(あらい ゆきあき、1940年(昭和15年)6月23日 - 2019年(令和元年)6月14日)は、昭和から平成時代の政治家。山形県南陽市長。旭日小綬章。 中央大学法学部卒業。1976年(昭和51年)4月から17年3か月にわたり南陽市議会議員を務め、1994年(平成6年)4月からは同議長を務めた。1998年(平成10年)7月、南陽市長に当選し2期務めた。 市長在任中は、第4次南陽市総合計画の策定、公立置賜総合病院の開設、えくぼプラザ、赤湯小学校、交流プラザ「蔵楽」の建設、斎場整備などに尽くした。2011年春の叙勲で旭日小綬章を受章。
鈴木 正孝(すずき まさたか、1940年(昭和15年)6月2… 鈴木 正孝(すずき まさたか、1940年(昭和15年)6月22日 - )は、日本の官僚、政治家。元防衛医科大学校副校長。元参議院議員。静岡県出身。
円谷 幸吉(つぶらや こうきち、本名:つむらや こうきち[要… 円谷 幸吉(つぶらや こうきち、本名:つむらや こうきち[要出典]、1940年(昭和15年)5月13日 - 1968年(昭和43年)1月9日)は日本の陸上競技(長距離走・マラソン)選手、陸上自衛官。
沢辺 瀞壱(さわべ せいいち、1940年(昭和15年)4月2… 沢辺 瀞壱(さわべ せいいち、1940年(昭和15年)4月23日 - )は、日本の政治家。 飯能市議会議員(1期)、埼玉県議会議員(3期)、飯能市長(3期)を歴任。2019年春の叙勲で旭日中綬章を受章。 埼玉県英霊にこたえる会会長。飯能市英霊にこたえる会会長。明治神宮崇敬会飯能支部支部長。 飯能自動車学校の設置者。一男四女の父。 代々埼玉県飯能市岩沢の素封家として栄えてきた沢辺家は、瀞壱の祖父沢辺庄太郎が入間郡加治村の村長、父の沢辺浩(こう)が飯能町の町議会議員を務めるなど、地域のリーダーシップを取っていた。 飯能町立加治小学校の教員をしていた父の浩が1937年(昭和12年)に朝鮮全羅南道に一家で出向し、巨文島の小学校に校長として赴任している中、1940年(昭和15年)4月に誕生した。
猫田 孝(ねこた たかし、1940年4月8日 - )は、日本… 猫田 孝(ねこた たかし、1940年4月8日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の岐阜県議会議員(14期)。自由民主党岐阜県連会長代行。岐阜県政界に強い影響力を持ち、『岐阜のドン』とも呼ばれる。 岐阜県立大垣北高等学校、中央大学文学部卒業後、岐建株式会社(建設会社)に入社。1974年5月の岐阜県議会議員大垣市選挙区補欠選挙で初当選し、以後、14期連続当選。1989年には衆院選への立候補を目指したが、断念した。2003年6月には自由民主党岐阜県連幹事長に就任。 猫田の名を全国的に有名にしたのは2005年の郵政解散総選挙であった。当時の小泉純一郎首相は、郵政民営化法案の採決で造反した議員を公認せず、「刺客」候補を擁立すると決定。
藤本 達夫(ふじもと たつお、1940年3月29日 - )は… 藤本 達夫(ふじもと たつお、1940年3月29日 - )は、兵庫県赤穂市坂越の出身の元競泳選手。1960年ローマオリンピック競泳男子4×200mフリーリレー銀メダリスト。姫路工業大学附属高等学校(現・兵庫県立姫路工業高等学校)工芸科を経て、中央大学を1962年に卒業。1964年東京オリンピック競泳男子4×100m自由形リレーでは4位となった。
岡崎 高之(おかざき たかゆき、1940年3月28日 - )… 岡崎 高之(おかざき たかゆき、1940年3月28日 - )は、日本の陸上競技選手。 1960年ローマオリンピックに走幅跳で、1964年東京オリンピックに三段跳で出場した。 千葉県君津市出身。君津市立君津中学校在学中から陸上部に属していたが、本格的に競技に打ち込むようになったのは千葉県立木更津高等学校からという。木更津高校3年生であった1957年、静岡国体に三段跳で出場し、15m70の日本高校新記録を樹立。この高校記録は1986年に蓮勝美によって更新されるまで28年間も残った。 中央大学に進学。1960年ローマオリンピックに走幅跳で出場。決勝に進出したが、足の痙攣により棄権した。 中央大学卒業後、八幡製鐵(現・日本製鉄)に入社。
小川 光明(おがわ みつあき、1940年3月26日 - )は… 小川 光明(おがわ みつあき、1940年3月26日 - )は、日本のアナウンサー。日本テレビ放送網(日テレ、NTV)に在職ののち、フリー。血液型はAB型。 中華民国上海市生まれ、兄、姉、弟2人の5人きょうだいの3番目で、父が上海で商店を経営しており、当時の生活は豊かだったが、終戦し状況が一変、翌年の春、家族で母の故郷・佐賀県江北村(現在の江北町)に引き揚げ、親戚の家に身を寄せる。引き揚げ後は耐乏生活だったが、小学5年の時に父が病気のため65歳で急死し、父の知り合いを頼り、家族で東京に東京へ転居(東京都出身)。同級生と野球に熱中し、甲子園を目指して高校野球の強豪・日大三高に行きたかったが、学費の負担を考え、東京都立赤坂高等学校へ進学。
北沢 拓也(きたざわ たくや、1940年3月26日 - 20… 北沢 拓也(きたざわ たくや、1940年3月26日 - 2008年4月5日)は、日本の官能小説家。本名多羅尾 嘉一(たらお よしかず)。 東京に生まれ、中央大学文学部を卒業。出版社や広告代理店に勤めながら、雑誌やスポーツ新聞に官能小説を発表。1986年に初の単行本『人妻の金曜日』を刊行。以来、人妻・熟女ものを中心に生涯にわたり500冊以上に及ぶ官能小説を刊行した。 2008年4月5日、十二指腸癌のため死去。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
志茂田 景樹(しもだ かげき、1940年〈昭和15年〉3月2… 志茂田 景樹(しもだ かげき、1940年〈昭和15年〉3月25日 - )は、日本の作家(小説家・絵本作家)、タレント。株式会社志茂田景樹事務所代表取締役。日本文芸家クラブ会長。よい子に読み聞かせ隊隊長。日本ペンクラブ会員。芸能プロダクション「ビッグ・ブッキング・エンターテインメント」所属。本名は下田 忠男(しもだ ただお)。 ペンネームの由来は、「茂る田んぼを志す」という気持ちから変名し、また「景樹」は昔、父親の書斎でよく目にしていた本に、江戸時代の国文学者である香川景樹の著作があり、その賑やかな名前が気に入って拝借したという。また、一時期は境 忠雄(さかい ただお)のペンネームを使用していた時期もあった。
大森 彌(おおもり わたる、1940年3月24日 - 202… 大森 彌(おおもり わたる、1940年3月24日 - 2023年9月18日)は、日本の政治学者(自治体行政学・地方自治論)。東京大学名誉教授。東京都出身。
佐々木 克已(ささき かつみ、1940年3月16日 - )は… 佐々木 克已(ささき かつみ、1940年3月16日 - )は、日本の地方公務員。東京都出納長や、東京都住宅供給公社理事長、首都高速道路代表取締役社長などを歴任した。 1963年中央大学法学部卒業、東京都庁入庁。1987年東京都企画審議室調整部庶務課長。1993年東京都企画審議室調整部長。1994年東京都清掃局理事。1995年東京都企画審議室長。1996年東京都政策報道室長。1999年東京都出納長。2001年東京都地下鉄建設株式会社代表取締役社長。2002年東京都住宅供給公社理事長。2003年首都高速道路公団副理事長。2005年首都高速道路株式会社専務取締役。2006年東京都人事委員会委員。2008年首都高速道路株式会社代表取締役社長・最高執行責任者。
渡辺 勝治(わたなべ かつじ、1940年(昭和15年)3月1… 渡辺 勝治(わたなべ かつじ、1940年(昭和15年)3月11日 - 2021年(令和3年)2月7日)は、日本のボクサー。 福島県福島市出身。中央大学在学中に、1960年ローマオリンピックに男子ライトウェルター級で出場し、2回戦敗退した 。 この項目は、ボクシング関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJボクシング/PJキックボクシング)。
小林 辰三郎(こばやし たつさぶろう、1940年2月29日 … 小林 辰三郎(こばやし たつさぶろう、1940年2月29日 - )は、日本の経営者。トーハン社長、会長を務めた。 埼玉県出身。1963年に中央大学商学部を卒業し、同年に東京出版販売(現在のトーハン)に入社した。1992年6月に取締役に就任し、1993年6月に常務、1995年6月に専務、1999年6月に副社長を経て、2003年6月から2006年6月までに社長を務めた。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
本間 俊太郎(ほんま しゅんたろう、1940年(昭和15年)… 本間 俊太郎(ほんま しゅんたろう、1940年(昭和15年)2月26日 - )は、日本の政治家、俳人。元宮城県中新田町長、元宮城県知事。 政治家である本間俊一の長男として、宮城県加美郡中新田町(現在の加美町)に生まれ、中新田小学校、中新田中学校に学んだ。1954年(昭和29年)、東京都に移り、千代田区立一橋中学校(現在の千代田区立神田一橋中学校)、東京都立九段高等学校を経て、中央大学法学部を卒業。中央大学ペンクラブの友人に平井和正がいる。大学在学中に父が急死し、俊太郎ら兄弟の学業は、母・さよが本間薬局を開業したことに助けられた。 大学卒業後の1962年(昭和37年)4月、読売新聞社に入社、同社東北総局(仙台市)を経て、1965年(昭和40年)からは本社編集局(東京)記者として勤務した。
立石 二六(たていし にろく、1940年2月7日 -2024… 立石 二六(たていし にろく、1940年2月7日 -2024年)日本の法学者。専門は刑法。北九州市立大学名誉教授。元京都女子大学教授。広島県呉市出身 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、法学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝)。 この項目は、法曹に関連した書きかけの項目です。
三瀬 顕(みせ けん、1940年1月19日 - )は、日本の… 三瀬 顕(みせ けん、1940年1月19日 - )は、日本の弁護士。愛媛県大洲市出身。本名は三瀬顕(みせあきら)。
鶴橋 康夫(つるはし やすお、1940年1月15日 - 20… 鶴橋 康夫(つるはし やすお、1940年1月15日 - 2023年10月9日)は、日本のテレビディレクター・映画監督。本名:倉田 康夫(くらた やすお)。新潟県村上市出身。長男は、ドラマ制作を手がける日本テレビ社員・倉田貴也。 兄妹は自身を含め2男1女で、弟は新潟日報編集委員。出生名は鶴橋康夫であるが、婿取婚であるために改姓している。 新潟県立村上高等学校、中央大学法学部卒業。当初は新聞社志望だったが、読売新聞記者だった伊藤一男に讀賣テレビ入社を勧められる。 1962年、讀賣テレビ放送(読売テレビ)入社。東京支社制作部に所属し、一貫してドラマ演出を手がける。 社会派ドラマの名手として知られ、特に「木曜ゴールデンドラマ」枠における単発作品群で数多くの賞を獲得したことから「芸術祭男」の異名を取る。
大野 しげひさ(おおの しげひさ、1940年1月15日 - … 大野 しげひさ(おおの しげひさ、1940年1月15日 - )は、日本の俳優、タレント、司会者で、現在は番組制作会社・グリーンプロモーション の社長。本名は大野薫久(読み方は同じ)。血液型A型。身長170cm、体重68kg。3人兄妹(妹2人)の長男。 長野県松本市出身。中央大学高等学校中退。 バイタリティーあふれるキャラクターが持ち味。『走れ!ケー100』の伊賀山紋太、『がんばれ!!ロボコン』の大山新太郎(お父さん)役、『びっくり日本新記録』の司会などで一世を風靡した。CMでも活躍し、中でもシヤチハタは長年にわたって出演をした。その後芸能プロダクション『グリーンプロモーション』の面倒を見てくれないかという話があったことから、同社の業務に専念、水野美紀、宮澤寿梨(元ねずみっ子クラブ)を育てたが、1995年に事務所をいったん閉鎖し、休眠会社となる。