多田実(ただ みのる、1923年10月27日 - 2006年… 多田実(ただ みのる、1923年10月27日 - 2006年6月3日)は、日本のジャーナリスト、学者。 千葉県出身。別名・平田善介(よしすけ)。中央大学法学部卒。学徒出陣で硫黄島の戦いに参加し、捕虜になる。帰国後、読売新聞に入り、政治部記者、政治部長を経て、二松学舎大学国際政経学部教授。94年定年退職、客員教授。
中央大学:2,693人
多田実(ただ みのる、1923年10月27日 - 2006年… 多田実(ただ みのる、1923年10月27日 - 2006年6月3日)は、日本のジャーナリスト、学者。 千葉県出身。別名・平田善介(よしすけ)。中央大学法学部卒。学徒出陣で硫黄島の戦いに参加し、捕虜になる。帰国後、読売新聞に入り、政治部記者、政治部長を経て、二松学舎大学国際政経学部教授。94年定年退職、客員教授。
植木 公(うえき ただし、1923年(大正12年)10月11… 植木 公(うえき ただし、1923年(大正12年)10月11日 - 2005年(平成17年)7月14日)は、日本の政治家。高田市議会議員(5期)、上越市議会議員(1期)、上越市長(5期)。勲等は勲三等瑞宝章。位階は従四位。 新潟県出身。1948年、中央大学法学部卒。卒業後はブレート工場を経営した。その傍ら、中頸城郡連合青年団長、新潟県細巾織物協同組合理事などを務めた。1955年、高田市議会議員に当選、5期務め、副議長を務めた。1971年、高田市は直江津市と合併して上越市が誕生。上越市議会議員となり、議長に就任した。1973年12月に初代上越市長(旧・高田市長)の小山元一が死去。これに伴う翌1974年2月の市長選挙で当選、5期務めた。
矢野 徹(やの てつ、1923年〈大正12年〉10月5日 -… 矢野 徹(やの てつ、1923年〈大正12年〉10月5日 - 2004年〈平成16年〉10月13日)は、日本のSF作家、翻訳家。坂田 治名義による作品もある。 愛媛県松山市生まれ。兵庫県立第二神戸中学校を経て、中央大学法学部卒。第二次世界大戦中は学徒出陣で陸軍第11師団騎兵第11連隊に所属。階級は軍曹。 日本に本格的なSF出版が芽生える前の、海外SFのファン1号といわれ、SFに興味があった晩年の江戸川乱歩に面識を得る。そのまま、SF翻訳家、SF作家となり、幅広く活躍した。 冒険小説『カムイの剣』は角川書店によりアニメ映画化された。また、代表作『折紙宇宙船の伝説』は日本国外でも出版され、高い評価を受けた。
竹内 三賀男(たけうち みかお、1923年(大正12年)9月… 竹内 三賀男(たけうち みかお、1923年(大正12年)9月15日 - 2014年(平成26年)6月5日)は日本の実業家、元旭食品社長。高知県高知市出身。旭食品元社長の竹内成雄は長男。
木村 久邇典(きむら くにのり、1923年7月11日 - 2… 木村 久邇典(きむら くにのり、1923年7月11日 - 2000年4月12日)は、日本の新聞記者、作家、文芸評論家。 中央大学法学部卒業。朝日新聞社に入社後、山本周五郎の担当記者となり、のち山本の研究家として多くの著書を著した。 ほか軍人伝、小説などがある。
稲垣 定雄(いながき さだお、1923年4月18日 - )は… 稲垣 定雄(いながき さだお、1923年4月18日 - )は、香川県出身の元プロ野球選手。
川田 正則(かわた まさのり、1923年3月20日 - 19… 川田 正則(かわた まさのり、1923年3月20日 - 1986年12月30日)は日本の政治家、元衆議院議員(3期)。
戸田 修三(とだ しゅうぞう、1923年2月14日 -201… 戸田 修三(とだ しゅうぞう、1923年2月14日 -2018年5月21日)は、日本の法学者。専門は商法。中央大学名誉教授。元中央大学学長。初代日本私立学校振興・共済事業団理事長。 愛知県一宮市生まれ。法学博士(中央大学・論文博士・1962年)。論文は 海上運送法における責任の体系。 名誉博士(エクス・マルセイユ第三大学)。 1944年中央大学専門部法学科卒業。1947年中央大学法学部卒業。1948年中央大学大学院(旧制)法学研究科中退。 中央大学法学部助手。1951年中央大学法学部助教授。1959年中央大学法学部教授。1965年中央大学評議員。1965年中央大学法学部長。1967年中央大学大学院法学研究科長。
中森 義宗(なかもり よしむね、1923年2月5日 - 没年… 中森 義宗(なかもり よしむね、1923年2月5日 - 没年不明)は、日本の美術史家、翻訳家。 東京生まれ。1946年中央大学経済学部卒、1950年東京大学文学部美術史学科卒。1955年同・大学院修了。1952年中央大学附属図書館司書、1965年武蔵野美術大学講師、1970年成城大学短期大学部助教授、1978年千葉大学教養部教授、1986年定年退官、多摩美術大学教授。 1976年、『ホーガス ヨーロッパ美術に占める位置』で日本翻訳出版文化賞受賞。
高橋 正衛(たかはし まさえ、 1923年1月9日 - 19… 高橋 正衛(たかはし まさえ、 1923年1月9日 - 1999年9月26日)は、日本の編集者、歴史学者、昭和史研究家。元みすず書房取締役。筆名は渡辺正治。 青森県八戸市出身。1943年中央大学専門部経済学科卒業。同年12月学徒動員で入隊。1946年みすず書房の創立に加わり同書房に勤務。1963年から小尾俊人編集長と協力し企画、刊行した「現代史資料」は、1965年第13回菊池寛賞を受賞した。1991年に退職した後は、昭和史研究に従事。
西沢 正太郎(にしざわ しょうたろう、1923年1月5日 -… 西沢 正太郎(にしざわ しょうたろう、1923年1月5日 - 2019年7月10日)は、日本の児童文学作家。 埼玉県狭山市生まれ。1940年、学校組合立豊岡実業学校卒業後、中央大学専門部法科第二部に進学し卒業。小学校教諭のかたわら福田清人・石森延男・浜田廣介に師事して児童文学を書く。 1961年、『プリズム村誕生』で講談社児童文学作品受賞。1966年、『青いスクラム』で小学館文学賞受賞。自身の作品執筆のほか、教員が推薦する本の紹介文なども手掛けた。 小学校では校長まで務め、退職後は作家活動に専念。1989年から1993年まで日本児童文芸家協会理事長も務めた。理事長退任後、同協会顧問。 同じ児童文学作家の香川茂とは長年の友人だった。
小川 泰(おがわ たい、1923年1月2日 - )は、日本の… 小川 泰(おがわ たい、1923年1月2日 - )は、日本の政治家。元民社党衆議院議員(1期)。 千葉県出身。1944年中央大学専門部経済学科卒。同年日本発送電入社。戦後、東京電力に入り、同社労組役員を経て、全日本労働総同盟副書記長、同政治福祉局長などを務める。 1979年の第35回衆議院議員総選挙で神奈川2区から曾禰益の後継者として民社党公認で立候補したが落選。翌年の第36回衆議院議員総選挙でも落選。1983年の第37回衆議院議員総選挙で初当選し、衆議院議員を1期務めた。1986年の第38回衆議院議員総選挙で落選。1987年・1989年(リクルート事件に伴う革新系現職辞任による選挙)二度の川崎市長選で県議経験者の新人永井英慈(民社、自民、進歩の各党推薦)を全面的支援するも永井は落選。
金 鶴烈(キム・ハンニョル、朝鮮語: 김학렬、1923年1月… 金 鶴烈(キム・ハンニョル、朝鮮語: 김학렬、1923年1月1日 - 1972年3月21日)は、大韓民国の官僚。第3代経済企画院次官、第22代財務部(現・企画財政部)長官、第10代副総理、第10代経済企画院長官。 本貫は慶州金氏。キム・ハギョル(漢字同、김학열)という表記も見られる。 日本統治時代の慶尚南道固城郡出身。釜山商業学校、ウォンサン商業学校、中央大学卒。1950年に第1回高等考試行政科外務職に合格し、1952年にはミズーリ大学とアクロン大学大学院で経済学を専攻した。帰国後に財務部司税局長・予算局長、経済企画院調整官・副院長補(1962年)・次官(1963年12月17日〜1966年9月26日)、大統領首席政務秘書官を務めた。
金 従会(キム・ジョンフェ、朝鮮語: 김종회/金從會、192… 金 従会(キム・ジョンフェ、朝鮮語: 김종회/金從會、1923年 - 1953年5月27日)は、大韓民国の政治家。第2代韓国国会議員。 忠清南道大徳郡出身。中央大学法科卒。大韓青年団大徳郡団長のほか、東国大学(現・東国大学校)で講師を務めた。1950年の第2代総選挙に大徳選挙区から無所属で出馬して当選し、国会においては1951年3月9日から同年12月19日まで、また1952年1月24日から同年12月19日まで国会国防委員会委員長を務めた。 しかし、1953年5月27日に影島の自宅で急死した。5月26日に遊説を終えて自宅に戻り、就寝中に「手足が少し痛い」と言い、次に目を覚ました時にはすでに死去していたと妻は述べている。
田村 秀夫(たむら ひでお、1923年 - 2003年6月1… 田村 秀夫(たむら ひでお、1923年 - 2003年6月13日)は、日本の経済史学者、中央大学名誉教授。16〜17世紀の英国政治経済史が専門。 中央大学経済学部卒。樺俊雄に学ぶ。1961年「ピューリタン革命期の社会思想研究」で中大経済学博士。中大経済学部助教授、教授、98年定年退任、名誉教授。
弓削 太郎(ゆげ たろう、1923年 - 1973年5月20… 弓削 太郎(ゆげ たろう、1923年 - 1973年5月20日【遺体発見日】)は、日本の映画監督。 東京生まれ。中央大学法学部卒業。1947年、大映東京撮影所に助監督として入社。1960年、「女は抵抗する」で初監督。以後、大映のプログラムピクチャーを多く監督した。 大映倒産後の1972年5月18日に行方不明となり、1973年5月20日に長野県北佐久郡軽井沢町の山中でミイラ化した状態の遺体が発見された。自殺とみられるが詳細は不明である。 特に表記のないものは大映東京作品 この項目は、映画監督に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ映画)。
北出 清五郎(きたで せいごろう、1922年12月5日 - … 北出 清五郎(きたで せいごろう、1922年12月5日 - 2003年1月19日)は東京都出身の元NHKアナウンサー。 中央大学を卒業後、1947年NHK入局。1980年に退職した。 戦時中、予備学生・中尉として、空母千歳に乗り組む。同艦は比島沖海戦(レイテ沖海戦)の小沢囮艦隊として参加し沈没。三時間半漂流後、駆逐艦霜月に救助される。以後、軽巡酒匂に乗り組み、呉から沖縄へ特攻する大和、矢矧を見送る。 大相撲中継はテレビ放送が始まった1953年夏場所から担当し、「相撲の北出」として知られた。正確な描写と徹底した取材に基づいたデータを駆使してテレビアナウンスの基礎を作り出した。定年退職後もアナウンス顧問や解説者として長年にわたり出演した。
野村 泰治(のむら たいじ、1922年〈大正11年〉11月2… 野村 泰治(のむら たいじ、1922年〈大正11年〉11月20日 - 2002年〈平成14年〉8月4日)は、日本放送協会(NHK)、及び東京放送(TBSテレビ = 局契約)アナウンサー。 中央大学法学部在学中の1943年(昭和18年)12月、学徒出陣で海軍に入る。第14期予備学生。1944年(昭和19年)、第六五三海軍航空隊戦闘一六六飛行隊付。捷一号作戦で空母「瑞鶴」に配乗し、比島沖海戦に参加。3時間半の漂流後に救助。上海の中支空で終戦。海軍中尉。復員。 1946年(昭和21年)に中央大学を卒業、NHKに入局。戦後初のアナウンサーとなり、プロ野球中継を担当。1964年東京オリンピックの総合司会や『それは私です』『スタジオ102』『連想ゲーム』などの司会も務めた。
大塚 利兵衛(おおつか りへえ、1922年 〈大正11年〉1… 大塚 利兵衛(おおつか りへえ、1922年 〈大正11年〉10月31日 - 2021年〈令和3年〉1月6日)は、日本のアナウンサー、フリージャーナリスト。 静岡県藤枝市出身。中央大学時代、学徒動員のためマレーシアにおり、終戦後は同国の刑務所で捕虜となった。 1947年に復員帰国して中央大学に復学後、「アナウンサー募集」の広告を見つけて応募し、日本放送協会入局を果たす。同時期入局は小川宏、八木治郎、木島則夫、野村泰治らがおり。入局後はアナウンス職に配属されてNHK釧路放送局、NHK札幌放送局に勤務して東京アナウンス室に異動。東京アナウンス室時代は報道番組を専門としてアナウンスを担当。 アナウンサーとして数々の歴史的事件や場面に遭遇したことでも知られ、自ら現場に向かってその一部始終をくまなくリポートしたことでも知られる。
朴 東鎭(パク・トンジン、박동진、1922年10月11日 -… 朴 東鎭(パク・トンジン、박동진、1922年10月11日 - 2013年11月11日)は、大韓民国の外交官、国会議員。民主正義党に所属した。本貫は密陽朴氏。 大邱府出身。大邱高等普通学校と日本の中央大学を卒業。 総理秘書、大統領秘書を経て、1951年に外務部に入省。儀典局長、駐イギリス参事官、外務部次官、駐ベトナム大使、駐ブラジル大使、駐ジュネーブ大使、国連大使、外務部長官(1975年-1980年)、国会議員(1981年-1985年)、国土統一院長官(1985年-1986年)、駐アメリカ大使(1988年-1991年)、韓国電力公社理事長、韓国外交協会会長を務めた。 2013年11月11日、京畿道龍仁市の病院にて老衰により死去。
大塚 実(大塚 實、おおつか みのる、1922年(大正11年… 大塚 実(大塚 實、おおつか みのる、1922年(大正11年)10月9日 - 2019年(令和元年)9月7日)は、日本の実業家。大塚商会創業者。後を継いだ大塚裕司は長男。 大塚裕司大塚商会代表取締役社長は長男。 母校である栃木県立真岡高等学校に対し、下記のような寄付を行ったほか、同窓会副会長を務める等、熱心な支援を行っていた。
小川 雄一郎(おがわ ゆういちろう、1922年 <大正11年… 小川 雄一郎(おがわ ゆういちろう、1922年 <大正11年> 8月30日 - 2009年 <平成21年> 4月8日)は、日本の経営者。長崎新聞社社長を務めた。位階は正五位。 長崎県出身。1945年に中央大学法学部を中退し、1947年に長崎新聞社に監査役として入社。1990年に取締役を経て、1991年12月から2000年12月までに社長を務めた。 2006年4月に旭日重光章を受章。 2009年4月8日心不全のために死去。86歳没。死没日付をもって従七位から正五位に進階した。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
小池 勇二郎(こいけ ゆうじろう、1922年〈大正11年〉8… 小池 勇二郎(こいけ ゆうじろう、1922年〈大正11年〉8月6日 - 2013年〈平成25年〉5月24日)は、日本の実業家。長女は東京都知事の小池百合子。 兵庫県神戸市生まれ。宮城県・小池喜兵衛、兵庫県・かつの二男。1944年(昭和19年)、中央大学専門部商学科卒業。1947年(昭和22年)、立川医薬品工業営業部長。第二次世界大戦中は海軍中尉となり満洲国有鉄道経理部に所属した。(詐称疑惑あり) 終戦後はペニシリンなどを扱う闇市で財を成し、石油を扱う貿易会社を複数経営したほか、関西経済同友会の幹事を歴任した。その際にエジプト、サウジアラビア、クウェートなどのアラブ諸国の指導者層との人脈を形成する。
丹波 哲郎(たんば てつろう、1922年7月17日 - 20… 丹波 哲郎(たんば てつろう、1922年7月17日 - 2006年9月24日)は、日本の俳優・芸能プロモーター・心霊研究家。東京府豊多摩郡大久保町(現:東京都新宿区)出身。身長175cm。血液型はO型。
林 裕(はやし ゆたか、1922年7月7日 - 1986年1… 林 裕(はやし ゆたか、1922年7月7日 - 1986年10月19日)は、日本の囲碁に関する評論家、編集者、観戦記者、研究家。日本棋院所属の後に執筆に専念。 東京渋谷出身。姉が福原義虎七段と結婚した縁で、1941年頃から日本棋院に出入りするようになる。1943年に学徒動員で応召。 1946年、中央大学法学部卒。戦後1948年に、村島誼紀らが『碁の新聞』を出す際に編集を任される(3号で終刊)。その後『棋道』編集の手伝いをしていて、1950年日本棋院事務局に入り、『棋道』『囲碁クラブ』や棋書を編集。編集部長、中央会館事務局長を務め、1968年には「囲碁史展」(日本橋東急百貨店)を主導した。1969年退職。
白石 道義(しろいし みちよし、1922年6月1日 - 20… 白石 道義(しろいし みちよし、1922年6月1日 - 2013年10月5日)は、日本の経営者。東京都出身。 1944年に中央大学法学部を卒業し、1946年に日産火災海上保険に入社。1972年6月に取締役に就任し、1976年7月に常務、1978年7月に専務を経て、同年11月には社長に就任。1981年7月に会長を経て、1984年7月に相談役に就任。 1983年11月に藍綬褒章を受章。 2013年10月5日心不全のために死去。91歳没。
八木 國之(やぎ くにゆき、1922年5月13日 - 200… 八木 國之(やぎ くにゆき、1922年5月13日 - 2008年4月6日)は、日本の法学者・弁護士。法学博士(中央大学)。中央大学名誉教授。 広島県尾道市生まれ。市川秀雄門下。なお、「八木国之」とも表記される 1942年に中央大学専門部法学科を卒業し、同年中央大学法学部入学。1943年臨時召集。大日本帝国陸軍主計少尉を経て1945年に復員・復学。1946年中央大学法学部卒業。1953年同大学院法学研究科修了。中央大学法学部助教授。1962年同法学部教授。1965年同大学院法学研究科教授。中央大学協議員。1966年中央大学評議員。1977年中央大学通信教育部長。1985年同大学院法学研究科委員長。
佐藤 由須計(さとう よしすけ、1922年〈大正11年〉5月… 佐藤 由須計(さとう よしすけ、1922年〈大正11年〉5月3日 - 2015年〈平成27年〉12月28日)は、日本の法学者。中央大学名誉教授。専門は国際法。 新潟県新潟市古町通2番町(現 新潟市中央区古町通2番町)の製綿・布団製造業者の佐藤由太郎の三男として出生。 新潟市白山尋常小学校、新潟中学校を経て、中央大学第一予科に入学、1943年(昭和18年)12月に海軍に入隊、1944年(昭和19年)9月に中央大学法学部法律学科を卒業。 1944年(昭和19年)12月に海軍予備少尉に任官、在ビルマ第17警備隊付、1945年(昭和20年)に海軍予備中尉に任官、1946年(昭和21年)に復員。 1947年(昭和22年)に中央大学大学院に入学、1948年(昭和23年)に中央大学大学院特選研究生となり、1953年(昭和28年)4月に中央大学法学部助教授に就任、1962年(昭和37年)4月に中央大学法学部教授に就任。
内海 英男(うつみ ひでお、1922年4月26日 - 200… 内海 英男(うつみ ひでお、1922年4月26日 - 2005年8月21日)は、日本の政治家。位階は正三位。建設大臣(第46代)、国土庁長官(第17代)、衆議院議員(9期)。 関東州(現在の中国東北部)大連市に生まれる。私立豊山中学校(現日本大学豊山中学校)を経て、中央大学法学部に入学。1944年、大学在学中に学徒出陣となり、海軍の特攻隊に配属される。復員後、住宅営団勤務を経て、衆議院議員だった父内海安吉の秘書となる。 1967年1月、健康不安のため引退を決意した安吉の後継者として旧宮城2区から自由民主党公認で衆院選に立候補し、初当選。自民党では当初、船田派に所属。1979年の第35回衆議院議員総選挙の後、田中派に移り、同派幹部田村元の側近となる。
森田 重郎 (もりた じゅうろう、1922年(大正11年)4… 森田 重郎 (もりた じゅうろう、1922年(大正11年)4月14日 - 1990年(平成2年)9月18日)は、日本の実業家、政治家。参議院議員(2期)。 埼玉県秩父市出身。西武自動車秩父営業所長を務めた森田實太郎の長男として生まれる。 埼玉県立熊谷商業高等学校を経て、1946年(昭和21年)に中央大学経済学部を卒業すると近江鉄道に入社。その後国土計画興業、西武鉄道グループの各社で職を転々としつつ、グループ首脳の堤康次郎の次女・邦子と結婚した(後に離婚)。康次郎が死去すると息子の堤清二、義明兄弟や女婿で西武鉄道社長だった小島清治郎、グループ全体の財務を担当していた西武鉄道専務宮内巌とともにグループの最高意思決定にかかわる立場となり、自らは、西武化学工業、三笠コカ・コーラボトリング、近江鉄道社長などを務めた。
佐藤 守良(さとう もりよし、1922年3月28日 ‐ 19… 佐藤 守良(さとう もりよし、1922年3月28日 ‐ 1996年3月7日)は、日本の政治家。衆議院議員・参議院議員を歴任した佐藤公治の父親。 衆議院議員(9期)、農林水産大臣(第8代)、国土庁長官(第20代)、北海道開発庁長官(第60代)、沖縄開発庁長官(第29代)を歴任。 広島県御調郡向島町(現尾道市)出身。尾道商業学校、1947年中央大学法学部英法科卒業。 運輸大臣を務めた永野護の秘書を長く務め、1960年の第29回衆議院議員総選挙に無所属で立候補するが落選。1969年の第32回衆議院議員総選挙で自由民主党公認を得て、再び広島3区から立候補し初当選(当選同期に小沢一郎・羽田孜・梶山静六・奥田敬和・渡部恒三・綿貫民輔・塩崎潤・森喜朗・村田敬次郎・松永光・江藤隆美・中山正暉・浜田幸一など)。
河合 凱夫(かわい がいふ、1922年3月8日 - 1999… 河合 凱夫(かわい がいふ、1922年3月8日 - 1999年7月29日)は、埼玉県出身の俳人。本名・由男、旧姓・戸張。別号に鳴弦楼。 北葛飾郡三輪野江村(現吉川市)生まれ。小学校時代、担任の導きで「桜草」に入会し岡安迷子の指導を受ける。1936年、千葉県立野田農学校(現在の千葉県立清水高等学校)在学中に「南柯」(渡辺志豊主宰)野田支部の句会に参加。1940年、戸張錦秋の名で「南柯」同人となる。のち上京して日本専売公社に勤めながら中央大学夜間学部に通い、「南柯」芝支部を結成して支部長となる。1942年専売公社を退職、大学も中退し陸軍予備士官学校に進む。 戦後は「野ぶどう」を主宰、「花俳句」(高梨花人主宰)や「東虹」(大野我羊主宰)を経て1963年に中島斌雄の「麦」入会、1965年同人。
西内 文夫(にしうち ふみお、旧姓・平井、1922年3月2日… 西内 文夫(にしうち ふみお、旧姓・平井、1922年3月2日 - 2001年8月23日)は、日本の陸上競技選手。 香川県丸亀市広島町出身。丸亀商業学校(現:丸亀城西高校)、中央大学卒。 1951年、インドのニューデリーで開催された第1回アジア競技大会十種競技で金メダルを獲得(記録:6324点)。1954年、フィリピンのマニラで開催された第2回アジア競技大会では銀メダルを獲得した(記録:5429点)。 日本陸上競技選手権大会では1950年から1953年まで四連覇を達成。 その後、母校の中央大学陸上競技部監督に就任し、東京箱根間往復大学駅伝競走で8回優勝した。 2001年8月23日、急性心不全のため死去。
川島 廣守(かわしま ひろもり、1922年(大正11年)2月… 川島 廣守(かわしま ひろもり、1922年(大正11年)2月27日 - 2012年(平成24年)12月9日)は、日本の官僚。第10代プロ野球コミッショナー、第3代セントラル・リーグ会長、第2代本田財団理事長、内閣調査室長、内閣官房副長官、日本鉄道建設公団総裁などをつとめた。位階は従三位。 福島県湊村(現会津若松市)出身。会津中学校を経て、中央大学法学部専門部法科入学。在学中に高等試験に合格。中大卒業後、内務省入省。短期現役海軍主計科士官(10期)を志願し、1943年9月、海軍経理学校に入学し、1944年3月に卒業して海軍主計中尉に任官。1945年3月、海軍主計大尉に昇進してインドネシア・サバン島で終戦を迎えた。
穴澤 利夫(あなざわ としお、1922年〈大正11年〉2月1… 穴澤 利夫(あなざわ としお、1922年〈大正11年〉2月13日 - 1945年〈昭和20年〉4月12日)は、大日本帝国陸軍軍人、特別攻撃隊、振武隊隊員。婚約者は孫田智恵子。穴沢利夫とも記される。 1922年2月13日、現在の福島県喜多方市に生まれる。生家は農家であったが、穴澤の祖父が他人の債務の保証人となり財産を失ったこともあって、経済的には恵まれなかった。駒形小学校から喜多方中学校に進学したが、通学に汽車は使えず、毎朝5時に起床して片道2時間かけて徒歩で通学していた。穴澤は子供の頃から読書が好きであり、将来の夢は図書館を設立することであった。読書好きが高じて、喜多方中学校卒業後、大学進学前に1年間文部省図書館講習所に進学している。
武田昌輔(たけだ まさすけ、1922年1月9日 - 2012… 武田昌輔(たけだ まさすけ、1922年1月9日 - 2012年6月25日)は、日本の法学者。 青森県青森市出身。1944年中央大学法学部卒。大蔵省に入り、大蔵省高等財務講習所(現在の税務大学校)第1期となり、主税局税制第一課を経て、1966年成蹊大学経済学部助教授、1967年教授、1988年学部長。1989年退任、名誉教授となる。税務会計研究学会会長、財団法人租税資料館理事長を務めた。専門は法人税法。
奥田 晴義(おくだ はるよし、1922年1月5日 - 201… 奥田 晴義(おくだ はるよし、1922年1月5日 - 2012年12月1日)は、日本の詩人。愛媛県生まれ。中央大学法学部卒。『中央評論』編集部に勤務し、中央大学出版部長、中央大学就職部長を務めるかたわら詩を書いた。
崔 沢元(チェ・テグォン、최택원、1921年12月23日 -… 崔 沢元(チェ・テグォン、최택원、1921年12月23日 - 1995年3月14日)は、大韓民国の軍人、政治家。最終階級は陸軍少将。第四共和国体制で第13代総務処次官。 新義州出身。1943年、日本中央大学卒業。 警備士官学校5期卒業。 在日米軍で研修中に朝鮮戦争開戦を迎え、龍門山の戦いに参加。同年、陸軍大学を経て渡米留学し、米陸軍歩兵学校を卒業。第38師団長、第26師団長、第3師団長等を歴任し、陸軍本部作戦参謀副長で予備役編入後、総務処次官。朴正煕暗殺事件当時、国務会議招集責任者。12.12クーデター直後、行政改革委員長を務めた。 1995年3月14日、ソウル永登浦区汝矣島洞の自宅で老衰により死去した。
古性 直(ふるしょう ただし、1921年(大正10年)12月… 古性 直(ふるしょう ただし、1921年(大正10年)12月17日 - 2000年(平成12年)8月21日)は、日本の政治家。元東京都足立区長。 のちの東京都足立区出身。1941年(昭和16年)青山師範本科二部を卒業する。1967年(昭和42年)足立区議会議員に当選し3期務め、同議長を歴任した。1978年(昭和53年)足立区助役となり、1980年(昭和55年)より同区長に4選した。1997年、勲三等瑞宝章受章。叙正五位。
大成 正雄(おおなり まさお、1921年11月23日 - 1… 大成 正雄(おおなり まさお、1921年11月23日 - 1993年4月23日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期、新自由クラブ)。 埼玉県北足立郡三橋村(のち大宮市、現・さいたま市)出身。浦和商業学校(現埼玉県立浦和商業高等学校)を経て、中央大学専門部経済科中退。国鉄大宮工場(現大宮総合車両センター)に入るが、間もなく召集され、陸軍中尉で終戦を迎える。終戦後は大宮工場に復帰し、同工場の労働組合の書記長になり、日本社会党に入る。1947年、大宮市議会議員に当選し、2期務める。その後、労働組合を脱退し、社会党を離党し、衆議院議員福永健司の秘書になる。1959年、埼玉県議会議員に当選し、3期務め、同議長となる。
松永 綠郎(まつなが ろくろう、1921年9月21日 - 2… 松永 綠郎(まつなが ろくろう、1921年9月21日 - 2005年5月22日)は、日本の政治家。元埼玉県副知事。元桶川町長。旭日中綬章受章。位階は従四位。 埼玉県に生まれる。1938年、軍記章を受賞(歩兵二等兵)。旧制埼玉県立熊谷中学校を経て、1943年、中央大学法学部卒業。1947年4月に桶川町(現・桶川市)長に就任。その後、埼玉会館会長、埼玉県労働部長、埼玉県民生部長、埼玉県企画財政部長を歴任する。1976年~1984年の間埼玉県副知事となる。1993年、旭日中綬章受章。副知事を退任後、株式会社エコ企画顧問、社団法人北海道野生生物保護公社理事長、一般社団法人日本資材管理協会第四代会長となる。
小平 芳平(こだいら よしへい 1921年(大正10年)8月… 小平 芳平(こだいら よしへい 1921年(大正10年)8月13日 - 2001年(平成13年)6月18日)は、日本の政治家、宗教家。参議院議員(4期)。 長野県生まれ。1936年、高等科2年を卒業、造り酒屋に奉公、1937年愛知県名古屋市で水道局に勤める傍ら、夜学に通い、中学卒業検定試験に合格。1941年(昭和16年)春、上京し、中央大学に通う。 同年秋、時習学館の新聞の講師求人広告に応募し、創価教育学会の牧口常三郎に出会い、入会する。その後、学徒出陣で、徴兵検査を受け、入隊、終戦を迎える。 戦後、復員すると、創価教育学会から名前を改めた創価学会で、教学部長、機関誌『大白蓮華』編集長などを歴任。
小嶋 仁八郎(こじま にはちろう、1921年7月7日 - 1… 小嶋 仁八郎(こじま にはちろう、1921年7月7日 - 1999年11月16日)は、大分県津久見町(現・津久見市)出身のプロ野球選手、高校野球指導者。2020年現在、九州(沖縄除く)で唯一、春夏の甲子園大会で優勝を経験している高校野球監督。 1921年7月7日、津久見町に生まれた。少年時代から野球センスが高く、1933年に開催された北海部郡少年野球大会ではエースとして、津久見小学校を優勝に導いた。津久見小学校卒業後、臼杵中学校(現・大分県立臼杵高等学校)に入学してここでもエースとしてチームを引っ張ったが、甲子園の壁は厚く、遂に在学中に出場を果たす事は出来なかった(大分県予選に出場していたが、1936年夏は大分商業(現・大分県立大分商業高等学校)に1-19、1937年夏は大分工業(現・大分県立大分工業高等学校)に4-8といずれも1回戦で大敗している)。
松田 瑞穂(まつだ みずほ、男性、1921年7月2日 - 1… 松田 瑞穂(まつだ みずほ、男性、1921年7月2日 - 1998年8月13日)は、日本の実業家。株式会社吉野家初代社長。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
李 鍾寿(イ・ジョンス、朝鮮語: 이종수/李鍾壽、1921年… 李 鍾寿(イ・ジョンス、朝鮮語: 이종수/李鍾壽、1921年3月7日 - 2015年5月24日)は、大韓民国の実業家、政治家。第2・3・4代韓国国会議員。 本貫は慶州李氏、号は芝圃。キリスト教徒。 日本統治時代の慶尚南道金海郡(現・金海市)出身。ソウル培材高等学校を経て、1943年中央大学法科卒。韓青団長、朝鮮農具製作所経営者、釜山明仁学院理事長、東亜学塾監事、三豊産業株式会社社長、金海乙選挙区選出の自由党所属の国会議員3期、国会財政経済委員会幹事・交通逓信分科委員会委員長、慶州李氏中央花樹会副会長・諮問委員、大韓民国憲政会元老諮問委員・副会長・理事・元老会議副議長、ノジャン育成中央連合会諮問委員、第3代国会議員親睦会会長などを務めた。
合崎 堅二(あいざき けんじ、1921年2月7日 - 199… 合崎 堅二(あいざき けんじ、1921年2月7日 - 1998年)は日本の会計学者。 この項目は、経済学者(経済評論家を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ウィキポータル 経済学、ウィキプロジェクト 経済)。
金 鍾吉(キム・ジョンギル、朝鮮語: 김종길、1921年2月… 金 鍾吉(キム・ジョンギル、朝鮮語: 김종길、1921年2月5日 - 1991年1月31日)は、大韓民国の官僚、政治家。第5代韓国国会議員。 慶南南海出身。中央大学法科3年卒業。総務処事務官、国務院事務処書記官・人事課長・総務課長、重機工業協同組合理事などを務めた。崔致煥の公民権制限による1961年の第5代総選挙の補欠選挙で当選し、国会議員を務めた。 第5代議員当選後すぐに発生した5・16軍事クーデターにより3日間しか在籍できず、議員宣誓もできなかった。
渡辺 喜久雄(わたなべ きくお、1921年1月27日 - 1… 渡辺 喜久雄(わたなべ きくお、1921年1月27日 - 1993年6月19日)は、日本の経営者。北海道新聞社社長を務めた。 東京都出身。1946年に中央大学法学部を中退し、同年に北海道新聞社に入社。1970年12月に取締役に就任し、1974年12月に常務、1977年1月に専務を経て、1979年1月に社長に就任。1989年1月に会長に就任。 1993年6月19日慢性うっ血性心不全のために死去。72歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
横山 桂次(よこやま けいじ、1920年11月30日-200… 横山 桂次(よこやま けいじ、1920年11月30日-2008年12月19日)は、日本の政治学者。中央大学名誉教授。高岡法科大学学長。神奈川県横浜市出身。
北本 正雄(きたもと まさお、1920年〈大正9年〉10月1… 北本 正雄(きたもと まさお、1920年〈大正9年〉10月13日 - 2023年〈令和5年〉3月12日)は、日本の政治家。位階は従四位。元東京都北区長。 東京府東京市王子区(現在の東京都北区)出身。 1950年(昭和25年)中央大学法学部を卒業する。 東京府北区に奉職し、同区立図書館長、教育委員会社会教育課長、財政課長、総務課長、総務部長、助役を歴任した。 1983年(昭和58年)北区長に就任、2003年(平成15年)まで5期20年務める。 2023年(令和5年)3月12日に死去。102歳没。日本政府は没日付にて従四位に追叙した。