千田 九一(ちだ くいち、1912年9月1日 - 1965年… 千田 九一(ちだ くいち、1912年9月1日 - 1965年12月12日)は、日本の漢文学者。 山口県出身。1936年東京帝国大学文学部支那文学科卒。竹内好、武田泰淳らの中国文学研究会に参加、戦後は機関誌『中国文学』の編集にあたる。また高見順らの文芸同人誌『日暦』にも参加した。戦後、小野忍とともに『金瓶梅』を訳した。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
吉田 正太郎(よしだしょうたろう、1912年9月1日 - 2… 吉田 正太郎(よしだしょうたろう、1912年9月1日 - 2015年7月30日)は、日本の天文学者、光学設計者である。 非球面光学系の先駆者であり、理論面、実務面の双方において優れた業績を残した。学究活動の傍ら、一般や青少年向けの本を執筆して知識の向上に努めた。
渡辺 明正(わたなべ あきまさ、1912年8月26日 - 2… 渡辺 明正(わたなべ あきまさ、1912年8月26日 - 2007年8月7日)は、フランス文学者、京都大学名誉教授。 1935年東京帝国大学文学部仏文科卒。1963年京大教養部教授。1975年フランス教育功労章オフィシエ受章。1976年定年退官。 1985年、勲三等旭日中綬章を受章。2007年8月7日、肺炎のため死去。歿日付で従四位。
佐藤 文樹(さとう ふみき、1912年8月10日 - 198… 佐藤 文樹(さとう ふみき、1912年8月10日 - 1987年6月27日)は、日本のフランス文学者、翻訳家。九州大学名誉教授。18世紀フランス文学が専門。 東京府東京市下谷区(現東京都台東区)生まれ。1937年東京帝国大学文学部仏文科卒、陸軍経理学校経理部嘱託。1938年東調布高等女学校教諭。1939年東大付属図書館嘱託、1944年陸軍通訳官。1948年東洋大学教授。1949年九州大学助教授、1955年教授。1962年「ペイザン・バルブニユとタンザイとネアダルネの初版刊行年」で東大文学博士。1963 - 1964年フランス政府招聘教授、第1回仏蘭西派遣教授団団長として渡仏。1968年九州大学退官、上智大学文学部教授。
冨山 芳正(とみやま よしまさ、1912年5月6日 - 20… 冨山 芳正(とみやま よしまさ、1912年5月6日 - 2003年10月23日)は、ドイツ文学者、学習院大学名誉教授。 東京都生まれ。1935年東京帝国大学文学部独文科卒。学習院大学助教授、教授、83年定年、名誉教授。東洋学園理事。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
小泉 一郎(こいずみ いちろう、1912年4月23日 - 1… 小泉 一郎(こいずみ いちろう、1912年4月23日 - 1991年10月20日)は、日本の英文学者。 茨城県水戸市生まれ。1937年東京帝国大学文学部英文科卒、1941年同大学院(旧制)満期修了。副手、水戸高等学校教授、茨城大学文理学部助教授、東京女子大学教授、学習院大学文学部教授を歴任。1983年定年退任、名誉教授。 1984年、勲三等瑞宝章を受章。 1991年10月20日、肺炎のため死去。
徳永 康元(とくなが やすもと、1912年4月2日 - 20… 徳永 康元(とくなが やすもと、1912年4月2日 - 2003年4月5日)は、日本の言語学者、ハンガリー文学者。 東京府豊多摩郡大久保町字百人町(後の東京都新宿区百人町)に生まれ育つ。父徳永重康は東大動物学科出身の古生物学者・地質学者で理学博士・工学博士、早稲田大学教授、東大地質学教室非常勤講師。実弟の徳永重元も地質学者。徳永家は元の苗字を吉原と称し、薩摩藩士の家系だった。重康が高島鞆之助の三女と結婚した時に徳永と名乗り始め、その後離婚に至ってからも苗字はそのままになった。日本銀行初代総裁吉原重俊は父方の祖父の弟にあたる。母方の祖父柴田承桂は薬学者で東京大学教授をつとめた。 東京高等師範学校附属小学校(現・筑波大学附属小学校)から同中学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)を4年修了で卒業し、府立高等学校文科乙類で実吉捷郎や石川道雄に師事。
尾上 政次(おのえ まさじ、1912年3月14日 - 199… 尾上 政次(おのえ まさじ、1912年3月14日 - 1994年1月18日)は、日本の英語学・アメリカ文学者、翻訳家。中央大学名誉教授。 兵庫県姫路市生まれ。尾上作兵衛の六男。姫路高等学校を経て、1934年東京帝国大学英文科卒。1939年まで大学院に在籍し、大阪高等学校教授、武蔵大学教授、戦後1951年中央大学経済学部助教授、1953年文学部助教授、教授、1982年定年となり名誉教授。はじめアメリカ英語を研究し、のち文学研究、翻訳をおこなった。 1994年1月18日、急性心不全のため死去。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
石丸 静雄(いしまる しずお、1912年2月16日 - 19… 石丸 静雄(いしまる しずお、1912年2月16日 - 1988年5月14日)は、日本のドイツ文学者、宇都宮大学名誉教授。 佐賀県神埼郡神埼町生まれ。1937年東京帝国大学独文科卒。1952年宇都宮大学教授、1975年定年退官、名誉教授。1988年、胃癌のため死去。 ドイツ・ロマン派を専門とした。
三浦 靱郎(みうら ゆきお、1912年2月5日 - 1997… 三浦 靱郎(みうら ゆきお、1912年2月5日 - 1997年5月20日)は、日本のドイツ文学者。 東京出身。1934年東京帝国大学文学部独文科卒。1937年第七高等学校教授、陸軍教授、第五高等学校教授、法政大学教授、東京学芸大学教授。1975年日本工業大学教授、1978年学長。1987年勲二等瑞宝章受勲。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
新沢 嘉芽統(しんざわ かがとう、1912年 - 1996年… 新沢 嘉芽統(しんざわ かがとう、1912年 - 1996年5月20日)は、日本の農学者・水文学者。農学博士(東京大学、1962年) 新潟県生まれ。1936年東京帝国大学農学部卒、農林省に入り、愛知県、熊本県で勤務。1945年東大農学部講師、54年東京大学農学部助教授、69年教授。73年定年退官。上野英三郎を初代担当とする農業工学講座が別れた後の、農業土木学第三講座(1954-1961)、農業土木学第二講座(1961-1963)、農地工学講座(1969-1973)を担当。1962年「河川における水利調整の研究」で東大農学博士。1963年『河川水利調整論』で日経・経済図書文化賞受賞。
和田 勇一(わだ ゆういち、1911年12月16日 - 19… 和田 勇一(わだ ゆういち、1911年12月16日 - 1993年12月19日)は、英文学者。 東京生まれ。1935年東京帝国大学文学部英文科卒。戦後、熊本大学教授。熊本大学スペンサー研究会を率いた。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
平井 正穂(ひらい まさお、1911年12月10日 - 20… 平井 正穂(ひらい まさお、1911年12月10日 - 2005年2月24日)は、日本の英文学者。
宮本 三郎(みやもと さぶろう、1911年10月29日 - … 宮本 三郎(みやもと さぶろう、1911年10月29日 - 1981年6月7日)は、日本の国文学者。 1936年東京帝国大学文学部国文科卒、学習院大学文学部教授。定年前に死去。俳諧、特に芭蕉を専門とした。
山川 丈平(やまかわ じょうへい、1911年10月14日 -… 山川 丈平(やまかわ じょうへい、1911年10月14日 - 1983年11月17日)は、日本のドイツ文学者。 福岡県生まれ。1935年東京帝国大学文学部独文科卒。福岡県立修猷館高等学校教諭、九州大学教養部助教授、教授、75年定年退官、名誉教授、福岡歯科大学教授。
田中 克己(たなか かつみ、1911年(明治44年)8月31… 田中 克己(たなか かつみ、1911年(明治44年)8月31日 - 1992年(平成4年)1月15日)は、日本の詩人・東洋史学者、中国文学者。 1911年、大阪府で生まれた。東京帝国大学東洋史学科で学び、1934年に卒業。在学中の1932年、保田與重郎、肥下恆夫、中島栄次郎、松下武雄、小高根太郎、杉浦正一郎、服部正己ら大阪高等学校同窓生と文芸同人誌『コギト』を創刊。1936年堀辰雄の推挙により、詩誌『四季』(第2次)同人となり、津村信夫や神保光太郎と共に編集にも携わった。1941年詩文集『楊貴妃とクレオパトラ』で第5回北村透谷記念文学賞受賞。 1942年1月、文士徴用軍属の第2陣として北川冬彦、中島健蔵、神保光太郎らと共に南方戦線後方(シンガポール・スマトラ)へ派遣された。
海老池 俊治(えびいけ しゅんじ、1911年8月27日 - … 海老池 俊治(えびいけ しゅんじ、1911年8月27日 - 1968年7月3日)は、英文学者、翻訳家。 京都市生まれ。1931年東京帝国大学文学部美学美術史卒、34年同英文科卒。女学校教師などをしながら、英文学で斎藤勇に師事し、また横光利一に師事して創作も目指した。戦後1951年から68年まで一橋大学社会学部教授。
小林 正(こばやし ただし、1911年8月21日 - 197… 小林 正(こばやし ただし、1911年8月21日 - 1975年3月30日)は、日本のフランス文学・比較文学者。東京大学名誉教授。 満州・旅順生まれ。東京帝国大学文学部仏文科卒、1942年東京外国語学校教授、1954年東京大学仏文科助教授。スタンダールが専門で、1962年「『赤と黒』成立過程の研究」で文学博士。 1963年教授、また比較文学講座でも授業を担当し、文学部の西洋近代語近代文学専攻の創設に尽力した。1972年定年退官し名誉教授、同年より成城大学教授。 日本比較文学会理事、東京日仏会館常務理事などを歴任。レジオン・ドヌール勲章を授与された。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
秋山 英夫(あきやま ひでお、1911年8月7日 - 199… 秋山 英夫(あきやま ひでお、1911年8月7日 - 1991年4月6日)は、日本のドイツ文学者。学習院大学名誉教授。 石川県生まれ。本名は朝日英夫。東京帝国大学独文科卒業。金沢大学教授。1967年、「ゲーテの光に照らしてみたニーチェ像」で、東京大学より文学博士の学位を取得。学習院大学教授を1982年まで務め、ニーチェを主として研究するほか、多くのドイツ文学・哲学の翻訳をおこなった。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
石 一郎(いし いちろう、1911年8月1日 - 2012年… 石 一郎(いし いちろう、1911年8月1日 - 2012年3月21日)は、日本のアメリカ文学者、作家、翻訳家。 茨城県生まれ。1935年東京帝国大学英文科卒。1942年北支に出征。戦後明治大学教授を勤め、1982年定年退職。ヘミングウェイ、スタインベックが専門で、『怒りの葡萄』の翻訳は広く読まれた。 2012年3月21日に老衰で死去。100歳没。 妻は俳人杉田久女の長女で俳人でもある石昌子(2007年1月に没)で、編著書が10数冊ある。 なお河出書房より小説『海のサムライ』を刊行しているが、姓名が似ている作家白石一郎の歴史小説に『海のサムライたち』がある。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
重信 常喜(しげのぶ つねき、1911年7月15日 - 20… 重信 常喜(しげのぶ つねき、1911年7月15日 - 2006年4月16日)は、日本のフランス文学者、詩人。 東京生まれ。1935年東京帝国大学文学部仏文科卒、千葉大学講師、助教授、教授、1975年定年退官、名誉教授、日本大学法学部教授、1982年定年。没後、従四位。
森 亮(もり りょう、1911年6月7日 - 1994年3月… 森 亮(もり りょう、1911年6月7日 - 1994年3月19日)は、日本の英文学・比較文学者、詩人、翻訳家。 大阪府生まれ。東京帝国大学英文科卒。旧制松江高等学校教授、お茶の水女子大学教授。 「新体詩抄」や「海潮音」など明治期の訳詩集の研究のほか、小泉八雲の研究でも知られ、『小泉八雲作品集』を翻訳。また『ラフカディオ・ハーン作品集』の編集と解説を担当。 1992年に訳詩集『晩国仙果』で第43回読売文学賞受賞。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
市古 貞次(いちこ ていじ、1911年5月5日 - 2004… 市古 貞次(いちこ ていじ、1911年5月5日 - 2004年3月25日)は、日本の文学者(中世日本文学)。学位は、文学博士(東京大学・論文博士・1954年)(学位論文「中世小説の研究」)。元日本学士院院長。1973年紫綬褒章受章、1984年文化功労者。日本文学研究者として初めて文化勲章を受章。 1911年、山梨県甲府市で生まれた。旧制巣鴨中学校(現巣鴨中学校・高等学校)、第一高等学校文科甲類を経て、東京帝国大学文学部国文学科に進学。1934年に卒業した。 1936年、東京帝国大学文学部副手に採用された。1939年、第一高等学校講師を命じられ、1940年に同教授昇格。1950年、東京大学教養学部助教授に就いた。
松村 達雄(まつむら たつお、1911年4月29日 - 19… 松村 達雄(まつむら たつお、1911年4月29日 - 1990年8月13日)は、日本の英文学者、翻訳家。専門は英国近代小説。 1911年(明治44年)大阪市心斎橋生まれ。大阪高等学校 (旧制)を卒業後、東京帝国大学英文学科に入学。同大学院に進み、1938年(昭和13年)に修士課程を修了。 卒業後は世界経済調査会で研究員を務めた後、明治大学文学部教授に就任。戦後、東京大学教養学部教授を務めた。1972年に東京大学を定年退官し、名誉教授となった。その後は玉川大学教授として教鞭をとった。
水野 稔(みずの みのる、1911年4月15日 - 1997… 水野 稔(みずの みのる、1911年4月15日 - 1997年8月19日)は、日本の国文学者。専門は日本近世文学、特に山東京伝。 兵庫県姫路市生まれ。1920年に急逝した兄の影響を受けて、近世文学研究を志す。姫路高等学校文科甲類を経て、1933年東京大学文学部国文学科を卒業。1935年、同大学大学院を修了。1939年仙台陸軍幼年学校教授。1940年姫路高校時代の恩師だった原田虎男の長女と結婚。1942年陸軍予科士官学校教授。1946年兵庫県立姫路商業学校教諭、1949年兵庫県立姫路工業大学付属高等学校教諭と兵庫県立姫路工業大学講師を兼任。1955年、明治大学文学部助教授、1960年同教授。1982年同大学を定年退職。
氷上 英廣(ひがみ ひでひろ、1911年4月10日 - 19… 氷上 英廣(ひがみ ひでひろ、1911年4月10日 - 1986年9月16日)は、ドイツ文学者、東京大学名誉教授。ドイツ文学、比較文学、比較文化専攻。妻は南原繁の長女で歌人であった待子。
加納 秀夫(かのう ひでお、1911年3月9日 - 2003… 加納 秀夫(かのう ひでお、1911年3月9日 - 2003年9月2日)は、日本の英文学者、翻訳家。 1911年、広島県で生まれた。東京帝国大学文学部英文科で学び、1934年に卒業。 戦後、東京大学教養学部助教授に就いた。1953年、東京都立大学教授に転じ、のち青山学院大学教授。 専門は英文学で、ワーズワースなどのロマン派詩人からエリオット、イエーツなどの現代詩人を研究テーマとした。
中橋 一夫(なかはし かずお、1911年3月1日 - 195… 中橋 一夫(なかはし かずお、1911年3月1日 - 1957年8月20日)は、昭和中期の日本の英文学者。 本名・太郎。東京帝国大学文学部英文科卒業。『道化の宿命』を刊行し、ジョン・ミドルトン・マリ、T・S・エリオット、チャールズ・モーガンなどの著作を翻訳。戦後まもなくに英文学会の新星として将来を嘱望され、文芸雑誌などにも健筆を揮った。 東京大学教養学部助教授在任時にイギリス留学するも、半ばに病に倒れ、慌しく帰国。まもなくに没した。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
阿部 秋生(あべ あきお、1910年 <明治43年> 10月… 阿部 秋生(あべ あきお、1910年 <明治43年> 10月24日 - 1999年 <平成11年> 5月24日)は、日本の国文学者。中古文学専攻。文学博士(論文博士・1959年)(学位論文『源氏物語研究序説』)。東京大学名誉教授。1983年勲二等瑞宝章受章。位階は正四位。妻は国文学者の阿部俊子。 秋田県秋田市生まれ。旧姓青柳。樺太で育つ。第一高等学校、東京帝国大学国文科卒、同大学院を1937年に退学、国民精神文化研究所助手を務める。 1943年、一高教授、1950年、東京大学教養学部助教授、1959年、東京大学教養学部教授。『源氏物語研究序説』で同年、文学博士の学位を取得。1966年、東京大学教養学部長。
甲斐 弦(かい ゆずる、1910年 <明治43年> 10月1… 甲斐 弦(かい ゆずる、1910年 <明治43年> 10月18日 - 2000年 <平成12年> 8月21日)は、英文学者、作家、熊本学園大学名誉教授。位階は従五位。 東京帝国大学文学部卒。占領期にGHQで、検閲官を務める。熊本短期大学助教授、熊本商科大学(1994年に熊本学園大学に改称)教授、1981年定年退任。1983年勲四等瑞宝章受章。2000年8月21日、心不全のため死去。死没日付をもって従五位に叙された。 森川譲の筆名でも小説作品がある。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・作詞家・作家・放送作家・随筆家(コラムニスト)・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
竹内 好(たけうち よしみ、1910年(明治43年)10月2… 竹内 好(たけうち よしみ、1910年(明治43年)10月2日 - 1977年(昭和52年)3月3日)は、日本の中国文学者。文芸評論家。魯迅の研究・翻訳や、日中関係論、日本文化などの問題をめぐり言論界で、多くの評論発言を行った。
頼 桃三郎(らい ももさぶろう、1910年〈明治43年〉9月… 頼 桃三郎(らい ももさぶろう、1910年〈明治43年〉9月4日 - 1992年6月)は、日本の国文学者、広島大学名誉教授。竹原頼家の子孫である。 広島県賀茂郡竹原町(現竹原市)に生まれる。竹原町の富豪で製塩業・頼俊直の三男。第三高等学校を経て、1933年、東京帝国大学文学部国文科卒業。 1939年から1945年まで日本放送協会勤務。1946年、三原高女、県師範女子部、1949年、広島大学教育学部分校の教師。1953年から1963年まで三原分校付属校長。その後広島大学教授となり、1974年、退官、名誉教授、安田女子大学教授。 頼山陽の叔父頼春風の玄孫である。近世浄瑠璃を専門とした。趣味は柔道。住所は広島市南区比治山町、広島市牛田本町6丁目。
斎藤 栄治(さいとう えいじ、1910年7月26日 - 19… 斎藤 栄治(さいとう えいじ、1910年7月26日 - 1979年1月22日)は、日本のドイツ文学者。 1933年東京帝国大学独文科卒。戦後、1971年まで東京大学教養学部教授。ゲーテなどを専門とし、多くの翻訳書がある。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・作詞家・作家・放送作家・随筆家(コラムニスト)・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ:作家)。
八木 毅(やぎ つよし、1910年4月16日生まれ)は、英文… 八木 毅(やぎ つよし、1910年4月16日生まれ)は、英文学者、俳人。 愛媛県生まれ。松山中学校、松山高等学校卒、1934年東京帝国大学文学部英文科卒。外務省嘱託、世界経済調査会主事、1946年明治大学文学部教授、1981年定年。俳句は1933年臼田亜浪に師事し「石楠」に拠る。1981年から『河原』に参加、俳号は八木絵馬。
一柳 寿一(ひとつやなぎ じゅいち、1910年3月1日 - … 一柳 寿一(ひとつやなぎ じゅいち、1910年3月1日 - 1998年7月14日)は日本の天文学者。 長野県出身。昭和6年(1931年)東京帝国大学理学部天文学科卒業。同10年(1935年)東北帝国大学理学部講師、同12年(1937年)助教授、同25年(1950年)東北大学教授、同48年(1973年)定年退官。日本天文学会理事長も務めた。 著書に「量子物理学と天文学」などがある。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
野上 素一(のがみ そいち、1910年1月29日 - 200… 野上 素一(のがみ そいち、1910年1月29日 - 2001年2月4日)は、日本のイタリア文学者・イタリア語学者。京都大学名誉教授。
武者小路 実光(むしゃこうじ さねみつ、1910年1月5日 … 武者小路 実光(むしゃこうじ さねみつ、1910年1月5日 - 1995年4月29日)は、フランス文学者。東京大学名誉教授。 子爵武者小路公共の長男として東京に生まれる。1916年、学習院初等科に入学。1932年東京帝国大学仏文科卒。東京大学教養学部助教授、教授、1971年定年退官、獨協大学教授。1987年東京大学名誉教授。 異母弟に武者小路公秀、叔父に武者小路実篤、祖父に武者小路実世、外祖父に毛利元徳がいる。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
大礒 義雄(おおいそ よしお、1910年1月3日 - 201… 大礒 義雄(おおいそ よしお、1910年1月3日 - 2015年)は、日本の国文学者。 東京市本郷区本郷生まれ。実は明治42年12月12日生まれだが届けが遅れて戸籍上は明治43年1月3日生まれになったという。1922年元町小学校、1927年東京府立第五中学校卒業、1年間浪人して1928年静岡高等学校文科甲類に入学。1931年東京帝国大学文学部国文科入学、志田義秀に師事する。1934年3月卒業するが不況下で就職口がなく、9月群馬県立渋川中学校に就職、1938年、新設の東京府立第十一高等女学校に移る。1944年6月愛知第二師範学校に移り、愛知学芸大学助教授、愛知教育大学教授、1976年定年退官。名誉教授となり、愛知大学教授を務める。
清水 重道(しみず しげみち、1909年〈明治42年〉12月… 清水 重道(しみず しげみち、1909年〈明治42年〉12月14日 - 1958年〈昭和33年〉4月23日)は、日本の国文学者・詩人・作家・歌人。 東京生まれ。東京高等学校を経て、1932年(昭和7年)東京帝國大學文學部國文學科卒業。“非常に秀才だった”という。 1935年(昭和10年)『沙羅』を作詞。1936年(昭和11年)信時潔が独唱曲として歌曲集『沙羅』を発表。(発表時、清水27歳、信時49歳) 大學卒業後、岡崎師範学校、東京高等学校教授をへて、1943年(昭和18年) 東京音楽學校教授・文部省嘱託 となる。(昭和20年まで) 1945年(昭和20年)北海道第三師範学校(学芸大学)・旭川分校着任。
松村 博司(まつむら ひろじ、1909年11月5日 - 19… 松村 博司(まつむら ひろじ、1909年11月5日 - 1990年10月30日)は、日本の国文学者。名古屋大学名誉教授。文学博士。1958年、日本学士院賞受賞。 静岡県島田市出身。静岡県立静岡中学校、静岡高等学校 (旧制)文科丙類を経て、1933年、東京帝国大学文学部国文科卒業。1957年「栄花物語の研究」で東京大学より文学博士の学位を取得。 1933年から1938年まで、母校の静岡中学で教鞭を執った(国漢)。山形高等学校教授、第八高等学校教授、名古屋大学文学部助教授を経て、1959年、同教授。1973年、定年退官、名誉教授。南山大学教授。1980年、南山大学退職。1958年、「栄花物語の研究」で日本学士院賞受賞。
次田 真幸(つぎた まさき、1909年(明治42年)10月1… 次田 真幸(つぎた まさき、1909年(明治42年)10月13日 - 1983年(昭和58年)11月15日)は、上代日本文学者。 妻・万貴は、文学博士田中義能の四女。弟次田香澄は中世日本文学者。 東京小石川に生まれる。父の次田潤は国文学者で、その長男。父の転勤にしたがい鹿児島、釜山、伊勢、鹿児島、佐賀、東京と移転、水戸高等学校(旧制)卒、1933年東京帝国大学文学部国文科卒。 1937年第四高等学校教授、40年第二高等学校教授、43年東京女子高等師範学校教授、49年お茶の水女子大学助教授、53年教授、75年定年退官、名誉教授、幾徳工業大学教授。80年退職。没後正四位。
井上 究一郎(いのうえ きゅういちろう、1909年9月14日… 井上 究一郎(いのうえ きゅういちろう、1909年9月14日 - 1999年1月23日)は、日本のフランス文学者、翻訳家、エッセイスト。東京大学名誉教授。本名・九一郎。マルセル・プルースト研究の第一人者であり、『失われた時を求めて』の個人全訳で知られる。 大阪府出身。東京帝国大学フランス文学科卒業。1949年、東京大学教養学部助教授。1953年、フランス渡航中の森有正が辞表を出したため、その代わりとして文学部仏文科助教授、61年教授。70年定年退官後は武蔵大学教授。1999年1月23日に心肺不全のため、89歳で死去した。娘の金沢公子もフランス文学者で、その子(井上の孫)金沢英之は、国文学者である。
相沢 博(あいざわ ひろし、1909年(明治42年)8月4日… 相沢 博(あいざわ ひろし、1909年(明治42年)8月4日 - 1992年(平成4年)12月7日)は、ドイツ文学・比較文学者。 宮城県生まれ。1933年東京帝国大学独文科卒。同大学院を経て、戦後東京大学教養学部教授、1970年定年退官、青山学院大学教授。1980年退職。専門はドイツ伝承文学。
勝見 勝(かつみ まさる、1909年7月18日 - 1983… 勝見 勝(かつみ まさる、1909年7月18日 - 1983年11月10日)は、日本の美術評論家、フランス文学者。 東京都出身。東京帝国大学文学部美学科卒業。同大学院に学ぶ。 日本デザイン学会設立委員。1959年、『グラフィックデザイン』を創刊。東京オリンピックのデザイン専門委員会委員長として、幅広くデザインディレクターも務めた。。初期はフランス文学の翻訳を行った。 1983年、東京都内の仕事場で死去。享年74歳。 勝見の葬儀の香典は「勝見勝著作集」の刊行と、「勝見勝賞」の制定にあてられた。
阿部 喜三男(あべ きみお、1909年6月16日 - 197… 阿部 喜三男(あべ きみお、1909年6月16日 - 1970年11月22日)は、日本の国文学者。近世俳諧が専門。 1933年、東京帝国大学文学部国文科卒。台北第一中学校教諭、東京府立第三中学校(現東京都立両国高等学校)教諭、海軍教授。戦後は明治大学政治経済学部助教授、教授。在職中に61歳で死去。小躯斗酒も辞さないほどの酒好きだった。
久曾神 昇(きゅうそじん ひたく、1909年5月31日 - … 久曾神 昇(きゅうそじん ひたく、1909年5月31日 - 2012年9月23日)は、日本の国文学者。学位は文学博士(東北大学・1962年)(学位論文「古今和歌集成立論」)。愛知大学第9代学長。勲二等瑞宝章。 愛知県渥美郡牟呂吉田村高州(現・愛知県豊橋市高洲町)生まれ。第一高等学校を経て、1934年に東京帝国大学文学部国文学科を卒業。1938年に同大学院を退学。福岡女子専門学校教授。応召先のシンガポールで捕虜となる。 1946年に復員し、愛知大学予科教授、1949年に愛知大学教授、1970年に文学部長、愛知大学理事、1972年に学長および理事長を歴任。1984年に退任、名誉教授、勲二等瑞宝章、1985年に中華人民共和国南開大学名誉教授。
野島 正城(のじま まさなり、1909年2月21日- 199… 野島 正城(のじま まさなり、1909年2月21日- 1997年12月2日)は、日本のドイツ文学者。 大分県生まれ。1935年東京帝国大学文学部独文科卒、東京大学教養学部教授、1969年定年となり明治大学教授を務めた。ドイツ文学、特にシラー、トーマス・マンを訳した。
佐佐木 治綱(ささき はるつな、1909年2月20日 - 1… 佐佐木 治綱(ささき はるつな、1909年2月20日 - 1959年10月8日)は、昭和期の歌人、国文学者。 佐佐木信綱の三男として東京に生まれる。東京高等師範学校附属中学校、旧制第八高等学校を経て、1935年に東京帝国大学文学部国文科を卒業。父と斎藤瀏に師事し、1940年「鶯」を創刊。1944年「心の花」と合併し、1952年から編集責任者。白百合短期大学教授。中世和歌、特に玉葉和歌集・風雅和歌集を専門とした。1959年、転落事故により急逝。父よりも早い死であった。 妻の佐佐木由幾(旧姓・鈴木、理化学研究所研究員鈴木庸生の次女)も歌人。長男は歌人の佐佐木幸綱。孫に佐佐木頼綱、佐佐木定綱。
富士川 英郎(ふじかわ ひでお、1909年2月16日 - 2… 富士川 英郎(ふじかわ ひでお、1909年2月16日 - 2003年2月10日)は、日本のドイツ文学者・比較文学者、東京大学名誉教授。 1909年、東京で生まれた。父・富士川游は医師で医学史家。神奈川県立湘南中学校、旧制広島高等学校を経て、東京帝国大学に進学。1932年に卒業。戦前、戦中は雑誌『四季』、『批評』などに寄稿。 1936年、第六高等学校講師となり岡山に住んだ。1938年、長男富士川義之が誕生。1943年、佐賀高等学校教授を命じられた。 1946年、九州帝国大学講師に就いた。1949年に新制発足した東京大学教養学部助教授となり、1956年に教授昇格。大学ではドイツ文学、比較文学を講じ、1961年からは比較文学比較文化研究室主任教授を務めた。
菊盛 英夫(きくもり ひでお、1909年2月14日 - 20… 菊盛 英夫(きくもり ひでお、1909年2月14日 - 2001年12月12日)は、日本の文学研究者、ドイツ文学者、映画・文芸評論家、翻訳家。中央大学教授を歴任。 富山県富山市生まれ。1933年東京帝国大学独文科卒業。1980年まで中央大学教授。 多くの著書、翻訳があり、トーマス・マンを専門とした。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。