野田 良之(のだ よしゆき、1912年10月15日 - 19… 野田 良之(のだ よしゆき、1912年10月15日 - 1985年10月11日)は、日本の法学者、東京大学名誉教授。専門はフランス法、比較法。
東京大学:5,428人
野田 良之(のだ よしゆき、1912年10月15日 - 19… 野田 良之(のだ よしゆき、1912年10月15日 - 1985年10月11日)は、日本の法学者、東京大学名誉教授。専門はフランス法、比較法。
増山 元三郎(ますやま もとさぶろう、1912年10月3日 … 増山 元三郎(ますやま もとさぶろう、1912年10月3日 - 2005年7月3日)は、日本の数理統計学者。 北海道小樽市生まれ。旧制第一高等学校理科乙類を経て、1937年に東京帝国大学理学部物理学科を卒業。中央気象台衛生気象係。1939年、東京大学医学部物療内科教室嘱託。1943年「ベクトル量の相関測度について」で理学博士の学位を取得。1944年文部省統計数理研究所第三部兼任所員。1952~1953年インド統計研究所客員教授として、P・C・マハラノビス所長のもとで研究。1965年ノースカロライナ大学統計学部客員、1966年カトリック大学数学科統計研究室教授、1970年~1988年、東京理科大学教授。
千谷 七郎(ちたに しちろう、1912年9月24日 - 19… 千谷 七郎(ちたに しちろう、1912年9月24日 - 1992年6月26日)は、日本の精神病理学者。鳥取市生まれ。鳥取第一中学校(現鳥取県立鳥取西高等学校)卒、第一高等学校理乙卒、東京帝国大学医学部卒、同精神神経科講師、1950年東京女子医科大学教授、1957年「精神科とCortisone様作用物質」で東京女子医科大学医学博士、のち名誉教授。日本文化会議会員。鳥取第一中学校時代には第14回全国中等学校優勝野球大会にも出場した。
鳳 誠三郎(ほう せいざぶろう、1912年〈大正元年〉9月1… 鳳 誠三郎(ほう せいざぶろう、1912年〈大正元年〉9月16日 - 2005年〈平成17年〉1月10日)は、日本の工学者。東京大学工学部教授。成蹊大学工学部教授。電気学会第60代会長。専門は電気工学で、放電に関する多岐にわたる研究に携わった。 鳳秀太郎の三男、与謝野晶子の甥。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。 この項目は、工学・技術に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(Portal:技術と産業)。
山本 大(やまもと たけし、1912年9月1日- 2001年… 山本 大(やまもと たけし、1912年9月1日- 2001年8月19日)は、日本史学者。高知大学名誉教授。 高知県生まれ。1937年東京帝国大学文学部国史学科卒業。高知大学助教授、教授、1976年定年退官、名誉教授。高知県の歴史を中心に研究した。
渡辺 明正(わたなべ あきまさ、1912年8月26日 - 2… 渡辺 明正(わたなべ あきまさ、1912年8月26日 - 2007年8月7日)は、フランス文学者、京都大学名誉教授。 1935年東京帝国大学文学部仏文科卒。1963年京大教養部教授。1975年フランス教育功労章オフィシエ受章。1976年定年退官。 1985年、勲三等旭日中綬章を受章。2007年8月7日、肺炎のため死去。歿日付で従四位。
松本 雅明(まつもと まさあき、1912年8月20日 - 1… 松本 雅明(まつもと まさあき、1912年8月20日 - 1993年12月29日)は、東洋史学者。学位は、文学博士(東京大学・1961年)。熊本大学名誉教授。1984年勲二等瑞宝章受章。 熊本県生まれ。1936年東京帝国大学文学部東洋史卒。1961年「詩経における新古の層および思惟展開の径路に関する研究」で東京大学より文学博士の学位を取得。熊本大学法文学部助教授、文学部教授、1978年定年退官、名誉教授。 1984年勲二等瑞宝章を受章。
沼田 次郎(ぬまた じろう、1912年8月19日 - 199… 沼田 次郎(ぬまた じろう、1912年8月19日 - 1994年6月29日)は、日本の歴史学者、日本史学者。東京大学名誉教授(史料編纂所元所長)。洋学史、日蘭交渉史が専門で、日蘭学会理事長も務めた。 熊本県熊本市出身(出生地は和歌山県)。鹿児島県立第一鹿児島中学校 (旧制)を経て、1932年第五高等学校 (旧制)卒業、1935年東京帝国大学文学部国史学科卒業。東京大学史料編纂所に入り、1954年助教授、1965年教授に就任し、1971年から1973年に所長を務める。1973年から1983年まで東洋大学文学部教授。そのほか、1980年から1983年に日蘭学会理事長。勲三等旭日中綬章受章。
雀部 高雄(ささべ たかお、1912年8月14日 - 196… 雀部 高雄(ささべ たかお、1912年8月14日 - 1967年6月19日)は、日本の金属工学者。日本の製鉄技術の発展に尽力した。 1912年8月14日に東京で生まれる。東京帝国大学卒。八幡製鉄所を経て、1952年に千葉工業大学金属工学科教授に就任。1961年には東京大学生産技術研究所教授に就任。 1961年5月 東京大学 工学博士 論文は「塩基性平炉精錬に関する研究 」。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
関根 正雄(せきね まさお、1912年8月14日 - 200… 関根 正雄(せきね まさお、1912年8月14日 - 2000年9月9日)は、キリスト教無教会主義の伝道者、聖書学者。 1912年、東京で生まれた。東京帝国大学法学部および文学部で学んだ。大学在学中の18歳の時に内村聖書研究会のペテロ組に入会を許され、内村鑑三の薫陶を受けた。 大学卒業後、1939年から1945年までドイツに留学。旧約の神についての論文を提出して神学博士号を取得。 1949年、塚本虎二から独立し、キリスト教伝道に従事。1962年、学位論文『イスラエルの思想と言語:特にギリシアの思想、言語との対比における』を東京教育大学に提出して文学博士号を取得。1964年、東京教育大学教授に就いた。
木村陽二郎(きむら ようじろう、1912年7月31日 - 2… 木村陽二郎(きむら ようじろう、1912年7月31日 - 2006年4月3日)は、日本の植物学者・科学史家。東京大学名誉教授。 1912年、山口県山口市生まれ。旧制長崎中学、旧制山口高校を経て、東京帝国大学理学部に進んだ。大学では中井猛之進に師事。卒業後の1938年、東京帝国大学副手に着任。1939年、同大学助手に昇進。1944年、学位論文『おとぎりそう科ノ研究』を提出して理学博士号を取得。 太平洋戦争後の1949年より、東京大学教養学部生物学科助教授。1960年に同教授に昇進。1973年に東京大学を定年退官し、名誉教授となった。その後は中央大学教授として教鞭をとった。学界では、日本植物分類学会の創設に尽力し、1977年から1980年まで会長を務めた。
小野 豊明(おの とよあき、1912年7月29日 - 没年不… 小野 豊明(おの とよあき、1912年7月29日 - 没年不詳)は、日本の実業家、経営学者。 現在の愛媛県新居浜市出身。1936年東京帝国大学法学部法律・政治学科卒。79年「日本企業の組織戦略」で上智大学経済学博士。38年王子製紙入社。49年十条製紙総務部副部長、総務部長、管理部長、小倉工場長、人事室長、取締役、十条キンバリー取締役兼任、常務取締役、フィンレーフォレスト・インダストリーズ取締役兼任、1973年上智大学経済学部経営学科教授。77年経済学部長、1979年産業能率大学経営情報学部教授。カトリック教徒。妻は山路一善の次女。
鈴木 三郎(すずき さぶろう、1912年7月28日 - 19… 鈴木 三郎(すずき さぶろう、1912年7月28日 - 1997年9月23日)は、日本の哲学者。横浜市立大学名誉教授。 広島県出身。1936年東京帝国大学文学部哲学科卒。1961年「ヤスパースにおける実存倫理学の研究」で東京大学より文学博士の学位を取得。横浜大学[疑問点 – ノート]助教授、校名変更で横浜市立大学教授を務め、1978年定年退官、名誉教授。 1950年12月、草薙正夫・武藤光朗・金子武蔵らとヤスパース協会創立のための準備会を開き、翌年2月23日(2月23日はヤスパースの誕生日)発足、理事長を務めた。
糸川 英夫(いとかわ ひでお、1912年7月20日 - 19… 糸川 英夫(いとかわ ひでお、1912年7月20日 - 1999年2月21日)は、日本の工学者。専門は航空工学、宇宙工学。ペンシルロケットに始まるロケット開発や宇宙開発を先導し、「日本の宇宙開発・ロケット開発の父」と呼ばれる。 小惑星探査機「はやぶさ」が調査を行ったことでも知られる小惑星「イトカワ」は、糸川英夫にちなんで命名された。 1912年、東京市麻布区(現在の東京都港区西麻布)で生まれる。小学校では六本木、中学校からは東京青山に育った。教育者の家庭であり父は麻布の笄小学校の教師であった。英夫という名は、1912年の東大銀時計卒業者(首席)の鳩山秀夫にちなみ、秀才好きの父に命名された。越境入学で麻布の南山小学校に学び飛び級で卒業した。
小西 四郎(こにし しろう、1912年7月14日 - 199… 小西 四郎(こにし しろう、1912年7月14日 - 1996年2月5日)は、日本の歴史学者、東京大学名誉教授。幕末史が専門。 兵庫県生まれ。東京帝国大学国史学科卒。文部省維新史料編修官を経て東京大学史料編纂所教授、1973年定年退官。NHK大河ドラマ『翔ぶが如く』の監修を務めた。 1996年、急性骨髄性白血病のため死去。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
秀村 欣二(ひでむら きんじ、1912年6月19日 - 19… 秀村 欣二(ひでむら きんじ、1912年6月19日 - 1997年4月8日)は、日本の西洋史学者(古代ローマ史)。東京大学教養学部名誉教授。 1912年、福岡県福岡市で生まれた。旧制福岡中学(現・福岡県立福岡高校)、旧制福岡高等学校を経て、東京帝国大学文学部西洋史学科に進学。1936年に同大学を卒業。 東京大学教養学部教授。1973年に東京大学を定年退官し、名誉教授となった。その後は青山学院大学文学部教授として教鞭を執り、1984年に退職した。
高橋 安人(たかはし やすんど、1912年(明治45年)6月… 高橋 安人(たかはし やすんど、1912年(明治45年)6月12日 - 1996年(平成8年)10月29日)は、日本の機械工学者。工学博士(東京帝国大学)、カリフォルニア大学バークレー校名誉教授、豊橋技術科学大学名誉教授。当初は伝熱工学を専攻していたが、太平洋戦争後は日本の制御工学の草分けとして活躍した。世界の先端技術を日本に広めるとともに、日米の懸け橋としても功績がある。 名古屋帝国大学助教授、東京大学生産技術研究所教授、カリフォルニア大学バークレー校教授、豊橋技術科学大学教授を歴任。1978年にRufus Oldenburger Medal(英語版)、1994年に計測自動制御学会最初の功績賞を受賞。
森岡 健二(もりおか けんじ、1912年〈大正元年〉6月11… 森岡 健二(もりおか けんじ、1912年〈大正元年〉6月11日 - 2008年〈平成20年〉3月27日)は、日本の国語学者、上智大学名誉教授。 宮城県栗原郡生まれ。教員だった父の転勤で山形県、佐賀県に移り、佐賀高等学校を経て、1940年東京帝国大学国語国文学科卒。大学院に進むが、兵役のため1945年に退学。満洲勤務を経て1946年に広島高等学校教授、1949年に国立国語研究所所員、1953年に東京女子大学助教授、1958年に同教授。1970年に上智大学教授、1988年に定年退職、名誉教授。学外では、国語審議会委員をたびたび務めた。 兄は岡山大学教授・森岡常夫。 近代語の成立に関して、英華辞典や英和辞典における訳語を方法の変遷から調査し、それを中村正直や西周などの翻訳や聖書和訳と対照することで、それぞれの果たした役割を明らかにした。
谷口 紀男(たにぐち のりお、1912年 <明治45年> 5… 谷口 紀男(たにぐち のりお、1912年 <明治45年> 5月27日 - 1999年 <平成11年> 11月15日)は、日本の材料科学者。山梨大学名誉教授。 大分県出身。「ナノテクノロジー」の命名者。位階は正四位。 1912年5月27日、大分県に生まれる。1936年3月、東京帝国大学工学部造兵学科卒業後、民間企業を経て、1940年3月、山梨大学工学部の前身山梨高等工業学校機械工学科に教授として着任。以後26年にわたって勤務し、1953年山梨大学工学部教授以後、山梨大学教授として工学部機械工学科、精密工学科(現機械システム工学科)に勤務。1961年第4代山梨大学工学部長に就任。山梨大学を退官後、理化学研究所主任研究員、東京理科大学理工学部機械工学科教授などを歴任。
古川 哲史(ふるかわ てつし、1912年5月8日 - 201… 古川 哲史(ふるかわ てつし、1912年5月8日 - 2011年8月22日)は、日本の倫理学者、歌人。東京大学名誉教授、国際武道大学名誉教授。日本弘道会元副会長。
岡倉 古志郎(おかくら こしろう、1912年5月6日 - 2… 岡倉 古志郎(おかくら こしろう、1912年5月6日 - 2001年4月2日)は、日本の国際政治学者、経済学者。 同志社大学教授、大阪外国語大学教授、中央大学教授、日本学術会議副会長、原水爆禁止日本協議会専門委員、日本平和委員会及び日本アジア・アフリカ・ラテンアメリカ連帯委員会の各常任理事などを歴任。『茶の本』『東洋の理想』等の著書で知られる日本美学界の泰斗・岡倉天心の孫に当たる。息子に岡倉徹志がいる。 朝日新聞記者で天心の伝記も編纂した岡倉一雄の子として、東京に生まれる。東京帝国大学を卒業後、東京電灯(現東京電力)に入社。その後、企画院を経て1938年には東亜研究所に入る。同年の企画院事件(企画院判任官グループ事件)にて治安維持法違反で検挙。
冨山 芳正(とみやま よしまさ、1912年5月6日 - 20… 冨山 芳正(とみやま よしまさ、1912年5月6日 - 2003年10月23日)は、ドイツ文学者、学習院大学名誉教授。 東京都生まれ。1935年東京帝国大学文学部独文科卒。学習院大学助教授、教授、83年定年、名誉教授。東洋学園理事。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
能 登志雄(のう としお、1912年5月 - 1988年2月… 能 登志雄(のう としお、1912年5月 - 1988年2月6日)は、日本の地理学者。専門は、集落地理学など。東北大学教授などを歴任。 長崎県長崎市生まれ。父親は、当時長崎高等商業学校教授であったが、その後転勤を重ね、登志雄は青年期を石川県金沢市で過ごすこととなった。 石川県立金沢第二中学校から第四高等学校 (旧制) 理科甲類を経て、1932年に東京帝国大学理学部地理学科で人文地理学を専攻し、辻村太郎の指導を受けた。地理学科の同期生には木内信蔵、1年後輩には矢沢大二がいた。能は語学に優れ、学生時代から英語やドイツ語に通じていた。 卒業後の1935年、大学院に進学し、辻村との共訳という形でノルベルト・クレープス『人類地理学』の翻訳(1936年)を出したが、1936年に広島陸軍幼年学校教官となり、1941年には陸軍気象部付陸軍技師として予報班に勤務し、さらに1942年には南方派遣野戦気象部隊付予報技術将校として出征して南方各地を転戦した。
西 忠雄(にし ただお、1912年4月10日 - 1998年… 西 忠雄(にし ただお、1912年4月10日 - 1998年1月25日)は、日本の建築構造工学者。専門は建築材料。東京大学名誉教授。第32代東洋大学学長(1982年9月 - 1985年9月)。工学博士。東京都生まれ。 1937年(昭和12年)、東京帝国大学工学部建築学科を卒業後、同年に大阪窯業セメント株式会社に就職。1942年(昭和17年)に内務省技師を経て、1947年(昭和22年)建設省建築研究所第二研究部(材料)勤務。1948年(昭和23年)、北海道大学助教授に就任。1951年(昭和26年)、同大学の教授に就任。1962年(昭和37年)、東京大学教授に転任。1973年(昭和48年)、定年退官。
関屋 光彦(せきや みつひこ、1912年4月1日 ー 199… 関屋 光彦(せきや みつひこ、1912年4月1日 ー 1994年)は、日本の哲学者。 朝鮮京城生まれ。第一高等学校卒、1935年東京帝国大学文学部哲学科卒、同大学院、1939年青山学院中学部教諭、1941年文部省専門学務局学務課嘱託、1943年松本高等学校教授、1949年信州大学文理学部助教授、1950年教授、1951年津田塾大学教授、1954年国際基督教大学教授。1966年退職、1967年東海大学文学部教授、1971年東京女子大学短期大学部教授、1978年定年退職。 聖書研究会を主催した。妻は森有正の妹。松本高校では辻邦生を教えた。
飯盛 武夫(いいもり たけお、1912年3月28日 - 19… 飯盛 武夫(いいもり たけお、1912年3月28日 - 1943年8月16日)は、日本の化学者、理学博士。飯盛里安の長男である。父・里安と同じように東京帝国大学理学部を卒業し、理化学研究所に入所して研究者の道を歩み始めたが31才で早世した。 1936年理化学研究所飯高研究室に研究生として入所し、翌年4月までの1年間、熱した鉄が空気に触れた時に生じる酸化鉄の膜の結晶構造を電子線回折法で調べる研究を行なった。1937年4月には父・里安が主宰する飯盛研究室に移籍し、飯盛研究室本来の希元素関連の研究に加えてサイクロトロンに関する研究も行なった。与えられた研究題目は次のとおり。 1937年、理化学研究所には仁科芳雄の主導で日本で最初の26インチサイクロトロンが完成した。
梅本 克己(うめもと かつみ、1912年3月26日 - 19… 梅本 克己(うめもと かつみ、1912年3月26日 - 1974年1月14日)は、日本の哲学者。
田坂 興道(たさか こうどう 、1912年3月10日 - 1… 田坂 興道(たさか こうどう 、1912年3月10日 - 1957年3月23日)は日本昭和時代の東洋史学者。 明治45年(1912年)、山口県に生まれる。東京大学文学部東洋史学科卒業。東方文化学院研究員をへて昭和30年中央大学教授となる。アラビア語、ペルシャ語などの原史料にもとづくイスラム史研究をこころざす。遺稿に「中国における回教の伝来とその弘通」。昭和32年(1957年)3月23日死去。享年45。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
石丸 静雄(いしまる しずお、1912年2月16日 - 19… 石丸 静雄(いしまる しずお、1912年2月16日 - 1988年5月14日)は、日本のドイツ文学者、宇都宮大学名誉教授。 佐賀県神埼郡神埼町生まれ。1937年東京帝国大学独文科卒。1952年宇都宮大学教授、1975年定年退官、名誉教授。1988年、胃癌のため死去。 ドイツ・ロマン派を専門とした。
中村 哲(なかむら あきら、1912年2月4日 - 2003… 中村 哲(なかむら あきら、1912年2月4日 - 2003年8月10日)は、日本の政治学者、憲法学者。法政大学総長、参議院議員。父方の叔母に竹越光代(婦人運動家、歴史家・政治家竹越与三郎の妻)がいる。 東京府出身。府立三中、旧制成城高等学校(現成城大学)を経て、1934年に東京帝国大学法学部卒業(美濃部達吉門下生)。台北帝国大学文政学部の助教授・教授を経て、戦後我妻栄の引きで法政大学法学部教授に。法学部長・常務理事を歴任し、1968年に法政大学総長となった。 総長就任時は学生運動が激しく、学内で内ゲバ殺人事件(海老原事件)が発生するなど危機的な状況にあったが、警官隊の学内導入をほのめかした秦野章警視総監と対立しながらも大衆団交を繰り返し、終に警官隊を導入することなく事態を乗り切った。
小此木 真三郎(おこのぎ しんざぶろう、1912年1月30日… 小此木 真三郎(おこのぎ しんざぶろう、1912年1月30日 - 1994年8月9日)は、西洋史学者。美術界のパトロンとして知られる久保貞次郎の弟。 栃木県足利市の金物店の三男として生まれる。1934年東京帝国大学文学部西洋史学科卒。羽仁五郎に師事。卒業後会社員となり、1938年に兄の欧米視察に同行。1941年応召、即日帰郷。文化学院講師、世界経済調査会嘱託、1952年静岡大学文理学部助教授、1959年法経学部教授、1975年定年退官、名誉教授、日本福祉大学教授。1982年退職。
中尾 喜久(なかお きく、男性、1912年1月22日 - 2… 中尾 喜久(なかお きく、男性、1912年1月22日 - 2001年6月21日)は、日本の内科学者。 茨城県真壁郡竹島村(現筑西市)出身。1936年東京帝国大学医学部卒、1943年医学博士。東京大学医学部助手、講師、助教授、1958年群馬大学教授、1963年東京大学教授。1972年定年退官、自治医科大学初代学長。1982年同大附属病院に地域診療所を設置。1996年学長退任、のち名誉学長。 この間、1959年中国医科大学名誉教授、1987年東大名誉教授。臨床血液学の世界的権威者として知られた。1964年ベルツ賞佳作賞受賞。1984年勲一等瑞宝章受勲。日本学士院会員。
折茂 豊(おりも ゆたか、1912年〈明治45年〉1月2日 … 折茂 豊(おりも ゆたか、1912年〈明治45年〉1月2日 - 1994年〈平成6年〉1月8日)は、日本の法学者。専門は国際私法。学位は、法学博士(東京大学・論文博士・1957年)(学位論文「国際私法の統一性」)。東北大学名誉教授。 群馬県富岡市一ノ宮出身。旧制富岡中学校(現・群馬県立富岡高等学校)、旧制第三高等学校を経て、東京帝国大学法学部を卒業。同助手、助教授[要出典]。1951年(昭和26年)東北大学法学部教授となり、1966年(昭和41年)法学部長。1975年(昭和50年)に定年退官、名誉教授。 国際私法を専攻し、1957年(昭和32年)「国際私法の統一性」で法学博士(東京大学)の学位を取得。
来栖 三郎(くるす さぶろう、1912年1月1日 ‐ 199… 来栖 三郎(くるす さぶろう、1912年1月1日 ‐ 1998年10月1日)は、日本の民法学者。東京大学名誉教授。1983年から日本学士院会員。穂積重遠門下。弟子に安達三季生、山田卓生、石田穣、中山信弘など。 台湾新竹州新竹市生まれ。研究に専念するため学会の理事職等は引き受けなかった。生涯独身であったため、研究を義姉が支えた。大変謙虚な性格で、日本学士院会員に推薦された際も躊躇するほどだったという。 同僚であった川島武宜を尊敬するといって憚らず、川島をして天才と言わしめた。そのため、両教授の門下が重複することしばしばであった。 川島、加藤一郎とともにセツルメント法相部の指導教授として活動し、稲本洋之助が社会学へ進む道筋をつけた。
小関 藤一郎(こせき とういちろう、1912年1月1日 - … 小関 藤一郎(こせき とういちろう、1912年1月1日 - 2002年11月10日)は、日本の社会学者。 1912年、東京で生まれた。第一高等学校文科に入学し、1931年に卒業。東京帝国大学文学部社会学科で学び、1934年に卒業。同大学大学院に進学したが、1935年に退学。戦中は外地で過ごした。 1947年、三重県社会教育課長。1950年、三重県立大学専任講師となり、社会学を担当。1952年、南山大学経済学部助教授となった。1954年に同教授昇格。1960年、関西学院大学社会学部教授に転じた。1970年から1972年には、同社会学部長を務めた。1977年、学位論文『デュルケームと近代社会』を関西学院大学に提出して社会学博士号を取得。
上甲 幹一(じょうこう かんいち、1912年 - 1969年… 上甲 幹一(じょうこう かんいち、1912年 - 1969年)は、日本の国語教育学者。 東京生まれ。1936年東京帝国大学文学部国文科卒。文部省学習指導要領編集委員。名古屋大学教授。
松島省三(まつしま しょうぞう、1912年 - 1997年)… 松島省三(まつしま しょうぞう、1912年 - 1997年)は、日本の農学者。長野県出身。 1934年東京帝国大学農学部農学実科卒業。埼玉県鴻巣市にあった農林省農業技術研究所で提唱した早期に有効茎数を確保するV字型稲作理論は現在の稲作技術の原点となった。 父親が内村鑑三に傾倒していたことから自身も熱心なキリスト教信者であり、矢内原忠雄に師事している。
新沢 嘉芽統(しんざわ かがとう、1912年 - 1996年… 新沢 嘉芽統(しんざわ かがとう、1912年 - 1996年5月20日)は、日本の農学者・水文学者。農学博士(東京大学、1962年) 新潟県生まれ。1936年東京帝国大学農学部卒、農林省に入り、愛知県、熊本県で勤務。1945年東大農学部講師、54年東京大学農学部助教授、69年教授。73年定年退官。上野英三郎を初代担当とする農業工学講座が別れた後の、農業土木学第三講座(1954-1961)、農業土木学第二講座(1961-1963)、農地工学講座(1969-1973)を担当。1962年「河川における水利調整の研究」で東大農学博士。1963年『河川水利調整論』で日経・経済図書文化賞受賞。
三井 為友(みつい ためとも、1911年12月12日 - 1… 三井 為友(みつい ためとも、1911年12月12日 - 1998年9月13日)は、日本の教育学者。東京都立大学名誉教授。 旧名・松井大造。長野県諏訪郡富士見町出身。旧制諏訪中学校卒、第一高等学校卒、在学中左翼活動で検挙される。京都帝国大学文学部哲学科から東大に転じ、1937年東京帝国大学文学部教育学科卒。1940年同大学院教育学修士課程修了。 脚気のため帰郷、諏訪高等女学校(現長野県諏訪二葉高等学校)で教えた際千野敏子を教えた。1943年から東大学生主事補を務め、1944年東京第二師範学校教授に就任するが、同年5月応召、北満洲からボルネオ島に転戦し敗戦を迎える。捕虜生活ののち1946年7月帰国。
高坂 好(こうさか このむ、1911年12月5日 - 197… 高坂 好(こうさか このむ、1911年12月5日 - 1971年8月17日)は、日本の教員、歴史家、郷土史家。 兵庫県飾磨郡荒川村(現在の姫路市)に生まれる。1930年、姫路高等学校文科甲類に入学し、1933年に卒業した。同年、東京帝国大学文学国史学科に入学した。同期入学に磯貝正義、井上清、奥田真啓、新城常三らがいる。卒業論文「中世に於ける地方寺院−特に寺領荘園の場合」をまとめ、1936年に卒業。兵庫県立龍野高等女学校教諭を経て、鹿児島県立第二鹿児島中学校に教諭として勤める。その傍ら、1939年9月から1941年9月まで鹿児島県史編纂のため臨時委員を委嘱された。同年11月から兵庫県立第一神戸商業学校教諭となるも病気のため1942年7月に退職した。
三木 安正(みき やすまさ、1911年12月3日 - 198… 三木 安正(みき やすまさ、1911年12月3日 - 1984年5月31日)は、日本の教育心理学者。東京大学名誉教授。 東京出身。旧制姫路高等学校卒、1936年東京帝国大学文学部心理学科卒。1938年愛育研究所所員、文部省学校教育局、名古屋大学教授、1954年東京大学教育学部教授。1972年定年退官、名誉教授。1930年代に岩波書店刊行の雑誌『教育』を間にはさみ成立した児童学研究会に参加。のちに全日本特殊教育研究連盟を結成、旭出学園を創立。1980年朝日賞受賞。1982年勲二等瑞宝章受章。幼児教育、知的発達障害児の教育が専門。日本教育心理学会名誉会員。
久保 正幡(くぼ まさはた、1911年11月26日 - 20… 久保 正幡(くぼ まさはた、1911年11月26日 - 2010年1月20日)は、日本の法制史学者。東京大学名誉教授。西洋法制史専攻。 栃木県出身。1931年に武蔵高等学校を卒業し、東京帝国大学法学部入学。1934年に法律学科を卒業。助手を経て、1936年に助教授、1946年教授。1951年「サリカ法典」で日本学士院賞受賞。1954年「フランク時代におけるゲルマン法とローマ法」で東京大学法学博士。1965年東大法学部長。1972年定年退官、名誉教授、國學院大學教授。1982年退職。日本学術会議会員、宗教法人審議会委員。
小寺 明(こてら あきら、1911年11月2日 - 2001… 小寺 明(こてら あきら、1911年11月2日 - 2001年9月28日)は、日本の化学者。専門は、高分子化学。東京教育大学名誉教授。理学博士(東京帝国大学)。東京生。 この他に、東京教育大学理学部長、東京教育大学評議員、中央大学法学部通信教育課程兼任講師、日本化学会副会長、日本学術会議議員を歴任。
大山 信郎(おおやま のぶろう、1911年11月1日 - 2… 大山 信郎(おおやま のぶろう、1911年11月1日 - 2009年2月13日)は、日本の医学者、医学博士。東京教育大学学長を務めた。 愛知県出身。1937年に東京帝国大学医学部医学科を卒業。 東京帝国大学副手、山梨県立医学専門学校眼科部長、国立盲教育学校教授などを経て、1951年に東京教育大学教授に就任し、1974年3月から1978年3月までに学長を務めた。1972年4月に教育学部長を経て、1978年3月には名誉教授に就任。 1983年4月に勲二等瑞宝章を受章。 2009年11月26日に死去。97歳没。
玉村 竹二(たまむら たけじ、1911年10月9日 - 20… 玉村 竹二(たまむら たけじ、1911年10月9日 - 2003年11月11日)は、禅宗の研究者、東京大学史料編纂所教授であった。
田中 克己(たなか かつみ、1911年(明治44年)8月31… 田中 克己(たなか かつみ、1911年(明治44年)8月31日 - 1992年(平成4年)1月15日)は、日本の詩人・東洋史学者、中国文学者。 1911年、大阪府で生まれた。東京帝国大学東洋史学科で学び、1934年に卒業。在学中の1932年、保田與重郎、肥下恆夫、中島栄次郎、松下武雄、小高根太郎、杉浦正一郎、服部正己ら大阪高等学校同窓生と文芸同人誌『コギト』を創刊。1936年堀辰雄の推挙により、詩誌『四季』(第2次)同人となり、津村信夫や神保光太郎と共に編集にも携わった。1941年詩文集『楊貴妃とクレオパトラ』で第5回北村透谷記念文学賞受賞。 1942年1月、文士徴用軍属の第2陣として北川冬彦、中島健蔵、神保光太郎らと共に南方戦線後方(シンガポール・スマトラ)へ派遣された。
小林 正(こばやし ただし、1911年8月21日 - 197… 小林 正(こばやし ただし、1911年8月21日 - 1975年3月30日)は、日本のフランス文学・比較文学者。東京大学名誉教授。 満州・旅順生まれ。東京帝国大学文学部仏文科卒、1942年東京外国語学校教授、1954年東京大学仏文科助教授。スタンダールが専門で、1962年「『赤と黒』成立過程の研究」で文学博士。 1963年教授、また比較文学講座でも授業を担当し、文学部の西洋近代語近代文学専攻の創設に尽力した。1972年定年退官し名誉教授、同年より成城大学教授。 日本比較文学会理事、東京日仏会館常務理事などを歴任。レジオン・ドヌール勲章を授与された。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
宮本 梧楼(みやもと ごろう、1911年8月17日 - 20… 宮本 梧楼(みやもと ごろう、1911年8月17日 - 2012年7月20日)は、日本の物理学者(実験物理学)。理学博士。多年にわたり東京大学理学部教授を務め、原子核物理、加速器、核融合の分野で多くの業績をあげるとともに、数多くの人材を育成した。 旧制愛知県熱田中学校、旧制第八高等学校を経て、1936年に東京帝国大学理学部物理学科を卒業し、嵯峨根遼吉教授の指導下で理研のサイクロトロンを用いた原子核物理の実験研究を始めた。その後、東京大学教授に就任、1972年に定年退官した。東京大学退官後も、茨城大学、日本原子力研究所(特別研究員)等で教育と研究にあたった。 宮本は戦後いち早く高エネルギー物理学、なかんずくその必須の手段としての高エネルギー加速器の研究に着手し、1953年には文部省機関研究費を用いて東京大学強収斂電子シンクロトロンの建設を始め、1957年に130MeVの装置を完成した。
鈴木 進(すずき すすむ、1911年8月14日 - 2008… 鈴木 進(すずき すすむ、1911年8月14日 - 2008年7月16日)は、日本の美術史家、美術評論家。東京国立博物館文部技官、文化庁文化財調査官、東京都庭園美術館館長、名誉館長。 静岡県生まれ。1929年(昭和4年)、静岡県立静岡中学校を卒業後、東京帝国大学文学部美学美術史学科に進み、同学科で日本美術史の藤懸静也に師事。1936年(昭和11年)、卒業と同時に同学科初代の助手に就任。1940年(昭和15年)、文部省学芸課嘱託、美術問題を調査研究。1944年(昭和19年)から1945年(昭和20年)、兵役。復員後、1946年(昭和21年)、東京帝室博物館調査課に勤務、文部技官として国宝・重要文化財の指定・調査・研究に携わる。
須藤 俊男(すどう としお、1911年(明治44年)7月12… 須藤 俊男(すどう としお、1911年(明治44年)7月12日 - 2000年(平成12年)4月12日)は、日本の鉱物学者・地球科学者。専門は粘土鉱物学。理学博士。位階は正四位。 1911年、新潟県生まれ。東京帝国大学理学部鉱物学科を卒業した。卒業後は、母校の東京帝国大学講師、助教授を経て、1948年より東京教育大学理学部教授となった。1975年に定年退官し、名誉教授となった。2000年死去。死没日付をもって従七位から正四位に進階した。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。