岡田 豊日(おかだ とよひ、1910年(明治43年)5月20… 岡田 豊日(おかだ とよひ、1910年(明治43年)5月20日 - 2000年(平成12年)1月27日)は、日本の昆虫学者。東京都立大学名誉教授、日本昆虫学会名誉会員、日本動物分類学会名誉会員。 日本のショウジョウバエ科昆虫の分類学的研究を進めたことで知られる。父は英文学者の岡田哲蔵、息子は地質学者の岡田昭明。 1910年5月20日、東京府麻布区笄町(現:東京都港区麻布)に生まれた。 1933年、東京帝国大学(現:東京大学)理学部動物学科に進学。丘英通に師事し、双翅目昆虫の形態学を研究。卒業後東京市水道局、日本大学第三中学校教諭を経て、東京帝国大学農学部の副手に着任。 第二次世界大戦時に台北に移り、台北帝国大学医学部助手、台湾省立衛生試験所顧問を歴任しながら研究活動を行った。
竹内 照夫(たけうち てるお、1910年5月10日 - 19… 竹内 照夫(たけうち てるお、1910年5月10日 - 1982年8月23日)は、中国哲学者、北海道大学名誉教授。 東京生まれ。文芸評論家・竹内良夫は弟。東京帝国大学卒。1961年「仁の古義の研究」で東京大学より文学博士の学位を取得。北海道大学助教授、教授、関西大学教授、1978年退任。武田泰淳は友人。
大村 晴雄(おおむら はるお、1910年(明治43年)5月2… 大村 晴雄(おおむら はるお、1910年(明治43年)5月2日 - 2016年(平成28年)4月)は、日本の哲学研究者、東京都立大学名誉教授。近世哲学史専攻、ヘーゲル研究者。1970年以来、季刊誌「途上」を刊行。広く思想とキリスト教の諸問題の研究解明にたずさわった。 北海道札幌市生まれ、神奈川県出身。山形高等学校(旧制)卒、1935年東京帝国大学文学部哲学科卒。39年文部省教学局嘱託。41年府立学校教授、召集令状がきて、中国北部に送られたが、語学の才があり、暗号解読など情報の仕事を行った。1946年復員。1949年東京都立大学助教授、1968年教授、1973年定年退官、名誉教授、東洋大学教授、1981年退職。
春名 好重(はるな よししげ、1910年4月5日 - 200… 春名 好重(はるな よししげ、1910年4月5日 - 2004年6月27日)は、書の研究家、国士舘大学名誉教授。 岡山県生まれ。東京帝国大学文学部国文学科卒業。国士舘大学教授・文学部長を務めた。日本書道史を研究。本名・斎藤秀雄。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
近藤 市太郎(こんどう いちたろう、1910年3月19日 -… 近藤 市太郎(こんどう いちたろう、1910年3月19日 - 1961年1月6日)は、日本の美術史家。 東京出身。1934年東京帝国大学卒業、東京帝室博物館(現・東京国立博物館)に入り、普及課長、資料課長。浮世絵の展覧会を担当した。
堀 一郎(ほり いちろう、1910年(明治43年)3月19日… 堀 一郎(ほり いちろう、1910年(明治43年)3月19日 - 1974年(昭和49年)8月10日)は、日本の宗教学者。東京大学名誉教授。 三重県生まれ。1929年に第一高等学校を卒業し、東京帝国大学文学部印度哲学科入学。同期に五来重らがいる。1932年に卒業。1935年に大学院を退学した後、1939年から二松学舎専門学校教授、同年文部省国民精神文化研究所助手などとなり、戦後は東北大学教授を経て、1965年東京大学宗教学科教授。1971年定年退官、成城大学教授。また、1950年から國學院大學兼任教授。1953年に「我が国民間信仰史の研究」により、東京大学から文学博士の学位を授与される。
橋本 芳契(はしもと ほうけい、1910年3月10日 - 2… 橋本 芳契(はしもと ほうけい、1910年3月10日 - 2001年4月18日)は、仏教学・宗教学者。 富山県生まれ。1934年東京帝国大学文学部印度哲学梵文学科卒、1962年「維摩経の研究」で東京大学文学博士。石川師範学校教授、金沢大学法文学部助教授、教授、1975年定年退官、名誉教授、福井県立短期大学教授。 2001年4月18日、心筋梗塞のため死去。
高津 忠夫(たかつ ただお、1910年〈明治43年〉3月3日… 高津 忠夫(たかつ ただお、1910年〈明治43年〉3月3日 - 1974年〈昭和49年〉12月6日)は、日本の医師、小児科学者。東京大学名誉教授。栄典は正五位・勲二等旭日重光章。学位は医学博士(東京大学・1939年)。 広島県生まれ。1933年〈昭和8年〉東京帝国大学医学部卒、同年、同大学小児科教室副手、1939年医学博士取得。1944年山梨県立医学専門学校教授、1947年山梨県立病院小児科部長、1949年松本医科大学講師、同年、信州大学教授。 1954年東京大学医学部教授、1961年日本小児科学会理事長(併任)、1966年東京大学医学部保健学科母子保健学初代主任教授(現東京大学大学院医学系研究科国際保健学専攻国際生物医科学講座発達医科学)、1970年東京大学定年退官、東京大学名誉教授。
松下 清夫(まつした きよお、1910年3月 - 2003年… 松下 清夫(まつした きよお、1910年3月 - 2003年5月5日)は、日本の建築構造学者。東京大学名誉教授。 旧制静岡県立静岡中学校、旧制静岡高等学校[要出典]を経て、1935年に東京帝国大学工学部建築学科を卒業。東京大学では木構造の講座などを担当。1970年からは東京理科大学教授併任。日本建築学会構造標準委員会主査など歴任。義父は師の内田祥三。専門は木造建築のほか免震構造など多数。主な構造設計に科学技術館、広島平和記念資料館、損保ジャパン日本興亜本社ビル、千葉県自治会館など。1989年、日本建築学会賞大賞受賞。 この項目は、建築・土木に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:建築/Portal:建築)。
小口 偉一(おぐち いいち、1910年2月27日 - 198… 小口 偉一(おぐち いいち、1910年2月27日 - 1986年12月15日)は、日本の宗教学者。東京大学東洋文化研究所名誉教授。 1910年、東京で生まれた。東京帝国大学宗教学科で学び、1935年に卒業。同大学大学院に進学。文学部副手となり、1942年に東京大学東洋文化研究所嘱託となった。 戦後の1947年に助教授昇格。1962年、学位論文『宗教社会学序説』を國學院大學に提出して文学博士号を取得。1963年、東京大学東洋文化研究所教授に昇格。1965年から1966年、1968年から1970年の2期にわたって同東洋文化研究所所長を務めた。1970年に東京大学を定年退官し、名誉教授となった。その後は愛知学院大学教授として教鞭をとった。
棚瀬 襄爾(たなせ じょうじ、1910年2月22日 - 19… 棚瀬 襄爾(たなせ じょうじ、1910年2月22日 - 1964年12月10日)は、日本の民族宗教学者・アジア地域研究者。 1910年、岐阜県本巣郡生まれ。旧制大垣中学校(現岐阜県立大垣北高等学校)を経て、第三高等学校文科甲類へ入学。卒業後は東京帝国大学文学部宗教学科に入学し、1934年に卒業、同大学大学院に進んだ。1936年、東京帝国大学大学院を修了。 卒業後は、1938年より千代田女子専門学校教授となった。一方で、1939年2月より東亜研究所所員を兼ね、研究を続けた。1941年2月に応召し、中国へ出征して漢口で終戦を迎えた。 1946年に復員。戦後は、1947年11月より帝国女子専門学校講師。
阿武 喜美子(あんの きみこ、1910年2月17日 - 20… 阿武 喜美子(あんの きみこ、1910年2月17日 - 2009年10月10日)は、日本の化学者、専門は生物化学。新しいムコ多糖類を多数発見し、その化学構造を決定した。キシリツト及びキシリタンに関する研究で農学博士(東京大学)(1949年)。東京女子高等師範学校教授、オハイオ州立大学客員研究員、お茶の水女子大学教授を歴任。 山口県生まれ。東京女子高等師範学校(1932年卒)を経て、1937年東京文理科大学化学科卒。1938年東京帝国大学大学院への入学が許可され、日本初の女性大学院生となった。1943年 東京帝国大学大学院修了(女性としては東大初)。1944年母校の東京女子高等師範学校教授。1950年 - 1953年、オハイオ州立大学客員研究員として渡米し、M.L.ウォルフロム教授のもとで研究。
西丸 四方(にしまる しほう、1910年2月13日 - 20… 西丸 四方(にしまる しほう、1910年2月13日 - 2002年2月14日)は、日本の医学者、精神科医。信州大学名誉教授、愛知医科大学名誉教授。専門は精神病理学。医学博士(東京帝国大学)。 村上仁、島崎敏樹らとともに、日本の精神病理学第一世代を代表する人物である。精神医学の基礎領域である精神病理学を広く精神科臨床に根付かせるなど、日本の精神医学の発展に大きく貢献した。また、老荘思想を心理療法に応用するなどのユニークな試みでも知られる。草間彌生を見いだし、その後の良き理解者として終生交流があった。 島崎藤村の姪である西丸いさの長男。父方の曾祖父は西丸帯刀(旧姓:野口)。西丸帯刀の伯父「野口北川」の長男の孫が野口雨情。
瀧山 養(たきやま まもる、1910年(明治43年)2月12… 瀧山 養(たきやま まもる、1910年(明治43年)2月12日 - 2009年(平成21年)4月7日)は、日本の鉄道官僚、土木工学者(工学博士・東京大学)。第62代土木学会会長、日本国有鉄道技師長・理事・顧問、鹿島建設専務取締役等を歴任した。戦前・戦後の激動の時代で、鉄道が輸送機関の主力であったときに鉄道技師として鉄道の発展に貢献。海外引揚や戦災復興都市計画、十河信二国鉄総裁のもと新幹線建設に尽力した。勲二等。 大阪府生まれ。後に東京市に転居し、東京市立麹町小学校、第四高等学校を経て、1932年東京帝国大学工学部土木工学科卒業。高等文官試験行政科に合格し、帝大卒業後鉄道省に入省。入省後は、東京改良事務所や新潟鉄道局、建設局停車場課、華北交通などに配属。
北川 政夫(きたがわ まさお、1910年2月 - 1995年… 北川 政夫(きたがわ まさお、1910年2月 - 1995年8月4日)は、日本の植物学者である。戦前は中国東北部の植物を研究した。 旧満州の大連市に生まれた。東京帝国大学の植物学科を卒業した。大陸科学院研究官を務め、標本を収集し、地域植物誌をまとめ、中国東北部の植物相を明らかにするとともに、多くの新種植物の記載を行った。ボウフウ(Saposhnikovia seseloides auct. non (Hoffm.) Kitag.)の記載などが含まれる。1947年から農林技術研究所、農業技術研究所で働き、1950年から横浜国立大学の教授となった。
加藤 静一(かとう せいいち、1910年1月29日 - 19… 加藤 静一(かとう せいいち、1910年1月29日 - 1989年12月5日)は、日本の医学者(眼科学)。 岐阜県岐阜市出身。旧制第一高等学校を経て、1935年東京帝国大学医学部卒業。1943年旧制樺太医学専門学校眼科教授。1946年旧制松本医学専門学校教授、1948年旧制松本医科大学教授、1958年信州大学医学部附属病院長。1966年医学部長。1973年学長を歴任。1981年退官、同年江戸川女子短期大学学長に就任。1981年勲二等旭日重光章受章。エスペラント語の眼科教科書を出版した。
片山 信夫(かたやま のぶお、1910年1月17日 - 19… 片山 信夫(かたやま のぶお、1910年1月17日 - 1997年3月4日)は、日本の地球科学者。専門は、鉱物学・鉱床学。 1910年1月17日、東京都に生まれる。父の片山正夫(1877 - 1961)は東京帝国大学理学部化学教室教授を務めた化学者であり、液体の表面張力と温度の関係式(片山の式)で知られている。 1933年(昭和8年)に東京帝国大学理学部鉱物学科を卒業、直ちに同理学部助手となり、1938年(昭和13年)講師に昇任。1939年(昭和14年)に商工省工業技術院地質調査所(戦時中は地下資源調査所と呼ぶ)へ転任し、主に東南アジアの鉱産物資源調査・開発に従事。1946年(昭和21年)同省地質調査所(現産業技術総合研究所)勤務となる。
今井 林太郎(いまい りんたろう、1910年1月13日 - … 今井 林太郎(いまい りんたろう、1910年1月13日 - 2003年9月8日)は、日本の歴史学者、神戸大学・大手前大学名誉教授。専門は日本古代・中世史。 大阪府生まれ。大阪府立今宮中学校を卒業し、1928年第三高等学校文科に入学。同校で中村直勝の講義を受け、日本史を専攻することにする。1931年に卒業すると、京都帝国大学では三浦周行の定年退官が決まっていたこともあり、「中世に於ける社寺と社会との関係」に惹かれて平泉澄のいる東京帝国大学へ進学する。同期入学に北山茂夫、久保田収や箭内健次らがいる。卒業論文では「中世における庄園の農民」をテーマとしようと黒板勝美に相談したところ、「歴史のいろいろな記録には殆んど出てこない、そんなものを調べてみても無駄だ」という意見であったというが、黒板の承認を得て清水三男の論文「中世に於ける若狹太良莊の農民」などに学びながら、卒業論文「中世における荘民について」をまとめた。
草野 信男(くさの のぶお、1910年〈明治43年〉1月11… 草野 信男(くさの のぶお、1910年〈明治43年〉1月11日 - 2002年〈平成14年〉5月14日)は、日本の病理学者。原爆投下直後の広島を調査し、「放射能におかされた骨髄に対して医学は無力である」、そうだとすれば「この爆弾に対する対策は世界人類の良心にゆだねるほかに道はない」と考え、その後原水爆禁止運動に参加、原水爆禁止日本協議会(原水協)理事長、代表委員を務めた。 東京都出身。東京帝国大学卒業。1940年東京帝国大学附属伝染病研究所(現東京大学医科学研究所)に入り、1949年 東京大学 医学博士 博士論文は 「インフルエンザ、ヴィールスによる廿日鼡の肺病変の組織病理學的研究」。 1962年教授。
中嶋 敏(なかじま さとし、1910年1月9日 - 2007… 中嶋 敏(なかじま さとし、1910年1月9日 - 2007年6月24日)は、日本の東洋史学者。東京教育大学名誉教授。 1910年、石川県生まれ。1927年、旧制静岡県立静岡中学校卒業。1930年、旧制静岡高等学校卒業。東京帝国大学文学部東洋史学科卒業。東方文化学院研究員、民族研究所を経て、東京高等師範学校、東京教育大学教授、大東文化大学教授。東京教育大学名誉教授、東洋文庫研究員・評議員。 2007年6月24日、心筋梗塞のため死去。
中山 健男(なかやま たけお、1910年(明治43年)1月7… 中山 健男(なかやま たけお、1910年(明治43年)1月7日 - 1977年(昭和52年)10月17日)は、日本の法学者(憲法学)。法学博士(京都大学・1966年)(学位論文「国家と宗教に関する研究」)。日本法政学会理事。滋賀県出身。
久野 久(くの ひさし、1910年1月7日 - 1969年8… 久野 久(くの ひさし、1910年1月7日 - 1969年8月6日)は、日本の地球科学者。専門は、岩石学(火山岩岩石学)・火山学。理学博士。 東京府生まれ。東京帝国大学理学部地質学教室卒業。1948年東京帝国大学より理学博士の学位を取得、論文の題名は 「Petrology of Hakone volcano and the adjacent areas(箱根火山及び燐接地域の岩石学的研究)」。
野上 寿(のがみ ひさし、1910年 - 1990年10月1… 野上 寿(のがみ ひさし、1910年 - 1990年10月10日)は日本の薬学者。野上壽 の名前もある。東京大学名誉教授。専門は製剤学。
湯浅 光朝(ゆあさ みつとも、1909年12月20日-200… 湯浅 光朝(ゆあさ みつとも、1909年12月20日-2005年1月26日)は、日本の科学史学者。 福井県出身。1932年東京帝国大学理学部物理学科卒。1963年「科学における創造的活動の中心地の移動 十六世紀より二十世紀にいたる」で名古屋大学理学博士。 1936年陸軍士官学校教授、1938年陸軍気象部技師を兼任。1941年菅井準一と岩波物理学講座の歴史年表をまとめた。戦後は中央気象台に入り測器課長。 1954年神戸大学教授、1973年定年退官、名誉教授、専修大学教授。80年退職。 この間、日本科学史学会創立20周年記念事業実行委員長、学会会長を務め、「日本科学技術史大系」(全25巻,別巻1)の記念出版を成功させた。
山本 和(やまもと かのう、1909年11月28日 - 19… 山本 和(やまもと かのう、1909年11月28日 - 1995年3月8日)は、日本基督教団牧師、神学者。日本の代表的なバルト主義者。 岡山県出身。東京帝国大学経済学科卒業、日本神学校卒業。関東学院大学教授を経て、玉川大学教授。日本基督教団松山教会にて牧会。『救済史の神学』で文学博士。 日本基督教団より大東亜共栄圏に在る基督教徒に送る書翰の原案作成者である。彼はバルト神学を借用してこの使徒書簡を書いた。 大のバルト好きであった。バルトの肖像を飾り、その肖像にそっくりのパイプを買ってきてふかすほどだった。 日本キリスト教協議会編纂の『キリスト教大事典』の悪魔、救済史などを執筆。「悪魔」の項目で、キリスト教の教理としての伝統的な悪魔観を否定している。
磯部 忠正(いそべ ただまさ、1909年10月22日 - 1… 磯部 忠正(いそべ ただまさ、1909年10月22日 - 1995年7月13日)は、日本の哲学者。 兵庫県生まれ。1933年東京帝国大学文学部哲学科卒。学習院大学教授、学習院院長、名誉院長・教授。 磯部俶は弟。1987年、勲二等旭日重光章受章。1995年7月13日、腹膜炎のため死去。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
川島 武宜(かわしま たけよし、1909年〈明治42年〉10… 川島 武宜(かわしま たけよし、1909年〈明治42年〉10月17日 - 1992年〈平成4年〉5月21日)は、日本の法学者。専門は、民法・法社会学。学位は、法学博士(東京大学・論文博士・1969年)(学位論文「所有権法の理論」)。東京大学名誉教授。弁護士。1979年学士院会員、1991年文化功労者。我妻栄門下。弟子に、潮見俊隆、渡辺洋三、唄孝一、廣中俊雄、石村善助、平井宜雄、六本佳平、石田穣、淡路剛久など。 岐阜県岐阜市生まれ。啓蒙的な著作を多く著し、丸山眞男、大塚久雄とともに戦後民主主義、啓蒙主義を代表する論者。東京帝国大学教授、スタンフォード大学客員教授等を歴任。東京大学教授退官後は弁護士として活動した。
緑川 林造(みどりかわ りんぞう 1909年(明治42年)… 緑川 林造(みどりかわ りんぞう 1909年(明治42年)10月12日~1993年(平成5年)1月7日)は、日本の工学者。北海道工業大学(現・北海道科学大学)元学長。工学博士。秋田県出身。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。 この項目は、工学・技術に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(Portal:技術と産業)。
鈴木 善照(すずき よしてる、1909年 <明治42年> 1… 鈴木 善照(すずき よしてる、1909年 <明治42年> 10月8日 - 1993年 <平成5年> 8月18日)は、日本の経営者、工学博士。同和鉱業社長を務めた。位階は正四位。 千葉県出身。東京帝国大学に学ぶ。在学中は漕艇部に所属して活動。ベルリンオリンピックの漕艇競技のエイト種目では、東京帝大クルーが日本代表に選ばれたため、鈴木もその一員としてオリンピックに出場した(敗者復活戦で敗退)。鈴木はクルーのバウ(舳手)を務めた。 1936年に東京帝国大学工学部採鉱科を卒業、同年に同和鉱業に入社。1960年11月に取締役に就任し、1963年5月に常務を経て、1971年に副社長に就任し、1973年5月には社長に昇格。
北川 敏男(きたがわ としお、1909年10月3日 - 19… 北川 敏男(きたがわ としお、1909年10月3日 - 1993年3月13日)は、日本の統計数学者、情報科学者。 推測統計学、品質管理で顕著な業績を上げた。また、「情報学」、「情報科学」を提唱し、『制御』『栄存』『創造』の三座標軸を提案した。 大阪帝国大学助教授、九州大学教授、同理学部長、富士通国際情報社会科学研究所所長、日本学術会議会員、日本情報処理学会会長を歴任。理学博士。 北海道小樽市出身。1934年東京帝国大学理学部数学科卒。大阪帝国大学講師を経て、1939年九州帝国大学助教授。1943年九州帝国大学教授。1963年附属図書館長、1965年基礎情報科学研究施設長。1968年理学部長、1973年退官。
吉藤 幸朔(よしふじ こうさく、1909年 <明治42年> … 吉藤 幸朔(よしふじ こうさく、1909年 <明治42年> 9月26日 - 1995年 <平成7年> 3月11日)は、日本の法学者。元通産官僚。位階は正四位。 吉藤の主要著作である『特許法概説』は、1968年に初版が発行されたもので、実務に重点を置き、通常の法律書とやや異なる構成を採るものの、日本の特許法についての基本書とされる。以後、改訂を加えて1994年12月には第10版に達し、吉藤の没後も、熊谷健一の補訂により1998年11月発行の第13版まで刊行が続けられた。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
横山 光雄(よこやま みつお、1909年9月25日 - 20… 横山 光雄(よこやま みつお、1909年9月25日 - 2010年10月20日)は、日本の造園家、造園学者。大学教員として造園都市計画教育に関わり、他方で戦前の旧満洲国の各都市の都市計画、千里ニュータウン計画、駒沢オリンピック公園建設、旧運輸省観光支援策・離村再生・レクリエーション整備、など関与。千葉大学、東京大学、日本大学で教鞭を執る。1969年から1971年まで、日本造園学会会長を務めた。 神奈川県横浜市出身。1930年(昭和5年)、駒場時代の東京帝国大学農学部農学科に入学、丹羽鼎三の園芸第二研究室に入り、1933年(昭和8年)大学院に進学、造園学を学ぶ。 1935年(昭和10年)大学院修了後、埼玉県に2年間奉職し、また東京緑地計画協議会に関与し、東京緑地計画の立案作業に従事。
大谷 省三(おおたに せいぞう、1909年9月23日 - 1… 大谷 省三(おおたに せいぞう、1909年9月23日 - 1994年5月6日)は、日本の農業経済学者、東京農工大学名誉教授。子は大谷禎之介。 島根県出身。東京帝国大学卒。帝国農会などで日本農業の生産力構造などを研究。東京農工大学助教授。1951年、教授。1972年、退官、岐阜経済大学教授。マルクス主義農業経済学者で、1963年には農業問題研究会議の創設に加わる。日本農業経済学会会長。 1958年に大躍進政策が行われている中華人民共和国を訪問し、試験田で敷き詰められた稲の上に乗った経験から、毛沢東らが主導した「密植」の成果であると主張したが、当時の中国では他の場所で育てた苗を敷き詰めるなどの偽装が頻繁に行われていた(実際には「密植」は植物の生態を全く無視した疑似科学であり、これらの誤った農業指導が中華人民共和国大飢饉をもたらして大量の死者を出している)。
上尾 庄次郎(うえお しょうじろう、1909年9月20日 -… 上尾 庄次郎(うえお しょうじろう、1909年9月20日 - 1988年6月26日)は、日本の薬学者(天然物化学・植物塩基化学)。勲等は勲二等。学位は薬学博士(東京帝国大学・1937年)。京都大学名誉教授、静岡薬科大学名誉教授、社団法人日本薬学会名誉会員。 東京帝国大学医学部講師、京都帝国大学医学部助教授、大阪大学医学部教授、大阪大学薬学部教授、大阪大学薬学部学部長、京都大学薬学部教授、京都大学薬学部学部長、社団法人日本薬学会会頭(第36代)、武庫川女子大学薬学部教授、静岡薬科大学学長(第4代)などを歴任した。 天然物化学や植物塩基化学を専攻する薬学者である。ヒガンバナの有毒成分の研究で知られており、リコリンをはじめとするアルカロイドの構造を解明するなど、ヒガンバナ科植物塩基に関する研究では世界をリードした。
時実 利彦(ときざね としひこ、1909年9月4日 - 19… 時実 利彦(ときざね としひこ、1909年9月4日 - 1973年8月3日)は、日本の生理学者。東京大学名誉教授。専門は大脳生理学。医学博士。岡山県和気郡備前町(現備前市)生まれ。その名前を冠した時実利彦記念賞もある。 時実は、実験脳生理学の手法を日本に導入、大脳皮質の活動水準を調節し行動に至る神経活動を電気生理学的に体系づけた。 大学の恩師に橋田邦彦がいる。また数学者の岡潔と親交があり、岡の晩年は時実よりも岡の方が大脳生理学の師に近い関係であった。
細谷 俊夫(ほそや としお、1909年〈明治42年〉8月29… 細谷 俊夫(ほそや としお、1909年〈明治42年〉8月29日 - 2005年〈平成17年〉5月16日)は、日本の教育学者。 東京府北多摩郡清瀬村生まれ。旧制東京府立第六中学校、旧制浦和高等学校を経て、1932年に東京帝国大学文学部教育学科を卒業。尋常小学校の訓導を経て、1946年岡崎高等師範学校教授、名古屋大学教育学部の創設に参加、1949年名大教授。1952年東大教育学部教授、1970年定年退官、名誉教授、立教大学教授。白梅学園短期大学学長。産業技術教育を研究、日本産業教育学会理事長。1937年には教育科学研究会技術教育研究部会に参加した。 妻は入沢宗寿(教育学者)の長女。長女はコロンビア大学C・V・スター東アジア図書館司書で、牧野成一(言語学者、プリンストン大学名誉教授)の妻。
宮原 誠一(みやはら せいいち、1909年8月26日 - 1… 宮原 誠一(みやはら せいいち、1909年8月26日 - 1978年9月26日)は、日本の教育学者。東京大学名誉教授。専攻は社会教育学。彼の教育学の核心は自己教育ととしての社会教育、共同学習と相互教育の連動であり、それを簡明に論説したのが戦前の「形成と教育」(1940)、戦後の「教育の本質」(1949)や「社会教育の本質」(1949)である(山田正行『平和教育の思想と実践』同時代社、2007年、参照)。 東京生まれ。旧制水戸高校を経て東京帝国大学文学部教育学科卒業後、新興教育研究所、教育科学研究会で活動ののち、1940年法政大学講師。戦後は文部省社会教育局勤務などを経て、1953年東京大学教育学部教授。
林 太郎(はやし たろう、1909年7月28日 - 2000… 林 太郎(はやし たろう、1909年7月28日 - 2000年9月17日)は、日本の機械工学者。大阪工業大学名誉教授。工学博士(東京大学)。大阪工業大学機械工学科同窓会初代会長。空気調和・衛生工学会近畿支部元支部長。 専門は、流体機械・流体工学・熱工学、数理科学。 東京大学大学院数物系研究科(のちの工学系研究科)にて工学博士。大阪工業大学工学部機械工学科助教授として着任。機械工学教室および「熱工学・流体工学研究室」を担当し、1961年同学科教授。マサチューセッツ工科大学に留学(その間、増尾竜一・大田了介が代講)。1979年から1982年まで空気調和・衛生工学会(通称:空調学会)近畿支部支部長など歴任。
高野 務(たかの つとむ、1909年(明治42年)7月20日… 高野 務(たかの つとむ、1909年(明治42年)7月20日 - 1981年(昭和56年)8月9日)は、昭和時代の土木工学者、内務官僚、建設技監。 新潟県に生まれる。1934年(昭和9年)東京帝国大学工学部土木工学科を卒業し、富山県経済部土木課勤務、新潟県土木技師兼道路技師を経て、1940年(昭和15年)内務省土木局に奉職する。1943年(昭和18年)防空総本部技師を兼任し、終戦を経て、建設省関東地方建設局の横須賀国道改良、相模工事事務所長、京浜工事事務所長を歴任し、1952年(昭和27年)道路局国道課長に就任した。 ついで企画課長、技術参事官、中部地方建設局長、道路局長を経て、1961年(昭和36年)建設技監に就任するが、「河野旋風」のため就任から僅か9カ月で退官した。
伏見 康治(ふしみ こうじ、1909年6月29日 - 200… 伏見 康治(ふしみ こうじ、1909年6月29日 - 2008年5月8日)は、日本の物理学者(理論物理学)。名古屋大学名誉教授、大阪大学名誉教授。理学博士、日本学術会議第11期会長(1953年就任)、民主主義科学者協会メンバー。公明党参議院議員(1期)。正四位勲二等(没時)。 伏見は1909年に愛知県名古屋市で生まれ、東京で育ち、東京高等学校を経て東京帝国大学理学部物理学科に進んだ。 そして1933年に大学を卒業するとすぐに同大学理学部物理学教室で寺澤寛一教授の助手となり、翌1934年に新設の大阪帝国大学理学部物理教室に移った。大阪では友近晋教授の下に助手として就く予定であったが、友近教授がイギリスに留学したため、菊池正士教授に誘われて原子核実験に携わった。
水上 武(みなかみ たけし、1909年6月20日 - 198… 水上 武(みなかみ たけし、1909年6月20日 - 1985年9月8日)は、日本の火山学者。理学博士。東京大学名誉教授。 富山県高岡市出身。高岡信用金庫理事長を務めた水上良作の子として生まれる。東京帝国大学理学部地震学科を1934年に卒業。火山噴火予知研究等において世界的な業績を残した火山学者であり、火山物理学の権威である。中でも、東京大学地震研究所の浅間火山観測所に勤め始めて以来、浅間山の噴火予知の業績は世界的に知られる。1967年4月より東京大学地震研究所の所長を務めたが、東大紛争のため翌年に辞任。1981年日本学士院会員となった。
吉沢 忠(よしざわ ちゅう、1909年6月15日 - 198… 吉沢 忠(よしざわ ちゅう、1909年6月15日 - 1988年1月12日)は、日本の美術史学者。東京藝術大学名誉教授。日本南画研究が専門。 東京府出身。東京帝国大学卒業。東京国立博物館勤務、多摩美術大学講師、東京芸大助教授、1967年教授。1973年定年退官、名誉教授。
大野 和男(おおの かずお、1909年6月13日 -1983… 大野 和男(おおの かずお、1909年6月13日 -1983年6月2日)は、日本の建築学者・教育者で北海道大学名誉教授。北海道大学建築学科の創設に尽力、教育者として貢献するとともに、10年にわたり工学部校舎全7万平方メートルを全面増改築の設計も担当。退官後は北海道建築センターの基盤を確立し、寒冷地建築の水準向上を図るとともに、道内の建築界を主導した。 一方で1939年から1945年まで、飛行機設計技師として中島飛行機勤務した。
鈴木 朝英(すずき ともひで、1909年(明治42年)4月2… 鈴木 朝英(すずき ともひで、1909年(明治42年)4月23日 - 2000年(平成12年)9月11日)は、日本の教育学者。北海道大学名誉教授、元市立名寄短期大学学長。位階は正四位。 埼玉県熊谷市出身。1933年(昭和8年)東京帝国大学文学部卒業。同文学部助手。東京府豊島師範学校(現東京学芸大学)助教授。同教授を経て、1948年北海道大学教育学部助教授、1950年同教育学部教授。1973年(昭和48年)北海道大学停年退官。同名誉教授。市立名寄短期大学学長に就任。1977年(昭和52年)市立名寄短期大学退官。札幌商科大学人文学部人間科学科招聘教授(~1983年(昭和58年))。2000年死去。死没日付をもって正四位に叙された。
勝又 俊教(かつまた しゅんぎょう、1909年4月22日 -… 勝又 俊教(かつまた しゅんぎょう、1909年4月22日 - 1994年2月18日)は、日本の学僧・仏教学者。大正大学名誉教授。 1909年、新潟県で生まれた。東京大学文学部印度哲学科で学び、修了。 東洋大学教授。大正大学教授。1960年、学位論文『仏教における心識説の研究』を東洋大学に提出して文学博士号を取得。1978年、第22代大正大学学長に就任。同大学を退職し、名誉教授となった。 宗門においては、真言宗豊山派総本山長谷寺第79世能化。真言宗長者。千葉市広徳院住職。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
安井 琢磨(やすい たくま、1909年4月1日 - 1995… 安井 琢磨(やすい たくま、1909年4月1日 - 1995年12月17日)は、日本の経済学者、大阪大学名誉教授、東北大学名誉教授。経済学博士(1953年)。大阪府大阪市生まれ。
檜山 義夫(桧山 義夫、ひやま よしお、1909年(明治42… 檜山 義夫(桧山 義夫、ひやま よしお、1909年(明治42年)4月1日 - 1988年(昭和63年)7月21日)は、日本の水産学者。 東京出身。父は檜山鉄三郎、祖父は檜山金平。東京帝国大学農学部卒。1948年(昭和23年)「硬骨魚の新生殖法」で東大農学博士。1949年(昭和24年)東大農学部教授。1969年(昭和44年)定年退官、名誉教授。魚類生態学、漁業学、水産資源学。核実験による水産生物の放射能汚染を調査した。釣りや外国旅行に関する著作、子供向けの著作もある。 1951年(昭和26年)4月6日には、皇居に招かれ科学委員会合に出席。昭和天皇及び出席した委員を前に水産学概論、漁労論を進講する。
秋山 博(あきやま ひろし、1909年3月15日 - 199… 秋山 博(あきやま ひろし、1909年3月15日 - 1990年4月11日)は、日本の電気工学・半導体物理学者。工学博士。大阪工業大学名誉教授。元電気工学教室担当。 専門は、半導体物理学・電磁気学。 愛媛県今治市出身。東京帝国大学工学部卒業。1950年大阪工業大学工学部電気工学科に着任し、電気工学教室を担当。その後、同学部電気工学科教授を経て、1973年大阪工業大学名誉教授。 大阪工業大学工学部電気工学科にて20年以上の長きに渡り教鞭を執り、大学初期の半導体物理学(のちの半導体工学)・電磁気学の研究育成に貢献した。 主な所属学会は、電気学会、日本物理学会、応用物理学会など。
菊池 真一(きくち・しんいち、1909年3月15日 - 19… 菊池 真一(きくち・しんいち、1909年3月15日 - 1997年2月15日)は、応用化学・物理化学・電気化学、特に写真化学の化学者である。東京写真大学(東京工芸大学)の学長として著名なほか、写真界において天然色写真の研究者(日本写真協会会長)、またフランス語学者として「仏和理工学辞典」の編纂に携わり、日仏理工科会の功労者・日仏工業技術会設立者(1954年設立)としても著名であり、新制の「東京工芸大学」の工学部と短期大学部の綜合化と同学部の芸術学部化の発展功労者でもある。 愛媛県出身。暁星中学校・高等学校卒、アテネ・フランセ卒。東京帝国大学工学部応用化学科を1933年卒。東京帝国大学大学院工学研究科応用化学専攻修士課程を1936年卒。
北山 茂夫(きたやま しげお、1909年(明治42年)3月3… 北山 茂夫(きたやま しげお、1909年(明治42年)3月3日 - 1984年(昭和59年)1月30日)は、日本の日本史学者(日本古代史専攻)、立命館大学教授などを歴任する。 和歌山県有田郡鳥屋城村(現在の有田川町)生まれ。和歌山県立耐久中学校、第三高等学校をへて、1934年東京帝国大学文学部国史学科卒業。西洋史の羽仁五郎に傾倒し、近代史を学ぶため大学院に進むが古代史で業績をあげる。横浜の潤光学園講師、ついで郷里に帰り和歌山県立田辺中学校教諭となり、敗戦を迎える。戦後、排斥運動に遭って野に下るが、立命館大学法学部専任講師となり、文学部教授に転じるが学生運動で辞職した。 左翼的な立場に立ちつつ文学的関心が深く、人物史を排斥せず、一般向けに奈良時代史についての書物を多く著した。