野中 千恵子(のなか ちえこ、1938年 - )は、日本の翻… 野中 千恵子(のなか ちえこ、1938年 - )は、日本の翻訳家。 1961年、東京外国語大学英米科卒業。
東京外国語大学:753人
野中 千恵子(のなか ちえこ、1938年 - )は、日本の翻… 野中 千恵子(のなか ちえこ、1938年 - )は、日本の翻訳家。 1961年、東京外国語大学英米科卒業。
山田 侑平(やまだ ゆうへい、1938年 - )は、ジャーナ… 山田 侑平(やまだ ゆうへい、1938年 - )は、ジャーナリスト、翻訳家、人間総合科学大学名誉教授。長野県出身。長野県諏訪清陵高等学校を経て、東京外国語大学中国語科卒業。共同通信記者となり、ニューヨーク支局員、ブリュッセル支局長など。2000年、人間総合科学大学教授。09年定年、名誉教授。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・作詞家・作家・放送作家・随筆家(コラムニスト)・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ:作家)。
北山 克彦(きたやま かつひこ、1937年12月13日 - … 北山 克彦(きたやま かつひこ、1937年12月13日 - )は、日本のアメリカ文学者、翻訳家。立教大学名誉教授。 大阪府生まれ。東京外国語大学英米科卒、東京都立大学 (1949-2011)大学院修士課程修了、東京商船大学助教授、立教大学一般教育部助教授、観光学部教授、2003年定年、名誉教授。 現代アメリカ文学、特にレイ・ブラッドベリの翻訳で知られる。
小平 武(こだいら たけし、1937年12月13日 - 19… 小平 武(こだいら たけし、1937年12月13日 - 1992年3月23日)は、日本のロシア文学者、比較文学研究者、翻訳家。元北海道大学教授。 東京出身。東京外国語大学外国語学部ロシア語学科卒業、東京大学大学院比較文化研究科修士課程修了。北海道大学言語文化部ロシア語科を経て、北海道大学教授。 ロシア・ソヴィエトの詩と演劇を専門とし、ロシア文学関係の仕事としては、マヤコフスキーやチェーホフを論じたほか、アレクサンドル・ブローク、アンドレーエフの作品を翻訳・紹介し、比較文学関係では、夏目漱石、志賀直哉、宇野浩二に関する著作を発表した。 1975年に札幌のロシア研究者たちと共に、同人雑誌「えうゐ ロシアの文学・思想」を創刊し、創刊号から第二十号まで17年間編集を担当する。
内田 吉彦(うちだ よしひこ、1937年11月24日 - )… 内田 吉彦(うちだ よしひこ、1937年11月24日 - )は、日本のスペイン・ラテンアメリカ文学者、翻訳家。フェリス女学院大学名誉教授。 埼玉県生まれ。1962年東京外国語大学スペイン語科卒業、同大学院中退、1979年東海大学助教授、1986年中京大学教授、1990年フェリス女学院大学教授、2008年定年退任、名誉教授。 1994年会田由賞受賞。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
清水 慎次郎(しみず しんじろう、1937年11月24日 -… 清水 慎次郎(しみず しんじろう、1937年11月24日 - 2013年5月30日)は、日本の実業家。第9代目三井物産社長。台湾新幹線の受注を実現させたほか、IT(情報技術)、物流、金融など新事業に本格参入するなど商社のビジネス範囲を広げた。2002年、国後島のディーゼル発電施設の不正入札事件などの責任を取り、社長辞任。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
松島 利行(まつしま としゆき、1937年11月11日 - … 松島 利行(まつしま としゆき、1937年11月11日 - 2018年5月11日)は、日本の映画評論家。三留まゆみは妻。 東京生まれ。東京外国語大学フランス語学科卒業後、毎日新聞社に入社。『サンデー毎日』編集部を経て、1979年2月より正式に毎日新聞の映画担当記者となる。その後、毎日新聞の映画・囲碁担当の編集委員も務めた。 日活芸術学院講師。文化庁芸術祭賞、毎日映画コンクール、キネマ旬報などの審査選定委員を務める。 2018年5月11日、心不全のため死去。80歳没。
堀内 敏宏(ほりうち としひろ、1937年10月26日 - … 堀内 敏宏(ほりうち としひろ、1937年10月26日 - )は、日本のジャーナリスト。 長野県諏訪郡原村出身。長野県諏訪清陵高等学校を経て、1960年東京外国語大学英米科卒業、NHK入局。ニューヨーク特派員、ジュネーヴ支局長、ウイークエンド中部初代キャスター、外信部長、解説主幹を歴任。1994年退職後は小平市教育委員長を務めた。2014年から諏訪郷友会理事長。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
西江 雅之(にしえ まさゆき、1937年10月23日 - 2… 西江 雅之(にしえ まさゆき、1937年10月23日 - 2015年6月14日)は、日本の文化人類学者、言語学者。アフリカ諸語・文化研究が専門。 東京都出身。桑沢デザイン研究所ゼミマスター、東京外国語大学助教授、早稲田大学文学部教授を歴任。アフリカ諸語やピジン・クレオール語の研究の先駆者。23歳のとき日本で初めてスワヒリ語文法を発表した。東アフリカ、インド洋諸島、カリブ海領域の現地調査・研究に勤しんだ。著書に『ことばを追って』(1989年)、『異郷日記』(2008年)、『食べる』(2010年)など。 西江定(のち早稲田大学英語英文学科教授となる)の三男として東京市本郷区駒込林町(現:東京都文京区千駄木)に生まれる。
藤田 博司(ふじた ひろし、1937年9月12日 - 201… 藤田 博司(ふじた ひろし、1937年9月12日 - 2014年10月5日)は、日本のジャーナリスト。 香川県生まれ。1961年東京外国語大学英米科卒、共同通信社入社。 外国駐在特派員としてサイゴン支局(南ベトナム)、ニューヨーク支局(アメリカ合衆国)で取材活動を行い、またニューヨーク支局長とワシントン支局長をそれぞれ務めた。また、共同通信本社では外信部次長、論説委員、論説副委員長を務めている。 1995年に上智大学文学部新聞学科教授に就任し、2005年に退任した。 妻は藤田文子・津田塾大学名誉教授。 2014年10月5日、急性心不全により死去。77歳没。
阿部 美哉(あべ よしや、1937年3月18日 - 2003… 阿部 美哉(あべ よしや、1937年3月18日 - 2003年12月1日)は、日本の宗教学者。元國學院大學学長。比較文化、宗教論専攻。大学論に関する業績もある。 大阪府出身。都立日比谷高校を経て、1959年に東京外国語大学卒業、東京大学文学部に学士入学、1961年同卒業。東京大学大学院人文社会系研究科宗教学専攻修士課程を修了後、1964年からフルブライト奨学生としてクレアモント大学大学院に留学し、博士課程を修了(Doctor of Philosophy)。1968年からウィスコンシン大学オークレア校助教授。日本学術振興会・文化庁・文部省放送教育開発センター教授・放送大学教授・愛知学院大学教授を経て、1994年から國學院大學文学部教授、1999年より國學院大學学長。
田中 宏(たなか ひろし、1937年2月9日 - )は、日本… 田中 宏(たなか ひろし、1937年2月9日 - )は、日本の経済史者。一橋大学名誉教授、龍谷大学安重根東洋平和研究センター客員研究員。定住外国人の地方参政権を実現させる日・韓・在日ネットワーク共同代表。東京弁護士会人権賞、日本平和学会平和研究奨励賞受賞。 在日韓国人の参政権を実現するため、内海愛子らと定住外国人の地方参政権を実現させる日・韓・在日ネットワークを結成して共同代表になる。在日本大韓民国民団などと協力して積極的に活動をしている。2004年3月に東京弁護士会から活動を認められ、東京弁護士会人権賞を受賞。2017年には第6回日本平和学会平和研究奨励賞を受賞。日本による対韓輸出優遇撤廃に反対する、<声明>「韓国は「敵」なのか」呼びかけ人の1人。
藤原 作弥(ふじわら さくや、1937年1月14日 - 20… 藤原 作弥(ふじわら さくや、1937年1月14日 - 2025年10月17日)は、日本のジャーナリスト、エッセイスト、ノンフィクション作家。時事通信社解説委員長、日本銀行副総裁、日立総合計画研究所社長などを務めた。 宮城県仙台市生まれ。1942年、言語学者の父に従って朝鮮の清津へ移住する。1944年、満洲の興安街に転居するが、1945年ソ連軍による侵攻の9時間前に脱出。安東で生活した後、1946年11月に帰国。 宮城県仙台第一高等学校を経て、1962年東京外国語大学フランス語科卒、時事通信社に入社。経済部記者として大蔵省担当。1967年よりオタワ[要出典]、ワシントン特派員。以後、日本銀行、経団連、外務省などの担当を経て、編集委員[要出典]、解説委員、解説委員長を歴任。
田中 敏雄(たなか としお、1937年 - )は、日本の文学… 田中 敏雄(たなか としお、1937年 - )は、日本の文学研究者。東京外国語大学名誉教授。専門は現代ヒンディー文学。 東京都生まれ。東京外国語大学ヒンディー語専攻卒業後、インド・デリー大学に留学。帰国後は東京外国語大学にて教鞭を執り、ヒンディー文学の研究と教育に従事した。 2000年3月に東京外国語大学を退職し、名誉教授の称号を受ける。その後、麗沢大学および恵泉女学園大学で非常勤講師を務めた。 現代ヒンディー文学を中心に、インドの言語文化、非暴力運動(サッティヤーグラハ)などに関する研究を行った。 代表的な著作に『南アフリカでのサッティヤーグラハの歴史 1 非暴力不服従運動の誕生』(東洋文庫)などがある。
左近 毅(さこん たけし、1936年11月25日 - 200… 左近 毅(さこん たけし、1936年11月25日 - 2002年1月4日)は、日本の歴史学者。専門はロシア文化史、思想史。大阪市立大学名誉教授。 1936年東京生まれ。1956年3月東京都立国立高等学校を卒業後、1957年4月東京外国語大学ロシア科に入学。1962年3月同大学同科を卒業後、同年4月一橋大学大学院社会学研究科社会学専攻修士課程に入学。一橋大学では金子幸彦に師事した。1967年3月に同修士課程を修了(社会学修士)。 修学後は、社団法人流通問題研究協会研究員(1967年6月 - 1969年10月)、群馬工業高等専門学校教養学科専任講師(ロシア語・英語担当、1969年10月 - 1974年3月)・助教授(1974年4月 - 1976年3月)を経て、1976年4月大阪市立大学文学部助教授に就いた。
伊東 守男(いとう もりお、1936年10月12日 - 19… 伊東 守男(いとう もりお、1936年10月12日 - 1994年)は、日本のフランス文学翻訳家。本名・遠山方雄。 東京都出身。1958年(昭和33年)東京外国語大学ロシア語科卒業、NHKで国際報道番組を制作。ジョルジュ・バタイユ、ボリス・ヴィアンなどを訳した。 祖父は陸軍少将の遠山規方(秋田藩士)。 ※全集4は岡村孝一訳、全集6は滝田文彦訳、全集7, 11, 12, 13は長島良三訳 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・作詞家・作家・放送作家・随筆家(コラムニスト)・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ:作家)。
竹内 修司(たけうち しゅうじ、1936年9月5日 - )は… 竹内 修司(たけうち しゅうじ、1936年9月5日 - )は、日本の元編集者・ジャーナリスト。八戸ペンクラブ顧問。 北海道函館市生まれ。1946年台湾より引揚げて父の郷里青森県弘前市和徳町へ。翌年母の郷里八戸市六日町へ移り、1955年八戸高等学校卒業(高七回生)。アルビオン英語学校一期生として中高5年間薫陶を受けた漆山終吉校長の母校でもある東京外国語大学英文学科を卒業。 1959年2月に文藝春秋新社(のちの株式会社文藝春秋)に入社。雑誌「週刊文春」月刊「文藝春秋」「文學界」の編集や、出版部で書籍編集に携わる。1977~79年「諸君!」編集長ののち、出版局長、編集局長、営業局長、総務局長、常務取締役を経て2000年6月退任。
金山宣夫(かなやま のぶお、1936年8月4日 - )は、同… 金山宣夫(かなやま のぶお、1936年8月4日 - )は、同時通訳の先駆者、国際適応学・異文化社会学の提唱者、多くの企業での国際適応訓練の指導者、文明評論家、元東洋学園大学人文・経営両学部教授。 金山宣夫公式ホームページより記載 ※金山宣夫公式ホームページより記載 ※金山宣夫公式ホームページより記載 ※金山宣夫公式ホームページより記載 ☆上記以外の英文著作 ※金山宣夫公式ホームページより記載 'Corporate Dynamuseum', in Shushoku Janaru, August 〜November 1979,May〜June 1980, Nihon Rikuruto Senta ※金山宣夫公式ホームページより記載 ※金山宣夫公式ホームページより記載 アジア・オセアニア編(基本的な注意点の指摘、担当部分5頁/236頁)、アメリカ・カナダ編(基本的な注意点の指摘、担当部分15頁/218頁)、1974〜75年、日本航空(ダイヤモンド社編) ※金山宣夫公式ホームページより記載 (連載分だけを記し、別記ないものは月刊) ※金山宣夫公式ホームページより記載 アンケートやインタビューによる国際調査(+印はその他の方法による近年の調査) ※金山宣夫公式ホームページより記載 ※金山宣夫公式ホームページより記載 ※金山宣夫公式ホームページより記載 ※金山宣夫公式ホームページより記載 (*印は5回以上訪問) ※金山宣夫公式ホームページより記載 ※金山宣夫公式ホームページより記載 金山宣夫公式ホームページより記載
伴野 朗(ともの ろう、1936年7月16日 - 2004年… 伴野 朗(ともの ろう、1936年7月16日 - 2004年2月27日)は、日本の小説家・推理作家・歴史作家。 愛媛県松山市生まれ。1954年、愛媛県立松山北高等学校卒業。1960年、東京外国語大学中国語学科卒業。 1962年、朝日新聞社入社。朝日新聞秋田支局を振り出しに、外報部、インドシナ特派員などを経て上海支局長を務めるかたわら、執筆活動を並行した。1976年、『五十万年の死角』で第22回江戸川乱歩賞を受賞。 1983年、日本冒険作家クラブの創設の発起人の一人となる。(同クラブの代表幹事をつとめたことがある ) 1984年、『傷ついた野獣』で第38回日本推理作家協会賞受賞。 1989年、朝日新聞社を退社。
中嶋 嶺雄(なかじま みねお、1936年5月11日 - 20… 中嶋 嶺雄(なかじま みねお、1936年5月11日 - 2013年2月14日)は、日本の政治学者、国際社会学者。社会学博士。専門は現代中国政治。東京外国語大学学長、同大学名誉教授、国際教養大学学長、公立大学法人国際教養大学理事長をそれぞれ務めた。位階は従三位。 長野県松本市生まれ。長野県松本深志高等学校を経て、東京外国語大学外国語学部中国科を経て、東京大学大学院社会学研究科国際関係論修士課程修了、博士課程中退。1980年、社会学博士。 中華人民共和国時代の中国についての先駆的な研究者として知られ、文化大革命に対する批判など現代中国への冷徹な認識で知られる。東京外国語大学名誉教授(1995年から2001年まで学長)、元北九州市立大学大学院教授。
榎本 英雄(えのもと ひでお、1936年4月6日 - )は、… 榎本 英雄(えのもと ひでお、1936年4月6日 - )は、日本の中国語学者、明治学院大学名誉教授。 東京生まれ。1960年東京外国語大学中国語科卒業。1979~1981年上海復旦大学に研究留学。明治学院大学助教授を経て、教授、2016年定年、名誉教授。1981~2001年「NHKテレビ中国語会話」講師。2004年10月~2005年3月「NHKテレビ中国語講座」担当。
村上 博基(むらかみ ひろき、1936年3月24日 - 20… 村上 博基(むらかみ ひろき、1936年3月24日 - 2016年4月30日)は、日本の翻訳家。主に英米文学を翻訳した。 愛知県生まれ。1957年東京外国語大学ドイツ語学科卒。 はじめ映画字幕翻訳の仕事をし、1970年より書籍翻訳を始める。推理・冒険ものを主として訳し、ジョン・ル・カレの作品を多く訳している。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
武藤 脩二(むとう しゅうじ、1936年3月8日 - )は、… 武藤 脩二(むとう しゅうじ、1936年3月8日 - )は、日本のアメリカ文学者、中央大学名誉教授。 東京生まれ。1958年東京外国語大学英米科卒業。1963年東京都立大学 (1949-2011)大学院人文科学研究科博士課程満期退学、実践女子大学英文科専任講師、1967年助教授、1970年中央大学文学部助教授、1977年教授、1980年『言語の都市』の翻訳で佐伯彰一とともに日本翻訳文化賞受賞。2006年定年退任、名誉教授。
細野 豊(ほその ゆたか、1936年2月13日-2020年1… 細野 豊(ほその ゆたか、1936年2月13日-2020年12月10日)は、日本の詩人・翻訳家。 神奈川県横浜市生まれ。東京外国語大学スペイン語科卒。メキシコ、ブラジル、ボリビアに17年滞在、南米の詩人を翻訳する。2013-15年日本詩人クラブ会長。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
権田 萬治(ごんだ まんじ、1936年2月2日 - )は、日… 権田 萬治(ごんだ まんじ、1936年2月2日 - )は、日本の推理小説評論家。
志水 速雄(しみず はやお、1935年9月15日 - 198… 志水 速雄(しみず はやお、1935年9月15日 - 1985年3月24日)は、日本の政治学者。専門は、ロシア政治論。愛知県名古屋市生まれ。 1961年東京外国語大学外国語学部ロシア科卒業。1969年明治大学大学院修了。明治大学講師、東京外国語大学教授を務めた。 1960年の安保闘争時に全学連国際部長を務め、筋金入りの闘士だった。巣鴨を出たあとは清水幾太郎(当時、学習院大学教授)の現代思想研究会に入ったが思想上(政治信条)の整理がつけられず、明治大学大学院で5年間、ソ連関連と政治学を研究。後半生は対ソ警戒論を論じた。
岩城 雄次郎(いわき ゆうじろう、1935年9月9日 - 2… 岩城 雄次郎(いわき ゆうじろう、1935年9月9日 - 2023年3月3日)は、日本のタイ文学者、翻訳家、小説家、詩人。 東京生まれ。東京外国語大学タイ語科で松山納にタイ語を学び、1960年卒業後は高校の英語教師となり、1964年始めてタイを訪れる。1970年タイのチュラロンコーン大学客員講師を1977年まで、1978年東京外国語大学非常勤講師となり1985年まで、1987年産能短期大学教授、日本ペンクラブ会員(国際委員)、日本翻訳家協会理事、1995年短大を辞任し文筆に専念し、日・タイ文学者交流センター主宰、2003年より外務省研修所タイ語非常勤講師。 タイ文学の翻訳・紹介に努め、1994年タイ文化功労章受章、2007年タイのメーホンソーン県クンユワム中高等学校の生徒を対象に、岩城雄次郎文学賞を創設。
田畑 光永(たばた みつなが、1935年8月29日 - )は… 田畑 光永(たばた みつなが、1935年8月29日 - )は、日本のジャーナリスト。キャスト・プラス所属。
田所 竹彦(たどころ たけひこ、1935年8月6日 - 20… 田所 竹彦(たどころ たけひこ、1935年8月6日 - 2013年8月14日)は、日本のジャーナリスト、中国評論家。
近藤 豊(こんどう ゆたか、1935年7月15日 - )は、… 近藤 豊(こんどう ゆたか、1935年7月15日 - )は、日本の政治家、外務官僚。元衆議院議員(4期)。 愛知県豊川市出身。1957年、外交官領事官採用試験合格。1958年、東京外国語大学スペイン語科卒業。同年、外務省に入省。アルゼンチン、オランダ、韓国の日本大使館に勤務する。1978年に退官。 1979年の第35回総選挙に旧愛知5区から無所属(公明党・民社党・新自由クラブ・社民連推薦)で立候補して初当選。民社党との統一会派「国民連合」に加入した。以後、1980年の総選挙も、1983年の総選挙も無所属で立候補し当選を果たした。後に会派離脱した。 1986年6月の第38回総選挙では自民党公認で立候補し、落選。
森田 稔(もりた みのる、1935年6月19日 - )は、日… 森田 稔(もりた みのる、1935年6月19日 - )は、日本のロシア音楽研究者、宮城教育大学名誉教授。 満州国奉天市(現中国瀋陽市)生まれ。東京外国語大学ロシヤ語科、東京藝術大学楽理科卒業。東京都立高校教諭、弘前大学講師、宮城教育大学助教授、教授を務め2001年定年退官。2015年春の叙勲で瑞宝中綬章受章。
中川 十郎(なかがわ じゅうろう、1935年(昭和10年)6… 中川 十郎(なかがわ じゅうろう、1935年(昭和10年)6月5日 - )は、日本の経営学者、元東京経済大学経営学部教授。日本ビジネスインテリジェンス協会の会長。 2.元総合商社駐在員・中川十郎氏の履歴書・ニューヨーク編(1) 3.元総合商社駐在員・中川十郎氏の履歴書(1)国際情報戦で日本車1,600台受注
川田忠樹(かわだ ただき、1935年5月2日- 2022年1… 川田忠樹(かわだ ただき、1935年5月2日- 2022年10月24日)は、橋梁研究者、川田テクノロジーズ相談役。 富山県福野町に、川田工業社長・会長を歴任した川田忠雄の子として生まれる。富山県立福野高等学校卒、東京外国語大学卒。 1958年3月、川田工業株式会社に入社。 1971年から2017年までプレビーム振興会会長。 1977年6月、川田工業株式会社 代表取締役社長に就任。 1996年6月、川田工業株式会社 代表取締役会長に就任。 2001年から2005年まで財団法人富山県経営者協会会長。 2002年「近代吊橋における二律背反相克の歴史 経済性と剛性」で東京大学工学博士。 2010年6月、川田工業株式会社 相談役に就任。
清水 廣一郎(しみず こういちろう、1935年4月2日- 1… 清水 廣一郎(しみず こういちろう、1935年4月2日- 1988年4月29日)は、日本の歴史学者、イタリア史研究者。専攻はイタリア中世社会経済史。元一橋大学経済学部教授。サントリー学芸賞受賞。 東京府生まれ。東京外国語大学外国語学部イタリア語科卒業、一橋大学大学院社会学研究科博士課程修了。増田四郎門下。東京教育大学文学部講師、同助教授、広島大学総合科学部助教授、同教授、東京都立大学人文学部教授。1982年『中世イタリア商人の世界』でサントリー学芸賞受賞。その後一橋大学経済学部教授。在職中に死去し正五位。 『中世イタリア商人の世界』では、ジョヴァンニ・ヴィッラーニの生涯とその著書『新年代記』(en:Nuova Cronica)を通し、イタリア商人たちの世界を論じた。
向一陽(むこう いちよう、1935年1月22日- )は、日本… 向一陽(むこう いちよう、1935年1月22日- )は、日本のジャーナリスト、探検家。 佐賀県唐津市生まれ。1960年東京外国語大学英米科卒業、共同通信社入社。社会部長、論説委員兼編集委員などをへて95年退社。日本記者クラブ会員。日本山岳会会員。1973-76年奥アマゾン探検隊隊長ほか、アンデス、南極、北極、アラスカ、オセアニア、ミクロネシア、ヒマラヤ、アジア各地で探検、登山、取材をした。
中澤 孝之(なかざわ たかゆき、1935年1月 - )は、日… 中澤 孝之(なかざわ たかゆき、1935年1月 - )は、日本のジャーナリスト、ロシア・ソ連研究家。 大連市生まれ。長野県南佐久郡佐久穂町に育つ。長野県野沢北高等学校を経て、東京外国語大学ロシア語科国際関係課程卒業。時事通信社入社、本社経済部記者、シンガポール、クアラルンプール、モスクワ特派員、モスクワ支局長、外信部次長、整理部次長、外信部長、県立新潟女子短期大学国際教養学科教授、長岡短期大学教授、長岡大学産業経営学部教授などを務めた。モスクワ勤務の期間は通算9年強。妻幸子(ゆきこ)との間に3人の子供がいる。長男は「なかざわひでゆき」の名前で、映画と音楽の評論執筆活動を行う(http://angeleyes.dee.cc/)かたわら、随時、TVチャンネル「WOWOWプライム」の木曜夕方の番組「ザ・プライムショー」に出演中。
小川 尚克(おがわ なおき、1935年 - )は日本の翻訳家… 小川 尚克(おがわ なおき、1935年 - )は日本の翻訳家。ポルトガル文学の翻訳家であり、エッサ・デ・ケイロスやカミロ・カステロ・ブランコ(en)などの作品の翻訳を手がけた。 長野県塩尻市に生まれる。東京外国語大学を1961年(昭和36年)に卒業し、ポルトガル科を専攻していた。
水上 峰雄(みずかみ みねお、1935年 - 1996年)は… 水上 峰雄(みずかみ みねお、1935年 - 1996年)は、日本の翻訳家。 大阪生まれ。東京外国語大学英語科卒。AP通信社、研究社勤務ののち、足利工業大学助教授、教授。 英語圏のサスペンス小説などを訳した。
越智 敬(おち たかし、1934年10月30日 - 2010… 越智 敬(おち たかし、1934年10月30日 - 2010年11月14日)は、日本出身のドイツで活躍したマンドリン奏者、作曲家。 愛媛県今治市生まれ。13歳の時からマンドリンを始めた。1954年、東京外国語大学に入学してイタリア語や英語などを学び、そのかたわら比留間きぬ子のプライベートスクールでマンドリンとギターを学んだ。大学卒業後の数年間、同スクールでマンドリンとギターの講師を務め、いくつかの団体にソリストとして参加したりテレビ・ラジオの録音の活動を行った。 1961年、ジークフリート・ベーレントの招きでドイツに渡り、ザールラント州ザールルイに居を構え、いくつかの音楽学校でフリーランスの教師を務め、ドイツマンドリン連盟の講師として活動した。
宮崎 晃(みやざき あきら、1934年10月27日 - 20… 宮崎 晃(みやざき あきら、1934年10月27日 - 2018年11月25日)は、日本の映画監督、脚本家。東京市(現東京都)荒川区出身。 1934年、東京市荒川区日暮里に生まれる。東京都立北園高等学校を卒業後、出版社で働くかたわら新劇の演出家を志す。4年間の社会人生活の後、東京外国語大学ロシア語科へ入学。 1961年、大学卒業と同時に松竹大船撮影所の助監督試験に合格して入社。野村芳太郎や山田洋次の助監督を務める。山田作品の多くでは脚本も共同執筆、『男はつらいよ』シリーズにも第2~6作、第11作に参加した。1971年、「泣いてたまるか」で監督デビュー。1975年、戯曲『青い鳥』をベースにした『想い出のかたすみに』監督。
三輪晴啓(みわ はるひろ、1934年9月4日- )は、日本の… 三輪晴啓(みわ はるひろ、1934年9月4日- )は、日本のジャーナリスト、国際政治学者。 愛知県出身。1959年東京外国語大学ドイツ語科卒、NHK勤務、報道局・国際局プロデューサー、報道ネットワーク専門委員をへて、駒沢女子大学教授となり、2004年退職。東西ドイツ統一を報道、研究した。
戸部 実之(とべ みゆき、1934年6月27日- )は、日本… 戸部 実之(とべ みゆき、1934年6月27日- )は、日本の語学書ライター、教育者(大学教授)。 岐阜県出身。東京外国語大学英米学科卒。NHK国際局報道部、東海大学外国語教育センター教授を歴任。 1986年から1998年までの間に、泰流社(1998年に廃業)から文法書や辞書などの語学書を出版していた。語学書の対象とした言語は非常に多く、アラビア語やイタリア語といったメジャーな言語はもとより、ミウォク語やパパゴ語(英語版)といったマイナーな言語までカバーしていた。これらの語学書の出版点数は、1998年には83点を数えるに至ったが、同年の泰流社の廃業により出版元を失って以降は出版されていない。そのほか、評論社から国木田独歩や二葉亭四迷の作品の英訳を出版した。
田中 克彦(たなか かつひこ、1934年6月3日 - )は、… 田中 克彦(たなか かつひこ、1934年6月3日 - )は、日本の言語学者。専門は社会言語学。モンゴル研究も行う。言語と国家の関係を研究。国際言語として日本語の漢字を批判。一橋大学名誉教授。2009年モンゴル国北極星勲章受章。著書に『言語からみた民族と国家』(1978年)、『名前と人間』(1996年)、『ことばとは何か』(2004年)など。 兵庫県養父郡八鹿町(現養父市)生まれ。兵庫県立八鹿高等学校を経て、1953年、東京都立戸山高等学校卒業。1956年11月、草創期の言語学研究会運営委員となる。1957年、東京外国語大学外国語学部第六部第二類(モンゴル語学)を卒業。同年東京外国語大学言語学研究室副手となる。
松井 やより(まつい やより、1934年4月12日 - 20… 松井 やより(まつい やより、1934年4月12日 - 2002年12月27日)は、日本のジャーナリスト、フェミニスト、元朝日新聞編集委員。本名は松井耶依。 京都府出身。父の平山照次、母の秋子はともに牧師で、東京都渋谷区に東京山手教会を創立した。本名の「耶依」もキリスト教に由来する。父親の平山照次は反核団体原水爆禁止日本協議会(原水協)がまだ共産党の影響力が強くなかった頃に、その常任理事を務め、日本キリスト教婦人矯風会に禁酒運動から平和運動へ活動範囲を広げるよう提言した。松井やよりの弟である平山基生は、平山照次とは逆に無神論者となる日本共産党員で、反米軍基地活動家。 青山学院中等部・高等部を経て、1961年に東京外国語大学外国語学部英米科を卒業し、朝日新聞社に入社。
小林 一喜(こばやし かずよし、1934年(昭和9年)4月1… 小林 一喜(こばやし かずよし、1934年(昭和9年)4月10日 - 1991年(平成3年)2月19日)は、日本のジャーナリスト。朝日新聞編集委員、ニュースステーションコメンテーター。栃木県出身。 ニュースステーションのスタートに際し、小林にコメンテーターの白羽の矢を立てたのはテレビ朝日の小田久栄門だった。コメンテーター役を選ぶにあたって、まず朝日新聞社長の中江利忠から経歴や写真、当人の書いたものなどを見せてもらい、数十人の候補者のなかから5人に絞ったが、そこから先がなかなか進まなかった。そこで、小田は中江に本物の人物を見せてくださいと頼んで、論説室や編集委員室にさりげなく足を運び、狙いをつけたのが小林だった。
上前 淳一郎(うえまえ じゅんいちろう、1934年(昭和9年… 上前 淳一郎(うえまえ じゅんいちろう、1934年(昭和9年)3月31日 - )は、日本の評論家、ノンフィクション作家、エッセイスト。 岐阜県生まれ。1959年、東京外国語大学英米科を卒業後、朝日新聞社に入社。通信部、社会部記者を経て、1966年退社。以後、評論家として活動。 1976年に上梓した太平洋戦争中、ハワイの捕虜収容所で対日降伏勧告ビラ作製に協力した捕虜たちの足跡を追った『太平洋の生還者』で、日本ノンフィクション賞、大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。『週刊文春』に1984年から2002年まで「読むクスリ」を長期連載。古荘多聞の名で小説を一作だけ書いている。2002年以降、著述は途絶えている。
山中 央(やまなか おう、1934年1月 - 2003年1月… 山中 央(やまなか おう、1934年1月 - 2003年1月6日)は、日本のジャーナリスト。本名、江上茂。 東京生まれ。1956年、東京外国語大学英米語科卒業。ニッポン放送に入社し、報道部に勤務。1964年、東京12チャンネル(現在のテレビ東京)に転じ、報道部やスポーツ局に勤務。差別用語に対する規制問題への関心から、テレビ東京報道部では自主的に「放送用語集」を作成。1966年から1970年まで所属労働組合の書記長を務め、1970年から1974年まで民放労連常任中央執行委員を務めた。1991年にテレビ東京を定年退職。 テレビ局在職中から差別用語の問題を研究。差別用語辞典の完成を目指していたが、1995年に虎ノ門病院で食道癌の手術を受ける。
伊藤 力司(いとう りきじ、1934年 - )は、日本のジャ… 伊藤 力司(いとう りきじ、1934年 - )は、日本のジャーナリスト。 長野県茅野市出身。長野県諏訪清陵高等学校を経て、東京外国語大学フランス語科卒業。1958年共同通信社入社。外信部、サイゴン支局長、パリ支局長、ハノイ支局長、国際局次長、編集委員次長、論説副委員長などを務めた。
辻 康吾(つじ こうご、1934年 -2024 )は、日本の… 辻 康吾(つじ こうご、1934年 -2024 )は、日本の中国学者。中華食文化研究センター代表。 東京府生まれ。1959年東京外国語大学中国語学科卒業。1961年立教大学法学部卒業。 毎日新聞香港・北京特派員を経て、北京支局長、東京本社編集委員。その後、東海大学教授、獨協大学教授。2005年退職。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
小松 達也(こまつ たつや、1934年 - )は、日英会議通… 小松 達也(こまつ たつや、1934年 - )は、日英会議通訳者(同時通訳者)。日本における会議通訳者(いわゆる同時通訳者)の第一人者であり草分け的存在として知られる。