北村 源三(きたむら げんぞう、1937年 - 2025年1… 北村 源三(きたむら げんぞう、1937年 - 2025年12月30日)は、日本のトランペット奏者。 京都府出身。京都市立堀川高等学校を経て東京芸術大学に学ぶ。大学在学中の1958年、第27回日本音楽コンクール管楽器部門第1位入賞。1960年NHK交響楽団に首席トランペット奏者として入団、以後25年間にわたって首席奏者を務めた。1962年から1965年までウィーン国立アカデミーに留学、ヨゼフ・レボラ(ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団首席トランペット奏者)に師事。1991年にNHK交響楽団の第11回有馬賞を受賞。1993年にNHK交響楽団を定年退職し、以降N響団友として活動。N響退団後もソロまたはアンサンブルで数多くのコンサート活動を行う。
ひこね のりお(本名:彦根 範夫、1936年12月18日 -… ひこね のりお(本名:彦根 範夫、1936年12月18日 - )は日本のアニメーター、イラストレーターである。 東京都生まれ。東京都立江北高等学校卒業、東京芸術大学美術学部工芸科卒業。1959年、東映動画に入社、劇場アニメの『少年猿飛佐助』『西遊記』や、テレビアニメ『狼少年ケン』などの作画に関わる。1965年に東映動画を退社し虫プロダクションに入社、テレビアニメ『ジャングル大帝』などに関わるが1年で退社、1966年にフリーとなる。 永沢まこととともに共同スタジオを開設した後、自身の「ひこねスタジオ」を興す。テレビアニメ、テレビコマーシャルなどのアニメーターとして仕事のほか、キャラクターデザインも数多く手がけ、広告などマルチメディアに使用されている。
矢野 義明(やの よしあき、1936年12月15日 - )は… 矢野 義明(やの よしあき、1936年12月15日 - )は、日本の作曲家。 東京都新宿区内藤町で育ち、小学校2年時に神奈川県逗子市新宿へ疎開する。 学習院初等科、逗子市立逗子小学校、逗子中学、県立横須賀高校、東京芸術大学ピアノ科(中退)で学び、弘田龍太郎、川島英子、五十嵐光子、加藤秋子、松浦豊明、田村宏からピアノを、團伊玖磨から作曲を学ぶ。 1974年、團伊玖磨指揮で東京交響楽団と共に、中国の「黄河協奏曲」を日本初演する。山崎陽子脚本の朗読ミュージカル「とぎれた子守歌」「幻の肖像画」で作曲を担当し、「とぎれた子守歌」を含む「山崎陽子の世界IV」で、平成13年度文化庁芸術祭大賞を受賞する。 自作品のピアノリサイタルや地域コンサートの他に、神奈川フィルハーモニー管弦楽団、神奈川交響楽団、鎌倉交響楽団、横須賀交響楽団と協奏曲を共演する。
東 敦子(あずま あつこ、1936年(昭和11年)12月11… 東 敦子(あずま あつこ、1936年(昭和11年)12月11日 - 1999年(平成11年)12月25日)は、日本の声楽家(ソプラノ歌手)、オペラ歌手、音楽教育者。プリマドンナとして世界の一流の歌劇場で活躍した。本名は、二田原 敦子(にたはら あつこ)。 大阪府吹田市出身。1959年(昭和34年)東京藝術大学卒業。1961年(昭和36年)同大学専攻科修了。四家文子に師事。1961年(昭和36年)イタリアに留学してエットレ・カンポガリアーニに師事。1964年(昭和39年)パルマ音楽院を首席で卒業。 1963年(昭和38年)レッジョ・エミリア市立歌劇場でマスカーニ『友人フリッツ』でデビュー。ミラノに居を構え、1967年(昭和42年)ベルリン・ドイツ・オペラにプッチーニ『蝶々夫人』でデビュー。
曽根 幸一(そね こういち、1936年12月7日 - )は日… 曽根 幸一(そね こういち、1936年12月7日 - )は日本の都市計画家。建築家。アーバンデザイナー。曽根幸一環境設計研究所所長。芝浦工業大学システム工学部環境システム学科名誉教授。静岡県出身。息子は国際的なアーティストの曽根裕。
舘野 泉(たての いずみ、1936年11月10日 - )は、… 舘野 泉(たての いずみ、1936年11月10日 - )は、東京生まれのフィンランド在住のピアニスト。
小田部 羊一(こたべ よういち、1936年9月15日 - )… 小田部 羊一(こたべ よういち、1936年9月15日 - )は、日本のアニメーター、キャラクターデザイナー。公益財団法人徳間記念アニメーション文化財団評議員。アニメーター・銅版画家の奥山玲子は妻。 日本統治時代の台湾・台北州台北市に生まれる。小学校教員の父は、油彩を嗜んでいた。幼少時より『ポパイ』や『桃太郎の海鷲』・『くもとちゅうりっぷ』などのアニメーション映画に親しんで育つ。日本の敗戦後、家族とともに日本に引き揚げ、奈良市・新潟市・日立市を移り住む。帰国後は手塚治虫(『新宝島』『ロストワールド』)や小松崎茂・山川惣治の作品に惹かれて頻繁に模写し、『せむしのこうま』『白雪姫』といった外国のアニメーション映画にも接する。
永井 鐵太郎(ながい てつたろう、1936年8月28日 - … 永井 鐵太郎(ながい てつたろう、1936年8月28日 - 2021年)は、日本の金工家。神奈川県横浜市出身。日展を中心に活動し、1992年度に工芸作品「うつわ・その六」により日本芸術院賞を受賞した。 1936年生まれ。神奈川県出身。1959年に東京藝術大学美術学部工芸科を卒業し、安宅賞を受賞した。1963年には同大学美術学部専攻科を修了し、蓮田修吾郎に師事した。 1958年に日展へ初入選した。1968年の第11回日展および1972年の第4回日展で特選を受賞し、1986年の第18回日展では文部大臣賞を受賞した。1992年度には、工芸作品「うつわ・その六」により日本芸術院賞を受賞した。 また、現代工芸美術家協会で常務理事・参与を務め、日展でも理事を歴任した。
高野 紀子(たかの のりこ、1936年 (昭和11年) 8月… 高野 紀子(たかの のりこ、1936年 (昭和11年) 8月4日 - )は、日本の音楽学者、国立音楽大学名誉教授、元学長。 満州国時代に日本の租借地であった関東州の大連市に生まれる。東京芸術大学音楽学部楽理科を卒業し、さらに同大学専攻科を修了後、ドイツ政府留学生としてチュービンゲン大学に留学した。 中世ルネッサンス音楽ないし初期バロック音楽の声楽作品の演奏研究を専門として、永く国立音楽大学音楽研究所に所属し、古楽器を用いた初期のオペラ作品の復元演奏に取り組んだ。 1970年代から国立音楽大学が継続的に取り組む歌唱法研究において、科学研究費助成事業の代表を務める。その成果は1989年に、フランチェスカ・カッチーニ作品のオペラ『ルッジェーロの救出(イタリア語版、英語版)』(La liberazione di Ruggiero)と、クラウディオ・モンテヴェルディ作品のオペラ『オルフェオ 』(L'Orfeo)の古楽器を用いた演奏会形式による復元上演を企画・構成し、同年『ルッジェーロの救出』の復元演奏を収めたCDが発表された際には、その監修に当たった。
小田 襄(おだ じょう、1936年6月3日 - 2004年1… 小田 襄(おだ じょう、1936年6月3日 - 2004年1月24日)は、日本の彫刻家国際的金属造形作家で、ステンレスを使った作品で知られる。紫綬褒章受章・日本美術家連盟理事長・教育者として多摩美術大学・東北工業大学において多数の後進の教育に携わった。
嶺 貞子(みね さだこ、1936年〈昭和11年〉5月4日 -… 嶺 貞子(みね さだこ、1936年〈昭和11年〉5月4日 - 2018年〈平成30年〉10月13日)は、日本の音楽家。声楽家(ソプラノ)、オペラ歌手、音楽教育者。イタリア古典歌曲の権威。イタリア歌曲の第一人者であった。本名は峰村貞子。 長野県下水内郡飯山町(現: 飯山市)出身。長野県飯山北高等学校を経て、東京藝術大学声楽科卒業。同学大学院独唱科修了。在学中に安宅賞、野村学芸財団あらえびす賞受賞。長坂好子に師事。1970年(昭和45年)よりイタリア、スペイン、西ドイツ、イギリスなどに留学し、キジアーナ音楽院(イタリア、シエーナ)歌曲コースディプロマ取得。ハイドンのオラトリオ『天地創造』の独唱者としてデビュー。
渡辺 馨(わたなべ かおる、1936年4月24日 - )は、… 渡辺 馨(わたなべ かおる、1936年4月24日 - )は、日本のソプラノ歌手。 1959年、東京芸術大学音楽学部を卒業後、イタリアの聖チェチーリア音楽院研究科に留学しピア・タッシナーリ、アルファーニ・テッリーニに師事。 1969年、藤原歌劇団の「ラ・ボエーム」のミミ役でオペラ・デビューを果たす。その後も「蝶々夫人」、「アイーダ」等のオペラに出演した。 1975年、スペインの国際講習会ムシカ・デ・コンポラスに参加し、スペインの作曲家モンプーに認められる。 1977年、初めて日本のオペラに取り組み、大栗裕の「赤い陣羽織」の奥方役で出演。1983年、日本大学芸術学部教授、2009年、同大学名誉教授に就任。
鈴木 寛一(すずき かんいち、1936年(昭和11年)4月5… 鈴木 寛一(すずき かんいち、1936年(昭和11年)4月5日 - 2020年(令和2年)4月6日)は、日本の声楽家(テノール)、音楽教育者。妻は元うたのおねえさんの中川順子。 大阪生まれの京都育ち。1959年(昭和34年)東京藝術大学卒業。長坂好子、ロドルフォ・リッチに師事。はじめは古典と宗教音楽の研究及び演奏から活動を開始したという。1959年(昭和34年)捜真女学校の音楽教師に着任。同時に岩城宏之の推薦でモーツァルト『ドン・ジョヴァンニ』ドン・オッタヴィオでオペラ界にデビュー。以来、プリモテノールとして数多くの舞台を経験。1977年(昭和52年)ウィーンに留学。海外ではリリー・コラーに師事。
最上 壽之(もがみ ひさゆき、1936年3月3日 - 201… 最上 壽之(もがみ ひさゆき、1936年3月3日 - 2018年10月2日)は、日本の彫刻家。武蔵野美術大学名誉教授。 神奈川県横須賀市に生まれる。1960年東京芸術大学彫刻科卒。在学中は石井鶴三に師事した。1981年に武蔵野美術大学の教授となり、2005年に定年退職、名誉教授となった。 1992年に横須賀市平和都市モニュメントを制作。木を媒介とした抽象的な作風が特徴とされる[要出典]。 2018年10月2日、心不全のため死去。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
高松次郎(たかまつ じろう、昭和11年(1936年)2月20… 高松次郎(たかまつ じろう、昭和11年(1936年)2月20日 - 平成10年(1998年)6月25日)は、前衛美術、現代日本美術家。本名は新八郎。 東京都に生まれ、1954年に東京藝術大学絵画科(油画専攻)に入学。在学中は小磯良平に師事した。卒業後の1958年より第10回読売アンデパンダン展へ作品の出品を開始し、以後1959、1961、1962、1963年に出品している。はじめ前衛芸術に傾倒し、中西夏之、川仁宏らと共に、有名な「山手線事件」というハプニングを行った。また中西、赤瀬川原平らと芸術集団ハイレッド・センターを結成し、数多くのパフォーマンスを実践した。 作品はインスタレーションから絵画、彫刻、壁画、写真、映画にまで様々なスタイルに至り、多くの作品が抽象的かつ、反芸術的な色合いが濃いもので、実体の無い影のみを描いた作品「影」シリーズが脚光を浴び、石や木などの自然物に僅かに手を加えただけの作品、遠近法を完全に逆にした作品など、あえて「思考させる」「思考する」ことにより、作品と世界との間に新しい関係を作りだすことに成功し、1960年代以降の日本におけるコンセプチュアル・アートに大きな影響を与えた。
海野 義雄(うんの よしお、1936年2月14日 - )は、… 海野 義雄(うんの よしお、1936年2月14日 - )は、日本のヴァイオリニスト。東京都出身である。本名、海野良夫。ヴァイオリン独奏者として江藤俊哉と双璧をなす存在と言われた。
高木 滋生(たかぎ しげお、1936年2月2日 - 2013… 高木 滋生(たかぎ しげお、1936年2月2日 - 2013年12月18日)は日本の建築家、建築デザイナー。 高校時代、美術教師の大村政夫(日展参与)が高校生のために開放した自宅のアトリエに通い、デッサンを繰り返した。同じ志を持つ静高生ら十人ほどが集まっていた。三年間で制作したデッサンなどは約200点。1954年、静岡県立静岡高等学校卒業1959年、東京藝術大学建築科卒業。1962年〜1984年、女子美術大学非常勤講師を務めた。1963年、高木滋生建築設計事務所開設。東海大学短期大学部、静岡大学でも非常勤講師を務めた。1975年、地域開発センター設立、理事長。静岡県を拠点とし地域に根ざした設計を心がけ、50年間で約500軒を設計した。
保科 洋(ほしな ひろし、1936年1月31日 - )は、日… 保科 洋(ほしな ひろし、1936年1月31日 - )は、日本の作曲家、編曲家、指揮者。 東京都生まれ。1960年東京芸術大学作曲科卒。作曲を長谷川良夫、指揮法を渡邉暁雄に師事。卒業作品にて第29回毎日コンクール作曲部門(管弦楽)で第1位受賞。以後作曲活動の傍ら、東京音楽大学、愛知県立芸術大学、兵庫教育大学で教鞭をとり、兵庫教育大学名誉教授。作陽音楽大学客員教授、浜松アクト音楽院音楽監督を歴任。日本バンドクリニック委員会名誉顧問。作品は管弦楽曲、オペラ、室内楽、ミュージカルなど幅広く、吹奏楽では日本を代表する作曲家の一人。 管弦楽分野では、1966年より岡山大学交響楽団の常任指揮者となり、同団を全国的な水準へ押し上げた。
中村 邦子(なかむら くにこ、1936年(昭和11年)1月2… 中村 邦子(なかむら くにこ、1936年(昭和11年)1月21日 - 1996年(平成8年)9月1日)は、日本の声楽家(ソプラノ)、音楽教育者。旧姓:大庭。 東京出身。青山学院中等部・高等部を経て、1959年(昭和34年)に東京芸術大学音楽学部声楽科を卒業。畑中良輔、畑中更予、伊藤京子、リリー・コラーに師事。 在学中の1958年(昭和33年)にデビュー。以後、二期会、東京室内歌劇場を中心に多数のオペラに出演しており、昭和音楽大学オペラ情報センターだけでも58回の出演歴が記録されている(大庭邦子3回、中村邦子55回)。 歌曲や宗教曲等でも活躍。特に日本歌曲においてリサイタル等で活躍し、多くの録音も残している。
若林 奮(わかばやし いさむ、1936年1月9日 - 200… 若林 奮(わかばやし いさむ、1936年1月9日 - 2003年10月10日)は、日本の彫刻家。 東京都町田市出身。東京都立立川高等学校、東京芸術大学美術学部彫刻学科卒業。 鉄、銅、鉛などの金属素材を用いて自然をモチーフとした彫刻を制作した。1980年、1986年のベネチア・ビエンナーレに出品。武蔵野美術大学、多摩美術大学教授を歴任した。詩人の吉増剛造や河野道代と共同制作を試みている。また700点の銅版画作品も制作しており、吉増剛造は没後に銅板を譲り受けてオブジェ作品を制作している。
鎌田 豊成(かまだ とよしげ、1936年 - )は日本のアー… 鎌田 豊成(かまだ とよしげ、1936年 - )は日本のアートディレクター、クリエイティブディレクター、造形作家。元長岡造形大学学長。 東京で生まれる。東京芸術大学美術学部工芸科図案計画専攻を卒業後、株式会社大広のアートディレクターとなる。その後、株式会社グレイ大広でクリエイティブディレクターを経て、1991年に有限会社カマダデザイン事務所を設立する。1994年に長岡造形大学教授となり、2004年に同大学学長に就任。2008年に学長を退任し、現在は長岡造形大学名誉教授である。 2002年~2003年に韓国の東西大学客員教授を務める。また、社団法人中越防災安全推進機構理事、新潟総合テレビ番組審議会委員、長岡市復興委員会委員など新潟県の地域活動に参画した。
磯辺 行久(いそべ ゆきひさ、1936年 - )は、日本の芸… 磯辺 行久(いそべ ゆきひさ、1936年 - )は、日本の芸術家。東京都京橋区(現・八重洲)生まれ。1959年、東京藝術大学絵画科卒業。1950年代の抽象と1960年代のポップアートを繋いだ。1976年、千葉県長生郡長南町に、「磯辺行久美術館」が開館した(2022年閉館)。また、新潟県十日町市角間未には、「磯辺行久記念 越後妻有清津倉庫美術館」がある。 ○11月8日 東京府京橋区槙町1丁目(現在の東京都中央区八重洲4丁目)に生まれる。 ○都立上野高校入学。在学中、同級の鶴岡弘康から版画の加藤正を紹介される。 ○油彩画《風景》を制作 ○東京藝術大学美術学部(油画専攻)入学。小磯良平教室に入る。同学年に、工藤哲巳、高松次郎、鶴岡弘康、中西夏之、篠原有司男、島田章三、井上悟らがいた。
坂上 昌子(さかがみ まさこ、1936年(昭和11年) - … 坂上 昌子(さかがみ まさこ、1936年(昭和11年) - )は、日本の声楽家(ソプラノ)、音楽教育者。木下保の長女。 東京藝術大学音楽学部声楽科卒業。 中山悌一、大熊文子に師事。発声法を森明彦に師事。現在は小松英典に師事。 父、木下保に“やまとことばを美しく”の指導を受ける(“やまとことば”については「木下保」の項を参照)。1967年(昭和42年)第1回のリサイタルより2003年(平成15年)第10回のリサイタルまでを開催する。ほかに、玉川学園『第九』のソプラノソリストを3回務めている。 1986年(昭和61年)に論文『日本歌曲における“やまとことば”の歌唱法と発声法』を日本声楽発声学会誌に発表。
渡壁 煇(わたかべ あきら、1936年 - )は、日本の音楽… 渡壁 煇(わたかべ あきら、1936年 - )は、日本の音楽監督・演出家。 1936年、東京で生まれる。 1955年に広島大学附属福山高等学校、1960年に東京芸術大学音楽学部器楽科(クラリネット)を卒業し、1961年に日本放送協会入局。『夢であいましょう』、『音楽の広場』など音楽番組やバラエティショーの制作・演出に携わる。 1987年に日本放送協会を依願退職し、翌1988年にサントリー株式会社サントリーホールにエグゼクティヴ・プロデューサ兼副支配人として入社。以後、サントリーホール総支配人、館長補佐、制作監督を経て、1997年に横浜みなとみらいホール館長に着任。2003年には横浜みなとみらいホール名誉館長に就任した。
山口 太一(やまぐち たいち、1935年12月20日 - 2… 山口 太一(やまぐち たいち、1935年12月20日 - 2010年6月18日)は、日本の漫画家。本名:山口 太一(やまぐち たかかつ)。ナンセンス漫画や、児童向け学習漫画などで活躍した。 福島県石城郡内郷村(のちのいわき市)出身。1938年、公務員の父の赴任地だった満州・大連市に一家で渡る。終戦時は普蘭店で迎え、1946年12月に引き揚げ、母の郷里の千葉を経て、父の復員に合わせて内郷に戻る。 中学時代に『寒がり屋のサブちゃん』と題するストーリー漫画を『漫画少年』に投稿して特選に入賞。このほか毎日中学生新聞や、地元紙に漫画を投稿する。福島県立磐城高等学校卒業後、上京。東京芸術大学美術学部の受験に失敗するが、東京に残って漫画の持ち込み活動を開始し、文藝春秋社で加藤芳郎を紹介される。
生頼 範義(、1935年〈昭和10年〉11月17日 - 20… 生頼 範義(、1935年〈昭和10年〉11月17日 - 2015年〈平成27年〉10月27日)は、日本のイラストレーター。油絵風の画法が特徴。イラスト集や作品展のタイトルでは生賴範義の表記が見られる。「生瀬 範義」は誤表記。息子のオーライタローも画家。 兵庫県明石市生まれ。第二次世界大戦さなかの1945年に鹿児島県川内市(現・薩摩川内市)に疎開。鹿児島県立川内高等学校卒業。高校卒業後、東京芸術大学美術学部に入学したが、後に中退した。1962年、イラストレーターとして活動を開始。1973年、東京から妻の郷里宮崎県宮崎市に転居。 1980年、SF雑誌に発表した「スターウォーズ」のイメージ画が、制作者のジョージ・ルーカスの目に留まり、その続編ポスター用イラストを正式に依頼される。
若桑 みどり(わかくわ みどり、1935年〈昭和10年〉11… 若桑 みどり(わかくわ みどり、1935年〈昭和10年〉11月10日 - 2007年〈平成19年〉10月3日)は、日本の美術史学者。千葉大学名誉教授。専門は西洋美術史・表象文化史・ジェンダー史・ジェンダー文化論。旧姓は山本。 東京に生まれた。山本政喜の二女。父・山本政喜は福岡県出身の英文学者・翻訳家である。兄は有斐閣の編集者だった山本阿母里、ロシア文学者の川端香男里。東京学芸大学教授だった哲学者の若桑毅は元夫。 玉川学園中学部・高等部を経て、1953年に東京都立駒場高等学校芸術科(後に東京都立芸術高等学校として分離独立するも閉校)を卒業。1958年東京藝術大学美術学部卒業。1960年同芸術学専攻科修了。
真下 惇至(ましも よしのり、1935年(昭和10年)11月… 真下 惇至(ましも よしのり、1935年(昭和10年)11月9日 - 1986年(昭和61年)3月26日)は、日本のホルン奏者。元京都市立芸術大学音楽学部助教授。徳島文理大学客員教授。 東京芸術大学音楽学部卒業。京都府出身。 京都府出身。1958年(昭和33年)に東京芸術大学音楽学部を卒業し、大学在学中にはNHK交響楽団へ入団する。 大学卒業後は日本フィルハーモニー交響楽団へ入団し、1962年(昭和37年)から1970年(昭和45年)まで読売日本交響楽団のホルン奏者として活躍した。また関西ブラスアンサンブルを主宰し、京都市立芸術大学助教授、徳島文理大学客員教授を務めた。 1986年(昭和61年)3月26日、死去。
鵜崎 庚一(うざき こういち、1935年10月21日 - 2… 鵜崎 庚一(うざき こういち、1935年10月21日 - 2025年6月8日)は、日本の作曲家・音楽教育家。 1935年10月21日、東京都目黒区に生まれる。父は政治家の鵜崎多一、祖父は日本メソジスト教会初代監督の鵜崎庚午郎、曽祖父は姫路藩士で漢学者の鵜崎久平。 幼い頃より教会音楽に触れる。中学生の頃、妹のピアノレッスンの付き添いがきっかけとなり、ピアノ、和声の勉強を始める。 東京芸術大学音楽学部作曲科にて、作曲を池内友次郎、矢代秋雄、理論を島岡譲、指揮を金子登、ピアノを徳川愛子各氏に師事。 1964年3月 作曲、理論を学ぶためフランス・パリへ留学。作曲をトニー・オーバン、フーガをマルセル・ビッチュ、対位法・コラールをノエル・ギャロン各氏に師事。
佐野山 寛太(さのやま かんた、1935年10月16日 - … 佐野山 寛太(さのやま かんた、1935年10月16日 - )は、日本の広告批評家。 東京出身。本名・佐野寛。1958年東京芸術大学美術学部図案科卒。1960年日本橋髙島屋宣伝部勤務をへて、1965年モス・アドバタイジングを設立し常務取締役。1976年代表取締役社長。東京学芸大学教授、目白大学特任教授を務めたのち、モス環境設計室代表。日本デザイン機構理事。NPO法人まちづくりNEXT運動常任理事。 (特記なき場合は佐野寛名義)
吉森 章夫(よしもり あきお、1935年〈昭和10年〉9月2… 吉森 章夫(よしもり あきお、1935年〈昭和10年〉9月21日 - 2025年〈令和7年〉3月5日)は、日本の教育学者。合唱指揮者。声楽家。徳島大学名誉教授。 大阪府大阪市出身。徳島大学学芸学部卒業。東京芸術大学音楽学部卒業。 大阪府大阪市出身。父親の転勤により中学校のときに徳島県徳島市へ移る。 徳島大学学芸学部に入学し、当時の文部省の制度で東京芸術大学音楽学部に委託留学。卒業後、東京都内で中学校の教諭となり、1961年(昭和36年)に徳島大学学芸学部助手に就任する。その後、同学部教授、同大学総合政策学部学部長を経て2001年(平成13年)に退官、同大学名誉教授に就任。 また1965年(昭和40年)には徳島合唱団を設立し、全日本合唱コンクールで金、銀、銅賞を計19回受賞するなど数々の賞に導いてきた。
小畠 廣志(こばたけ ひろし、1935年8月2日 - 199… 小畠 廣志(こばたけ ひろし、1935年8月2日 - 1996年11月8日)は、東京都武蔵野市出身の彫刻家。東京芸術大学卒業後、二科会に出品するとともに個展、グループ展、野外展などで作品を発表した。 初期の抽象的で有機的形態の石彫、白セメント、硬質石膏と鉄などによる作品から1963年を境に具象的な木彫作品を制作するようになる。1969年に開校した美学校に木彫刻工房を開く。1972年頃から吉祥寺のアトリエでイタリア蝋型美術鋳造を始め、木彫と共にブロンズ作品を多く発表する。美学校から独立したKOBATAKE彫刻工房で後進の指導を続けるとともに、工房内に大型の鋳造設備を備えスケールのある公共彫刻を各地に制作した。
玉置 勝彦(たまき かつひこ、1935年7月30日 - 20… 玉置 勝彦(たまき かつひこ、1935年7月30日 - 2014年9月21日)は、日本のヴィオラ奏者、指揮者、教育者。 東京藝術大学器楽科卒業、同専攻科修了。国内外各地のオーケストラでヴィオラ奏者を務め、ニュルンベルク交響楽団と東京フィルハーモニー交響楽団では首席奏者を歴任した。独奏や室内楽の分野においても、多岐にわたる演奏活動を展開した。1995年には、アルフレッド・ショッパー、デトマール・テツラフ、小林仁らと室内楽グループ「ニュールンベルグ・ムジーク・コレーゲン」を結成。国内各地で演奏会を開催したほか、ドイツとオーストリアへの演奏旅行も行った。 指揮法を渡邉暁雄に師事し、指揮者としても国内各地のプロオーケストラと共演した(日本フィルハーモニー交響楽団、東京都交響楽団、東京交響楽団など。
白岩 伸介(しろいわ しんすけ、1935年7月18日 - )… 白岩 伸介(しろいわ しんすけ、1935年7月18日 - )は日本画家、教育者。本名は圭介(けいすけ) 。 福島県常葉町生まれ。東京藝術大学日本画科卒・専攻科修了。青郁会、鎌倉会所属。前田青邨、平山郁夫、須田珙中に師事。日本美術院院友。魚と人との関係のテーマの作品多数、その他ヨーロッパ風景画等。昭和49年、高松塚古墳復刻プロジェクトに携わる(白虎担当)農林水産省分室会議室、長官室、ウズベキスタン・日本人材開発センター等に飾られている。
中西 夏之(なかにし なつゆき、1935年(昭和10年)7月… 中西 夏之(なかにし なつゆき、1935年(昭和10年)7月14日 - 2016年(平成28年)10月23日)は、日本の前衛美術・現代美術家。東京藝術大学名誉教授。女子美術大学客員教授。元倉敷芸術科学大学特任教授。美学校の設立にも奔走した。
嵐野 英彦(あらしの ひでを、1935年6月6日 - 201… 嵐野 英彦(あらしの ひでを、1935年6月6日 - 2016年10月14日)は、日本の作曲家。多くのCMソング、『鉄人28号』『遊星仮面』『遊星少年パピイ』などのアニメ、石原裕次郎主演の映画音楽で名をあげた。 京都生まれ。松本民之助に師事していた東京芸術大学作曲科の在学中、朝日放送「クレハホームソングコンテスト」に応募。三木鶏郎にスカウトされた。 三木鶏郎音楽工房の作曲・編曲家として活躍、サウンドロゴやインフォマティブ・ソングという新しいCM音楽のスタイルを作り出す。森永製菓のリコーダー1本のCM"ピポピポ"は彼の作。日本のCM音楽を代表する作曲家。ACC賞、日本音楽コンクール入選、文部科学省社会教育功労賞など。
若杉 弘(わかすぎ ひろし、1935年5月31日 - 200… 若杉 弘(わかすぎ ひろし、1935年5月31日 - 2009年7月21日)は、日本の指揮者。父は、外交官の若杉要で、ニューヨーク総領事(1937年 - 1940年)を経て、日米開戦時の駐米公使(1941年 - 1943年)を務めた。妻は、メゾソプラノ歌手の長野羊奈子。 1935年、東京府生まれ。幼少時からピアノを学ぶ一方、演劇、オペラ、バレエに親しみ、高校時代には二期会などのオペラ団体でピアノ伴奏の経験を積んだ。 慶應義塾幼稚舎、慶應義塾普通部、慶應義塾高等学校を経て、慶應義塾大学経済学部に入学し、経済学を学びつつ学内の合唱サークル「混声合唱団楽友会」に所属した。音楽への思いを断ち切れずに慶大を中退し、1956年に東京芸術大学に入学し直した。
岸 洋子(きし ようこ、1935年〈昭和10年〉5月23日 … 岸 洋子(きし ようこ、1935年〈昭和10年〉5月23日 - 1992年〈平成4年〉12月11日)は、日本のシャンソン歌手、カンツォーネ歌手。所属レコード会社はキングレコード。本名は小山 洋子(こやま ようこ)。山形県酒田市出身。 姉に連れられて行った宝塚歌劇団の声楽教授を務めた加藤千恵(酒田市名誉市民)が開設したボーカルスタジオで音楽と出会う。俳優成田三樹夫は中学・高校の同級生。 東京藝術大学に進学し、在学中に二期会研究生となり、オペラ歌手を目指していたが、心臓神経症のため断念する。病床で聴いたエディット・ピアフのアルバムに感動して、1959年(昭和34年)、NHKのオーディションに合格。シャンソン歌手の道に進んだ。
齋藤 龍 (さいとう りゅう、女性、1935年3月 - 20… 齋藤 龍 (さいとう りゅう、女性、1935年3月 - 2025年7月28日)は、日本の音楽学者、音楽教育者、文筆家。旧姓は渡邊。 横浜市で初の女性助役に任命された。財団法人横浜市芸術文化振興財団理事長も務めた。 教育者の渡邊潜龍・カツの一人娘として横浜市鶴見区に生まれる。横浜市立磯子国民学校(現・横浜市立磯子小学校)、鶴見女子中学校 から神奈川県立希望ヶ丘高等学校に進学。希望ヶ丘高等学校では男女共学実施後の女子1期生で、式典でピアノ演奏に起用されたりしたが、3年生のときに芸術科を新設した東京都立駒場高等学校に移る。ピアニストを志望し、石渡日出夫よりピアノの指導を受けた。東京芸術大学音楽学部楽理科に進み、音楽学を服部幸三に師事し、西洋音楽史を専攻する。
馬場 省一(ばば しょういち、1935年2月25日 - 20… 馬場 省一(ばば しょういち、1935年2月25日 - 2007年2月15日)は、日本のチェロ奏者。東京出身。東京芸術大学卒業。青木十良、小澤弘に師事。 また、かつてはエリザベト音楽大学教授を務めていた。オペラ演出家の馬場紀雄は甥。 この項目は、クラシック音楽に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル クラシック音楽/ウィキプロジェクト クラシック音楽)。 この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:音楽)。
入江 観(いりえ かん、1935年2月14日 - )は、日本… 入江 観(いりえ かん、1935年2月14日 - )は、日本の洋画家。女子美術大学名誉教授/女子美術大学付属高等学校・中学校顧問、日本美術家連盟理事長/国際造形芸術連盟(IAA)日本委員会委員長、春陽会会員。 栃木県日光町(現・日光市)出身。日光町第一国民学校(現・日光市立日光小学校)で油絵の指導を受け、1953年に東京藝術大学美術学部芸術学科へ入学。藝大で加山四郎に師事しポール・セザンヌの影響を受ける。1956年に春陽会展に初入選。1957年に東京藝術大学を卒業し、中学校の美術教師を勤めながら春陽会展に出品。柳亮の主宰する「黎明会」に参画。 1962年にフランス政府給費留学生として渡仏。国立高等美術学校でモーリス・ブリアンション(フランス語版)に師事しセザンヌの研究を行う。
原 嘉壽子(はら かずこ、1935年2月10日 - 2014… 原 嘉壽子(はら かずこ、1935年2月10日 - 2014年11月30日)は、日本のオペラ作曲家。本名は原和子。 東京府出身。東京藝術大学音楽学部作曲科卒業、同専攻科修了。ベネデット・マルチェッロ音楽院声楽科卒業。池内友次郎、デュティユー、コラデッティらに師事。元同志社女子大学教授。芸術選奨文部大臣賞、ジロー・オペラ賞、紫綬褒章、旭日小綬章などを受賞している。 1978年から1999年の間に18曲のオペラを作曲した。多くは日本オペラ振興会または二期会によって東京で初演されたが、イタリアでも上演された作品がある。全般的には日本の主題を好んで用いるが、2作目のオペラはシャーロック・ホームズを題材とするもので、また1999年には新国立劇場でドストエフスキーの「罪と罰」の大規模オペラを上演した。
柴田 鋼造(しばた こうぞう、1935年(昭和10年)1月1… 柴田 鋼造(しばた こうぞう、1935年(昭和10年)1月11日 - )は、日本の彫刻家。愛知県出身。東京芸術大学卒。 1974年(昭和49年)第6回日展、1975年(昭和50年)第7回日展の2年連続で日展特選を受賞。 1977年(昭和52年)愛知県芸術文化選奨文化賞(個人)を受賞。 1989年(平成元年)第21回日展にて内閣総理大臣賞受賞。 1992年(平成4年)、前年第23回日展出品作「香雲」に対し平成3年度日本芸術院賞受賞。 1993年(平成5年)、「新領域を開く彫刻制作と後進の指導」の功績により第46回中日文化賞受賞。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
柳澤 孝彦(やなぎさわ たかひこ、1935年1月1日 - )… 柳澤 孝彦(やなぎさわ たかひこ、1935年1月1日 - )は、日本の建築家。
岩崎 堅司(いわさき けんじ、1935年 - )は、日本の戦… 岩崎 堅司(いわさき けんじ、1935年 - )は、日本の戦後のデザイナー。 ‘64年東京オリンピック、‘70年大阪万博と、日本が産業の発達と生活の豊かさをめざしていた時代に、第一線で活躍した。'60年代に、作家の開高健らとともに「ベトナム戦争反対」を訴えるポスターを発表して脚光を浴びた。平和や自然環境、社会問題などを素材に、独特の力強さと優しさにユーモアを交えた作風で知られる。 静岡市紺屋町に誕生。少年時代に静岡大空襲を体験。1954年、静岡県立静岡高等学校卒業。1959年、東京芸術大学図案計画科卒業。同年、明治製菓入社。医薬品やキャラメルの包装デザインを手がけた。新人の登竜門と言われた日本宣伝美術会の公募展で2年連続入賞。
麦倉 忠彦(むぎくら ただひこ、1935年 - 2025年1… 麦倉 忠彦(むぎくら ただひこ、1935年 - 2025年1月26日)は、日本の彫刻家。九州産業大学大学院芸術研究科教授。 埼玉県草加市出身。1954年埼玉県立春日部高等学校卒業。1959年東京芸術大学芸術学部彫刻科卒業。1961年東京芸術大学研究科彫刻専攻修了。同大学研究室副手。 1963年日本美術家連盟会員に推挙。 アメリカ合衆国サウスダコタ州K・ジョーロコフスキー彫刻研究所に留学。1968年新制作協会会員に推挙。 1997年新宿パークタワー・ギャラリー1にて東京ガス都市開発主催による記念個展を開催。1999年新制作協会委員長。2000年草加市文化会館にて草加市文化賞受賞記念展開催。その後、埼玉県美術家協会運営審査員を歴任。
楠部 大吉郎(くすべ だいきちろう、1934年12月10日 … 楠部 大吉郎(くすべ だいきちろう、1934年12月10日 - 2005年8月27日)は、日本の男性アニメーター。シンエイ動画株式会社創立者・前会長。旧・満洲国生まれ、群馬県沼田市出身。シンエイ動画2代目社長の楠部三吉郎は実弟。楠部工、楠部文は子。 満洲国に生まれる。戦後引き揚げて群馬県沼田市に住む。群馬県立沼田高等学校を卒業。彫刻家を志望し、東京芸術大学を3度受験したが合格できず、断念する。1957年に漫画を書き光文社の『少年』に持ち込みをする。光文社との打ち合わせで東映動画設立の話を聞き、完成したばかりの大泉スタジオを訪ねる。そこで山本早苗と面談し、アニメーター募集に応募することを決める。同社の第1回目の一般公募で入社。
矢吹 公郎(やぶき きみお、1934年12月6日 - )は、… 矢吹 公郎(やぶき きみお、1934年12月6日 - )は、日本の男性アニメーション演出家・アニメ監督。福島県西白河郡東村(現・白河市)出身。 福島県立白河高等学校を卒業、東京芸術大学美術部鋳金科入学。1958年、大学卒業とともに東映京都撮影所に入社。マキノ雅弘、佐々木康らの助監督を務める。1962年、東映動画演出部へ転属。 『狼少年ケン』の第7話ではじめてアニメーションの演出を手がける。『少年忍者風のフジ丸』にて作画監督の楠部大吉郎に演出技術の指導を受ける。『ひみつのアッコちゃん』、『タイガーマスク』などで演出家として活躍。1968年には映画『長靴をはいた猫』を監督。モスクワ国際映画祭「児童・青少年映画」部門美術家同盟賞、モスクワ国際映画祭児童にとって最もユーモラスな映画賞等を受賞。
荒 道子(あら みちこ、本名:田中 道子(たなか みちこ)、… 荒 道子(あら みちこ、本名:田中 道子(たなか みちこ)、1934年(昭和9年)11月20日 - )は、日本の声楽家(メゾソプラノ・アルト)、音楽教育者。海外経験が豊富であり、欧州の歌劇場と専属契約する日本人歌手の草分けとして、オペラの重要な役柄を務めた。また、数多くのコンサートでも活躍している。現在は音楽教育者として後進の育成に注力している。 愛知県豊橋市出身。愛知県立時習館高等学校卒業。1961年(昭和36年)東京藝術大学声楽科卒。 藝大在学中にモーツァルト『フィガロの結婚』マルチェリーナでデビュー。1964年(昭和39年)には2月16,18日 日生劇場 ストラヴィンスキー『放蕩者のなりゆき』(指揮:森正)トルコ女ババ、続いて3月20日 NHK歌劇の夕べ・東京文化会館大ホール 石井歓『役の行者』(指揮:若杉弘)葛城の魔女を演じた後、留学に出発する。
宇宿 允人(うすき まさと、1934年11月8日 - 201… 宇宿 允人(うすき まさと、1934年11月8日 - 2011年3月5日)は、京都府出身の指揮者、トロンボーン奏者。旧名は山口 治だが、のちに婚家の姓を名乗り、宇宿 治となり、のち宇宿 允人と改名した。 京都市西陣で表具師の家庭に生まれ育つ。京都市立西陣小学校から京都市立上京中学校を経て同志社高等学校に入学するが経済的理由で中退し、京都市立堀川高等学校普通科に転校。同音楽科への転科を経て、1957年に東京芸術大学器楽科卒業後、ABC管弦楽団に入団。翌1958年、トロンボーンの師である嶋昇の誘いでNHK交響楽団に移籍。1960年から1968年までN響の首席トロンボーン奏者として活動。傍ら、フルトヴェングラーの指揮する音楽と彼の人柄に感銘を受けて指揮者を志し、管弦楽法と指揮法を近衛秀麿に師事し、指揮者として東京佼成ウインドオーケストラを指導した。