坂本 博士(さかもと ひろし、1932年3月28日 - 20… 坂本 博士(さかもと ひろし、1932年3月28日 - 2022年12月3日)は、日本のバリトン歌手、作曲家、音楽教育者。東京府出身。 1954年、東京藝術大学声楽科卒業。 声楽を城多又兵衛、リア・フォン・ヘッサート(独)、ガエターノ・コメッリ(伊)に、ピアノを水谷達夫、作曲を下総皖一、指揮を金子登、渡邉暁雄に師事。 1957年、藤原歌劇団公演「ラ・ボエーム」マルチェロ役でデビュー。 1960年代初頭ごろ、高島一恵に音楽を教えていた。 1963年から1964年にかけて放送されたNHK総合テレビの音楽番組「歌おう世界の友よ」で歌と司会を担当。 1969年、サカモト・ミュージック・スクールを設立し校長に就任する。
三石 精一(みついし せいいち、1932年3月28日 - )… 三石 精一(みついし せいいち、1932年3月28日 - )は、日本の指揮者。 東京出身。幼少よりピアノを学び、ピアニストをめざすが、手の故障で断念。下総皖一のもと作曲を学ぶ。但しコンサート・ピアニスト以外の伴奏などの活動は続けている。 1950年の東京藝術大学受験前に、金子登に指揮者の道を勧められ、同校指揮科の一期生として入学。ピアノを水谷達夫、作曲を下総皖一、指揮を金子登、クルト・ヴェス、渡邉暁雄などに師事。 1955年卒業後、同大学院指揮科専攻科に進学。翌年修了し、芸大指揮科と同大学附属高校にて教鞭をとる。当初は主にピアニストとして、ヴァイオリンの諏訪根自子、声楽の藤原義江、大谷冽子、砂原美智子、アリゴ・ポーラ、ゲルハルト・ヒュッシュ、木琴の平岡養一らの伴奏者として活動する。
柳川 直則(やながわ なおのり、本名:柳川 正祐(やながわ … 柳川 直則(やながわ なおのり、本名:柳川 正祐(やながわ まさすけ)、1932年3月28日 - )は、日本の作曲家、合唱指揮者。 東京都出身。東京芸術大学声楽科卒。声楽を畑中良輔、畑中更予、作曲を松本民之助、指揮を渡辺暁雄に師事。1959年、第二次イタリアオペラ日本公演に出演、大歌手を間近に接し大きな示唆を受ける。東京室内歌劇場の副指揮者も務めた。1957年、自身が指揮者を務める合唱団の連合会を提唱し、当初は6団体で結成。クールスィスと命名し、26回の演奏会の後、解散。この間東京交響楽団他のオーケストラ、室内楽団、中澤桂・立川澄人ら著名ソリストで、ハイドンのオラトリオ四季、ブラームスの哀悼歌および運命の歌、モーツァルト、フォーレ、ケルビーニ等のレクイエムを指揮。
佐藤 陽三(さとう ようぞう、1932年(昭和7年)3月12… 佐藤 陽三(さとう ようぞう、1932年(昭和7年)3月12日 - )は、日本の教育学者。合唱指揮者。愛媛大学名誉教授。 全日本合唱連盟名誉会長。国際合唱連合顧問。四国二期会顧問。愛媛県文化協会名誉会長。東京芸術大学音楽学部卒業。愛媛県松山市出身。 愛媛県松山市出身。東京芸術大学音楽学部卒業。大学卒業後は愛媛大学教育学部で講師となり、合唱の指導者として全国的に評さた。愛媛大学では助教授・教授を経て、退官後に名誉教授に就任。 またこれまでに四国二期会顧問・全日本合唱連盟名誉会長・国際合唱連合顧問・愛媛県文化協会名誉会長などを歴任。 2017年(平成29年)4月に瑞宝中綬章を受章した。 この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。
桑山 忠明(くわやま ただあき、1932年3月4日 - 20… 桑山 忠明(くわやま ただあき、1932年3月4日 - 2023年8月20日)は、日本の美術家。ミニマル・アートの先駆者として知られる。 愛知県名古屋市生まれ。東京芸術大学日本画科卒業。1958年に渡米して以降、ニューヨークを拠点に活動した。2023年8月20日、脳出血のため米国で死去、91歳没。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
福田 繁雄(ふくだ しげお、1932年2月4日 - 2009… 福田 繁雄(ふくだ しげお、1932年2月4日 - 2009年1月11日)は、日本のグラフィックデザイナー。 日本グラフィックデザイナー協会三代目会長。単純化された形態とトリックアートを融合させたシニカルなデザインが特徴。「日本のエッシャー」とも称される。 画家の福田美蘭は娘。童画家の林義雄は義父(妻・靖子の父)。 東京都台東区浅草出身。母の郷里二戸市に疎開し、岩手県立福岡高等学校を経て東京芸術大学図案科卒業(1956年)。大学在学中に日本童画会展アンデルセン生誕150年記念賞などを受賞。 卒業後、味の素デザイン室を経て、1958年フリーとなる。1966年、日本宣伝美術会会員。1967年、日本万国博覧会の公式ポスターに入選して脚光を浴びる。
中村 健(なかむら たけし、1932年(昭和7年)2月1日 … 中村 健(なかむら たけし、1932年(昭和7年)2月1日 - )は、日本の声楽家(テノール・カウンターテノール)、オペラ歌手、音楽教育者、合唱指揮者。本名:中村 雄。 東京都出身。1958年(昭和33年)東京藝術大学音楽学部声楽科卒業。畑中良輔に師事。 オペラデビューは1959年(昭和34年)ロッシーニ『セビリアの理髪師』のアルマヴィーヴァ伯爵。オペラでの出演歴はきわめて多数にのぼり、二期会、東京室内歌劇場を主に、昭和音楽大学オペラ情報センターに記録されているだけでも127回を数える。主演したオペラは70曲を超えているという。「オペラ界での長年の活躍と日本初演作上演への貢献も著しい往年の名テナー」である。
増山 美知子(ますやま みちこ、1932年1月24日 - 2… 増山 美知子(ますやま みちこ、1932年1月24日 - 2023年4月18日)は、日本のソプラノ声楽家。大阪府出身。 東京女子大学短期大学部卒業。同年、東京藝術大学音楽部声楽科入学。オペラ科を経て同大学卒業。在学中、矢田部勁吉に師事。ミラノではカンポ・ガリアーニ、ジュリー・テッス、ロゼッタ・エリーに師事。ドイツ系の曲は、中山悌一、ゲルハルト・ヒュッシュ、ヴァイセンボルンに師事。 安宅賞受賞2回。国際芸術文化賞受賞。アメリカよりフェローの称号を受ける。文化庁長官表彰受賞。2006年11月9日、園遊会に招待され、当時の天皇・皇后より「お言葉」を賜る。二期会会員、日本演奏連盟会員、日伊音楽協会会員、日独協会会員。
鈴木 美江(すずき みえ、1932年 - )は、日本画家。一… 鈴木 美江(すずき みえ、1932年 - )は、日本画家。一般社団法人日本画院理事長。産経学園自由が丘の日本画講師。 1932年、日本画家の望月春江の長女として、東京府東京市下谷区(現在の東京都台東区)池之端にて出生。 193年、川﨑小虎、望月春江ら日本画院設立する。1939年、御茶ノ水大学付属小学校に入学する。1994年、甲府市に縁故疎開、甲府市立相生小学校に通う。1945年、甲府高等女学校に入学する。1946年、春江の生家である山梨県増坪町より一家で帰京する。御茶ノ水女子大中学校に編入学する。 1948年、寺内萬治郎(洋画家)と朝倉摂(舞台美術家) にデッサンの指導を受ける。1951年、御茶ノ水高等学校卒業する。
前野 まさる(まえの まさる、1932年 - )は、日本の建… 前野 まさる(まえの まさる、1932年 - )は、日本の建築史家である。東京藝術大学名誉教授。特定非営利活動法人たいとう歴史都市研究会理事長。専門は近代建築史、文化財保存学。本来の表記は「前野嶤(山冠に堯)」だが、「前野まさる」と表記されることが多い。 中国長春市に生まれる。引き揚げ後、倉敷市児島で高校までを過ごす。1959年(昭和34年)、東京藝術大学卒業。その後、東京大学大学院数物系研究科に進み、修士課程修了、博士課程中退。1962年、東京藝術大学美術学部建築科非常勤講師、その後、助手、講師、助教授を経て、1987年、教授。2000年(平成12年)、退任、名誉教授。 文化財や町並み保全のための調査や運動への取り組みで知られ、旧東京音楽学校奏楽堂(東京都台東区)や東京駅丸の内駅舎の保存運動など、市民とともに保存運動を重ねるほか、日本イコモス国内委員会委員長、特定非営利活動法人全国町並み保存連盟理事長、赤レンガの東京駅を愛する市民の会事務局長、東京を描く市民の会理事長などを務めた。
笠井 誠一(かさい せいいち、1932年 - 2025年6月… 笠井 誠一(かさい せいいち、1932年 - 2025年6月12日)は、日本の洋画家。立軌会同人、愛知県立芸術大学名誉教授。シンプルな描線で、緻密に構築された静物画を描いた。 1932年、北海道札幌市生まれ。生家は札幌時計台近くに店を構えるマリヤ手芸店。北海道札幌西高等学校を経て、1957年東京芸術大学卒業。1959~66年、滞仏。1985年から立軌会同人。1991年、名古屋市芸術賞芸術特賞。2001年、安田火災東郷青児美術館大賞受賞・同記念展。2015年、笠井誠一展(札幌芸術の森美術館)、2018年、笠井誠一展(練馬区立美術館)。2018年、瑞宝中綬章受章。 2025年6月12日、老衰のため、自宅で亡くなった。
小川游(おがわ ゆう、1932年 - )は、満洲国出身の洋画… 小川游(おがわ ゆう、1932年 - )は、満洲国出身の洋画家。浦和画家のひとり。一水会代表。さいたま市美術家協会会長。 満洲国四平街に生まれ、戦後引き揚げて浦和中学校に編入学、在学中に高田誠に師事してデッサンや油彩画を学んだ。東京芸術大学美術科卒業後、浦和市内の中学校の美術教師となった。2016年(平成28年)には北海道河西郡中札内村にある中札内美術村にて小川游作品館が開館。
澤野 立次郎 (さわの たつじろう、1932年(昭和7年) … 澤野 立次郎 (さわの たつじろう、1932年(昭和7年) - 2012年(平成24年))は、昭和から平成の音楽教育者、日本吹奏楽指導者協会会長を務めた。 昭和7年(1932年)、静岡県掛川市に生まれる。昭和33年(1958年)東京芸術大学音楽部声楽科卒業。藤原歌劇団を経て河合楽器入社。昭和38年(1963年)東京吹奏楽団創立と同時に同団のマネージャーに就任。昭和57年(1982年)上野学園学務部主任として勤務。東京芸術大学の前身である東京音楽学校の初代校長の伊沢修二の研究に取り組む。平成22年(2010年)日本吹奏楽指導者協会会長を務め、法人化に寄与した。平成24年(2012年)逝去。
フジコ・ヘミング(FuzjkoHemming) 本名:ゲオル… フジコ・ヘミング(FuzjkoHemming) 本名:ゲオルギー=ヘミング・イングリッド・フジコ(Georgii-Hemming Ingrid Fujiko、1931年12月5日 - 2024年4月21日)は、日本、ヨーロッパ、アメリカ合衆国で活躍したピアニストである。 父親はスウェーデン人で画家・建築家のヨスタ・ゲオルギー・ヘミング(スウェーデン語版)(1986年死去)、母親は日本人でピアニストの大月投網子(wikidata)(1903年 - 1993年)、俳優の大月ウルフは弟、歌手の橋本潮は従姪にあたる。 1931年6月にスウェーデン人画家の父とピアノ留学中の母が結婚して12月5日にヴァイマル共和政下のドイツベルリンでフジコが誕生する。
杉浦 範茂(すぎうら はんも、男性、1931年9月17日 -… 杉浦 範茂(すぎうら はんも、男性、1931年9月17日 - )は、日本のイラストレーター、デザイナー。児童文学の挿絵を多数担当する。 愛知県生まれ。1958年に東京芸術大学美術学部図案科卒業。製薬会社やデザイン事務所の職歴を経由した後、現在は画業のみに専念。日本児童出版美術家連盟、東京イラストレーターズ・ソサエティなどに所属。 芸術選奨新人賞(1985年)、紫綬褒章受章。 現在、東京都世田谷区在住。
小松崎 邦雄(こまつざき くにお、1931年9月2日 - 1… 小松崎 邦雄(こまつざき くにお、1931年9月2日 - 1992年12月28日)は、東京都出身の画家。浦和画家のひとり。 日暮里に生まれ、9歳の時、浦和で料亭を営んでいた叔母の縁で浦和市高砂町に転居。浦和中学校(現埼玉県立浦和高等学校)に入学し、2年生だった14歳の時に高田誠につきデッサン、油彩を学んだ。 東京芸術大学油画科に入学すると高田の師であった安井曾太郎の教室に入った。翌年に安井が退職したため林武の教室に入った。大学卒業後、同大学油絵専攻科に進み、一水会への出品が始まった。東京芸術大学講師も務めた。
小野崎 孝輔(おのざき こうすけ、1931年8月28日 - … 小野崎 孝輔(おのざき こうすけ、1931年8月28日 - 2017年11月11日)は、日本の作曲家、編曲家。秋田県出身。 1954年東京芸術大学楽理科卒業。作曲家、編曲家、指揮者、伴奏者として活動。小椋佳の初期作品やペギー葉山の作品等を手がける。20年にわたりヤマハ世界歌謡祭の音楽監督と指揮を務めたほか、読売日本交響楽団、新日本フィルハーモニー交響楽団、九州交響楽団とのコンサートや、昭和のNHK番組「音楽の花ひらく」「音楽は世界をめぐる」他クラシック音楽を世に広める番組で編曲及び指揮。1992年には福岡市民芸術祭「世界のうた」や、1995年には「ときめく愛のうた」の指揮、編曲を担当するなど、幅広い分野で活動した。
大町 陽一郎(おおまち よういちろう、1931年8月22日 … 大町 陽一郎(おおまち よういちろう、1931年8月22日 - 2022年2月18日)は、日本の指揮者。東京芸術大学名誉教授。 東京都生まれ。父は旭物産合資会社(後の旭光学工業)の社長を務めた大町弘蔵、祖父は陸軍主計少将 の大町豊五郎、曽祖父は医師の大町淳信で、典薬寮に仕えたこともある地下家の医師の家系であった。 少年時代、作曲家の呉泰次郎が開いていた音楽私塾で音楽理論、作曲法、指揮法の手ほどきを受ける。旧制成城高等学校を経て、東京芸術大学作曲科に入学するも、指揮への興味が募り、指揮法を渡邊暁雄、クルト・ヴェスに師事。その後、ウィーン国立音楽大学指揮科に入学し、指揮をハンス・スワロフスキー、フランコ・フェラーラに師事。
横井 順子(よこい じゅんこ、1931年(昭和6年)7月28… 横井 順子(よこい じゅんこ、1931年(昭和6年)7月28日 - 2019年(令和元年))は、日本のソプラノ歌手。徳島文理大学名誉教授。元徳島文理大学音楽学部学部長。 東京藝術大学音楽学部声楽科卒業。香川県出身。夫はバリトン歌手で大阪音楽大学名誉教授の横井輝男。 香川県出身。1955年(昭和30年)、東京藝術大学音楽学部声楽科を卒業。大学を卒業後は四国を中心に活動を行い、1968年(昭和43年)に夫である横井輝男と共にジョイントコンサートを開催。また同年に香川県芸術祭賞を受賞する。 1973年(昭和48年)と1976年(昭和56年)には自身のソプラノリサイタルを開催し、シューベルト、シューマン、レーヴェ、ブラームスなどの歌曲を演奏。
中原 美紗緒(なかはら みさお、1931年(昭和6年)7月1… 中原 美紗緒(なかはら みさお、1931年(昭和6年)7月18日 - 1997年(平成9年)7月8日)は、昭和期のシャンソン歌手、女優。 本名は室 美紗緒(旧姓は中原)。 叔父に画家の中原淳一、義理の叔母に女優で元タカラジェンヌの葦原邦子がいる。長男は映画監督・映像プロデューサーの室希太郎。妹の夫はミステリ作家の渡辺剣次。 東京都出身。東京芸術大学声楽科卒業。 代表曲は、「パリのお嬢さん」、「フルフル」、「私の心はバイオリン」、「河は呼んでいる」、「バス通り裏」、「夜は恋人」などがある。
外山 雄三(とやま ゆうぞう、1931年5月10日 - )は… 外山 雄三(とやま ゆうぞう、1931年5月10日 - )は、日本の指揮者・作曲家。東京市牛込区(現在の東京都新宿区)出身。東京藝術大学音楽学部作曲科卒。父は作曲家の外山國彦。弟は声楽家・合唱指揮者の外山浩爾。
澄川 喜一(すみかわ きいち、1931年5月2日 - 202… 澄川 喜一(すみかわ きいち、1931年5月2日 - 2023年4月9日)は、日本の彫刻家。勲等は文化勲章。東京芸術大学名誉教授、学校法人國學院大學顧問、日本芸術院会員、文化功労者。 島根県出身の彫刻家である。東京芸術大学美術学部教授を経て学長を務め、金沢美術工芸大学では客員教授を務めた。新制作協会の会員であり、2006年には委員長を務めた。日本芸術院会員にも選任され、文化功労者となった。また、島根県芸術文化センター グラントワのセンター長、石見美術館の館長、財団法人横浜市芸術文化振興財団の理事長などを歴任した。 島根県六日市町(現・吉賀町)生まれ。山口県立岩国工業高等学校機械科卒業。東京芸術大学美術学部彫刻科卒業。
板津 邦夫(いたづ くにお、1931年4月14日 - 202… 板津 邦夫(いたづ くにお、1931年4月14日 - 2023年1月26日)は、日本の彫刻家。北海道教育大学名誉教授。 北海道出身。北海道札幌東高等学校、東京芸術大学卒業。東京芸術大学では石井鶴三に師事した。木の特性を生かした、土俗的風合いを持った自由で斬新な木彫作品で知られる。北海道教育大学旭川校の彫刻ゼミの卒業生らでつくる彫刻グループ「青銅会」の設立者・指導者。
陰里 鉄郎(かげさと てつろう、1931年1月1日 - 20… 陰里 鉄郎(かげさと てつろう、1931年1月1日 - 2010年8月7日)は、日本の美術評論家。 長崎県北松浦郡生月町出身。1956年東京藝術大学美術学部藝術学科卒。神奈川県立近代美術館、東京国立博物館、東京国立文化財研究所の学芸員、1982年三重県立美術館館長、横浜美術館館長、女子美術大学教授、名古屋芸術大学教授。
平野 拓夫(ひらの たくお、Takuo Hirano、193… 平野 拓夫(ひらの たくお、Takuo Hirano、1930年9月15日 - 2025年4月23日)は1953年に東京藝術大学美術学部工芸科卒業後、特許庁審査官在職中にグッドデザイン商品選定(Gマーク)制度を提案、1957年の創設にて中心的役割を果たした。1970年には、株式会社平野拓夫デザイン設計事務所(現:平野デザイン設計)を設立。現在は名誉会長。また、金沢美術工芸大学、多摩美術大学、清華大学(北京)各校名誉教授、金沢工業大学客員教授など、デザインの教育機関にて要職を務めている。日本造船学会シップ・オブ・ザ・イヤー選定委員 1930年9月15日に北海道にて生まれ、北海道函館中部高校卒業後、東京芸術大学 美術学部工芸科へ進学。
小野 かおる(おの かおる、1930年8月19日 - 202… 小野 かおる(おの かおる、1930年8月19日 - 2020年10月13日)は、日本の絵本作家・画家、スペースデザイナー。東京造形大学名誉教授。 本名は成子(=しげこ)。父は詩人でロシア文学者の中山省三郎。娘は絵本作家おのりえん(小野里宴)。 東京芸術大学美術学部油絵科卒業。2007年、長年にわたる昔話絵本の創作活動に対して第30回巖谷小波文芸賞受賞。厚生大臣賞、サンケイJR賞、吉村証子賞のほか、『オンロックがやってくる』(福音館書店)で第43回産経児童出版文化賞受賞。
高塚 省吾(たかつか せいご、1930年7月26日 - 20… 高塚 省吾(たかつか せいご、1930年7月26日 - 2007年5月28日)は、日本の洋画家。美人画・裸婦で絶大な人気を誇った。 岡山市出身、東京芸術大学で梅原龍三郎、林武、硲伊之助に師事、1953年卒業。同年、恩師で日本美術会の委員長を務めた硲伊之助の影響から、第7回日本アンデパンダン展(日本美術会主催)に出品。以後、第11回まで出品。新東宝撮影所美術課に勤務のかたわら「8人の会」を結成、個展を開くなどしたが作品に恵まれず、1955年には谷桃子バレエ団の美術担当となり台本も書く。1956年NHK広報室嘱託となり、1968年まで勤める。1957年より小津安二郎監督映画のタイトルを担当するなど多方面に活躍。
細川 宗英(ほそかわ むねひで、1930年〈昭和5年〉7月2… 細川 宗英(ほそかわ むねひで、1930年〈昭和5年〉7月25日 - 1994年〈平成6年〉4月30日)は日本の彫刻家。号は観無水。 長野県松本市に生まれ、同県諏訪市で育った。長野県諏訪清陵高等学校を経て東京藝術大学美術学部彫刻科専攻科を卒業。1956年に同大学院彫刻科専攻科修了。同年同大学美術学部助手、1981年に彫刻科教授に就任。 大学在学中から新制作協会展に出品し、1950年代から1960年代初頭、日本へ流入する欧米現代美術の影響を受けつつも、やがて日本的なものへ回帰するイメージから生まれた「装飾古墳シリーズ」を制作し、第8回高村光太郎賞を受賞。 1968年、第1回文化庁芸術家在外研修員として海外派遣となった際にメキシコのマヤ文明に触れ、自らが目指す彫刻の本質を確信する。
橋本 堅太郎(はしもと けんたろう、1930年7月23日 -… 橋本 堅太郎(はしもと けんたろう、1930年7月23日 - 2021年1月31日)は、日本の彫刻家。位階は従四位。勲等は旭日中綬章。東京学芸大学名誉教授、日本芸術院会員、文化功労者。 宝仙学園短期大学助教授、東京学芸大学教育学部教授、社団法人日展理事長、社団法人日本彫刻会理事長などを歴任した。 1930年7月23日生まれ。東京出身。1953年、東京芸術大学彫刻科卒業(平櫛田中に師事)。 1954年、日展初入選、1966年、日展特選。宝仙学園短期大学助教授などをへて、1973年、東京学芸大学助教授、1974年、日展審査員、1982年、教授、1990年、日展評議員、1992年、日展文部大臣賞、1994年、日本彫刻会監事、東京学芸大学を退官、名誉教授。
助川 敏弥(すけがわ としや、1930年7月15日 - 20… 助川 敏弥(すけがわ としや、1930年7月15日 - 2015年9月26日)は、日本の作曲家・音楽評論家・雑誌編集者。 1930年札幌市生まれ。1948年北海道庁立札幌第一中学校(現在の北海道札幌南高等学校)を経て1952年東京芸術大学音楽学部作曲科入学。上京するまでは音楽全般の基礎を荒谷正雄に、東京芸術大学では池内友次郎に師事する。 1954年日本音楽コンクール作曲部門において第一位と特賞受賞。1957年同学を卒業。林光、間宮芳生、外山雄三の結成した作曲家同人「山羊の会」に参加。1960年に「オーケストラのためのパルティータ」で文部省芸術祭奨励賞を受賞したのをはじめとして後々まで数々の賞を獲得。
寺島 尚彦(てらしま なおひこ、1930年7月4日 - 20… 寺島 尚彦(てらしま なおひこ、1930年7月4日 - 2004年3月23日)は、日本の作詞家、作曲家。洗足学園音楽大学教授。娘はソプラノ歌手の寺島夕紗子。
平山 郁夫(ひらやま いくお、1930年6月15日 - 20… 平山 郁夫(ひらやま いくお、1930年6月15日 - 2009年12月2日)は、日本の日本画家、教育者。位階は従三位。勲等は文化勲章。東京芸術大学名誉教授、文化功労者。 東京芸術大学美術学部教授、東京芸術大学美術学部学部長、東京藝術大学学長(第6・8代)、財団法人文化財保護振興財団理事長、日本育英会会長、財団法人日本美術院理事長、東京国立博物館特任館長などを歴任した。 広島県出身の日本画家、教育者である。日本美術院理事長、一ツ橋綜合財団理事、第6代・第8代東京芸術大学学長などを務めた。文化功労者として顕彰され、のちに文化勲章を受章した。広島県名誉県民、広島市名誉市民、鎌倉市名誉市民などの称号を授与されている。
掛井 五郎(かけい ごろう、1930年(昭和5年)6月5日 … 掛井 五郎(かけい ごろう、1930年(昭和5年)6月5日 - 2021年(令和3年)11月22日)は、日本の彫刻家である。 静岡県に生まれる。19歳のときに木内克に師事し、彫刻家を志す。1953年東京藝術大学彫刻科卒業。1957年、第21回新制作協会展にて新作家賞を受賞し、以後団体を退会する2001年まで新制作協会を中心に活動。1962年には青山学院女子短期大学芸術学科の教授、1968年にはベラクルス大学(メキシコ)の客員教授に就任。 彼の作品はユーモアのある作風であり、以降も多くの賞で受賞する。掛井は立体作品を軸に、油彩、ドローイング、エッチングやリトグラフなど幅広いメディウムと技法で自由な制作を続けた作家で日本の戦後の彫刻家としてもその名が知られています。
小林 トミ(こばやし トミ、1930年5月15日 - 200… 小林 トミ(こばやし トミ、1930年5月15日 - 2003年1月2日)は、日本の市民運動家、画家。市民グループ「声なき声の会」の中心メンバーとして安保闘争、反戦活動に従事し、鶴見俊輔や高畠通敏らとベ平連スタイルの市民運動の原型をつくった。 茨城県土浦市に生まれる。父親はパン屋を営んでいたが、米相場に手を出して事業不振に陥り、1934年(昭和9年)に一家で千葉県浦安町(現・浦安市)に移って下駄と鼻緒の行商を始めた。 東京都立葛飾高等女学校(現・東京都立南葛飾高等学校)に進学するも、1944年(昭和19年)11月以降は授業はなかった。1945年(昭和20年)3月10日の東京大空襲後、一家は浦安も危ないと判断し、土浦市に疎開。
柿木吾郎(かきのき ごろう、1930年5月10日-2013年… 柿木吾郎(かきのき ごろう、1930年5月10日-2013年1月8日)は、日本の音楽学者。 東京生まれ。1955年東京芸術大学音楽学部楽理科卒。宮崎大学教育学部助教授、上越教育大学教授。94年定年退官、名誉教授。
橘野 富彦(きつの とみひこ、1930年4月29日 - 19… 橘野 富彦(きつの とみひこ、1930年4月29日 - 1994年12月24日)は、日本の洋画家。国画会会員。 山口県生まれ。肖像画を描きながら全国を旅していた洋画家の父の影響で、幼い頃から絵画に没頭する。1950年、東京芸術大学油学科卒業後、フランスのパリで洋画に影響を受け、帰国し洋画家安井曽太郎に師事。国画会で第29回国画会展1955年にプールブ賞、1956年に30周年記念賞を受賞し、翌年には早くも同会会員となり、異例の若さで入会する。数々の賞を受賞し、名誉会員として名が刻まれる。妻は二科会会員の恵委子(1932年 - 2002年1月)。女子美術大学を卒業し渡仏していた彼女と、パリで知り合った。
泉 眞也(泉 真也、いずみ しんや、1930年3月30日 -… 泉 眞也(泉 真也、いずみ しんや、1930年3月30日 - 2022年1月2日)は、日本の環境デザイナー、プロデューサー。 東京都出身。1955年、東京芸術大学美術学部工芸科を卒業し、キヤノンカメラに入社(技術部配属)。1962年に同社を退社し、フリーランスとなる。同年、世界の都市・高速道路の視察団に参加。帰国後、高速道路標識の文字フォントのデザイン策定統括を担当した。博覧会関連では、1970年大阪万博、1975年沖縄海洋博、1985年つくば科学万博への関与を皮切りに、1990年花の万博、2005年愛・地球博では総合プロデューサーを務めた。後進指導では、金沢美術工芸大学特別客員教授、多摩美術大学美術学部2部デザイン学科客員教授を歴任した。
辻 茂(つじ しげる、1930年3月29日 -2017年7月… 辻 茂(つじ しげる、1930年3月29日 -2017年7月2日)は、日本の美術史学者。東京藝術大学名誉教授。西洋美術史専攻。 福井県敦賀市出身。東京藝術大学美術学部藝術学科卒。イタリアに留学後、同大で教え、日本におけるイタリア美術史の権威の一人として指導に当たった。東京藝術大学美術学部助教授、教授。1997年定年退官、名誉教授。1996年『遠近法の発見』でマルコ・ポーロ賞受賞。ルネサンス期の遠近法の研究で知られた。 2011年11月瑞宝中綬章受章。 退官後はイタリアで在住していた。肺炎のため、入院先のイタリア中部オルビエトの病院で亡くなった。
保田 春彦(やすだ はるひこ、1930年2月21日 - 20… 保田 春彦(やすだ はるひこ、1930年2月21日 - 2018年1月20日)は、日本の彫刻家・画家。武蔵野美術大学名誉教授。 1930年和歌山県生まれ。父は、南方熊楠の肖像彫刻で有名な彫刻家の保田龍門。娘婿は彫刻家の西村浩幸。 東京美術学校(現東京芸術大学)を卒業。1958年2月より10年近くヨーロッパ各地で滞在、制作を行う。オシップ・ザッキン等に師事。1968年、日本に帰国。1975年に武蔵野美術大学教授に就任し、1999年まで在職した。2018年1月20日、老衰のため死去。
浮田 克躬(うきた かつみ、1930年2月17日 - 198… 浮田 克躬(うきた かつみ、1930年2月17日 - 1989年8月30日)は、洋画家。 1930年2月17日、東京都杉並区に江幡寛夫の長男として生まれる。母が病気のため、母方の祖父である政治学者の浮田和民により育てられる。のち離婚のため、浮田姓を名乗る。高座郡茅ケ崎尋常高等小学校の4年時に第1回聖戦美術展を見て感動し、油絵画家を志す。その後、藤嶺学園藤沢中学校に入学。14歳の時には小林萬吾に石膏デッサンの個人指導を受けている。 中学3年修了後に15歳で東京美術学校(現在の東京芸術大学美術学部)油画科に特例で入学する。安井教室に入り、安井曾太郎と伊藤廉の指導を受ける。1950年に20歳で東京美術学校油画科を卒業。
築地 利三郎(つきじ りさぶろう、1930年〈昭和5年〉2月… 築地 利三郎(つきじ りさぶろう、1930年〈昭和5年〉2月8日 - 2025年〈令和7年〉3月11日)は、日本の声楽家(バリトン(バスバリトン))。音楽教育者。合唱指揮者。 秋田県大曲市(現:大仙市)出身。弟に洗足学園音楽大学元名誉教授の築地文夫、兄に有機農業運動指導者の築地文太郎がいる。1955年(昭和30年)東京芸術大学卒業。畑中良輔、中山梯一に師事。柔らかく重厚味のある声で、ドイツ歌曲を深く学び、1957年(昭和32年)ヴォルフのみによるリサイタルを開き好評を得たほか、日本歌曲、ロシア歌曲にも独特な味わいをみせている。 オペラでは1953年(昭和28年)二期会第2回公演フリードリッヒ・フロトー『マルタ』でデビュー。
大賀 典雄(おおが のりお、1930年1月29日 - 201… 大賀 典雄(おおが のりお、1930年1月29日 - 2011年4月23日)は、日本の実業家、声楽家(バリトン歌手)。位階は従三位。勲等は勲一等。 実業家として、CBS・ソニーレコード株式会社社長(初代)、ソニー商事株式会社社長、東京商工会議所副会頭、ソニー株式会社社長・最高経営責任者(初代)・会長、社団法人経済団体連合会副会長などを歴任した。財団法人東京フィルハーモニー交響楽団会長・理事長、東京文化会館館長を務めた。 東京芸術大学音楽学部声楽科を卒業し、西ドイツに留学してベルリン国立芸術大学音楽学部を卒業した声楽家でもあった。30代半ばだった1964年の時点では、バリトン歌手として活発に活動しており、実業家(ソニー商事株式会社取締役広報部長)と二足の草鞋を履いていた。
原田 甫(はらだ はじめ、1930年1月20日 - 1993… 原田 甫(はらだ はじめ、1930年1月20日 - 1993年12月5日)は、日本の作曲家。 北海道旭川市出身。中学時代に伊福部昭の《交響譚詩》を聴いたことから作曲を志す。伊福部と同じ札幌第二中学校、札幌西高等学校を経て、1951年4月東京音楽学校作曲科(1952年に東京藝術大学音楽学部となる)に入学し、当時講師をつとめていた伊福部昭に師事するが、伊福部が辞任すると中退する。伊福部の映画音楽制作を手伝うようになり NHK電子音楽スタジオを利用していた 黛敏郎のアシスタントをつとめ、自身の記録映画音楽の作曲に携わり『海壁』『ぬれる』など多くの作品を手がける。 記録映画音楽、テレビドキュメンタリーの音楽などで活躍する一方、純音楽の分野では、《ギター・ソナタ》、《第一シンフォニー》などの作品があり、ギター曲は現在でも演奏されることが多い。
中谷 千代子(なかたに ちよこ、1930年1月16日 - 1… 中谷 千代子(なかたに ちよこ、1930年1月16日 - 1981年12月26日)は、日本の画家、絵本作家。 1930年1月16日、東京府生まれ。東京府立第十一高等女学校(現東京都立桜町高等学校)卒業後、東京美術学校(現・東京芸術大学)油絵科に進学。美術学校在学中は梅原龍三郎に師事した。後に詩人として活躍する岸田衿子は同級生で、親友となった。美術学校卒業後、先輩だった中谷貞彦と結婚。 在学中から子どもに絵を教える中で、子どもの絵の表現から学んでいたが、1957年ごろから絵本の仕事に興味を持つ。岸田に誘われて、福音館書店の編集長松居直を訪ね、絵本を作ることになる。 最初の作品は『ジオジオのかんむり』(「こどものとも」52号(1960年7月号))で、主人公のライオンのジオジオを描くために動物園でイメージに合うライオンを探し、原画は7回描きなおした。
今井 珠泉(いまい しゅせん、1930年1月14日 - 20… 今井 珠泉(いまい しゅせん、1930年1月14日 - 2023年1月15日)は、日本の画家。広島市立大学名誉教授、尾道市立大学名誉教授。本名は、今井昭吾。 福島県白河市生まれ。1947年、旧制白河中学校(現 白河高等学校)を卒業。1956年、東京藝術大学美術学部日本画科卒業。在学中は、前田青邨に師事した。 同年、院展に「禮拝」が初入選。1969年、愛知県立芸術大学助教(- 1971年)。1978年と1988年に紺綬褒章を受章する。1992年・1994年・1999年の三度にわたり、日本美術院賞(大観賞)を受賞する。2003年10月30日、日本美術院同人に推挙される。2009年、院展に出品した「静日(イヌワシ)」「静夜(流氷)」が文部科学大臣賞を受賞する。
東川 清一(とうかわ せいいち、1930年1月2日- )は、… 東川 清一(とうかわ せいいち、1930年1月2日- )は、日本の音楽学者であり音楽評論家、東京学芸大学名誉教授。 富山県滑川市生まれ。1957年東京芸術大学音楽学部楽理科卒業。1965~67年アレクサンダー・フォン・フンボルト財団給費留学生としてケルン大学音楽学研究所に留学。東京学芸大学助教授、教授、93年定年退官、名誉教授、東海大学教授。2010年退任。バッハ研究の権威として名高い。 この項目は、クラシック音楽に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル クラシック音楽/ウィキプロジェクト クラシック音楽)。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
飯田 隆(いいだ たかし、1930年 - 2008年 )は、… 飯田 隆(いいだ たかし、1930年 - 2008年 )は、日本の作曲家、音楽理論家。宇都宮大学名誉教授。 1930年、東京都出身。 東京藝術大学卒業。同専攻科修了。石桁真礼生に師事。1972年より宇都宮大学教育学部で教鞭を執る。 作曲家の会「環」の代表世話人を務めた。 この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:音楽)。
瀬山 詠子(せやま えいこ、1930年(昭和5年) - )は… 瀬山 詠子(せやま えいこ、1930年(昭和5年) - )は、日本の声楽家(ソプラノ)。音楽教育者。東京藝術大学名誉教授。二期会会員。 東京藝術大学卒業。畑中良輔、畑中更予に師事。1956年(昭和31年)モーツァルト『フィガロの結婚』ケルビーノでデビュー。1959年(昭和34年)に第1回のリサイタルを開いたのをはじめ、リサイタルを数多く開催。オペラではヒンデミット『ロング・クリスマスディナー』ルーシィ、『フィガロの結婚』伯爵夫人、カール・オルフ『賢い女』などに出演。出演歴は昭和音楽大学オペラ情報センターの記録だけで29件存在する。 また、オペラだけでなく、リートや日本歌曲の普及には先達とも言えるソプラノで、なかでも現代音楽の演奏に優れ、三善晃、石桁真礼生、池内友次郎作品など、現代日本歌曲の分野で不可欠な存在となっている。
白鳥 三郎(しらとり さぶろう、1930年 - 2018年1… 白鳥 三郎(しらとり さぶろう、1930年 - 2018年10月22日)は、日本生まれの画家であり、独立美術協会の審査員を務めた経歴を持つ。宮城県古川市(現:大崎市古川)出身。戦後の日本美術界において独自の画風を確立し、数々の展覧会で評価された。 宮城県大崎市古川(旧・古川市)の出身、宮城県古川高等学校を卒業後東京芸術大学(旧東京美術学校)に進学。大学では日本画と洋画の基礎を学びながら、美術史に関心を深めた。在学中に樋口加六、海老原喜之助ら日本の美術界の著名な画家に師事。これにより白鳥は、フランスの巨匠アンリ・ルソーや藤田嗣治(レオナール・フジタ)の影響を受けた芸術潮流を間接的に受け継ぐこととなった。
間宮 芳生(まみや みちお、1929年6月29日 - 202… 間宮 芳生(まみや みちお、1929年6月29日 - 2024年12月11日)は、日本の作曲家。 北海道旭川市生まれ、青森県青森市育ち。東京音楽学校(現:東京芸術大学)作曲科にて池内友次郎に師事するが、同校入学までは作曲もピアノも独学であった。 1953年、外山雄三、林光と共に『山羊の会』を結成する。 1970年代、谷川雁が創設したラボ教育センターの物語テープに音楽を提供。1981年「十代の会」の発起人の一人として同会創立に参加。 2024年12月11日、肺炎のため死去。95歳没。 ()内の人物は台本作者、作詩者、または献呈者。