弘一(こういつ、1880年10月23日 - 1942年10月… 弘一(こういつ、1880年10月23日 - 1942年10月13日)は、中華民国の詩人、禅僧、音楽教育者、芸術教育者。本名は李叔同。又名は李息霜、李岸、李良、譜名は文涛、幼名は成蹊、学名は広侯、字は息霜、別号は漱筒。法名は演音、号は弘一と晩晴老人。仏教徒には「重興南山律宗第十一代祖師」と崇められたという。 1880年、天津に生まれる。祖父は李鋭、父の李世珍は吏部主事。李叔同の親は敬虔な仏教徒だった。 1884年(光緒10年)、5歳の時、74歳の父は病気で亡くなった。 1885年、李叔同は啓蒙教育を受け始めた。 1887年、常雲荘に師事。李叔同は四書五経、金石、書道を勉強し始めた。 1895年、16歳の時、輔仁書院に入学。
山本 正夫(やまもと まさお、1880年7月1日 - 194… 山本 正夫(やまもと まさお、1880年7月1日 - 1943年4月5日)は、日本の作曲家、音楽教育者。 1880年、兵庫県出石郡出石松ヶ枝町(現在の豊岡市出石町松枝)生まれ。東京音楽学校本科器楽部でヘルマン・ハイドリヒにピアノを師事し、1903年7月に卒業。卒業期にはラファエル・フォン・ケーベルとノエル・ペリ(英語版)の指導下で歌劇の研究をした。1903年から島根県師範学校に、1909年から東京府豊島師範学校に勤める。師範学校勤務の傍、多くの童謡唱歌や校歌を制作した。退職後の1937年に帝都学園女学校を設立。 1903年7月に日本初のオペラ『オルフェオとエウリディーチェ』(旧東京音楽学校奏楽堂)に参加。
田中 寅三(たなか とらぞう、1878年3月7日 - 196… 田中 寅三(たなか とらぞう、1878年3月7日 - 1961年7月4日)は、日本の洋画家、絵画教育者。 千葉高等園芸学校(現・千葉大学園芸学部)などで図画の教鞭をとりながら、学校の所在する千葉県松戸市に住み、同地の農村風景画から海や船舶のある風景画作品を多く残す。 油彩画の他に、日本画風の絵画も描いた。 愛媛県宇和島に、彦根藩士であった田中文二の次男として生まれる。父は井伊家のお抱え絵師だったとされるがはっきりしない。一家は明治維新後郵便局を営んでいたが、1985年に大阪に転居し、書店を開業している(現・合資会社田中青柳堂書店)。 絵画を寅三はまず1894年大阪で山内愚僊に学ぶ。当時の山内門下には山本森之助、赤松麟作らがいた。
岡野 貞一(おかの ていいち、1878年〈明治11年〉2月1… 岡野 貞一(おかの ていいち、1878年〈明治11年〉2月16日 - 1941年〈昭和16年〉12月29日)は 、日本の作曲家 、教育者 、オルガニスト。東京音楽学校(現在の東京芸術大学)教授。 鳥取県邑美郡古市村(現在の鳥取市)に、士族 岡野平也の子として生まれ、幼少期に実父を亡くし、貧困の中で育つ。鳥取高等小学校(現在の鳥取市立久松小学校)へ進学。同校には日本の音楽教育家・作曲家田村虎蔵も学年違いで在校していた。 1892年、キリスト教徒として鳥取教会(現在:日本基督教団)で洗礼を受け、翌年、岡山の教会で宣教師からオルガンの演奏法を習った。 東京音楽学校(現在の東京藝術大学)の第2代校長である同郷の村岡範為馳が1892年に鳥取で行った講演に影響され、1895年には岡山の薇陽学院を中退し、上京して東京音楽学校に入学、1900年に専修部を卒業した。
赤松 麟作(あかまつ りんさく、1878年〈明治11年〉1月… 赤松 麟作(あかまつ りんさく、1878年〈明治11年〉1月20日または10月11日 - 1953年〈昭和28年〉11月24日)は、日本の洋画家、教育者。 赤松良子は3女である。 現在の岡山県津山市本町3丁目に、兄2人姉1人の4人兄弟の末っ子として生まれる。1883年に大阪へ転居。父は亜鉛製造、酸化亜鉛製造、ペンキ製造と職を変えるがいずれも成功せず、ペンキで絵を描く看板屋を始める。 小学校卒業後、父の仕事を手伝っていると、大阪最初期の洋画家で大阪朝日新聞で挿絵画家をしていた山内愚僊と知り合う。この時、愚僊はペンキで巧みに油画を描き、麟作は画が非常に好きになってしまったという。1893年数え16歳でその内弟子となり、愚僊の同僚だった西村天囚から『日本外史』などの漢学を習う。
福井 直秋(ふくい なおあき、1877年10月17日 - 1… 福井 直秋(ふくい なおあき、1877年10月17日 - 1963年12月12日)は、日本の作曲家、教育者。富山県中新川郡上市町出身。帝国音楽学校校長、武蔵野音楽大学創設者であり初代学長。 富山県中新川郡宮川村(現上市町)浄誓寺住職・福井智拓の五男として誕生。1899年に東京音楽学校へ進学し授業補助をしていた瀧廉太郎と出会う。声楽指導法や歌曲集編纂に尽力する。歌曲、器楽曲の創作に意欲を燃やして約1000曲の音楽作品を遺した。1904年長野師範学校教諭、1928年に第一次帝国音楽学校校長に就任。同年辞任し同校生徒らと共に、翌1929年に武蔵野音楽大学の前身である武蔵野音楽学校を創設し移籍する。1949年に新制大学の武蔵野音楽大学の初代学長に就任した。
島崎 赤太郎(しまざき あかたろう、1874年〈明治7年〉7… 島崎 赤太郎(しまざき あかたろう、1874年〈明治7年〉7月9日 - 1933年〈昭和8年〉4月13日)は、日本の作曲家、音楽教育者であり、オルガン奏者である。東京音楽学校(現在の東京芸術大学)教授。 東京の築地(入船)に生まれた。父親の熊次郎は大工棟梁であったが、1886年(明治19年)ごろ、一家をあげてクリスチャンとなった。この父親は1890年(明治23年)の内国勧業博覧会にオルガンを出品していた。赤太郎は東京音楽学校(現・東京藝術大学)入学後、専修部でルドルフ・ディットリヒ、小山作之助らの元で学び、1893年(明治26年)に卒業。そのまま母校の助教となり、1901年(明治34年)には昭憲皇太后御前演奏を行っている。
一條 慎三郎(いちじょう しんざぶろう、1870年 - 19… 一條 慎三郎(いちじょう しんざぶろう、1870年 - 1945年)は、日本の音楽教育者。 信濃国松代城下に松代藩士の子として生まれる。東京音楽学校を中途退学し、音楽教師として立教学院や山形師範学校で教鞭を執る。伊沢修二の招聘により台湾に渡り、台湾総督府国民学校助教授のち、台北師範学校教授となる。爾来、台湾独自の唱歌の制作に励行し、「公学校唱歌集」の編纂にあたり、全46曲中15曲を作曲した。また台湾放送協会に台北放送局(JFAK)楽団を設立し、師範学校の学生合唱団を組織し、各地で演奏会を開催した。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
多 梅稚(おおの うめわか、明治2年11月7日(1869年1… 多 梅稚(おおの うめわか、明治2年11月7日(1869年12月9日) - 大正9年(1920年)6月20日)は、日本の音楽教育者、作曲家、チェリスト。 明治2年、宮廷雅楽の家系である多家の次男として京都に生まれる。東京音楽学校へ進み、1892年年に専修部を卒業すると大阪府尋常師範学校(今の大阪教育大学)で教諭として勤務した。その最中の明治33年(1900年)に、作詞家大和田建樹に依頼され『鉄道唱歌』を作曲した。 このとき、大和田建樹は上眞行(「一月一日」などの作者で、この時東京音楽学校講師)にも作曲を依頼しており、上眞行は自分より格が劣るようだった多にも同時依頼したことを不快に思ったといわれるが、結局は勝つ自信があったため引き受けたといわれる。
楠美 恩三郎(くすみ おんざぶろう、1868年4月17日(慶… 楠美 恩三郎(くすみ おんざぶろう、1868年4月17日(慶応4年3月25日) - 1927年(昭和2年)10月8日)は、日本の作曲家、教育者。東京音楽学校(現在の東京芸術大学)教授。青森県弘前市出身。 弘前藩士、楠美晩翠の三男として生まれる。1889年(明治22年)、東京音楽学校師範部を卒業。1902年(明治35年)、東京音楽学校助教授、1910年(明治43年)〜1917年(大正6年)まで同教授として活躍し、日本の音楽教育に貢献した。 また、島崎赤太郎、岡野貞一、南能衛、上真行、小山作之助らとともに、文部省編『尋常小学唱歌』の作曲委員の一人として参加し、『尋常小学読本唱歌』の編纂にもたずさわった。
釼持(剣持)忠四郎(けんもち ちゅうしろう、1864年9月2… 釼持(剣持)忠四郎(けんもち ちゅうしろう、1864年9月24日(元治元年8月24日) - 1909年(明治42年)10月1日)は、明治時代の教育者。 岡倉天心(覚三)の腹心として、東京美術学校(現在の東京芸術大学)の運営や、日本美術院の創設に深く関わった。 武蔵国榛沢郡新会村(現・埼玉県深谷市)出身。1883年(明治10年)に陸軍に入隊、1885年(明治18年)9月に体操の研究のため陸軍戸山学校体操科に入学し、同年に卒業。近衛兵も務め[要出典]、1889年(明治22年)に退役。 1890年(明治23年)7月から1898年(明治31年)4月まで東京美術学校に勤務した。同校では体育を教授したほか、教務や助教授を務め、校長であった岡倉天心の秘書的役割も担った。
小山 作之助(こやま さくのすけ、文久3年12月11日(18… 小山 作之助(こやま さくのすけ、文久3年12月11日(1864年1月19日) - 昭和2年(1927年)6月27日)は、日本の教育者・作曲家。日本教育音楽協会初代会長。 文久3年12月11日(1864年1月19日)越後国頸城郡潟町村(現在の上越市大潟区潟町)に生まれる。16歳で小学校を卒業した後、石油事業をしていた父の仕事を手伝うため高田町(のちの高田市、現在の上越市)へ移り住み、夜は漢学塾に通う生活をしていた。 1880年(明治13年)家人に無断で上京、大学予備門を経て築地大学(現在の明治学院大学)へ入学する。英語と数学を学び1883年(明治16年)2月、文部省音楽取調所に入学し、伊沢修二に師事。
志野 文音(しの あやね、Ayane Shino)は、日本の… 志野 文音(しの あやね、Ayane Shino)は、日本のギタリスト、作曲家、音楽教育者。博士(学術)。東京藝術大学大学院博士後期課程修了。クラシック音楽を基盤に、アンビエントやエレクトロニカなどジャンルを横断する演奏・制作活動を行う。国立音楽大学非常勤講師、日本ジュニア・ギター教育協会副会長、日本・スペインギター協会理事。 兵庫県出身。幼少期よりギター・ピアノを学ぶ。東京藝術大学音楽環境創造科に進学し、安宅賞を受賞。卒業時にはアカンサス音楽賞を受賞し、同科を首席で卒業した。その後、同大学大学院博士後期課程を修了し、博士号(学術)を取得。研究テーマは「クラシックギターにおける奏法の違いによる音色印象の変化」で、日本音響学会誌などに論文を発表している。
成田 英文(なりた ひでふみ、1964年(昭和39年)は、日… 成田 英文(なりた ひでふみ、1964年(昭和39年)は、日本の声楽家(テノール)、テノール歌手、音楽教育者、演奏会プロデューサー、舞台演出家。 1964年(昭和39年)宮城県美里町出身。美里町立小牛田中学校、宮城県古川高等学校卒業。1987年東京芸術大学音楽学部声楽科卒業。ロドルフォ・リッチ、ブルーノ・ペラガッティ、マンフレーディ・アルジェント、ロゼッタ・エリー、ピエール・ミランダ・フェッラーロ、須賀靖和。また、フランス・オペラをパリ・オペラ座のジャニーヌ・ライスに師事。 1986年(昭和61年)大学4年時にヘンデルの「メサイア」のテノール・ソロを歌いデビュー。翌年、スメタナの歌劇「売られた花嫁」で主役のイェニーク役を歌いオペラ・デビューをした。
星 洋二(ほし ようじ)は日本の声楽家(テノール)、音楽教育… 星 洋二(ほし ようじ)は日本の声楽家(テノール)、音楽教育者。父は作曲家で音楽教諭の星和男。 福島県会津若松市出身。福島県立会津高等学校卒業。高校では合唱部に所属し、3年時に全日本合唱コンクールで全国優勝。その際に演奏された湯山昭作曲『ゆうやけの歌』は名演奏として名高いが、そのテノールソロを務めている。 1984年(昭和59年)東京藝術大学音楽学部声楽科卒業。1986年(昭和61年)東京藝術大学大学院オペラ科修了。渡邊高之助、高丈二、高橋啓三、疋田生次郎に師事。1991年(平成3年)1月より1年間、アルド・プロッティのもとで、ヴェルディ(『リゴレット』『椿姫』など)の歌唱法と、ベルカント・オペラの発声法を学んだ。
高橋 大海(たかはし たいかい)は、日本の声楽家(バス)、指… 高橋 大海(たかはし たいかい)は、日本の声楽家(バス)、指揮者、音楽教育者。 東京都立上野高等学校卒業。東京藝術大学卒業・同大学院修了。ドイツ・イタリア留学。 オペラのデビューは、1966年(昭和41年)二期会・都民劇場ワーグナー『タンホイザー』(原語初演)ラインマル。二期会、東京室内歌劇場、日生劇場等で活躍し、歌手としての出演は1996年(平成8年)日生劇場オネゲル『火刑台上のジャンヌ・ダルク』ドミニクまで約100作品にのぼる。一方、1980年代以降はスタッフ側につくことが多くなり、歌唱指導、制作、公演監督などを務め、そして1990年代からはオペラ指揮者として活動を開始し、2000年代以降は専らオペラ指揮者として活躍している。
大久保 昭男(おおくぼ あきお、生年月日非公表)は、日本の声… 大久保 昭男(おおくぼ あきお、生年月日非公表)は、日本の声楽家(バリトン)、音楽教育者。 1953年(昭和28年)東京藝術大学音楽学部声楽科卒業。矢田部勁吉に師事。 1953年(昭和28年)5月NHKオーディションに合格。1954年(昭和29年)2月二期会オペラ近衛秀麿指揮、青山杉作演出による『カルメン』のモラレス役でデビュー。同年5月日本楽劇協会・二期会オペラ山田耕筰:本人指揮『黒船』(初演)、長門美保歌劇団ドヴォルザークのオペラ石井歓指揮、青山圭男演出による『ルサルカ』(初演)等にも出演した。1959年(昭和34年)にドイツ・リート、日本歌曲による第一回リサイタルを開催した。 1960年(昭和35年)、畑中良輔の求めに応じて慶應義塾ワグネル・ソサィエティー男声合唱団のヴォイストレーナーに就任。
川上 晃(かわかみ あきら)は、日本の音楽教育者・音楽学者。… 川上 晃(かわかみ あきら)は、日本の音楽教育者・音楽学者。群馬大学教育学部教授。専門は音楽学。 1975年東京芸術大学音楽学部卒業、1978年同大学院音楽研究科修了、芸術学修士。 東京音楽大学紀要 (大学・研究所等紀要、1985年) 東京音楽大学紀要 (大学・研究所等紀要、1979年) 群馬大学教育学部紀要 (大学・研究所等紀要、1988年) この項目は、音楽に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル 音楽/ウィキプロジェクト 音楽)。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
小泉 惠子(こいずみ けいこ)は、日本の声楽家(ソプラノ)、… 小泉 惠子(こいずみ けいこ)は、日本の声楽家(ソプラノ)、音楽教育者。恵子という表記も見られる。 1977年(昭和52年)東京芸術大学卒業。畑中良輔、三浦智津子に師事。1976年(昭和51年)芸大在学中に芸大『メサイア』にてソプラノソロ。卒業時には、NHK新人演奏会やFMリサイタルに出演。1977年 - 1978年(昭和53年)米国サンフランシスコ音楽院に留学。レノアール・ホザックに英・独歌曲とオペラ等、レオポルド・シモノーに仏歌曲、特にベラ=ローザ(キリ=テ=カナワの師)から高く評価され、特別指導を受けた。東京芸術大学大学院修士修了。第一回奏楽堂日本歌曲コンクール第一位。 山田耕筰賞・木下記念金メダル受賞。
永富 啓子(ながとみ けいこ)は、日本の声楽家(ソプラノ、メ… 永富 啓子(ながとみ けいこ)は、日本の声楽家(ソプラノ、メゾソプラノ)、合唱指揮者、音楽教育者。 佐賀県唐津市出身。東京芸術大学音楽学部声楽科卒業。1971年(昭和46年)ウィーンに渡り、ウィーン国立音楽大学発声科、リート・オラトリウム科、オペラ科の各科を卒業。 畑中良輔、W.シュタインブリック、エリック・ヴェルバ、A.コローに師事。 1974年(昭和49年)のウィーン・カンマーオペラ劇場出演を皮切りに、オーストリアと日本で積極的な演奏活動を行う。特にドイツ歌曲の分野には研鑽を重ね、その演奏は常に好評を受けている。永年にわたってウィーン日本人会婦人部女声コーラス“シュパッツェンコーア”の指揮を務める。
中村 義春(なかむら よしはる)は、日本の声楽家(バリトン)… 中村 義春(なかむら よしはる)は、日本の声楽家(バリトン)、オペラ歌手、音楽教育者、合唱指揮者、作曲家。東京学芸大学名誉教授、洗足学園音楽大学名誉教授。 1956年(昭和31年)東京藝術大学声楽科卒業。畑中良輔、小池寿郷に師事。 公式デビューは1957年(昭和32年)二期会 ビゼー『カルメン』モラレスとなっている(それ以前の記録もある。後述)。以後、ブリテン『夏の夜の夢』ディミトリアス、プッチーニ『蝶々夫人』シャープレス、ロッシーニ『セヴィリアの理髪師』フィガロ、ヨハン・シュトラウス2世『こうもり』フランク、レオンカヴァッロ『道化師』シルヴィオ等に出演。 特に室内歌劇や日本の創作オペラに意欲的に取り組んでおり、石桁眞禮生『駈込』、佐藤眞『芥子の天人』、オムニバス・オペラ『小判狂言』、浦田健次郎『トントコトン物語』、飯田隆『真説カチカチ山』、石桁眞禮生『卒塔婆小町』等に出演。
西川 秀人(にしかわ ひでと)は日本のピアニスト、音楽教育者… 西川 秀人(にしかわ ひでと)は日本のピアニスト、音楽教育者。 5歳よりピアノを始め、長岡敏夫、伊達純に師事。 1976年(昭和51年)東京藝術大学音楽学部卒業。同大学院修士課程を修了し、イタリアに留学。国立ローマ・サンタチェチーリア音楽院でヴィンツェンツォ・ヴィターレ、レンツォ・シルヴェストリに師事。同音楽院卒業。 第7回セニガッリア国際ピアノコンクールで第1位入賞。その後ローマを始めイタリア各地でリサイタルを開催。 帰国後も東京でのリサイタルをはじめ、NHK-FMの録音、オーケストラとの共演、室内楽及び声楽、合唱のピアノ奏者を務める等、多方面に亘って活動を行っている。1983年(昭和58年)東西四大学合唱演奏会における小林研一郎の指揮による早稲田大学グリークラブの『繩文』は名演として知られる。
平松 英子(ひらまつ えいこ)は、日本の声楽家(ソプラノ)、… 平松 英子(ひらまつ えいこ)は、日本の声楽家(ソプラノ)、音楽教育者。東京芸術大学音楽学部教授。 東京都出身。東京学芸大学附属竹早小学校、東京学芸大学附属竹早中学校、東京都立芸術高等学校を経て、1980年(昭和55年)東京芸術大学音楽学部声楽科卒業。1983年(昭和58年)同大学院オペラ科修了。その後、ドイツ学術交流会 (DAAD) 奨学生としてミュンヘン音楽大学に留学。ハンス=マルティン・シュナイト、ハンノ・ブラシュケ (De:Hanno Blaschke) のもとで学び、1987年(昭和62年)マイスタークラスを修了する。東敦子に師事。 プロとしてのキャリアのスタートは、ミュンヘン音楽大学在学中に代役としてバッハ・コレギウム・ミュンヘンのJ.S.バッハ『ヨハネ受難曲』に出演したことから始まった。
三宅 麻美(みやけ まみ)は、日本のクラシック・ピアニスト、… 三宅 麻美(みやけ まみ)は、日本のクラシック・ピアニスト、ピアノ教育者。 神奈川県生まれ。東京芸術大学器楽科ピアノ専攻卒業。ドイツ国立ベルリン芸術大学卒業、同大学院演奏家コースを修了し、ドイツ国家演奏家資格取得。イモラ国際ピアノアカデミーをディプロマを得て卒業。 小笠原二郎、助川陽子、辛島輝治、クラウス・ヘルヴィッヒ、レオニード・マルガリウス、ボリス・ペトルシャンスキーに師事。 2008年日本人初となる「ショスタコーヴィチ《24の前奏曲とフーガ》全曲」のCDを発売。 「三宅麻美 ショスタコーヴィチ・シリーズ」のほか、「ベートーヴェン・ピアノ・ソナタ全曲演奏会」、N響メンバーとの「ベートーヴェン室内楽シリーズ」(ピアノ・トリオ、ヴァイオリン・ソナタ、チェロ・ソナタ各全曲)などの演奏会を行っている。