霜田 一敏(しもだ かずとし、1931年5月26日 - 20… 霜田 一敏(しもだ かずとし、1931年5月26日 - 2021年10月31日)は、日本の教育学者、愛知教育大学名誉教授。 群馬県前橋市生まれ。1955年名古屋大学教育学部卒、1966年同大学院博士課程満期退学、帝塚山小学校教諭、福岡教育大学助教授、愛知教育大学教授。愛知教育大学附属岡崎小学校校長、1995年定年退官、名誉教授、愛知淑徳大学言語文化研究所教授。 2021年10月31日、肺がんのため、愛知県岡崎市内の病院で死去。90歳没。死没日をもって正四位に叙され、瑞宝中綬章を追贈された。
伊藤 喜栄(いとう よしえい/よしえ、1931年5月8日- … 伊藤 喜栄(いとう よしえい/よしえ、1931年5月8日- )は、日本の地理学者。慶應義塾大学名誉教授。経済地理学専攻。 愛知県一宮市第四小学校(在籍中に国民学校へ移行)から愛知県立一宮中学校に進み、在学中に昭和東南海地震を経験した。1945年4月、大阪陸軍幼年学校に入学し49期生となったが、これは最後の陸軍幼年学校生徒となったことを意味していた。敗戦後、幼年学校は8月28日に閉校となり、伊藤は9月に一宮中学校へ復学した。 愛知県立一宮高等学校を経て、名古屋大学文学部史学科を卒業する。1961年、名古屋大学大学院博士課程を満期退学し、大分大学経済学部専任講師となる。以後、名古屋市立大学助教授、金沢大学法文学部助教授を経て、1979年慶應義塾大学経済学部教授に就任。
小川 英次(おがわ えいじ、1931年1月10日 - 201… 小川 英次(おがわ えいじ、1931年1月10日 - 2019年7月4日)は、日本の経営学者。専門は生産管理論、中小企業経営論。名古屋大学名誉教授、学校法人梅村学園名誉理事長。第6代中京大学学長、第5期日本中小企業学会会長等も務めた。日経・経済図書文化賞受賞、瑞宝重光章、豊田市市政功労章受章。 名古屋市出身。1953年旧制名古屋大学工学部機械学科卒、1955年名古屋大学経済学部経営学科卒業、1960年名古屋大学大学院経済学研究科経営学専攻博士課程単位取得満期退学。64年「生産計画論」で名古屋大学より経済学博士の学位を取得。末松玄六研究室出身。 60年名大経済学部助手となり、62年生産管理論専任講師。
石黒 英男(いしぐろ ひでお、1931年 - 2010年3月… 石黒 英男(いしぐろ ひでお、1931年 - 2010年3月)は、日本のドイツ文学者、翻訳家。中央大学名誉教授。 名古屋市生まれ。1954年名古屋大学文学部独文科卒業。1955年同研究生、1957年6月名城大学商学部専任講師、1963年1月日本大学理工学部専任講師、1966年中央大学商学部専任講師、1968年助教授、1973年教授、1994-1997年同人文科学研究所所長、2002年定年、名誉教授。 『新日本文学』などに拠り、左翼的立場からドイツ演劇を研究した。
高柳 泰世(たかやなぎ やすよ、1931年 -)は日本の眼科… 高柳 泰世(たかやなぎ やすよ、1931年 -)は日本の眼科医。本郷眼科・神経内科院長。名古屋大学非常勤講師。藤田医科大学公衆衛生学客員教授。医学博士。静岡県出身。1980年代から長年に渡り色覚異常をめぐる社会的不公平や差別の撤廃へ取り組んできたことで知られる人物である。学校における色覚検査の見直しと入学・就職規制の撤廃運動を続け、差別や誤解をなくすため、新しい呼称や検査法を提起した。2013年、紺綬褒章受章。 1996年の著書『つくられた障害「色盲」』に代表される高柳の啓発活動は、1993年に発足した「日本色覚差別撤廃の会」の運動などとともに社会に大きな影響を与え、以下の3つの法律改正に寄与した。
富田 英夫(とみた ひでお、1931年 - 1998年)は、… 富田 英夫(とみた ひでお、1931年 - 1998年)は、日本の生物学者、遺伝学者。元名古屋大学理学部教授。 名古屋市出身。名古屋大学理学部生物学科卒業。大学院に進学し、山本時男に師事した。1965年名古屋大学理学博士。博士論文は「メダカのメラニン形成 」。 30年以上にわたる研究により、100種類以上のメダカの自然発生的突然変異をひとりで発見した。これら約100種類の突然変異系統を大学の敷地および自宅の庭の水槽で交配保存し、世界中の研究者に提供した。これらの突然変異には、アルビノなど、色素に関する多数の突然変異の他、眼のないメダカ(el)、鱗の発達しないメダカ(rs)、腹部の構造が背部にできるメダカ(Da)、など生命現象の理解にとって重要なものが多数含まれていた。
長谷川 武彦(はせがわ たけひこ、1931年 - 2024年… 長谷川 武彦(はせがわ たけひこ、1931年 - 2024年5月7日)は、日本の技術者、実業家。愛知県名古屋市出身。 1958年、ヤマハ技術研究所を経てヤマハ発動機株式会社に入社。同社では、オートバイのエンジン開発を担当するとともに、世界グランプリレース監督を務めた。また、名車と謳われた「トヨタ2000GT」の共同開発、ソフトバイク「パッソル」の開発などに関わり、同社社長(1994年~2001年)、会長(2001年~2003年)等を歴任した。 2004年4月旭日中綬章受章。 2024年5月7日、老衰のため死去。92歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
浦山 桐郎(うらやま きりお、1930年12月14日 - 1… 浦山 桐郎(うらやま きりお、1930年12月14日 - 1985年10月20日)は、昭和期の日本の映画監督である。 父の浦山貢は歌人として知られ、1930年1月に播磨造船(現・IHI)に入社した。同年12月14日、兵庫県相生町(現・相生市)で桐郎が生まれる。しかし12月27日、母の豊子は産褥熱に急性腹膜炎を併発して死去。1931年、父の貢は豊子の妹の敏子と再婚した。父は相生市歌を作詞した。 高校3年生のときに父が謎の自殺をしたので、母の郷里の名古屋に移る。旧制姫路中学校(現 兵庫県立姫路西高等学校)を経て、旧制姫路高等学校から名古屋大学文学部仏文学科を卒業。 松竹の助監督応募に募集し、筆記試験では高得点をとるが、身体検査でおとされる。
久保田 富雄(くぼた とみお、1930年12月6日 - 20… 久保田 富雄(くぼた とみお、1930年12月6日 - 2020年6月30日)は、日本の数学者。名古屋大学名誉教授。専門は整数論。久保田-レオポルドのp進L関数で知られている。 1930年生まれ。1952年名古屋大学理学部卒、1958年理学博士。1961年名古屋大学理学部教授。1994年退官、同 名誉教授、1994年名城大学理工学部教授(2000年まで)。 業績に、P進L関数、メタプレクティック理論、Eisenstein級数の理論、一般剰余相互法則の幾何学的証明、実解析的保型形式等の独創的な業績がある。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
河島博(かわしま ひろし、1930年12月5日 - 2007… 河島博(かわしま ひろし、1930年12月5日 - 2007年4月6日)は、日本の実業家。日本楽器製造株式会社(現在のヤマハ株式会社)の第5代社長。
山本 尤(やまもと ゆう、1930年11月25日 - 201… 山本 尤(やまもと ゆう、1930年11月25日 - 2015年7月23日)は、日本のドイツ文学者、京都府立医科大学名誉教授。専攻はドイツ文学、思想史。 兵庫県西宮市生まれ。1955年名古屋大学文学部独文科卒業。1971年神戸大学講師、助教授、京都府立医科大学教授。1994年定年、名誉教授。2009年秋瑞宝中綬章受章。叙正四位。多くの翻訳を行った。
永津 俊治(ながつ としはる 1930年10月20日 - )… 永津 俊治(ながつ としはる 1930年10月20日 - )は、日本の生化学者。医学博士(名古屋大学)。東京工業大学名誉教授。元名古屋大学医学部長、名古屋大学名誉教授。藤田学園保健衛生大学名誉教授。愛知県出身。 カテコールアミン研究の世界的権威。また、パーキンソン病モデルラットの脳内で、ドーパミンを生成させる実験にも成功し、パーキンソン病等脳疾患の治療法開発に貢献した。 (その後、アメリカ国立衛生研究所(NIH)、愛知学院大学、南カリフォルニア大学、米国ロッシュ分子生物学研究所で研究)
藤本 哲夫(ふじもと てつお、1930年10月11日 - 2… 藤本 哲夫(ふじもと てつお、1930年10月11日 - 2017年1月20日)は、日本の流体工学者。名古屋大学名誉教授。三重大学名誉教授。名古屋大学工学部長、三重大学工学部長、名城大学理工学部長を歴任した。 名古屋大学工学部卒業。カリフォルニア大学バークレー校に於いて希薄気体力学を専攻。1964名古屋大学工学博士。 三重大学工学部長を経て、母校名古屋大学教授。1992年名古屋大学工学部長。 静岡理工科大学教授、名城大学教授。1997年名城大学協議員。1999年名城大学理工学部長。 本邦での希薄気体力学の第一人者。2009年春瑞宝中綬章を受章。2017年1月20日、敗血症のため死去、正四位。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。
岡崎 令治(おかざき れいじ、1930年〈昭和5年〉10月8… 岡崎 令治(おかざき れいじ、1930年〈昭和5年〉10月8日 - 1975年〈昭和50年〉8月1日)は、日本の生物学者(分子生物学)。広島市白島(現:中区白島)出身。 広島高等師範学校附属中学校(現:広島大学附属中学校・高等学校)2年の時、原子爆弾の黒い雨を浴びた(入市被曝)。その後、山口県立岩国中学校(現:山口県立岩国高等学校)、第五高等学校を経て、1953年、名古屋大学理学部生物学科卒業。発生生物学の山田常雄教授の下で形成体(オーガナイザー)について研究。 1960年、セントルイス・ワシントン大学のジャック・ストロミンジャーとアーサー・コーンバーグの下に留学。スタンフォード大学を経て、1963年、名古屋大学理学部化学教室の鈴木旺教授の講座の助教授として帰国。
御子柴 宣夫(みこしば のぶお、1930年10月3日 - 2… 御子柴 宣夫(みこしば のぶお、1930年10月3日 - 2020年1月12日)は、日本の物理学者。 長野県諏訪市出身。長野県諏訪中学校(現・長野県諏訪清陵高等学校・附属中学校)、旧制松本高等学校を経て、名古屋大学理学部物理学科卒業。名古屋大学大学院理学研究科修了。1957年通商産業省工業技術院電気試験所(現・産業技術総合研究所)入所。1961年シカゴ大学金属研究所勤務。1970年電子技術総合研究所(現・産業技術総合研究所)基礎部固体物性研究室長。1974年東北大学電気通信研究所教授。1984年同大学電気通信研究所附属超微細電子回路実験施設初代施設長。1990年同大学定年退官後、同大学名誉教授。
鈴村 進(すずむら すすむ、1930年8月20日 - 202… 鈴村 進(すずむら すすむ、1930年8月20日 - 2021年12月19日)は、日本の著作家、評論家。 愛知県出身。名古屋大学法学部卒業。会社役員を経て、文筆家となる。歴史ビジネス書、のちには大河ドラマ関連本を書く。
椎名 素夫(しいな もとお、1930年8月19日 - 200… 椎名 素夫(しいな もとお、1930年8月19日 - 2007年3月16日)は、日本の政治家、実業家、物理学者。衆議院議員(4期)、参議院議員(2期)、自由の会代表、無所属の会代表などを務めた。 自由民主党副総裁、外務大臣、通商産業大臣を歴任した椎名悦三郎の次男。 東京府東京市(現・東京都文京区)出身。旧制府立高等学校を経て1953年名古屋大学理学部物理学科を卒業。電源開発に入った後、アメリカアルゴンヌ国立研究所に入所する。帰国後、精密機械メーカーサムタクを設立し、自ら取締役に就任した。1979年、父・椎名悦三郎の引退に伴い、第35回衆議院議員総選挙に旧岩手2区から自由民主党公認で立候補し、初当選する。
吉田 静一(よしだ しずかず、1930年8月6日 - 198… 吉田 静一(よしだ しずかず、1930年8月6日 - 1982年4月13日)は、日本の経済学者。専門はフランス経済史、フランス経済学史。経済学博士(名古屋大学、1966年)。 シモンド・ド・シスモンディやサン=シモンといった思想家について、旧来のマルクス主義的な経済学史にとらわれず、その思想の内在的研究を行った。 1930年、東京生まれ。旧制東京高等学校文科を卒業。1950年、名古屋大学経済学部経済学科入学。水田洋に学ぶ。 1953年に卒業後、京都大学人文科学研究所助手を経て、1958年に関西大学経済学部に着任。1968年、神奈川大学経済学部に移籍し教授を務める。1971年から1973年までフランス留学。
久世 敏雄(くぜ としお、1930年6月29日 - 2012… 久世 敏雄(くぜ としお、1930年6月29日 - 2012年1月30日)は、日本の心理学者。専門は青年心理学。学位は、教育学博士(1976年)。名古屋大学名誉教授。 1953年、名古屋大学教育学部卒業、1955年、同大学院教育心理学修士課程修了。 1955年から1959年まで同助手を務め、1967年に宮城教育大学助教授。1970年には名古屋大学助教授、1976年に教授に昇任。同年に「青年心理研究の方法論」で教育学博士の学位を取得。 1994年に定年退官し、名誉教授へ就任。また愛知学院大学では2001年退職まで教授を務めた。専門は青年心理学。 2012年1月30日、愛知県豊明市の病院にて多臓器不全により死去。
可児島俊雄(かにしま としお、1930年6月8日 - )は、… 可児島俊雄(かにしま としお、1930年6月8日 - )は、日本の経営学者。経済学博士(名古屋大学・論文博士・1966年)(学位論文「経営監査論」)。名古屋大学名誉教授。 愛知県出身。1953年名古屋大学経済学部卒業。同大学院、神戸大学大学院に学び、1966年「経営監査論」で名古屋大学より経済学博士の学位を取得。 滋賀大学経済学部助手、講師、助教授、名古屋大学経済学部助教授、教授。1994年定年退官、名誉教授、名古屋学院大学大学院経済経営研究科長教授、特任教授。2002年退職。日本会計研究学会太田賞受賞。監査が専門。 大蔵省公認会計士試験委員、文部省大学入試センター試験簿記会計部会委員長などを歴任し、日本監査研究学会理事、日本会計研究学会会員、日本商工会議所簿記検定試験専門委員、名古屋商工会議所簿記検定試験審査委員長、愛知県公害審査会委員、2010年瑞宝中綬章受章。
向井 司郎(むかい しろう、1930年5月16日 - )は、… 向井 司郎(むかい しろう、1930年5月16日 - )は、日本の経営者。東海証券社長を務めた。 愛知県出身。1953年に名古屋大学経済学部を卒業し、同年に東海証券に入社。1969年11月に取締役に就任し、1975年11月に常務、1979年11月に専務を経て、1983年11月には社長に就任。1994年6月に取締役相談役を経て、1995年6月には相談役に就任。
江副 茂(えぞえ しげる、1930年2月22日 - 2017… 江副 茂(えぞえ しげる、1930年2月22日 - 2017年5月20日)は、日本の技術者、実業家。東陶機器(現TOTO)元社長江副孫右衛門の甥で、同社社長や会長、九州・山口経済連合会(現九州経済連合会)副会長、福岡県公安委員会委員長などを務めた。正四位勲二等瑞宝章。 関東州大連市生まれ。東陶機器(現TOTO)社長を務めた江副孫右衛門は伯父。愛知県立旭丘高等学校1期を経て、1955年名古屋大学工学部機械学科卒業、東洋陶器入社。水栓金具技術者としてウォシュレット等の開発を手掛けた。 東陶機器常務、専務、副社長を経て、1992年から社長を務め、アジア進出などを進めた。1998年から会長。 2001年勲二等瑞宝章受章。
田井 安曇(たい あずみ、1930年2月19日 - 2014… 田井 安曇(たい あずみ、1930年2月19日 - 2014年11月2日)は、日本の歌人。本名、我妻 泰(わがつま とおる)。ペンネームの安曇は安曇野よりとっているが出身は飯山市である。クリスチャン。 長野県飯山市出身。旧制飯山中学校(現・長野県飯山北高等学校)、岡崎高等師範学校(現・名古屋大学)社会科卒業。中学校の社会科教師となる。立原道造の影響で詩作を始め、のちに短歌に専念。「花実」を経て、1950年に「アララギ」中部青年の会「環」に参加。1951年には近藤芳美を中心にして創刊された短歌雑誌「未来」の創刊に関わる。岡井隆は同じく創刊メンバーである。秋村功と歌誌「河」を編集。1988年、柳川創造らとともに「綱手」創刊。
宮本 憲一(みやもと けんいち、1930年2月19日 - )… 宮本 憲一(みやもと けんいち、1930年2月19日 - )は、日本の経済学者。専門は、財政学・環境経済学。大阪市立大学名誉教授、滋賀大学名誉教授、大阪市立大学名誉博士、金沢大学名誉博士。元滋賀大学学長。日本学士院賞受賞。 1930年(昭和5年)に日本統治時代の台湾の台北市で生まれで外地で育った。父は台湾電力に勤務する経理課長。海軍兵学校予科在学中、佐世保沖の針尾島を経て、疎開先の山口県防府市で終戦を迎える。台湾の実家と連絡がとれなくなったため復員列車で本籍地の石川県の伯父の家に移り、県学務課長に交渉して金沢二中(石川県立金沢錦丘高等学校)に編入した。極貧の生活状況の中金沢市の引揚者住宅に住み、働きながら学校に通い留年しつつも、1950年第四高等学校文科卒業。
加藤 延夫(かとう のぶお、1930年〈昭和15年〉1月25… 加藤 延夫(かとう のぶお、1930年〈昭和15年〉1月25日 - 2025年〈令和7年〉5月7日)は、日本の細菌学者。位階勲等は従三位瑞宝大綬章。医学博士。名古屋大学名誉教授、元総長。愛知県名古屋市出身。 衆議院議長、法務大臣を務めた国会議員加藤鐐五郎の孫婿。 その後、愛知医科大学学長、同理事長。
伊藤 博(いとう ひろし、1930年 - 2004年1月)は… 伊藤 博(いとう ひろし、1930年 - 2004年1月)は、日本のコーヒー研究家。 愛知県豊橋市生まれ。名古屋大学岡崎高等師範学校(現名古屋大学教育学部)卒業。専攻は植物生態学。 中学・高校の教師を勤めながら、約30年間、コーヒーを科学的視野から研究。日本コーヒー文化学会の設立に尽力し、同学会副会長。日本のコーヒー研究の第一人者と評される。
前田 豊(まえだ ゆたか、1929年10月31日 - )は、… 前田 豊(まえだ ゆたか、1929年10月31日 - )は、日本の経営者。オークマ社長を務めた。 愛知県出身。1953年に名古屋大学工学部電気学科を卒業し、同年3月に大隈鉄工所(のちのオークマ)に入社。1979年6月に取締役に就任し、1981年6月に常務、1988年6月に専務を経て、1991年2月には社長に就任。1994年3月に会長に就任。
内田 修(うちだ おさむ、1929年10月5日 - 2016… 内田 修(うちだ おさむ、1929年10月5日 - 2016年12月11日)は、日本の外科医、ジャズ愛好家。愛知県岡崎市出身。名古屋大学医学部卒業。数多くのジャズミュージシャンを支援したことから親しみをこめて「Dr.U(ドクター・ユー)」「Dr.Jazz(ドクター・ジャズ)」と呼ばれる。その膨大なコレクションは、愛知県岡崎市に寄付された。「ジャズの街岡崎名誉顧問」。 1929年10月5日、愛知県岡崎市に産婦人科医院の二男として生まれる。1945年7月、岡崎空襲により家を失い、一家で額田郡岩津町(現・岡崎市岩津町)に疎開する。1947年3月、愛知県立第二中学校(現・愛知県立岡崎高等学校)卒業。 1950年、名古屋大学医学部に入学。
藤井 隆(ふじい たかし、1929年9月4日 - 2020年… 藤井 隆(ふじい たかし、1929年9月4日 - 2020年7月17日)は、日本の国文学者、書誌研究者。名古屋市立大学名誉教授。 東京府羽田町に生まれる。1953年に名古屋大学文学部国文科を卒業。 愛知大学副手、助手、講師、帝塚山短期大学助教授、教授、名古屋市立大学教養部助教授、教授。1995年に定年退官、名誉教授。1998年より2005年まで豊橋市美術博物館館長を務める。 1993年、豊橋市文化振興賞を受賞。 藤井の学問は、およそ次の4つに分けて考えることができる。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
若林 慎一郎(若林愼一郎、わかばやし しんいちろう、1929… 若林 慎一郎(若林愼一郎、わかばやし しんいちろう、1929年8月22日 - )は、日本の精神医学者。 島根県浜田市出身。1958年名古屋大学医学部卒、1963年同大学院精神医学博士課程修了、1964年「児童神経症についての一考察」で医学博士。1967年日本福祉大学助教授、1969年名古屋大学医学部付属病院講師、1974年愛知県立心身障害者コロニー・発達障害研究所治療部長、1978年名古屋大学医学部助教授、教授、1993年定年退官、金城学院大学教授、岐阜大学医学部教授。1991-1994年日本児童青年精神医学会理事長。
糸魚川 淳二(いといがわじゅんじ、1929年8月21日 - … 糸魚川 淳二(いといがわじゅんじ、1929年8月21日 - 2021年11月11日)は、日本の古生物学者、地質学者。名古屋大学名誉教授、元豊橋市自然史博物館館長。学位は、理学博士(京都大学・1961年)。 岐阜県恵那郡坂下町(現・中津川市)に生まれる。1942年4月、恵那中学(現・岐阜県立恵那高等学校)に入学。1945年4月、海軍経理学校予科に入校し終戦を迎える。恵那中学に復学し、1946年9月には旧制第四高等学校理科甲類に入学し1949年3月に卒業。同年4月、京都大学理学部に入学。1957年、京都大学大学院を退学。同年8月、名古屋大学理学部に採用される。1958年2月、助手。1971年4月、助教授。
安永 寿延(やすなが としのぶ、1929年7月25日 - 1… 安永 寿延(やすなが としのぶ、1929年7月25日 - 1995年9月22日)は、日本文学・思想の研究者、元和光大学教授。 現在の福岡県北九州市生まれ。1954年名古屋大学文学部卒。1965年東邦学園短期大学助教授、1968年和光大学助教授、1971年教授、1978年人文学部長、和光学園理事を務めた。1995年9月22日、在職中にリンパ腫のため死去した。 マルクス主義、コミューン思想を研究し、日本における思想家として安藤昌益に注目し、『自然真営道』の校本を編纂刊行した。
松川 保雄(まつかわ やすお、1929年6月30日 - 20… 松川 保雄(まつかわ やすお、1929年6月30日 - 2019年7月9日)は、日本の経営者。トーメン(現在の豊田通商)社長、会長を務めた。 東京都出身。1953年に名古屋大学法学部法律学科を卒業し、同年に東洋綿花に入社。1979年6月に取締役に就任し、1984年6月に常務、1987年6月に専務、1990年10月に副社長を経て、1993年6月に社長に就任。1997年6月から1998年6月までに会長を務めた。 1994年4月に藍綬褒章を受章。 2019年7月9日肺炎のために死去。90歳没。
小山 敬(こやま たかし、1929年6月10日 - 2006… 小山 敬(こやま たかし、1929年6月10日 - 2006年4月26日)は、元豊田紡織(現トヨタ紡織)の社長、会長を務めた人物。 愛知県出身。旧制名古屋大学法学部卒(1953年)。 豊田紡織社長・会長時代の1993年から10年間に亘り、中京大学において経営者講座の講師を務め、2003年からは、同大学の大学院ビジネス・イノベーション研究科の客員教授として「生産戦略」の講義を担当。2006年、同大学より、名誉博士号を授与された。 2006年4月26日、脳血栓のため76歳で逝去。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
謝 世輝(しゃ せいき、1929年3月10日 - )は、日本… 謝 世輝(しゃ せいき、1929年3月10日 - )は、日本の物理学者。本名:河津 世輝。台湾出身。 台湾・台南市出身。国立台湾大学卒業、1959年名古屋大学大学院理学研究科物理学専攻博士課程修了、「高エネルギーにおける重陽子の光分解」で理学博士。その後東京大学素粒子研究所をへて、相模工業大学助教授、教授、東海大学文明研究所教授。 はじめ子供向けの宇宙の本などを書いていたが、1970年代に西洋中心でない世界史を執筆、1980年代からは自己啓発書を多く書いた。
藤村 道生(ふじむら みちお、1929年3月3日 - 199… 藤村 道生(ふじむら みちお、1929年3月3日 - 1999年4月7日)は、日本の歴史学者、元上智大学文学部教授。専門は日本政治外交史。 愛知県名古屋市に生まれる。京都臨時教員養成所物象科を経て東海大学予科文科を卒業。1952年名古屋大学文学部史学科卒業、同大学院文学研究科に入学、信夫清三郎に師事。並行して愛知県立瀬戸高等学校教諭を務める。 早稲田大学教育学部非常勤講師を経て、1962年より名古屋大学文学部助手。九州工業大学助教授(1968-74年)、同教授(1974-77年)を経て、1977年より上智大学文学部教授を務める。1994年に定年退職。
岩田 弘(いわた ひろし、1929年2月22日 - 2012… 岩田 弘(いわた ひろし、1929年2月22日 - 2012年1月31日)は、日本のマルクス経済学者。立正大学名誉教授。 日本の代表的なマルクス経済学者、宇野弘蔵に師事し、宇野経済学に依拠しつつ、独自の世界資本主義論を構築した。その理論は、鈴木鴻一郎をはじめとする当時のマルクス経済学者たちに強い影響を与え、また、1960年代から1970年代にかけての日本の学生運動、とりわけブントにも一定の影響を与えたとされている。 三重県出身。名古屋大学経済学部在学中に日本共産党に参加し学内細胞のトップとして大須事件に関わり逮捕・起訴、名大卒業後東京大学大学院社会科学研究科に進み1957年に博士課程修了。経済学博士。
武居 良明(たけい よしてる、1929年(昭和4年)1月29… 武居 良明(たけい よしてる、1929年(昭和4年)1月29日 - 2009年(平成21年)1月13日)は、日本の経済史学者。 中華民国関東州大連生まれ。長野県松本市育ち。父は武居郷一。1953年名古屋大学経済学部卒、1954年同助手、1960年信州大学人文学部講師、1965年「イギリス封建制の解体過程」で名大経済学博士。信州大学助教授、教授、経済学部教授、1975-1979年附属図書館長、静岡大学教授、1992年定年退官、名誉教授、常葉学園大学教授、1994年静岡産業大学教授。2008年春、瑞宝中綬章受勲。没後正四位。英国経済史。
牧 二郎(まき じろう、1929年1月10日 - 2005年… 牧 二郎(まき じろう、1929年1月10日 - 2005年5月31日)は日本の理論物理学者。京都大学名誉教授。東京都出身。
山田 昭廣(やまだ あきひろ、1929年 - )は、日本の英… 山田 昭廣(やまだ あきひろ、1929年 - )は、日本の英文学者・書誌学者。 英国バーミンガム大学シェイクスピア研究所で英米書誌学を学び、その後本格的な研究に従事、国際的に一級の評価を獲得した最初の日本人書誌学者・本文校訂者といえる。とりわけ、そのジョージ・チャップマン等の戯曲版本の書誌学的研究は、英米の数あるエリザベス朝書誌学・本文研究においても、歴史的評価に耐え得る高度なものとなっている。著書・編著以外に、英米専門誌を中心に掲載された多数の学術論文が存在する。
磯谷 智生(いそがい ちせい、1929年 - 2024年4月… 磯谷 智生(いそがい ちせい、1929年 - 2024年4月8日)は、日本の実業家。元豊田自動織機代表取締役社長。愛知県出身。 1953年、名古屋大学工学部機械科卒業。同年、豊田自動織機製作所(現豊田自動織機)入社。主に生産技術畑を歩み、取締役等を経て、1993年に代表取締役社長。会長職に就いた後、2001年に退任した。 1994年藍綬褒章、2001年勲二等瑞宝章を受章。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
嶋田 豊(島田 豊、しまだ ゆたか、1929年 - 1997… 嶋田 豊(島田 豊、しまだ ゆたか、1929年 - 1997年10月22日)は、日本の哲学者。日本福祉大学名誉教授。 東京生まれ。旧制第一高等学校を経て、1952年名古屋大学文学部哲学科卒業。1957年日本福祉大学に赴任。同大学経済学部教授(哲学・社会思想史)、常任理事、全学教授会議長、経済学部長、社会福祉学部長などを務めた。 1982年-1984年唯物論研究協会(全国唯研)委員長。
鈴木 礼治(鈴木 禮治、すずき れいじ、1928年12月4日… 鈴木 礼治(鈴木 禮治、すずき れいじ、1928年12月4日 - 2022年8月15日)は、日本の政治家、自治官僚。元愛知県知事(4期)。 三重県三重郡富田町(現・四日市市)生まれ。旧制桑名中学、旧制八高を経て名古屋大学経済学部卒業。自治省に入省。1964年、愛知県庁に出向し、課長に就任。 1974年7月31日、愛知県副知事の寺井久が辞任。同年8月1日、愛知県教育委員会教育長の仲谷義明がそのあとを受けて副知事に就任。同日、鈴木は教育長に就任。1975年2月、仲谷は愛知県知事に初当選。仲谷知事のもとで管理教育体制を引き継ぐ。 1978年、教育長を退任。同年、愛知県総務部長に就任。1979年、同副知事に就任。
林 建彦(はやし たけひこ、1928年11月3日 - )は、… 林 建彦(はやし たけひこ、1928年11月3日 - )は、日本のジャーナリスト、東海大学名誉教授。韓国現代史専攻。 長野県飯田市出身。名古屋大学経済学部卒。1953年サンケイ新聞入社。ソウル特派員、 政治部次長、編集委員。1977年東海大学文学部教授。94年定年退任、名誉教授。
大澤 省三(おおさわ しょうぞう、1928年10月2日 - … 大澤 省三(おおさわ しょうぞう、1928年10月2日 - 2022年5月27日)は、日本の生物学者。専門は、分子遺伝学。学位は、理学博士(名古屋大学)。名古屋大学及び広島大学名誉教授。 1984年、バクテリアの1種のマイコプラズマが、変則的な遺伝暗号を使っていることを発見。この現象を説明する学説としてコドン捕獲説を提唱したことで知られる。2022年5月27日に病気のため死去したことが6月1日に報道された。
義井 博(よしい ひろし、1928年10月2日-2008年5… 義井 博(よしい ひろし、1928年10月2日-2008年5月26日)は、日本の歴史学者。名古屋市立大学名誉教授。 大阪府出身。海軍兵学校、旧制八高を経て1952年名古屋大学文学部史学科卒、1959年同大学院西洋史博士課程満期退学、1978年「日独伊三国同盟と日米関係 太平洋戦争前国際関係の研究」で大阪大学文学博士。 1957年愛知学院大学講師、助教授、1964年名古屋市立大学教養部助教授、教授、1994年定年退官、名誉教授、愛知淑徳大学教授。1999年退職。 西洋史研究からスタートしたが、20世紀の軍事・戦争史や外交史に手を広げた。 1983年『真珠湾奇襲とポーランド電撃戦』で吉田茂賞受賞。
澤木 秀夫(さわき ひでお、1928年10月1日 - 201… 澤木 秀夫(さわき ひでお、1928年10月1日 - 2018年5月21日)は、日本の実業家。丸栄代表取締役社長や、同社代表取締役会長、中部百貨店協会会長などを務めた。 愛知県出身。愛知県第一中学校(現愛知県立旭丘高等学校)を経て、1949年名古屋経済専門学校(現名古屋大学経済学部)卒業、東海銀行入行。東海銀行専務などを経て、1986年丸栄副社長。1989年丸栄社長。1996年キタン会会長。1998年丸栄会長。2001年退任。中部百貨店協会会長なども務めた。2018年肺炎のため死去。享年89。
後藤 幸男(ごとう ゆきお、1928年8月20日 - 202… 後藤 幸男(ごとう ゆきお、1928年8月20日 - 2024年1月15日)は、日本の経営学者。経営学博士(神戸大学・論文博士・1968年)。神戸商科大学名誉教授・元学長。2006年瑞宝中綬章受章。 愛知県一宮市生まれ。名古屋大学経済学部卒業。1954年同大学院修了、名古屋大学助手、1957年神戸商科大学講師、1959年助教授、1965年教授、1968年「企業の投資決定論」で経営学博士(神戸大学)の学位を取得。1986年学長。1990年定年退任、名誉教授、追手門学院大学経営学部教授。2001年日本経営財務研究学会会長。2006年瑞宝中綬章受章。
森川 壽(もりかわ ひさし、1928年8月19日 - 200… 森川 壽(もりかわ ひさし、1928年8月19日 - 2005年5月29日)は、日本の数学者。専門は代数幾何。学位は、理学博士(名古屋大学・1957年)(学位論文「アーベル多様体について」)。名古屋大学名誉教授。 1928年愛知県名古屋市生まれ。東海高等学校卒。1951年名古屋大学理学部数学科を卒業。1954年まで名古屋大学大学院に在学。1954年名古屋大学理学部助手。1957年名古屋大学講師。1959年名古屋大学助教授を経て、1964年名古屋大学理学部教授。1992年名古屋大学名誉教授。日本学術会議において数学研究連絡委員会を勤めた。1993年4月から1998年9月まで会津大学コンピュータ理工学部総合数理科学センター教授。
川原 啓美(かわはら ひろみ、1928年7月21日 - 20… 川原 啓美(かわはら ひろみ、1928年7月21日 - 2015年5月22日)は日本の医師(外科医)。 長野県長野市出身。1952年に名古屋大学医学部卒業。1953年、暁子(さとこ)と結婚。夫婦として医師として一緒に歩み始める。 1962年JOCS(日本キリスト教海外医療協力会)入会。理事を務めた。 アメリカ合衆国のオールバニ医科大学(en)留学を経て一般外科、胸部外科にたずさわる。 1976年ネパール王国での短期医療協力の経験を生かし、1980年アジア保健研修所を設立。1981年愛知国際病院を開設し院長に就任。 1992年老人保健施設 愛泉館発足。1999年よりホスピス病棟を開設。 1959年 医学博士(名古屋大学)。