スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
河合 莉菜(かわい りな、1991年6月9日 - )は、フリ… 河合 莉菜(かわい りな、1991年6月9日 - )は、フリーアナウンサー、元名古屋テレビ放送(メ〜テレ)のアナウンサー。NTB所属。 三重県桑名市出身。三重県立桑名高等学校卒業。椙山女学園大学ではミス椙山女学園大学のグランプリに輝いた。2014年に同大学卒業後、NHK津放送局に契約キャスターとして入局。同期に文化放送アナウンサーを経て、フリーの松井佐祐里がいる。2018年3月に同局を退局し、同年4月に石川テレビに移籍。2021年7月末をもって石川テレビを退社。2022年4月に名古屋テレビ放送に移籍、同年12月に名古屋テレビ(メ~テレ)との契約終了(NTB所属)。
前田 阿希子(まえだ あきこ、1983年12月6日 - )は… 前田 阿希子(まえだ あきこ、1983年12月6日 - )は、毎日放送(MBS)の元アナウンサー。 三重県の出身。三重県立桑名高等学校を卒業し、立命館大学への在学中には、学友会中央事業団体「立命館大学放送局」に所属していたほか、テレビ朝日アスクにも籍を置いていた。 大学卒業後の2006年に、アナウンサーとして毎日放送へ入社した。同期入社のアナウンサーは伊藤広(2009年から東京支社ラジオ営業部員)で、入社後にレギュラーで出演する『せやねん!』(MBSテレビ)では、内定が出た後にアルバイトでカメラアシスタントを務めていた。 毎日放送への入社後には、MBSテレビの報道・情報番組(『せやねん!』『ちちんぷいぷい』『VOICE』など)や、MBSラジオの生放送番組を中心に出演。
伊藤 徳宇(いとう なるたか、1976年〈昭和51年〉11月… 伊藤 徳宇(いとう なるたか、1976年〈昭和51年〉11月3日 - )は、日本の政治家。三重県桑名市長(4期)。三重県桑名市議会議員(2期)、桑名員弁広域連合議会議員などを歴任した。 三重県桑名郡多度町(のちの三重県桑名市)にて生まれた。多度町立多度西小学校、多度町立多度中学校を経て、三重県立桑名高等学校を卒業。上京し、早稲田大学政治経済学部経済学科に入学する。留年を経て、2000年に大学を卒業した。 大学卒業後、フジテレビジョンに就職。同社では、主として営業や衛星放送の番組編成などを担当した。その頃、知り合いの東京都渋谷区議会議員が、地方議会議員の仕事について「街をプロデュースする仕事だよ」と語るのを聞き、関心を抱く。
橋詰 真美(はしづめ まみ、1974年12月7日 - )は、… 橋詰 真美(はしづめ まみ、1974年12月7日 - )は、日本のフリーアナウンサー。 三重県桑名市出身。三重県立桑名高等学校、成城大学短期大学部英米文化コース卒業。身長158cm。血液型B型。 短大卒業後、イベント等の司会を経て1997年4月にNHK津放送局に契約キャスターとして入局。 後に名古屋タレントビューローに所属し、2000年4月から2001年3月まで中京テレビ放送の契約アナウンサーを務めた。また、2001年4月から2002年3月まで名古屋テレビ放送の契約アナウンサーを務めた。 名古屋テレビとの契約の終了後は上京し、アクターズエージェンシーへ移籍。それとともに黒沢 真未(くろさわ まみ)と名を改め、以後しばらくの間は関東地方を拠点に活動していた。
伊藤 孝紀(いとう たかのり、TAKANORI ITO、19… 伊藤 孝紀(いとう たかのり、TAKANORI ITO、1974年 - )は、三重県出身の建築家、デザインディレクター、博士(芸術工学)。名古屋工業大学准教授、有限会社タイプ・エービー主宰(TYPE A/B)。デンマーク王立アカデミー客員教授。
タイソン大屋(たいそんおおや、1972年4月10日 - )は… タイソン大屋(たいそんおおや、1972年4月10日 - )は、主に日本で活動する舞台俳優、俳優。『劇団☆新感線』『アティチュード』所属。 三重県桑名市出身。三重県立桑名高等学校、大阪市立大学卒業。1995年に『劇団☆新感線』に入団し、1998年には佐々木智広、中谷さとみとともに演劇ユニット『Afro13』を結成。 即興芝居LIVE『タイソン大屋のはいどーも!』を主宰。音楽や朗読など様々なスタイルをMixし、ユニークで新感覚な即興エンターテイメントの追求をライフワークとしている。ミュージシャン・ダンサーなど異色コラボも行い、運営から全てを自身で取り仕切り開催する。 NHK大河ドラマ「八重の桜」「軍師官兵衛」等テレビドラマや映画にも出演。
増地 克之(ますち かつゆき、1970年9月29日 - )は… 増地 克之(ますち かつゆき、1970年9月29日 - )は、日本の柔道家(講道館6段)。 現役時代は1990年代の全日本選手権の常連として活躍し、無差別級のアジア王者にも2度輝いた。引退した現在は筑波大学柔道部総監督や、全日本柔道連盟の強化スタッフとして女子代表監督を務める。 三重県津市出身。父親が警察官だった関係で小学校4年生の時に警察署の柔道場へ連れて行かれたのを機に、柔道を始めた。とは言え遊び盛りの少年時代、この頃の増地は柔道よりも野球の方に興じていたという。中学生の時に父が転勤となり川越町の川越町朝日町組合立明和中学校。現、川越中学校に入学。既に身長170cmと大柄だった増地は柔道部に入部して練習に明け暮れるが、連日の猛稽古が祟り中学2年の時に腎盂腎炎を患って、栄養失調により一時は体重60kgまで激減して入院までする羽目になった。
伊藤 伸子(いとう のぶこ、1970年2月6日 - )は、日… 伊藤 伸子(いとう のぶこ、1970年2月6日 - )は、日本のフリーアナウンサー。三重県桑名市出身。 三重県立桑名高等学校、愛知淑徳大学卒業。 1992年、三重テレビ放送入社。2003年12月よりフリーとなる。 2008年5月頃からは不足するアナウンサーを補うべく、三重テレビの週末ニュース担当アナとしても活動。
井伊 岳夫(いい たけお、1969年6月5日 - )は、彦根… 井伊 岳夫(いい たけお、1969年6月5日 - )は、彦根市職員、彦根城博物館館長。旧彦根藩主井伊家第18代当主。先代当主直豪の長女の夫(婿養子)に当たる。 井伊家の当主としては、本名ではなく井伊 直岳(いい なおたけ)と名乗っている。旧姓は羽中田(はなかた)。 1988年三重県立桑名高等学校理数科卒業。1992年京都大学文学部(史学科国史学専攻)卒業。京都大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得退学後、彦根市教育委員会事務局市史編纂室に勤務(主任級職員)。 2000年1月、井伊家第17代当主・直豪の長女・井伊裕子(いい ひろこ、1968年 - )と結婚。7ヶ月後に直豪が死去したため、当主を継ぐ。
黒田 研二(くろだ けんじ、1969年1月13日 - )は、… 黒田 研二(くろだ けんじ、1969年1月13日 - )は、日本の小説家・推理作家。三重県桑名市出身。三重県立桑名高等学校、信州大学経済学部卒業。 日本推理作家協会、本格ミステリ作家クラブ、各会員。 出版社勤務を経て、2000年にフリーターをする傍ら執筆した『ウェディング・ドレス』で第16回メフィスト賞を受賞しデビュー。 近年では漫画版『逆転裁判』『逆転検事』シリーズの脚本や『青鬼』シリーズのノベライズ、サウンドノベル『TRICK×LOGIC』の一部シナリオや『真かまいたちの夜 11人目の訪問者』のメインシナリオなどゲーム関連の仕事も手がけている。 「」内が黒田研二の作品 原作:noprops、挿画:鈴羅木かりん
松久 正(まつひさ ただし、1966年9月4日- )は、日本… 松久 正(まつひさ ただし、1966年9月4日- )は、日本の医師、著作家。 三重県生まれ。1992年、慶應義塾大学医学部卒業。三重大学医学部整形外科入局。2000年、南カリフォルニア健康科学大学(英語版)入学。2002年、パーマー・カレッジ・オブ・カイロプラクティックに転校し、2005年に卒業。同年、アメリカ合衆国のカイロプラクティック・クリニックで診療。2009年、神奈川県鎌倉市で開業。「開業後『超次元・超時空間松果体覚醒医学 ∞ IGAKU』を創造」と主張する。
伊藤 茂樹(いとう しげき、1965年9月1日 - )は、日… 伊藤 茂樹(いとう しげき、1965年9月1日 - )は、日本の防衛官僚。 東北防衛局長を務めていた2019年6月に、秋田市で開かれたイージス・アショア配備に関する住民説明会に出席した。 三重県いなべ市出身。三重県立桑名高等学校を経て、一橋大学法学部卒業。
小森敏也(こもり としや、1965年2月23日 - )は、日… 小森敏也(こもり としや、1965年2月23日 - )は、日本の総理府・総務官僚。 三重県出身、三重県立桑名高等学校、東京大学法学部卒業。1988年4月 総理府入府(官房総務課)。1992年 大蔵省主計局調査課に出向し、諸外国の財政の調査や国際会議への対応を担当。2006年7月には総務省行政評価局評価監視官(規制改革等)として、規制や各省共通事項について調査、評価を行った。2020年7月20日 内閣官房内閣審議官(内閣官房副長官補付)、(命)内閣官房行政改革推進本部事務局次長、(命)内閣官房統計改革推進室長。2022年6月28日 関東管区行政評価局長。
千葉 一幹(ちば かずみき、1961年5月19日 - )は、… 千葉 一幹(ちば かずみき、1961年5月19日 - )は、日本の日仏比較文学者、日本近現代文学者、文芸評論家。大東文化大学教授。 三重県生まれ。三重県立桑名高等学校卒、1984年東京大学文学部仏文科卒、1986年同大学院比較文学比較文化修士課程修了、1990年東京大学大学院総合文化研究科比較文学比較文化博士課程単位取得満期退学。1992年東北芸術工科大学講師、1995年「文学の位置─森鷗外試論」で群像新人文学賞受賞。1996年東北芸術工科大学助教授、2005年拓殖大学商学部教授、2014年大東文化大学文学部教授。2015年『宮沢賢治』で島田謹二記念学藝賞受賞。
山室晋也(やまむろ しんや、1960年 - )は、日本の実業… 山室晋也(やまむろ しんや、1960年 - )は、日本の実業家。清水エスパルス代表取締役社長。妻は歯科医師。 1960年三重県生まれ。三重県立桑名高等学校、立教大学経済学部を卒業後、第一勧業銀行(現みずほ銀行)入行。みずほ銀行では4店の支店長を経験し、支店長在任17期中15期で総合成績優秀賞を受賞する。 2011年から執行役員、2013年にみずほマーケティングエキスパーツ代表取締役社長。同年千葉ロッテマリーンズ顧問を経て、2014年に社長就任。営業利益マイナス25億(着任前の直近5年間平均)の千葉ロッテマリーンズを、6年間で「創業以来初の単体黒字」「売上1.8倍」「球団創立以来最多観客数」などを達成する。
日沖 靖(ひおき やすし、1959年〈昭和34年〉3月23日… 日沖 靖(ひおき やすし、1959年〈昭和34年〉3月23日 - )は、日本の政治家。三重県いなべ市長(6期)。 員弁郡大安町(現:いなべ市)出身。三重県立桑名高等学校、京都大学農学部農芸学科卒業。京都大学在学中は、強豪として知られる京都大学ギャングスターズ(アメリカンフットボール部)に在籍、4年時には主将を務める。甲子園ボウルにも出場した経験がある。 住友商事に5年間勤務後、オクラホマ大学体育学部助手、ミネソタ州立大学アメリカンフットボール部コーチを務めた後、母校の京都大学アメリカンフットボール部の専任コーチとなる。 1990年(平成2年)、実家に戻って家業の農機具店を継いだ。 大安町では、町長が収賄容疑で辞職する汚職事件があった。
倉谷 滋(くらたに しげる、1958年9月30日 - )は日… 倉谷 滋(くらたに しげる、1958年9月30日 - )は日本の生物学者。 大阪府豊中市出身。専門は進化発生学・進化形態学。 脊椎動物の胚や化石などを駆使し、主に脊椎動物頭部の進化過程や進化的新規形質の進化機構を解明した。 学位は理学博士(京都大学)。2024年3月まで、国立研究開発法人 理化学研究所 開拓研究本部 主任研究員ならびに理化学研究所 生命機能科学研究センター (BDR) 形態進化研究チーム・チームリーダー。2024年4月より、理化学研究所 生命機能科学研究センター、客員主管研究員。 日本動物学会名誉会員、理化学研究所名誉研究員。Zoological Letters創刊・編集長。
水谷 元(みずたに げん、1956年(昭和31年)3月19日… 水谷 元(みずたに げん、1956年(昭和31年)3月19日 - 2018年(平成30年)3月19日)は、日本の政治家。三重県議会議員、桑名市長。桑名市出身。三重県立桑名高等学校、成蹊大学法学部政治学科卒。1996年(平成8年)から2012年(平成24年)まで桑名市長を17年間務めた。
安田 喜憲(やすだ よしのり、1946年11月24日 - )… 安田 喜憲(やすだ よしのり、1946年11月24日 - )は、日本の地理学者・環境考古学者。東北大学大学院環境科学研究科特任教授、立命館大学環太平洋文明研究センター長、ふじのくに地球環境史ミュージアム初代館長、国際日本文化研究センター(日文研)名誉教授。専攻は環境考古学。理学博士(東北大学・論文博士・1978年)。日本熊森協会顧問。静岡県補佐官(学際担当)。 1946年、三重県員弁郡北勢町(現・いなべ市)出身。1965年に三重県立桑名高等学校を、1970年に立命館大学文学部地理学科を卒業。1972年、東北大学大学院理学研究科地理学専攻修士課程修了、1974年同博士課程を中退。 1977年、広島大学総合科学部助手に着任。
蛭川 正文(ひるかわ まさふみ、1946年4月14日 - )… 蛭川 正文(ひるかわ まさふみ、1946年4月14日 - )は、日本の実業家、政治家、馬主。 三重県桑名市に本社を置く、建設資材の総合商社であるヒルカワ金属株式会社の代表取締役会長を務める。 1946年、三重県出身。三重県立桑名高等学校の定時制を卒業後に就職し、1984年7月7日に37歳で独立して現在の会社を設立した。 2006年に行われた桑名市議会議員選挙では1,727票を獲得し当選。 日本中央競馬会(JRA)および地方競馬全国協会(NAR)に登録する馬主としても知られる。勝負服の柄は黄、紫二本輪、緑袖、冠名には「ヒルノ」を用いるが、かつては「ビック」を用いた。現在は「株式会社ヒルノ」の法人名義として馬主登録をしている。
南川 三治郎(みなみかわ さんじろう、1945年〈昭和20年… 南川 三治郎(みなみかわ さんじろう、1945年〈昭和20年〉9月14日 - 2018年〈平成30年〉2月6日)は、日本の写真家。 三重県出身、東京写真大学(現・東京工芸大学)卒業。大宅壮一東京マスコミ塾第1期出塾。 主に「ヨーロッパの人と文化」をテーマに国内外の雑誌媒体を中心に発表。自ら決めたテーマを現地で長い時間かけ丹念に取材し著書は50冊以上にのぼる。特に20世紀美術を代表するジョアン・ミロ、マルク・シャガール、ジョルジュ・デ・キリコ、サルバドール・ダリ、マリノ・マリーニ、ヘンリー・ムーア、バルテュスからフランク・ステラまで芸術家たちの日常と制作の苦悩までを捉えた「アトリエの巨匠たち」では1980年日本写真協会新人賞を受賞。
諸山 文彦(もろやま ふみひこ、1943年8月14日 - )… 諸山 文彦(もろやま ふみひこ、1943年8月14日 - )は、三重県出身の元バスケットボール選手・指導者。身長183cm。ポジションはフォワード。「ミスター・バスケットボール」の異名を持つ。 東橋北小学校でバスケを始め、橋北中学校では県大会の決勝に進んだ。 しかし、桑名高校進学後は陸上部に入部し、走り幅跳びと走り高跳びに取り組んだが、結果は残せず。そんな中、中学時代に指導を受けたことがあるバスケ部の顧問から誘われて1年の途中でバスケ部に転籍。再びバスケの世界に足を踏み入れた。高校3年に東京五輪に向けた強化合宿に招集されたのを機に、全日本で活躍。 日本大学進学後、大学バスケ界の名監督と謳われた細島繁の指導を受ける。
三輪 信昭(みわ のぶあき、1942年11月7日 - )は、… 三輪 信昭(みわ のぶあき、1942年11月7日 - )は、日本の実業家、政治家。 衆議院議員(1期)、国民の生活が第一副幹事長・選挙対策委員会副委員長、カネ美食品株式会社社長、愛知県議会議員(4期)、新党きづな副代表などを歴任した。県議時代は「三輪敦昭」という名前で活動した。 三重県桑名郡(現在の桑名市)生まれ。三重県立桑名高等学校中途退学。親類が経営する惣菜店に勤務した後、1969年にカネ美食品を創業する。1971年3月に同社を株式会社化し、初代代表取締役に就任した。1983年に同社の代表取締役を退任し、その後は不動産会社を経営。なお、カネ美食品は2002年にユニーの持分法適用関連会社となった。
今野 由梨(こんの ゆり、1936年〈昭和11年〉6月2日-… 今野 由梨(こんの ゆり、1936年〈昭和11年〉6月2日-)は、日本の実業家。ダイヤル・サービス株式会社創業者、代表取締役。公益財団法人日本ニュービジネス協議会連合会顧問、東京商工会議所特別顧問、一般社団法人日本介護事業連合会副会長(理事)、一般財団法人全国SNSカウンセリング協議会常務理事。 三重県桑名市生まれ。津田塾大学英文科卒業。 就職面接で「定年まで働いて社長を目指します!」とアピールしたことが災いして就職失敗。 1964年、今野はニューヨーク万博の日本館コンパニオン/広報担当者として渡米した。この年は日本人の海外渡航が自由化された年。円ドル交換レートは1ドル360円。日本からの往復航空運賃だけでも40万円以上、現在に置き換えると400万円に匹敵する時代だった。
酒井 敏明(さかい としあき、1934年1月12日 - 20… 酒井 敏明(さかい としあき、1934年1月12日 - 2007年8月15日)は三重県桑名市出身のプロ野球選手、新聞記者。現役時代のポジションは捕手。 三重県立桑名高等学校から早稲田大学に進学。東京六大学野球リーグでは在学中3回優勝。1年下のエース木村保とバッテリーを組む。4年生時の1955年秋季リーグでは、長嶋茂雄(立大)らと共にベストナイン(捕手)にも選ばれた。同年12月にフィリピンで行われたアジア・アマチュア野球選手権日本代表(東京六大学リーグ選抜チーム)に選出され、木村、長嶋、森徹(早大)、佐々木信也(慶大)らとともに全勝優勝に貢献。リーグ通算58試合出場、160打数33安打、打率.206、0本塁打。
北村 けんじ(きたむら けんじ、本名:北村憲司、1929年9… 北村 けんじ(きたむら けんじ、本名:北村憲司、1929年9月14日 - 2007年8月21日 )は、日本の児童文学作家。 1929年(昭和4年)9月14日、福岡県山門郡瀬高町(現在のみやま市瀬高町)に生まれた。3歳の時に三重県桑名郡多度村(現・桑名市)に転居し、多度村立多度小学校、旧制三重県立桑名中学校を卒業した。18歳だった1947年(昭和22年)、恩師の勧めによって多度小学校の代用教員となった。その後、三重大学学芸学部養成科(現・教育学部)を卒業した。 三重県内の小学校で教員を務めるかたわら、数多くの児童文学を創作した。1970年(昭和45年)、『ハトと飛んだボク』で新美南吉文学賞を受賞した。
鈴木 礼治(鈴木 禮治、すずき れいじ、1928年12月4日… 鈴木 礼治(鈴木 禮治、すずき れいじ、1928年12月4日 - 2022年8月15日)は、日本の政治家、自治官僚。元愛知県知事(4期)。 三重県三重郡富田町(現・四日市市)生まれ。旧制桑名中学、旧制八高を経て名古屋大学経済学部卒業。自治省に入省。1964年、愛知県庁に出向し、課長に就任。 1974年7月31日、愛知県副知事の寺井久が辞任。同年8月1日、愛知県教育委員会教育長の仲谷義明がそのあとを受けて副知事に就任。同日、鈴木は教育長に就任。1975年2月、仲谷は愛知県知事に初当選。仲谷知事のもとで管理教育体制を引き継ぐ。 1978年、教育長を退任。同年、愛知県総務部長に就任。1979年、同副知事に就任。
伊藤 清三(いとう せいぞう、1927年1月30日 - 20… 伊藤 清三(いとう せいぞう、1927年1月30日 - 2011年11月26日)は、日本の数学者。専門は関数解析学、偏微分方程式論。東京大学名誉教授。日本数学会理事長。 1927年、三重県生まれ。1950年に名古屋大学理学部数学科を卒業。 卒業後は名古屋大学理学部助手を経て、1953年名古屋大学理学部講師。1957年、東京大学理学部講師に就いた。1958年、理学博士号を取得。1960年に同大学助教授、1965年に同大学教授に昇進。1987年に東京大学を定年退官し、名誉教授となった。その後は東京商船大学教授として教鞭をとった。1988年からは杏林大学教授をつとめた。 学界では、日本数学会理事長をつとめた。
貝塚 爽平(かいづか そうへい、1926年10月18日 - … 貝塚 爽平(かいづか そうへい、1926年10月18日 - 1998年11月13日)は、日本の地理学者。出身は三重県桑名市(旧桑名郡桑名町)。専門は地形学・第四紀学。(旧)東京都立大学名誉教授。理学博士。位階勲等は正四位勲三等旭日中綬章。 地形発達史研究や、活断層研究などが専門である。この分野に興味を持ったのは、旧制桑名中学校(現・三重県立桑名高等学校)時代に桑名駅西口から桑名中学へ至る地域に細長い丘の列があることを発見し、その成因が気になったことがきっかけである。研究者になった貝塚は自らこの謎に挑み、「桑名市西部の断層地形」の題名で地理学評論に論文を発表した。 戦後の日本における第四紀学、地形学の指導的な役割を果たした。
矢田 俊隆(やだ としたか、1915年〈大正4年〉7月23日… 矢田 俊隆(やだ としたか、1915年〈大正4年〉7月23日 - 2000年7月14日)は、日本の歴史学者・政治学者、北海道大学名誉教授。中欧史を研究。 1915年、三重県桑名市生まれ。1938年、名古屋市の第八高等学校 (旧制)卒業。東京帝國大学文学部に進み、西洋史を専攻する。1938年、東京帝國大学文学部を卒業し、同大学院へ進学。1940年、東京帝國大学大学院文学研究科を修了し、同文学部の副手となる(1943年まで)。 日本大学、東京女子大学などの講師を経て、1949年に成蹊大学政治経済学部教授に就く。1950年、北海道大学法経学部教授となり、1953年の学部改組に伴い法学部教授となった。1957年以降、同大学スラブ研究センター研究員を併任する。
小河内 芳子(こごうち よしこ、1908年3月16日 - 2… 小河内 芳子(こごうち よしこ、1908年3月16日 - 2010年3月3日)は、日本の児童図書館員。東京の公共図書館に勤務し、児童サービスに従事した。児童図書館研究会の設立メンバーであり、30年ちかく会長をつとめたほか、日本図書館協会児童青少年委員会の設立に寄与し初代委員長をつとめるなど、児童サービスの普及と発展に尽力した。「児童図書館員の草分け」「児童図書館員のパイオニア」と評されている。 1908年(明治41年)3月16日、三重県桑名町に生まれた。小河内家は桑名藩の重役で、父の小河内弥兵衛は桑名町助役をつとめる有力者だった。 1924年(大正13年)三重県立桑名高等女学校を卒業。1925年(大正14年)に上京して日本女子大学校国文科に入学した。
堀田 吉雄(ほった よしお、1899年2月13日 - 200… 堀田 吉雄(ほった よしお、1899年2月13日 - 2001年7月28日)は、日本の民俗学者。 三重県津市生まれ。1924年文部省の検定試験に合格、朝鮮の高等女学校で教え、戦後は四日市市の新制中学校教諭、1950年三重県立桑名高等学校教諭、1956年退職。柳田国男に師事して、1966年『山の神信仰の研究』で柳田賞受賞。三重県文化財専門委員、伊勢民俗学会主宰。 2001年7月28日、老衰のため死去。