河原林 佑介(かわらばやし ゆうすけ、1939年〈昭和14年… 河原林 佑介(かわらばやし ゆうすけ、1939年〈昭和14年〉8月23日 - )は、日本の学者、実業家。 京都西陣に生まれ、同志社大学を中退し、カリフォルニア大学サンタバーバラ校を卒業。さらにカンザス大学大学院を卒業、学者としてそのまま米国に留まる。 パシフィック大学で語学の助教授/語学研究所所長として長年務めるが、後に多国籍企業に移り、ヨーロッパを拠点に世界を駆け巡るビジネスマンとなる。その後に独立をして、自らの企業グループを作り上げ、南米、ヨーロッパ、アジアなどに事業を広げ、実業家として成功する。 米国のランバス大学(英語版)(Lambuth University、現:メンフィス大学ランバス校)とウィリアム・ペン大学(英語版)(William Penn University)から国際ビジネスの名誉博士号を授与される。
粂田 猛(くめた たけし、1939年8月5日 - )は、日本… 粂田 猛(くめた たけし、1939年8月5日 - )は、日本の経営者。京都信用金庫理事長を務めた。 京都府出身。1964年に同志社大学経済学部を卒業し、同年に京都信用金庫に入社した。1985年に理事に就任し、1989年に常務、1990年に専務を経て、2004年6月には理事長に就任。2008年6月を以って、退任。
木下 長宏(きのした ながひろ、1939年6月24日 - )… 木下 長宏(きのした ながひろ、1939年6月24日 - )は、日本の美術史学者。横浜国立大学名誉教授。私塾「土曜の午後のABC」を主宰。 1966年同志社大学文学部文化学科卒、同大学院美学・美術史博士課程単位取得退学。京都芸術短期大学助教授、教授、1993年『思想史としてのゴッホ』で芸術選奨新人賞受賞。1998年横浜国立大学教授、2005年定年。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
渡邉 隆夫(わたなべ たかお、1939年〈昭和14年〉5月3… 渡邉 隆夫(わたなべ たかお、1939年〈昭和14年〉5月30日 - )は、日本の実業家。渡文株式会社代表取締役社長、西陣織工業組合名誉顧問。地域政党京都党顧問。 同志社大学経済学部を卒業後、1962年(昭和37年)3月に東京の呉服問屋である菱一株式会社に入社する。その後、京都に戻り1964年(昭和39年)6月に渡文株式会社へ転職する。1982年(昭和57年) 6月には常務取締役となり、代表取締役社長に就任して現在に至る。 また、西陣織工業組合の理事長職を24年間務め、装業界の取引改善や関連工業職人の育成、技術継承などに努めるほか、日本絹人繊織物工業会や伝統的工芸品産業振興協会、京都府中小企業団体中央会の代表を務め織物業や伝統工芸産業分野での振興事業に尽力した。
綿貫 甫(わたぬき はじめ、1939年4月30日 - )は、… 綿貫 甫(わたぬき はじめ、1939年4月30日 - )は、日本の射撃競技(ライフル射撃)選手。自衛隊所属。1964年東京オリンピックに参加した。 1964年東京オリンピックにフリー・ライフル3姿勢で出場した。 この項目は、スポーツ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル スポーツ/プロジェクト スポーツ人物伝)。
高山 俊隆(たかやま としたか、1939年4月25日 - 2… 高山 俊隆(たかやま としたか、1939年4月25日 - 2025年4月21日)は、日本の経営者。三和シヤッター工業会長を務めている。兵庫県出身。 1958年に灘高等学校を卒業後、1959年に同志社大学商学部を中退し、1963年に三和シヤッター工業に入社。 1972年4月に取締役に就任し、1974年4月には常務、1980年4月に副社長を経て、1981年5月に社長に就任。2007年10月には会長に就任し、2009年7月から2010年4月までに再び社長を務め、2019年まで会長を務めた。 2007年10月に三和ホールディングス社長に就任し、2012年4月に会長も兼任し、2014年6月には会長に専任。
朧谷 寿(おぼろや ひさし、1939年3月27日 - )は、… 朧谷 寿(おぼろや ひさし、1939年3月27日 - )は、日本の歴史学者。同志社女子大学名誉教授。平安朝史、特に邸宅研究を専門とするが、一般向けの著書でも知られる。 新潟県生まれ。旧姓は鮎澤。同志社大学文学部文化学科文化史学専攻卒業。平安博物館助教授、同志社女子大学短期大学部教授、同志社女子大学学芸学部教授、同大学現代社会学部教授などを歴任。2009年に定年退職し、同大学名誉教授。 2005年、第23回京都府文化賞功労賞受賞。公益財団法人古代学協会理事長、社団法人紫式部顕彰会副会長。2024年、地域文化功労者。
並河 勉(なびか つとむ、1939年(昭和14年)1月8日 … 並河 勉(なびか つとむ、1939年(昭和14年)1月8日 -2020年(令和2年)9月5日 )は日本の実業家。山陰酸素工業社長。並河家第18代当主。 1962年(昭和37年)同志社大学商学部卒業、同年松下電器貿易勤務 1964年(昭和39年)同ベイルート事務所勤務 1975年(昭和50年)同カイロ事務所所長 1982年(昭和57年)同社退職、同年山陰酸素工業、山陰冷食(現さんれいフーズ)勤務 1987年(昭和62年)山陰酸素工業・さんれいフーズ代表取締役社長就任 2011年(平成23年)さんれいフーズ 代表取締役会長兼社長就任 2020年(令和 2年)山陰酸素工業代表取締役会長就任 並河家の先祖は丹波・亀岡の豪族であった。
北之坊 皓司(きたのぼう こうじ、1939年または1940年… 北之坊 皓司(きたのぼう こうじ、1939年または1940年 - )は、日本の政治家。無所属。大阪府議会議員 (3期)、豊中市議会議員 (4期)、豊中市選挙管理委員会委員長を歴任。旭日小綬章受章。 1963年 (昭和38年) 同志社大学経済学部卒業。豊中市議会議員を4期務め、衣料品販売会社役員を経て、1995年4月 大阪府議会議員選挙豊中市選挙区に無所属で出馬し4位初当選 (定数5)。1999年4月 大阪府議会議員選挙豊中市選挙区で3位再選 (定数5)。2003年4月 大阪府議会議員選挙で4位三選 (定数5) 。大阪府日華友好交流協会理事。豊中市選挙管理委員会委員長。 この項目は、政治に関連した書きかけの項目です。
高橋 城(たかはし くに、1939年 - 2023年6月22… 高橋 城(たかはし くに、1939年 - 2023年6月22日)は、日本の作曲家。主に宝塚歌劇団の劇中音楽を担当しており、1993年より優先契約を結んでいる。妻は宝塚歌劇団卒業生の美野真奈(元花組娘役、在団1971年 - 1986年、宝塚歌劇団57期生)。 京都府出身。戦前に歌劇団の作曲家をしていたこともある父・高橋半の影響で、幼いころから音楽に親しんで育つ。 同志社大学文学部卒業後、南安雄に師事し、作曲家として活動するようになる。1969年に関西テレビの宝塚歌劇団関連番組に参加したことがきっかけで、1974年から宝塚大劇場の作品に参加するようになる。 高峰妙子・・初代瀧川末子・・奈良美也子・・汐見洋子・・神代錦・・打吹美砂・・越路吹雪・・淀かほる・・星空ひかる・・麻鳥千穂 ・・甲にしき - 安奈淳、松あきら&瀬戸内美八 - 榛名由梨&安奈淳 - 安奈淳 - 松あきら - 松あきら&順みつき - 順みつき - 高汐巴 - 大浦みずき - 安寿ミラ - 真矢みき - 愛華みれ - 匠ひびき - 春野寿美礼 - 真飛聖 - 蘭寿とむ - 明日海りお - 柚香光 - 永久輝せあ(現役) 秋田露子・・初代春日花子・・初代大江美智子・・久美京子・・打吹美砂・・日下輝子・・宮城野由美子・・鳳八千代・・夏亜矢子・・美和久百合・・竹生沙由里・・上原まり(固定でない) - 上原まり&北原千琴 - 美雪花代 - 若葉ひろみ - 秋篠美帆 - ひびき美都 - 森奈みはる - 純名里沙 - 千ほさち - 大鳥れい - ふづき美世 - 桜乃彩音 - 蘭乃はな - 花乃まりあ - 仙名彩世 - 華優希 - 星風まどか - 星空美咲(現役) 高砂松子 - 初代瀧川末子 - 奈良美也子 - 三浦時子 - 汐見洋子 - 神代錦 - 打吹美砂 - 大路三千緒 - 藤波洸子 - 打吹美砂 - 畷克美 - 美吉左久子 - 淡路通子 - 恵さかえ - 但馬久美 - 宝純子 - 北小路みほ - 未沙のえる - 星原美沙緒 - 磯野千尋 - 夏美よう - 高翔みず希 - 美風舞良(現役)
山川 偉也(やまかわ ひでや、1938年11月30日- )は… 山川 偉也(やまかわ ひでや、1938年11月30日- )は、日本の哲学研究者、桃山学院大学名誉教授。専攻はギリシア哲学。 徳島市生まれ。1962年同志社大学文学部文化学科哲学専攻卒業。1967年同大学院文学研究科博士課程単位取得退学。1975年桃山学院大学経済学部助教授。1977年教授。1989年文学部教授。1991年から1993年まで文学部長。2002年法学部教授。2004年から2006年まで文学研究科長。2009年定年退任、名誉教授。1997年アテネ大学名誉哲学博士。
三浦 隆夫(みうら たかお、1938年11月25日 - )は… 三浦 隆夫(みうら たかお、1938年11月25日 - )は、日本の文筆家。 北海道生まれ。1961年同志社大学文学部英文科卒。 大学卒業後京都新聞社に入り、90年編集委員、論説委員を経て96年退職、西本願寺中央仏教学院卒。この間、京都教育大学附属小学校で臨時用務員を務め、『私、用務員のおっちゃんです』を書いた。
白石 太一郎(しらいし たいちろう、1938年11月14日 … 白石 太一郎(しらいし たいちろう、1938年11月14日 - )は、日本の考古学者。国立歴史民俗博物館名誉教授、総合研究大学院大学名誉教授。大阪府立近つ飛鳥博物館名誉館長。 1938年、大阪府大阪市に生まれた。大阪星光学院高等学校を経て、1961年同志社大学文学部文化学科文化史専攻を卒業。同大学院文学研究科文化史専攻に進み、1964年に修士課程修了、1968年に同博士課程を単位取得満期退学した。 1986年4月より古代学協会研究員に就いた。翌1969年8月より奈良県立橿原考古学研究所に勤務。1978年に文化庁国立歴史民俗博物館設立準備室調査官となり、国立歴史民俗博物館の設立準備にあたった。1981年に同館が開館すると、同館助教授に就いた。
阿奈井 文彦(あない ふみひこ、1938年10月19日 - … 阿奈井 文彦(あない ふみひこ、1938年10月19日 - 2015年3月7日)は、ノンフィクション作家、エッセイスト。本名・穴井典彦(あない ふみひこ)。自称「アホウドリ」。朝鮮(現・韓国)全羅南道筏橋生まれ。 1945年、敗戦後、大分県に引き揚げる。大分県立森高等学校卒業、同志社大学文学部(哲学専攻)入学。教壇に立っていた鶴見俊輔と出会い、「朝鮮半島で生まれ育ち、戦後、大分県に引き揚げてきた自分の体験」を文章にまとめたところ、鶴見の紹介で雑誌「思想の科学」に掲載される。大学中退後、東京でクズ屋に就職。 1965年、ベトナムに平和を!市民連合(ベ平連)発足と同時に参加。開高健の知遇を受け、ベ平連の事務局員となる。
高野 澄(たかの きよし、1938年10月1日 - 2023… 高野 澄(たかの きよし、1938年10月1日 - 2023年4月20日)は、日本の歴史小説作家。日本ペンクラブ会員。 埼玉県生まれ。同志社大学文学部新聞学科卒業。立命館大学大学院文学研究科近代史専攻修了。立命館大学助手を経て作家となる。 当初、立命館の教授だった奈良本辰也との共著が多かったが、実質高野の単著だったらしいことが、文庫化に際して単著扱いになることで分かる。 大河ドラマにあやかった著書が多かったが、近年は辻潤など近代人の伝記に力を入れていた。 2023年4月20日、心不全のため死去。84歳没。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
山口 寿一(やまぐち じゅいち、1938年7月24日 - … 山口 寿一(やまぐち じゅいち、1938年7月24日 - )は、日本の経営者。紀陽銀行頭取を務めた。 和歌山県出身。1961年に同志社大学商学部を卒業し、同年に住友銀行に入行した。1971年5月に紀陽銀行に転じ、取締役に就任し、1979年6月に常務、1981年4月に専務を経て、1990年6月に頭取に就任。1993年10月に頭取を辞任。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
今村 純二(いまむら じゅんじ、1938年4月15日 - 2… 今村 純二(いまむら じゅんじ、1938年4月15日 - 2021年8月12日)は、日本の実業家。元北海道日本ハムファイターズ会長・社長。球団の北海道移転と道民ファンの獲得に尽力した。 長崎県長崎市出身、3人兄弟の次男として生まれる。小学1年時に長崎市への原子爆弾投下により被爆、その後長崎県立長崎東高等学校を経て、同志社大学商学部を卒業後、大学のゼミ講師に「食の仕事はこれから伸びる、食肉関係は必ず伸びる」とアドバイスされたことをきっかけに食肉業者を志し、1961年に徳島ハム(現在の日本ハム)入社。同社では営業畑を歩み1967年に姫路営業所長、1971年神戸営業所長、1977年量販部長、1988年九州販売部長、営業本部参与を経て、1997年常勤監査役。
辻野 功(つじの いさお、1938年2月22日 - 2014… 辻野 功(つじの いさお、1938年2月22日 - 2014年3月16日)は、日本の政治学者。専門は、政治学。大分学の提唱者で、一般社団法人大分学研究会の会長を務めた。また、スーパーJチャンネルおおいたコメンテーターなど、多方面で活躍した。香川県出身。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
中平 邦彦(なかひら くにひこ、1938年 - )は、日本の… 中平 邦彦(なかひら くにひこ、1938年 - )は、日本の将棋観戦記者、ジャーナリスト、ノンフィクション作家。筆名=原田 史郎。武庫川女子大学講師。現代風俗研究会、日本文芸家協会会員。 兵庫県芦屋市生まれ。同志社大学卒業。神戸新聞社に入社、論説委員長、1988年、論説副委員長。 将棋の観戦記者としても知られ、東京新聞などの王位戦(神戸新聞社は1973年から主催に加わる)で執筆も行う。1987年「パルモア病院日記-三宅廉と二万人の赤ん坊たち」で第11回井植文化賞(報道出版部門)。2017年、第24回大山康晴賞を受賞。
天野 守信(あまの もりのぶ、昭和13年〈1938年〉 - … 天野 守信(あまの もりのぶ、昭和13年〈1938年〉 - 平成16年〈2004年〉7月16日)は、日本の合唱指揮者。広島県廿日市町(現廿日市市)出身。崇徳高校グリークラブの創立者、初代指揮者・音楽監督を務めた。 広島県立国泰寺高校在学中に合唱をはじめ、同志社大学ではグリークラブに所属。当時同志社グリークラブ常任指揮者だった福永陽一郎に師事。多田武彦とも親交が生まれた。 卒業後、旧丸善石油に就職。この頃から母校国泰寺高校合唱部で合唱を教え始め、その後、山陽女子高校音楽部や九州産業大学グリークラブでも合唱指導を行う。昭和43年(1968年)に崇徳学園の英語教師として就職。すぐにグリークラブを創立し、その指導に当たる。
早瀬 圭一(はやせ けいいち、1937年12月14日 - )… 早瀬 圭一(はやせ けいいち、1937年12月14日 - )は、日本のジャーナリスト、ノンフィクション作家、毎日新聞社客員編集委員、東洋英和女学院大学名誉教授。 大阪府生まれ。同志社大学法学部卒業後、1961年毎日新聞入社。名古屋、大阪、東京各社会部を経て、『サンデー毎日』別冊編集長。石川達三『七人の敵が居た』も担当した。その後、編集局編集委員。1982年、『長い命のために』で第13回大宅壮一ノンフィクション賞受賞。毎日新聞客員編集委員。1993年愛知みずほ大学教授、1998年龍谷大学社会学部教授、2001年東洋英和女学院大学教授、2008年同名誉教授、北陸学院大学副学長・教授、2012年退任。
甲斐 道清(かい みちきよ、1937年(昭和12年)11月1… 甲斐 道清(かい みちきよ、1937年(昭和12年)11月11日 - 2025年(令和7年)10月24日)は、日本の政治家。元滋賀県守山市長(2期)。 滋賀県守山市出身。実家は守山市にある臨済宗大徳寺派少林寺。6歳で得度する。同志社大学文学部を卒業。卒業後はマツダオート京都に就職し、課長となる。その後、守山市役所に入り、守山市土地開発公社に勤務し、同事務局長になる。1989年少林寺の住職に就く。 1995年守山市長選挙に立候補し初当選。1999年は無投票で再選。2003年に三選を目指したが、元守山市議の山田亘宏に敗れた。 2008年春の叙勲で旭日双光章を受章する。 2025年10月24日、病気療養中に守山市内の病院で死去した。
京 建輔(きょう けんすけ、1937年8月26日 - )は、… 京 建輔(きょう けんすけ、1937年8月26日 - )は、日本の作曲家、編曲家、クラリネット奏者。 本名は安野 健三。京都府出身。筆名の「京」は出身地に、「建輔」は次男の名前に由来する。 同志社大学工学部卒業。大学在学中からのスウィング・ジャズの演奏活動を経て、音楽出版社に勤めた後、作曲活動を開始する。以降、多くの歌謡曲(特に演歌)を編曲、古賀政男記念音楽大賞や藤田まさと賞などを受賞している。 1974年の映画『エスパイ』より映画・テレビの音楽を担当する。1977年の特撮テレビドラマ『快傑ズバット』の主題歌「地獄のズバット」では、当時小学生だった長男の「派手な音色がいいんじゃない」という意見をヒントにして、演奏に琵琶を用いている。
尾崎 千秋(おざき ちあき、男性、1937年〈昭和12年〉6… 尾崎 千秋(おざき ちあき、男性、1937年〈昭和12年〉6月2日 - )は元京都放送・ラジオ大阪アナウンサー・フリーアナウンサー・ラジオパーソナリティー。 京都府京都市出身。1960年同志社大学卒業後にKBS京都に入社、その後ラジオ大阪に移籍し、数々の番組に出演する。その後フリーとなり、大阪樟蔭女子大学で講師を務めた。声質が横山ノックに似ている。若かりし頃の愛称は「チータン」。京都学園大学人間文化学部文化コミュニケーション学科でアナウンス論の講師を勤めていた
吉田 曠二(よしだ ひろじ、1937年4月15日 - )は、… 吉田 曠二(よしだ ひろじ、1937年4月15日 - )は、日本のジャーナリスト、歴史家。 京都市生まれ。1963年同志社大学大学院法学研究科修士課程修了。1964年朝日新聞大阪本社入社。入社後も大学院時代の師田畑忍に師事し、日本近現代史研究を継続。1997年定年退職、名城大学非常勤講師となり外交史、政治史の講義を担当。
馬場 伸也(ばんば のぶや、1937年3月25日 - 198… 馬場 伸也(ばんば のぶや、1937年3月25日 - 1989年10月6日)は、日本の政治学者、大阪大学法学部教授。専門は、国際政治学、カナダ研究、平和学、国際社会学。 京都府京都市生まれ。同志社大学法学部卒業。カリフォルニア大学バークレー校から博士号(歴史学)取得。カナダ・マギル大学準教授、津田塾大学教授を経て、1982年から大阪大学で教鞭を執る。日本平和学会会長(1987年-1989年)、日本カナダ学会初代会長を務める。1989年、心不全のため死去。 日本の国際関係論に、国家というアクターを中心に考えない視座や文化というものの見方を導入した先駆者の一人として、今日でも評価されている。
岩﨑 隆(いわさき たかし、1937年 - )は、日本の実業… 岩﨑 隆(いわさき たかし、1937年 - )は、日本の実業家。株式会社ノリタケカンパニーリミテド代表取締役社長や、同社代表取締役会長、中部経済同友会代表幹事などを務めた。 京都府立洛北高等学校を経て、1960年同志社大学経済学部卒業、日本陶器株式会社(現ノリタケカンパニーリミテド)入社。1992年取締役に昇格。1994年常務取締役。1997年専務取締役。1998年取締役副社長。1999年から代表取締役社長を務め、2002年には社章を制定した。2004年代表取締役会長。2009年相談役。中部経済同友会代表幹事なども務めた。
家 正治(いえ まさじ、1937年(昭和12年) - )は、… 家 正治(いえ まさじ、1937年(昭和12年) - )は、日本の法学者。専門は国際法学。神戸市外国語大学名誉教授、姫路獨協大学名誉教授。京都府生まれ。 2017年1月28日に大阪市で開催された「新春 日朝友好芸術のつどい」実行委員会の実行委員長を務めた。 2017年4月14日には、北朝鮮の親善勲章第2級を受勲している。 2018年、埼玉大学名誉教授の鎌倉孝夫を団長、「福島朝鮮学校を支援する会」会長の住谷圭造を秘書長とする代表団の副団長として北朝鮮を訪問した。 2020年1月11日に沖縄県立博物館・美術館で開催された、北朝鮮の指導者金正恩の誕生日を祝賀するための「チュチェ思想新春セミナー」に、高良鉄美(参議院議員)、平良研一(沖縄大学名誉教授)、尾上健一(チュチェ思想国際研究所事務局長)らとともに参加し、みずからは講演を行った。
橋本 一郎(はしもと いちろう、1936年12月1日 - )… 橋本 一郎(はしもと いちろう、1936年12月1日 - )は、日本の元編集者・文筆家。 朝日ソノラマ時代は『鉄腕アトム』『オバケのQ太郎』『エイトマン』『鉄人28号』等、多くのソノシートを企画しヒットさせた。また「サンコミックス」を立ち上げ、水木しげる、石森章太郎、桑田次郎、永島慎二、水野英子などのヒット作を多く手掛けた。 福島県郡山市出身。祖父は郡山市内に縫製工場を構え一代で財を成した。 橋本自身は同志社大学文学部に進み、1959年に卒業した。就職浪人を経て1961年、朝日ソノラマに入社する。 当時の「月刊朝日ソノラマ」は時事色が強く売り上げが低迷していた。企画を模索していた橋本はジョン・F・ケネディ(アメリカ合衆国大統領)の演説に目をつけ音盤化。
西大路 隆昭(にしおおじ たかあき、1936年(昭和11年)… 西大路 隆昭(にしおおじ たかあき、1936年(昭和11年)9月9日 - )は、日本の実業家。西大路家の第23代当主。父は西大路隆敏。同志社大学卒業。京都府京都市出身。 1936年(昭和11年)に京都府京都市で子爵・西大路隆敏とその妻で日本電力社長・池尾芳蔵の次女である正子の長男として生まれる。同志社大学卒業。 1953年(昭和28年)に父の隆敏が亡くなり家督を相続し、西大路家の当主となる。私生活では矢嶋新兵衛の娘である洋子と結婚し、1男1女を儲けた。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
西口 廣宗(にしぐち ひろむね、1936年9月3日 - )… 西口 廣宗(にしぐち ひろむね、1936年9月3日 - )は、日本の経営者。南都銀行頭取を務めた。 奈良県出身。1959年に同志社大学経済学部を卒業し、同年に南都銀行に入行。1990年6月に取締役に就任し、1993年6月に常務、1996年6月に専務を経て、1997年6月に頭取に就任。2008年6月に会長に就任し、2015年6月には取締役相談役に就任。2008年6月から2016年6月までに近畿日本鉄道監査役も務めた。 2009年11月に旭日中綬章を受章。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
仲尾 宏(なかお ひろし、1936年8月27日 - 2023… 仲尾 宏(なかお ひろし、1936年8月27日 - 2023年1月1日)は、日朝関係史学者、京都造形芸術大学客員教授。一般社団法人在日コリアン・マイノリティー人権研究センター(KMJ)理事長。財団法人世界人権問題研究センター理事。龍谷大学安重根東洋平和研究センター客員研究員。前近代日朝関係史、朝鮮通信使を研究。 京都府京都市生まれ。1960年同志社大学法学部政治学科卒業。京都芸術短期大学・京都造形芸術大学教授、2007年京都造形芸術大学客員教授。 2002年京都市国際交流賞。2007年京都新聞学術文化大賞。 2023年1月1日、脳梗塞のため死去。86歳没。
立石 信雄(たていし のぶお、1936年6月6日 - 202… 立石 信雄(たていし のぶお、1936年6月6日 - 2022年4月12日)は、日本の実業家。オムロンの会長などを務めた。 1936年、立石電機(現・オムロン)創業者の立石一真の二男として大阪市に生まれる。第二次世界大戦中の小学校時代には山でマムシや食用ガエルを捕まえるなど、活発な少年だった。1945年6月の大阪大空襲で立石電機の工場が焼けたため、会社とともに京都市に転居した。この頃に姉に連れられて日曜学校に行き、聖歌隊に入った事がきっかけで英語に興味を持ったという。 市立中学に入ったものの、自身の希望で英語教育が充実していた同志社中学校の編入試験を受け、中学1年の2学期から同校に編入した。英語への関心は根強く、同志社高校を経て、1955年に同志社大学文学部英文科に進学した。
有明 夏夫(ありあけ なつお、1936年5月11日 - 20… 有明 夏夫(ありあけ なつお、1936年5月11日 - 2002年12月17日)は、日本の作家。本名は斎藤 義和。 大阪府出身。1945年福井県に疎開し、勝山精華高等学校(現福井県立勝山南高等学校)を卒業。同志社大学工学部中退後、工員や会社員を経て1972年に作家としてデビューした。1978年、『大浪花諸人往来』で第80回直木賞を受賞。 2002年、肝不全のため死去。66歳没。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
柳川 慶子(やながわ けいこ、本名;本郷 慶子、1936年〈… 柳川 慶子(やながわ けいこ、本名;本郷 慶子、1936年〈昭和11年〉4月11日 - )は、日本の女優。京都府京都市出身。 夫は俳優の本郷淳、息子は俳優の本郷弦。父は記録映画作家の柳川武夫、義父は本郷新。同志社大学文学部中退。 俳優座養成所第8期生(同期には水野久美、三木弘子、青樹知子がいた)。 1958年、岡本喜八監督にスカウトされて『結婚のすべて』でデビュー。同年、東宝へ入社。 1963年に東宝を退社すると、劇団雲を経て、1975年の演劇集団 円設立参加以来、同所に所属。 ※ 以下、公式ページを参照。
加地 伸行(かじ のぶゆき、1936年〈昭和11年〉4月10… 加地 伸行(かじ のぶゆき、1936年〈昭和11年〉4月10日 - )は、日本の中国哲学者。 大阪大学名誉教授、Z会顧問。号は孤剣楼。筆名は二畳庵主人。『漢文法基礎』の著者としても知られる。 大阪市出身。大阪府立北野高等学校を経て、1960年京都大学文学部卒業。卒業論文では『孝経』を扱う。1963年京都大学大学院修士課程修了。修士論文では『史記』を扱う。大学院在学中は重澤俊郎の指導を受ける。 1963年、高野山大学文学部講師。1968年、同助教授。1969年、名古屋大学文学部助教授。1972年から翌年まで、台湾淡江文理学院副教授を兼任。 1982年、大阪大学文学部助教授。同年、博士論文「『公孫龍子』の研究」で東北大学文学博士(主査は金谷治)。
横田 雅文(よこた まさふみ、1936年3月18日 - 20… 横田 雅文(よこた まさふみ、1936年3月18日 - 2018年8月20日)は、関西テレビ放送株式会社代表取締役会長、フジ・メディア・ホールディングス取締役。兵庫県出身。
尾上たかし(おのうえ たかし(または、おのえ たかし)、本名… 尾上たかし(おのうえ たかし(または、おのえ たかし)、本名:澤田禎夫(さわだ さだお)、1936年〈昭和11年〉1月3日 - 2013年〈平成25年〉12月12日)は、日本の放送作家、お笑い作家。 兵庫県出身。同志社大学卒業。実兄は旧・朝日放送制作部ディレクターを経て、東阪企画創業者・お笑い作家・メディアプロデューサーの澤田隆治。 1950年代後半から、大阪を中心とした寄席やテレビ局に通い、桂文枝(旧・桂三枝)をはじめとする上方演芸の落語家・漫才師・コメディアンら約1000人以上と人脈を持っており、数多くのテレビ番組の構成・企画などに携わった。そのことから「立って原稿を書く作家」という異名を持っていた。
高橋 義行(たかはし よしゆき、1936年1月2日 - 20… 高橋 義行(たかはし よしゆき、1936年1月2日 - 2008年10月25日)は、日本の経営者。アシックス社長を務めた。大阪府出身。 1958年に同志社大学商学部を卒業し、同年にオニツカ(のちのアシックス)に入社した。1972年3月に取締役に就任し、1981年9月に常務、1986年4月に専務、1992年4月に副社長を経て、1996年4月に社長に就任。2001年4月に取締役相談役に就任し、同年6月には相談役に就任。 2008年10月25日肝不全のために死去。72歳没。
広川 勝美(ひろかわ かつみ、1936年 - )は、日本の国… 広川 勝美(ひろかわ かつみ、1936年 - )は、日本の国文学者。学位は、文学博士(國學院大学・論文博士・1986年)(学位論文『ものがたり研究序説』)。同志社大学名誉教授。 徳島県生まれ。同志社大学文学部国文科卒業、同大学院文学研究科修了。1986年『ものがたり研究序説』で國學院大學より文学博士の学位を取得。同志社大学文学部助教授、教授、2002年退任、名誉教授。2019年、瑞宝中綬章受章。「こころの道推進会議」代表幹事、神仏霊場会組織委員長。
岡田 定三(おかだ ていぞう、1936年 - 2011年1月… 岡田 定三(おかだ ていぞう、1936年 - 2011年1月28日)は、マクロビオティック普及団体である正食協会の最高顧問。京都市出身。 同志社大学商学部卒業。 実父の岡田周三(正食協会初代会長)は、マクロビオティック創始者であり食養研究家・思想家の桜沢如一の熱心な門下生の一人であったが、定三も16歳の時に初めて桜沢に出会って以来、MI塾と名づけられた私塾に通ううちに桜沢の人間性や思想に共感し、師父と仰ぐようになった。 当時、桜沢に「嫌いなものを好きになるにはどうしたらいいか」という問題を与えられ、「嫌いなものは嫌いでいいので、好きになる必要はないでしょう」と答えると一喝された。のちに定三はこのやりとりを振り返り、「マクロビオティックの一物全体という考えはこの世に不要なものなどない、ということ『オールOK』とよく言われていた桜沢先生は、すべてを受け入れるという重要な問題を問われたと思う」と話している。
松田 道弘(まつだ みちひろ、1936年 - 2021年10… 松田 道弘(まつだ みちひろ、1936年 - 2021年10月24日)は、日本の著述家、奇術研究家。日本推理作家協会会員。 父は医師・育児評論家・歴史家の松田道雄。 京都府京都市出身。同志社大学経済学部卒業。学生時代から海外奇術やゲーム、マジックの文献の研究を始め、ラジオ関西勤務を経て、著述家として奇術やゲーム、ジョーク、ミステリ小説などについての評論や著述に専念。神戸市に在住。 1979年には第12回石田天海賞を受賞している。1980年『とりっくものがたり』で第33回日本推理作家協会賞・評論その他の部門で候補作。1989年『ミステリ作家のたくらみ』で第42回日本推理作家協会賞・評論その他の部門で候補作。
秦 恒平(はた こうへい、1935年12月21日 - )は、… 秦 恒平(はた こうへい、1935年12月21日 - )は、日本の小説家。 京都市生まれ。京都市立日吉ヶ丘高等学校、同志社大学文学部(美学)卒業。同大大学院中退。1959年上京して医学書院に勤める。1969年、「清経入水」が太宰治賞を受賞し文壇にデビュー。1971年「廬山」で芥川賞候補。74年医学書院を辞めてフリーとなるが、東横学園女子短期大学で非常勤講師を務め、1992年から東京工業大学客員教授も務めた。2015年京都府文化賞・功労賞受賞。 作家の秦建日子は長男。長女・朝日子の夫は押村高。評論家の北沢恒彦は兄。文芸評論家・作家の黒川創は甥。「大きな古時計」で知られる作詞家の保富康午は妻の兄にあたる。
大久保 昇(おおくぼ のぼる、1935年11月30日 - )… 大久保 昇(おおくぼ のぼる、1935年11月30日 - )は、日本の実業家。日本漢字能力検定協会の創立者。日本漢字教育振興会元理事長。日本語文章能力検定協会元理事長。特定非営利活動法人ジャパンウェイ元理事長。財団法人日本国際連合協会元理事。社団法人全国日本学士会元理事。社団法人全国珠算教育連盟元理事。社団法人日本ペンクラブ元会員。国際ロータリー第2650地区元ガバナー(2005-2006)。長男は日本漢字能力検定元副理事長の大久保浩(2022年8月死去)。 京都府京都市出身。1958年、同志社大学経済学部を卒業後、松下電工に就職。父の死を機に1970年に実家の新聞販売店を継ぐ。西京区の阪急桂駅西口にビルを建て、のちの協会の母体株式会社オークを1971年に創業した。
河原 正彦(かわはら まさひこ、1935年9月25日 - 2… 河原 正彦(かわはら まさひこ、1935年9月25日 - 2017年5月9日)は、日本の美術史学者。京都国立博物館名誉館員。専門領域は文化史学、美術工芸史、東洋陶磁史など。 長野県長野市生まれ。同志社大学文学部文化学科文化史専攻卒業。同大学院文学研究科文化史学専攻博士課程単位取得満期退学。京都府立総合資料館資料部主事。京都国立博物館学芸課工芸室、研究職文部技官、工芸室長、学芸課学芸課長。京都橘女子大学文学部文化財学科教授。滋賀県立陶芸の森館長。 2017年5月9日、細菌性肺炎のため、京都府城陽市内の病院で死去、81歳。
松尾 正武(まつお まさたけ、1935年8月15日 -没年不… 松尾 正武(まつお まさたけ、1935年8月15日 -没年不詳 )は日本の映画監督、東映俳優養成所講師。大阪府大阪市北区出身。兵庫県へ転居するが第二次世界大戦の影響で京都府に移住する。 1954年に京都府立桃山高等学校を卒業し同志社大学商学部に入学。1960年に卒業と同時に東映京都撮影所の助監督として入社。厳密に言えば第二東映(のちにニュー東映)の契約助監督。1964年2月1日に東映京都テレビプロダクションの設立に参加。同年2月16日に結婚。媒酌人は長谷川安人監督。1967年にテレビディレクターに昇進。 日本映画監督協会公式サイトの物故会員欄に名前が記載されており、現在は故人である。 井沢雅彦「お奉行様と娘たち」1961年 秋元清晴(秋元隆夫の別名義)「逆襲天の橋立」1961年 小沢茂弘「赤い影法師」1961年 内出好吉「てなもんや三度笠」1963年 (チーフ助監督 林伸憲) 佐々木康「浪人街の顔役」1963年 松田定次「血と砂の決斗」1963年 マキノ雅弘「八州遊侠伝・男の盃」1963年 長谷川安人「十七人の忍者」1963年 加藤泰「風の武士」1964年 註:B班助監督、B班監督は大西秀明 ▲テレビ映画(東映京都テレビプロダクション制作) タイトルに監督名のないものは、すべて河野寿一監督作品の助監督 「忍びの者」第一部 1964年 「つむじ風三万両」 1964~1965年 「新選組血風録」1965~1966年 「われら九人の戦鬼」1966年 「銭形平次」第13回 田坂勝彦 1966年 「銭形平次」第17回 田坂勝彦 1966年 「俺は用心棒」1967年 「剣」第29回 山内鉄也 1967年 「次郎長三国志」1968年 註:撮影は1967年、途中第10話で監督昇進。
井上 達也(いのうえ たつや、1935年8月4日 - 200… 井上 達也(いのうえ たつや、1935年8月4日 - 2006年2月15日)は、日本の経営者。京都信用金庫理事長を務めた。 京都府京都市出身。1956年に同志社大学法学部を卒業し、同年に京都信用金庫に入社。1975年に理事に就任し、1977年に常務、1984年に専務を経て、1986年7月に副理事長に就任し、1989年1月には理事長に昇格。2004年6月に会長に就任。 2006年2月15日に肺炎のために死去。70歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
巽 悟朗(たつみ ごろう、1935年7月18日 - 2003… 巽 悟朗(たつみ ごろう、1935年7月18日 - 2003年12月23日)は、元大阪証券取引所社長、光世証券創業者。北浜の風雲児の異名を取った。 大阪市船場生まれ。同志社高等学校、同志社大学経済学部卒。アメリカンフットボール選手や応援団長を経験。卒業後、山源証券(後のヤマゲン証券、現・マディソン証券)に入社。1961年、25歳にして光世証券を創業、一代で東証一部上場企業に育て上げた。 2000年、大阪証券取引所理事長に就任。2001年、大阪証券取引所初代社長に就任。ナスダック・ジャパン市場(現・新ジャスダック市場)を創設。 長男である大介は現・光世証券社長。
小嶋 淳司(こじま あつし、1935年7月16日 - )は、… 小嶋 淳司(こじま あつし、1935年7月16日 - )は、がんこフードサービス(現・GANKO)の創業者。同社会長、日本フードサービス協会会長や、関西経済同友会代表幹事、なにわ淀川花火大会会長等も務めた。和歌山県西牟婁郡上富田町生まれ。和歌山県立田辺高校・同志社大学経済学部卒業。 高校時代より家業の雑貨屋『こじま』(紀勢本線朝来駅前)をきりもりする。同志社大学経済学部を卒業後、寿司屋で修行した後、1963年に大阪・十三で4坪半の「がんこ寿司」を開店。1969年(昭和44年)に法人設立 社長に就任、以後は同社を外食産業チェーンに育て上げる。2005年(平成17年)会長に就任。2021年(令和3年)賞味期限改竄問題を受け会長を辞任。
小玉 明利(こだま あきとし、本名読み:はるとし、1935年… 小玉 明利(こだま あきとし、本名読み:はるとし、1935年6月10日 - 2019年5月19日)は、兵庫県尼崎市出身のプロ野球選手(内野手)・監督。実弟に社会人野球で活躍し、同志社大学監督をつとめた小玉孝がいる。 神崎工業高校2年生時の1953年、近鉄パールスの入団テストを受ける。その際、捕手の根本陸夫に打撃の素質を見出され、根本は芥田武夫監督に「ぜひ小玉を採用すべきだ」と進言した。芥田は朝日新聞運動部長から前年途中に監督に就任したばかりで「高校を中退させるには…」と躊躇したが、根本は「3年まで待つと他球団に取られる」として強引に口説いた。小玉は高校中退してプロ入団か、進級して高校生活を続けるか、という選択を迫られ、自ら高校を中退して入団の道を選んだ。