藤川 朋樹(ふじかわ ともき、1986年8月15日 - )は… 藤川 朋樹(ふじかわ ともき、1986年8月15日 - )は、兵庫県猪名川町出身のサッカー選手、フットサル選手。サッカーのポジションはMF、フットサルのポジションはFP。元フットサル日本代表。Fリーグディビジョン2・デウソン神戸所属。 北陽高等学校を経て大阪体育大学に入学。大阪体育大学サッカー部では総理大臣杯全日本大学サッカートーナメントで優勝した。 2009-10シーズンにはFリーグ オーシャンアリーナカップと全日本フットサル選手権大会(PUMA CUP)で3位となった。2009年にミゲル・ロドリゴがフットサル日本代表新監督に就任すると初めて日本代表に招集され、10月の第3回アジアインドアゲームズ(ベトナム大会)と11月の東アジアフットサル選手権(中国・北京大会)に出場した。
中川 理恵(なかがわ りえ、1986年7月13日 - )は、… 中川 理恵(なかがわ りえ、1986年7月13日 - )は、岡山県都窪郡早島町出身の女子サッカー選手。ポジションはFW。 中学2年次までは、岡山県倉敷市のクラブチーム、倉敷トラウムシューレでプレー。3年次より岡山湯郷Belleに入団し、岡山県女子サッカーリーグや中国女子サッカーリーグでプレーした。中学校卒業後、岡山県作陽高等学校に入学し、同高校の寮で生活しながら学業とサッカーに取り組む生活を続けた。 高校卒業後に岡山湯郷を退団し、大阪体育大学に入学、2年次に怪我で長期離脱した時期を除き、1年次よりレギュラー・準レギュラーとしてすごした。2005年に開催されたユニバーシアードイズミル大会に日本代表として出場して銅メダルを獲得した他、JFA大学選抜として忍びの里レディーストーナメントに出場もしている。
藤井 香苗(ふじい かなえ、1986年7月7日 - )は、徳… 藤井 香苗(ふじい かなえ、1986年7月7日 - )は、徳島県吉野川市(旧麻植郡鴨島町)出身のバスケットボール選手である。ポジションはセンター。三菱電機コアラーズ所属。 鴨島第一中学校でバスケを始め、富岡東高校では3年の時にインターハイ出場を果たす。この年にはジュニア日本代表にも選出される。 その後、大阪体育大学に進学。1年よりインカレにも出場。3年で初優勝に貢献。4年で準優勝とともにリバウンド王を獲得する。 2009年、三菱電機に入社。
松尾 元太(まつお げんた、1986年5月26日 - )は、… 松尾 元太(まつお げんた、1986年5月26日 - )は、滋賀県出身の元サッカー選手。ポジションはDF(おもに右サイドバック)。 滋賀県立野洲高等学校卒業後、大阪体育大学へ進学。大学では3年時からレギュラーに定着 し、右サイドバックとして活躍。2007年の関西学生サッカー選手権優勝と2008年の準優勝に貢献した。また、2008年度の総理大臣杯全日本大学サッカートーナメントでも優勝を経験している。 2008年11月12日に名古屋グランパスへの入団が内定。2009年1月26日に新人選手6人で入団会見を行った。なお、同年には大学同期の橋本和が柏レイソルに、田所諒がファジアーノ岡山に入団している。 2009年5月20日、ACLグループリーグ北京国安戦で初先発。
谷村 遼太(たにむら りょうた、1986年5月12日 - )… 谷村 遼太(たにむら りょうた、1986年5月12日 - )は、香川県高松市出身の元ハンドボール選手。 鳥取県で生まれ、小学6年生のときに香川県高松市に転居。このころはバスケットボールをしていた。光洋中学に入学したがバスケットボール部が無かったため、担任の教師が顧問をしていたハンドボール部に入部した。高校は香川県立高松高等学校に進学。卒業後は大阪体育大学へ進学した。 2009年2月に日本ハンドボールリーグの湧永製薬に加入。直後に全日本に初招集され、5月に行われた日韓戦で全日本デビューした。2009-10年シーズンは全14試合に出場し、新人選手最多(全体16位)の58得点を記録。日本リーグ最優秀新人賞を受賞した。
山道 雅大(やまみち まさひろ、1986年4月21日 - )… 山道 雅大(やまみち まさひろ、1986年4月21日 - )は、大阪府出身の元サッカー選手。ポジションは、ミッドフィールダー/ディフェンダー。
田所 諒(たどころ りょう、1986年4月8日 - )は、大… 田所 諒(たどころ りょう、1986年4月8日 - )は、大阪府寝屋川市出身の元サッカー選手。ポジションは、MF(ボランチ)、DF(左サイドバック)。豊富な運動量が特長。 2019年シーズンをもって現役を引退。 幼稚園児から、空手をやっており「戦う事は空手で植えつけられましたね」と語る。豊富な運動量は、両親の負けず嫌いな性格が影響しているらしい。
沖口 誠(おきぐち まこと、1985年11月22日 - )は… 沖口 誠(おきぐち まこと、1985年11月22日 - )は、大阪府出身の体操競技選手。コナミスポーツ所属。2008年北京オリンピック男子団体総合銀メダリスト。 大阪府泉南郡熊取町のトップスポーツクラブから大阪体育大学附属中学校、関西高等学校、日本体育大学体育学部体育学科卒業。身長161cm。体重57kg。北京オリンピック団体銀メダル獲得に貢献した。
椋本 啓子 (むくもと けいこ、1985年10月28日 - … 椋本 啓子 (むくもと けいこ、1985年10月28日 - )は、日本の体操選手。長崎県出身。西海学園高等学校、大阪体育大学卒業。大阪体育大学大学院修了。ドリーム体操クラブ出身。山口県体操協会所属。得意種目は平均台。
田中 俊則(たなか としのり、1985年10月12日 - )… 田中 俊則(たなか としのり、1985年10月12日 - )は、三重県松阪市出身のフットサル選手。ポジションはゴレイロ。元フットサル日本代表。 三重県松阪市出身で、2001年に三重県立四日市中央工業高等学校に進学。2004年1月の全国高等学校サッカー選手権大会準々決勝では、平山相太、兵藤慎剛、渡邉千真らを擁する国見高等学校と対戦し、接戦の末に0-1で敗れている。その後国見高校は決勝で6-0で大勝しており、国見高校を最も苦しめたのは四日市中央工業高校だった。高校卒業後には大阪体育大学に進学し、大阪体育大学学友会サッカー部の同期には西谷良介(デウソン神戸、フウガドールすみだ)が、2学年上には原田浩平(デウソン神戸)や須藤慎一(アグレミーナ浜松)が、1学年下には藤川朋樹(バサジィ大分など)いた。
金田 洋世(かねだ ひろよ、女性、1985年7月2日 - )… 金田 洋世(かねだ ひろよ、女性、1985年7月2日 - )は、日本の元ビーチバレー選手、元女子競輪選手(日本競輪学校第106期生)。 大阪府大阪市出身。大阪府立大塚高等学校、大阪体育大学卒。小学4年からインドアでプレーした。 卒業後、2009年に開催されるトキめき新潟国体のために結成された上越マリンブリーズ結成に参加。2009年5月に開催されたビーチバレー・ワールドツアー大阪オープンに、菅山かおるとペアを組んで出場を果たす。同年10月の国体本戦で村上めぐみとペアを組み優勝した。 2010年シーズンには尾崎睦(競輪学校第108期)とペアを組み、同年8月に開催された国内女子最高峰の大会である全日本ビーチバレー女子選手権大会で優勝を果たした。
東 佑三(ひがし ゆうぞう、1985年6月22日 - )は、… 東 佑三(ひがし ゆうぞう、1985年6月22日 - )は、山口県周南市出身の元ハンドボール選手。現在は女子実業団チームの山口銀行YMGUTSで監督を務めている。 実兄はハンドボール選手の東慶一。 周南市立住吉中学校、山口県立下松工業高等学校、大阪体育大学を経て、2008年1月に日本ハンドボールリーグの大崎電気へ加入。背番号は「22」。同年2月24日の北陸電力戦で初出場を果たした。 2008-09年シーズンはリーグトップの7mスロー阻止率(.435)を記録した。 2009-10年シーズンから背番号を「12」へ変更。 2012年に第17回ヒロシマ国際ハンドボール大会の日本代表に選出された。 2014-15年シーズンから背番号を「1」へ変更。
麦田 和志(むぎた かずゆき、1984年11月10日 - )… 麦田 和志(むぎた かずゆき、1984年11月10日 - )は、石川県出身の元サッカー選手。ポジションはミッドフィールダー。現在はツエーゲン金沢津幡U15のコーチ。
河野 嵩史(かわの たかふみ、1984年10月21日 - )… 河野 嵩史(かわの たかふみ、1984年10月21日 - )は、日本のラグビーユニオン指導者。ジャパンラグビーリーグワンヤクルトレビンズ戸田のヘッドコーチを務めている。 2003年、啓光学園高校卒業後、大阪体育大学に入る。 2007年、大阪体育大学卒業後、日野自動車レッドドルフィンズ(現・日野レッドドルフィンズ)に加入。12シーズン在籍した。 2019年、現役引退後にヤクルトレビンズのコーチに就任。2024年、同チームのヘッドコーチに昇格。
上山 容弘(うえやま やすひろ、1984年10月16日-)は… 上山 容弘(うえやま やすひろ、1984年10月16日-)は大阪府泉南市出身,泉佐野市在住のトランポリン競技の選手。泉南市立一丘中学校、大阪府立日根野高等学校、大阪体育大学卒業。162 cm、57 kg。所属はベンチャーバンクホールディングス 父親がトランポリンの普及活動を泉州地域で行っていた。その活動の拠点であった泉南市市民体育館で幼少の頃からトランポリンに慣れ親しんでいた。元トランポリン競技の選手で日本トランポリン協会の競技部長を務めた父親の剛(たけし、2007年11月14日に胆管細胞癌のため56歳で死去)の熱心な指導も相まって、才能が開花し、高校1年のときに全日本トランポリン競技選手権大会シンクロナイズドで優勝。
籔内 幸樹(やぶうち こうき、1984年8月22日 - )は… 籔内 幸樹(やぶうち こうき、1984年8月22日 - )は大阪府出身の日本のプロバスケットボール選手。ポジションはガード。 プロ選手として島根、高松、京都に在籍したほか、3x3選手としても活動した。現役引退後は指導者となり、2023年から香川のヘッドコーチを務める。 東住吉工業高校から大阪体育大学に進み、4年生時の2006年関西学生リーグ戦で優秀選手賞を受賞。関西選抜にも選出された。 卒業後は実業団のイカイに入社。名将小浜元孝の指導を受け、全日本実業団選手権に出場。 2009年にイカイを退社してNTT西日本大阪バスケットボールチーム入団。 2010年にbjリーグの島根スサノオマジックにチームトライアウトで入団。
濱里 祐介(はまざと ゆうすけ、1984年8月17日 - )… 濱里 祐介(はまざと ゆうすけ、1984年8月17日 - )は、日本の元ラグビー選手。現在ジャパンラグビーリーグワン宗像サニックスブルースのフォワード・ラインアウトコーチを務めている。 16歳からラグビーを始めた。 2003年、名護高校卒業後、大阪体育大学に入る。 2007年、大阪体育大学卒業後、近鉄ライナーズに加入。 2009年、福岡サニックスブルース(現・宗像サニックスブルース)に加入。 2014年、福岡サニックスブルースの副将に就任した。 2020年、現役を引退した。
三根 由香理(みね ゆかり、1984年7月21日 - )は、… 三根 由香理(みね ゆかり、1984年7月21日 - )は、佐賀県出身の元バスケットボール選手である。デンソーアイリスに所属していた。ポジションはセンターフォワード。177cm。ニックネームは「ウィン」。 佐賀清和高校から大阪体育大学を経て、2007年、デンソーアイリスに加入。2010-11シーズンはキャプテンを務めたが、2011年引退。引退後は母校大阪体育大の女子バスケットボール部コーチ。
佐藤 孝樹(さとう こうき、1984年6月25日 - )は、… 佐藤 孝樹(さとう こうき、1984年6月25日 - )は、日本の元ラグビー選手。 2003年、大分舞鶴高校卒業後、大阪体育大学に入る。 2007年、大阪体育大学卒業後、九州電力キューデンヴォルテクスに加入。同年10月28日に行われたジャパンラグビートップリーグ第1節の三菱重工相模原ダイナボアーズ戦に先発出場で公式戦初出場を果たした。 2018年、現役を引退した。 この項目は、日本のラグビーユニオン関連人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJラグビー/Pラグビー)。
松岡 勇(まつおか いさむ、1984年5月1日 - )は、元… 松岡 勇(まつおか いさむ、1984年5月1日 - )は、元ラグビーユニオン選手。 2003年、神戸甲北高校卒業後、大阪体育大学に入る。 2007年、大阪体育大学卒業後、近鉄ライナーズ(現・花園近鉄ライナーズ)に加入。 2022年4月30日に行われたJAPAN RUGBY LEAGUE ONE順位決定戦第二節三重ホンダヒート戦にて公式戦100試合出場達成。選手として活動すると同時に、近鉄バスに勤務。 2024-25シーズンをもって現役を引退することを発表した。
宮下 梨沙(みやした りさ、1984年4月26日 - )は、… 宮下 梨沙(みやした りさ、1984年4月26日 - )は、日本の元やり投選手。 大阪府島本町出身。島本第一中、大阪薫英女学院高、大阪体育大学を卒業しY-TRAININGに所属した。島本第一中時代には三種競技Aに取り組み、大阪薫英女学院高時代にやり投と出会った。 2013年と2015年のアジア選手権大会に出場し、銅メダルを獲得した。2011年と2016年の日本選手権で優勝している。 2021年10月に引退した。 個人ベストは2016年の全日本実業団対抗選手権で記録した60.86mである。
岩本 健一朗(いわもと けんいちろう、1984年1月27日 … 岩本 健一朗(いわもと けんいちろう、1984年1月27日 - )は、日本のラグビー選手。 中学1年生からラグビーを始めた。 2002年、履正社高校卒業後、大阪体育大学に入る。 2006年、大阪体育大学卒業後、トヨタ自動車ヴェルブリッツに加入。 2007年1月8日に行われたジャパンラグビートップリーグ第12節のワールドファイティングブル戦に途中出場で公式戦初出場を果たす。 2009年、ラグビーワールドカップセブンズ2009の7人制日本代表に選出された。 2013年、トヨタ自動車ヴェルブリッツを退団した。
金 喆元(キム・チョルウォン、김철원、1984年1月22日 … 金 喆元(キム・チョルウォン、김철원、1984年1月22日 - )は、大韓民国出身のラグビー選手。現活動名義は和田 哲元[読み疑問点]。 養正高校から朝明高校に留学。 大阪体育大学に進学し、4年次の2006年度には全国選手権でベスト4入り。京都産業大学の徐忠植とともに韓国出身者として初めて国立の舞台に立った。 大学卒業後の2007年、近鉄ライナーズに加入。 同年、日本代表スコッドに選ばれ、ワールドカップの補欠メンバーとなり、フィジー戦で負傷した矢富勇毅に代わり正式メンバーに昇格した。 2019年に現役を引退。引退後はラグビーから離れ、近鉄百貨店の社員として社業に専念していた。 2022年より母校・大阪体育大学の監督・中井俊行からの依頼で、週2回の指導を開始。
高木 啓充(たかぎ ひろみつ、1983年9月16日 - )は… 高木 啓充(たかぎ ひろみつ、1983年9月16日 - )は、元プロ野球選手(投手)。
原田 浩平(はらだ こうへい、1983年6月25日 - )は… 原田 浩平(はらだ こうへい、1983年6月25日 - )は、大阪府・大阪市出身のフットサル選手。ポジションはピヴォ。フットサル日本代表。 小学5年生時にサッカーを始め、主に左サイドハーフやトップ下としてプレー。スポーツ推薦で清風高校に進学し、高校ではキャプテンを務めた。大阪体育大学でもサッカー部に所属していたが、友人に誘われて4年時にフットサルをはじめ、大学卒業後にはブラジル・サンパウロ州に短期留学してプロフットサルチームの練習に参加。帰国後には京都府1部リーグのリンドバロッサに所属し、フットサル場のアルバイトをしながら泉佐野市内に住んでいた。 2007年のFリーグ発足が決定すると、リンドバロッサ・セレゾン神戸(兵庫県)・セレゾン浜松(静岡県)の3チームが提携し、デウソン神戸を設立してFリーグに参加。
福田 哲也(ふくだ てつや、1983年6月23日 - )は、… 福田 哲也(ふくだ てつや、1983年6月23日 - )は、日本のラグビーユニオン選手。 ラグビーを始めたきっかけは友人に誘われたことから。 2002年、大分海洋科学高校卒業後、大阪体育大学に入学する。 2005年、大阪体育大学ラグビー部の主将に就任した。 2006年、大阪体育大学卒業後、コカ・コーラウエストレッドスパークス(現・コカ・コーラレッドスパークス)に加入。同年10月1日に行われたジャパンラグビートップリーグ第4節のトヨタ自動車ヴェルブリッツ戦にて途中出場で公式戦初出場を果たす。 2017年、コカ・コーラレッドスパークスを退団した。
長江 晃生(ながえ あきお、1983年1月25日 - )は、… 長江 晃生(ながえ あきお、1983年1月25日 - )は、日本の元男子バレーボール選手、指導者。大阪体育大学体育学部准教授。 徳島県徳島市出身。城東高校を卒業後、大阪体育大学へ進学。大学卒業後の2005年に堺ブレイザーズへ入団。大阪体育大学大学院に通いながらプレーしていた。 2007年に大分三好ヴァイセアドラーへ移籍。2009年には大分三好のコーチも兼任し、2009-2010年Vプレミアリーグで主力選手として活躍した。 2010年の全日本代表登録メンバーに選出され、アジア競技大会で金メダル獲得。2012年5月の黒鷲旗大会をもって勇退。 2014年から大阪体育大学の教員として、女子バレーボール部の監督に就任している。
神原 史(かんばら ふみ、1982年12月23日 - )は、… 神原 史(かんばら ふみ、1982年12月23日 - )は、広島県福山市出身の女子サッカー選手。ポジションはミッドフィールダー。 2005年にTEPCOマリーゼに入団。第2節の伊賀フットボールクラブくノ一戦で後半途中から出場しリーグデビューを果たす。しかし第7節のTASAKIペルーレFC戦で左膝前十字靭帯を断裂。それから2年間はリハビリのため試合から遠ざかっていた。 2007年の日本女子サッカーリーグ(なでしこリーグ)第8節・清水第八プレアデスとの試合で約2年1ヶ月ぶりに試合に復帰。リーグ終盤よりレギュラーとして試合に出場するようになった。
日置 ちはる(ひおき ちはる、1982年11月18日 - )… 日置 ちはる(ひおき ちはる、1982年11月18日 - )は、京都府出身のサッカー選手。ポジションはディフェンダー。 高校時代までは、地元のサッカークラブ、京都紫光サッカークラブの女子チームでプレー。大阪体育大学を経て2005年度にアルビレックス新潟レディースへと入団した。 2009年、アルビレックス新潟より牧野愛美と共にジェフユナイテッド市原・千葉レディースへと移籍した。
前田 和哉(まえだ かずや、1982年9月8日 - )は、和… 前田 和哉(まえだ かずや、1982年9月8日 - )は、和歌山県出身の元サッカー選手。現役時代のポジションはディフェンダー。 初芝橋本高校から大阪体育大学へ進み、2005年に練習生としてセレッソ大阪のシーズン前キャンプに参加。当時の小林伸二監督から高評価を得て正式契約に至った。大学も奨学金で通っていた苦労人である。大学在学時に、中学校、高等学校の保健・体育教員免許を取得。 2005年シーズンの第3節の大宮アルディージャ戦で初めてベンチ入り。その試合で同じルーキーの江添建次郎が負傷したため、代役として急遽初出場。この怪我で江添が長期離脱となった為、以後レギュラーとして定着。第25節の名古屋グランパスエイト戦ではプロ初ゴールを決めた。
猪瀬 佑太(いのせ ゆうた、1982年3月15日 - )は、… 猪瀬 佑太(いのせ ゆうた、1982年3月15日 - )は、日本の元ラグビー選手。 高校からラグビーを始めた。 2000年、常総学院高校卒業後、大阪体育大学に入る。 2004年、大阪体育大学卒業後、NECグリーンロケッツに加入。同年12月5日に行われたジャパンラグビートップリーグ第8節のヤマハ発動機(ジュビロ)戦に途中出場で公式戦初出場を果たす。 2016年12月にトップリーグ100試合出場を達成。 2018年、現役を引退した。
高宮 和也(たかみや かずや、1981年12月4日 - )は… 高宮 和也(たかみや かずや、1981年12月4日 - )は、大阪府岸和田市出身の元プロ野球選手(投手)、YouTuber。 少年野球チームのコーチであった実父の影響で野球をスタート。親子揃っての阪神タイガースのファンであることから、実父は和也を阪神へ入団させるべく、野球の基礎を和也に教え込んだという。 中学校時代に関西創価高等学校への進学を予定していたが、硬式野球部のセレクションで合格に至らなかったことから大阪体育大学浪商高等学校(浪商)に入学した。しかし、浪商への在学中には、春夏とも阪神甲子園球場での全国大会へ出場できなかった。浪商での1学年先輩に妹尾軒作がいる。 高校からの卒業前に龍谷大学や佛教大学のセレクションを受けたが、いずれも採用されなかった。
松岡 毅(まつおか つよし、1981年5月11日 - )は、… 松岡 毅(まつおか つよし、1981年5月11日 - )は、兵庫県出身のラグビー選手。豊田自動織機シャトルズ元主将。 2010年にソフトボール選手の内藤恵美と結婚。弟は、花園近鉄ライナーズに所属する松岡勇。
松川 功(まつかわ いさお、1981年4月19日 - )は、… 松川 功(まつかわ いさお、1981年4月19日 - )は、日本のラグビーユニオン指導者。ジャパンラグビーリーグワンレッドハリケーンズ大阪のヘッドコーチを務めている。 2000年、啓光学園高校卒業後、大阪体育大学に入る。 2004年、大阪体育大学卒業後、NTTドコモ関西(現・レッドハリケーンズ大阪)に加入。11シーズン在籍した。 2015年、現役引退後にレッドハリケーンズ大阪のコーチを歴任して、2024年、同チームのヘッドコーチに昇格。
妹尾 軒作(せのお けんさく、1981年3月26日 - )は… 妹尾 軒作(せのお けんさく、1981年3月26日 - )は、大阪府阪南市出身の元プロ野球選手(投手)。選手時代の登録名は「軒作」。 小学校2年で野球を始め、中学では泉佐野ボーイズで外野手。大体大浪商高で、2年次からエースとなる。2年夏は5回戦で久保康友がいた関大一高に敗れた。 卒業後は大阪体育大学へ進学、年秋にはリーグ戦で7回参考記録ながらノーヒットノーランを達成。阪神大学リーグ通算32試合に登板し19勝3敗、防御率1.08、192奪三振。最優秀選手1回、最優秀投手2回、ベストナイン2回受賞。大学選手権、明治神宮大会出場。4年春にはドラフト1位候補だったがその年のドラフト会議では指名されず、卒業後は社会人野球の一光へ入団、日本選手権ではチーム初勝利とベスト4進出に貢献。
久住辰也(くすみ たつや、1981年3月20日 - )は、日… 久住辰也(くすみ たつや、1981年3月20日 - )は、日本のラグビー選手。 中学1年からラグビーを始め、関西創価高校では高校日本代表に選出。 大阪体育大学ラグビー部では関西リーグ屈指のトライゲッターとして活躍し、2003年にトップリーグ・トヨタ自動車ヴェルブリッツへ。 恵まれた体格に加え、スピードもあり、2006年はリーグ戦で8トライをマークするが、故障も多く、日本代表への選出はワールドカップ直前の代替選出が初。 2013年に退団し、現在は豊田通商BLUE WINGのクラブチーム豊田通商REDWINGに在籍する。
近藤 岳登(こんどう がくと、1981年2月10日 - )は… 近藤 岳登(こんどう がくと、1981年2月10日 - )は、愛知県豊川市出身の元サッカー選手。現役時代のポジションはサイドバック。 高校時代は2年連続で国体メンバーに選ばれるものの、大阪体育大学は1ヵ月で中退。サーフィンやスノーボードに明け暮れる日々を過ごす。 しかし、「その生活には満足できず、自然に体がサッカーを求めた」と、2001年、愛知県リーグ所属の東海理化SCに入団し、サッカーを再開。2003年にはびわこ成蹊スポーツ大学に入学し、2年連続で関西学生選抜に選ばれる活躍を見せる。 その後、2007年にヴィッセル神戸に入団。26歳にして新人という異色の選手であり、注目されていたが前十字靭帯損傷によりシーズンを棒に振った。
田村 大輔(たむら だいすけ、1981年〈昭和56年〉1月2… 田村 大輔(たむら だいすけ、1981年〈昭和56年〉1月22日 - )は、日本の元プロバスケットボール選手。大阪府出身。現役時代のポジションはポイントガード兼シューティングガード。 関西大学北陽高等学校、大阪体育大学を経て2003年、新潟アルビレックスA2に入団。 2005年、ドラフト外でbjリーグ・大阪エヴェッサに入団し、控えながらチームの初代王者に貢献。オフに福岡BBボーイズへ移籍したが、2006-07シーズン途中、大阪エヴェッサに復帰。 2008年、ライジング福岡へ移籍したが、2009年に契約解除となり、インターナショナル・バスケットボール・リーグ(IBL)に参戦するニッポン・トルネードに加入。
下村 東美(しもむら とうみ、1980年12月18日 - )… 下村 東美(しもむら とうみ、1980年12月18日 - )は、北海道札幌市南区出身のサッカー選手、サッカー指導者。父親はオーストリア出身で元サッカー選手、母は日本人。 SSS札幌サッカースクールでサッカーを始める。同期生に吉野智行がいた。札幌第一ジュニアユースを経て、札幌第一高等学校から大阪体育大学に進み、在学時にはデンソーカップサッカーの関西選抜に選ばれ、キャプテンも務める。 同大学卒業後の2003年、セレッソ大阪に入団。2004年はセンターバックとして試合経験を積み、2005年からは本来のポジションであるボランチとして頭角を現し、優勝争いに貢献する。 2006年にC大阪がJ2に降格すると、2007年1月にジェフユナイテッド市原・千葉へ完全移籍。
豊岡 英子(とよおか あやこ、1980年8月10日 - )は… 豊岡 英子(とよおか あやこ、1980年8月10日 - )は、日本の元自転車競技選手、女子競輪選手。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第114期生。日本競輪選手会大阪支部所属。 ホームバンクは岸和田競輪場。師匠は渡邉泰夫(62期)。 大阪府吹田市出身。吹田市立山田東中学校、追手門学院高等学校を経て、神戸松蔭女子学院大学を中退し、大阪体育大学に再入学。大学時代はトライアスロン選手だったが、後に自転車競技に転向する。 チーム・パナソニックレディースに所属。全日本シクロクロス選手権大会において、2005年から2011年まで7連覇を達成。この他、ロードレースでは、2007年の全日本選手権・個人ロード2位、2008年の同大会・個人タイムトライアル3位の実績がある他、2007年の三笠宮杯ツール・ド・とうほくでは総合優勝を果たしている。
赤木 基浩(あかぎ もとひろ、1980年6月28日 - )は… 赤木 基浩(あかぎ もとひろ、1980年6月28日 - )は、日本の元ラグビー選手。
菊谷 崇(きくたに たかし、1980年2月24日 - )は、… 菊谷 崇(きくたに たかし、1980年2月24日 - )は、日本の元ラグビー選手、ラグビー指導者。元日本代表。 御所工業高校、大阪体育大学卒業、2002年にトヨタ自動車ヴェルブリッツに加入。 2005年2月、ワールドカップセブンズ2005のスコッドに選出された。同年11月、リポビタンDチャレンジ2005スペイン戦で15人制代表初キャップ獲得。 ワールドカップ2011にキャプテンとして全試合出場。2012年にトップリーグ通算100試合出場、2017年に150試合出場を達成した。インターナショナルのキャリアではフォワード選手のなかで世界で2番目に多くトライを取っている。 2013年にはイングランドのサラセンズに加入し、2014年に南アフリカのシャークスと対戦した。
萬浪 大輔(まんなみ だいすけ、1980年2月20日 - )… 萬浪 大輔(まんなみ だいすけ、1980年2月20日 - )は、日本の男性ファッションモデル・俳優。血液型はB型。東京都在住。T180/B98/W80/H96/S27.5。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。 この項目は、ファッション関係の人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル ファッション)。
土橋 優貴(つちはし ゆうき、1980年1月16日 - )は… 土橋 優貴(つちはし ゆうき、1980年1月16日 - )は、徳島県阿南市出身の元女子サッカー選手である。ポジションはディフェンダーおよびミッドフィールダー。 小学2年次、父親の影響でサッカーを始める。小学生時代は父親がコーチを務める少年サッカークラブ、FCソシオスでプレーした。小学5年次、徳島県内の少年サッカークラブでプレーする女子選手の選抜チーム、ソシオス・アミーゴに選出され、高校時代まで在籍した。徳島県立富岡東高等学校在学中は校内の陸上部にも所属し、高校3年次には100メートルハードル競争で全国高等学校総合体育大会陸上競技に出場した。 1998年に大阪体育大学に入学して女子サッカー部に入部。
田中 静佳(たなか しずか、1979年12月1日 - )は、… 田中 静佳(たなか しずか、1979年12月1日 - )は、京都府出身の元女子サッカー選手。 ポジションは、FW。 この項目は、サッカー選手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:サッカー/PJサッカー選手/PJ女子サッカー)。
江角 浩司(えずみ こうじ、1978年12月18日 - )は… 江角 浩司(えずみ こうじ、1978年12月18日 - )は、島根県出雲市斐川町出身の元プロサッカー選手。ポジションはゴールキーパー。 大学卒業後の2002年、大分トリニータに入団。暫くは岡中勇人と高嵜理貴の控えに甘んじていたが、2005年には負傷離脱した岡中に代わって8試合に出場した。 しかし、後半戦になると当時ルーキーの西川周作が起用されるようになってレギュラー確保には至らず2006年に大宮アルディージャに移籍。2007年の途中から荒谷弘樹に代わりレギュラーの座を射止めた。2008年シーズンは不動の守護神として自身初の全試合出場を果たした。しかし、2010年以降は北野貴之の加入により控えに回った。
山岡五月(やまおか・さつき、1978年12月13日 - )は… 山岡五月(やまおか・さつき、1978年12月13日 - )は、徳島県阿南市出身の元バスケットボール選手。ポジションはSG。背番号32。 徳島県立富岡東高等学校、大阪体育大学出身。大学卒業後は、トヨタ自動車アンテロープ(現・トヨタ自動車アンテロープス)に入団。 2006年、デンソーアイリスに移籍。身長171cm、体重60kg。得意プレイはレッグスルー。 2008年オフに結婚。 2009年引退。主婦業に専念する。 2015年徳島県阿南市立加茂谷中学校で教員として働く。
柿本 倫明(かきもと みちあき、1977年10月6日 - )… 柿本 倫明(かきもと みちあき、1977年10月6日 - )は、福岡県京都郡みやこ町(旧犀川町)出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはフォワード (FW)。 大阪体育大学在学中の1999年、ユニバーシアードマヨルカ大会で日本代表に選出され2ゴールをあげるなど活躍し、2000年、J1・アビスパ福岡へ入団。しかし、出場機会を得られないまま1年で戦力外通告を受け退団、シンガポールリーグのクレメンティー・カルサFCに移籍した。そこで29試合に出場し14得点と結果を出すと、福岡在籍時にサテライト監督を務めていた当時の大分トリニータ監督、小林伸二から声がかかり、2002年シーズンからJリーグに復帰。
橋本 泰由(はしもと やすよし、1977年4月13日 - )… 橋本 泰由(はしもと やすよし、1977年4月13日 - )は、和歌山県日高郡出身の元プロ野球選手(投手)。 小学校から日高高校までは1年上に大久保勝信がいた。以降はエースを務めた。 高校卒業後、大阪体育大学へ進学し硬式野球部に入部。大学時代は1学年先輩の上原浩治がエースを務めていたため、控え投手であった。阪神大学リーグ通算18試合に登板し9勝6敗[要出典]。1999年秋季のリーグ戦では5勝を挙げて敢闘賞を受賞する。 大学卒業後、就職予定だった大和銀行が野球部の廃部を発表したため、内定取り消しとなる。中学校で体育の講師を務める傍ら、地元の社会人野球・クラブチームの箕島球友会でプレーを続けた。 2001年、プロ野球ドラフト会議でオリックス・ブルーウェーブから15巡目の指名を受け契約金ゼロで入団した。
永島 英明(ながしま ひであき、1977年3月24日 - )… 永島 英明(ながしま ひであき、1977年3月24日 - )は、大阪府出身の元ハンドボール選手。ポジションはポスト。 此花学院高等学校から大阪体育大学を経て三陽商会に入社。三陽商会休部後、大崎電気へ移籍、プロ契約を結ぶ。全日本のメンバーとして国際大会も経験。2008年北京オリンピック世界最終予選に向け、全日本の主将に選ばれた。よく通る声でチームを鼓舞し、何よりも妥協しない運動量は間違いなく後輩を納得させる。リーグではディフェンスの要としてスターティングメンバーとして活躍している。 2006年3月、女子レスリング選手の山本聖子と婚約。男児をもうけたが2014年9月に離婚。 現在は、小中学校などをまわり、講演会を開く夢プロジェクトに参加している。