手塚 一志(てづか かずし、1963年1月5日 - )は、徳… 手塚 一志(てづか かずし、1963年1月5日 - )は、徳島県三好郡井川町出身のパフォーマンスコーディネーター、体育学修士、有限会社ベータエンドルフィン代表取締役。 操育、シンクロ打法、うねり打法、ジャイロボール、W-スピン、クオ・メソッドなどの発表で知られる、スポーツ科学者。東北楽天ゴールデンイーグルス・パフォーマンス・コーディネーター。2013年よりSWBC・JAPAN(ストロングリーグ日本代表)パフォーマンス・コーディネーター。2015年より理化学研究所客員研究員。 1963年1月5日、徳島県三好郡に産まれる。 徳島県立池田高等学校では野球部の内野手として活躍する。蔦文也の指導を受け、レギュラーは獲得したが、甲子園出場はかなわなかった。
廣嶋 禎数(ひろしま よしかず、1962年5月22日 - )… 廣嶋 禎数(ひろしま よしかず、1962年5月22日 - )は、大阪府大阪市出身の元サッカー審判員。日本サッカー協会 (JFA) トップレフェリーインストラクター。 小学5年生のころからサッカーを始め、大阪府立藤井寺高等学校進学後に本格的にサッカーに取り組む(ポジションはMF)。その後大阪体育大学に進むが、選手としてではなく関西学生サッカー連盟の幹事長を務めるなど、学連での活動が主となった。並行して審判資格の取得を始め、大学2年・20歳の時に4級審判員の資格を取得。大学卒業後は大阪府立高校の保健体育科教諭となり、西浦高校、平野高校、長野高校で教鞭を執る。 1990年に1級審判員資格取得。1993年のJリーグ発足と同時に副審を務める。
安田 昌玄(やすだ まさはる、1962年1月9日 - )は、… 安田 昌玄(やすだ まさはる、1962年1月9日 - )は、アスレティックトレーナー、プロ野球コーチ。プロ野球選手としての経験はない。 大阪府大阪市生まれ、堺市出身。 大阪府立東百舌鳥高等学校、大阪体育大学を卒業後、1984年に当時の阪急ブレーブスに入団。以降、球団の変遷を経つつ20年以上にわたり一貫してトレーニングコーチを務めた。2012年に退団。 2005年、チーム内で実践しているコンディショニング法を紹介した著書『ベースボールコンディショニングバイブル』が発売された。 2007年に生まれたばかりの娘を残して妻が他界し、シングルファーザーとして仕事と家庭を両立しながら奮闘する姿がテレビ等で紹介された。
石森 宏一(いしもり こういち、1961年12月2日 - )… 石森 宏一(いしもり こういち、1961年12月2日 - )は、日本のレスリング選手。大阪府出身。1980年大阪体育大学浪商高等学校卒業。1984年大阪体育大学卒業後大阪府警察に所属。現在は高槻市で石工事業を営む。
石田 利也(いしだ としや、1961年10月20日 - )は… 石田 利也(いしだ としや、1961年10月20日 - )は、日本の警察官、剣道家(範士八段)。大阪府警察所属。元日本代表。 現在、大阪府警特別術科訓練剣道師範・監督。 神奈川県警・宮崎正裕警視のライバルとしても知られ、現役時代は「引き技の石田」の異名を取った。弟は石田洋二(大阪府警察)。
山田 ゆかり(やまだ ゆかり、1961年3月3日 - )は、… 山田 ゆかり(やまだ ゆかり、1961年3月3日 - )は、日本の空手家、元空手指導者である。 大阪体育大学に入学してから空手を始め、1982年には日本代表として世界空手道選手権大会の組手個人60キロ級で優勝した。 指導者としては23歳の時に東大阪高等学校(現在の東大阪大学敬愛高等学校)の空手道部監督に就任し、以来現在まで25年間にわたって指導を続けている。2008年には全国高等学校空手道選抜大会の女子部門で個人形・組手、団体形・組手の4種目完全優勝を達成し、続いてインターハイで同部を女子組手団体で2年連続優勝させ、同年度(2008年度)の大阪スポーツ大賞では大阪府から優秀指導者として表彰された。
玉村 健次(たまむら けんじ、1961年1月16日 - )は… 玉村 健次(たまむら けんじ、1961年1月16日 - )は、大阪府出身の元ハンドボール選手、指導者。現在は日本ハンドボールリーグ(リーグH)の堺 LIAISON OSAKAで監督を務めている。 大阪商業高校(現大商学園高等学校)、大阪体育大学出身。大学在籍中の1980年に全日本ジュニアに選ばれている。 卒業後、奈良県教員を経て湧永製薬に入社。同社ハンドボール部に所属。2009年現在、日本リーグ通算得点第12位、2008年まで湧永における歴代最多得点者でもあった。また、日本リーグにおける1試合内個人最多得点記録(22点)を持っている。全日本では1988年ソウル五輪代表同大会で得点ランキング3位となる。
松井 清隆(まつい きよたか、1961年1月4日 - )は、… 松井 清隆(まつい きよたか、1961年1月4日 - )は、大阪府高槻市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。 京都西高校・大阪体育大学を経て日本鋼管サッカー部、清水エスパルスでプレーしたGK。ポジショニングに優れた80年代の日本を代表するGKの一人で、日本代表として15試合に出場。特に1985年のワールドカップ・メキシコ大会アジア1次予選、敵地の北朝鮮戦における神がかり的なプレーは、諸般の事情によりTV中継がなかったにも関わらず、取材した数少ないメディア関係者を通じて語り草となっている。同時期に代表でプレーした森下申一は学年が同じでGKとしての能力も同じように高く、良きライバルとして共に日本代表を支えていた。
高見 公明(たかみ ひろあき、1960年8月7日 - )は、… 高見 公明(たかみ ひろあき、1960年8月7日 - )は、アマチュアボクシング選手・指導者である。佐賀県出身。 大阪体育大学浪商高等学校にて2年連続インターハイ優勝。その後大阪体育大学を経て、公立学校教員(地方公務員)として奈良県立王寺工業高等学校に赴任。教員の傍らアマチュアボクサーとして全日本選手権出場し4度優勝。大学の1年先輩に元東洋太平洋フライ級チャンピオン松村謙二がいる。 王寺工業高校教員時代にロサンゼルスオリンピックにバンタム級で出場。(3回戦敗退) 1991年、奈良県立奈良工業高等学校に赴任。同校でボクシング部を設立。アトランタ・シドニー五輪2大会出場、全日本選手権10連覇4階級制覇の辻本和正、元WBA世界スーパーフライ級チャンピオン名城信男、女子アマチュア6連覇の釘宮智子、元東洋太平洋ライトヘビー級チャンピオン寺地永の次男拳四朗らを輩出した。
松村 謙二(まつむら けんじ、男性、1960年2月15日 -… 松村 謙二(まつむら けんじ、男性、1960年2月15日 - )は、日本のプロボクサー。兵庫県高砂市出身。JA加古川ジム→KTT河合ジム所属。
猿沢 茂(さるさわ しげる、1960年1月30日 - )は広… 猿沢 茂(さるさわ しげる、1960年1月30日 - )は広島県安芸郡府中町出身の元サッカー選手(MF、FW)。 府中中学に入学後から本格的にサッカーをはじめ、1年次からセンターフォワード(CF)として活躍。2年次には中国大会優勝を飾った。また、中学時代に広島大河FCに入ってプレーしている。 県立広島工業高等学校(通称・県工)時代 は高校1年次からCFとしてレギュラーとなり高校選手権出場。2年次にはインターハイ出場。3年次では攻撃的なMFとしてチームの軸となりインターハイ、選手権の両大会で活躍した。かつて御三家と言われながら、永らく低迷が続く広島高校サッカーが久しぶりに輝いた瞬間だった。現在では県工出身者の中でも知名度は低いが、当時はこの猿沢の才能が最も注目され、ルックスの良さもあり一番人気が高かった。
奥本 保昭(おくもと やすあき、1960年 - )は、京都府… 奥本 保昭(おくもと やすあき、1960年 - )は、京都府出身の元アマチュア野球選手、監督である。ポジションは外野手。 小学生の時に野球を始める。桃山高等学校では、外野手としてプレーし、1978年の京都大会でサイクル安打を放ったが、甲子園への出場を果たすことができなかった。 その後は、大阪体育大学に進学し、南宇治中学校で体育教師として勤務。1986年から新規開校の京都成章高等学校の監督を2006年までに務め、1995年の夏の甲子園で初出場を果たし、1998年の夏の甲子園で準優勝を果たした。 2008年から2019年までに塔南高等学校の監督を務め、現在は花園大学のコーチを務めている。 2021年に育成功労賞を授賞した。
大橋 浩司(おおはし ひろし、1959年10月27日 - )… 大橋 浩司(おおはし ひろし、1959年10月27日 - )は、サッカーの指導者。三重県伊賀市出身。三重県立名張桔梗丘高等学校、大阪体育大学を卒業後、四日市市立南中学校教員、日本サッカー協会指導者養成インストラクターを経て、指導者の道を歩み始めた。
西村 昭宏(にしむら あきひろ、1958年8月8日 - )は… 西村 昭宏(にしむら あきひろ、1958年8月8日 - )は、大阪府出身の元サッカー選手、サッカー指導者。 現役時代はヤンマーディーゼルサッカー部の守備的ミッドフィルダー、ディフェンダーとして活躍し、日本代表としても国際Aマッチ出場49試合を誇る。1986 FIFAワールドカップ・アジア予選では1次予選のシンガポール戦で代表初ゴールを含む2ゴールを挙げるなど、守備面で代表の最終予選進出に貢献した。 1991年に現役を引退。ガンバ大阪でコーチやユース監督を歴任した後、1999年から2001年にかけてユース日本代表の監督を務め、AFCユース選手権2000で準優勝。2001 FIFAワールドユース選手権に出場した。
渡田 均(わたりだ ひとし、1958年5月1日 - 2020… 渡田 均(わたりだ ひとし、1958年5月1日 - 2020年7月6日)は広島県出身のプロ野球審判員。現役引退時の審判員袖番号は31(1988年の袖番号初採用時から)。 関西大倉高等学校、大阪体育大学時代はラグビー選手という異色の経歴であり、大学時代はフランカーとして活躍するも、腰痛のため選手を断念。その後1982年にセントラル・リーグ審判員として採用された。1985年に一軍初出場を果たし、1997年より審判部主任。2009年には副部長に昇格した(役職名変更により2011年からクルーチーフとなる)。2014年からはクルーチーフの役を解かれ一般審判員となる。 2009年には第2回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の審判員として、友寄正人、中村稔、良川昌美らと共に派遣され、2次ラウンド2組の一塁・三塁塁審として4試合に出場した。
井上 卓也(いのうえ たくや、1957年4月2日 - )は、… 井上 卓也(いのうえ たくや、1957年4月2日 - )は、愛媛県出身の元プロ野球選手(投手)。
山村 輝治(やまむら てるじ、1957年1月28日 - )は… 山村 輝治(やまむら てるじ、1957年1月28日 - )は、日本の実業家。株式会社ダスキン代表取締役社長を経て、同社代表取締役会長。 大阪府大阪市出身。大阪市立桜宮中学校在学中、松本竜助とダブルスのペアを組んで卓球に打ち込んだ。その後親の反対を押し切り卓球の名門校興國高等学校に進学したものの、レベルの違いを感じ、肩を痛めたこともあり、同志社大学等からの誘いを断り、卓球をやりながら教員を目指すため推薦入学で大阪体育大学体育学部に進学し1979年卒業。 大学4年のときに佛教大学の通信教育で小学校2級免許を取得。大学卒業後は2年半小学校講師を務めたが、日本教職員組合の締め付けに辟易し、小学校を辞めて高校生の卓球指導をしたいと考えるようになる。
池上 正(いけがみ ただし、1956年10月31日 - )は… 池上 正(いけがみ ただし、1956年10月31日 - )は、大阪府出身のサッカー指導者。日本サッカー協会(JFA)公認A級(U-12)およびJFA公認キッズリーダーインストラクターのライセンスを保有している。 大阪府の出身。大阪体育大学卒業後からサッカー指導者となり、大阪YMCAでキッズ部門の指導を担当した。2002年、ジェフユナイテッド市原(現:ジェフユナイテッド市原・千葉)の育成・普及部コーチに就任、その後もアカデミー育成コーチを務めた。 2011年1月に千葉のコーチを退任。その後、自ら「特定非営利活動法人I.K.O.市原アカデミー」を立ち上げた。また、同年はVONDS市原の監督も務めた。
高間 武(たかま たけし、1956年2月18日 - )は、京… 高間 武(たかま たけし、1956年2月18日 - )は、京都府出身の元サッカー選手(MF)、サッカー指導者。 京都商業高校→大阪体育大学を経て、卒業後の1978年に日産自動車へ入部。9年間にわたってMFとして活躍し、2度の天皇杯優勝を経験した。1988年に地元の京都紫光クラブへ移籍し、1991年限りで現役を引退。 引退後はコーチ専任となり、1993年、紫光クラブから名称変更した教育研究社FC京都パープルサンガの監督に就任するも、JFL1部最下位に終わる。その後は京都のコーチ兼サテライト監督(1994年 - 1996年)、普及育成コーチ(1997年 - 1998年)を歴任し、退団後はヴィッセル神戸のコーチ兼サテライト監督(1999年 - 2000年)を務める。
渡辺 二郎(わたなべ じろう、1955年〈昭和30年〉3月1… 渡辺 二郎(わたなべ じろう、1955年〈昭和30年〉3月16日 - )は、元プロボクサー(大阪帝拳ジム所属)。 岡山県小田郡矢掛町で生まれ、大阪府で育つ。血液型B型。浪商高等学校(現・大阪体育大学浪商高等学校)、追手門学院大学文学部英米語学文学科卒業。高校時代は水泳部、大学時代は日本拳法部で活躍し、世界選手権で4位となった。 大学卒業後に体重別のボクシングを志向、大阪帝拳ジムにアマチュアとして入門した。アマ戦績は4戦4勝。 引退後も実業家、ボクシング解説者、講演家、テレビタレントなど多方面で活躍していた。 1995年、金融機関からの融資返済に絡む恐喝未遂事件で逮捕され、起訴猶予処分で釈放された。
藤瀬 史朗(ふじせ しろう、1953年7月2日 - )は、大… 藤瀬 史朗(ふじせ しろう、1953年7月2日 - )は、大阪府茨木市出身の元プロ野球選手(外野手)。 桜宮高から、大阪体育大学に進学し硬式野球部に入部。阪神大学野球リーグでは在学中2回の優勝を経験するが、関西六大学野球リーグへの昇格はならなかった。進学後もプロを目指すつもりはなく、アマチュアの指導者として教員免許の取得を目的としていた。高校時代までは内野手、大学で外野手に転向した。 学生時代は一貫して野球部に所属しており、大学で陸上部に所属していたというのはあくまで“ネット上の噂”として本人が否定している。ただし、足の速さを買われて中学生時代に陸上競技の大会へ出場したことがある。 大学4年次の1975年、目指していた教員採用試験では不合格となったが、その時たまたま拾った新聞に載っていた近鉄バファローズの募集広告で入団テストの実施を知り、当座の就職先確保と元来近鉄ファンでもあったことから「プロ野球選手が見られるかもしれない」という興味本位の理由で受験したところ、1次テストの50m走であまりに足が速かったために2次の打撃・守備テストの結果を待たず合格、ドラフト外で入団した。
河本 昭義(かわもと あきよし、1953年4月7日 - )は… 河本 昭義(かわもと あきよし、1953年4月7日 - )は、日本のバレーボール指導者。岡山県笠岡市出身。現在はV・プレミアリーグの岡山シーガルズ部長兼総監督。
比屋根吉信(ひやね よしのぶ、1951年9月19日 - )は… 比屋根吉信(ひやね よしのぶ、1951年9月19日 - )は、アマチュア野球の指導者。兵庫県尼崎市出身。
祖母井 秀隆(うばがい ひでたか、1951年9月2日 - )… 祖母井 秀隆(うばがい ひでたか、1951年9月2日 - )は、兵庫県神戸市出身の元サッカー選手・サッカー指導者、経営者。 兵庫県神戸市で生まれ、幼少期は兵庫県芦屋市で育つ。宮川小学校、芦屋市立精道中学校、報徳学園高校を経て、大阪体育大学に入学。 大学卒業後、1975年に読売サッカークラブに入団。半年で退団し、西ドイツに渡り、ドイツ4部リーグのBTSノイシュタント(BTS Neustadt)でプレー。退団後は引き続現地に留まり、ケルン体育大学でコーチング学を学ぶ。 1984年に帰国して、母校の大阪体育大学サッカー部および同好会チームの大体大蹴鞠団(佐川急便大阪SCの前身)でコーチを担当。 1995年からジェフユナイテッド市原・千葉(当時はジェフユナイテッド市原)の育成部長、1997年から2006年までゼネラルマネージャーに就任。
加藤 寛(かとう ひろし、1951年1月29日 - )は、兵… 加藤 寛(かとう ひろし、1951年1月29日 - )は、兵庫県神戸市出身(生まれは岡山県久米郡)のサッカー指導者。元ヴィッセル神戸監督。1977年から1998年まで日本サッカー協会ナショナルトレセンコーチも務めていたほか、兵庫県サッカー協会常務理事・日本クラブユースサッカー連盟理事なども務め、神戸アスリートタウンクラブの設立など、関西を中心にサッカーの普及に尽力している。父親は神戸フットボールクラブ創設者の1人である加藤正信。 父親の影響でサッカーを始め、神戸市立上野中学校、神戸市立葺合高等学校を経て、大阪体育大学に進学。大学1年生のときには第1回FIFAコーチング・スクールでデットマール・クラマーの助手を務めた。
月亭 八方(つきてい はっぽう、1948年〈昭和23年〉2月… 月亭 八方(つきてい はっぽう、1948年〈昭和23年〉2月23日 - )は、上方の落語家。上方落語協会顧問。出囃子は『夫婦萬歳』。大阪府大阪市福島区出身、大阪市福島区在住。吉本興業所属。浪商高等学校(現:大阪体育大学浪商高等学校)出身。関西学院大学経済学部オープンカレッジコース(1年)修了。弟子の月亭八光は長男。 子供の頃は病気がちだった。父親は銀行員、母は大衆演劇のファンで、八方が売れてからは地元福島区でお好み焼き屋を営んでいた。妻は大衆演劇出身で、九州にいた頃には吉本新喜劇の木村進と共演経験もあった。 八方自身の子供の頃の夢は、プロ野球選手と漫才師であった。まずはプロ野球選手を目指そうと浪商高校に進学するものの、周りのレベルの高さから夢を断念(2学年上には主将の高田繁がいる)。
田阪 登紀夫(たさか ときお 1947年9月4日- )は京都… 田阪 登紀夫(たさか ときお 1947年9月4日- )は京都府京都市出身の卓球選手、体育学者。2018年3月、退職。同志社大学スポーツ健康科学部教授。 東山高校で今井良春(東山高校卓球部を45年間指導して7回インターハイを制した。)の指導を受けて、1965年にインターハイのシングルスで優勝、その後早稲田大学社会科学部に進学、卒業後は青卓会に所属した。 1968年、長谷川信彦とのペアでアジア選手権大会の男子ダブルスで優勝、翌年から世界卓球選手権の日本代表となり、1969年第30回世界卓球選手権ミュンヘン大会のシングルスで銅メダル、ダブルスで長谷川信彦とのペアで銀メダルを獲得(この大会で優勝した団体は長谷川信彦、河野満、伊藤繁雄、井上哲夫、笠井賢二がメンバーであった。
坂田 好弘(さかた よしひろ、1942年9月26日 - )は… 坂田 好弘(さかた よしひろ、1942年9月26日 - )は、日本の元ラグビー選手・ラグビー指導者。大阪体育大学名誉教授、日本ラグビーフットボール協会理事、関西ラグビー協会長を務める。 2012年までは大阪体育大学ラグビー部監督を務め、2013年から同ラグビー部エグゼクティブ・アドバイザー。日本ラグビー史、ワールドクラスの選手として知られている。2012年に東洋人として初となるワールドラグビー殿堂入りを果たした。 洛北高校から同志社大学に進学。在学中の1963年、全日本のメンバーに初選出される。大学卒業後は、近畿日本鉄道(近鉄)に入社。ラグビー部(現花園近鉄ライナーズ)に入部。 1968年、大西鉄之祐監督率いる全日本のニュージーランド遠征メンバーに選ばれ、オールブラックス・ジュニア相手に4トライを上げ、大金星に貢献。
北原 謙二(きたはら けんじ、1939年(昭和14年)10月… 北原 謙二(きたはら けんじ、1939年(昭和14年)10月8日 - 2005年(平成17年)1月26日)は、日本の歌手、俳優。本名は北原 謙太郎(きたはら けんたろう)。 大阪府出身。浪華商業高等学校(現・大阪体育大学浪商中学校・高等学校)出身。ジャズ喫茶で歌っていたことが縁で、鈴木英治とブルー・カウボーイズのメンバーとして上京。その後は日本コロムビアのディレクターにスカウトされ、1961年(昭和36年)歌手デビュー。NHK紅白歌合戦に2回出場している(詳細は下記参照)。 1991年(平成3年)3月に高血圧性脳内出血で倒れたが、左半身麻痺と闘いながらリハビリを重ね、3年後に復帰。その後は全国各地の福祉施設への慰問活動などを積極的に行っていたが、2005(平成17)年1月26日午後10時1分、虚血性心疾患のため東京都文京区の病院で死去。
坂崎 一彦(さかざき かずひこ、1938年1月5日 - 20… 坂崎 一彦(さかざき かずひこ、1938年1月5日 - 2014年1月28日)は、大阪府豊中市出身のプロ野球選手(外野手)。 1953年浪華商業高校(現・大阪体育大学浪商高等学校)に入学。投手から野手に転向し、2年生の1954年に右翼手として春の選抜に出場する。2回戦でこの大会に優勝した飯田長姫高のエース光沢毅に抑えられ敗退。翌1955年の春の選抜では「4番打者・中堅手」として出場。チームは順調に勝ち上がり、決勝戦で桐生高校と対戦。桐生高校監督の稲川東一郎は坂崎に対して勝負を避ける選択を取る。坂崎は2打席敬遠されたが、第3打席に桐生高エースの今泉喜一郎は勝負し、その打席で2点本塁打を放つ。結局、浪華商は延長11回にサヨナラ勝ちして、18年ぶり2回目の優勝を飾った。
牧 昭男(まき あきお、1936年3月14日 - 2014年… 牧 昭男(まき あきお、1936年3月14日 - 2014年4月26日)は、日本の元プロボクサー。元OBF東洋スーパーバンタム級王者。アマチュアの強豪からプロに転じ、東洋王座を獲得したテクニシャン。 大阪府大阪市大淀区(現:北区)に生まれる。浪華商業高等学校(現:大阪体育大学浪商高等学校)から関西大学に進み、アマチュアボクシングで活躍。1958年(昭和33年)に全日本チャンピオンとなった後、同年に開催された第三回アジア大会にも出場、またメキシコで開催されたダイヤモンド・ベルト大会で銅メダルを獲得するなど、アマで通算82勝10敗と輝かしい成績を残す。 1959年(昭和34年)にプロに転向。3戦目で後の強豪関光徳と対戦、6回を引き分けている。
細川 磐(ほそかわ いわお、1931年(昭和6年) - )は… 細川 磐(ほそかわ いわお、1931年(昭和6年) - )は、日本の体育学者。大阪体育大学名誉教授。 長野県松本市生まれ。長野県松本県ヶ丘高等学校を経て、1954年(昭和29年)東京教育大学体育学部体育学科卒業。大阪体育大学教授を務めた後、1992年(平成4年)定年退官。大阪体育大学名誉教授。1963年(昭和38年)から1965年(昭和40年)にかけて、同志社大学バスケットボール部コーチを務め、この間、西日本学生3年連続優勝を果たしている。公益財団法人ライフスポーツ財団常務理事を務めた。
3代目 桂 春団治(かつら はるだんじ、1930年〈昭和5年… 3代目 桂 春団治(かつら はるだんじ、1930年〈昭和5年〉3月25日 - 2016年〈平成28年〉1月9日)は、上方落語の落語家。本名:河合 一。大阪府大阪市出身。所属事務所は松竹芸能。上方落語協会会員で死去時点で相談役、1977年から1984年までは第3代会長を務めた。出囃子は『野崎』。2代目桂春団治は実父であり師匠。 2代目桂春団治は実父、河本寿栄は義母。実母とは死別している。兄が早世したため、長男の扱いであった。 浪華商業学校(現在の大阪体育大学浪商高等学校)では野球部で夜まで練習する生活を送った。卒業後、兵庫県宝塚市の自動車部品販売会社でサラリーマンとなる。本人にも父にも落語家の道に進む考えはなかった。
落合 正義(おちあい まさよし、1910年6月3日 - 19… 落合 正義(おちあい まさよし、1910年6月3日 - 1939年12月30日)は、日本の陸上競技選手。 現在の島根県安来市広瀬町生まれ。浪華商業学校(現在の大阪体育大学浪商中学校・高等学校)卒業、明治大学に進む。 1932年の日本陸上競技選手権大会の男子ハンマー投で優勝。1932年ロサンゼルスオリンピックに出場し、男子ハンマー投げで12位。ロス五輪で同じくハンマー投げ代表選手の長尾雄治も明治大学の学生で、古山一郎とともに「明大のハンマートリオ」と呼ばれていたという 明治大学卒業後は、名古屋市で運動公園管理者として働く。1938年9月、松江の歩兵第63連隊に入隊。日中戦争が勃発すると第110師団衛生隊陸軍上等兵として北支へ出征。
山本 亜里奈 は、大阪府出身の元女子サッカー選手。現役時代の… 山本 亜里奈 は、大阪府出身の元女子サッカー選手。現役時代のポジションはディフェンダー。双子の姉亜以奈はラクロス選手。
高橋 一彰 は、日本のラグビー指導者。現在ジャパンラグビーリ… 高橋 一彰 は、日本のラグビー指導者。現在ジャパンラグビーリーグワントヨタヴェルブリッツのアドバイザーを務めている。
計盛 光 は、大阪府堺市出身の元アーティスティックスイミング… 計盛 光 は、大阪府堺市出身の元アーティスティックスイミング(シンクロナイズドスイミング)選手・元ボートレーサーである。四天王寺高等学校・大阪体育大学健康福祉学部卒業。
田中 亜里沙 は、京都府出身の元女子プロ野球選手(外野手)。
中川 結麻 は、日本の元女子プロ野球選手。投手、右投げ右打ち… 中川 結麻 は、日本の元女子プロ野球選手。投手、右投げ右打ち。大阪府出身。血液型はB型。
琉子 友男(りゅうし ともお)は、大東文化大学スポーツ・健康… 琉子 友男(りゅうし ともお)は、大東文化大学スポーツ・健康科学部スポーツ科学科の教授。運動生理学、高齢者体力学が専門だが、マイナスイオンの生体影響に対する関心が強く、その関連の論文や書籍も著作している。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
上野 友紀子 は、京都府宇治市出身の元女子サッカー選手。ポジ… 上野 友紀子 は、京都府宇治市出身の元女子サッカー選手。ポジションはゴールキーパー。
橋脇 正典(はしわき まさのり)は、日本のラグビーレフリー(… 橋脇 正典(はしわき まさのり)は、日本のラグビーレフリー(審判員)及びラグビー指導者。2021年現在、日本協会A級公認レフリーを務めている。 和歌山工業高校、大阪体育大学を経て、レフリーになる。
渡部 真代(わたなべ まよ、 - )は、広島県出身の元バスケ… 渡部 真代(わたなべ まよ、 - )は、広島県出身の元バスケットボール選手である。デンソーアイリスに所属していた。ポジションはガード。172cm。ニックネームは「レミ」。 五日市小学校でバスケを始め、五日市中学校を経て広島皆実高校では1年より全国大会に出場。 大阪体育大学進学後、1年よりインカレ出場。3年では優勝に貢献し優秀選手賞を受賞。4年では準優勝で敢闘賞を受賞。 2009年、デンソーに入社。
石原 康司(いしはら こうじ)は、兵庫県神戸市出身の高校野球… 石原 康司(いしはら こうじ)は、兵庫県神戸市出身の高校野球指導者、教員。高校野球の強豪、神戸弘陵学園高等学校硬式野球部の監督。 史上初めて甲子園で男女の高校チームを指揮。 兵庫県立神戸甲北高等学校から大阪体育大学に進み、1984年に神戸弘陵高に赴任。男子の野球部コーチを務めた後に、93年から監督に就任。コーチとして3回(夏1回、春2回)、監督としては春2度の甲子園大会出場を果たし、1994年には8強に導いた。 2014年、神戸弘陵学園高等学校が男子校から男女共学となり、創部された女子硬式野球部の監督に就き、2016年夏の選手権大会で初優勝。春の選抜大会も18、19年、23年に優勝へと導いた。特に2022年の秋のユース大会から翌23年の春夏の全国大会で優勝し、女子高校硬式野球史上初の「年間三冠」を達成した。
太宰 知子(だざい ともこ)は日本の女子陸上競技選手。専門は… 太宰 知子(だざい ともこ)は日本の女子陸上競技選手。専門はハードル走。 大阪体育大学卒業。1975年にソウル特別市で開催されたアジア陸上競技選手権大会に出場し、100mハードル走で金メダルを獲得している。日本陸上競技選手権大会では100mハードルで1975年と76年に2連覇を達成している。 この項目は、陸上選手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:陸上競技/PJ陸上競技)。
大内 貴仁(おおうち たかひと)は、日本のアクション監督、ス… 大内 貴仁(おおうち たかひと)は、日本のアクション監督、スタント・コーディネーター、スタントマンである。日本のアクションチームであるA-TRIBE代表。 1976年、大阪・堺市に2人兄妹の長男として生まれる。小学生から空手を習っていた。高学年で初段をとって黒帯になるも中学では野球に転向。大阪体育大学浪商高等学校でレスリングを始め、近畿で準優勝になるなど、その後大阪体育大学での4年間を含め7年間励んだ。常に予想しないタイミングで投げられることが多いレスリングでは咄嗟に身を守る受け身が重要になる。この受け身に対する自信は、のちにやったこともないアクロバットの練習をする際にも怖がらずにチャレンジするのに役立ったという。