本田 典孝(ほんだ のりたか、1952年(昭和27年)1月1… 本田 典孝(ほんだ のりたか、1952年(昭和27年)1月11日 - 2025年(令和7年)1月20日)は、日本の銀行家。香川銀行取締役会長。 香川県綾川町生まれ。高松第一高等学校を経て、1974年近畿大学商経学部卒業。同年香川銀行入行。1989年宇多津支店長。2002年取締役。2004年常務取締役。2007年専務取締役。2017年香川銀行9代目の代表取締役頭取に就任。2020年香川銀行取締役会長。 2025年1月20日、病気のため死去。73歳没。
大田 貴雄(おおた たかお、1951年12月23日 - )は… 大田 貴雄(おおた たかお、1951年12月23日 - )は、日本の実業家。スギ薬局代表取締役会長等を経て、マツモトキヨシ代表取締役社長。 鳥取県出身。1974年近畿大学商経学部卒業、ダイエー入社。2005年スギ薬局入社。2006年スギ薬局取締役商品部長。2008年スギ薬局取締役商品本部長。2009年スギ薬局取締役執行役員グループ商品本部長。2011年スギ薬局代表取締役副社長。2013年スギ薬局代表取締役会長兼スギホールディングス取締役。2014年マツモトキヨシ入社。2015年マツモトキヨシ取締役。2016年マツモトキヨシ取締役副社長。2017年からマツモトキヨシ代表取締役社長を務め、新業態「BeautyU」の展開などにあたった。
辻尾 敏明(つじお としあき、1951年7月24日 - )は… 辻尾 敏明(つじお としあき、1951年7月24日 - )は、日本の実業家。佐川急便代表取締役社長(2012年3月~2013年2月)。息子はプロサッカー選手の辻尾真二。 大阪府出身。1974年3月、近畿大学商経学部卒業。 1981年12月、大阪佐川急便株式会社入社。
杉原 正康(すぎはら まさやす、1951年6月30日 - )… 杉原 正康(すぎはら まさやす、1951年6月30日 - )は、日本の空手家。大阪府出身。NPO法人国際空手拳法連盟白蓮会館宗師。 大阪府東大阪市出身。大阪府立山本高等学校、近畿大学を卒業後、東大阪市消防局に就職(のちに退職)。高校時代には柔道(二段)を学び、大学時代に少林寺拳法(六段・准範士)に入門する。1984年国際空手拳法連盟白蓮会館を設立。 1983年に正道会館主催の全日本空手道選手権大会に出場。出場のきっかけは己と少林寺拳法の実践性を模索するためといわれ、当時は少林寺拳法の道院長であったためその名前を隠すために白蓮会館の流派名で出場。3位入賞する事により格闘技界で話題となったため、少林寺拳法連盟から独立、後に「最強の侵略者」の異名を取る事となる白蓮会館を設立する。
テント(本名:三浦 得生(みうら とくお)、1951年〈昭和… テント(本名:三浦 得生(みうら とくお)、1951年〈昭和26年〉5月16日 - 2016年〈平成28年〉9月27日)は、日本の漫談家、タレント。吉本興業所属。大阪府八尾市出身。近畿大学附属高等学校卒業。 放送メディアにめったに出演しない姿勢から、未確認生物になぞらえ「ツチノコ芸人」「お笑い界のツチノコ」と評されたほか、先鋭的な芸風から師匠の上岡龍太郎に「出てくるのが10年早かった」と言わしめたり、「21世紀型芸人」と形容されたりした。晩年はさらなる露出の減少から、自らを「架空の人物」と名乗っていた。 テントの漫談は短いネタを唐突に次々と繰り出す形式であり、とぼけた淡々とした調子で合間にギャグを挟みながら、最後には「人間パチンコ」のような珍芸を披露した。
岩本 秀三(いわもと ひでみ、1951年(昭和26年)5月1… 岩本 秀三(いわもと ひでみ、1951年(昭和26年)5月12日 ‐ )は、日本の建築家。 『広島派』と称される建築家の一人である。 そもそも広島派というのは、単なる広島県の建築家もしくは、建築手法という意味ではない。この言葉の起源は、1995年、第11回吉岡賞(現:新建築賞)に「野尻の舎」がノミネートされた際、審査員の一人であった竹山聖が、講評において、同広島県の建築家である村上徹・宮森洋一郎、両氏の名を挙げ、野尻の舎においての建築手法を評する意味で用いたのが始まりである。1980年から1990年代初頭は、広島県の当時若手であった建築家が評価を受け、注目され始めた流れがあった。昨今においても広島の建築界に対して大きな影響を与えている。
多田 利喜(ただ としき、1951年(昭和26年)2月4日 … 多田 利喜(ただ としき、1951年(昭和26年)2月4日 - )は、日本の政治家。元大阪府富田林市長(4期)。 大阪府富田林市出身。PL学園高等学校14期卒業。1973年、近畿大学商経学部卒業。1983年、富田林市議会議員に初当選(4期連続)。1997年、第50代富田林市議会議長に就任。 1999年8月8日に行われた富田林市長選挙に立候補するも、現職の内田次郎に敗れる。 2003年4月27日に行われた市長選に立候補し初当選を果たした。4期務め引退。 2021年4月の春の叙勲で旭日中綬章受章。
大本 則夫(おおもと のりお、1951年1月11日 - )は… 大本 則夫(おおもと のりお、1951年1月11日 - )は、愛媛県出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 愛媛県立川之石高等学校では、エースとして1967年秋季四国大会県予選準決勝に進むが、楠橋高幸のいた今治西高に敗退。近畿大学に進学。関西六大学野球リーグでは優勝に届かず、2位4回にとどまる。電電四国を経て、1974年のドラフト5位で読売ジャイアンツに指名され入団。 上手から重い速球で鳴らした本格派で、フォークボールが武器だったが、故障などの影響で、一軍公式戦の出場がないまま、1976年限りで読売ジャイアンツを自由契約となった。 その後、テストを受け、1977年にロッテオリオンズに入団。その年限りで引退し、都内の和菓子店に就職。
益川 満育(ますかわ まいく、1950年10月19日- )は… 益川 満育(ますかわ まいく、1950年10月19日- )は、大阪府出身の元プロ野球選手。ヤクルトアトムズ・ヤクルトスワローズ、近鉄バファローズ、西武ライオンズに所属した。現役時代のポジションは内野手。本名は上記と同じだが、下の名前の読みは「みつよし」である。
今成 誠一(いまなり せいいち、1950年(昭和25年)8月… 今成 誠一(いまなり せいいち、1950年(昭和25年)8月16日 - )は、栃木県芳賀郡益子町在住の陶芸家。 窯元の名称は「塵庵」、もしくは「今成窯」。 2001年から作陶を始めた「塊魚(かいぎょ)」シリーズを中心に、益子町、栃木県を中心に関東圏内で個展活動を行なっている。 1950年(昭和25年)、東京都大田区に生まれる。 もともと魚が好きで、水産科があるというので近畿大学農学部を受験した。ところが当時、水産科は人気があり落ちてしまった。浪人は出来ないと考え、宮沢賢治も所属していたという農芸学科(後の応用生命科学科)に入学した。そこには華道部があり、花も好きだったので入部した。中学生の頃に祖母から「花は女がやるもんだ」と言われて納得していたが、入部したら女子の割合が多かったが学生服を来た男性もおり、入部したら華道にはまっていった。
棚橋 敏明(たなはし としあき、1950年(昭和25年)2月… 棚橋 敏明(たなはし としあき、1950年(昭和25年)2月20日 - )は、日本の政治家。元岐阜県瑞穂市長(1期)。元瑞穂市議会議員(2期)。 岐阜県瑞穂市出身。1970年(昭和45年)、近畿大学中退。1981年(昭和56年)、皮革製造卸業のレザリンを創業。1986年(昭和61年)、株式会社レザリンに法人改組。 2008年(平成20年)4月20日に行われた瑞穂市議会議員選挙に初当選した。2012年(平成24年)、再選。 2015年(平成27年)4月14日、自由民主党県連は、統一地方選挙で行われる瑞穂市長選挙で棚橋を推薦することを決定した。4月19日、市議を辞職。4月26日に行われた市長選に、自民党の推薦のほか市議会最大会派「新生クラブ」の支援を受けて出馬。
多田 善昭(ただ よしあき、1950年 - )は、日本の建築… 多田 善昭(ただ よしあき、1950年 - )は、日本の建築家。 社団法人日本建築学会四国支部長を歴任。香川県近代和風建築総合調査委員会委員、善通寺市旧善通寺偕行社整備検討委員会副委員長として国重文の旧善通寺偕行社保存修復ほか、歴史的建築物の保存・修繕に努める。まちづくりにも従事、「宇多津まちづくり」では 2007年(平成19年)国土交通省まちづくり交付金事業 まち交大賞プロセス賞を受賞。 香川県善通寺市出身。 「静修館」で1988年(昭和63年), 社団法人日本建築士会連合会 奨励賞。「飛翔の館」で1991年(平成3年), 社団法人香川県建築士会 優秀作品賞。「龍の医院」(安藤医院)で1996年(平成8年), 社団法人日本医療福祉建築協会医療福祉建築賞。
4代目旭堂 南陵(きょくどう なんりょう、1949年〈昭和2… 4代目旭堂 南陵(きょくどう なんりょう、1949年〈昭和24年〉9月4日 - 2020年〈令和2年〉7月30日)は、日本の講談師、政治家。階は正五位。 本名は西野 康雄(にしの やすお)。元参議院議員(1期)。農学修士号。位 大阪府堺市出身。1968年、大阪府立泉陽高等学校卒業後、近畿大学農学部入学。あがり症を克服するために講談師を志し、3代目旭堂南陵に師事する。1972年、旭堂南右を名乗り初高座。僅差の兄弟子に旭堂左南陵がいる。1974年、大阪府立大学大学院修了。修士論文は「吉野川・紀の川分水史」。 1978年、3代目旭堂小南陵を襲名し、真打昇進。1980年、松尾芸能賞新人賞受賞。1982年、大阪文化祭奨励賞受賞。
篠原 恭二(しのはら きょうじ、1949年(昭和24年)8月… 篠原 恭二(しのはら きょうじ、1949年(昭和24年)8月12日 - )は、日本のボクサー。 近畿大学在学中に、1972年ミュンヘンオリンピックに男子ライトウェルター級で出場し、ベスト8入りした。 この項目は、ボクシング関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJボクシング/PJキックボクシング)。
藤井純一(ふじい じゅんいち、1949年8月10日 - )は… 藤井純一(ふじい じゅんいち、1949年8月10日 - )は、日本の実業家。現在は立命館大学スポーツ健康科学部客員教授、株式会社ホットファクトリー取締役、GAORA放送番組審議会委員、近畿大学農学部水産学科卒業。 1997年に創成期のセレッソ大阪の黒字化に成功し、2006年には北海道日本ハムファイターズの社長に就任し、地元密着型の基盤を築いた上に後に黒字化させ、自立経営の軌道に乗せた。
佐藤 義興(さとう よしおき、1949年(昭和24年)8月6… 佐藤 義興(さとう よしおき、1949年(昭和24年)8月6日 - )は、日本の政治家。元熊本県阿蘇市長(5期)。 1949年(昭和24年)、熊本県阿蘇郡阿蘇町(現:阿蘇市)生まれ。 熊本県立阿蘇高等学校を経て、近畿大学商経学部卒業 後、野田毅自由民主党衆議院議員秘書。1989年(平成元年)、宇野内閣において建設大臣秘書官、1991年(平成3年)、宮澤内閣において経済企画庁長官秘書官を務める。1994年(平成6年)、政策担当秘書。 2005年(平成17年)、初代阿蘇市長選挙に出馬し、元阿蘇町長の河崎敦夫を破り、初当選。 2009年(平成21年)実施の選挙では、公明党推薦の井芹正吾元阿蘇市議を破り、再選。
滝 トール(たき トール、男性、1949年〈昭和24年〉3月… 滝 トール(たき トール、男性、1949年〈昭和24年〉3月8日 - )は、日本の司会者、ローカルタレント、会社役員。本名・秋本 良博(あきもと よしひろ)。 滋賀県出身。とーくing所属(取締役にも名を連ねている)。1967年から関西を中心に活動している。京都市在住。 滋賀県甲賀郡水口町(現・甲賀市)生まれ。父親は警察官。4人兄弟(6人兄弟)の末っ子。小学校3年生まで伊香郡木之本町(父親の最後の勤務地、現在の長浜市)で育った後、1959年、4年生の時に大阪府河内市花園(現在の東大阪市)に引越す。花園小学校卒業、河内市立河内中学校を経て、近畿大学付属高等学校卒業。1972年3月8日、結婚。同い年の妻との間に1男あり。
森川 展男(もりかわ のぶお、1949年1月19日 - )は… 森川 展男(もりかわ のぶお、1949年1月19日 - )は、日本のアメリカ文学者、法社会学者。近畿大学総合社会学部総合社会学科教授。専門はアメリカ文学、法社会学。 京都府生まれ、京都市育ち。立命館高等学校卒、立命館大学法学部卒業、1977年同大学文学部英米文学専攻卒業、関西外国語大学大学院外国語研究科英語学専攻博士課程(前期)入学。1982年米国ユニオン大学大学院博士課程英米文学専攻修了、Ph.D.取得。 1990年東海大学福岡短期大学助教授、1993年大東文化大学助教授、1997年退職。1999年東亜大学総合人間文化学部教授。2002年近畿大学産業理工学部(福岡キャンパス)教授。2010年同総合社会学部(東大阪)教授。
辻本 章次(つじもと しょうじ、1948年9月25日 - 2… 辻本 章次(つじもと しょうじ、1948年9月25日 - 2023年12月23日)は、日本の元プロボクサーである。奈良県出身。ヨネクラボクシングジム所属。元日本ウェルター級王者。実兄である辻本英守も元日本ライト級王者である。 近畿大学では、ライト級でアマチュアの全日本王者になるなど、102戦92勝(46KO・RSC)10敗の戦績を残した。その後、プロ転向し、ヨネクラジムに入門。 1970年10月7日、浦和洋一(東海)戦(6回判定勝ち)でデビュー。 1972年10月30日、清水孝恒(セキ)が持つ日本ウェルター級王座に挑戦、6R終了TKO勝ちで奪取。 1974年11月11日、元世界王者で、世界ウェルター級10位にランクされていたエディ・パーキンス(アメリカ)に10回判定勝ち、世界ランキング入り。
中井 清和(なかい きよかず、1948年9月13日 - )は… 中井 清和(なかい きよかず、1948年9月13日 - )は、日本の実業家。株式会社学情創業者で、同社代表取締役会長。 大阪府出身。尼崎市立尼崎産業高等学校を経て、新聞奨学生をしながら、1972年に近畿大学法学部を卒業し、広告会社に入社した。しかし、会社が経営危機となり、部下を伴って独立し、1976年実鷹企画を創業、代表取締役社長就任。広告代理店業ではあまり儲からなかったことから、1981年就職情報事業に進出を開始。日本初の合同企業説明会・就職博などを開催した。2000年学情に社名を変更。2002年ジャスダック上場。2005年東京証券取引所二部に上場。2006年東京証券取引所一部上場。2022年学情代表取締役会長。
熊谷 武二(くまがい たけじ、1948年8月31日 - )は… 熊谷 武二(くまがい たけじ、1948年8月31日 - )は、日本の写真家。大阪府大阪市生まれ。東大阪市在住。公益社団法人日本写真家協会会員。 1971年近畿大学理工学部卒業。 1973年大手印刷会社写真部に入社。1981年フリーのカメラマンとして独立。 人物、歴史を取材テーマとして、雑誌、出版物等に発表。 1995年1月17日未明兵庫県を中心として発生した、大地震「阪神・淡路大震災」の被災地神戸の様子を、翌日の18日からミニバイクで被災地に入り、大型カメラを使って定点観測の方法で、街の復興の様子を10年に渡り記録した。 1996年写真展「神戸・消滅と再生」(新宿コニカプラザ)開催、1998年写真展「神戸・消滅と再生(Ⅱ)」、アサヒグラフ連載「阪神淡路大震災 神戸の被災地の定点観測」により、1996年第2回「編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞」写真賞受賞。
本川 貢(もとかわ みつぎ、1948年7月5日 - )は、ア… 本川 貢(もとかわ みつぎ、1948年7月5日 - )は、アマチュア野球監督、近畿大学野球部監督として1990年代後半に黄金期を築いた名将。広島県東広島市高屋町出身。 広陵高等学校出身だが異色の軟式野球部出身。速球派投手として活躍し国体で無安打無得点試合を達成した。近畿大学(大阪府)に進みプロ野球を目指したが肩を壊し卒業後は同大職員となり野球部コーチとなる。1972年広島六大学野球連盟所属の近畿大学工学部硬式野球部(広島県呉市、現在は東広島市)に就任。直後の部員は10数人、また自前の練習場も持たないジプシー弱小チームを、卓越した指導で同リーグでは無敵の強力チームに育て上げた。また一学部の小野球部ながら全日本大学野球選手権大会でも1980年から三年連続ベスト4に進出、1984年明治神宮野球大会では佐々木修を擁して広島六大学野球リーグ所属チームとして初の決勝進出に導いた(準優勝)。
西岡 恭蔵(にしおか きょうぞう、1948年5月7日 - 1… 西岡 恭蔵(にしおか きょうぞう、1948年5月7日 - 1999年4月3日)は、日本のミュージシャン、シンガーソングライター、作詞家、作曲家。愛称は「ゾウさん」。妻のKUROは作詞家。 三重県志摩郡志摩町(現志摩市)布施田出身。三重県立伊勢高等学校、近畿大学卒。 1960年代にフォーク喫茶「ディラン」の雇われマスターとなる。その店に集まっていた常連客たちと、ゆるやかなユニットのようなフォークグループ「ザ・ディラン」を結成する。1971年(昭和46年)頃に、ソロシンガーを目指し、同グループを脱退。しかし、彼が抜けた後の「ザ・ディランII」(ザ・ディランはメンバーを固定しないグループで人の入れ替わりが激しかったが、最終的に残った大塚まさじ、永井洋がザ・ディランIIを名乗る)のデビューアルバム『きのうの思い出にわかれをつげるんだもの』のレコーディングには参加する(同アルバムの楽曲の大半は、ザ・ディランのレパートリーであった)。
桜木 健一(さくらぎ けんいち、1948年〈昭和23年〉3月… 桜木 健一(さくらぎ けんいち、1948年〈昭和23年〉3月26日 - )は、日本の俳優・歌手。別表記として櫻木 健一(読み同じ)。トライストーン・エンタテイメント所属。身長165cm(1972年3月)。 大阪府大阪市阿倍野区美章園出身。6歳時から関西の児童劇団「舞台」に在籍。1966年、上宮高等学校を卒業した。在学中は生徒会長をつとめ、本名でNHKのテレビ『ひょうたんの子』で俳優デビュー。時代劇『新選組血風録』第25話「流山」に出演。近畿大学に入学するが、中退して上京し、1967年の『あゝ同期の桜』、1969年の『昭和残侠伝 唐獅子仁義』に出演した。 1969年、『柔道一直線』の主人公・一条直也役に抜擢される。
青木 茂(あおき しげる、1948年 - )は、日本の建築家… 青木 茂(あおき しげる、1948年 - )は、日本の建築家。椙山女学園大学客員教授、大連理工大学客員教授、日本文理大学客員教授、韓国モグォン大学特任教授、株式会社青木茂建築工房 代表取締役。一般社団法人リファイニング建築・都市再生 理事長。リファイニング建築の提唱者。博士(工学)(東京大学)。 大分県生まれ。1971年近畿大学九州工学部(現産業理工学部)「建築学科」卒業、1977年アオキ建築設計事務所設立、1990年株式会社青木建築工房に組織変更。2006年 - 2007年の間、近畿大学産業理工学部客員教授、芝浦工業大学工学部非常勤講師、首都大学東京大学院工学研究科非常勤講師を務める。2008年 - 2012年の間首都大学東京研究戦略センター教授を務める。
歌一洋(うた いちよう、1948年 - )は、日本の建築家。… 歌一洋(うた いちよう、1948年 - )は、日本の建築家。近畿大学文芸学部元教授、歌一洋建築研究所主宰。 徳島県海部町生まれ。1970年近畿大学理工学部卒、1977年歌一洋建築研究所設立(一級建築士事務所)。1995年より近畿大学文芸学部芸術学科助教授、2015年まで同教授。2001年から四国八十八ケ所ヘンロ小屋プロジェクトを推進している。空海(弘法大師)開創の「四国八十八ケ所」の巡礼の道1400kmを歩き、お遍路のための休憩仮眠のできる小屋を88ケ所に十数年かけてつくるプロジェクトで、ボランティアで実施されている。
難波 由城雄(なんば ゆきお、1948年 - )は、日本の写… 難波 由城雄(なんば ゆきお、1948年 - )は、日本の写真家。岡山県新見市出身。近畿大学商学部卒。本名は難波教美。 1948年に岡山県新見市井倉で生まれる。中学1年生からコンパクトカメラで写真撮影を始める。 1972年、家業である後楽園入口の土産物店「残夢軒」で働く傍ら、後楽園の撮影を始める。1973年、ジョロウグモの産卵を観察、必死に卵を守るクモの母性愛と命の神秘に感激し、写真家を志すきっかけとなる。1986年、ジョロウグモの生態を記録した初の写真集を出版。 1999年秋~2000年、おかやま後楽園300年祭実行委員会及び、岡山県郷土文化財団主催による写真展「後楽園の四季」を岡山天満屋他、各地で開催。
杉元 賢治(すぎもと けんじ、1947年10月28日 - 2… 杉元 賢治(すぎもと けんじ、1947年10月28日 - 2006年10月19日)は、日本のアインシュタイン研究者。近畿大学教職教育部元教授。 福岡県生まれ。近畿大学第二工学部(現産業理工学部)電気工学科卒業、1985から1987年まで旧西ドイツ・ミュンヘン大学数学研究所自然科学史研究所へ留学。 近畿大学教職教育部教授の傍ら、ライフワークとしてアインシュタインの研究を専門とし、アインシュタインに関係する膨大な資料、写真、関連グッズを収集する。1993年4月にアインシュタインの脳が保管してあるというプリンストン大学を訪れるが脳は見つからなかったことから、行方不明の脳を追ってアメリカ各地をさすらい、ついにトマス・シュトルツ・ハーヴェイから脳の一部を入手する。
古賀 俊昭(こが としあき、1947年〈昭和22年〉10月1… 古賀 俊昭(こが としあき、1947年〈昭和22年〉10月16日 - 2020年〈令和2年〉3月9日)は、日本の政治家。位階は正五位。 自由民主党所属の元東京都議会議員(7期)、元日野市議会議員(4期)。 2003年7月4日に、田代博嗣、土屋敬之と共に東京・日野市の都立七生養護学校(2009年度より東京都立七生特別支援学校)を視察し、同校の性教育などの方法について批判し、教材を没収するなどさせた。 古賀らの行為が、学校の教育に介入・干渉するもので、教育の自主性を阻害してゆがめる危険のある行為だとして、教員・保護者ら31人が損害賠償などを求めた訴訟が提起された。2009年3月12日、東京地方裁判所は、教育基本法第10条が禁じた「教育に対する不当な支配」に当たるとし、古賀らが行ったことが、一方的な批判で侮辱であり、裁量権の乱用だとして、慰謝料計210万円の支払いを3都議と都に命じる判決を言い渡した。
竹内 銃一郎(たけうち じゅういちろう、1947年10月11… 竹内 銃一郎(たけうち じゅういちろう、1947年10月11日 - )は、日本の劇作家・脚本家。元近畿大学文芸学部芸術学科教授。本名・徳義。以前は「竹内純一郎」というペンネームであった。 愛知県半田市生まれ。愛知県立半田高等学校出身。早稲田大学第一文学部中退。自主映画制作やピンク映画シナリオ執筆などの後、1975年劇団斜光社を結成する。1976年、「少年巨人」で脚本デビュー。1979年、劇団斜光社が解散すると、1980年に秘法零番館を結成。1989年、秘法零番館が解散する。 1981年に『あの大鴉、さえも』で第25回岸田國士戯曲賞。1996年に『月ノ光』で読売文学賞(戯曲・シナリオ賞)と紀伊國屋演劇賞個人賞を受賞。
西村 松次(にしむら まつじ、1947年8月5日 - )は、… 西村 松次(にしむら まつじ、1947年8月5日 - )は、日本の実業家。九電工取締役会長。 佐賀県出身。1971年近畿大学理工学部機械工学科を卒業して、九電工に入社する。 2003年7月理事佐賀支店長、2004年6月取締役佐賀支店長、2005年4月取締役福岡支店長、2006年6月常務取締役福岡支店長、2008年6月専務執行役員福岡支店長、2009年6月取締役専務執行役員福岡支店長、2010年4月取締役専務執行役員営業本部長(営業全般、技術全般担当)、2011年4月取締役専務執行役員営業技術統括本部長(同)、2012年4月取締役専務執行役員営業技術統括本部長(同)兼東京本社統括本部長、同年5月取締役副社長執行役員営業技術統括本部長(同)兼東京本社統括本部長、2013年4月取締役副社長執行役員東京本社代表(全社営業全般、技術全般担当)を務める。
黒川 征一(くろかわ せいいち、1947年(昭和22年)7月… 黒川 征一(くろかわ せいいち、1947年(昭和22年)7月24日 - )は、日本の政治家、労働運動家。元徳島県三好市長(2期)、元徳島県議会議員(4期)。 1947年7月24日、徳島県三好郡三縄村松尾で、農家の黒川村一・アキヱの三男に生まれる。池田町立出合小学校・中学校、徳島県立池田高等学校を卒業。貧困のため大学進学を諦め就職。 1966年から徳島西部交通、美馬郵便局、池田石油、神戸製鋼所などを遍歴した。1968年から池田町役場に勤務。役場に通いながら通信教育を受け、1973年3月に近畿大学法学部法律学科を卒業。1987年3月に法政大学文学部地理学科を卒業。 1991年から介護保険講師として講演活動も行っている。
小松 健二(こまつ けんじ、1947年5月24日 - )は、… 小松 健二(こまつ けんじ、1947年5月24日 - )は、高知県高知市出身の元プロ野球選手(外野手)。プロ入り前の名前は、「小松 建二(読みは上記と同じ)」。
坂本 憲男(さかもと のりお、1947年(昭和22年)2月2… 坂本 憲男(さかもと のりお、1947年(昭和22年)2月28日 - )は、日本の政治家。三国町議(4期)、三国町議会議長、三国町長(2期)を経て坂井市長(4期)を務めた。 1947年2月28日、福井県三国町下野(現坂井市)に生まれる。1969年3月、近畿大学商経学部卒業。同年4月、石油荷役(現ニヤクコーポレーション)名古屋支社に入社。1975年7月、三国海陸興業取締役に就任した。1983年3月、三国町議会議員に初当選し1998年2月まで4期務めた。この間、町議会議長(1991年4月から1993年4月まで)を務めた。1998年に三国町長に初当選し2期務めた。 旧坂井郡の4町が合併して発足した坂井市長選挙に立候補して、2006年4月23日に旧丸岡町長を破って初当選を果たした。
李 義昭(り よしあき、1947年 - )は、日本の経済学者… 李 義昭(り よしあき、1947年 - )は、日本の経済学者。 元追手門学院大学大学院教授。専門は福祉経済学、障害者福祉、教育工学。音声認識技術を活用した障害者支援研究や、地域福祉に関する実践活動で知られる。 神戸市で生まれ、華僑幼稚園、神戸中華同文学校、兵庫県立鈴蘭台高等学校を経て、伊丹市の職業訓練校で簿記会計を学ぶ。近畿大学通信教育課程、神戸大学の二過程を経て、2000年に神戸大学大学院経済学研究科博士課程を修了し、博士(経済学)を取得。 兵庫県長寿社会研究所や21世紀ヒューマンケア研究機構などで研究を行い、2005年より追手門学院大学経済学部講師、のち准教授、2013年からは教授を務めた。
有藤 通世(ありとう みちよ、1946年12月17日 - )… 有藤 通世(ありとう みちよ、1946年12月17日 - )は、高知県高岡郡宇佐町(現:土佐市)出身・千葉県船橋市在住のプロ野球解説者、元選手(内野手、外野手)・監督。プロゴルファーの有藤実花(長女)、有藤智香(次女)、有藤英世(長男)の父。
藤原 満(ふじわら みつる、1946年9月18日 - )は、… 藤原 満(ふじわら みつる、1946年9月18日 - )は、愛媛県松山市出身の元プロ野球選手(内野手)、野球解説者。
森岡 栄治(もりおか えいじ、男性、1946年6月8日 - … 森岡 栄治(もりおか えいじ、男性、1946年6月8日 - 2004年11月9日)は、日本のプロボクサー。大阪府大阪市大正区出身。1968年メキシコシティーオリンピックボクシングバンタム級の銅メダリスト。 大阪浪商高(現大体大浪商高)3年時にインターハイバンタム級優勝。近畿大学商学部進学後も1965年から全日本選手権4連覇を達成。1968年メキシコシティオリンピックで銅メダルを獲得。決勝進出を阻んだのは不可解な判定であったが、会場がブーイングを続けたことに対し、森岡は「メキシコの人たちが、あれだけ騒いでくれたことがうれしい」と言い残している。アマチュア戦績138戦128勝72KO・RSC10敗。
宮後 浩(みやご ひろし、1946年1月 - )は、日本のデ… 宮後 浩(みやご ひろし、1946年1月 - )は、日本のデザイナー。芸術学博士。株式会社コラムデザインセンターならびに株式会社コラムデザインスクール代表取締役。 建築パースを中心に、店舗、工場などのデザインから企業CI(コーポレートアイデンティティ)のデザインコンサルティングなど幅広く手がける。 関西での手描き建築パース制作の第一人者として、建築デザインの実践的教育をめざし教育業務にも力を入れている。 現在、デザイン業務の傍ら、近畿大学理工学部建築学科、スペースデザインカレッジ京都校など各種学校等で講師、講演を勤める。 建築図面製作技能検定の大阪府技能検定委員 インテリア産業協会インテリアコーディネートコンテスト審査員 自分の作品に押印するために趣味として始めた篆刻で、2003年には日展(日本美術展覧会)の入選を果たす。
生駒 正文(いこま まさふみ、1946年 - )は、日本の法… 生駒 正文(いこま まさふみ、1946年 - )は、日本の法学者。吉備国際大学教授。大阪工業大学および愛知産業大学教授を歴任。専門は知的財産法。 1969年近畿大学法学部卒業。株式会社マルマン特許課入社。2年間在籍し特許・意匠商標出願、契約・侵害等の業務を担当。1975年近畿大学大学院法学研究科修士課程修了。1978年駒澤大学大学院法学研究科私法学工業所有権法専攻博士課程単位取得満期退学(知的財産法専攻)。1996年東海産業短期大学(現・愛知産業大学短期大学)経営学科助教授、1998年同教授。2000年愛知産業大学経営学部教授。2004年大阪工業大学知的財産学部教授。2005年同大学院知的財産研究科教授(2017年度まで)。
永野 孝男(ながの たかお、1945年〈昭和20年〉3月12… 永野 孝男(ながの たかお、1945年〈昭和20年〉3月12日 - )は、日本の政治家、福祉事業家。自由民主党 、大阪維新の会所属。大阪府議会議員(3期)、岸和田市議会議員。旭日小綬章受章者。大阪府議会副議長、岸和田市議会副議長を歴任。31代・32代岸和田市長永野耕平の父。 大阪府岸和田市三田町に生まれる。永野孝の長男。岸和田市立産業高等学校を卒業、近畿大学法学部に入学、卒業して社会福祉法人岸和田学園に奉職する。 1971年、岸和田市議会議員に当選し、同副議長を経験。大阪府議会議員選挙では落選を経験するも、2003年に当選。 自民党所属だったが2期目途中の2010年に大阪維新の会創設に参加。3期目の2011年から大阪府議会日華親善議員連盟会長、2014年5月から岡沢健二議長とともに大阪府議会副議長を務め、その任期末で政治家引退。
山下 律夫(やました りつお、1944年10月20日 - 2… 山下 律夫(やました りつお、1944年10月20日 - 2011年4月10日)は、愛媛県南宇和郡愛南町出身の元プロ野球選手。大洋ホエールズ、クラウンライターライオンズ・西武ライオンズ、南海ホークスに所属した。
吉國 忠亜(よしくに ただつぐ、1944年8月 - )は、日… 吉國 忠亜(よしくに ただつぐ、1944年8月 - )は、日本の化学者・教育学者。群馬大学教育学部教授。専門は合成化学・科学教育学。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
石田 義久(いしだ よしひさ、1944年5月19日 - )は… 石田 義久(いしだ よしひさ、1944年5月19日 - )は、日本の陸上競技選手。元砲丸投日本記録保持者。メキシコシティオリンピック、ミュンヘンオリンピック日本代表。第2回アジア選手権金メダリスト。 1962年6月23日、近畿大学附属高等学校に在学中に全国高校近畿地区予選会に出場し、砲丸投で16m69の全国高校新記録を樹立して注目を集める。インターハイでは円盤投で準優勝。 1963年に日本大学進学、大学3年次の1965年第49回日本選手権男子ハンマー投で63m32の記録で優勝。ハンマー投げでは1969年、1972年・1973年にも日本選手権で優勝するなど4回の優勝を飾っている。砲丸投では1964年、1966年・1967年と日本選手権で3度の優勝を果たし、円盤投では1966年の日本選手権で優勝するなど、投擲3種目での日本王者経験を持つマルチ選手でもあった。
渡部 惇二(わたなべ じゅんじ、1944年(昭和19年)4月… 渡部 惇二(わたなべ じゅんじ、1944年(昭和19年)4月12日 - )は、日本のボクサー。 近畿大学在学中に、1968年メキシコシティーオリンピックで男子ライトフライ級に出場し、ソビエト連邦のヴィクトル・ザポロージェツ(英語版、ロシア語版)に敗れ、1回戦敗退した。 この項目は、ボクシング関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJボクシング/PJキックボクシング)。
赤澤洋平(あかざわ ようへい、1943年12月3日 - )は… 赤澤洋平(あかざわ ようへい、1943年12月3日 - )は、日本の実業家。株式会社システクアカザワ代表取締役社長。 1943年大阪府茨木市生まれ。1969年近畿大学理工学部機械工学科卒業。1969年株式会社赤澤鉄工所(現株式会社システクアカザワ)入社。1990年株式会社赤澤鉄工所代表取締役社長に就任する。企業、研究者が結成したロボットの研究開発コンソーシアム「Team Osaka」(ヴイストン、システクアカザワ、ロボ・ガレージ、大阪大学(石黒研究室)、国際電気通信基礎技術研究所)に参加。2004年「Team Osaka」の初代監督としてロボカップ世界大会に出場する。「Team Osaka」は2004年~2007年までロボカップ世界大会4連覇を達成している。
チャーリー浜(チャーリーはま、本名:西岡 正雄(にしおか ま… チャーリー浜(チャーリーはま、本名:西岡 正雄(にしおか まさお)、旧姓:浜野(はまの)。1942年〈昭和17年〉11月7日 - 2021年〈令和3年〉4月18日)は、日本のお笑いタレント、喜劇俳優。大阪府大阪市浪速区出身。 吉本新喜劇の座員として吉本興業に所属していた。 父親は広島県因島の出身で大阪に出て事業を成功させた。実家は大阪日本橋の履物問屋。近畿大学附属高等学校を卒業。 1960年に花登筐が主宰する「笑いの王国」に入り(当初は大村崑のそっくりさんとして売り出された)このころに花紀京に出会い花紀の父横山エンタツの自宅に居候で寝食を共にし芸を磨く。その後、「笑いの王国」の先輩で浜が師事していた花紀とともに、1962年6月に吉本興業に移籍。
浜田 吉治郎(はまだ よしじろう、男性、1942年10月25… 浜田 吉治郎(はまだ よしじろう、男性、1942年10月25日 - 2013年9月22日)は、日本の元アマチュアボクシング選手、指導者。東京オリンピック日本代表。元近畿大学ボクシング部総監督。 新田高校から近畿大学に進み、全日本選手権優勝。東京オリンピックにウェルター級で出場、準々決勝に進出も、金メダルを獲得したマリアン・カスプルシクに敗れる。 引退後は近大ボクシング部でコーチ、後に総監督として現総監督の赤井英和やWBA世界スーパーフライ級王者名城信男らを指導、同部が不祥事で一時廃部になる2009年まで指導の場に立った。 2013年9月22日午前6時8分、心不全のため奈良県北葛城郡河合町の自宅で死去。
尾藤 公(びとう ただし、1942年10月23日 - 201… 尾藤 公(びとう ただし、1942年10月23日 - 2011年3月6日)は、日本の高校野球元指導者で、高校野球の解説者を務めた。元和歌山県立箕島高等学校野球部監督。長男である尾藤強も同高校OBであり、現在同高校野球部監督を務めている[1]。
横山 小次郎(よこやま こじろう、1942年7月23日- )… 横山 小次郎(よこやま こじろう、1942年7月23日- )は、高知県土佐市出身の元プロ野球選手(投手)。