黒原 拓未(くろはら たくみ、1999年11月29日 - )… 黒原 拓未(くろはら たくみ、1999年11月29日 - )は、和歌山県海南市出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。広島東洋カープ所属。 海南市立日方小学校1年生の時に軟式野球を始め、海南市立海南中学校では軟式野球部に所属していた。 高校は智辯学園和歌山高等学校に進学し、1年秋からベンチ入り。2年秋からエースとなった。3年夏は左肘を痛め、登板が制限された。チームは和歌山県大会で優勝し第99回全国高等学校野球選手権大会に出場。興南との1回戦では登板がなく、続く大阪桐蔭との2回戦で先発して大会初登板を果たし、6回途中1失点と好投したが敗れた。1学年下には林晃汰、2学年下に東妻純平、黒川史陽がいた。 卒業後は関西学院大学社会学部に進学し、1年春からベンチ入りを果たす。
山本 晃大(やまもと こうだい、1999年4月23日 - )… 山本 晃大(やまもと こうだい、1999年4月23日 - )は、三重県南伊勢町出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。NPBでは育成選手であった。 南伊勢町立宿田曽小学校1年時に「伊勢リトル」で野球を始める。南伊勢町立南勢中学校では「伊勢ジャガーズ」に所属し、投手として活躍した。 高校は長野県の佐久長聖高等学校に進学。チームメイトに元山飛優らがいた。2年時の夏にチームは甲子園出場を果たすもベンチ外。3年夏に背番号10を背負い、県大会で控え投手としてベンチ入りを果たす。その後、4回戦の長野東高校戦に先発し、4回1失点の好投を見せた。しかし、チームは決勝の松商学園高校戦で敗退し準優勝に終わった。 進学した関西学院大学では1年秋からリーグ戦に出場。
田村 丈(たむら じょう、1992年11月20日 - )は、… 田村 丈(たむら じょう、1992年11月20日 - )は、兵庫県尼崎市出身のプロ野球選手(投手)。横浜DeNAベイスターズ所属。
岸 敬祐(きし けいすけ、1987年1月16日 - )は、兵… 岸 敬祐(きし けいすけ、1987年1月16日 - )は、兵庫県西宮市出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。
荻野 貴司(おぎの たかし、1985年10月21日 - )は… 荻野 貴司(おぎの たかし、1985年10月21日 - )は、奈良県高市郡明日香村出身のプロ野球選手(外野手)。右投右打。現在は千葉ロッテマリーンズに所属。
宮西 尚生(みやにし なおき、1985年6月2日 - )は、… 宮西 尚生(みやにし なおき、1985年6月2日 - )は、兵庫県尼崎市出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。北海道日本ハムファイターズ所属。 公式戦における通算ホールド・通算ホールドポイントのNPB記録保持者で「両部門における世界プロ野球記録の保持者」ともされている。また、最優秀中継ぎ投手のタイトルを通算で3回獲得。この回数も、最優秀中継ぎ投手部門では歴代最多タイ記録(いずれも2023年シーズン終了時点)。 大野奨太とは、日本ハムで一時バッテリーを組んでいたほか「互いの妻が実の双子姉妹」という義兄弟の関係にある。 小学1年時から野球を始める。中学校時代に所属したボーイズリーグの尼崎ボーイズでは、南大阪大会での優勝を経験した。
清水 誉(しみず たかし、1984年4月23日 - )は、兵… 清水 誉(しみず たかし、1984年4月23日 - )は、兵庫県三木市出身の元プロ野球選手(捕手)。 三木市立平田小学校2年時に少年野球チームの「くるみビックス」で野球を始め、強肩を買われて捕手を務める。三木市立三木中学校では4番・捕手として東播大会3位となった。高校は野球強豪校へ進学することも考えたが、両親の説得により公立進学校の小野高校に入学。高校では1年夏から正捕手となり、3年夏の兵庫大会では坂口智隆を擁する神戸国際大附高校に敗れたもののベスト8入りした。高校通算27本塁打。 関西学院大学への進学後は、正捕手だった上級生の怪我もあって、1年の春から関西学生野球のリーグ戦に出場。そのまま正捕手に定着すると、1年後輩の宮西尚生とのバッテリーで、4年時に春秋連続でリーグ戦ベストナインを受賞した。
山本 歩(やまもと あゆむ、1983年7月28日 - )は、… 山本 歩(やまもと あゆむ、1983年7月28日 - )は、兵庫県尼崎市生まれ、川辺郡猪名川町出身の元プロ野球選手(投手)。
田口 壮(たぐち そう、1969年7月2日 - )は、福岡県… 田口 壮(たぐち そう、1969年7月2日 - )は、福岡県生まれ、兵庫県西宮市出身の元プロ野球選手(外野手・内野手、右投右打)、野球解説者・野球評論家。 セントルイス・カージナルスとフィラデルフィア・フィリーズ時代にワールドシリーズを制覇している。 妻は元TBSアナウンサーの香川恵美子で、一男あり。 福岡県生まれ。クラレに勤務していた実父・允之(よしゆき)の転勤によって、2歳から8歳まで千葉県、8歳から小学校5年生夏までを岡山県岡山市、中学校時代から大学時代までを兵庫県西宮市で過ごした。 允之はかつて、社会人野球チームのクラレ岡山硬式野球部(1973年廃部)の外野手として活躍していた。その影響で、2歳上の兄(捕手)と共に3歳から野球を始めると、岡山市立平福小学校では当時住んでいた同社社宅内のソフトボールチームに所属(遊撃手)、優勝大会多数。
筒井 大助(つつい だいすけ、1958年1月22日 - )は… 筒井 大助(つつい だいすけ、1958年1月22日 - )は日本の野球選手(外野手)、野球指導者、学者。ソウルオリンピック日本代表チームでは主将を務めた。2009年以降に改名して筒井 崇護(つつい たかもり)となり、2011年現在は日本体育大学の教授として運動方法論などに取り組んでいる。
土屋 明生(つちや あきお、1949年7月2日 -)は、日本… 土屋 明生(つちや あきお、1949年7月2日 -)は、日本の元アマチュア野球選手、監督である。ポジションは投手。 大阪府羽曳野市出身。富田林高校を卒業した後に関西学院大学に入学した。当大学のエースとして、関西六大学リーグにおいて、関西大学のエースである山口高志と投げ合っていた。関学最多の通算27勝をあげた。 1971年のドラフト会議で南海ホークスから7位指名されたが入団を拒否し、 三菱重工三原に入団し、1975年までにプレーしていた。 現役引退後は、1978年から関西学院大学の教職員となったのと同時に野球部監督に就任し、1993年には、関西学生野球春季リーグにおいて、27年ぶりの優勝を成し遂げた。
谷村 智啓(たにむら ともひろ、1947年8月3日 - )は… 谷村 智啓(たにむら ともひろ、1947年8月3日 - )は、兵庫県西宮市出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ。旧名「智博」。
清水 正輝(しみず まさてる、1945年2月21日 - )は… 清水 正輝(しみず まさてる、1945年2月21日 - )は、日本の元アマチュア野球選手、監督である。ポジションは投手、外野手。 兵庫県津名郡五色町(現:洲本市)出身。洲本実業高校では、エースとして1962年夏の甲子園県予選準決勝に進むが柏原高に完封負け。卒業後に関西学院大学に入学した。関西六大学野球リーグでは、1966年秋季リーグの優勝に貢献。 1966年のドラフト会議で西鉄ライオンズから3位指名されたが入団を拒否し、 京都大丸に入社した。1967年の都市対抗に日本新薬の補強選手として出場。1回戦で先発を任されるが富士製鐵室蘭に敗退。1969年からは投手登録ながら中心打者として活躍する。同年の都市対抗では右翼手、四番打者として出場するが、1回戦でサッポロビールに惜敗。
足立 光宏(あだち みつひろ、1940年3月10日 - )は… 足立 光宏(あだち みつひろ、1940年3月10日 - )は、大阪府出身の元プロ野球選手(投手)。現在は関西学院大学硬式野球部投手コーチ。
吉田 定敬(よしだ さだゆき、1940年2月29日 - )は… 吉田 定敬(よしだ さだゆき、1940年2月29日 - )は、大阪府出身の日本の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 大阪府立泉陽高等学校から関西学院大学を経て、1962年に東映フライヤーズへ入団。背番号は15が与えられ、期待された。 1年目は1試合の登板に終わるが、2年目の1963年に6月30日の対近鉄バファローズ戦で初勝利を完封で飾った。しかし、大学時代に肩・肘を故障しており、また前述の完封勝利直後の練習で右頬に打球を当てるなど再三の怪我に泣き、結局プロでは1勝に終わった。 1968年限りで引退。
西本 道則(にしもと みちのり、1937年6月29日 - [… 西本 道則(にしもと みちのり、1937年6月29日 - [要出典])は、兵庫県出身の元プロ野球選手(投手)。 1956年に柏原高を卒業するが、教師を志望して受験した関西学院大学を不合格となり浪人していた。同年7月に叔父の勧めで高橋ユニオンズの入団テストを受けると、遠投で1位になるなど、実力を認められて仮採用となる。3人の仮採用の一人に東映を退団していた小川健太郎もいた。その後、西本だけが本採用となって11月に正式に入団する。しかし、1957年のキャンプ中に高橋は大映スターズと合併したため、そのまま大映ユニオンズに移籍した。 大映では、開幕第2戦となる4月7日の東映フライヤーズ戦に2対2で同点の延長10回表からプロ初登板する。
金光 秀憲(かねみつ ひでのり、1935年6月2日 - )は… 金光 秀憲(かねみつ ひでのり、1935年6月2日 - )は、兵庫県出身の元プロ野球選手(外野手)・コーチ。 浪華商業から清水谷高校を経て、1955年に関西学院大学へ進学し、関西六大学リーグでは1年次の同年秋季に優勝を経験。リーグ通算73試合に出場し、263打数88安打、打率.335、2本塁打の成績を残した。 卒業後の1959年に大洋ホエールズへ入団し、1年目の同年から一軍に定着。2年目の1960年にはエースの秋山登を開幕戦の事故で欠いて6連敗したが、その連敗を止めたのが金光であった。シーズン当初は主に代打での起用だったが終盤には故障の黒木基康に代わり、3番・右翼手として球団史上初のリーグ優勝に貢献。
川崎 孝(かわさき たかし、1935年 - )は、和歌山県和… 川崎 孝(かわさき たかし、1935年 - )は、和歌山県和歌山市出身の元アマチュア野球選手・指導者である。ポジションは外野手。 県立和歌山商業高校では主将を務めた。卒業後には関西学院大学に入学し、そこでも主将を務め、関西大学の村山実や立教大学の長嶋茂雄と対戦したことがあった。 大学卒業後は1958年に三菱重工業に入社する。1969年から三菱重工神戸の監督を務め、翌年の都市対抗野球では、チームを準優勝に導いた。 一旦、社業に戻った後に、1982年から1984年までに再び監督を務めた。 その後は、日本野球連盟の常任理事、センバツ高校野球の選考委員、兵庫県野球連盟会長等を歴任した。 またその一方で、日本放送協会で高校野球解説者を務めた。
川本 浩司(かわもと こうじ、1932年12月1日 - )は… 川本 浩司(かわもと こうじ、1932年12月1日 - )は、京都府京都市出身の元プロ野球選手。 山城高校から関西学院大学を経て1955年に大映スターズへ入団。1957年に退団。
藤江 清志(ふじえ きよし、1931年2月13日 - )は、… 藤江 清志(ふじえ きよし、1931年2月13日 - )は、大阪府出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ。
青池 良正(あおいけ よしまさ、1919年6月22日 - )… 青池 良正(あおいけ よしまさ、1919年6月22日 - )は、兵庫県西宮市出身の元プロ野球選手(捕手)。
岩崎 利夫(いわさき としお、1917年9月30日 - 没年… 岩崎 利夫(いわさき としお、1917年9月30日 - 没年不明)は、兵庫県出身のプロ野球選手。