柴田 獅子(しばた れお、2006年4月18日 - )は、福… 柴田 獅子(しばた れお、2006年4月18日 - )は、福岡県飯塚市出身のプロ野球選手(投手)。右投左打。北海道日本ハムファイターズ所属。 飯塚市立庄内小学校で2年生の時に野球を始め、飯塚市立庄内中学校在学時は硬式野球のクラブチームである飯塚レパーズでプレーした。 福岡大学附属大濠高等学校に進学し、2年秋からエースを務めた。3年夏の福岡大会はエース・4番打者として臨み決勝まで勝ち進んだが、西日本短大付に敗れ、3年間で甲子園大会出場はなかった。1学年上に藤田悠太郎、2学年上に山下恭吾がいた。 2024年10月24日に行われたプロ野球ドラフト会議において、宗山塁の1位指名抽選を外した北海道日本ハムファイターズと福岡ソフトバンクホークスから1位指名され、抽選の結果、日本ハムが交渉権を獲得。
毛利 海大(もうり かいと、2003年9月14日 - )は、… 毛利 海大(もうり かいと、2003年9月14日 - )は、福岡県田川市出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。千葉ロッテマリーンズ所属。 田川市立伊田小学校で6年生の時に福岡ソフトバンクホークスジュニアに選出されている。当時から福岡ヤフオク!ドーム(現・みずほPayPayドーム福岡)を何度も訪れ、プレー経験もあるほか、同球場で開催された2016年オールスターゲーム第1戦では始球式を務めたこともあった。 福岡大学附属大濠高等学校では3年春の第93回選抜高等学校野球大会にエースとして出場。大崎との初戦で10奪三振を記録し完投勝利するなど、ベスト8進出に貢献した。同年夏は福岡大会準々決勝で筑陽学園に敗れた。
木下 里都(きのした りと、2001年1月27日 - )は、… 木下 里都(きのした りと、2001年1月27日 - )は、福岡県福岡市早良区出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。阪神タイガース所属。 福岡市立小田部小学校1年から原北ウイングス少年野球クラブで野球を始め、福岡市立原北中学校では白龍ベースボールクラブに所属した。 福岡舞鶴高等学校では1年夏からベンチ入りし、同年秋から正遊撃手に定着。2年夏の福岡県大会では、4回戦で三浦銀二を擁する福岡大大濠と対戦。木下は三浦から3打席で2安打を放つも、チームは敗れた。 高校卒業後は福岡大学に進学。木製バットに馴染めなかったことや、同学年の遊撃手に対抗できないと悟ったことから、「大学で野球を辞めるつもりなので、最後くらいは」と投手に転向することを決意した。
井上 絢登(いのうえ けんと、2000年2月23日 - )は… 井上 絢登(いのうえ けんと、2000年2月23日 - )は、福岡県筑紫野市出身のプロ野球選手(外野手)。右投左打。横浜DeNAベイスターズ所属。 筑紫野市立二日市小学校、筑紫野市立天拝中学校卒業で、小学時代は二日市ジュニアーズで、中学時代は二日市ボーイズでプレー。小学時代のチームメイトに1学年下の河野聡太がいる。 久留米市立久留米商業高等学校では当初はミート重視のアベレージヒッターだったが、将来的なプロ入りを見据えて3年春にプレースタイルを一新。スイング力を強化し、高校通算20本塁打を記録した。3年夏に県大会準決勝まで進出した。1学年上に古川裕大がいる。 高校卒業後は福岡大学商学部に進学。野球部では1年次からレギュラーの座を掴み、2年春の全日本大学野球選手権大会で本塁打を放った。
古賀 悠斗(こが ゆうと、1999年9月10日 - )は、福… 古賀 悠斗(こが ゆうと、1999年9月10日 - )は、福岡県筑紫野市出身のプロ野球選手(捕手)。右投右打。埼玉西武ライオンズ所属。 筑紫野市立筑紫小学校2年生の時にオール筑紫ベースボールクラブで野球を始め、 筑紫野市立筑山中学校でも同クラブでプレーした。 高校は福岡大学附属大濠高等学校に進学。1年夏から三塁手のレギュラーに定着し、同年秋からは遊撃手に転向した。2年秋にはそれまで一度も経験がなかった捕手へ転向。同学年のエース三浦銀二とバッテリーを組んで同年秋の九州大会で優勝し、明治神宮大会でもベスト4に進出した。3年春には第89回選抜高等学校野球大会に出場し、滋賀学園との2回戦再試合で本塁打を放つなどベスト8進出に貢献。
大曲 錬(おおまがり れん、1998年5月21日 - )は、… 大曲 錬(おおまがり れん、1998年5月21日 - )は、福岡県柳川市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。 柳川市立昭代第二小学校在学時に柳川昭代ドリームズ、柳川市立昭代中学校在学時に佐賀藤本BBCに所属。 西日本短期大学附属高等学校時代は1年秋から内野手としてベンチ入りし、2年秋から投手に転向。この時はサイドスローで、球速は130km/h台中盤だった。 高校卒業後は就職を考えていたものの、周囲の勧めもあり、福岡大学に進学して準硬式野球部に所属。1年春からエースを務め、3年時に上手投げに転向すると、3年秋にMVP、最多勝、最多奪三振などを獲得する活躍を見せ、4年春には最速154km/hを計測するまでになった。
宮田 輝星(みやた ほくと、1997年12月2日 - )は、… 宮田 輝星(みやた ほくと、1997年12月2日 - )は、鹿児島県出水市出身の元プロ野球選手(外野手)。右投両打。 出水市立出水小学校3年時よりソフトボールを始める。 出水市立出水中学校では同校の軟式野球部で投手兼内野手としてプレーする。 高校は出水中央高等学校に進学。3年生の夏の第97回全国高等学校野球選手権鹿児島大会において3番・中堅手として出場したが、準々決勝戦で鹿児島実業高等学校戦に1対0で敗れ甲子園出場はならなかった。 大学は福岡大学に進学。1年生の秋からベンチ入りを果たし、3年生の春から中堅手のレギュラーを獲得する。大学の同級生に上原幸真がいる。 2019年10月17日に行われたプロ野球ドラフト会議にて、北海道日本ハムファイターズから育成ドラフト1位指名を受け、11月23日、入団発表会見が行われた。
中島 彰吾(なかしま しょうご、1992年6月15日 - )… 中島 彰吾(なかしま しょうご、1992年6月15日 - )は、福岡県小郡市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 小学生時代に、実兄と共に味坂クラブで野球をスタート。小郡市立宝城中学校で軟式野球部へ所属すると、1年時から三塁手兼投手、1年秋からエースとして活躍した。 大牟田高校への進学後は、右翼手としての起用を経て、2年秋からエースの座を確保。しかし、在学中は春夏ともに、全国大会への出場経験がなかった。 福岡大学への進学後は、主に救援投手として、九州六大学野球のリーグ戦で登板。2年時と3年時には明治神宮野球大会での救援登板も果たしたが、リーグ戦では通算18試合の登板で1勝2敗にとどまった。梅野隆太郎・信楽晃史は、いずれも1年先輩に当たる。
信樂 晃史(しがらき あきふみ、1991年12月26日 - … 信樂 晃史(しがらき あきふみ、1991年12月26日 - )は、千葉ロッテマリーンズに所属する宮崎県宮崎市出身のプロ野球選手(投手)。
副島 浩史(そえじま ひろし、1989年5月31日 - )は… 副島 浩史(そえじま ひろし、1989年5月31日 - )は日本の元アマチュア野球選手(内野手)・高校野球指導者。 北川副小学校4年生のときから野球を始め、城南中学校では軟式野球部に所属し、全国大会3位となる。小中学校時代のチームメイトに髙濱卓也がいる。 佐賀北高校の1年秋にレギュラーを勝ち取り、2007年の3年時に第89回全国高等学校野球選手権大会に出場し、3番・三塁手を務める。決勝戦では8回裏に対戦相手であった広陵高校の野村祐輔から左翼席へ逆転満塁本塁打を放ち、佐賀北高校の夏の甲子園初優勝に大きく貢献した。 また同年の日米親善高校野球大会の代表選手にも選出された。 高校卒業後は福岡大学に進学し、2012年に同大学のスポーツ科学部スポーツ科学科を卒業した。
甲斐 雄平(かい ゆうへい、1988年3月15日 - )は、… 甲斐 雄平(かい ゆうへい、1988年3月15日 - )は、福岡県福岡市出身の元プロ野球選手(外野手)。右投右打。 福岡市立弥永小学校時代に元プロ野球投手の石丸進一をモデルにした映画『人間の翼 最後のキャッチボール』を見たことがきっかけで、曰佐中学校に進んでから本格的に野球を始めた。ボーイズリーグ福岡県南支部に所属する福南ファイターズ(現:福南ボーイズ)に在籍。当時のチームメイトに、後に女子硬式野球ワールドカップの日本代表捕手で4番を打つことになる西朝美がいた。 市立博多工業高校時代は4番を打ち、高校通算28本塁打を放った。 福岡大学では1年春からレギュラーとなり、主将も務めた。3年秋には九州六大学野球リーグのMVP・ベストナインに選出された。
榎田 大樹(えのきだ だいき、1986年8月7日 - )は、… 榎田 大樹(えのきだ だいき、1986年8月7日 - )は、鹿児島県曽於郡大崎町出身の元プロ野球選手(投手、左投左打)、プロ野球コーチ。 大崎小学校4年時に地元の鹿児島県・大崎ソフトボールスポーツ少年団に所属しソフトボールを始める。5年生の時には全国大会優勝。当時、同チームの1学年先輩には松山竜平が在籍して捕手を務めており、榎田ともバッテリーを組んでいた。なお、このチームの監督の新留勝郎は、後に阪神タイガースで榎田とチームメイトとなる福留孝介を指導した人物である。 大崎中学では野球部に入り投手兼外野手。小林西高では1年春からベンチ入りし、秋からは本格的に投手として起用されるようになる。3年の夏
岳野 竜也(たけの たつや、1986年5月14日 - )は、… 岳野 竜也(たけの たつや、1986年5月14日 - )は、福岡県糟屋郡志免町出身の元プロ野球選手(捕手)。
川﨑 成晃(かわさき なりあき、1986年3月30日 - )… 川﨑 成晃(かわさき なりあき、1986年3月30日 - )は、日本の元プロ野球選手(外野手)。右投右打。 鹿児島県垂水市出身。垂水中学校では軟式野球部に所属。鹿児島商高では3年夏に鹿児島大会で準優勝。高校通算20本塁打の強打で活躍する。 福岡大学では1年秋にDHで、2年秋に外野手で2度のベストナインを受賞。また2年秋は盗塁王も獲得した。3年時に大学選手権に出場。 卒業後は鮮ど市場に入社。青果部門の業務に携わりつつ、同社野球部の熊本ゴールデンラークスでプレー。 2008年の都市対抗野球では本塁打を放ち注目される。 2009年は沖縄電力の補強選手として都市対抗野球に出場。 2010年にはアジア大会日本代表に選出された。
川﨑 成晃(かわさき なりあき、1986年3月30日 - )… 川﨑 成晃(かわさき なりあき、1986年3月30日 - )は、鹿児島県垂水市出身のプロ野球選手(外野手)。
白仁田 寛和(しらにた ひろかず、1985年10月2日 - … 白仁田 寛和(しらにた ひろかず、1985年10月2日 - )は、福岡県糸島市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 可也小4年で捕手として野球を始め、志摩中2年時に投手に転向。糸島高ではドラフト候補にも挙がったが、肘を痛めプロ入りを見送った。 福岡大学スポーツ科学部スポーツ科学科への進学後は同学野球部に所属し、九州六大学リーグで通算18勝、通算防御率1.81を記録、最優秀選手2回、最多勝2回、ベストナイン2回。3年の大学選手権では初戦完投し2回戦で青学大に惜敗。しかし4年時の秋は「右肩肩峰下滑液胞炎」というケガのため登板できず、リハビリの日々を送った。後に阪神でチームメートになった榎田大樹は大学の1年後輩に当たる。
川頭 秀人(かわず ひでと、1985年3月26日 - )は、… 川頭 秀人(かわず ひでと、1985年3月26日 - )は、佐賀県出身の元プロ野球選手(投手)。 三日月町立三日月小学校4年時から地元の軟式野球クラブで野球を始める。三日月町立三日月中学校では軟式野球部に所属、投手を務めた。 佐賀県立小城高等学校進学後は投手兼外野手としてチームを引っ張るが、最高成績は3年時の全国高等学校野球選手権佐賀大会2回戦止まりと大舞台には全く縁が無かった。 福岡大学進学後に再び投手専任になる。ここで頭角を現し4年間の通算成績は18試合4勝1敗、防御率1.93と安定した成績を残す。また、69.2回を投げて62奪三振と脅威の奪三振率を誇った。1年後輩のエース白仁田寛和が注目を浴びる中で常に縁の下の力持ちとしてチームを支えた。
藤原 紘通(ふじわら ひろみち、1985年1月15日 - )… 藤原 紘通(ふじわら ひろみち、1985年1月15日 - )は、長崎県長崎市出身の元プロ野球選手(投手)。 長崎市立小ヶ倉中学校、長崎南山高等学校では3年夏県大会準優勝。福岡大学では4年の大学選手権2回戦で白仁田寛和をリリーフしたが青学大に延長12回サヨナラ負け。 2007年にNTT西日本に入社。硬式野球部に入部すると、エースの笠木伸二、ベテランの徳留慶らとともに投手陣を支え、2007年、2008年ともに都市対抗野球大会・日本選手権出場に貢献。 2008年度ドラフト会議で、東北楽天ゴールデンイーグルスと阪神タイガースにそれぞれ野本圭・松本啓二朗の外れ1位で指名され、抽選で交渉権を獲得した楽天に入団。
里 隆文(さと たかふみ、1982年1月18日 - )は、日… 里 隆文(さと たかふみ、1982年1月18日 - )は、日本の野球指導者。元埼玉西武ライオンズスタッフ(2018年まではコーチ)。 2008年からBCリーグ・群馬ダイヤモンドペガサスのトレーナーに就任したのち、2010年から同球団のコンディショニングコーチに就任。 2012年からはNPB・埼玉西武ライオンズの二軍トレーニングコーチに就任、2017年から一軍トレーニングコーチに配置転換された。2019年からはトレーニングコーチはS&C(ストレングス&コンディショニング)スタッフという枠組みに変わり、里は二軍の担当スタッフとして引き続き西武に在籍していた。 2022年より独立し、フリーのストレングス&コンディショニングコーチとしてプロやアマチュアの指導をする傍ら、フィットネスジムの運営も手掛ける。
入野 久彦(いりの ひさひこ、1980年9月20日 - )は… 入野 久彦(いりの ひさひこ、1980年9月20日 - )は、島根県江津市出身の元プロ野球選手(捕手)。
小椋 真介(おぐら しんすけ、1980年8月1日 - )は、… 小椋 真介(おぐら しんすけ、1980年8月1日 - )は、福岡県福岡市出身の元プロ野球選手(投手)。
萱島 大介(かやじま だいすけ、1980年1月6日 - )は… 萱島 大介(かやじま だいすけ、1980年1月6日 - )は、大分県出身の元プロ野球選手(内野手)で、現在は日本競輪選手会大分支部所属の競輪選手。 国東高校から進学した福岡大学ではプロでも同僚となる喜田剛と同期。社会人野球のローソンに進むが、2002年シーズン限りでチームの廃部が決定していたため、同年10月に阪神タイガースの入団テストを受験。50 m走5秒7、ベース一周 (109.728 m) では当時5年連続盗塁王だった赤星憲広の記録13秒6を上回る13秒29と俊足をアピールし、この年のプロ野球ドラフト会議で阪神タイガースから11巡目指名を受け入団した。このドラフトでは、チームメイトの新井智が9巡目、伊代野貴照が10巡目で阪神から指名を受けそれぞれ入団、吉川昌宏は8巡目でヤクルト指名を受け入団している。
喜田 剛(きだ ごう、1979年10月25日 - )は、福岡… 喜田 剛(きだ ごう、1979年10月25日 - )は、福岡県福岡市出身の元プロ野球選手(内野手、右投左打)・元コーチ。愛称は「キダゴ」。 現在は株式会社ドームに勤務する会社員であり、また、YouTuberとしても活動している。妻は元モデルの喜田彩子。 高宮小3でボーイズリーグ平和台で投手として野球を始める。沖学園高等学校は外野手に転向し、通算32本塁打。福岡大学では捕手となり、1年秋の対北九州大戦で、代打で初打席初球を本塁打。相木崇とバッテリーを組んで大学選手権に出場した3年時には大学選抜の一員として中南米に遠征し、3試合で4番を打つ。4年秋に再び外野手に戻り、明治神宮大会で本塁打。大学通算9本塁打、ベストナイン捕手3回、打点王2回優秀選手、本塁打王各1回。
内藤 恵美(ないとう えみ、1979年10月6日 - )は、… 内藤 恵美(ないとう えみ、1979年10月6日 - )は、福岡県出身の女子ソフトボール選手(内野手(遊撃手))。九州女子高等学校(現・福岡大学附属若葉高等学校)卒業。2000年シドニーオリンピック銀メダリスト。2004年アテネオリンピック銅メダリスト。 2008年6月23日の練習中に左アキレス腱を断裂し、北京オリンピックの代表から外れ、代わりに藤本索子が選ばれた。 2010年にラグビー選手の松岡毅と結婚し、松岡 恵美(まつおか えみ)となった。2011年に選手を引退し、コーチの道に進むことを表明した。
相木 崇(あいき たかし、1978年5月16日 - )は、熊… 相木 崇(あいき たかし、1978年5月16日 - )は、熊本県熊本市西区出身の元プロ野球選手(投手)。 城西小学校4年生の時に野球を始めた。西山中学校で投手へ転向し、熊本市立商業高等学校に進学。3年夏の熊本大会でベスト4に入っている。 高校卒業後は福岡大学体育学部に進学。同学野球部に所属。2年生の時にサイドスローへ転向して球威が増した。3年春と4年春には九州六大学リーグでMVPを獲得、2年続けて大学選手権で先発し3年初戦は完封勝利。優秀選手1回。最速144km/hの速球などが評価され、2000年度ドラフト会議にてオリックス・ブルーウェーブから4位指名を受けて入団。契約金は7000万円、年俸は800万円(金額はいずれも推定)だった。
井場 友和(いば ともかず、1976年8月27日 - )は、… 井場 友和(いば ともかず、1976年8月27日 - )は、熊本県宇城市出身の元プロ野球選手(投手)。
御船 英之(みふね ひでゆき、1966年10月18日 - )… 御船 英之(みふね ひでゆき、1966年10月18日 - )は、熊本県出身の元プロ野球選手(内野手)。1996年のみ登録名を御船 秀之としていた。
竹之内 徹(たけのうち とおる、1957年8月16日 - )… 竹之内 徹(たけのうち とおる、1957年8月16日 - )は、鹿児島県出身の元プロ野球選手(外野手)。左投左打。 伊集院高から福岡大学に進学。九州六大学リーグでは在学中3回優勝、ベストナイン2回。 1979年のプロ野球ドラフト会議で横浜大洋ホエールズから3位指名を受け入団。 1980年から一軍初出場を果たす。 1982年には初本塁打を8月21日の対中日ドラゴンズ戦で星野仙一から打っている。同年はイースタン・リーグで打率2位の好成績を残し、一軍でもシーズン終盤に、主に左翼手として15試合に先発出場を果たす。 1983年11月、新谷嘉孝、欠端光則との2対2の交換トレードで右田一彦と共にロッテオリオンズに移籍。
花房 健(はなふさ たけし、1957年5月11日 - )は、… 花房 健(はなふさ たけし、1957年5月11日 - )は、兵庫県出身の元プロ野球選手(投手)。 高砂高では3年夏、部員15名ながらエースで4番を打った。福岡大学に進学し九州六大学野球連盟加盟の野球部に入部。4年次に一気に頭角を現し、春季6勝1敗、秋季7勝無敗で連続ベストナイン、秋季は最高殊勲選手を獲得。九州六大学リーグ通算17勝。4年秋の明治神宮大会では初戦で完封、2回戦では亜大の宮本賢治と投げ合うが敗退。「九州の速球王」の異名を全国区にした。 1980年11月26日、プロ野球ドラフト会議において近鉄バファローズからドラフト3位指名を受け入団。 一軍公式戦の出場がないまま、1985年限りで現役を引退した。
百田 慎太郎(ももた しんたろう、1951年 - )は、日本… 百田 慎太郎(ももた しんたろう、1951年 - )は、日本の元アマチュア野球選手(投手)。 有田工業高校では、エースとして1969年夏の甲子園県予選に出場し、1回戦で龍谷高校を相手にノーヒットノーランを達成し、2回戦でも神埼農業高校を相手にノーヒットノーランを達成する。しかし、準々決勝で佐賀商業高校に敗れ、甲子園への出場を果たすことができなかった。 同年のドラフト会議で巨人から14位指名を受けたが、入団を拒否。 卒業後は福岡大学に進学。大学卒業後は電電東海に入社。