寺田 縉太郎(てらだ しんたろう、1937年(昭和12年)4… 寺田 縉太郎(てらだ しんたろう、1937年(昭和12年)4月9日 - )は、日本の実業家。BPカストロール名誉会長。ペトロルブ・インターナショナル名誉会長。曽祖父は浅野財閥の創始者・浅野総一郎。Sansan創業者兼代表取締役社長の寺田親弘は三男。 東京都出身。富士産業会長を務めた寺田統一郎の長男として誕生。戦時中は岐阜県揖斐郡に集団疎開を経験した。 1961年(昭和36年)慶応義塾大学経済学部卒業、同年日本石油に勤務。1978年(昭和53年)9月ペトロルブ・インターナショナルを設立し、社長、会長、名誉会長を歴任。 名前の「縉」は中国のめでたい席に必ず飾る赤い絹を指し、縁起のよい意味をとって名が付けられた。
植草益(うえくさ ます、1937年4月8日-2019年 )は… 植草益(うえくさ ます、1937年4月8日-2019年 )は、日本の経済学者、東京大学名誉教授。 神奈川県鎌倉市大船生まれ。1962年慶應義塾大学経済学部卒、1967年同大学院博士課程中退、1983年「産業組織論」で東京大学経済学博士。東京大学経済学部教授を務め、1998年定年退官、名誉教授、東洋大学経済学部教授。2006年退職。1983年『産業組織論』で日経・経済図書文化賞受賞。1984年交通図書賞、1992年テレコム社会科学賞、1995年エネルギー・フォーラム賞、1998年公益事業学会賞受賞。日本経済政策学会会長を務めた。
箱崎 安弘(はこざき やすひろ、1937年4月1日 - )… 箱崎 安弘(はこざき やすひろ、1937年4月1日 - )は、日本の経営者、銀行家。東北銀行頭取を務めた。 岩手県出身。1959年に慶應義塾大学法学部法律学科を卒業し、同年4月に東北銀行に入行した。1990年6月に取締役に就任し、1993年4月に常務、1998年6月に専務を経て、2000年6月には頭取に就任。2004年6月から2007年6月までに会長を務めた。 2007年4月に旭日小綬章を受章。
江原 達怡(えはら たつよし、1937年3月26日 - 20… 江原 達怡(えはら たつよし、1937年3月26日 - 2021年5月1日)は、日本の俳優、実業家。血液型はA型。東京府出身。慶應義塾大学卒。 劇団の地方巡業に参加していたのを経て、1948年に『鐘の鳴る丘』に子役で出演。その後東宝へ入社し、久保明らと共に若手青春スターとして活躍。 1961年にスタートした『若大将シリーズ』では、若大将の友人・江口役でレギュラー出演。加山雄三らと共に若々しい演技に加え、清潔感ある都会派の好青年役で人気を集めた。 その他、黒澤明監督の『椿三十郎』、『赤ひげ』などの名作に出演。岡本喜八監督作品の常連として、『独立愚連隊』、『江分利満氏の優雅な生活』などにも助演し、印象を残した。
内藤 碩昭(ないとう みつあき、1937年3月11日 - 2… 内藤 碩昭(ないとう みつあき、1937年3月11日 - 2025年8月20日)は、日本の経営者、銀行家。三和銀行副頭取、UFJホールディングス会長を務めた。 東京都出身。1960年に慶應義塾大学経済学部を卒業し、同年に三和銀行に入社。1988年6月に取締役に就任し、1990年5月に常務、1992年6月に専務を経て、1994年6月に副頭取に就任した。1999年6月には会長に就任し、2002年1月にUFJホールディングス会長に就任し、同年6月にUFJ銀行特別顧問を経て、2004年7月には名誉顧問に就任。 2001年6月から2017年6月までに南海電気鉄道取締役を務めた。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。
富永 靖雄(とみなが やすお、1937年3月5日 - )は、… 富永 靖雄(とみなが やすお、1937年3月5日 - )は、日本の経営者。横浜ゴム社長、会長を務めた。神奈川県出身。 1960年に慶應義塾大学経済学部を卒業し、同年に橫濱護謨製造(のちの横浜ゴム)に入社。1991年3月に取締役に就任し、1995年3月に常務、1996年6月に専務を経て、1999年4月に社長に就任。2004年6月に会長に就任。
片山 左京(かたやま さきょう、1937年3月 - )は、日… 片山 左京(かたやま さきょう、1937年3月 - )は、日本のフランス文学者。慶應義塾大学経済学部教授を経て、同名誉教授。F1ドライバー・片山右京の叔父。
千輪 博(ちわ ひろし、1937年2月27日 - 2002年… 千輪 博(ちわ ひろし、1937年2月27日 - 2002年5月15日)は、日本の経営者。愛知県名古屋市出身。 1959年に慶應義塾大学法学部を卒業し、同年にトヨタ自動車に入社。1988年に取締役に就任し、1996年に専務に就任した。1997年に豊田通商に移り、副社長に就任し、1999年には社長に昇格した。2001年に副会長に就任した。 2002年5月15日肝不全のために死去。65歳没。
飯村 隆彦(いいむら たかひこ、1937年2月20日 - 2… 飯村 隆彦(いいむら たかひこ、1937年2月20日 - 2022年7月31日)は、映画作家。実験映画の草分け的存在。飯村隆彦映像研究所ディレクター。 東京都出身。慶應義塾高等学校時代に、高橋新吉や萩原恭次郎のダダイスム詩の影響を受け、自らも詩を執筆する。1959年慶應義塾大学法学部卒業後、日映新社にアルバイトで入り、PR映画の助監督を経験する。1962年に8ミリ映画の映画詩「くず」で注目を浴び、実験映画・個人映画作家となる。赤瀬川原平、荒川修作、篠原有司男、中西夏之といった美術家たちと交流を持つようになり、暗黒舞踏の土方巽らの協力を得て、8ミリ映画や16ミリ映画の前衛映画『あんま』(20分/1963年)『バラ色ダンス』(13分/1965年)を製作する。
高田 由美子(たかだ ゆみこ、1937年2月17日 - 20… 高田 由美子(たかだ ゆみこ、1937年2月17日 - 2013年5月25日)は、日本の生理学者。専門は大脳生理学。浜松医科大学教授、2002年浜松医科大学名誉教授。 1937年(昭和12年)に生まれる。東京都出身。1961年(昭和36年)慶応義塾大学医学部医学科を卒業、同大学大学院医学研究科で生理学を専攻し、1966年(昭和41年)に博士課程を修了して医学博士になった。同年米国ニューヨーク州立ロズウェルパーク記念研究所 (Roswell Park Memorial Institute) の研究員として留学、1972年(昭和47年)にニューヨーク州立大学大学院助教授に就任。1975年(昭和50年)からは、浜松医科大学医学部医学科助手として勤務。
淺井 昌信(あさい まさのぶ、1937年2月15日 - )は… 淺井 昌信(あさい まさのぶ、1937年2月15日 - )は、日本の経営者。ヒガシマル醬油社長を務めた。 兵庫県出身。1960年に慶應義塾大学経済学部を卒業し、1966年にヒガシマル醤油に入社した。1984年に取締役に就任し、1986年に常務、1990年に専務を経て、1996年に副社長に就任し、2002年3月には社長に昇格した。2012年3月には会長に就任。 2018年4月には旭日小綬章を受章。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
二宮 寛(にのみや ひろし、1937年2月13日 - )は、… 二宮 寛(にのみや ひろし、1937年2月13日 - )は、日本の元サッカー選手、サッカー指導者。
斎田 一路(さいた いちろ、1937年2月12日 - 200… 斎田 一路(さいた いちろ、1937年2月12日 - 2006年1月18日)は、日本の経営者。共同通信社社長を務めた。 東京都出身。1960年に慶應義塾大学経済学部を卒業し、同年に共同通信社に入社。1994年6月に常務理事に就任し、1996年6月に専務理事を経て、1998年6月から2002年12月までに社長を務めた。電通取締役も務めた。 2006年1月18日下咽頭がんのために死去。68歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
稲留 照雄(いなとめ てるお、1937年(昭和12年)2月1… 稲留 照雄(いなとめ てるお、1937年(昭和12年)2月10日 - )は、日本の政治家。元大阪府泉南市長。 大阪府出身。1959年(昭和34年)慶應義塾大学文学部哲学科卒業。 1974年(昭和49年)以来、泉南市長に3選。1986年(昭和61年)8月、落選した。その後、2004年(平成16年)まで泉南市議会議員を務めた。
中冨 博隆(なかとみ ひろたか、1937年2月6日 - 20… 中冨 博隆(なかとみ ひろたか、1937年2月6日 - 2021年8月16日)は、日本の経営者。久光製薬社長、会長を務めた。 佐賀県出身。1962年に慶應義塾大学法学部法律学科を卒業し、1966年に久光製薬に入社。1975年4月に取締役に就任し、1979年5月に常務を経て、1981年5月に社長に就任。2015年5月には社長を息子の中冨一栄に譲り、自身は会長に就任。日本赤十字社理事、慶應義塾大学評議員も務めた。 2019年5月に旭日小綬章を受章。 2021年8月16日老衰のために死去。84歳没。 NHKの朝ドラ「ひよっこ」の登場人物の一人・島谷純一郎の人物設定が完全に同一で、地元では「島谷のモデルは中富会長の青年時代では」と話題になった。
奥谷 武彦(おくたに たけひこ、1937年2月3日 - )は… 奥谷 武彦(おくたに たけひこ、1937年2月3日 - )は、日本の経営者。神戸電鉄社長を務めた。兵庫県出身。 1953年に慶應義塾大学経済学部を卒業し、同年に京阪神急行電鉄(現在の阪急電鉄)に入社。1980年6月に取締役に就任し、1992年6月に常務を経て、1994年6月に阪急バス社長に就任し、1998年6月には神戸電鉄社長に就任。2003年6月に会長を経て、2006年6月に相談役に就任。 2010年4月に旭日中綬章を受章。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
間崎 ルリ子(まさき るりこ、1937年2月 - )は、日本… 間崎 ルリ子(まさき るりこ、1937年2月 - )は、日本の児童文学翻訳家、文芸評論家。本姓(夫姓)は"大月"であり、学会への参加や公的な図書館活動は大月 ルリ子(おおつき るりこ)として行っている。神戸市立図書館協議会委員(副会長)を務めた。 長崎県長崎市生まれ1937年2月。1959年慶應義塾大学図書館学科卒業。その後渡米し、ボストンのシモンズ・カレッジ(英語版)大学院で図書館学を学ぶ。図書館学修士課程修了後、ニューヨーク公共図書館児童室に勤務。1961年帰国後アメリカンスクールの図書館に勤務。1963年に翻訳した『もりのなか』がロングセラーとなる。1968年から2015年まで47年間にわたり、神戸市東灘区で毎週土曜午後1時から5時まで私設の児童図書館(子ども文庫)「鴨の子文庫」を主宰し開いていた。
黒田 正隆(くろだ まさたか、1937年(昭和12年)1月2… 黒田 正隆(くろだ まさたか、1937年(昭和12年)1月22日 - 2011年(平成23年)1月30日)。日本特殊陶業株式会社専務取締役、米国NGK、Spark Plugs社長、欧州NGK Spark Plugs社長を務めた。東京都杉並区松庵出身。 石油王 ジョン・ロックフェラーのひ孫で、アメリカ合衆国上院議員ジョン・ロックフェラー 4世とは友人。父は毎日新聞社取締役、中部支社社長を務めた黒田龍馬。母方の祖父は明治時代中期に米国留学で名門カリフォルニア大学バークレー校を卒業し, 台湾・清国の海関(税関)で税関業務に従事した荒田武卿。 1937年(昭和12年)1月22日 父 龍馬と母 冨美の長男として誕生。
出馬 迪男(いづま みちお、1937年(昭和12年)1月20… 出馬 迪男(いづま みちお、1937年(昭和12年)1月20日 - 2019年(令和元年)12月15日)は、日本の実業家。フジテレビジョン副社長、関西テレビ放送社長を務めた。 大阪府大阪市出身。大阪府立高津高等学校、慶應義塾大学法学部を卒業。 共同テレビジョンを経て、1963年(昭和38年)1月フジテレビジョン入社。 1987年(昭和62年)6月取締役営業局長、88年6月常務取締役(営業担当)、91年6月専務取締役(総括担当)。 1997年(平成9年)6月代表取締役副社長営業統括本部長、99年6月代表取締役副社長営業総括・営業統括本部長特命事項担当。 2001年(平成13年)6月、関西テレビ放送代表取締役社長に就任する。
阿部 雅一郎(あべ まさいちろう、1937年1月12日 - … 阿部 雅一郎(あべ まさいちろう、1937年1月12日 - 2012年11月21日)は、日本の実業家、馬主。 木材卸であった阿部木材工業(現・アベキャピタル)の第2代社長であり、会社を複合的な企業グループに拡大させた。また、競走馬の馬主としても著名で、GI競走に優勝したヒシアマゾン、ヒシアケボノ、ヒシミラクルなど数々の活躍馬を所有した。 阿部木材工業創業者の阿部雅信は父、第3代社長の阿部雅英は長男。両者もまた馬主として知られる。 慶應義塾大学卒業後、阿部木材工業に入社。1964年、雅信が脳溢血に倒れたため同社の経営を継いだ。良質な無垢材の確保が困難になりつつあったことから、合板の製造に着手すべく1967年に「阿部合板」を設立。
河合 常則(かわい つねのり、1937年1月10日 - 20… 河合 常則(かわい つねのり、1937年1月10日 - 2017年9月7日)は、日本の政治家。自由民主党所属の参議院議員(1期)。富山県東礪波郡城端町(現南砺市)出身。 1955年、富山県立福野高等学校、1961年、慶應義塾大学経済学部通信教育課程卒業。卒論は「日本中小商業の一分析視角」。1964年、城端町議会議員に当選。以後連続3期務める。1975年、富山県議会議員に当選。以後8期連続務める。1991年には富山県議会議長に就任。 2004年7月、第20回参議院議員通常選挙に自民党公認で富山県選挙区に立候補し初当選。額賀派に所属する。 2005年8月8日の郵政民営化法案の参議院本会議採決では反対票を投じ、1年間の党役職資格停止のペナルティを受けるが、後に賛成に転じた。
武田 正利(たけだ まさとし、1937年1月2日 - 201… 武田 正利(たけだ まさとし、1937年1月2日 - 2018年4月11日)は、日本の経営者。カネカ社長、会長を務めた。 石川県出身。金沢大学教育学部附属高等学校卒業。1959年に慶應義塾大学法学部政治学科を卒業し、同年に鐘淵化学工業(のちのカネカ)に入社。1987年6月に取締役に就任し、1992年6月に常務、1996年6月に専務を経て、1999年6月に社長に就任。2005年6月に会長に就任。 2018年4月11日呼吸器不全のために死去。81歳没。
白川 正芳(しらかわ まさよし、1937年1月2日 - 20… 白川 正芳(しらかわ まさよし、1937年1月2日 - 2023年7月18日)は、日本の文芸評論家。 福岡県大川市生まれ。慶應義塾大学中退。慶應義塾大学・特選塾員。國學院大學非常勤講師、東京経済大学非常勤講師。埴谷雄高を中心に文芸評論を書き、第22回日本文芸大賞受賞。また文壇屈指の碁打ちとしても知られる。34期、36期、38期、39期文壇本因坊。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
飯田 裕康(いいだ ひろやす、1937年1月 - )は、日本… 飯田 裕康(いいだ ひろやす、1937年1月 - )は、日本の経済学者、慶應義塾大学名誉教授。専攻はマルクス経済学における信用論、経済学史。マルクス経済学では正統派の流れを汲むが、その研究は実証を重視するものである。[要出典] 1937年1月、東京都に生まれる。慶應義塾中等部、慶應義塾高等学校を経て、1959年慶應義塾大学経済学部卒業。1961年、慶應義塾大学大学院経済学研究科修士課程修了、同大学大学経済学部副手。1962年、同助手。1964年、慶應義塾大学院経済学研究科博士課程修了。1967年、慶應義塾大学経済学部助教授。1972年『信用論と擬制資本』で経済学博士。1974年、同教授。1993年-1999年、経済学部長・経済学研究科長。
笹山 隆生(ささやま たかお、1937年(昭和12年) - … 笹山 隆生(ささやま たかお、1937年(昭和12年) - 1996年(平成8年))は、日立製作所の元主任研究員、工学博士。 秋田県横手市出身。横手美入野高校(現秋田県立横手高等学校)卒業、1963年慶應義塾大学工学部卒業後、日立製作所日立研究所入社。同所主任研究員、日立アメリカ・リミテッド研究開発副社長、同社自動車機器事業部副技師長を経る。IEEEおよびSAEフェロー。電気学会センサシステム応用技術委員会、「自動車センサ関連調査専門委員会)委員長などを歴任。 1984年、慶応義塾大学工学博士 論文の題は「トランジスタの二次降伏耐量の研究とその自動車用電子装置への適用 」。
天野 隆子(あまの たかこ、1937年 - )は、東京都出身… 天野 隆子(あまの たかこ、1937年 - )は、東京都出身の日本の時代考証家(明治・大正・昭和)である。慶應義塾大学経済学部卒。 1982年の連続テレビ小説『ハイカラさん』から、時代考証を担当しており、ほかにも、『おしん』、『あぐり』、『梅ちゃん先生』、『ちむどんどん』の時代考証や、NHKのスペシャルドラマ『坂の上の雲』の風俗考証も担当している。 2012年度NHK放送文化賞受賞者。 ()内に「朝」とあるのは、「朝ドラ」、すなわち「連続テレビ小説(NHK)」である。
井上 公三(いのうえ こうぞう、1937年 - 2017年)… 井上 公三(いのうえ こうぞう、1937年 - 2017年)は、日本の画家。 大阪府出身。1960年慶應義塾大学文学部美学美術史学科卒業。同年渡仏し、 アカデミー・ドゥ・ラ・グランド・ショミエールにて学ぶ。 1969年オーパベ大賞、1971年毎日現代美術展コンクール賞、1980年カーニュ・シュメール国際美術ビエンナーレ展審査委員長賞を受賞。 漫画家、井上三太は長男にあたる。
気賀 康夫(きが やすお、1937年 - )は、日本の保険… 気賀 康夫(きが やすお、1937年 - )は、日本の保険会社員、アマチュアマジシャン、囲碁著作家。 東京生まれ。慶応義塾大学経済学部卒業。同大学奇術愛好会三代目幹事長。まだ、同大学囲碁部に所属。 1960年、第一生命保険に入社、取締役、常務を務めた。1969年から1970年に、保険事業研究のためニューヨークに留学。 学生時代より故高木重朗に師事、1972年石田天海賞受賞。奇術関係のほか電卓、囲碁に関する著作も多い。囲碁については井口貝石のペンネームを用いた。 東京アマチュアマジシャンズクラブ会員。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
原田 勝弘(はらだ かつひろ、1937年 - )は、日本の社… 原田 勝弘(はらだ かつひろ、1937年 - )は、日本の社会学者。明治学院大学名誉教授。被爆者の調査研究などに携わる。2012年、著書に、『生活研究の社会学 変容する生活像の軌跡と調査分析』(2012年、光生館)がある。
福井 敏雄(ふくい としお、1937年 - )は、日本の自動… 福井 敏雄(ふくい としお、1937年 - )は、日本の自動車技術者。元トヨタ・チーム・ヨーロッパ(TTE)副社長。東京都世田谷区出身。 父・福井近夫(後に日本テレビ放送網社長)が読売新聞社に勤務しており、転勤の関係で戦後間もない時期に京都に移住、高校の途中までを京都で過ごす。 1960年に慶應義塾大学工学部を卒業して日産自動車に入社。日産に入社した理由について、大学で大気汚染の研究をしていた際に実験用の分析機が必要になった際、当時子安にあった日産の研究所に機材を使わせてもらうよう依頼に行ったのがきっかけで、しばらく実験のため研究所に通っているとある日「ちょっと面接があるから」と呼び出されたところ、当時の川又克二社長をはじめとする役員陣がずらっと揃っており、そのまま内定が出て入社に至ったと語っている。
秦 郷次郎(はた きょうじろう 1937年 - )は、日本の… 秦 郷次郎(はた きょうじろう 1937年 - )は、日本の実業家。元ルイ・ヴィトン・ジャパン、LVJグループ代表取締役社長。高知県出身。 1937年(昭和12年)、高知県高知市に生まれ育つ。8歳の時に終戦を迎え、10代の頃には評論家を目指すも、父親から「経済を勉強した方が良い」と助言され、土佐中学校・高等学校を卒業後、慶應義塾大学経済学部に進学する。1961年(昭和36年)、建築家だった義兄の圓堂政嘉の勧めで、大学を卒業すると同時に米国に留学し、カリフォルニア大学バークレー校で1年間学んだ後、ニューハンプシャー州のダートマス大学エイモス・タック・ビジネススクールに入学し、1964年(昭和39年)に日本人初の経営学修士号(MBA)取得者として卒業後、ピート・マーウィック・ミッチェル会計事務所に就職し、1年の会計監査業務を勤めた後、同事務所の経営コンサルティング部門に配属され、1967年(昭和42年)、同事務所の東京コンサルティング部門開設に伴い、6年ぶりに帰国する。
伊勢 桃代(いせ ももよ、1937年〈昭和12年〉- 202… 伊勢 桃代(いせ ももよ、1937年〈昭和12年〉- 2024年〈令和6年〉1月3日)は日本の実業家、元国際連合職員、国連大学理事長、国連システム元国際公務員日本協会(AFICS-Japan)元会長。日本人初の国連大学事務局長などを務めた。 京都府出身。慶応義塾大学文学部社会学科に進学し、有賀喜左衛門のもとで社会学に興味を持ち社会学を専攻し、社会学学士号を取得。1962年、シラキュース大学マックウェル大学院にて計量社会学学士号を取得。1964年までハーバード大学にて比較文化研究に従事する。1964年からオファーを受けたことでジョンソン大統領下で反貧困政策に従事する。この経歴が評価されたことや、伊勢がニューヨークタイムズ紙に掲載された市民権のないイスラエル人の労働を違法であると認めるべきの内容を読んだことがきっかけとなり、1969年より国連職員としてニューヨーク本部で勤務する。
里見 真三(さとみ しんぞう、1937年 - 2002年9月… 里見 真三(さとみ しんぞう、1937年 - 2002年9月15日)は、日本の編集者、ルポライター。本名:内藤厚(ないとうあつし)。 東京都世田谷区生まれ。慶應義塾大学卒。文藝春秋に入社し、グルメに関してのエッセイなどの執筆を手がける。後に岐阜女子大学観光文化学科教授を務めた。 2002年9月15日、皮膚癌のため死去。 ※下記のほか、本名の内藤厚名義で発行者として文春文庫の複数の書籍に記載されている。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・作詞家・作家・放送作家・随筆家(コラムニスト)・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ:作家)。
加藤 久枝(かとう ひさえ、1936年12月29日 - )は… 加藤 久枝(かとう ひさえ、1936年12月29日 - )は、日本の馬主。 「アスター」の冠名を用いる馬主で、2018年時点での馬主歴は64年、現役馬主の中では最長とされている。 日本中央競馬会(JRA)および地方競馬全国協会(NAR)に登録する馬主として知られる。勝負服の柄は勝負服の柄は黒、赤十字襷、赤袖。冠名には、父の経営していた店舗名より「アスター」を用いる。 名古屋市や東京都で翠芳園、東京翠芳園アスターハウスなどを経営していた実業家で、馬主でもあった加藤幸三郎を父に持ち、東京の馬主協会に入会し馬主となる(現在は一般社団法人中京馬主協会所属)。1959年の目黒記念(秋)をエドヒメで制し、23歳にして重賞初制覇[要出典]。
加瀬 英明(かせ ひであき、1936年12月22日 - 20… 加瀬 英明(かせ ひであき、1936年12月22日 - 2022年11月15日)は、日本の外交評論家。助川 明(すけがわ あきら)も使用。自由社社長、日本会議監事兼日本会議東京会長、日本教育再生機構代表委員、世界平和教授アカデミー常任理事などを務めた。 東京府出身。父は外交官の加瀬俊一、母・寿満子は元日本興業銀行総裁小野英二郎の娘である。また従姉にはオノ・ヨーコがいる。 慶應義塾大学経済学部卒業後、イェール大学・コロンビア大学に留学。1967年から1970年までブリタニカ国際大百科事典の初代編集長を務める。青年時代から、外交官である父・俊一の影響を受けて育ったことなどがきっかけで、評論・執筆活動を行うようになる。
足立 康(あだち やすし、1936年11月26日 -2021… 足立 康(あだち やすし、1936年11月26日 -2021年1月8日)は、日本のアメリカ史学者・翻訳家。青山学院女子短期大学名誉教授。 東京生まれ。静岡県田方郡出身。慶應義塾大学文学部英文科卒、同大学院修士課程修了、アメリカのテキサス大学オースティン校アメリカ文明学科博士課程修了。青山学院女子短期大学教授を務めた。1958年、「宝石の文学」で第1回群像新人文学賞評論部門受賞。 足立光(日本マクドナルドチーフ・マーケティング・オフィサー、元シュワルツコフヘンケル社長)は子。詩人の小柳玲子は中学校・高校の同級生。 2021年1月8日、肝臓がんのため死去。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・作詞家・作家・放送作家・随筆家(コラムニスト)・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
中村 胤夫(なかむら たねお、1936年(昭和11年)11月… 中村 胤夫(なかむら たねお、1936年(昭和11年)11月13日 - )は、日本の経営者。三越社長・会長、相談役、特別顧問を歴任。長野県塩尻市生まれ。 名橋「日本橋」保存会会長、ECO EDO 日本橋 実行委員会 会長、慶應義塾大学評議員。
平島 正登(ひらしま まさと、1936年11月12日 - )… 平島 正登(ひらしま まさと、1936年11月12日 - )は、福岡県出身の元ラグビー選手。元ラグビー日本代表選手。主なポジションはスタンドオフ(SO)。
北川 正人(きたがわ まさと、1936年〈昭和11年〉11月… 北川 正人(きたがわ まさと、1936年〈昭和11年〉11月11日 - 2023年〈令和5年〉6月12日)は、日本の実業家、経営コンサルタント。元千代田化工建設代表取締役社長。妻は加賀前田家17代当主前田利建侯爵の長女。 アメリカ・カリフォルニア州バークレーにて誕生。第二次世界大戦開戦直前の1941年(昭和14年)8月、日本に帰国。慶應義塾中等部、慶應義塾高等学校を経て、1959年(昭和34年)に慶應義塾大学法学部法律学科を卒業。同年、千代田化工建設入社。営業部門を経て、1982年(昭和57年)取締役就任。1987年(昭和62年)常務、1989年(平成元年)専務、1992年(平成4年)副社長を経て、1996年(平成8年)12月柏原正明に代わり社長に就任。
鳥居 泰彦 (とりい やすひこ、1936年(昭和11年)10… 鳥居 泰彦 (とりい やすひこ、1936年(昭和11年)10月15日 - ) は、日本の経済学者(統計学・経済発展理論)であり教育者。学位は経済学博士(慶應義塾大学・1966年)。日本私立学校振興・共済事業団理事長、財団法人交詢社理事長、慶應義塾学事顧問。
成宮 雄三(なるみや ゆうぞう、1936年10月12日 - … 成宮 雄三(なるみや ゆうぞう、1936年10月12日 - )は、日本の実業家。ナルミヤ・インターナショナル創業者・社長。広島県広島市出身。 家業は明治期の1899年、広島市の元柳町(現在の広島平和記念公園)に創業した呉服問屋の老舗。その後広島市中心部鉄砲町に移転。戦時中は軍服製造などを手がけ戦後の1952年、成宮織物株式会社、1979年ナルミヤと改称して婦人服・洋品部門を拡張させた。成宮は三兄弟の末っ子として生まれ、広島大学附属高校を経て1959年慶應義塾大学法学部を卒業。大学卒業後、髙島屋に入社。ニューヨーク店などに勤務。父の病気で1975年退職し、二番目の兄が東京青山でやっていた洋服卸部門を引き継ぐ。
赤木 健一(あかぎ けんいち、1936年9月28日 - )は… 赤木 健一(あかぎ けんいち、1936年9月28日 - )は、兵庫県城崎郡国府村(現在の豊岡市)生まれの元プロ野球選手。 兵庫県城崎郡国府村(現在の豊岡市)で生まれ、東京都で育った。隣家の植村直己とは少年時代、遊び仲間だった。 慶應義塾高校では1954年夏の甲子園県予選3回戦で希望ヶ丘高に敗退。慶應義塾大学へ進学。東京六大学野球リーグでは1956年秋季リーグで優勝を経験。1958年春季リーグでは打率.404で首位打者を獲得、同年は春秋季ともベストナイン(外野手)受賞。1955年には第2回アジア野球選手権大会日本代表(東京六大学野球リーグ選抜チーム)に選出された。リーグ通算59試合出場、170打数51安打、打率.300、2本塁打。
内田 勲(うちだ いさお、1936年9月27日 - 2023… 内田 勲(うちだ いさお、1936年9月27日 - 2023年7月12日)は、日本の実業家。元横河電機会長。 東京都出身。慶應義塾大学工学部電気工学科卒業。1960年4月、横河電機製作所(現・横河電機)入社。1999年社長。2007年会長。2011年最高顧問。2009年から母校の理工学部同窓会会長を務める。 2011年、旭日中綬章受章。 2023年7月12日、病気のため死去。86歳没。死没日付をもって従四位に叙された。
宮下 啓三(みやした けいぞう、1936年9月20日 - 2… 宮下 啓三(みやした けいぞう、1936年9月20日 - 2012年5月6日)は、日本の文学者(ドイツ文学者)、慶應義塾大学名誉教授。 東京府出身。父は宮下正美。兄の宮下展夫は演劇評論家で『朝日ジャーナル』編集長。 幼稚舎から慶應義塾普通部を中退し湘南学園中学校に転校、同高等学校から慶應義塾高校編入を経て1959年慶應義塾大学独文科卒、1965年同大学院博士課程単位取得満期退学。1977年「18世紀ドイツ戯曲史とブランクヴァース」で慶應義塾大学より文学博士を賜る。 後に慶應義塾大学文学部助教授、教授を歴任し、2001年定年退任、2007年まで帝京大学教授。1978年日本観光文化奨励賞受賞。 専門はドイツ演劇、スイス文化史。
飯吉 厚夫(いいよし あつお、1936年9月17日 - )は… 飯吉 厚夫(いいよし あつお、1936年9月17日 - )は、日本の工学者。京都大学名誉教授。総合研究大学院大学名誉教授。核融合科学研究所名誉教授。未来エネルギー研究協会名誉会長。工学博士(慶應義塾大学)。専門分野はプラズマ理工学、核融合科学。 学校法人中部大学第4代理事長、中部大学第2代総長・第3代学長。中部ESD拠点(RCE中部)代表。核融合科学研究所初代所長。 プラズマ・核融合学会会長、IEA・ステラレータ執行委員会委員長、文部科学省科学技術・学術審議会委員、国立大学法人評価委員会委員、財団法人かすがい市民文化財団理事長等を歴任。主な著書に『ビッグプロジェクト-その成功と失敗の研究-』(2008年 新潮新書)など。
服部 哲治(はっとり てつじ、1936年9月1日 - 200… 服部 哲治(はっとり てつじ、1936年9月1日 - 2000年7月2日)は、日本の元俳優、元声優。東京都中野区出身。 小学生であった1946年、児童劇団こけし座に入団。NHKラジオの学校放送などに出演し、1955年に映画『たけくらべ』でデビュー。慶應義塾高等学校卒業。慶應義塾大学経済学部中退。 1956年、桑野みゆきや毒蝮三太夫、増山江威子らと劇団山王を結成。衣笠プロ、三木事務所を経て、1970年の時点では天知プロに所属していた。その後、1977年には藤山寛美の誘いで松竹新喜劇へ入団し活動した。 二枚目だが敵役や三枚目の役もこなし、中堅俳優として活躍した。 2000年に死去するが、遺族との連絡がつかないらしく、aRmaに権利者が捜索されている。
林 光一(はやし こういち、1936年(昭和11年)8月30… 林 光一(はやし こういち、1936年(昭和11年)8月30日 - )は、日本の実業家。宝酒造株式会社元副社長。宝ホールディングス元取締役。長男は予備校講師の林修。 日本画家の林雲鳳(はやし うんぽう、本名:林 雄一〈はやし ゆういち〉)とみねの間に生まれる。1960年(昭和35年)、慶應義塾大学文学部社会学科卒業。同年4月に宝酒造に入社。1994年(平成6年)6月に同社取締役に就任。その後、1998年(平成10年)6月に同社常務、2001年(平成13年)6月に同社専務を経て、2002年(平成14年)4月に同社副社長・宝ホールディングス取締役に就任する。 ネプリーグ - グッド!モーニング - 林修の今でしょ!講座(林修でしょ!)→林修のレッスン!今でしょ→林修の今、知りたいでしょ! - 週末はウマでしょ! - 林先生が驚く初耳学!→林先生の初耳学→日曜日の初耳学 - ポツンと一軒家 - LIFE IS MONEY〜世の中お金で見てみよう〜→世の中お金で見てみよう ~火曜ヨルの学べる経済~ 森田一義アワー 笑っていいとも! - 林修先生の今やる!ハイスクール - バイキング - 日本語探Qバラエティ クイズ!それマジ!?ニッポン - ゴゴスマ -GO GO!Smile!- - 林先生の痛快!生きざま大辞典 - 人生で大事なことは○○から学んだ - FNS27時間テレビ にほんのれきし - ウケる!偉人伝 - 林修のニッポンドリル - 四季彩キッチン くりぃむVS林修!クイズサバイバー - THE 博学 - グサッとアカデミア 名探偵コナン 紺青の拳 東進ハイスクール - ワタナベエンターテインメント この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
井上 皓(いのうえ あきら、1936年8月29日 - 199… 井上 皓(いのうえ あきら、1936年8月29日 - 1999年4月23日)は、日本の経営者。東京エレクトロン社長を務めた。東京都出身。 1960年に慶應義塾大学工学部機械工学科を卒業し、同年に日商に入社した。1978年に東京エレクトロン取締役に就任し、1987年2月に常務、同年10月に専務を経て、1990年12月に社長に就任。1996年6月には会長に就任。 1999年4月23日に骨髄異形成症候群のために死去。62歳没。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
佐山 和夫(さやま かずお、1936年8月18日 - )は、… 佐山 和夫(さやま かずお、1936年8月18日 - )は、和歌山県出身の作家、ノンフィクション作家。和歌山県田辺市在住。 和歌山県立田辺高等学校、慶應義塾大学文学部英米文学科卒業。会社員、母校田辺高校の英語教師を経て、独立して「田辺イングリッシュアカデミー」を開く。その後作家に。 アメリカ野球学会(SABR)、スポーツ文学会(SLA)に所属。 第3回潮ノンフィクション賞、1984年度和歌山県文化奨励賞、2018年度和歌山県文化功労賞、第4回ミズノスポーツライター賞、ベーブ・ルース学会でジョセフ・アストマン賞、アメリカ野球学会のトウィード・ウエッブ賞、ロバート・ピーターソン賞などを受賞。 日本高等学校野球連盟並びに阪神甲子園球場歴史館では共に顧問を務める。
久野 隆作(くの りゅうさく、1936年(昭和11年)8月1… 久野 隆作(くの りゅうさく、1936年(昭和11年)8月17日 - 2010年(平成22年)6月22日)は、日本の政治家。神奈川県三浦市長(4期)。 神奈川県出身。1959年、慶應義塾大学法学部卒。1963年、三浦市議会議員に初当選。4期務め、1985年、三浦市長に初当選する。1989年と1993年は無投票当選。1997年の市長選挙では元市議の小林一也らを破って4選。2001年に引退した。2007年春の叙勲で旭日中綬章受章。 2010年6月22日、クモ膜下出血のため神奈川県横須賀市の横須賀市立うわまち病院で死去、73歳。死没日をもって従四位に叙される。