柳 聖甲(ユ・ソンガプ、朝鮮語: 유성갑、1909年または1… 柳 聖甲(ユ・ソンガプ、朝鮮語: 유성갑、1909年または1910年11月11日 - 没年不明)は、大韓民国の政治家。制憲韓国国会議員。仏教徒。 本貫は高興柳氏(朝鮮語版)。ハングル表記はリュ・ソンガプ(류성갑)とも。 日本統治時代の全羅南道高興郡出身。漢文修学を経て宝城郡筏橋宋明学館、城西学院中学校卒。大正大学予科修了、日本大学法科卒。満洲で活躍した後、大韓独立促成全国青年総連盟常任委員、国民会青年団監察委員長・総務部長、東国大学講師、国華女子専門学校教授、檀民党所属の国会議員、国会法制司法委員を務めた。
前田 利民(まえだ としたみ、1908年(明治41年)12月… 前田 利民(まえだ としたみ、1908年(明治41年)12月8日 - 1983年(昭和58年)3月2日)は、昭和期の華族(子爵)。 七日市前田家第13代当主前田利定子爵の子として生まれる。1944年11月1日、父の死去に伴い子爵を襲爵した。 日本大学経済学部を卒業後、安田銀行、高崎板紙などに勤務した。1983年死去、家督は従甥の史貞が継いだ。
押鐘 篤(おしかね あつし、1908年5月23日 - 199… 押鐘 篤(おしかね あつし、1908年5月23日 - 1990年10月25日)は、歯科医学者、性科学者。別名・神田駿一。1940年医学博士(東北帝国大学)。 長野県下高井郡中野町(現中野市)生まれ。1931年日本大学専門部歯科卒業。母校助手。1946年慶應義塾大学附属医学専門部卒業、医師国家試験合格。1949年日本大学歯学部教授、1971年同大学松戸歯学部教授、1978年定年退職、名誉教授。
奈良岡 良二(ならおか りょうじ、1908年4月2日 - 1… 奈良岡 良二(ならおか りょうじ、1908年4月2日 - 1992年6月2日)は、日本の陸上競技(競歩)選手、保健体育学者。青森県出身。1936年ベルリンオリンピックに50キロメートル競歩で出場した。競歩競技では日本初のオリンピック選手である。 青森県南津軽郡浪岡町(現青森市浪岡)出身。実弟の奈良岡健三ものちに競歩選手となる。 青森県師範学校に学び、在学中は短距離走・駅伝からスキーまでをこなした。同校を卒業し、1931年に東京に出る。「いつでもトレーニングできる種目」として競歩を選んだといい、競歩がオリンピック種目として復活すると、1936年ベルリンオリンピックに向けて計画的にトレーニングを重ね、国内予選を突破して日本代表選手に選ばれた。
岸上 慎二(きしがみ しんじ、1908年3月26日 - 20… 岸上 慎二(きしがみ しんじ、1908年3月26日 - 2002年1月29日)は、日本の国文学者。専門は日本中古文学。『後撰和歌集』『枕草子』の研究で知られ、特に『枕草子』の作者とされる清少納言の伝記を解明した。 岐阜県養老郡出身。1925年、旧制日本大学中学校(現在の日本大学第一高等学校)卒業。1928年、日本大学高等師範部国語漢文科卒業。1931年、日本大学法文学部文学科卒業。1943年、日本大学農学部予科教授。1949年、日本大学文学部教授。1960年、「清少納言傳記攷」で日本大学より文学博士の学位を取得。同年、日本大学文理学部教授。1978年、定年退職、名誉教授。1980年、勲三等瑞宝章を受章。
山田 長司(やまだ ちょうじ、1908年(明治41年)3月2… 山田 長司(やまだ ちょうじ、1908年(明治41年)3月23日 - 1972年(昭和47年)3月2日)は、日本のジャーナリスト、農民運動家、政治家。日本社会党衆議院議員(6期)。 栃木県安蘇郡新合村閑馬(田沼町を経て現佐野市閑馬町)で生まれる。1925年(大正14年)に上京し、苦学して1932年(昭和7年)日本大学法律科を卒業した。萬朝報、時事新報、名古屋新聞の記者を務めた。1935年(昭和10年)時事新報社解散反対ストライキを主導した。1936年(昭和11年)日本無産党栃木県支部連合会長に就任したが、1937年(昭和12年)12月の人民戦線事件で検挙された。その後、情報局嘱託、日本移動展協会専務理事、日本輿論研究所長などを務めた。
林 了(はやし りょう、1908年〈明治41年〉3月9日 –… 林 了(はやし りょう、1908年〈明治41年〉3月9日 – 1953年〈昭和28年〉12月20日)は、昭和期の歯科医師、政治家。参議院議員(1期)、日本大学歯学部教授。医学博士。 福井県福井市生まれ。1929年(昭和4年)日本大学歯科医学校(現日本大学歯学部)を卒業。同年、歯科医院を開業。1932年(昭和7年)日大歯科医学校附属医院に勤務。以後、城西病院歯科部長、日大歯科医学校長、日大歯学部教授を歴任。 その他、日本歯科医師会理事、同事務局長、同常務理事、同税制対策委員長、日本歯科医師政治連盟(現日本歯科医師連盟)理事長、臨時診療報酬調査会委員、臨時医療保険審議会委員、社会保険診療報酬支払基金理事、軽井沢会理事長、軽井沢国際観光協会顧問、八欧無線(株)顧問などを務めた。
桜井 勝美(さくらい かつみ、1908年2月20日 - 19… 桜井 勝美(さくらい かつみ、1908年2月20日 - 1995年7月24日)は、日本の詩人、文芸評論家。 北海道出身。日本大学文学部卒。北川冬彦の『麺麭』同人となり、ネオリアリズム詩運動に参加。1954年詩集『ボタンについて』で第4回H氏賞受賞。1955年時間賞、1966年詩集『葱の精神性』で北川冬彦賞受賞。1977年には、郷里の士別市から士別市文化賞を受賞した。
片岡 弥吉(かたおか やきち、1908年1月12日 - 19… 片岡 弥吉(かたおか やきち、1908年1月12日 - 1980年2月21日)は、日本の日本史学者。 長崎県生まれ。日本大学卒業。カソリック教徒として長崎でのキリスト布教史、キリシタン研究で知られる。1964年『浦上四番崩れ』で日本エッセイストクラブ賞受賞。1951年純心女子短期大学助教授、後に教授、副学長。 実娘のSr.片岡千鶴子、Sr.片岡瑠美子は各・長崎純心聖母会の修道女で、前者は長崎純心学園理事長ほか、後者は長崎純心大学学長ほかを務めた。他に多くの子女がいる。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
安孫子清水(あびこ しみず、1908年1月9日 - 1994… 安孫子清水(あびこ しみず、1908年1月9日 - 1994年3月26日)は、日本の政治家である。 1933年日本大学法文学部卒業。 1937年弁理士登録。 1959年自由民主党北区支部事務局長。 1964年滝野川信用金庫理事。 1969年東京都議会議員。1989年まで5期20年間務めた。 1980年11月の秋の叙勲で勲七等から勲五等に叙され、瑞宝章を受章し、1989年11月の秋の叙勲で勲四等に叙され、瑞宝章をそれぞれ受章する。 1994年3月26日、死去した。86歳没。同年4月19日、特旨を以て位記を追賜され、死没日付をもって従五位に叙された。 桜門紳士録刊行会編『桜門紳士録』桜門紳士録刊行会 昭和57年6月10日
金 午星(キム・オソン、김오성、1908年 - 1953年?… 金 午星(キム・オソン、김오성、1908年 - 1953年?)は、日本統治時代の朝鮮の共産主義理論家、文学評論家。本名は金亨俊(キム・ヒョンジュン、김형준)。 日本大学哲学科を卒業し、東京で雑誌『大衆之光』を発行した。1926年ころ、故郷の平安北道龍川で小作争議を指導し、1927年には東京学生読書会事件(동경학생 독서회사건)で検挙された。日本から帰ってきた1932年、天道教青年党機関誌『농민(農民)』を編集しながら、農村啓蒙運動に取り組み、朝鮮農民社(조선농민사)常任理事も務めた。 日本統治時代末期の1943年には、朝鮮文人報国会の隨筆評論部会評議員に選出され、親日派に変節した。この時期、金午星は朝鮮総督府の御用機関紙であった『毎日新報』に親日的論説を掲載した。
溝江徳明(みぞえ よしあき、1908年 - 1990年5月2… 溝江徳明(みぞえ よしあき、1908年 - 1990年5月2日)は、国文学者。山梨県出身。日本大学文学部卒、鳥取師範学校教授、東京第二師範学校教授、東京学芸大学助教授、教授。没後正四位勲三等瑞宝章。
高橋 鐵(高橋 鉄、たかはし てつ、1907年11月23日 … 高橋 鐵(高橋 鉄、たかはし てつ、1907年11月23日 - 1971年5月30日)は、日本の小説家、性風俗研究家。 東京出身。日本大学卒業。小説を書き、社会主義に関心を抱くが、のちフロイトに関心を抱く。第二次世界大戦後は性科学の研究を始め、1950年に日本生活心理学会を設立、『あるす・あまとりあ』がロングセラーとなる。また同年に『人間探求』(第一出版社、1950年5月~53年8月)を創刊する。日本生活心理学会の機関誌『Seishin report』を刊行した。 性風俗、性科学に関する多数の著作は一世を風靡してよく売れ、1950年代~1980年代は高橋の著作が古書店にも多数並べられていた。戦前は阿部定事件に関する著作もある。
河合 弘道(かわい ひろみち、1907年(明治40年)11月… 河合 弘道(かわい ひろみち、1907年(明治40年)11月3日 - 1991年(平成3年)12月15日)は日本の政治家。鳥取県米子市長(5期)、金光教米子教会長。位階は従五位。 鳥取県西伯郡米子町(現在の米子市)道笑町に生まれる。 明道校から米子中学校(現在の米子東高校)へ進学する。 1931年(昭和6年)日本大学社会学科卒業。同大学社会学研究室助手となり、やがて講師、次いで1938年(昭和13年)予科の教授となる。 1946年(昭和21年)故郷米子に帰り、金光教米子教会長に就任。 戦後のすさんだ人々の心を導くと共に、社会教育の振興に取り組んだ。中でもボーイスカウトの再建、児童福祉施設わかば園の経営などの活動を通じて、次第に市政の在り方に関心を寄せ、彼を囲む市民の幅広い支持を得て、1963年(昭和38年)市長選に立候補し当選、1983年(昭和58年)4月までの5期20年に亘る長期間在職した。
梨木 作次郎(なしき さくじろう、1907年9月24日 - … 梨木 作次郎(なしき さくじろう、1907年9月24日 - 1993年4月9日)は、日本の弁護士、社会運動家、政治家。元衆議院議員(日本共産党公認)。金沢弁護士会会長、自由法曹団常任幹事などを歴任する。 石川県石川郡蝶屋村(現・白山市)出身。日本大学専門部法科を卒業後、弁護士資格を取得。1931年に日本国民救援会の前身である日本赤色救援会へ入り、三・一五事件や四・一六事件をはじめ治安維持法違反事件の弁護に当たるが、1933年の日本労農弁護団一斉検挙事件で検挙。1935年には懲役2年執行猶予2年の有罪判決を受け、5年間の弁護士資格停止を命じられる(弁護士業は1938年に再開)。 1946年に日本共産党へ入党すると、自由法曹団や解放運動犠牲者救援会の再建活動に奔走。
本島 百合子(本嶋 百合子、もとじま / もとしま ゆりこ、… 本島 百合子(本嶋 百合子、もとじま / もとしま ゆりこ、1907年(明治40年)8月3日 - 1972年(昭和47年)5月21日)は、日本の婦人運動家、政治家。衆議院議員(4期)、東京都議会議員(3期)を歴任。 福岡県遠賀郡八幡町(八幡市を経て現北九州市)で、本島礼三郎の四女として生まれる。 1929年、日本大学高等師範部地歴科を卒業した。在学中から無産運動に加わった。卒業後、萬朝報記者、婦人毎日新聞記者を務め、婦人解放運動を行った。 1945年、日本社会党の結党に加わり、1946年、同党婦人部に勤務し同副部長を務めた。1947年5月、東京都議会議員に当選。以後、都議を3期務めた。 1958年5月の第28回衆議院議員総選挙に日本社会党公認で旧東京3区(定数3)から立候補して初当選。
中山 清(なかやま きよし、1907年(明治40年)7月28… 中山 清(なかやま きよし、1907年(明治40年)7月28日 - 1994年(平成6年)11月25日)は、日本の武道家、伝統医。日本武道医学会の設立者で、日本武道医学の創始者である。 日本武道医学会会長、大日本武徳会本部理事、同東京支部理事長、拓殖大学旧特設理療科教師(現・東洋鍼灸専門学校)、呉竹学園理事・教師、千代田学園教師を務めた。大日本武徳会柔道範士九段、水泳範士九段。 1907年(明治40年)7月28日、長崎県に生まれる。幼少の頃より水泳・柔・剣の訓練を受ける。 1932年(昭和7年)日本大学を卒業。かたわら町道場師範代をつとめ整骨術鍼灸按術を研修した。揚心流系柔術とりわけ天神真楊流柔術と真之神道流柔術を深く修行し、この系統である活殺自在の技法に生涯をかけた。
田村 邦男(たむら くにお、1907年7月15日 - 194… 田村 邦男(たむら くにお、1907年7月15日 - 1941年2月12日)は、日本の俳優である。本名田村 邦夫(たむら くにお)。日本大学相撲部出身、157cmの短躯ながら90kgの巨漢俳優として知られる。 1907年(明治40年)7月15日、愛知県名古屋市長久寺町(現在の同市東区白壁)に生まれる。 1920年(大正9年)、旧制・名古屋中学校(現在の名古屋高等学校)に入学、バスケットボールおよび柔道において、学生選手として活躍した。1925年(大正14年)、同校を卒業して、東京に移り、日本大学専門部商科(旧制大学専門部)に進学、相撲部に所属して大毎大会(現在の全国学生相撲選手権大会)等で活躍し、その一方で日本大学劇研究会にも所属して演劇にも関わった。
松尾 トシ子(まつお トシこ、1907年(明治40年)7月1… 松尾 トシ子(まつお トシこ、1907年(明治40年)7月14日 – 1993年(平成5年)6月3日)は、日本の政治家、衆議院議員(6期)。旧姓斎藤。 神奈川県横浜市出身。フェリス和英女学院から日本女子大学を経て、サンモール学院卒。横浜YMCAで英語教師を務め、横浜印書学校(のち日本女子英学院)を創立し、院長となる。 1946年の第22回衆議院議員総選挙に日本社会党公認で神奈川県(大選挙区制、全県一区)から立候補して初当選、以後6期当選した。在職中の1949年日本大学法文学部を卒業した。党内では中央執行委員や代議士会副会長などを歴任した。その後は民主社会党に移ったが、1960年の第29回衆議院議員総選挙で落選した。
小早川 元治(こばやかわ もとはる、明治40年(1907年)… 小早川 元治(こばやかわ もとはる、明治40年(1907年)6月27日 - ?)は、日本の自動車技術者。 男爵小早川家の当主。位階は正五位。旧姓名は毛利元治。 東京府出身。明治40年(1907年)、第29代毛利宗家当主の毛利元昭の次男として生まれる。その後、叔父にあたる男爵・小早川四郎の養子となる。広島の旧制崇徳中学校、日本大学旧工学部(現日本大学理工学部)を卒業。崇徳中学校時代には弁論部で活躍、大学時代にはディーゼル機関の研究を行っていた。卒業後は日産自動車の技術者となる。また、ジェントルマンドライバー (アマチュアドライバー) としても活動し、イギリスからMG・K3マグネットを入手して多摩川スピードウェイに参戦するなどしたという。
加森 勝雄(かもり かつお、1907年6月19日 - 199… 加森 勝雄(かもり かつお、1907年6月19日 - 1998年6月22日)は、日本の実業家。加森観光創業者。北海道帯広市出身。 北海中学校卒業、日本大学専門部法科中退。1930年に釧路市内の雑穀商に勤務し経営を学び、1933年釧路で製薬会社・星製薬の東北海道販売代理店を始めて成功をおさめる。その後1939年には星製薬の道内全域の事業を統一した星製薬北海道配給株式会社を創立する。 その後は大谷重工業社長の大谷米太郎が星製薬を買収した事をきっかけに医薬品事業から手を引き、1952年札幌で貸ビル業を開業し翌1953年に加森産業を設立。十分な資産を築いたこともあり昭和20年代末には実業界から手を引くことを考えたものの、知人から登別でのロープウェイ建設事業に熱心に誘われたことをきっかけに、1956年に登別温泉ケーブルを設立して観光業に事業を拡大し、1958年には登別クマ牧場を開設した。
小林 倭文(こばやし しずり、1907年5月21日 - 20… 小林 倭文(こばやし しずり、1907年5月21日 - 2005年1月17日)は、日本の女性教育者。長野県長野市に本部のある学校法人長野家政学園創設者で、当学園設置の長野女子高等学校初代校長、および長野女子短期大学初代学長を務めた。 長野県更級郡八幡村(現・千曲市八幡)にて、小川今朝治(倭文の後年の回想では「区長のような役を務めていた」とある)と妻の和佐の長女(兄が2人いた)として生まれる。当時の八幡村は、武水別神社の門前として栄えていた。縄文人が植物の表皮を爪ではがして織った倭文織にちなんで倭文(しずり)と名付けられる。 小さい頃より父親より、実践女子大学の創立者下田歌子や共立女子大学の創立者鳩山春子の話を聞いて育ったため、徐々に女子教育に興味を持つようになる。
小林 亦治(こばやし またじ、1907年〈明治40年〉5月1… 小林 亦治(こばやし またじ、1907年〈明治40年〉5月19日 - 1982年〈昭和57年〉8月10日)は、日本の弁護士、政治家。参議院議員(1期)。 山形県最上郡出身。1931年(昭和6年) 日本大学法律学科を卒業した。 1941年(昭和16年)司法官試補に任官し、判事として東京地方裁判所、仙台地方裁判所、青森地方裁判所の各地裁で勤務。1944年(昭和19年)山形市で弁護士を開業した。山形県農地相談所長、山形新聞論説委員、労農救援会長などを務めた。 1950年(昭和25年)6月の第2回参議院議員通常選挙に山形地方区から日本社会党所属で出馬して当選し、参議院議員を1期務めた。この間、日本社会党山形県連会長、同顧問、参議院決算委員長、裁判官弾劾裁判所裁判長などを務めた。
森脇 一夫(もりわき かずお、1907年(明治40年)5月1… 森脇 一夫(もりわき かずお、1907年(明治40年)5月10日 - 1978年(昭和53年)3月25日)は、歌人、国文学者。 アメリカ合衆国ハワイに生まれ、生後4カ月で帰国して広島県豊田郡沼田西村(現・三原市)で育つ。1927年東京府豊島師範学校卒業後、小学校訓導となる。1932年日本大学高等師範部国語漢文科卒業、1936年東京高等師範学校研究科卒業、1939年日本大学法文学部文学科卒業。1942年東京市本所高等実践女学校教諭、1946年日本大学予科教授、1949年日本大学助教授、1956年日本大学教授。1960年「万葉の美意識」で日本大学文学博士。1977年定年。 若山牧水系の歌人で、1928年菊池知勇の『ぬはり』に参加。
中原 中也(なかはら ちゅうや1907年〈明治40年〉4月2… 中原 中也(なかはら ちゅうや1907年〈明治40年〉4月29日 - 1937年〈昭和12年〉10月22日)は、日本の詩人・歌人・翻訳家。旧姓は柏村(かしむら)。 代々開業医である名家の長男として生まれ、跡取りとして医者になることを期待されていた。小学校時代は学業成績もよく神童とも呼ばれたが、8歳の時、弟が脳膜炎により病死したことで文学に目覚めた。中也は30歳の若さで死去したが、生涯で350篇以上の詩を残した。その一部は、結婚の翌年刊行した第1詩集『山羊の歌』および中也の死の翌年出版された第2詩集『在りし日の歌』に収録されている。訳詩では『ランボオ詩集』や、数は少ないがアンドレ・ジイドの作品などフランス人小説家の翻訳もしている。
瀨古 新助(せこ しんすけ、1907年3月10日 - 199… 瀨古 新助(せこ しんすけ、1907年3月10日 - 1990年10月15日)は、日本の土木工学者。逓信省技官から大学教授に転身し、後半生は実業家となった。 1937年に日本大学旧工学部(現日本大学理工学部)を卒業し、同年逓信省電気局に入省する。後に興亜院(1938年設置)に移った。興亜院に向かう際の出迎役であった大来佐武郎と意気投合し、その後小沢久太郎とも交友を深めた。 1942年、日本大学専門部工科(現日本大学工学部)教授に就任(1944年に日本大学旧工学部助教授、1946年に同教授となる)。教職員適格審査委員会の委員としてGHQと大学との折衝に尽力した。 しかしながら、工学部教授に就任した1946年に大学を辞す。
韓 徳銖(ハン・ドクス、한 덕수、1907年2月18日 - … 韓 徳銖(ハン・ドクス、한 덕수、1907年2月18日 - 2001年2月21日)は、在日本朝鮮人総聯合会(朝鮮総聯)の初代議長。朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)最高人民会議代議員を務めた。 1907年、朝鮮・慶尚北道生まれ。1927年に声楽家を目指して日本に渡り、1928年に日本大学に入学。退学後は丹那トンネルの労働運動に参加し逮捕され、懲役2年執行猶予3年の判決を受ける。1934年には朝鮮人労働者のストライキを指導したため再び逮捕され、以後十数回に渡り逮捕された。 第二次世界大戦後の1945年10月15日、新たに結成された在日本朝鮮人連盟(朝連)に参加し、直後の第1回中央委員会において総務部局長に選出されたが、GHQから公職追放を受ける。
横山 フク(よこやま ふく、1907年〈明治40年〉2月16… 横山 フク(よこやま ふく、1907年〈明治40年〉2月16日 - 1991年〈平成3年〉11月4日)は、日本の政治家。参議院議員(3期)。 東京府東京市神田区須田町(現千代田区)生まれ。東京府第一高等女学校卒業、日本大学法学部(夜間)卒業。 職業婦人になるため三省堂に勤務しながら夜は速記塾で学んだ。1927年、東京府産婆会書記になり、その縁で1932年に産婆の資格をとり、板橋で開業。 1947年板橋区議会議員に当選、1950年の第2回参議院議員通常選挙全国区に無所属で立候補したが、落選。1953年の第3回参議院議員通常選挙全国区に自由党公認で初当選。以後連続3期当選。 1955年、日本看護協会助産婦部会長として、国際看護師協会加盟に絡み、日本助産婦会を設立、初代会長に就任。
片桐 勝昌(かたぎり かつまさ、1907年(明治40年)2月… 片桐 勝昌(かたぎり かつまさ、1907年(明治40年)2月2日 - 1973年(昭和48年)8月31日)は、日本の政治家、税理士、計理士。 現在の長野県伊那市出身。日本大学卒。豊島区会議員、東京市会議員、東京都議会議員、日本合同ゴム社長、片桐興産株式会社代表取締役などを歴任した。 戦後の1946年(昭和21年)の第22回衆議院議員総選挙に東京1区(当時)から立候補したが落選した。翌1947年(昭和22年)の第23回衆議院議員総選挙に東京5区(当時)から民主党公認で立候補したが落選した。1952年(昭和27年)の第25回衆議院議員総選挙では日本再建連盟から立候補したが落選した。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
中野 四郎(なかの しろう、1907年(明治40年)1月25… 中野 四郎(なかの しろう、1907年(明治40年)1月25日 - 1985年(昭和60年)10月21日)は、日本の政治家。位階は正三位勲一等、勲章は旭日大綬章。衆議院議員(通算13期)、国土庁長官、碧南市長などを歴任した。 愛知県碧海郡新川町(現・碧南市)に中野久吉、さだ夫妻の四男として生まれる。生家はどじょう屋。小学校卒業後農機具店に奉公に出るが、13歳の時単身上京し、新聞配達などをしながら私立豊山中学校(現・日本大学豊山中学校・高等学校)で学ぶ。1923年9月に同校を中退。 愛知県出身のジャーナリストで衆議院議員でもあった鈴木正吾の紹介で、大正デモクラシー期を代表する論客の一人であった茅原華山の門下生となる。
渡辺 惣蔵(惣藏、わたなべ そうぞう、1907年(明治40年… 渡辺 惣蔵(惣藏、わたなべ そうぞう、1907年(明治40年)1月15日 - 1985年(昭和60年)1月25日)は、日本の社会運動家、政治家。衆議院議員。 北海道札幌郡札幌村大字苗穂村(現:札幌市東区苗穂町)で生まれる。小学校卒業後、農業をしながら通信教育で学び、1929年、日本大学専門部政治科を卒業。 日大在学中から無産政党運動に加わる。1932年、武蔵野館争議など多くの映画争議を指導した。全国大衆党中央委員、労農大衆党中央委員、社会大衆党中央委員、同中央青年隊長、全国労働組合同盟中央委員・出版部長、全国映画劇場従業員組合書記長、豊島区会議員などを歴任。1938年、人民戦線事件で検挙され一年半にわたり拘留された。
荒木 精之(あらきせいし、1907年1月7日 - 1981年… 荒木 精之(あらきせいし、1907年1月7日 - 1981年12月30日)は、小説家、思想家、文化運動家、地方雑誌「日本談義」を発行、熊本地方の文化に貢献した。 阿蘇郡長陽小学校校長荒木民次郎の長男として生まれる。母富香も同じ小学校に勤務していた。5歳時、母はなくなり父は後妻を娶る。小学校卒業後、熊本市船場町の逓信講習所に入る。郵便局の推薦でないので熊本郵便局の臨時事務員や福岡県大川の郵便局に勤務する。同僚のものが軽微な過失で懲戒免職になったので、憤慨して辞表を提出した。「懲戒免職」は彼の最初の小説である。父は現菊池市で隈府女子技芸学校を設立したので加勢をした。父の死後は義母荒木スヱヲが続けた。
柿坪 正義 (かきつぼ まさよし、1907年 - 1997年… 柿坪 正義 (かきつぼ まさよし、1907年 - 1997年)は、日本の外交官。外務省情報文化局長や、国連大使、駐アラブ連合共和国大使、駐スイス大使、国連アジア経済開発研修所長等を歴任した。正三位勲一等瑞宝章。 兵庫県加古川市出身。通産省官僚で日米繊維交渉時などで日東紡績会長を務めた柿坪精吾は弟。姫路市立姫路商業学校(現兵庫県立姫路商業高等学校)在学中、同級生の黒田俊夫(のちに日本大学人口問題研究所名誉所長)とともに東京商科大学(現一橋大学)進学を目指し、同大に進学。大学在学中文官高等試験に合格し、1932年に中退し外務省に入省した。 ケンブリッジ大学留学や、大東亜省南方事務局事務官、自由インド仮政府一等書記官等を経て、第二次世界大戦後は外務省情報文化局長、国連政府代表部大使、駐パキスタン特命全権大使、駐アラブ連合共和国特命全権大使、駐スイス特命全権大使、国連アジア極東経済委員会研修所長、国連アジア経済開発研修所長等を歴任した。
叶沢 清介(かのうざわ せいすけ、1906年12月12日 -… 叶沢 清介(かのうざわ せいすけ、1906年12月12日 - 2000年6月26日)は、福島県出身の図書館員。第3代県立長野図書館長(1949年-1965年)。 1929年(昭和4年)に文部省図書館講習所を卒業し、同年に県立長野図書館の司書となる。乙部泉三郎のもとで開館の準備にあたり、県立長野図書館は同年9月に開館している。1934年(昭和9年)には栃木県教育会図書館の司書となり、1935年(昭和10年)の新館の開館準備にあたったが、新館の開館3か月前に日本赤十字社図書館の主任となっている。1938年(昭和13年)には日本大学高等師範部国語漢文科を卒業している。1942年(昭和17年)には内閣技術院科学資料課参技官となった。
金 省三(キム・ソンサム、朝鮮語: 김성삼、1906年12月… 金 省三(キム・ソンサム、朝鮮語: 김성삼、1906年12月7日または1907年 - 1960年7月30日)は、大韓民国の海軍軍人(海軍少将)、政治家、弁護士。大韓民国海軍創設の功労者で第3代韓国国会議員。キリスト教徒。 咸鏡北道明川郡出身、本籍は慶尚南道昌原郡。間島永信中学校を経て日本大学専門部法科卒、満州国司法要員養成所修了。弁護士試験合格。満州国法院書記官、高等保護審判官を経て、解放後は軍に投身し、軍法務官、海軍参謀長、鎮海特設基地司令官、海軍鎮海統制府司令官、海軍本部行政参謀副長を歴任した。海軍少将として予備役編入後、自由党所属の民議員、第3代国会国防委員会委員を務めた。 1960年7月30日に死去し、1984年6月27日に国立ソウル顕忠院へ改葬された(将軍第1墓域141号)。
滑川 道夫(なめかわ みちお、1906年11月3日 - 19… 滑川 道夫(なめかわ みちお、1906年11月3日 - 1992年12月13日)は、日本の教育者、教育学者。 秋田県湯沢市生まれ。生家は旧士族で父親は道太郎。両親ともに教師。教員準備場から秋田師範学校に進んだ。父の指導を受け自由律俳句に親しみ、俳号は三千夫。万葉研究家境田四郎教諭のもと、文学教育の重要性に目覚め、専攻科を卒業。秋田師範付属小学校の訓導時代の1930年『北方教育』を創刊し、生活綴方運動を展開し「東京綴方の会」に参加。1932年上京し成蹊学園訓導となり、日本大学卒業。また教育科学研究会言語教育部会に参加。戦後、1946年児童雑誌『銀河』創刊に参加、1957年成蹊学園教育研究所長、1966年東京成徳短期大学教授、東京教育大学教授として国語教育、児童文化を研究。
須藤 克三(すとう かつぞう、1906年(明治39年)10月… 須藤 克三(すとう かつぞう、1906年(明治39年)10月30日 - 1982年(昭和57年)10月18日)は、日本の教育者・児童文学者。 教員、編集者を経て山形新聞社論説委員兼文化部長を歴任。また山形県芸術文化会議会長、山形県県民芸術祭運営委員長などを務め、戦後の同県における教育文化活動の主軸を担った。さらに無着成恭を見いだした。 山形県宮内町(現:南陽市)出身。郵便局員でホトトギス派の俳人である流陰と号した父・多蔵と母・ていの三男として生まれる。幼いころから読書家として過ごす。1923年(大正12年)に山形県師範学校に入学すると文芸部委員になり、校友会雑誌『真琴』で短歌や文章を発表した。卒業後、宮内小学校訓導に就くが自身の力量不足を実感し、より一層学問を修めようと決意。
田中千代(たなか ちよ 1906年8月9日 - 1999年6… 田中千代(たなか ちよ 1906年8月9日 - 1999年6月28日)は、教育者、服飾デザイナー。昭和初期に渡欧し欧米の文化・服飾を学び、日本に近代洋裁教育、服飾デザインの礎を作った。民族衣装の研究・収集家でもあった。
遠山 景光(とおやま かげみつ、1906年〈明治39年〉7月… 遠山 景光(とおやま かげみつ、1906年〈明治39年〉7月16日 - 1980年〈昭和55年〉12月20日 )は、日本の政治家。東京都議会議員、東京都千代田区長などを務めた。千代田区名誉区民。位階は正五位。勲三等瑞宝章。 弟にアールエフラジオ日本会長を務めた遠山景久がいる。 父親は京浜実業家名鑑 寄与者:遠山景澄。 神田神保町出身。1924年に神田三崎町の旧制日本大学中学校(現在の日本大学第一中学校・高等学校)卒業。1936年中央大学専門部商科卒業。その翌年に東京市神田区議会議員に当選。2期務め、区議会副議長にも就く。1947年に東京都議会議員・千代田区議会議員に当選。 1960年5月20日、第4代官選千代田区長に就任。
今泉 貞雄(いまいずみ さだお、1906年(明治39年)7月… 今泉 貞雄(いまいずみ さだお、1906年(明治39年)7月4日 - 1995年(平成7年)1月28日)は、日本の技術者、実業家、政治家。衆議院議員(1期)。 福島県安積郡桑野村(現郡山市)で、農家の7人兄弟の末子として生まれた。小学校卒業後、進学を希望していたが家庭の経済状況が許さず、上京して丁稚奉公を行う。奉公先の好意で夜間学校に通学し、種々の職業を経ながら1929年(昭和4年)日本大学専門部工科機械科を卒業した。 三共に入社しオートバイ部門で勤務。その後、中島飛行機荻窪工場社員、新田 (株) 昭和内燃機製作所工場長を歴任。中野友禮の資金援助を受けて1938年(昭和13年)今泉精機を東京葛飾に設立し、白河分工場も設けたが終戦に伴い閉鎖して帰郷した。
鈴木 平三郎(すずき へいざぶろう、1906年(明治39年)… 鈴木 平三郎(すずき へいざぶろう、1906年(明治39年)5月26日 - 1984年(昭和59年)2月2日)は、日本の政治家、医師。東京都三鷹市長(5期)。名誉三鷹市民。 東京府北多摩郡三鷹村(三鷹町を経て、現三鷹市)出身。1930年日本大学医学部を卒業。三鷹市で産婦人科医院を開業する。戦時中は軍医として中国大陸に派遣された。戦後は社会党に入党。1937年三鷹村議、1940年三鷹町議、1948年三鷹町公安委員長を経て1955年三鷹市長に就任する。市長在任中は下水道事業に取り組み、1973年に普及率100%を達成させた。市職員を百貨店で研修させたり、庁舎内を禁煙化させるなど独創的な政策を打ち出した。
瀬戸口 寅雄(せとぐち とらお、1906年5月23日 - 1… 瀬戸口 寅雄(せとぐち とらお、1906年5月23日 - 1987年3月24日)は、日本の作家。 鹿児島県生まれ。ペンネーム・瀬木俊郎。日本大学法科卒。東京毎日新聞で警視庁記者、司法記者をへて、吉本興業文芸部長兼秘書課長。サトウ・ハチローに講談社の編集者野間律太を紹介され、探偵実話、裁判実話を執筆。 第二次世界大戦中は、自ら演劇人を引き連れ戦地を訪れ、出征将兵慰問活動を行っていた。 戦後から時代小説を書く。映画「東海遊侠伝」のほか、美空ひばり主演映画の原作を多く書いた。 肺炎のため新葛飾病院(東京都葛飾区)で死去した。
前田 義雄(まえだ よしお、1906年(明治39年)4月8日… 前田 義雄(まえだ よしお、1906年(明治39年)4月8日 - 1996年(平成8年)11月30日)は、昭和期の政治家。衆議院議員、岐阜県議会議員。 岐阜県大野郡清見村大字大原(現高山市清見町大原)で生まれる。1928年(昭和3年)日本大学法文学部法科を卒業した。 特定郵便局飛騨大原郵便局長、岐阜県議会議員、同副議長、岐阜県労働委員会委員、岐阜県山林協会理事、高山建設業協会長などを務めた。 1960年(昭和35年)11月の第29回衆議院議員総選挙で岐阜県第2区で自由民主党公認で出馬して当選し、衆議院議員に1期在任した。この間、自民党全国組織委員会社会保障部長、同岐阜県支部連合会幹事長などを務めた。
具 本雄(ク・ボヌン、朝鮮語: 구본웅、1906年3月7日 … 具 本雄(ク・ボヌン、朝鮮語: 구본웅、1906年3月7日 - 1952年2月2日)は、日本統治時代の朝鮮及び大韓民国の画家、彫刻家、美術評論家。 本貫は綾城具氏。号は西山(ソサン、서산)。 漢城府生まれ。幼少の頃使用人の不手際により脊椎を傷め、肢体障害者となった。儆新高等普通学校(現・儆新高等学校)在学中高羲東より洋画を学び、その後金復鎮により彫刻を学んだ。朝鮮美術展覧会で彫刻部門に『顔習作』が特選で入賞した。その後日本に留学し、川端画学校、日本大学、太平洋美術学校(現・太平洋画会研究所)で学び、太平洋美術学校在学中2度個展を開いた。1933年に帰国し、1934年に牧日会を創設し、1938年に総合文芸誌『青色誌』を創刊し李箱、李陸史などの作品を掲載した。
牛島 義友(うしじま よしとも、1906年 <明治39年> … 牛島 義友(うしじま よしとも、1906年 <明治39年> 1月19日- 1999年 <平成11年> 8月20日)は、日本の教育心理学者。学位は、文学博士(日本大学・論文博士・1953年)(学位論文「精神発達の規準に関する研究」)。九州大学名誉教授。位階は正四位。 長崎県長崎市生まれ。1923年福岡県立中学修猷館、1925年旧制福岡高等学校文科乙類を経て、1928年東京帝国大学文学部心理学科を卒業。 卒業後、東京帝国大学文学部副手となり、立教大学助手も兼務。1929年立教大学文学部教授、1945年10月東京女子高等師範学校教授、1949年6月校名変更でお茶の水女子大学教授、1949年愛育幼稚園園長、1950年九州大学教育学部教授を兼務、恩賜財団母子愛育会愛育研究所教養部長、1953年「精神発達の規準に関する研究」で日本大学より文学博士の学位を取得。
森長 英三郎(もりなが えいざぶろう、1906年1月10日 … 森長 英三郎(もりなが えいざぶろう、1906年1月10日 - 1983年6月1日)は、日本の弁護士。徳島県出身。 小学校を首席で卒業し、県立農学校(後の徳島県立城西高等学校)に学ぶ。作家を志して明治学院に進むが除籍となり、山谷や浅草で放浪生活を送り帰郷。再上京後、1932年に日本大学を卒業。1936年、弁護士登録。治安維持法違反事件を担当、戦後は自由法曹団に参加、労働事件を担当。三島由紀夫「宴のあと」訴訟でプライバシー権を提起、大逆事件の再審請求も担当。
木下 重範(きのした しげのり、1906年(明治39年)1月… 木下 重範(きのした しげのり、1906年(明治39年)1月3日 - 1977年(昭和52年)8月13日)は、昭和期の弁護士、政治家。衆議院議員(1期)。位階は従五位。勲四等瑞宝章。 大分県西国東郡岬村(のち香々地町、現豊後高田市)で生まれる。1926年(大正15年)日本大学専門部法律科を卒業した。 弁護士を開業し、日本弁護士連合会理事、同代議員、福岡県弁護士会小倉部会長、小倉市信用組合監事などを務め、日本水産、朝日新聞西部本社、三菱化成工業などその他多くの企業の顧問弁護士を務めた。 1952年(昭和27年)10月、第25回衆議院議員総選挙で福岡県第4区から無所属で出馬して当選し、同友会に所属し衆議院議員に1期在任した。
北原 泰作(きたはら たいさく、1906年(明治39年)1月… 北原 泰作(きたはら たいさく、1906年(明治39年)1月1日 - 1981年(昭和56年)1月3日)は、日本の部落解放運動家。戦前から部落解放運動を行っており、戦後の部落解放同盟結成時幹部であったが、戦後は全国水平社出身のメンバーらと共に部落解放同盟と対立した。 岐阜県稲葉郡黒野村大字黒野(現・岐阜市)の被差別部落の小作農の貧困家庭に生まれる。父は作蔵。母は琴。高等小学校卒業。 1925年、全水解放連盟に参加。1927年1月、大日本帝国陸軍二等卒として岐阜歩兵第68連隊に入営。同年11月19日、閲兵式にて軍隊内部の部落差別の存在と待遇の改善を昭和天皇に直訴し、逮捕される(天皇直訴事件)。請願令違反で11か月間、大阪衛戍刑務所で服役した後に陸軍教化隊へ編入。
大隈 三好(おおくま みよし、1906年 - 1992年10… 大隈 三好(おおくま みよし、1906年 - 1992年10月3日)は、日本の作家、歴史家。筆名・妻屋大助。 佐賀県生まれ。佐賀師範学校卒業、日本大学中退。1935年硫黄島小学校の教員、三宅島など離島教員、映画会社勤務。 サンデー毎日・大衆文芸賞受賞、1959年、妻屋大助名義の「焼残反故」で小説新潮賞受賞。
波多野 勤子(はたの いそこ、1905年12月26日 - 1… 波多野 勤子(はたの いそこ、1905年12月26日 - 1978年9月15日)は、日本の心理学者。東京出身。父は畠山健。 1927年(昭和2年)日本女子大学英文学部を卒業、女子経済専門学校の英語教師となる。 1928年(昭和3年)日本女子大学児童研究所の開設で所員になる。1930年(昭和5年)波多野完治と結婚。 1936年(昭和11年)東京文理科大学心理学科選科を卒業。 1937年(昭和12年)日本女子大学児童研究所を辞して東京文理科大学教育相談員兼心理学科副手となる。1948年(昭和23年)日本大学の大学院に入学する一方、恩賜財団愛育会愛育研究所教育部員となる(1957年まで)。 1950年(昭和25年)に出版した『少年期―母と子の四年間の記録』がベストセラーとなり、脚光を浴びる。