細田 綱吉(ほそだ つなきち / つなよし、1900年(明治… 細田 綱吉(ほそだ つなきち / つなよし、1900年(明治33年)7月20日 - 1959年(昭和34年)4月5日)は、昭和期の弁護士、政治家。衆議院議員。 長野県西筑摩郡大桑村(現木曽郡大桑村)出身。1925年(大正14年)日本大学専門部法律科を卒業した。 1927年(昭和2年)弁護士を開業。農民運動、労働運動にかかわった。1927年、日本労農党中央執行委員に就任し、その後、全国大衆党、全国労農大衆党、社会大衆党の各執行委員を務めた。1930年(昭和5年)日本大衆党埼玉県支部連合会の委員長に選出され、同時に党名が全国大衆党に変更され初代県連委員長となる。また、全日本農民組合(全日農)茨城県連委員長、全国農民組合(全農)茨城県連委員長も務めた。
徐 淳永(ソ・スニョン、朝鮮語: 서순영、1900年6月17… 徐 淳永(ソ・スニョン、朝鮮語: 서순영、1900年6月17日 - 1983年5月9日)は、大韓民国の法曹、政治家。制憲韓国国会議員。 号は然斎。法曹の徐柱演(朝鮮語版)は甥、韓大鉉(朝鮮語版)(韓聖寿(朝鮮語版)の息子)は娘婿。 慶尚南道晋州郡(現・晋州市)または巨済島出身。巨済普通学校、東亜商業高等学校を経て、36歳の時に日本大学専門部法科本科を卒業した。40歳の時に朝鮮弁護士試験および高等文官試験司法科に合格し、その後京城弁護士試補試験にも合格した。1941年より大邱地方法院(朝鮮語版)所属の弁護士、大邱控訴院判事、釜山地方法院晋州支院上席判事などを務めた。地元の要請により1948年の初代総選挙で統営乙選挙区(現在の巨済市にあたる)より無所属で出馬して当選し、国会法制司法委員、反民族行為特別調査委員会特別裁判部第3部裁判長を務めた。
佐々木 更三(ささき こうぞう、1900年〈明治33年〉5月… 佐々木 更三(ささき こうぞう、1900年〈明治33年〉5月25日 - 1985年〈昭和60年〉12月24日)は、日本の政治家。元衆議院議員、第5代日本社会党委員長。 宮城県本吉郡(現在の登米市津山町柳津石貝)に農民の子として生まれる。両親が家出をしているときに出来た子どもだったため、11歳になるまで戸籍に登載されず、小学校教育も十分に受けることは出来なかった。若いころは炭焼きなど、故郷で重労働に従事した。1924年(大正13年)、一念発起して、仙台市に出て、製糸工場の臨時人夫をして金をため、東京に出る。その後、苦学しながら日本大学専門部政治科を卒業した。 1928年(昭和3年)、勤務先の自転車会社でストライキを指導して解雇される。
原田 與作(原田 与作、はらだ よさく、1900年(明治33… 原田 與作(原田 与作、はらだ よさく、1900年(明治33年)4月10日 - 1979年(昭和54年)2月2日)は、日本の政治家。第6代札幌市長(在任1959年~1971年。3期。公選市長としては2代目。)。栃木県生まれ。 1902年、3歳で栃木県から一家で北海道名寄市に入植し厳しい開墾生活の中で村の学校で尊敬を受ける教師の存在に感銘を受け教師を志す。 1915年(大正4年)に札幌師範学校(現北海道教育大学札幌校)に学費免除で入学するも、洗練された校風や要領の悪さで馴染めず学費の請求を避けるべく不良な生活態度をとって2年で退学。 1917年(大正6年)に上京し新聞配達や内閣統計局でのアルバイトに励みつつ4年後に日本大学法学部夜間部に合格し、1922年(大正11年)に東京市職員講習所にトップの成績で合格し半年後に東京市職員となる。
北川 定務(きたがわ さだむ、1900年(明治33年)3月3… 北川 定務(きたがわ さだむ、1900年(明治33年)3月31日 - 1963年(昭和38年)2月22日)は、昭和期の弁護士、検察官、政治家。衆議院議員。 佐賀県小城郡芦刈村(芦刈町を経て現小城市)で生れる。1926年(大正15年)3月、日本大学法文学部法律学科(英法)を卒業した。1927年(昭和2年)12月、高等試験司法科試験に合格し、1928年(昭和3年)4月、司法官試補に任官。 1929年(昭和4年)11月、予備検事となる。1930年(昭和5年)11月、台北地方法院検察官に任じられ、以後、高雄支部検察官、台北地方法院検察官を歴任し、1945年(昭和20年)台湾高等法院検察官に就任し終戦を迎えた。
兼島 信栄(かねしま しんえい、1900年 - 没年不明)は… 兼島 信栄(かねしま しんえい、1900年 - 没年不明)は、日本の政治家、空手家、弁護士、画家。沖縄県那覇市首里寒川町出身。 東京都北区に疎開し、警察官として勤務した。 日本大学法学部を卒業して弁護士となる。 1947年9月10日、美里村で琉球社会党を結成し、10月20日には兼島信栄の第一次沖縄社会党に合併。沖縄社会党は沖縄民主同盟や沖縄人民党とともに知事・議会議員の公選を訴え、アメリカ合衆国による沖縄統治の下での琉球独立を模索した。 山城善光によれば、1949年5月1日以後、社会党・民主同盟・人民党の3党からなる「民族戦線演舌会」が開催されると、那覇市を皮切りに、糸満、石川、名護、本部、今帰仁、大宜味で盛況を収めたという。
金 声浩(キム・ソンホ、朝鮮語: 김성호/金聲浩、1899年… 金 声浩(キム・ソンホ、朝鮮語: 김성호/金聲浩、1899年9月5日または1900年 - 没年不詳)は、日本統治時代の朝鮮および大韓民国の検察官、裁判官、弁護士、実業家、政治家。初代全羅南道議会(朝鮮語版)議員、第3代韓国国会議員を歴任した。 全羅南道康津郡出身。日本大学専門部法科卒。朝鮮弁護士試験・高試司法科合格。光州地方法院木浦支庁上席検事・首席判事、光州地検木浦支庁長、東光学校校長、大韓国民党木浦市党委員長、初代全羅南道議会議員、韓国金属工業会長、国民会木浦支部支部長、自由党全羅南道党副委員長、朝鮮建国青年会全南委員長、木浦体育会会長、第3代国会金融界不正事件および農林部疑惑事件国政監査特別委員会委員長を務めた。
高橋 禎一(たかはし ていいち、1899年(明治32年)7月… 高橋 禎一(たかはし ていいち、1899年(明治32年)7月27日 - 1987年(昭和62年)5月27日)は、昭和期の検察官、弁護士、政治家。衆議院議員。 広島県芦品郡、のちの福山市芦田町で生まれる。栄治の長男。1925年(大正14年)、日本大学専門部法律科を卒業した。 司法省に入省し、大阪地方裁判所などの検事、水戸地方裁判所次席検事、水戸保護観察所長、東京控訴院(現東京高等裁判所)検事などを歴任。退官後に弁護士を開業した。 1948年(昭和23年)4月の第23回衆議院議員総選挙・広島県第3区補欠選挙に民主党公認で立候補して初当選。1949年(昭和24年)1月の第24回総選挙では落選。 1952年(昭和27年)10月の第25回総選挙で再選され、以後、第28回総選挙まで当選した。
三宅 則義(みやけ のりよし、1899年6月19日 - 19… 三宅 則義(みやけ のりよし、1899年6月19日 - 1979年9月3日)は、日本の税理士、政治家。衆議院議員(1期)。 愛知県出身。1923年日本大学商学部卒。計理士、税理士、司法書士の業務に就く。全日本計理士協会理事、日大学士会理事長、東京都立第五実業学校高等科講師、日大講師、日本監査協会理事長、東京税理士会副会長、日本税理士会常務理事、全国計理士会議長を務める。 1943年の東京都発足直後の東京都会議員選挙に立候補したが、落選した。1946年の第22回衆議院議員総選挙で愛知2区(大選挙区)から日本自由党公認で立候補するが次点で落選。翌1947年の第23回衆議院議員総選挙において愛知4区から日本自由党公認で立候補するも落選。
三浦 寅之助(みうら とらのすけ、1899年(明治32年)6… 三浦 寅之助(みうら とらのすけ、1899年(明治32年)6月18日 - 1973年(昭和48年)7月5日)は、大正・昭和期の弁護士、政治家。衆議院議員。 宮城県加美郡宮崎村(宮崎町を経て現加美町)の農業・三浦寅治、やす夫妻の二男として生まれる。1914年(大正3年)村立実業補習学校を卒業。1918年(大正7年)9月に上京し、小川平吉の支援で日本大学専門部法律科に入学し、1921年(大正10年)に卒業した。 1921年、横浜区検事局に入り、1923年(大正12年)弁護士試験に合格し、同年4月、横浜市浦島ヶ丘に弁護士事務所を開業した。 横浜市会議員、同副議長を務め、1936年(昭和11年)から1946年(昭和21年)まで神奈川県会議員に在任した。
安藤 覚(安藤 覺、あんどう かく、1899年(明治32年)… 安藤 覚(安藤 覺、あんどう かく、1899年(明治32年)6月16日 - 1967年(昭和42年)11月27日)は、昭和期の僧侶、政治家。衆議院議員(5期)。僧名は覚堂。 神奈川県愛甲郡小鮎村(現厚木市)に生まれる。1925年、日本大学専門部宗教科卒業。神奈川県愛甲郡依知村(後厚木市に編入)の曹洞宗安竜寺、同広徳寺の住職を務める。 萬朝報や読売新聞の記者を務め、後に読売新聞社政治部長・編集局次長、日本大学新聞研究室講師、神奈川民声新聞社社長、神奈川中央交通、小田急運送各取締役、神奈川県仏教連盟、同青年連盟各理事となる。 1942年の第21回衆議院議員総選挙では翼賛政治体制協議会推薦で神奈川県3区から立候補して初当選するが、戦後公職追放処分となる。
金 長烈(キム・ジャンヨル、朝鮮語: 김장열、1899年5月… 金 長烈(キム・ジャンヨル、朝鮮語: 김장열、1899年5月24日 - 1974年4月3日)は、日本統治時代の朝鮮の独立運動家、ジャーナリスト、大韓民国の警察公務員、政治家。制憲韓国国会議員。 全羅南道莞島郡出身。普成中学校中退(4学年在学中に三・一運動への関与により退学)。日本大学専門部政治学科卒。朝鮮独立運動により投獄されたほか、農業に従事し、莞島郡で蘆花学校、金日学校、瑞星学校を設立し、教育者としても活動した。他は莞島漁業組合理事、東亜日報・朝鮮日報支局長、朝鮮建国準備委員会莞島郡委員長、全羅南道警察庁総務課長、羅州警察署長、第8管区警察庁公報官、制憲国会外務・国防委員、反民特委特別裁判官を務めた。
今村 忠助(いまむら ちゅうすけ、1899年2月12日 - … 今村 忠助(いまむら ちゅうすけ、1899年2月12日 - 1954年12月16日)は、日本の政治家。衆議院議員(4期)。自由党吉田派。
平岡 市三(ひらおか いちぞう、1898年(明治31年)12… 平岡 市三(ひらおか いちぞう、1898年(明治31年)12月20日 - 1952年(昭和27年)3月20日)は、昭和期の経済学者、教育者、政治家。参議院議員(2期)、経済学博士。 静岡県富士郡北山村(現・富士宮市)出身。1923年(大正12年)日本大学商学部法律学科を卒業した。アメリカに留学し、ワシントン大学、アリゾナ大学で学んだ。 米国カリフォルニア州カダループ日本人会書記長兼日本語学校長、日本大学専門部教授、同経済学部教授、同大監事、日本女子経済専門学校(現嘉悦大学)校長、日本女子経済短期大学(のち嘉悦大学短期大学部)学長、静岡県田子浦高等学校(現静岡県立吉原工業高等学校)校長、嘉悦学園理事長、平岡政治経済研究所長、公認会計士試験委員などを務めた。
小沢 佐重喜(旧字体: 小澤佐重喜、おざわ さえき、1898… 小沢 佐重喜(旧字体: 小澤佐重喜、おざわ さえき、1898年〈明治31年〉11月25日 - 1968年〈昭和43年〉5月8日)は、日本の政治家、弁護士。衆議院議員(10期)。栄典は正三位勲一等。 吉田茂の側近の一人。新進党、民主党代表などを歴任した小沢一郎の父。 『朝日人物事典』によると、 岩手県生まれ。馬車引きなどをしながら1923年に日本大学法学部法律学科を卒業。弁護士となり、三木武吉に師事して1929年から東京市議、府議を5期務める。1946年の戦後初の総選挙で岩手県から衆議院議員に当選(自由党)。選挙法改正の論功行賞で1948年に第2次吉田内閣の運輸大臣に抜擢され、以後も、郵政・電気通信大臣、行政管理庁長官、自由民主党国会対策委員長を歴任。
大滝 亀代司(大瀧、おおたき きよし、1898年(明治31年… 大滝 亀代司(大瀧、おおたき きよし、1898年(明治31年)10月25日 - 1977年(昭和52年)8月31日)は、大正から昭和期の弁護士、政治家。衆議院議員(1期)、白鷹町名誉町民。 山形県西置賜郡蚕桑村大字山口(現白鷹町大字山口)で大滝利久馬の二男として生まれる。苦学して日本大学法学部を卒業。1923年(大正12年)弁護士試験に合格した。 東京で弁護士を開業。全日本弁護士会理事、第一東京弁護士会常議員となる。また、大興社取締役社長を務めた。 1946年(昭和21年)4月の第22回衆議院議員総選挙に山形県全県区から日本自由党公認で出馬して次点で落選。1947年(昭和22年)4月の第23回総選挙に山形県第1区から出馬して当選し、衆議院議員に1期在任した。
池田 正之輔(いけだ まさのすけ、1898年1月28日 - … 池田 正之輔(いけだ まさのすけ、1898年1月28日 - 1986年3月27日)は、日本の政治家、衆議院議員(10期)、科学技術庁長官(第9代)、社団法人内外事情研究所理事長。 山形県飽海郡観音寺村芹田(現酒田市観音寺)出身。1922年日本大学新聞創刊。1926年日本大学政治学科を卒業後、読売新聞記者となる。論説委員を経て三木武吉の知遇を得て報知新聞に入社。常務などを歴任後、同盟通信社理事となる。 1942年の翼賛選挙に非推薦候補として初当選。戦争末期には護国同志会に参加。思想検事の大御所である塩野季彦の司法大臣時代には秘書官も務めた。 戦後、護国同志会のメンバーとともに日本協同党の結成に参加。
加藤 瀧二(滝二、かとう たきじ、1898年〈明治31年〉1… 加藤 瀧二(滝二、かとう たきじ、1898年〈明治31年〉1月1日 - 1984年〈昭和59年〉3月22日)は、昭和時代の政治家。官吏。埼玉県川越市長。 加藤甚左エ門の長男として、福井県大野郡下庄村(下庄町を経て、現大野市)に生まれる。1926年(大正15年)日本大学法文学部政治学科を卒業し、同年高等試験(行政科)に合格する。1927年(昭和2年)官界に入り、資源局企画課、拓務省文書課勤務、資源局統計官、総務企画部、資源局企画院総務部属を経て、1940年(昭和15年)8月に和歌山県経済部長となり、群馬県経済部長、富山県内務部長を歴任した。1947年(昭和22年)富山県知事選挙に立候補するも落選し、官界を退き川越へ移住する。
金 鍾善(キム・ジョンソン、朝鮮語: 김종선、1898年また… 金 鍾善(キム・ジョンソン、朝鮮語: 김종선、1898年または1900年10月12日 - 1950年)は、日本統治時代の朝鮮および大韓民国の教育者、実業家、政治家。制憲韓国国会議員。 漢字表記は金鍾先とも。日本名は金田 国本(かねだ くにもと)。 現在のソウル特別市鐘路区または全羅南道求礼郡出身。求礼公立普通学校、東京正則英語学校中等科、日本大学政経科卒。1926年に新設の朝鮮殖産信託会社副社長となり、1930年代には現金80万ウォン以上を持つ資産家かつ全羅道の大地主であり、咸鏡南道の安辺郡に鉱山も所有していた。教育にも積極的に関与し、1927年から京城の往十里に旺新青年会で経営する旺新学院を支援し、1929年に私立旺新学院の院長を務め、大金を寄付して校舎を新築した。
崔 昌燮(チェ・チャンソプ、朝鮮語: 최창섭、1898年また… 崔 昌燮(チェ・チャンソプ、朝鮮語: 최창섭、1898年または1899年4月29日 - 1979年11月30日)は、日本統治時代の朝鮮および大韓民国のジャーナリスト、政治家。制憲・第3・4代韓国国会議員。 慶尚南道陜川郡出身。釜山商業(高等)学校、日本大学社会学科卒。東亜日報・朝鮮日報で記者を8年間務めた後、治安維持会慶尚南道総本部治安部長、独促国民会陜川郡支部宣伝部長、自由党陜川郡党委員長・中央委員、第3代国会大邱毎日新聞テロ事件真相調査委員会委員長を務めた。 しかし、第4代国会議員のとき、隣の陜川郡甲選挙区選出の同じ自由党の兪鳳淳議員が滄浪号ハイジャック事件当時に拉北されて、その後また韓国に帰還したスパイだと誣告したため、2年の有期刑を言い渡されて投獄された。
飯塚 定輔(いいづか さだすけ、1897年(明治30年)10… 飯塚 定輔(いいづか さだすけ、1897年(明治30年)10月14日 - 1970年(昭和45年)11月5日)は、昭和期の実業家、政治家。衆議院議員(5期)。 秋田県雄勝郡、のちの羽後町出身。1927年(昭和2年)日本大学法文学部法律学科を卒業した。 協調会嘱託、国務大臣秘書官、立憲民政党政務調査会専門調査員、末広汽船社長、菊谷工業取締役会長などを務めた。1945年(昭和20年)2月14日、従六位に叙される。 1947年(昭和22年)4月の第23回衆議院議員総選挙で旧秋田県第2区から民主党公認で立候補して次点で落選。1949年(昭和24年)1月の第24回総選挙に民主自由党公認で立候補して初当選。
外崎 千代吉(とのさき / とのざき ちよきち、1897年7… 外崎 千代吉(とのさき / とのざき ちよきち、1897年7月20日 - 1974年5月14日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。五所川原市長。 青森県北津軽郡五所川原村出身。日本大学政治経済学部に入るが、中退する。北海道に渡り、函館の床屋で修業し、理髪店を開業する。五所川原町議、青森県議、脇元村村長を経て、1942年の第21回衆議院議員総選挙(いわゆる「翼賛選挙」)で青森2区(当時)から無所属(翼協非推薦)で立候補したが、3,000票余りで落選した。戦後の1946年の第22回衆議院議員総選挙でも無所属で立候補したが落選。翌1947年の第23回衆議院議員総選挙において青森2区から諸派の社会革新党で立候補して当選した。
金 七星(キム・チルソン、朝鮮語: 김칠성、1897年6月2… 金 七星(キム・チルソン、朝鮮語: 김칠성、1897年6月22日または6月24日 - 1984年5月21日)は、日本統治時代の朝鮮の独立運動家、大韓民国の実業家、政治家。第2代韓国国会議員。本貫は清道金氏(朝鮮語版)。 慶尚南道釜山(現・釜山広域市)出身。日本大学経済学部卒。1950年の第2代総選挙に釜山市丙選挙区から無所属で立候補して当選し、国会議員を1期務めた。そのほか、経済研究所長、ハンソン株式会社経営者、米軍政期の慶尚南道顧問などを務め、大韓独立促成全国労働総同盟にも関係があった。1950年9月19日正午ごろ、ソウルにいた際に北朝鮮に拉致された。1956年7月から在北平和統一促進協議会の常務委員を務め、その後の詳細は不明だが、87歳で死去したとされる。
加藤 宗平(かとう そうへい、1897年5月2日 - 195… 加藤 宗平(かとう そうへい、1897年5月2日 - 1957年12月15日)は、日本の政治家。衆議院議員(4期)。福島県梁川町長。 福島県伊達郡梁川町(現在の伊達市)出身。1920年日本大学専門部政治科卒。横浜市主事、梁川町長、福島県会議員などを歴任する。1942年の翼賛選挙では福島1区(当時)から非推薦で立候補して初当選した。続く1946年の第22回衆議院議員総選挙では日本自由党公認で立候補し再選したが、公職追放となった。追放解除後の1952年の第25回衆議院議員総選挙では自由党公認で立候補して当選、第5次吉田内閣で通産政務次官に就任した。1955年の第27回衆議院議員総選挙で落選。1957年12月15日死去、60歳。
原 侑(はら すすむ、1897年4月10日 - 1960年1… 原 侑(はら すすむ、1897年4月10日 - 1960年1月31日)は、日本の政治家。衆議院議員(2期)。 広島県出身。1923年日本大学高等師範部(現・文理学部)卒業。日大第二中学校長、京浜学園園長、日本汽船漁業(株)常任監査役、山路壁紙(株)監査役、(資)義合祥顧問、協同土木(株)総監督、国際科学食糧研究所専務理事となる。 1946年の第22回衆議院議員総選挙で広島県から日本自由党公認で立候補して初当選。翌1947年の第23回衆議院議員総選挙において広島3区で立候補して再選。この間自由党政調会同胞援護部長、政調会労働委員長、総務を務めた。1948年に議員辞職した。その後、1949年の第24回衆議院議員総選挙と1952年の第25回衆議院議員総選挙に続けて立候補したが、落選した。
浅原 健三(あさはら けんぞう、1897年〈明治30年〉2月… 浅原 健三(あさはら けんぞう、1897年〈明治30年〉2月28日 - 1967年〈昭和42年〉7月19日)は、大正・昭和時代の日本の労働運動家、政治家。 福岡県嘉穂郡穂波村(穂波町を経て現飯塚市)の小さな炭鉱主の家に生まれる。父の経営失敗により、炭鉱倒産後は渡り鉱夫となりクズ石炭・クズ鉄拾いなどをして生活を送った。 1919年、川瀬徳太郎らと日本労友会を設立し、翌1920年、八幡製鉄所の大労働争議を指導。争議自体は成功に終わったが、浅原自身は治安警察法違反で逮捕された。出獄後上京し、新聞の印刷工をしながら日本大学専門部法科の夜学に通い学んだ。無政府主義者の大杉栄としばしば会ってその弟子和田久太郎の影響も受けた。
金 雨東(キム・ウドン、朝鮮語: 김우동、1897年2月22… 金 雨東(キム・ウドン、朝鮮語: 김우동、1897年2月22日または2月23日 - 1966年11月29日)は、日本統治時代の朝鮮の銀行員、大韓民国の実業家、教育者、政治家。慶尚北道議会議員、第3・4代韓国国会議員。 慶尚北道善山郡(現・亀尾市)出身。大邱協成商高、日本大学法科卒。大邱銀行(朝鮮語版)銀行員、慶尚北道議会議員、善山中学校・高等学校理事長、善山中高等学校財団理事長、慶北糧榖市場重役、国会財経委員を務めた。 1966年11月29日、前日の夜にソウル市太平路で発生した交通事故により治療中に死去。69歳没。 典型的な慶尚道気質に剛直な性格を持つ。理論家というよりも実践力の強い人物であった。
青木 孝義(靑木孝義、あおき たかよし、1897年1月19日… 青木 孝義(靑木孝義、あおき たかよし、1897年1月19日 - 1962年1月14日)は、日本の経済学者、政治家。位階は正三位、勲等は勲二等。日本大学教授、衆議院議員(3期)、国務大臣、経済安定本部総務長官(第7代)。経済学博士。 愛知県南設楽郡平井村(現在の新城市)出身。1920年3月、日本大学専門部政治科を卒業。さらに1921年に同大高等専攻科を卒業。その後、日大から派遣されドイツに留学し、ベルリン大学、ハイデルベルク大学、ゲッティンゲン大学で、金融などを学び経済学博士の学位を取得。帰国後、日本大学の教授、経済学部長、理事を歴任。 戦後、1946年4月の第22回衆議院議員総選挙で愛知県第2区に日本自由党から立候補し初当選。
田中 幾三郎(たなか いくさぶろう、1896年(明治29年)… 田中 幾三郎(たなか いくさぶろう、1896年(明治29年)12月10日 - 1967年(昭和42年)11月2日)は、大正から昭和期の弁護士、政治家。衆議院議員。 三重県北牟婁郡尾鷲町矢ノ浜町(現尾鷲市)で生まれる。代用教員などを務め、苦学して1920年(大正9年)日本大学専門部法律科を卒業。高等試験司法科試験に合格し弁護士を開業した。内閣拓殖局嘱託、東京地方裁判所司法委員、民主法曹協会会長などを務めた。 1952年(昭和27年)10月、第25回衆議院議員総選挙に三重県第2区から右派社会党公認で出馬したが落選。1953年(昭和28年)4月の第26回総選挙に出馬して初当選。以後、第29回総選挙まで再選され、衆議院議員を連続4期務めた。
金 成淑(キム・ソンスク、朝鮮語: 김성숙、1896年6月4… 金 成淑(キム・ソンスク、朝鮮語: 김성숙、1896年6月4日または6月5日 - 1979年12月18日)は、日本統治時代の朝鮮の独立運動家、教育者、大韓民国の政治家。第5代韓国国会議員、韓国社会党党首を歴任した。 本貫は慶州金氏、号は悔乙(フェウル、悔乙/회을)、別名は金成璹(読み・ハングル同)。郷土史学者の金泰能は甥。 全羅南道済州島大静面(現・済州特別自治道西帰浦市大静邑)加波里(すなわち加波島)出身。漢学修学を経て、京城第1高等普通学校(現・京畿高等学校)4年在学中の1919年に三・一運動に参加し、出版法・保安法違反の疑いで裁判を受け、投獄されたことがある。出獄後の1920年に帰郷し、摹瑟浦で大静普通学校の附設学校を設置したのを経て、1921年に郷里の加波島で民族主義教育を行う辛酉義塾を開設し、5年間教師として在任した。
伊藤 修(いとう おさむ、1896年3月30日 - 1969… 伊藤 修(いとう おさむ、1896年3月30日 - 1969年6月14日)は、日本の弁護士、政治家。参議院司法委員長および法務委員長(初代)。 名古屋市生まれ。1921年、日本大学法科卒。1922年、弁護士となる。中部日本農民組合および日本農民組合岐阜県連の常任顧問、岐阜市会議員、東亜興業、旭炭鉱、関東重工業、三富士製作所、朝日精機、旭電気工業および日本社会公論の社長、日本社会新聞岐阜県総局長、社会文化大学名誉学長、富田高等女学校理事、岐阜弁護士会会長、岐阜地方裁判所調停委員。1952年、右派社会党岐阜県連委員長。青年民主主義擁護連盟本部会長。浄土真宗。東京都新宿区下落合に龍山荘を構えていた。 1966年4月の春の叙勲で勲二等に叙され、瑞宝章を受章する。
清水 逸平(しみず いっぺい / いつへい、1895年(明治… 清水 逸平(しみず いっぺい / いつへい、1895年(明治28年)11月5日 - 1983年(昭和58年)2月16日)は、日本の実業家、政治家。衆議院議員、狭山市名誉市民。入間川ゴム創業者。 1895年(明治28年)、長野県小県郡上田町(現:上田市)で生まれた。日本大学専門部法律科で学んだ。 東北銀行倉庫部支配人、大和ゴム製作所第二工場長、日本工業工場長、入間川ゴム取締役社長、新潟ゴム取締役社長、同会長、扶桑商事取締役会長、日本東部ゴム工業組合理事、日本ゴム工業組合連合会医療用品部長、東京鑑識化学研究所顧問、全国商工会連合会副会長などを務めた。 1949年(昭和24年)1月、第24回衆議院議員総選挙で埼玉県第二区に民主自由党所属で出馬して当選。
桑鶴 実(くわつる みのる、1895年〈明治28年〉9月29… 桑鶴 実(くわつる みのる、1895年〈明治28年〉9月29日 - 1962年〈昭和37年〉6月27日)は、日本の政治家。鹿児島県谷山市(現・鹿児島市の一部)初代市長(市制施行時の町長)。 鹿児島県谿山郡谷山村(のち鹿児島郡谷山村→谷山町→谷山市、現・鹿児島市)和田(のち和田町、現・和田)森山出身。鹿児島商業学校(現・鹿児島商業高等学校)を経て、日本大学を卒業する。東京府の職業補導所の助手となり、その後、渡米し、コロンビア大学で社会科学を学んだ。39歳で帰国し、理化学研究所に勤務し、理研朝鮮鎮南浦(現・南浦特別市)工場の総務部長となり、同地で終戦を迎えた。引き揚げ後は、米軍政部の経済技術員となり、理研の搾油機械の販売を行っていた。
角 猪之助(すみ いのすけ、1895年(明治28年)7月13… 角 猪之助(すみ いのすけ、1895年(明治28年)7月13日 - 1955年(昭和30年)5月14日)は、日本の衆議院議員。ジャーナリスト。 和歌山県東牟婁郡新宮町(現在の新宮市)出身。日本大学法科に学んだ後、『中央新聞』と『都新聞』で政治部記者を務めた。 1942年(昭和17年)、第21回衆議院議員総選挙に翼賛政治体制協議会の推薦を受け出馬し、当選を果たした。戦後の1946年(昭和21年)、公職追放となった。 その他、日本真珠株式会社相談役、大日本漁業株式会社取締役を務めた。
明礼 輝三郎(明禮、みょうれい てるさぶろう、1895年(明… 明礼 輝三郎(明禮、みょうれい てるさぶろう、1895年(明治28年)1月5日 ‐ 1954年(昭和29年)12月16日) は、日本の弁護士、政治家。衆議院議員。 愛媛県喜多郡満穂村論田(現内子町)で明礼善助の長男として生まれた。1921年、日本大学法律科を卒業した。弁護士となり、1936年に東京弁護士会副会長に就任した。その他、日本弁護士協会理事、日満法曹協会理事、大東亜法曹協会理事などを務めた。 戦後、1947年4月の第23回衆議院議員総選挙に自由党公認で愛媛県第3区から出馬して当選。第24回総選挙では落選したが、1952年10月の第25回総選挙で再選された。1953年4月の第26回総選挙で落選し、衆議院議員に2期在任した。
上原 六郎(うえはら ろくろう、1894年〈明治27年〉11… 上原 六郎(うえはら ろくろう、1894年〈明治27年〉11月30日 - 1964年〈昭和39年〉2月3日)は、日本の地方官僚、政治家。北海道札幌市長、札幌観光協会長。位階は正四位。勲三等瑞宝章受章。 実家は札幌郡平岸村(現・札幌市豊平区平岸)のりんご農家。北海道庁属から内務省へ出向し、日本大学法科に学んだ。1920年(大正9年)卒業。帝都復興院事務官となり、主計課長、理事等を歴任。1937年(昭和12年)、東京市収入役となり、その後、1939年(昭和14年)に同市市民局長、1940年(昭和15年)に総務局長を歴任した。1945年(昭和20年)8月14日、札幌市長に就任。1946年(昭和21年)11月12日、札幌市長を退任した。
吉田 賢一(よしだ けんいち、1894年(明治27年)11月… 吉田 賢一(よしだ けんいち、1894年(明治27年)11月15日 - 1982年(昭和57年)6月11日)は、日本の弁護士、農民運動家、政治家。衆議院議員。 兵庫県明石郡明石町(現明石市)で、理髪業・吉田種次郎、たみ夫妻の長男として生まれる。1920年4月、日本大学専門部法律科を卒業。弁護士試験に合格し、大阪市に弁護士事務所を開業。 1921年、兵庫県明石郡神出村の小作争議に係わり農民運動に参加。1922年4月、日本農民組合が結成され法律顧問の一人となる。以後、農民労働党参加、労働農民党中央委員、日本労農党中央委員、全日本農民組合中央委員、全国農民組合中央委員、日本大衆党参画、全国大衆党参画などの活動を行い、1931年7月から1932年6月までヨーロッパの政治経済、農業を視察した。
上條 貢(かみじょう みつぎ、1894年11月10日 - 1… 上條 貢(かみじょう みつぎ、1894年11月10日 - 1977年2月6日)は日本の政治家、弁護士。浅草区議(1期)、東京市議(2期)、東京都議(5期)、第13代都議会議長、第6−8代台東区長を歴任した。 長野県生まれ。旧制松本中学(長野県松本深志高等学校)を経て、日本大学法律学科卒業。東京市で弁護士を開業。 1934年から浅草区会議員を1期4年務めた。1937年3月16日から1943年6月30日まで東京市会議員を2期務めた。1943年9月13日の第1回東京都議会議員選挙で当時の浅草区選挙区から立候補して、初当選する。都議会では、消防委員会委員長(1948年から1949年)、オリンピック大会招致実行委員会委員長(1953年から1954年)を歴任した。
徳田 球一(とくだ きゅういち、1894年〈明治27年〉9月… 徳田 球一(とくだ きゅういち、1894年〈明治27年〉9月12日 - 1953年〈昭和28年〉10月14日)は、日本の政治運動家、共産主義者、革命家、弁護士、政治家。衆議院議員(3期)、戦前の非合法政党時代から戦後初期に至るまでの日本共産党の代表的活動家で、戦後初代の書記長を務めた。徳球の愛称で知られる。 沖縄県国頭方名護間切(現:沖縄県名護市)で、鹿児島の豪商の庶子であった父とウチナーンチュの母の間に生まれる。家は沖縄の中にあっては裕福で、「球一」の名は「琉球一の人物」になることを願って付けられた。母方の祖母は高利貸しと泥藍売りを営み、徳田もこの稼業を手伝っていたが、強欲な祖母に反発して「お金を借りてはだめだ」と借りに来た者に対して注意するなど、正義感が強い子供であった。
猪俣 浩三(いのまた こうぞう、1894年7月20日 - 1… 猪俣 浩三(いのまた こうぞう、1894年7月20日 - 1993年8月21日)は、日本の弁護士、政治家。アムネスティ・インターナショナル日本支部初代支部長。 新潟県出身。日本大学法学部卒。1927年弁護士を開業。戦後、日本社会党の結成に参加。1947年に第23回衆議院議員総選挙に新潟4区から出馬して初当選、その後は連続7回当選。1963年の第30回衆議院議員総選挙で落選したが、1967年の第31回衆議院議員総選挙にて返り咲きを果たして1期を務めた。通算当選8回。 日本社会党の衆議院議員として人権侵害、汚職問題で政府を追及した。鈴木茂三郎(左派日本社会党委員長)が起こした警察予備隊違憲訴訟では原告代理人を務めている。
山元 亀次郎(やまもと かめじろう、1894年〈明治27年〉… 山元 亀次郎(やまもと かめじろう、1894年〈明治27年〉5月12日 - 1962年〈昭和37年〉3月27日)は、大正から昭和期の政治家・実業家。衆議院議員。通称「山亀」と称された革新の闘士。 鹿児島県大島郡西古見村(焼内村、西方村を経て現瀬戸内町西古見)で、鰹漁業網元・山元十太郎の息子として生まれた。1909年(明治42年)大島郡古仁屋高等小学校を修了。熊本、長崎で船員として務め学費を貯めて、1915年(大正4年)大阪市の桃山中学校(現桃山学院中学校・高等学校)を卒業した。2年間の兵役を経て日本大学専門部法科に入学したが1918年(大正9年)に中退した。 1919年(大正10年)4月、全国学生同盟会、同年12月、日本労働党、1921年12月、対外青年革新協会などをそれぞれ結成して、学生運動、普選運動に尽力した。
尾崎 末吉(おざき すえきち、1894年〈明治27年〉4月5… 尾崎 末吉(おざき すえきち、1894年〈明治27年〉4月5日 - 1982年〈昭和57年〉8月23日)は、日本の実業家、政治家。衆議院議員(4期)。 鹿児島県出水郡阿久根村(後の阿久根町、阿久根市)出身。旧制鹿児島県立出水中学校(現:鹿児島県立出水高等学校)を経て、日本大学専門部法律科を1914年に中退。 その後、東京相愛女学校長、東京土地埋立常務取締役、大森乗合自動車社長、昭和鋼業専務取締役、朝日航空工業取締役、東光興業取締役、日本瓦斯開発社長などを務めた。 1947年4月、第23回衆議院議員総選挙おいて鹿児島県第2区で民主党から出馬して当選し、第26回総選挙まで連続四回の当選を果たした。この間、衆議院予算委員長、民主自由党政調会副会長を務めた。
内藤 隆(ないとう たかし、1893年(明治26年)11月1… 内藤 隆(ないとう たかし、1893年(明治26年)11月10日 - 1979年(昭和54年)7月22日)は、日本の実業家、政治家。位階は従三位。衆議院議員(6期)。 富山県出身。早稲田大学政治経済科、日本大学法学部で学ぶ。北陸タイムス編集局長兼主筆、日本電力嘱託、大同電力嘱託、庄川電力嘱託などを務めた。 日本自由党富山県支部幹事長を経て、1949年1月、第24回衆議院議員総選挙に富山県第1区から民主自由党所属で出馬し当選。その後、第25回、第28回から第31回総選挙で5回当選し、衆議院議員を通算六期務めた。この間、自由党人事部長、自由民主党富山県連政調会長、同党議員総会副会長、富山県緑化推進委員会委員長、衆議院行政監察特別委員長、同逓信委員長、同運輸委員長、吉田内閣国務大臣・緒方竹虎秘書官、第2次岸内閣・厚生政務次官などを歴任した。
世耕 弘一(せこう こういち、1893年〈明治26年〉3月3… 世耕 弘一(せこう こういち、1893年〈明治26年〉3月30日 - 1965年〈昭和40年〉4月27日)は日本の教育者・政治家。衆議院議員(8期)、経済企画庁長官(第2次岸内閣)、学校法人近畿大学理事長などを歴任した。位階は従三位。 和歌山県東牟婁郡敷屋村(現・新宮市)に中農・世耕佐七の五男として生まれる。一旦は材木店に丁稚奉公をするが、その後苦学して1918年専門学校入学者検定試験に合格、日本大学予科に入学。1923年、日本大学法文学部卒業。日大の政治経済海外研究員としてベルリン大学に5年間留学。帰国後の1931年に日本大学教授。1944年に日大と関係の深い大阪専門学校の校長と大阪理工科大学長に就任。
三上 英雄(みかみ ひでお、1893年(明治26年)3月29… 三上 英雄(みかみ ひでお、1893年(明治26年)3月29日 - 1983年(昭和58年)8月17日)は、日本の弁護士、政治家。衆議院議員。 広島県恵蘇郡口北村字宮内(現庄原市)で、三上瀧蔵、シカ夫妻の長男として生まれたが、母は産後に死去した。口北尋常小学校、口北高等小学校を経て、1906年、格致学院に入学。1909年、親類を頼って大阪市に移り関西商工学校に入学し、風呂屋を経営して学費を稼ごうとするも失敗。1910年に上京して日本大学に入学し、1913年、同大法律科を卒業。1914年11月、会計検査院嘱官となる。 1917年、弁護士試験に合格。1918年1月、弁護士登録を行い東京弁護士会に加入。
佐藤 親弘(さとう ちかひろ、1893年(明治26年)3月2… 佐藤 親弘(さとう ちかひろ、1893年(明治26年)3月23日 - 1961年(昭和36年)8月15日)は、日本の政治家。衆議院議員(2期)・弁護士。 栃木県出身。1923年日本大学専門部法律科卒。弁護士となり、宇都宮市議、栃木県地方労働委員会会長、宇都宮弁護士会会長となる。 1947年の第23回衆議院議員総選挙において栃木2区から日本自由党公認で立候補して落選。1949年の第24回衆議院議員総選挙では民主自由党公認で立候補して初当選。1952年の第25回衆議院議員総選挙では自由党公認で立候補して落選。1953年の第26回衆議院議員総選挙で復帰した。1955年の第27回衆議院議員総選挙で落選し、以後立候補しなかった。
徐 成達(ソ・ソンダル、朝鮮語: 서성달、1892年12月7… 徐 成達(ソ・ソンダル、朝鮮語: 서성달、1892年12月7日 - 没年不詳)は、日本統治時代の朝鮮の独立運動家、大韓民国の政治家。制憲韓国国会議員。 ソウル出身。日本大学法科卒。三・一運動に参加したあと中国に亡命したが、帰国途中に逮捕・収監された。その後は青年党大会、新幹会などの幹部として活躍し、親日15団体による自治要求宣言運動や朴春琴を中心とした11同盟に参加した(その活動を破壊するために参加したとも言われる)。解放後は大韓独立促成国民会高陽郡支部長、国青ソウル市参謀、朝鮮国旗奉賛会長、民族代表者大会代議員、韓国民主党中央執行委員などを歴任した。
箸本 太吉(はしもと たきち、1892年(明治25年)7月1… 箸本 太吉(はしもと たきち、1892年(明治25年)7月16日 – 1961年(昭和36年)7月25日)は、衆議院議員(立憲政友会)、外務参与官。ジャーナリスト。 石川県金沢市出身。日本大学で学んだ後、『中外商業新報』政治部記者となり、ロンドン特派員を務めた。その後『萬朝報』に入社し、常務取締役営業局長・編集局長、専務取締役・主筆を歴任した。また平沼騏一郎日本大学総長の秘書や日本大学講師を務めた。 1928年(昭和3年)、第16回衆議院議員総選挙に石川県第1区から出馬し、初当選。合計で5期務めた。その間、平沼内閣で外務参与官に就任した。 1946年(昭和21年)、大政翼賛会の推薦議員のため、公職追放となった。
倉成 庄八郎(くらなり しょうはちろう、1892年4月19日… 倉成 庄八郎(くらなり しょうはちろう、1892年4月19日 - 1938年4月22日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。 長崎県出身。1924年、日本大学法科専門部卒。税務属、長崎県属、会計検査院書記を経て、長崎市議、同議長、長崎県議、同参事会員、となる。また、万朝報記者、長崎民友新聞副社長となる。 1936年の第19回衆議院議員総選挙において長崎1区(当時)から立憲政友会公認で立候補して当選した。第20回総選挙でも再選され衆議院議員を2期務め、1938年、現職のまま死去した。
冨田 照(とみた てらす、1892年(明治25年)3月10日… 冨田 照(とみた てらす、1892年(明治25年)3月10日 - 1957年(昭和32年)3月13日)は、明治末から昭和前期の教育者、政治家。衆議院議員(1期)。富田とも表記されている。 千葉県天羽郡湊町桜井(君津郡湊町、天羽町、富津町を経て現富津市桜井)で、富田伊三郎、たく の三男として生まれる。湊小学校分教場和合小学校を経て、1907年(明治40年)天羽農学校(現千葉県立天羽高等学校)を卒業し家業に従事した。 1908年(明治41年)9月、君津郡役所の要請で湊小学校の代用教員に就任。準教員を経て1910年(明治43年)教員検定試験に合格し訓導となる。その後、木更津町真舟小学校訓導、君津郡中村小学校訓導を歴任。