阿部 詩(あべ うた、2000年〈平成12年〉7月14日 -… 阿部 詩(あべ うた、2000年〈平成12年〉7月14日 - )は、兵庫県神戸市出身の日本の女子柔道家。階級は52kg級。身長158cm。握力は右48kg、左46kg。血液型はB型。段位は五段。組み手は右組み。得意技は内股、袖釣込腰。夙川学院中学校・高等学校(現在の夙川中学校・高等学校)、日本体育大学を卒業した。兄が二人おり、次兄は66kg級の阿部一二三。2018年の世界選手権では兄妹同時に世界チャンピオンとなり、2021年開催の東京オリンピックでは同日に兄妹で金メダルを獲得した。 柔道は5歳の時に兄2人に続いて兵庫少年こだま会で始めた。最初は兄の付き添いで見学していただけだったが、練習風景が楽しそうに思えて、女の子だからピアノでも習った方がいいと考えていた父親(阿部浩二)の反対を押し切った。
古賀 颯人(こが はやと、1997年9月13日 - )は、日… 古賀 颯人(こが はやと、1997年9月13日 - )は、日本の柔道家。神奈川県川崎市出身。階級は73kg級。身長174cm。血液型はA型。段位は四段。組み手は右組み。得意技は内股。父親はバルセロナオリンピック71kg級金メダリストの古賀稔彦。弟は世界カデ60kg級で優勝した古賀玄暉。妹は講道館杯で優勝した古賀ひより。 柔道は3歳の時に始めると、その後父親が開設した古賀塾の所属となった。小学校6年生の時には全国小学生学年別柔道大会50kg級の決勝で愛媛県代表の立川新を判定で破って優勝を飾った。 愛知県一宮市にある大成中学に進むと、3年の時には全国中学校柔道大会で優勝を果たした。なおこの時は、同じ中学に通う1歳年下の弟である玄暉も55kg級で2位となっている。
阿部 一二三(あべ ひふみ、1997年8月9日 - )は、兵… 阿部 一二三(あべ ひふみ、1997年8月9日 - )は、兵庫県神戸市出身の日本の柔道家。階級は66kg級。身長168cm。血液型はAB型。段位は初段。組み手は右組み。得意技は背負投、袖釣込腰。現在は日体大に在学。憧れの柔道家は野村忠宏。なお、3歳年下の妹の阿部詩も全国中学校柔道大会52kg級で優勝するなど活躍している[4]。
青木 大(あおき だい、1994年10月24日 - )は、日… 青木 大(あおき だい、1994年10月24日 - )は、日本の柔道家。千葉県出身。階級は60kg級。身長172cm。血液型はO型。組み手は右組み。段位は四段。得意技は巴投げ、寝技。 柔道は6歳の時に始めた。市川第七中学3年の時に全国中学校柔道大会の60kg級に出場するが3回戦で敗れた。習志野高校に進学すると、2年の時に高校選手権で5位になった。3年の時にはインターハイに出場するも2回戦で敗れた。 2013年には日体大へ進学すると、2年の時に全日本ジュニアでは国士舘大学2年の林浩平に敗れて2位に終わった。学生体重別と講道館杯では3位となった。3年の時には選抜体重別の初戦で元世界チャンピオンである東海大学4年の髙藤直寿を内股で破る金星を挙げて3位になった。
志々目 徹(ししめ とおる、1992年3月8日 - )は、日… 志々目 徹(ししめ とおる、1992年3月8日 - )は、日本の柔道家。宮崎県都城市出身。階級は60kg級。身長161cm。血液型はA型。組み手は左組み。得意技は内股。兄は柔道家で元競艇選手の志々目裕樹。妹は2017年の世界選手権52kg級で優勝した志々目愛。 柔道は4歳の時に財部柔心館で始めた。毎日練習があり、家に帰っても父親との稽古を積む日々であった。庄内中学3年の時に全国中学校柔道大会55kg級で2位となった。宮崎日大高校3年の時にはインターハイで優勝した。その後、世界ジュニアに新設された55kg級に出場して初代チャンピオンとなった。日本体育大学体育学部武道学科に進学後、全日本ジュニアの60kg級では3位に留まるが世界ジュニア代表に選出されて、世界ジュニアでは昨年に続いての優勝を果たして2階級制覇を達成した。
髙上 智史(たかじょう ともふみ、1991年12月7日 - … 髙上 智史(たかじょう ともふみ、1991年12月7日 - )は、日本の柔道家。福岡県豊前市出身。階級は66kg級。身長168cm。得意技は背負投。現在は旭化成に所属している。血液型はB型。 柔道は6歳の時に始めた。田原中学3年の時には全国中学校柔道大会の60kg級で優勝した。桐蔭学園高校2年の時には全日本ジュニアで3位となった。3年になると階級を66kg級に上げてインターハイでは2位となった。日本体育大学へ進学後、1年の時には講道館杯で3位となり、2年の時には優勝を果たした。その後出場したグランドスラム・東京では世界ランキング143位ながら、北京オリンピック60kg級で優勝した崔敏浩をはじめ、世界ランキング3位のアリム・ガダノフや元世界チャンピオンでランキング2位のハシュバータル・ツァガンバータル等を次々と破る快進撃を見せて、決勝でもランキング1位のムサ・モグシコフ相手に先に技ありを取られるも逆転の一本勝ちを果たしたことにより、世界ランキング上位3名を悉く破っての優勝を飾ることとなった。
高上 智史(たかじょう ともふみ、1991年12月7日 - … 高上 智史(たかじょう ともふみ、1991年12月7日 - )は、福岡県豊前市出身の、日本の柔道選手である。階級は66kg級。身長168cm。得意技は背負投。現在は旭化成に所属している。
伊左次 雄介(いさじ ゆうすけ、1991年4月5日 - )は… 伊左次 雄介(いさじ ゆうすけ、1991年4月5日 - )は、日本の柔道家、総合格闘家。日本の政治家。柔道五段。得意技は背負い投。上星小学校、国士舘中学校、国士舘高校、日本体育大学卒。神奈川県海老名市出身。伊左次道場師範。海老名市議会議員。 2023年11月12日投開票、海老名市議会議員選挙において最年少当選。 新人最多得票数での初当選。日本維新の会公認。 海老名維新の会、代表に就任。 神奈川維新の会、副総務会長に就任。 2024年 柔道全日本マスターズ選手権大会で 2025年 柔道世界マスターズ選手権大会 フランス・パリに出場。 慶應大学大学院政策研究科進学。 元公立小学校教諭、中学校教諭、 教員免許所持(幼稚園、小学校、中学校 体育、 伊左次雄介 Yusuke Isaji (日本/伊左次道場) 生年月日●1991年4月5日生 出身大学●日本体育大学 柔道 元全日本強化指定選手 柔道 世界大会1位(ドイツ) コンバットレスリング 全日本1位 サンボ 全日本選手権1位 MMA戦績 3戦3勝0敗0引き分け GLAND SLAM、grand royal ウェルター級 勝利、amateur grand slam グラップリングマッチ 勝利 巌流島 opening fight 70kg契約 勝利
下和田 翔平(しもわだ しょうへい、1990年10月25日 … 下和田 翔平(しもわだ しょうへい、1990年10月25日 - )は、広島県出身の日本の柔道家である。階級は100kg級。身長192cm。血液型O型。段位は四段。組み手は右組み。得意技は大外刈。2021年3月まで京葉ガスに所属していた。。 柔道は7歳の時に八本松柔道教室で始めた。西条中学から崇徳高校に進むと、3年の時にはインターハイの100kg級で修徳高校3年の岩尾敬太に有効で敗れるも3位となった。なお、高校の1年先輩には後に無差別で世界チャンピオンになる上川大樹がいた。2009年に日本体育大学へ進学すると、優勝大会では1年から4年連続で5位にとどまった。体重別団体では1年から3年連続で5位だったものの、4年の時には3位となった。
山本 浩史(やまもと ひろふみ、1990年3月25日 - )… 山本 浩史(やまもと ひろふみ、1990年3月25日 - )は、日本の柔道家。東京都出身。階級は60kg級。身長171cm。段位は四段。血液型はA型。得意技は内股。2016年より名城大学法学部助教。 柔道は8歳の時に始めた。足立学園中学3年の時に全国中学校柔道大会で2位になった。足立学園高校時代には3年の時にインターハイで2位となった。2008年に日本体育大学体育学部武道学科に進学すると、世界ジュニアで3位に入り、2年の時にはオール一本勝ちで優勝を果たした。また、シニアのグランドスラム・東京でも3位に入った。 3年の時には11月の講道館杯で初優勝を果たすと、続くグランドスラム・東京でも、決勝で大学の2年後輩である志々目徹に谷落で一本勝ちして優勝を飾った。
小川 武志(おがわ たけし、1979年7月9日 - )は、神… 小川 武志(おがわ たけし、1979年7月9日 - )は、神奈川県出身の、日本の柔道選手である。階級は60kg級。身長164cm。組み手は右組み。得意技は背負投。 柔道は5歳の時に小川道場で始めた。藤ヶ岡中学から日大藤沢高校へ進むと、3年の時にインターハイ軽量級で優勝を飾った。日体大へ進学すると、2年から3年連続して体重別団体で3位となった。3年の時には正力杯の決勝で国士舘大学4年の内柴正人に敗れるも2位となった。講道館杯では3位に入った。4年の時には正力杯で3位だった。2002年には了徳寺学園の所属となると、2003年には嘉納杯で優勝した。さらに、ユニバーシアードでも優勝を果たした。2005年からは実業個人選手権で6連覇を達成した。
北田佳世(きただ かよ、1978年7月7日 - )は、和歌山… 北田佳世(きただ かよ、1978年7月7日 - )は、和歌山県出身の元女子柔道選手(階級は48キロ級)。和歌山県立田辺高等学校→日本体育大学卒、ミキハウス柔道部所属(2001年入社)。2006年4月23日、現役引退を発表。修徳高等学校教諭を経て結婚・出産をし、現在は結婚相手である一般男性が主催している町道場で指導者をしている。婚姻後の氏名は宮田佳世。身長150cm。得意技は背負投。令和2年度 生涯スポーツ功労者賞受賞 2004年と2005年のフランス国際大会の48kg級を連覇している。 アテネオリンピック48キロ級銀メダリストでフランスのフレデリク・ジョシネに対戦成績で3勝1敗と勝ち越すなど、実力的にオリンピックと世界選手権で金メダルを狙える選手であったが、同階級に谷亮子がいるためにオリンピックと世界選手権のいずれも出場できなかった。
関口 幸三(せきぐち こうぞう、1976年2月9日 - )は… 関口 幸三(せきぐち こうぞう、1976年2月9日 - )は、埼玉県出身の、日本の柔道選手である。階級は60kg級。身長167cm。得意技は背負投。 安行東中学から八潮高校へ進むと、2年の時にはインターハイ軽量級の決勝トーナメント1回戦、3年の時には予選リーグでそれぞれ敗れた。日体大へ進学すると、2年の時には正力杯の60kg級で3位になった。正力国際では決勝で国士舘大学1年の堤時貞に敗れて2位だった。3年の時には正力杯の決勝で東海大学4年の徳野和彦に敗れて2位だった。世界学生では決勝でフランスのヤシヌ・ドゥマを豪快な袖釣込腰で破って優勝を飾った。4年の時にはアジア柔道選手権で優勝を飾った。正力杯でも決勝で大学の2年後輩である石井一行を破って優勝した。
二宮 美穂(にのみや みほ、1975年(昭和50年)8月22… 二宮 美穂(にのみや みほ、1975年(昭和50年)8月22日 - )は、日本の柔道選手。熊本県菊池郡大津町出身。身長167cm、体重95kg。得意技は大内刈。 中学生の時に柔道を始めて、熊本県立阿蘇高等学校に入学後は全国大会でも活躍するようになり日本体育大学体育学部武道学科に進学。1995年(平成7年)の福岡国際では日本選手がそれまでなかなか勝てなかった中国の張穎を破り2位に入った。 1997年(平成9年)の全日本選手権では高校時代からのライバルである阿武教子を実に11度目の対戦にして初めて破り、優勝を果たした。世界選手権では2階級で代表になり、72kg超級では準決勝でオリンピックチャンピオンである中国の孫福明を見事な体落で破り、決勝でも地元フランスのクリスティーヌ・シコに技ありを奪ってリードしていたが、逆転負けを喫して2位に終わった。
赤野 仁美(あかの ひとみ、1974年7月27日 - )は、… 赤野 仁美(あかの ひとみ、1974年7月27日 - )は、日本の女性元柔道家、総合格闘家。大阪府大阪市出身。元Smack Girlミドル級王者。 中学1年から柔道を始め、夙川学院高校、日本体育大学でも柔道を続けた。 セコム柔道部時代は2000年のイタリア国際柔道大会で優勝、全日本の強化選手に選ばれるなど活躍。その後、柔道をやめ音楽活動などをしていたが、高校の同級生だった藤井惠が在籍していたAACCにダイエット目的で入門した。 2004年11月26日、G-SHOOTOでの藪下めぐみ戦で総合格闘技デビューするも判定負け。 2005年年8月17日、国立代々木競技場第二体育館大会で開催されたSMACKGIRL 2005 〜Dynamic!!〜でのThe Next Cinderella Tournament 2005の59kg級トーナメント決勝で端貴代に一本勝ちし優勝。
田辺 勝(たなべ まさる、1972年12月16日‐)は、高知… 田辺 勝(たなべ まさる、1972年12月16日‐)は、高知県出身の柔道選手。現役時代は86kg級の選手。現日本体育大学教授。日本体育大学男子柔道部監督。 小学校1年の時に柔道を始める。中学3年の時に全国中学校大会78kg級で3位に入る。高校からは上京して講道学舎に学ぶ。高校2年の時、インターハイ軽重量級で優勝する。続いて高校選手権の無差別では、86kg級の選手ながら決勝で重量級の真喜志慶治を破って優勝を飾る。さらに高校選手権では世田谷学園高校の団体戦優勝にも貢献して2冠を達成する。日体大進学後は、大学2年の時に世界ジュニアで優勝を果たす。しかし、86kg級は吉田秀彦、中村佳央、岡田弘隆等強豪揃いの階級だったこともあって、シニアの大会では上位に顔を出すものの優勝までには至らなかった。
小竹 尚子(こたけ なおこ、1970年11月1日 - )は、… 小竹 尚子(こたけ なおこ、1970年11月1日 - )は、新潟県出身の日本の柔道家。56kg級及び61kg級の選手。身長165cm。 柔道は小学校2年の時に両親に勧められて護身術の一環として始めた。東石山中学から新潟第一高校へ進むと、1年の時に高校選手権61kg級で優勝を飾った。2年の時には強化選手選考会の決勝で常磐高校1年の北爪弘子を破って優勝した。高校選手権では3位にとどまった。高校までは柔道に辛さや苦しみしか覚えず、何で自分ひとりだけがこんな思いをしなければならないかとばかり考えていた。 1989年に日体大へ進学すると同じ悩みを持った多くの部員と知り合った。そんな仲間から勇気付けられたり、一緒に喜びを分かち合うことができて、初めて柔道をしてきて良かったと思えるようになったという。
浦野 弥生(うらの やよい、1969年3月30日 - )は、… 浦野 弥生(うらの やよい、1969年3月30日 - )は、日本の柔道家、女子レスリング選手。中延学園高校、日本体育大学卒業。神奈川県川崎市出身。1990年から1996年まで女子レスリング世界選手権において、重量級3階級(75・70・65 kg級)で金メダル6個、銀メダル1個を獲得した。世界女子レスリングの90年代の第一人者。吉田沙保里らに破られるまでは世界選手権金メダル数でギネス記録に載っていたこともある。 中延学園高等学校(のちの朋優学院高等学校)在学時は陸上競技で活躍し(1年下の後輩に元女子マラソン日本記録保持者である朝比奈三代子がいる)、日本体育大学入学より柔道部に入り、本格的に格闘技の道に入ることとなる。
宮崎 未樹子(みやざき みきこ、1967年8月10日 - )… 宮崎 未樹子(みやざき みきこ、1967年8月10日 - )は、青森県出身の柔道家、女子レスリング選手である。1996年女子レスリング世界選手権61 kg級金メダリスト。八戸西高を経て、日本体育大学卒業。 高校生時代から柔道で活躍。第23回三船十段杯争奪柔道大会女子の部優勝(1985年)、第1回全日本女子柔道選手権(1986年、後の皇后盃全日本女子柔道選手権大会)に出場するが持田典子に敗れる。 日体大に進むと柔道部の1年先輩に持田典子がおり、浦野弥生(レスリング・京樽クラブ)は後輩に当たる。日体大を卒業すると、持田を追って住友海上火災保険に入社した。1991年には全日本選抜柔道体重別選手権大会66 kg級3位の成績を残し、バルセロナオリンピックを目指していた。
佐藤 博信(さとう ひろのぶ、1967年4月25日 - )は… 佐藤 博信(さとう ひろのぶ、1967年4月25日 - )は、宮城県柴田郡村田町出身の日本の柔道家、体育学者。関西学院大学人間福祉学部准教授。 長男はプロ野球の阪神タイガースに所属する佐藤輝明。 仙台育英学園高等学校柔道部から、日本体育大学に進学。日体大では「平成の三四郎」古賀稔彦と同期入学。日本体育大学2年の時に全日本学生柔道優勝大会の準決勝 天理大学戦で当時、小川直也(明治大)と並び学生重量級のホープであった中谷弘を終始攻め、背負投で破る大金星を挙げる。チームは敗れたが3位進出の原動力となる。その後、無差別で争われる全日本学生選手権では86kg級の選手ながら3位となった。4年の時には日体大柔道部の副キャプテンとなる(キャプテンは古賀稔彦)。
北田 典子(きただ のりこ、1966年8月10日 - )は、… 北田 典子(きただ のりこ、1966年8月10日 - )は、東京都中央区出身の日本の柔道家。世田谷学園高校を経て、日本体育大学体育学部武道学科卒業。現役時代は61kg級の選手。旧姓は持田。兄は監督として母校の世田谷高学園高校を何度も全国優勝に導いた持田治也であり、また、従兄には世界選手権で2位になったことのある持田達人がいる。身長162cm。得意技は内股、小内刈。
鏑木 文隆(かぶらぎ ふみたか、1965年12月13日 - … 鏑木 文隆(かぶらぎ ふみたか、1965年12月13日 - )は、千葉県出身の日本の柔道選手である。階級は78kg級。身長171cm。 足立学園高校から日本体育大学へ進むと、1年の時に正力杯78kg級で3位になったとされている。2年の時には正力杯で3位、正力国際では決勝で東海大学3年の松田亮一に判定で敗れて2位だった。3年の時には講道館杯の決勝で福岡大学教員の高野裕光に有効で敗れた。正力杯では優勝すると、正力国際でも決勝で松田を判定で破って優勝を飾った。また、フィンランド国際とブルガリア国際でも優勝した。4年の時には正力国際の決勝でソ連のバシール・ワラエフに判定で敗れた。1988年には慶應義塾高校の体育科教員になると、講道館杯で3位になった。
古賀 元博(こが もとひろ、1964年または1965年6月2… 古賀 元博(こが もとひろ、1964年または1965年6月25日 - 2025年1月24日)は、佐賀県三養基郡出身の、日本の柔道選手である。階級は65kg級と71kg級。身長168cm。弟はバルセロナオリンピック71kg級金メダリストの古賀稔彦。 柔道は小学校3年の時に近所の友達の影響で弟の稔彦とともに始めた。小学校を卒業すると上京して柔道私塾の講道学舎へ入塾した。弦巻中学3年の時には全国中学校柔道大会の団体戦で3位となった。なお、講道学舎の厳しさを考慮して弟の入塾には断固反対していたが、弟は全く聞き入れず兄と同じ道を辿ることになった。講道学舎では東京オリンピック中量級金メダリストの岡野功より直立姿勢から投げ切る一本背負投を直々に伝授されて得意技にしていった。
山本 洋祐(やまもと ようすけ、1960年6月22日 - )… 山本 洋祐(やまもと ようすけ、1960年6月22日 - )は、日本の柔道家。 1987年の第15回世界選手権大会金メダリスト、1988年のソウル五輪銅メダリストで、現在は日本体育大学スポーツ文化学部武道教育学科の教授を務める。 熊本県飽託郡天明町(現・熊本市南区)出身。小学校5年生の時に兄の影響で柔道を始め、町立天明中学校入学後に本格的に稽古に打ち込んだ。県立宇土高校へ進学し、3年生の時に開催された1978年12月の全日本新人体重別選手権大会に出場すると、得意技の左背負投を武器に日本体育大学の長尾文男に次ぐ準優勝という好成績を残した。 1979年の春に日本体育大学に入学すると直後の講道館杯で3位となり、同年11月の全日本新人体重別選手権大会では決勝戦で筑波大学の阿部雄二を降すなどして優勝を果たした。
伊藤 四男(いとう かずお、1898年11月8日 - 197… 伊藤 四男(いとう かずお、1898年11月8日 - 1974年3月20日)は日本の柔道家(講道館9段・国際武道院(英語版)名人10段)。 戦後、講道館の中で東京高師閥と共に興盛を誇った三船久蔵閥の主力人物であり、警視庁や日本体育大学、東洋大学等で柔道師範を務めた。その後北米や欧州各国で柔道指導を行い、柔道の国際的発展にも貢献している。 晩年は講道館の9段位に列せられたほか、国際武道院を主宰して師の三船に次ぐ名人10段位を名乗った。 山形県新庄市下金沢町の伊藤家に四男(よんなん)として出生し、警察官を退官後に町役場吏員を務める父・一から柔道の手解きを受けた。後の市立日新小学校を卒業後は1913年に旧制佐世保中学校(後の長崎県立佐世保北高校および同南高校)に入学して柔道を修行、その後は佐世保の海兵隊に進んで同隊在籍中の1920年4月に講道館へ入門した。
島谷 順子(しまや よりこ)は、日本の柔道家。66kg超級及… 島谷 順子(しまや よりこ)は、日本の柔道家。66kg超級及び72kg級の選手。現役時代は身長167cm。体重79kg。滋賀県の大津市出身。 高校時代に大津柔道協会で柔道を始めた。 日体大を卒業後、宮城学院中学校・高等学校の教員となったが、女子柔道の全国大会が開催されることになると知って柔道を再開すると、1978年に講道館で初開催となった体重別選手権65kg超級に出場して3位となった。1979年には体重別選手権の決勝で慈恵医大病院職員の福田洋美を破って優勝を飾った。この当時すでに離婚していたが、1男1女を抱えていたことから「ママさん選手」として知られることになった。なお、選手時代は川村姓で大会に出場していた。
田川 晋治(たがわ しんじ)は、大分県出身の日本の柔道家。現… 田川 晋治(たがわ しんじ)は、大分県出身の日本の柔道家。現役時代は78kg級の選手。 日本体育大学へ進学すると、プエルトリコのマヤグエスで開催された世界ジュニアの78kg級では準決勝まで全て一本勝ちすると、決勝ではイギリスのマーティン・マクソリーを効果で破って優勝を飾った。正力国際では決勝まで進むものの、東海大学の田所勇二に敗れて2位にとどまった。団体戦でも2位になった。さらに、正力杯では3位になった。大学を卒業後は国東高校柔道部の総監督となり、63kg級や70kg級で活躍した安松春香などの指導にあたった。また、高体連の柔道専門委員にも就任した。 (出典、JudoInside.com)。
友野 雅義(ともの まさよし)は、日本の柔道家である。 日本… 友野 雅義(ともの まさよし)は、日本の柔道家である。 日本体育大学体育学部武道学科、日体柔整専門学校卒業。1981年に柔道私塾の講道学舎と提携する世田谷学園高校柔道部の監督就任。1982年には金鷲旗で講道学舎創設者の孫にあたる持田治也やバルセロナオリンピック71kg級金メダリストの古賀稔彦の兄である古賀元博、世界選手権の78kg級で2位となる持田達人などの活躍により初優勝を果たした。重量級選手が中心になっていた高校柔道界の団体戦において、軽量級や中量級主体の小兵軍団が全国優勝を果たしたことで一躍センセーションを巻き起こすことにもなった。 1985年には古賀稔彦らの活躍により高校選手権で初優勝、1986年には石田輝也や後にバルセロナオリンピック78kg級金メダリストとなる吉田秀彦らの活躍により高校柔道界で初となる高校団体3冠(高校選手権、金鷲旗、インターハイ)を達成した。