金光 修(かねみつ おさむ、1954年10月28日 - )は… 金光 修(かねみつ おさむ、1954年10月28日 - )は、日本の実業家、テレビプロデューサー。株式会社フジ・メディア・ホールディングス 前代表取締役社長。 株式会社フジテレビジョン代表取締役社長、株式会社産業経済新聞社監査役などを歴任した。 東京都出身。中学時代に音楽、高校時代に競馬に興味を持つ。早稲田大学第一文学部卒業。1978年西武百貨店に入社、マーケティングを担当し、糸井重里「おいしい生活」に関わる企画に携わった。 1983年4月、フジテレビジョン(現:フジ・メディア・ホールディングス)に中途入社。1987年に映画『私をスキーに連れてって』のプロジェクトを実現させると、1989年に編成部に異動して、1989年から『NONFIX』(是枝裕和らを起用)、1990年から『カノッサの屈辱』、1991年『バナナチップス・ラブ』、1991年から『カルトQ』、1992年から『アジアバグース!』、1993年から『ワーズワースの庭で』、1994年『Revolution No.8』、などの個性的な深夜番組や、1993年から人気番組『料理の鉄人』の企画などに携わる。
田中 晃(たなか あきら、1954年9月12日 - )は、日… 田中 晃(たなか あきら、1954年9月12日 - )は、日本のテレビプロデューサー、実業家。WOWOW代表取締役会長執行役員、前代表取締役社長。長野県松本市出身。 長野県松本深志高等学校を経て早稲田大学第一文学部卒業後、1979年4月、日本テレビ放送網(現日本テレビホールディングス)入社。 日本テレビ入社後、プロ野球巨人戦や高校サッカー、トヨタカップなどスポーツ中継に携わる。 1987年、日本テレビが箱根駅伝の生中継(「新春スポーツスペシャル箱根駅伝」)を始めるにあたって、プロデューサーの坂田信久からディレクターとして指名、制作と技術の橋渡しを務め、中継を成功に導いた。 1997年6月に編成局編成部編成戦略担当副部長、1999年6月に編成局編成部次長。
苧木 晃(おぎ あきら、1954年(昭和29年)8月25日 … 苧木 晃(おぎ あきら、1954年(昭和29年)8月25日 - 2002年(平成14年)5月25日)は、関西テレビ放送のテレビプロデューサー。早稲田大学卒業後、1977年に関西テレビへ入社。東京支社編成部に勤務の後、本社制作部でクイズ番組等のディレクターを担当。1985年より深夜番組『エンドレスナイト』のディレクターとして活躍し、番組にも出演。視聴者から送られたイラストで彼をモチーフにした「ラビットマン」で人気者を博し、番組で映画化もされた。 その後『ばらいろ海綿体』『痛快!エブリデイ』『2時ドキッ!』など、数多くの番組を手がけ、1993年には同局の開局35周年特別番組「アスメディア88スペシャル」ではプロデューサーを担当。
若生 哲旺(わこう てつお、本名:若生 哲雄〈読みは同じ〉、… 若生 哲旺(わこう てつお、本名:若生 哲雄〈読みは同じ〉、1954年8月16日 - )は、東北放送(TBC)の元アナウンサー、プロデューサー。 宮城県黒川郡富谷町(現在の富谷市)出身。早稲田大学教育学部社会学科を卒業後、1978年にTBC入社。2015年3月に定年退職するまで、スポーツ以外の分野(ラジオパーソナリティ、テレビの情報番組司会、ニュースキャスター)で幅広く活動した。 2007年4月1日から2010年3月31日までアナウンス部長、2010年4月1日から2012年3月31日まで報道制作局局付部長、2012年4月から2014年3月まで報道制作局次長、2014年4月1日から2015年3月までラジオ局次長を歴任した。
大垣信良(おおがき のぶよし 、1954年7月11日 – )… 大垣信良(おおがき のぶよし 、1954年7月11日 – )は、日本のテレビディレクター、プロデューサー、演出家。 1954年、神奈川県横浜市生まれ。1978年、早稲田大学政治経済学部を卒業して、日本テレビ放送網に入社した。同期には桜田和之がいる。1996年、日本テレビ放送網を退社。現在は株式会社えすと取締役を務める。 自身がプロデュースした番組「ルックルックこんにちは」で大垣は芸能リポーターを活用していたが、それは「取材と、それを伝えることは別の能力。臨場感を出すためにもリポーターは欠かせない」からであったという。 1995年、「ルックルックこんにちは」にオウム真理教関係者を生出演させたところ、当時オウム真理教は警察から捜査を受けていたために批判を受けることになった。
桜井 郁子(さくらい いくこ、1954年(昭和29年)5月 … 桜井 郁子(さくらい いくこ、1954年(昭和29年)5月 - )は、日本のアナウンサー、テレビプロデューサー、ディレクター。元フジテレビ社員。東京家政学院大学児童学科非常勤講師。 1977年、早稲田大学第一文学部(美術史学専攻)卒業後、フジテレビにアナウンサーとして入社。1983年以降は、数々の制作セクションに異動し、ユニークな番組をプロデュース。 夫はCMディレクターの川崎徹。 2014年5月30日付でフジテレビを定年退職した。
桜田 和之(さくらだ かずゆき、1954年2月21日 - )… 桜田 和之(さくらだ かずゆき、1954年2月21日 - )は、日本の実業家、テレビプロデューサー。静岡第一テレビ代表取締役会長・元社長。岩手県大船渡市出身。 日本テレビ放送網の元チーフプロデューサーで、編成局次長、編成部長、子会社である日本テレビビデオ・日テレアックスオン代表取締役社長、日本テレビ執行役員バラエティ局長、制作局長、取締役執行役員人事局長、日本テレビホールディングス取締役を歴任した。 実兄にモスバーガー創業者の櫻田慧がいる。 岩手県立大船渡高等学校、早稲田大学第一文学部文芸学科卒業後、1978年に日本テレビ入社。同期に中京テレビ放送代表取締役会長の小松伸生がいる。入社後は多くのバラエティ番組を手掛けた。
相原 英雄(あいはら ひでお、1954年 - )は、東京都出… 相原 英雄(あいはら ひでお、1954年 - )は、東京都出身の事業家・映画プロデューサー・テレビプロデューサー・映画監督。株式会社プラネットエンターテイメント代表取締役。 早稲田大学高等学院、早稲田大学 商学部卒業。高校在学中から自主映画を製作、1973年、監督した作品が第1回日本を記録するフィルムフェスティバルで特別部門1位、読売新聞社賞を受賞。大島渚や海外の監督達から高い評価を得、ヨーロッパでも上映される。 大学卒業後は、テレビ業界に入り、多くのテレビドキュメンタリーやドラマを演出。1991年、株式会社プラネット (現・プラネットエンターテイメント)を設立し、数多くの映像作品を生み出す。1998年、プロデュースしたドラマでギャラクシー賞を受賞。
あんべ 光俊(あんべ みつとし、1953年9月16日 - )… あんべ 光俊(あんべ みつとし、1953年9月16日 - )は、日本のシンガーソングライター、音楽プロデューサー、ラジオパーソナリティである。 岩手県釜石市出身。バンド『飛行船』のメンバー。那覇市(2020年で観光大使制度終了)、岩手県、遠野市、釜石市、花巻市、熊本県の民間大使。 1953年9月16日、岩手県釜石市に釜石鉱山で働く父のもとに4男1女の末っ子として生まれる。小学校高学年に野球を始め、同時に実姉が自ら習おうとして買ってきたガットギターに触れる。 1971年、早稲田大学社会科学部に入学。 1974年に、同じゼミの萩原誠、久保裕治と共にバンド『飛行船』を結成。大学3年時終了時にアルバイトで貯めた所持金を放出し、シングル「しょうよう歌/白夜」を自主制作。
中村 行宏(なかむら ゆきひろ、1953年6月22日 - )… 中村 行宏(なかむら ゆきひろ、1953年6月22日 - )は、日本のテレビプロデューサー、テレビ神奈川(tvk)元代表取締役社長。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
合津 直枝(ごうづ なおえ、1953年 - )は、日本のテレ… 合津 直枝(ごうづ なおえ、1953年 - )は、日本のテレビプロデューサー・映画プロデューサー・ディレクター・映画監督・脚本家。脚本家としては、野々山 花見(ののやま はなみ)という筆名を用いることもある。テレビマンユニオン所属。長野県大町市出身。 長野県松本深志高等学校を経て早稲田大学第一文学部心理学科を卒業後、テレビマンユニオンに参加。音楽番組、ドキュメンタリー番組などの制作を経て、テレビドラマのプロデュースに携わる。1994年放送のテレビドラマ『真昼の月 続・病院で死ぬということ』は放送文化基金賞奨励賞、ATP賞優秀賞、ギャラクシー賞奨励賞を受賞。ドラマ番組では以降も単発・連続もののプロデュースを主に行うが、2013年のNHK連続ドラマ『書店員ミチルの身の上話』では、プロデュース・演出・脚本の三役を務めた。
港 浩一(みなと こういち、1952年〈昭和27年〉5月15… 港 浩一(みなと こういち、1952年〈昭和27年〉5月15日 - )は、日本の経営者、元・ディレクター、テレビプロデューサー。フジテレビジョン代表取締役社長などを歴任した。 北海道上磯郡木古内町出身。北海道札幌西高等学校、早稲田大学第一文学部 卒業。 1976年4月、フジテレビジョン入社。番組制作を志望していたが、人事部に配属された。これは当時のフジテレビが制作局を廃止、複数の制作子会社への分社体制を導入していたためである。1979年、制作子会社に出向する。翌年1980年の大改革でフジテレビ本社が制作子会社を吸収合併し、分社体制を廃止する。念願叶い制作部に所属された。以降、制作畑一筋で、フジテレビが最も勢いがあった1980年代から1990年代までにバラエティーの現場で活躍、ディレクター、プロデューサーとして『とんねるずのみなさんのおかげです』など数々の人気番組を手掛けた。
富山 省吾(、1952年〈昭和27年〉2月27日 - )は、… 富山 省吾(、1952年〈昭和27年〉2月27日 - )は、日本の映画プロデューサー。東宝映画代表取締役社長、日本映画大学理事長を歴任。沖縄県出生、東京都出身。 最初に観たゴジラ映画は『キングコング対ゴジラ』(1962年)で、これが映画との出会いであったと語っている。中高生時代はSF小説に傾倒していた。 大学在学中には、東宝で特殊美術のアルバイトを務めていた。富山の遠縁にカメラマンの唐沢登喜麿がおり、その伝手を頼っての参加であった。背景美術の小島耕司は、当時の富山について覚えが悪かったが素直ないい子であったと評している。また、東宝映画の社長に就任した後も偉ぶらず、重役らに小島を恩人と紹介するなどしていたという。
荒木 久文(あらき ひさふみ、1952年 - )は、日本の映… 荒木 久文(あらき ひさふみ、1952年 - )は、日本の映画評論家・ラジオパーソナリティ兼番組プロデューサー。 昭和27年(1952年)長野県上田市真田町出身。長野県上田高等学校を経て、早稲田大学卒業後、ラジオ関東(現 RFラジオ日本)入社。在職中は編成・制作局を中心に営業局・コンテンツ部などで勤務。元ラジオ日本編成制作局次長。プロデューサー・ディレクターとしては、アイドル、J-POP、演歌などの音楽番組を制作。2012年、同社退職後、ラジオ各局で、映画をテーマとした番組に出演。評論家・映画コメンテイターとして映画紹介・映画評などを担当。 現在は報知映画賞選考委員、日本映画ペンクラブ会員。 CDレーベル「Radi-on(ラディ-オン)」(日本クラウン)を設立し5組以上のアーティストのデビューを手掛ける。
伊東 正治(いとう まさはる 1951年〈昭和26年〉7月5… 伊東 正治(いとう まさはる 1951年〈昭和26年〉7月5日 - )は、毎日放送出身のフリープロデューサー・フリーアナウンサー。元・同局アナウンサーで、放送上の愛称はマーボー。 毎日放送では1975年の入社以来、アナウンサー・ラジオ局編成部長・番組審議会事務局長などを歴任。60歳の誕生日(2011年7月5日)で定年を迎えてからも、「シニアスタッフ(嘱託社員)」 という肩書で、MBSラジオでの番組制作・出演を続けていた。2016年7月31日の任期満了を機に、フリーランスのプロデューサー・アナウンサーへ転身。2017年10月からは、フリーアナウンサーとしての活動に専念している。 東京都渋谷区の出身で、血液型はB型。
行方 均(なめかた ひとし、1951年6月29日 - 202… 行方 均(なめかた ひとし、1951年6月29日 - 2020年3月13日)は、日本のレコード・プロデューサー、音楽評論家。宮城県仙台市出身。 東京都立西高校を経て早稲田大学政治経済学部卒業。1976年東芝EMI(当時)に入社。1988年ブルース・ランドヴァル(当時ブルーノート社長)、マイケル・カスクーナ(同プロデューサー)らの協力を得てブルーノートの姉妹レーベル「サムシンエルス」を社内に設立。現在まで200タイトル近くの作品を同レーベルで制作。多くはブルーノートを通じて海外でも発売されている。軽井沢録音のゴンサロ・ルバルカバ『ラプソディア』(1992年)はグラミー賞にノミネート。日本国内においてブルーノートをはじめとする多くのジャズ作品やミュージシャンを紹介し、ジャズ市場の育成に貢献。
船山 基紀(ふなやま もとき、1951年1月13日 - )は… 船山 基紀(ふなやま もとき、1951年1月13日 - )は、東京都出身の作曲家、編曲家、キーボーディスト、音楽プロデューサー。
椎名 保(しいな やすし、1951年 - )は、日本の実業家… 椎名 保(しいな やすし、1951年 - )は、日本の実業家、プロデューサー。株式会社KADOKAWA特別顧問、公益財団法人角川文化振興財団専務理事 、公益財団法人ユニジャパン副理事長。 アスミック・エース エンタテインメント株式会社代表取締役社長、株式会社角川エンタテインメント代表取締役社長、角川映画株式会社代表取締役社長、株式会社角川書店代表取締役専務などを歴任した。 1951年、東京都生まれ。1974年3月、早稲田大学理工学部卒業。 1974年4月、住友商事に入社。住友商事では、当初は鉄の輸出に関する事業に携わっていたが、その後、映像メディア事業に携わるようになり、1987年、映像メディア事業部の参事就任。
清丸 惠三郎(せいまる けいざぶろう、1950年9月17日 … 清丸 惠三郎(せいまる けいざぶろう、1950年9月17日 - )は、編集・出版プロデューサー・ジャーナリスト。石川県小松市出身。雑誌『プレジデント』の元編集長。 1969年に石川県立小松高等学校卒業。1973年早稲田大学第一政経学部政治学科卒。日本短波放送(現・日経ラジオ社)入社、報道部プロデューサー、記者などを経て、1977年ダイヤモンド・タイム社(現・プレジデント社)入社。『ビッグサクセス』『プレジデント』編集長を歴任。社長をつとめた本多光夫(作家・諸井薫)譲りの「人間は人間に一番興味がある」を主題に『プレジデント』をビジネス誌ナンバーワン部数に押し上げる。「性」や「教育」などを特集、ビジネス誌のテーマを大きく広げたことで評価される。
八木 康夫(やぎ やすお、1950年(昭和25年)7月16日… 八木 康夫(やぎ やすお、1950年(昭和25年)7月16日 - )は、日本のテレビドラマプロデューサー。TBSテレビ取締役、執行役員、テレパック常務取締役を務めた。 愛知県出身。愛知県立明和高等学校、早稲田大学第一文学部社会学専修卒業。 高校時代は、吉永小百合の清楚な美しさにひかれ、その熱い思いを「吉永小百合・讃」と題して400字詰め原稿用紙5、6枚にまとめ、校内文集に発表。同級生の間で熱烈なサユリストとして知られた。そして高校1、2年の時には、同級生3人とジャズバンドを結成。高校の文化祭にも出て、八木の発案でオリジナルレコードを1枚制作。歌詞も曲も自分たちで作った。1973年にTBS(現・TBSHD)へ入社。
吉田 建(よしだ けん、1949年11月21日 - )は、日… 吉田 建(よしだ けん、1949年11月21日 - )は、日本の作曲家・編曲家・ベーシスト、音楽プロデューサー。血液型A型。 1972年、早稲田大学商学部卒業後、長谷川きよしに見出され、プロとして活動する。 1970年代中盤にはりりィのバックバンド「バイバイ・セッション・バンド」に参加し、若き日の坂本龍一等とともに全国をツアーで回るなどの活動をする。またメンバーの伊藤銀次の紹介により、ナイアガラ・トライアングルのアルバム『NIAGARA TRIANGLE Vol.1』制作に参加する。 1980年代-1990年代には沢田研二のバックバンド「エキゾティクス」「JAZZ MASTER」、泉谷しげるのバックバンド「LOSER」のベーシスト兼編曲家として活動する。
渡辺 高志(渡邉 高志、わたなべ たかし、1949年(昭和2… 渡辺 高志(渡邉 高志、わたなべ たかし、1949年(昭和24年)9月23日 - )は、日本のラジオディレクター、テレビプロデューサー。 元毎日放送(MBS)プロデューサーで、チーフプロデューサー、東京支社制作部長、専任局長等を歴任した。同社在籍時からアスタリスク株式会社を設立し、取締役副社長を渡邉高志名義で務める。 東京都出身。早稲田大学政治経済学部(岩倉誠一ゼミナール第4期生)卒業後の1973年(昭和48年)にMBS入社。ラジオ営業部を経て、1979年(昭和54年)にラジオ制作部に異動。人気ラジオ番組『MBSヤングタウン』のディレクターを担当し、その頃から「コナベさん」と呼ばれていた(これは、「ヤンタン」創始者で初代プロデューサーの渡辺一雄と区別する為に、一雄の方を「オオナベさん」とした上で付けられた通称である)。
関口 哲平(せきぐち てっぺい、1949年7月 - 2005… 関口 哲平(せきぐち てっぺい、1949年7月 - 2005年12月12日)は、日本の選挙プロデューサー、作家。神奈川県横須賀市出身。栄光学園高校卒、早稲田大学政治経済学部卒。 出光興産退社後、代議士の私設秘書となる。アントニオ猪木・野末陳平・大前研一・舛添要一・竹中平蔵などの選挙プロデューサーを歴任。 1997年からはテレビの構成作家としても活動を開始する。 2001年、自らの実体験も交えた選挙の内幕を描いた小説「選挙参謀」を上梓し、小説家デビューする。進行性の大腸癌と診断され、2002年3月に手術を受け、約1年間の休養の後、「愛犬マックス 誘拐DOGNAP」にて復帰する。癌からの生還のエッセイを著したが、その後、癌が胃に転移し、闘病の後、2005年に逝去した。
水島 総(みずしま さとる、1949年(昭和24年)6月18… 水島 総(みずしま さとる、1949年(昭和24年)6月18日 - )は、日本の経営者、映画監督、脚本家、プロデューサー、政治活動家、日本文化チャンネル桜代表取締役社長。頑張れ日本!全国行動委員会幹事長
森 正行(もり まさゆき、1948年12月19日 - )は、… 森 正行(もり まさゆき、1948年12月19日 - )は、日本のテレビプロデューサー。コメディアン志村けん人気を不動にした『ドリフ大爆笑』『志村けんのバカ殿様』(フジテレビ)などの番組を手掛けた。大阪府出身。 1948年に大阪府で生まれる。血液型はA型。早稲田大学卒業後フジテレビに入社する。 フジテレビ系列(FNS)で1977年(昭和52年)放送開始のお笑いバラエティ番組『ドリフ大爆笑』をディレクターとして担当。後発ながらTBS系『8時だョ!全員集合』(1969年開始)と並ぶ、ザ・ドリフターズを代表するバラエティ番組に育て上げた。 ドリフの番組では1986年スタート『志村けんのバカ殿様』も担当したほか、1968年(昭和43年)から1990年(平成2年)まで22年間FNSで放送された人気音楽番組『夜のヒットスタジオ』の4代目プロデューサーを渡邉光男と共に担当した。
櫻井 顕(幼名は彰生、眞樹、1948年9月 - )は、日本の… 櫻井 顕(幼名は彰生、眞樹、1948年9月 - )は、日本の映画監督、シナリオライター、プロデューサー、小説家。群馬県前橋市出身。 当初は俳優を目指して早稲田大に学んだが、早稲田大学第二文学部演劇学科卒業後、映画監督大沼哲郎、杉山正美、小林米作等に師事。主に科学映画、記録映画製作に従事。その後日本テレビ放送網、電通映画社を経て1978年よりフリー映画作家としてインディペンダント映画作品の製作を目指す。 1979年「さよならの日々」で劇映画監督デビュー。同作品は1980年文化庁奨励賞を獲得。同作品の撮影は、村野鉄太郎監督の「月山」でカメラマンデビューした高間賢治の2作目。以来櫻井と高間は交流を続け、3本の自主映画作品を共に製作。
大里 幸夫(おおさと ゆきお、1948年7月18日 - )は… 大里 幸夫(おおさと ゆきお、1948年7月18日 - )は日本のゲームプロデューサー。セガサミーホールディングス所属。 早稲田大学法学部卒業。広告代理店を経て、1983年ハドソンに入社。同社取締役に就任する。 同社の役員としてゲーム事業を統括する他、音楽事業を手がける関連子会社ハニービー音楽出版の代表取締役に就任。ハドソンの事業展開を大きく支えた。 2004年、ハドソン取締役を辞任。2006年には退社する。その後赤城神社にてボランティア事業を展開しながらセガサミーへ移籍。同社顧問を務めている。 この項目は、ゲーム関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝)。
池島 ゆたか(いけじま ゆたか、1948年3月30日 - )… 池島 ゆたか(いけじま ゆたか、1948年3月30日 - )は、日本の俳優、元AV男優、映画監督、映画プロデューサー。 東京都生まれ。早稲田大学文学部在学中に「天井桟敷 (劇団)」に参加し舞台俳優として活動。1981年(昭和56年)に映画デビュー。滝田洋二郎、稲尾実、細山智明、実相寺昭雄などの監督作品、主としてピンク映画を中心に活躍。その後AV男優を経て、1991年(平成3年)にピンク映画『ザ・ONANIEレズ』で監督デビュー。ロスアンゼルスで開催されたBOOBS & BLOOD INTERNATIONAL FILM FESTIVAL(「おっぱいと血の国際映画祭」)にて、クエンティン・タランティーノ、ロジャー・コーマン等と共に、International Lifetime Achievement Awards(国際特別功労賞)を受賞した。
宮崎 恭一(みやざき きょういち、1948年1月1日 - )… 宮崎 恭一(みやざき きょういち、1948年1月1日 - )は、日本の音楽・映画プロデューサーである。マドンナ、Stingなどの招聘を手掛ける。映画の代表作は「転々」。茨城県水戸市出身。茨城県立水戸第一高等学校、成蹊大学卒業。早稲田大学大学院修了 (MBA)。 河和田工房設立、アクス代表取締役、1987年西武百貨店メディア事業部部長、2003年オメガプロジェクト代表取締役、ザックコーポレーション代表取締役。株式会社ザックコーポレーション2012年倒産。 スーパーロック84、1985年ボン・ジョヴィ、1986年クイーン各日本公演にプロデュース参加。1987年、1990年マドンナ、1988年、1992年Stingを招聘。
瀧沢 裕二(たきざわ ゆうじ、1948年 - )は、日本の映… 瀧沢 裕二(たきざわ ゆうじ、1948年 - )は、日本の映像プロデューサー・ディレクター。映画祭ディレクター。早稲田大学第1文学部卒業。 早稲田大学第1文学部を卒業後、電通映画社(現:電通テック)に入社。CMディレクター・プロデューサーとなる。電通テックで能力開発部長を経験後、ソニーPCLに転籍。CMを始め、CS放送番組の立ち上げや、デジタルサイネージ、ODS(非映画デジタルコンテンツ)等の映像関連新規事業開発に取り組む。埼玉県川口市のSKIPシティ・プロジェクトには1999年の企画段階から参加し、2000年株式会社SKIPシティ設立に伴い取締役として出向。「映像ミュージアム」「映像制作学習プログラム」「SKIPシティ国際Dシネマ映画祭」等の立ち上げ、運営を行う。
村上 信夫(むらかみ のぶお、1947年〈昭和22年〉6月6… 村上 信夫(むらかみ のぶお、1947年〈昭和22年〉6月6日 - )は、日本の演出家、プロデューサー。大阪府出身。 1947年、大阪府出身。 1971年、早稲田大学第一文学部卒業。宝塚歌劇団に入団。演出助手として活動。 1979年以降、宝塚歌劇団の演出家として活躍。 1997年に宝塚歌劇団、プロデューサーに転身。宝塚歌劇団のベルリン公演、韓国公演などの制作を担当。また数多くの宝塚の作品を制作する。 2007年、宝塚クリエイティブアーツに入社。宝塚専門チャンネルのタカラヅカ・スカイ・ステージのプロデューサーを担当。2012年に定年退社。以降、宝塚歌劇団卒業生のライブとかのプロデューサーを数多く手がけている。
原田 保(はらだ たもつ、1947年 - )は、日本のコンテ… 原田 保(はらだ たもつ、1947年 - )は、日本のコンテクストデザイナー、戦略プロデューサー。多摩大学大学院経営情報学研究科客員教授、メイ・ウシヤマ学園理事長補佐、ハリウッド大学院大学特任教授、文化学園大学特任教授、メイ・ウシヤマ総合研究所副所長、明治大学ビジネス・イノベーション研究所客員研究員。薬樹顧問、日本能率協会総合研究所観光マーケティング研究所客員研究員、日本ペンクラブ会員など[要出典]。専門は戦略研究、文化評論[要出典]。 神奈川県出身。1971年に早稲田大学政治経済学部卒業後、西武百貨店に入社。1980年に米国シアーズローバック研修出向。1990年に西武百貨店取締役として企画室長、情報システム部長、商品管理部長、関東地区担当、国際業務担当、業革推進担当を歴任。
牧村 憲一(まきむら けんいち、1946年11月3日 - )… 牧村 憲一(まきむら けんいち、1946年11月3日 - )は、日本の音楽プロデューサー。昭和音楽大学講師。 東京都渋谷区出身。早稲田大学法学部在学中の1968年、音楽サークル“グリー・クラブ”の先輩三浦光紀のキングレコード就職に伴い、私設アシスタントとして音楽業界に身を投じる。無給だったため、1970年頃、小室等の事務所に預けられ、六文銭のマネージメントを担当する。 1970年、「中津川フォークジャンボリー」の実行委員となり、東京のアーティストのブッキングを担当する。 1971年、後藤由多加に誘われ、ユイ音楽工房の設立に参加する。同事務所では、かぐや姫を担当する。『神田川』がディレクターとして最初に成功した楽曲となる。
松井 久子(まつい ひさこ、1946年5月21日 - )は、… 松井 久子(まつい ひさこ、1946年5月21日 - )は、日本の映画監督、映画プロデューサー。 岐阜県生まれ。東京・深川育ち。東京都立小松川高等学校を経て、[要出典]早稲田大学文学部演劇科を卒業。雑誌のフリーライターを経て、1985年、39歳でTV番組制作会社エッセン・コミュニケーションズを設立。TV番組の制作などを経て、1993年から映画のプロデュースにも進出。1993年の「She's Rain」を皮切りに、1996年には、「薔薇ホテル」、「菜の花配達便」を手がける。 1998年、吉目木晴彦の芥川賞受賞作(1993年)『寂寥郊野』を原作に、新藤兼人が脚本を担当した、戦争花嫁として国際結婚をしてアメリカ合衆国ルイジアナ州バトンルージュに在住、アルツハイマー症を発症した日本人女性を描いた「ユキエ」で監督デビューし、同年の新藤兼人賞を受賞した。
菊地 哲榮(きくち あきひで、1946年1月9日 - )は、… 菊地 哲榮(きくち あきひで、1946年1月9日 - )は、日本の音楽プロデューサー。 (株)ハンズオン・エンタテインメント代表取締役会長。 (株)ハッピーチャイルド代表取締役社長。 (株)幽玄屋代表取締役社長 早稲田大学理工学部電気通信学科卒業。早稲田大学応援部出身。 渡辺プロダクション時代、沢田研二、木の実ナナなどを担当し、天地真理をデビューさせたことで知られる。 1979年、渡辺プロダクションから独立、株式会社ポケットパーク(現:株式会社ハッピーチャイルド)を設立。松原みき、遠藤賢司をマネージメント。 1980年、株式会社ハンズ(現:株式会社ハンズオン・エンタテインメント)代表取締役に就任。
岡崎 正通(おかざき まさみち、1946年 - )は、ラジオ… 岡崎 正通(おかざき まさみち、1946年 - )は、ラジオディレクター、プロデューサー。音楽評論家(ジャズを中心に評論)。本名、近衛 正通(このえ まさみち)。かつてニッポン放送に在籍していた。 東京都生まれ。公爵で元内閣総理大臣の近衛文麿の孫。親にトランジスタラジオを買ってもらった時がラジオや音楽との出会いであり、本人曰く「どこにでもいるようなポップス小僧」だったとのこと。特に当時洋楽に強かったラジオ関東(現、アール・エフ・ラジオ日本)を良く聴いていたという。高校生になった頃からジャズ喫茶に足繁く通って色々なジャズを聴いており、特に夢中になったミュージシャンとしてトリオ・ロス・パンチョス、オーネット・コールマン、ジョン・コルトレーンを挙げている。
増田 久雄(ますだ ひさお、1946年 - )は日本の映画プ… 増田 久雄(ますだ ひさお、1946年 - )は日本の映画プロデューサー。東京都出身。 早稲田大学政治経済学部卒業。在学中に石原裕次郎と出会い、大学卒業後石原プロモーションで映画製作に携わる。その後、石原プロの映画製作中止に伴い退社しフリーランスの映画プロデューサーとして活動を開始する。 1976年、ドキュメンタリー映画「永遠なる武道」製作のために、自身の会社「プルミエ・インターナショナル」を設立する。その後、次々と話題作を手がける。 映画プロデュースの傍ら、「北原陽一」のペンネームで脚本を書いたり、小説・舞台の英訳・プロデュースも行う。 石原プロとの交流は依然続いており、1997年には石原まき子からの奨めで、「石原裕次郎への私信のつもりで書きためた手紙を公開する」形での回顧録『太平洋の果実』(パルコ出版刊)を上梓した。
新田 和長(にった かずなが 1945年5月5日 - )は、… 新田 和長(にった かずなが 1945年5月5日 - )は、日本の実業家、レコードプロデューサー。元レコードディレクター、ミュージシャン。
堀越 謙三(ほりこし けんぞう、1945年 - 2025年6… 堀越 謙三(ほりこし けんぞう、1945年 - 2025年6月19日)は、日本の映画プロデューサー。映画製作配給興行会社ユーロスペース代表。東京藝術大学名誉教授。開志専門職大学 アニメ・マンガ学部教授(2021年 - )。レオス・カラックス監督とのコラボレーションで知られている。 1967年早稲田大学第一文学部独逸文学専修を卒業して渡独。1970年にマインツ市で会員制旅行代理店「欧日協会」を友人と創業。1971年マインツ大学ドイツ文学科修士課程を中退して帰国。 1976年に、カンヌでの上映前にミュンヘンで「さすらい」を見て、ヴィム・ヴェンダースに電話し、会い、「(この映画を)日本で上映したい」と申し入れる。
重村 一(しげむら はじめ、1944年(昭和19年)11月3… 重村 一(しげむら はじめ、1944年(昭和19年)11月30日 - )は、日本のテレビプロデューサー、実業家。スカイパーフェクト・コミュニケーションズ代表取締役社長、ニッポン放送代表取締役会長等を歴任した。 神奈川県出身。早稲田大学第一政治経済学部卒業。 入学した頃、学内では「早大闘争」と呼ばれる学生運動が吹き荒れていた。その闘争の果て、重村は戒告処分を受けた。どうせ戒告処分を受けるなら、1年休学しようと思い、暇になったので、大宅壮一の主宰する大宅マスコミ塾の1期生として入塾することにした。そこには、能見正比古やばばこういちといった後にマスコミで大成することになる人たちが参加していた。 1968年、ドラマ制作を志しフジテレビに入社したが、マスコミ塾での経験を買われ、報道局に配属される。
三浦 光紀(みうら こうき、1944年(昭和19年)6月27… 三浦 光紀(みうら こうき、1944年(昭和19年)6月27日 - )は、日本の音楽プロデューサー、実業家。徳間ジャパンコミュニケーションズ専務取締役などを務めた。山形県酒田市出身。 山形県立酒田東高等学校を経て、早稲田大学を卒業。 佐高信は高校時代からの親友で、慶大に進んだ佐高は、庄内地方出身者が入る駒込の学生寮で生活するが、三浦はよく、この寮に遊びにいった。入学した早大では、グリークラブに加わり、1年下には渋谷系の牧村憲一、吉田拓郎などを担当した前田仁、3年下にはサザンオールスターズを発掘したビクター音楽産業の高垣健などがいた。 1968年(昭和43年)4月、キングレコードに入社。文芸部教養課に配属され、プロデューサー・長田暁二のアシスタントとしてスタートする。
弟子丸 千一郎(でしまる せんいちろう、1943年(昭和18… 弟子丸 千一郎(でしまる せんいちろう、1943年(昭和18年)3月11日 - 2013年(平成25年)10月27日)は、日本のテレビプロデューサー。 佐賀県出身、早稲田大学政経学部卒業。株式会社アックス元代表取締役社長。 TBSテレビプロデューサーとして音楽番組の製作及び演出に長く携わった人物である。『ザ・ベストテン』の立ち上げに寄与しており、プロデューサーとして、『あなたの歌が聴きたいという人たちのリクエストに応えるべきだ』と、当時、頑なにテレビ出演を拒んでいた松山千春を説得して出演させたことでも知られる。 大学ではニューオーリンズジャズクラブに所属、ドラムを担当。1965年、TBSに入社。
田中 文雄(、1941年9月22日 - 2009年4月12日… 田中 文雄(、1941年9月22日 - 2009年4月12日)は、日本の映画プロデューサー、小説家。東京府出身。小説の執筆では、滝原 満(たきはら みつる)、草薙 圭一郎()という名義も使用した。 1964年、早稲田大学政治経済学部卒業。在学中は、「ワセダミステリクラブ」に参加していた。在学中の1963年、『宝石』(1963年10号 臨時増刊 38年度新人中篇力作10人集)に短編「白い翼の郷」が掲載された。 大学を卒業し、同年、東宝撮影所に入社。文芸部に配属され、プロデューサー補佐を務めた後、1969年に文芸部が廃止され製作者室に所属。同年に映画『野獣の復活』でプロデューサーとしてデビューし、血を吸うシリーズなど、ホラー・SFを中心に活躍。
山崎 敬之(やまざき けいし、1941年 - )は、日本のシ… 山崎 敬之(やまざき けいし、1941年 - )は、日本のシナリオライター、アニメプロデューサーである。主にテレビアニメのシナリオを手掛けてきた。 東京都出身。早稲田大学第一文学部仏文学科卒業後、神田の地図出版社に就職、『観光百科』の編集に携わっていたが、偶然、家庭教師のアルバイト先の隣家が東京ムービーの取締役企画部長宅であったことから、1968年11月同社に転勤し、テレビアニメ『怪物くん』のシナリオ制作に参加した。 その後、テレビアニメ作品『巨人の星』、『六法やぶれクン』、『新オバケのQ太郎』、『赤胴鈴之助』、『ど根性ガエル』、『柔道讃歌』、『はじめ人間ギャートルズ』、『元祖天才バカボン』、『家なき子』、『宝島』、『ベルサイユのばら』、『おはよう!スパンク』、『じゃりン子チエ』、『とんでモン・ペ』、『それいけ!アンパンマン』などに参加。
河内 紀(かわち かなめ、1940年 - )は、音楽プロデュ… 河内 紀(かわち かなめ、1940年 - )は、音楽プロデューサー、映像ディレクター。劇作家・演出家の佐藤信は義弟。 東京生まれ。早稲田大学在学中、大和屋竺や田中陽造らと 「稲門シナリオ研究会」に属し、ドキュメンタリー映画を製作。 1962年、TBS入社。ラジオを中心に活躍し、1974年に退社。宍戸錠主演のラジオ番組「ヤング・パンチ」シリーズに、鈴木清順をはじめとする具流八郎グループを起用して話題となる。 その後、鈴木清順監督の映画『ツィゴイネルワイゼン』、『陽炎座』などの音楽監督、キース・ジャレットの全ビデオ作品の演出などを手掛ける。 1970年ラジオドキュメンタリー「ヤッホー」でイタリア賞グランプリ受賞。
高畠 久 (たかばたけ ひさし、1939年7月16日 - )… 高畠 久 (たかばたけ ひさし、1939年7月16日 - )は 日本の編集者、脚本家、映画プロデューサー。 樺太出身。洛星中学校・高等学校、早稲田大学文学部演劇科卒業。1962年東宝に入社。「権藤利英」のペンネームで松竹映画『夜の片鱗』の脚本を執筆。1967年東宝退社。1975年、企画制作プロを設立し、映画・テレビドラマ・テレビ番組・コンサートなどの企画・脚本・プロデュースに当たる。2012年に演劇プロデュースグループ「スタジオQ」を設立。
植村 鞆音(うえむら ともね、1938年3月10日 - )は… 植村 鞆音(うえむら ともね、1938年3月10日 - )は、日本のテレビプロデューサー・会社役員、伝記作家。 愛媛県松山市に生まれる。父植村清二は東洋史学者で、作家直木三十五の実弟。新潟県立新潟高等学校を経て1962年早稲田大学第一文学部史学科卒業、東映入社。 1964年テレビ東京入社。1994年同局常務取締役。1999年テレビ東京制作代表取締役社長を経て、DACグループ顧問、一般社団法人STEP理事。 2005年『直木三十五伝』で第19回尾崎秀樹記念・大衆文学研究賞受賞、2007年『歴史の教師植村清二』で第55回日本エッセイスト・クラブ賞受賞。
角谷 優(かくたに まさる、1938年(昭和13年) - )… 角谷 優(かくたに まさる、1938年(昭和13年) - )は、日本の映画プロデューサー。フジテレビジョン映画部長、ロサンゼルス支社長、フジサンケイ・コミュニケーションズ・インターナショナル副社長などを務めた。 高校生から大学までを、池袋の名画座・人世坐系の文芸地下で働く。 1961年4月、早稲田大学卒業後、フジテレビにアナウンサーとして入社。報道担当アナウンサーとして『FNNテレビ朝刊』などを担当。映画好きを活かして自ら志願して、同年10月から映画劇場の『テレビ名画座』で同僚の辻川一徳アナウンサーとともに資料集めと原稿執筆、選曲をしてテレビ初の映画解説者を行った。他に『話題の映画』という映画情報番組も制作。
草野 浩二(くさの こうじ、1937年11月20日 - 20… 草野 浩二(くさの こうじ、1937年11月20日 - 2025年10月17日)は、日本の音楽プロデューサー・ディレクター。 東京府出身で、暁星学園を経て早稲田大学第一商学部を1960年3月に卒業する。 1960年4月に東京芝浦電気へ入社してレコード事業部制作部ディレクターとなり、坂本九の「悲しき六十才」を手掛け初仕事で初ヒット作品を輩出する。以来1960年代初期はカバーポップスの全盛時代を作り、1970年代は邦楽ポップスの黄金時代を築いた。 東芝EMI退社後はファンハウスを経てフリーランスの音楽プロデューサーとして活動し、コンピレーション・アルバム監修、コンサートプロデュース、新人育成などを手掛ける。
阿部 征司(あべ せいじ、1937年〈昭和12年〉8月1日 … 阿部 征司(あべ せいじ、1937年〈昭和12年〉8月1日 - 2012年〈平成24年〉12月29日)は、日本のテレビプロデューサー・映画プロデューサー・作詞家。秋田県鹿角郡花輪町(現・鹿角市)出身。早稲田大学教育学部社会学科卒業。東映でテレビ番組制作や映画製作に携わった。 作詞家としてのペンネームは中瀬当一、田中守。脚本家としてのペンネームとしては、東映プロデューサーの平山亨との共同筆名「海堂肇」がある[要出典]。 1937年(昭和12年)8月1日、秋田県鹿角郡花輪町(現・鹿角市)において、阿部重吉とハツエの二男として生まれた。阿部家は映画館の花輪劇場の経営者だった。実家が映画館だったこともあり、幼い頃から映画業界を志した。