岡本 嗣郎(おかもと しろう、1946年4月10日 - 20… 岡本 嗣郎(おかもと しろう、1946年4月10日 - 2003年8月6日)は、日本のノンフィクション作家、ジャーナリスト。 大阪府生まれ。早稲田大学法学部卒業。毎日新聞社に入社。大阪本社社会部記者、同学芸部副部長を経て、編集委員。1996年に退社して、フリーに。 また1992年、山本集の半生を描いたノンフィクション「男前(おとこまえ)」を著し、ノンフィクション作家としても活躍。 1997年、将棋ペンクラブ大賞(著作部門・第9回)を「9四歩の謎」で受賞。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
朝比奈 敦(あさひな あつし、本名:矢野 栄一郎、1946年… 朝比奈 敦(あさひな あつし、本名:矢野 栄一郎、1946年 - 2015年)は、日本の小説家。山口県を拠点に作家活動をしていた。 やまぐちの文学者たち100名の一人。早稲田大学法学部卒。 山口県下関市に生まれる。父の勤めの関係で、小倉から大阪へと転校を重ねる。高校生になると、こころ通う友だちを求めて同人誌を発行。誌名は、『仲間』。作品は不明。大学卒業後、株式会社クラレに入社。1年後(財)法曹界出版部で5年勤めた後、教職を志し、神奈川県立津久井高等学校教師となる。 神奈川県から山口に戻り、山口県立柳井商工高等学校に在任中、山口高校の教諭数名で始まった同人誌『風響樹』を知り、3号から加わる。最初の作品は、「Kさんの死」。
神 一行(じん いっこう、1946年 - )は、日本の評論家… 神 一行(じん いっこう、1946年 - )は、日本の評論家、ノンフィクション作家。 長崎県出身。早稲田大学文学部社会学科在学中から執筆活動を始め、卒業後は出版社などの役員を歴任した。退職後、著述業のかたわら「人間経営塾」を主宰し、官庁や企業の研修の講師を務めるなど、人材育成のための活動をおこなっている。 政界や官界の内面を取材、分析した作品を多数執筆している。また、岬 龍一郎(みさき りゅういちろう)名義での執筆活動も行っている。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
高橋 義夫(たかはし よしお、1945年10月26日 - )… 高橋 義夫(たかはし よしお、1945年10月26日 - )は、日本の小説家。 千葉県船橋市出身。山形市在住。市川高等学校、早稲田大学文学部仏文学科卒業。息子の高橋文樹も小説家。 月刊誌『BOX』の編集者、広告会社の共同経営を経て、1977年『幻の明治維新 やさしき志士の群』で小説家デビュー、その後、明治もの小説、田舎暮らしに関する著書などを上梓、1987年『闇の葬列』で直木賞候補、1989年『秘宝月山丸』で同候補、1990年『北緯50度に消ゆ』で三度候補、1991年『風吹峠』で四度候補。 1992年『狼奉行』で第106回(1991年下半期)直木三十五賞を受賞。1997年から山形市にて「小説家(ライター)になろう講座」(現:山形小説家・ライター講座)を開講。
宮崎 学(みやざき まなぶ、1945年〈昭和20年〉10月2… 宮崎 学(みやざき まなぶ、1945年〈昭和20年〉10月25日 - 2022年〈令和4年〉3月30日)は、日本の評論家・ノンフィクション作家・小説家。京都府京都市伏見区深草福稲高松町生まれ。 京都・伏見の暴力団寺村組の初代組長を父に、大阪・釜ヶ崎の博徒の娘を母に持った、4人きょうだいの末っ子である。父の宮崎清親(旧姓・寺村)は京都府の南端、木津川沿いの綴喜郡井手村(現在の井手町玉水)の貧しい農家の次男坊であり、10代の初めに京都に出てきた。戦後になってから中島源之介の中島会(のちに中島連合会)と正式に関わりをもって盃を受け、ヤクザの世界に加わる。父は博徒であったが、その一方で鳶や土方を数十人抱える解体屋寺村組の親方でもあった。
吉田 司(よしだ つかさ、1945年〈昭和20年〉9月29日… 吉田 司(よしだ つかさ、1945年〈昭和20年〉9月29日 - )は、日本のノンフィクション作家。 山形県山形市出身。父親が両足が不自由になり、母親(吉田コト(子))は農村で「一銭店」と呼ばれる雑貨屋を営むことになる。毎晩、酔っぱらった農民たちが押し寄せ、卑猥な宴会を開いたり母親を誘う状態を目の当たりにしており、身障者の家庭から快楽の種を貪りとろうとする農民や封建的なムラの風土への憎悪を抱く。これらの経験を通して得た日本人の原像とつながる村落共同体への反発が、インテリが陥いりがちな民衆への無条件な賛美とは一線を画する後の活動の原点となった。 山形県立山形東高等学校卒業。早稲田大学第一文学部に入学。
井沢 満(いざわ まん、本名:井澤 満(いざわ みつる)、1… 井沢 満(いざわ まん、本名:井澤 満(いざわ みつる)、1945年8月6日 - )は、日本の脚本家、小説家。大分県出身。コメンテーターとしてテレビ番組にも出演する。 日本統治下の朝鮮・京畿道京城府(現在のソウル特別市)に誕生。終戦に伴い、0歳の時に居留日本人の引揚船でもともとの郷里である長崎へ帰り、4歳までを過ごす。大分県立大分舞鶴高等学校卒業。早稲田大学第一文学部仏文科中退後、オーストラリアへ渡る。帰国後、NHKのラジオドラマのシナリオコンクールに佳作入選したのをきっかけとして、脚本家の道へと進む。 脚本家として、しばらくはラジオを中心に書いていたが、NHKやTBSのテレビドラマでピンチヒッターのライターを務めるうちに、テレビへと方向転換をする。
宮城谷 昌光(みやぎたに まさみつ、1945年2月4日 - … 宮城谷 昌光(みやぎたに まさみつ、1945年2月4日 - )は、日本の小説家、歴史小説・時代小説作家である。古代中国の偉人にスポットを当てた作品を得意とする。本名は宮城谷 誠一(みやぎたに せいいち)。静岡県浜松市在住。 愛知県宝飯郡三谷町(現・蒲郡市三谷町) 生まれ。愛知県立時習館高等学校を経て、早稲田大学第一文学部英文学科卒業。大学卒業後、出版会社勤務や家業の土産物屋の手伝いなどを経て、郷里で英語の塾を開いていたが、作家として名が売れるまでは苦しい生活が長く続いた。その後、立原正秋と出会い、教えを受ける。立原に「必然性のない漢字を使ってはならない」と言われたことから、日本語と漢字に向き合う日々を送ることになる。
小島 英記(こじま ひでき、1945年 ‐ )は、日本の作家… 小島 英記(こじま ひでき、1945年 ‐ )は、日本の作家、元新聞記者。 作家・小島直記の長男。福岡県八女市生まれ。早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。日本経済新聞のパリ特派員、文化部編集委員などを経て、作家となる。はじめ小島英煕の筆名を用いた。 幼少期から一刀流中西派の高野弘正に師事し、大学在学中に全日本剣道連盟五段を取得。1977年、七段を允許された。
川又 一英(かわまた かずひで、1944年12月3日 - 2… 川又 一英(かわまた かずひで、1944年12月3日 - 2004年10月16日)は、日本の小説家、美術研究家。東京都出身。早稲田大学文学部ロシア文学科卒業。聖名はシメオン。 熱心な正教会の信者として知られ、西洋美術史に造詣が深く、ロシアを中心とした評論および日本を題材とした場合は人物伝を残した。日本正教会、ギリシャ正教会、ロシア正教会などのイコンを含む教会文化についての著作も多い。2004年10月16日、肺癌のため死去、埋葬式は10月18日、日本ハリストス正教会のニコライ堂(東京復活大聖堂)で執り行われた。(『エチオピアのキリスト教思索の旅』214ページ「川又一英の略歴と主な著書」参照) この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
岩崎 正吾(いわさき せいご、1944年11月11日- 20… 岩崎 正吾(いわさき せいご、1944年11月11日- 2024年4月15日)は、日本の推理作家、時代小説作家、ノンフィクション作家。本名、岩崎 征吾。 山梨県甲府市生まれ、在住。甲府第一高等学校、早稲田大学文学部卒業。 大学時代は演劇活動も行っていた。卒業後地元山梨県に戻り学習塾を開いた後、1982年、地域出版社である山梨ふるさと文庫を設立し、地方出版活動を行い、出版業の傍ら小説の執筆を行う。経営難から撤退を考えた時、最後に自身の小説の出版を思い立ち、1987年、横溝正史の「本歌取り」作品にして「探偵の四季」シリーズの第1作目となる本格ミステリー『横溝正史殺人事件あるいは悪魔の子守唄』にて作家デビュー。
宮内 勝典(みやうち かつすけ、1944年10月4日 - )… 宮内 勝典(みやうち かつすけ、1944年10月4日 - )は、日本の小説家、エッセイスト。早稲田大学、大阪芸術大学の教授を歴任。世界各地を渡り歩き、経験と想像力をもとにスケールの大きな小説世界を構築。人はいかに「アイデンティティー」という名のくびきから逃れられるかという問いを根底に創作を重ねてきた。 終戦前年に旧満洲国のハルビンにて生まれ、終戦後の引き揚げにより鹿児島県指宿市旧山川町で育つ。鹿児島県立甲南高等学校に進学し、部活動の文学部(文芸部)に所属。1963年に鹿児島県立甲南高等学校を卒業し、働きながら国内を4年かけて放浪。1967年にアメリカ合衆国へ渡り、カリフォルニアとニューヨークで2年ずつ暮らした後、ヨーロッパからインドへの旅を経て日本に帰国。
辺見 庸(へんみ よう、本名:辺見 秀逸、1944年(昭和1… 辺見 庸(へんみ よう、本名:辺見 秀逸、1944年(昭和19年)、9月27日 - )は、日本の小説家、ジャーナリスト、詩人。元共同通信社記者。1991年、『文學界』(文藝春秋)1991年5月号「自動起床装置」で第105回芥川賞受賞。『もの食う人びと』(1994年)などのルポルタージュでも異彩を放つ。ほかに『赤い橋の下のぬるい水』(1992年)、『水の透視画法』(2011年)など。 宮城県石巻市南浜町出身。宮城県石巻高等学校を経て、早稲田大学第二文学部社会専修卒業。共同通信社に入社し、外信部のエース記者として知られた。北京、ハノイ特派員などを務め、北京特派員時代の1979年(昭和54年)には福原亨一と共に『近代化を進める中国に関する報道』により日本新聞協会賞を受賞(共同受賞)。
山名 美和子(やまな みわこ、1944年8月8日- )は、日… 山名 美和子(やまな みわこ、1944年8月8日- )は、日本の作家。 東京都生まれ。早稲田大学文学部卒。公立学校教員を経て、「梅花二輪」で第19回歴史文学賞入賞、作家となる。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
小嵐 九八郎(こあらし くはちろう、1944年7月31日 -… 小嵐 九八郎(こあらし くはちろう、1944年7月31日 -)は、日本の小説家、歌人。 本名、工藤永人。 秋田県能代市出身。神奈川県立川崎高等学校、早稲田大学政治経済学部卒業。大学在学中から新左翼運動に身を投じ、社青同解放派で活動し、通算5年の服役経験を持つ。歌人としての筆名は米山信介だったが、現在は小嵐九八郎に統一。「未来」短歌会にて岡井隆に師事。秋田方言を大胆に取り入れた軽快な作風を、小説においても短歌においても統一している。日本ペンクラブ会員。
飯田 栄彦(いいだ よしひこ、1944年7月13日 - 20… 飯田 栄彦(いいだ よしひこ、1944年7月13日 - 2015年9月30日)は、日本の児童文学作家。 福岡県甘木市出身[要出典]。福岡県立朝倉高等学校を経て、早稲田大学教育学部国語学科卒業[要出典]。1972年に『燃えながら飛んだよ!』で講談社児童文学新人賞、1975年に『飛べよ、トミー!』で野間児童文芸推奨作品賞[要出典]、1986年に『昔、そこに森があった』で第26回日本児童文学者協会賞をそれぞれ受賞した。その他に『ゴンちゃんなんばしよるとや?』、『ひとりぼっちのロビンフッド』など多数の著書がある。 朝倉市に住んでいたため、純真女子短期大学客員教授を務めていた。自己の教育観念を通しての授業は学生に大変人気があった。
大山真人(おおやま まひと、1944年(昭和19年)5月13… 大山真人(おおやま まひと、1944年(昭和19年)5月13日 - )は日本のノンフィクション作家。 山形県山形市出身。高齢者問題を中心に活動中。 早稲田大学第一文学部卒業。卒業後は、学習研究社に入社。主に女性雑誌、音楽雑誌の編集を手掛ける。学習研究社を退社後、ノンフィクション作家として数々の著書を刊行。 2008年、高齢者が気軽に訪れる事ができる「居場所」を作る運動として「幸福亭」を開設、主宰。 2011年4月、統一地方選挙所沢市議会議員選挙(定数36)に無所属で立候補し、46名中45位で落選した。 2013年3月、著書『騙されたがる人たち』で、詐欺問題のプロでありながら、自ら振り込め詐欺に騙され、被害者になったことを告白。
船戸 与一(ふなど よいち、1944年2月8日 - 2015… 船戸 与一(ふなど よいち、1944年2月8日 - 2015年4月22日)は、日本の小説家。本名:原田 建司(はらだ けんじ)。 山口県下関市生まれ。山口県立下関西高等学校、早稲田大学法学部卒業。 小学館、祥伝社などの出版社勤務を経てフリーになり、執筆活動を始める。1979年『非合法員』(講談社)で冒険小説家としてデビュー。 他に豊浦 志朗の筆名で『叛アメリカ史』などのルポルタージュ、外浦 吾朗の筆名で『ゴルゴ13』、『メロス』の劇画原作も著している。なお、「船戸」「豊浦」「外浦」はいずれも出身地である山口県の地名。 1983年、日本冒険作家クラブの創設の発起人の一人となる。 2015年4月22日 、胸腺癌のため死去。
赤羽 建美(あかばね たつみ、男性、1944年1月14日 -… 赤羽 建美(あかばね たつみ、男性、1944年1月14日 - )は、日本の作家。別名義は宝生茜。 東京都出身。青山学院高等部を経て、早稲田大学第一文学部卒業。在学中、NHK漫才台本コンクールで入賞した。私立高校の国語教師を勤めた後、1968年、集英社に入社し、『週刊プレイボーイ』編集部に在籍した。1971年に退職し、森山大道に師事してフリーランスのカメラマンとなる。1972年、主婦の友社に入社。同社では少女雑誌『ギャルズライフ』編集長となった。 1983年(昭和58年)、『住宅』で文学界新人賞を受賞し、芥川賞候補となる。1986年に主婦の友社を退職して、作家生活に入った。1987年(昭和62年)以降には、「集英社文庫コバルトシリーズ」などでユーモア・ミステリーを数多く執筆していたが、1990年代半ばからは恋愛マニュアル本を数多く執筆している。
田村 志津枝(たむら しづえ、1944年1月1日 - )は… 田村 志津枝(たむら しづえ、1944年1月1日 - )は日本のノンフィクション作家、映画研究家。中国語圏の映画字幕翻訳を多数手掛けている。夫は作家の夫馬基彦。 1944年の正月に日本統治下の台湾台南市に生まれる。父親は台南陸軍病院(中国語版)に勤務していた。小学校入学前、母親から「あなたはタンパンセンで生まれた」と聞かされ、自分は船の中で生まれたと思いこむが、これは地名の「台南市桶盤桟(中国語版)(タンパンセン)18番地」のことだった。引き揚げ後は長野県小諸市で育つ。1968年早稲田大学第一文学部ドイツ文学専修卒。 雑誌の編集、記録映画製作などに携わる。1973年新潟県中蒲原郡上杉町に中国語研修所が開所する。
千葉 幹夫(ちば みきお、1944年 - )は、日本の児童文… 千葉 幹夫(ちば みきお、1944年 - )は、日本の児童文学作家、児童文学評論家、妖怪研究家。日本文藝家協会会員。 宮城県出身。早稲田大学法学部卒業。 早稲田大学在学中より、早大童話会から改名した少年文学会に所属。児童図書専門出版社勤務を経て独立。 2002年、『舌ながばあさん』で 第33回「講談社出版文化賞」絵本賞を受賞。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
夫馬 基彦(ふま もとひこ、1943年12月2日 - )は、… 夫馬 基彦(ふま もとひこ、1943年12月2日 - )は、日本の小説家、連句人(俳号南斎)、元日本大学教授。妻はノンフィクション作家の田村志津枝。
檜山 良昭(ひやま よしあき、1943年9月5日 - )は、… 檜山 良昭(ひやま よしあき、1943年9月5日 - )は、日本の推理作家・SF作家。
後藤 竜二(ごとう りゅうじ・本名・後藤 隆二、1943年6… 後藤 竜二(ごとう りゅうじ・本名・後藤 隆二、1943年6月24日 - 2010年7月3日)は、日本の児童文学作家。 北海道美唄市出身。北海道美唄東高等学校を経て早稲田大学第一文学部卒業。在学中に早大童話会から改名した少年文学会に所属。1967年に『天使で大地はいっぱいだ』(講談社刊)でデビュー。『キャプテンはつらいぜ』シリーズ(講談社)、『12歳たちの伝説』シリーズ(新日本出版社)、でも知られている。 全国児童文学同人誌連絡会「季節風」代表を長く務めた。2010年7月3日、脳内出血のため死去。67歳。
干刈 あがた(ひかり あがた, 1943年(昭和18年)1月… 干刈 あがた(ひかり あがた, 1943年(昭和18年)1月25日 - 1992年(平成4年)9月6日)は、日本の小説家。本名:浅井和枝(旧姓柳)。東京・多摩出身。 デビュー作『樹下の家族』(1982年)以降、安保闘争世代の女性の青春、結婚、離婚、子育てなど、社会や家族との関わりについて鋭い同時代性を持って描き、読者の大きな共感を得た。作品に『ウホッホ探険隊』『ゆっくり東京女子マラソン』(1984年)、『黄色い髪』(1987年)などで、約10年ほどの作家生活の後、49歳で死去。 両親の出身地である奄美群島の郷土史研究家でもあった。 講談社児童文学新人賞選考委員を、1988年から1991年まで務めた。
広瀬 隆(ひろせ たかし、1943年〈昭和18年〉1月24日… 広瀬 隆(ひろせ たかし、1943年〈昭和18年〉1月24日 - )は、日本の作家。父は建築家の広瀬三郎。 東京生まれ。早稲田大学理工学部応用化学科卒業。大学卒業後、メーカーの技術者を経て、執筆活動を開始、医学文献等の翻訳に携わる。 1979年のスリーマイル島原子力発電所事故を機に、原発を考える市民団体「緑の会」の一員として、『原子力発電とはなにか……そのわかりやすい説明』(緑の会、編集責任者:広瀬隆、野草社、1981年)を出版。1980年代初期の著作として「安全というならば、長大な送電線建設コストのかかる地方ではなく、電力の大消費地である首都圏に原子力発電所を建設してはどうか」と指摘した『東京に原発を!』(広瀬隆著、企画:緑の会、JICC出版局、1981年)や、がんや白血病で死んだハリウッドスターの死因と、ネバダ州で行われていた大気圏内核実験の因果関係を示唆した『ジョン・ウェインはなぜ死んだか』(文藝春秋社、1982年)がある。
内田 聖子(うちだ せいこ、1943年 - )は、日本の小説… 内田 聖子(うちだ せいこ、1943年 - )は、日本の小説家・ノンフィクション作家。日本農民文学会、日本ペンクラブ、各会員。谷川雁研究会会員。 福島県原町市(現:南相馬市原町区)出身。1966年、早稲田大学教育学部を卒業。1971年から1979年まで、ラボ教育センターのテューターとして子どもとの言語活動を行い、谷川雁と知り合う。1980年、ベターホーム協会会員、日本児童文芸家協会会員。 50歳を目前に小説家デビュー。『駆けろ鉄兵・田鶴記』で1994年に第37回農民文学賞、『紫蘇むらさきの』で第7回長塚節文学賞を受賞。2006年、「ウミホタル」で第10回海洋文学大賞・海洋文学賞部門佳作。
宗像善樹(むなかた よしき、1943年 - 2021年)は、… 宗像善樹(むなかた よしき、1943年 - 2021年)は、日本の古代史研究者、咸臨丸研究者、作家。本名:宗像善樹。 旧筆名「沖島信一郎(おきしましんいちろう)」による著書もある。埼玉県浦和市(現:さいたま市)生まれ。さいたま市浦和区在住。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
井出 彰(いで あきら、1943年 - 2022年5月8日)… 井出 彰(いで あきら、1943年 - 2022年5月8日)は、神奈川県出身の編集者、出版社経営者、エッセイスト、小説家。株式会社図書新聞代表。 神奈川県箱根町生まれ。早稲田大学卒業。 26歳の時に、日本読書新聞に入社。のち編集長も務める。 1973年に退社して、自身の出版社「三交社」を起こすが、10年後に倒産。図書新聞に編集長として入社し、1988年より代表も兼務。のち編集長からは退いた。 そのかたわら、エッセイや小説も発表。2004年には、小説「精進ヶ池へ」で第3回小島信夫文学賞奨励賞を受賞。 2022年5月8日午前6時30分、白血病のため自宅で死去。78歳没。
川田 文子(かわた ふみこ、1943年 - 2023年4月2… 川田 文子(かわた ふみこ、1943年 - 2023年4月2日)は、日本のノンフィクション作家。日本の戦争責任資料センター共同代表。戦争と女性の人権博物館呼びかけ人。 茨城県生まれ。群馬県桐生市で育つ。早稲田大学文学部卒業。国際情報社勤務後、ノンフィクション作家となる。 日本の慰安婦問題をライフワークとし、日本軍性奴隷制問題解決のための正義記憶財団の支援組織である希望のたね基金で顧問を務める。 2014年には第69周年光復節記念式典が民団大阪本部にて開催され講師として招かれ『河野談話と日本軍の「慰安婦」制度』を主題に講演を行った。 2023年4月2日、胃がんのため東京都の病院で死去。79歳没。
梅原 稜子(うめはら りょうこ、1942年10月4日 - 2… 梅原 稜子(うめはら りょうこ、1942年10月4日 - 2026年3月19日)は、日本の作家。 本名は松代 智子(まつしろ ともこ)。夫は、翻訳家で帝京大学名誉教授の松代洋一。 愛媛県出身。早稲田大学文学部を卒業後、中央公論社勤務を経て、1971年に「円い旗の河床」で第33回文學界新人賞佳作に選ばれ作家となる。「夏の家」(第72回)、「掌の光景」(第73回)、「蔓の実」(第75回)、「四国山」(第90回)で4回とも芥川賞候補になるが、受賞には至らなかった。そのうち「四国山」で、1984年、第12回平林たい子文学賞を受賞。また、1997年、『海の回廊』で第47回芸術選奨文部大臣賞を受賞。 2026年3月19日死去。
橋本 健午(はしもと けんご、1942年6月20日 - 20… 橋本 健午(はしもと けんご、1942年6月20日 - 2021年2月14日)は、ノンフィクション作家。筆名・本橋 游(もとはし ゆう)。 日本エディタースクール講師など務めた。 大連生まれ。高槻中学校・高等学校を経て1966年早稲田大学第一文学部露文学専修卒業。梶山季之の助手となり、1969年季節社創立とともに役員となるが、1975年梶山の死去で退社。 その後日刊ゲンダイに入社、1977年退社、新聞・雑誌記者を経て、1982年日本雑誌協会に勤務。1995年退職。
佐々木 田鶴子(ささき たづこ、1942年5月25日 - 2… 佐々木 田鶴子(ささき たづこ、1942年5月25日 - 2016年3月20日)は、日本の児童文学翻訳家、作家。 香川県生まれ。早稲田大学第一文学部東洋史学科卒業。ドイツに6年あまり滞在し、ミュンヘン国際児童図書館日本部門の設立に関わる。帰国後、ドイツ児童文学を多数翻訳した。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
こだま ともこ(小玉 知子、1942年2月17日 - )は、… こだま ともこ(小玉 知子、1942年2月17日 - )は、日本の翻訳家、児童文学作家。 東京生まれ。旧姓は相磯。1964年早稲田大学文学部英文科卒業後、文化出版局に勤務。1967年退社し、翻訳家となる。2008年日本国際児童図書評議会賞受賞。英米児童文学の翻訳のほか、自身で創作もおこなう。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
篠崎 紘一(しのざき こういち、1942年2月17日- )は… 篠崎 紘一(しのざき こういち、1942年2月17日- )は、日本の作家。 新潟県生まれ。本姓・篠崎。早稲田大学文学部卒。IT関連企業の社長を経て、現代的な解釈で古代ロマン小説を発表する。『日輪の神女』で第一回古代ロマン文学大賞受賞。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
宮原 安春(みやばら やすはる、1942年1月2日 -201… 宮原 安春(みやばら やすはる、1942年1月2日 -2017年1月20日)は、日本の元政治運動家、ノンフィクション作家。 長野県埴科郡戸倉町(現千曲市)出身。長野県上田高等学校卒業、早稲田大学第二文学部露文科中退。 平岡正明らと政治結社『犯罪者同盟』を結成。1962年に、松田政男、山口健二、川仁宏らが企画した自立学校に、学生として参加し、事務局だった平岡正明と知り合う。平岡ともに、自立学校の講師だった森秀人に師事。 1963年、犯罪者同盟の機関誌の単行本『赤い風船あるいは牝狼の夜』を刊行したところ、猥褻図画頒布の容疑で警視庁から捜査を受ける。なお、この捜査の際、安原の自宅に赤瀬川原平(赤瀬川も自立学校の学生であった)の芸術作品「印刷千円札」があったことから、「千円札裁判」が起きるきっかけになった。
大島 信三(おおしま しんぞう、1942年 - )は、日本の… 大島 信三(おおしま しんぞう、1942年 - )は、日本のジャーナリスト、著作家。 新潟県に生まれ、新潟県立村上高等学校を卒業した。早稲田大学教育学部を卒業し、1964年に、産経新聞社に入社した。以降は新聞と雑誌の両部門で経歴を積み、『週刊サンケイ』編集長、『新しい住まいの設計』編集長、特集部編集委員、『正論』編集長、編集局編集委員を歴任した。特別記者を経て、2009年に退社し、以降はフリージャーナリストとして活動。 1990年に『正論』編集長となった大島は、読者投稿欄の拡充を皮切りに誌面の改革をおこない、9万部だった部数を、最盛期には15万部にまで伸張させた。読者投稿欄は、最も多い時期で50ページ超となったという。
シュミット 村木 眞寿美(シュミット むらき ますみ、194… シュミット 村木 眞寿美(シュミット むらき ますみ、1942年 - )は、日本のノンフィクション作家。 早稲田大学大学院(美学専攻)在学中に寺山修司構成のドキュメンタリー「日の丸」にインタビュアーとして出演。大学院修了後ストックホルム大学に留学。1968年にドイツ・ミュンヘンへ移住し、現在はドイツ国籍。1998年には日本ベルツ賞を受賞。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
二木 紘三(ふたつぎ こうぞう、1942年 - )は、おもに… 二木 紘三(ふたつぎ こうぞう、1942年 - )は、おもにビジネス書やポピュラー音楽分野の歌曲について著作・記事を出している日本の著作家。 長野県松本深志高校から早稲田大学第一政治経済学部に進学。大学を卒業後、出版社勤務を経て、フリーランスの文筆家となった。 1980年代以降、ビジネス書や雑学本、子ども向けの本など様々な分野で数多くの著作を発表している。 1986年の著書『ファミコン家庭学』は、ファミリーコンピュータを「新しい文化」と捉え「それを成長の糧としていくにはどうすべきか」を論じていると紹介され、1988年の著書『さわやか受験宣言』は、受験を「自立という旅に出るスタートライン」という観点から捉え直すことを勧める「よくある受験指南書とは一味違う、ユニークな本」と評された。
水木 亮(みずき りょう、1942年 - )は、日本の作家。… 水木 亮(みずき りょう、1942年 - )は、日本の作家。在野の民俗学者。本名・望月弘美。 山梨県出身。戦時中、日本領であった現在の北朝鮮領に生まれ、戦後山梨県に住む。早稲田大学を卒業して、同大学院文学研究科に進み、修士課程を修了しした。修了後は山梨に帰り、国語科教諭として勤務する傍ら創作活動を行った。 山梨県立甲府第一高等学校教諭であった1975年、投稿作「いつか俺達のブルースを」が集英社主催の第8回『小説ジュニア』青春小説小説新人賞で最終選考に残り、入選作にはならなかったが『小説ジュニア』1975年8月号に掲載された。1977年に行われた第10回の同賞でも、「青春ブルース」が最終選考に残ったが、落選している。
阿井 渉介(あい しょうすけ、1941年12月2日 -)は、… 阿井 渉介(あい しょうすけ、1941年12月2日 -)は、日本の小説家。本名、阿井 文瓶(あい ぶんぺい)。 1941年、中国の北京市に生まれる。1943年に静岡県藤枝市、1953年に焼津市へと転居する。早稲田大学第一文学部卒業後、広告代理店などを経て、1972年より、大学時代に親しくなっていた脚本家の石堂淑朗の下で、口述筆記などを手伝っていた。石堂の勧めで『ウルトラマンA』のフォース助監督を務める傍ら、脚本家としての基礎を学ぶ。1973年、本名の阿井文瓶名義で『ウルトラマンタロウ』第26話「僕にも怪獣が退治できる!」の脚本を執筆しデビュー。以後『ウルトラマンレオ』のほか、『七人の刑事』『特捜最前線』『風が燃えた』など一般ドラマの脚本を執筆。
田中 文雄(、1941年9月22日 - 2009年4月12日… 田中 文雄(、1941年9月22日 - 2009年4月12日)は、日本の映画プロデューサー、小説家。東京府出身。小説の執筆では、滝原 満(たきはら みつる)、草薙 圭一郎()という名義も使用した。 1964年、早稲田大学政治経済学部卒業。在学中は、「ワセダミステリクラブ」に参加していた。在学中の1963年、『宝石』(1963年10号 臨時増刊 38年度新人中篇力作10人集)に短編「白い翼の郷」が掲載された。 大学を卒業し、同年、東宝撮影所に入社。文芸部に配属され、プロデューサー補佐を務めた後、1969年に文芸部が廃止され製作者室に所属。同年に映画『野獣の復活』でプロデューサーとしてデビューし、血を吸うシリーズなど、ホラー・SFを中心に活躍。
山元 泰生(やまもと たいせい、1941年6月12日 - )… 山元 泰生(やまもと たいせい、1941年6月12日 - )は、日本の作家、ライター。 宮崎県延岡市出身。宮崎県立延岡高等学校、早稲田大学第一文学部に学ぶ。編集者ののち文筆家。国際問題、社会事件、歴史人物などについて執筆する。
谷 克二(たに かつじ、1941年3月5日 - )は、日本の… 谷 克二(たに かつじ、1941年3月5日 - )は、日本の小説家。狩猟冒険小説の第一人者として知られる。 宮崎県延岡市出身。本名は谷 正勝(たに まさかつ)。 1963年、早稲田大学商学部を卒業。ドイツに渡りフォルクスワーゲン社に勤務する。 その後イギリスに渡り、ロンドン大学で歴史経済学を専攻する。 帰国後、創作活動を開始し、1974年の処女作「追うもの」で第1回野性時代新人賞を受賞する。 1978年には『狙撃者』で第5回角川小説賞を受賞する。 『サバンナ』「スペインの短い夏」「越境線」が直木賞候補となる。 現在、テレビ宮崎『MIYAZAKI経済ナビ』の「わが心の宮崎」という、国内のトップ企業の中枢にいる宮崎県出身者に話を聞くシリーズにおいて、聞き手として出演している。
田中 光二(たなか こうじ、1941年2月14日 -)は、日… 田中 光二(たなか こうじ、1941年2月14日 -)は、日本の小説家。SF作家、推理作家、冒険小説作家。日本の「SF作家第二世代」を代表する作家の一人。 日本統治下の朝鮮・京城(ソウル)生まれ。父親は漕艇のオリンピック選手であり作家でもあった田中英光。私小説的作品『オリンポスの黄昏』で、父との葛藤を描いている。父の自殺に伴い、9歳で父方の祖母と伯父一家に引き取られ、厳格な躾に反撥して育つ。 高校生の時、養家を出て実母のもとに引き取られる。NHKに入局し、教養番組のプロデューサーを務める。勤務のかたわら、6年がかりで早稲田大学第二文学部英文科を卒業する。 1971年にNHKを退社。『宇宙塵』1972年2月号から4回連載した『幻覚の地平線』で小説家としてデビューする(同作品の『SFマガジン』への転載は1972年12月号)。
佐藤 雅美(さとう まさよし、1941年1月14日 - 20… 佐藤 雅美(さとう まさよし、1941年1月14日 - 2019年7月29日)は、日本の作家。兵庫県生まれ。早稲田大学法学部卒。直木賞受賞時を含め、1998年途中まで筆名の読みを「さとうまさみ」としていた。 大学卒業後、企業に就職するも新人研修が馬鹿馬鹿しくなって3日で退職。1968年、『ヤングレディ』にフリーライターとして採用されるが女性週刊誌に馴染み難く3ヶ月で退社。『週刊ポスト』創刊に記者として参画。その後『週刊サンケイ』記者、フリーライターを経て、小説家となる。処女作『大君の通貨』で1985年に第4回新田次郎文学賞、『恵比寿屋喜兵衛手控え』で1994年に第110回直木賞。 2019年7月29日死去。
斎藤 勲(さいとう いさお、1941年 - )はフリーライ… 斎藤 勲(さいとう いさお、1941年 - )はフリーライター、作家。 大阪生まれ。1965年、早稲田大学第一政経学部経済学科卒業。徳間書店勤務ののち、フリーライターとして『平凡パンチ』などで活躍。 また、「日刊ゲンダイ」「FOCUS」の創刊にかかわる。「FOCUS」では創刊から廃刊までの20年間、アンカー・ライターをつとめた。 舎人周、舎人栄一の筆名でも、著作がある。編集プロダクション「iSプランニング」を主宰した。
小林 峻一(こばやし しゅんいち、1941年(昭和16年) … 小林 峻一(こばやし しゅんいち、1941年(昭和16年) - 2024年(令和6年)1月17日)は、日本のルポルタージュ・ノンフィクション作家。本名は小林靖彦(こばやし やすひこ)。 三重県津市生まれ。三重県立津高等学校を経て早稲田大学第一文学部独文科に入学するが、6年在籍後中退。 立花隆の下で『田中角栄研究』、『日本共産党の研究』の中心スタッフとして活躍し、ルポライターとして独立。 1994年、『闇の男―野坂参三の百年』(加藤昭共著)で第25回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。1994年6月23日号から4回にわたり『週刊文春』に掲載された小林執筆の「JR東日本に巣くう妖怪」は、JR東日本の労使双方から反発を喰らい、事実上3か月近くも、駅売店「キヨスク」から『週刊文春』が姿を消す事態を生んだ。
近藤 紘一(こんどう こういち、1940年(昭和15年)11… 近藤 紘一(こんどう こういち、1940年(昭和15年)11月27日 - 1986年(昭和61年)1月27日)は、日本のジャーナリスト、作家。サンケイ新聞編集委員。サイゴン支局長として赴任した際にはベトナム戦争を取材し、サイゴン陥落を目撃した。東京府出身。 祖父、父と2代続いた医師の家の長男として東京大学医学部附属病院で生まれる。父・台五郎は、東京女子医科大学教授などを務め、ファイバースコープの開発にも貢献した。 湘南・逗子で育ち、進学した神奈川県立湘南高等学校では、万葉集などの日本の古典やサルトルなどのフランス文学に親しんだ、なかでも大河小説『チボー家の人々』に感銘を受け、早稲田大学仏文専修に入ったのも、訳者の山内義雄を慕っての選択だった。
石井 竜生(いしい たつお、1940年9月22日 - )は、… 石井 竜生(いしい たつお、1940年9月22日 - )は、日本の作家、編集者。本名・石井龍雄。 妻は作家の井原まなみ。 神奈川県横須賀市出身。早稲田大学法学部法律学科卒業[要出典]、早稲田大学大学院法学研究科修士課程修了。 1967年9月、戸麻竜悟のペンネームでNHKテレビドラマ脚本に「うだでなや」で入選[要出典]。同作品が日本放送作家協会新人賞受賞[要出典]。菊島隆三の内弟子となり、3年間、脚本を執筆[要出典]。妻との合作で推理小説を書き、1976年「アルハンブラの想い出」で第15回オール讀物推理小説新人賞を受賞。同じく夫婦合作の1985年『見返り美人を消せ』で第5回横溝正史賞を受賞。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。