金井 正夫(かない まさお、1892年(明治25年)2月14… 金井 正夫(かない まさお、1892年(明治25年)2月14日 - 1979年(昭和54年)10月4日)は、日本の政治家、裁判官、弁護士。衆議院議員、和歌山県知事。旧名、当央。 鹿児島県大島郡龍郷方浦村(龍郷村を経て現:龍郷町浦)で金井当説の五男として生まれる。1915年(大正4年)に正夫と改名。 大勝尋常小学校(現:龍郷町立大勝小学校)から4年次に名瀬尋常小学校(現:奄美市立名瀬小学校)へ転入し卒業。鹿児島県立大島農学校(現:鹿児島県立大島高等学校)1年修了の後、東京の旧制順天中学校で学ぶ。旧制第五高等学校を経て、関西大学を卒業、1919年(大正8年)京都帝国大学法学部法律学科(英法)を卒業。
岡田 啓治郎(おかだ けいじろう、1890年2月10日 - … 岡田 啓治郎(おかだ けいじろう、1890年2月10日 - 1964年9月30日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。 京都府出身。1915年関西大学専門部法律科卒。醤油製造を営む。養老村長、宮津町長、京都府町村会長、京都府議、同参事会員、同副議長、宮津市議、同議長、与謝郡農会長、同畜産組合長、京都府水産会副会長、同農会副会長、橋北汽船(株)取締役、与謝郡貨物自動車、京都物産各(株)取締役会長を歴任する。 1942年の第21回衆議院議員総選挙では京都3区(当時)から翼賛政治体制協議会の推薦を受けて当選する。戦後は日本進歩党に入ったが、推薦議員のため公職追放となった。1951年に追放解除。1964年死去。
辰馬 夘一郎(辰馬 卯一郎、たつうま ういちろう、1889年… 辰馬 夘一郎(辰馬 卯一郎、たつうま ういちろう、1889年〈明治22年〉3月26日 - 1979年〈昭和54年〉10月23日)は、日本の政治家。兵庫県西宮市長。西宮市会議員。西宮市名誉市民。 兵庫県武庫郡西宮町(現西宮市)出身。先代辰馬卯一郎の三男。 関西大学専門部に学び、中退する。1933年(昭和8年)、万歳酒造代表取締役となる。西宮町議を経て同市議に当選する。 1946年(昭和21年)3月2日から1959年(昭和34年)4月29日まで西宮市長を務めた。最後の官選市長であり、初代公選市長でもある。 1949年(昭和24年)には、夙川河川敷緑地に1,000本の桜の若木の植樹を行った。 1959年(昭和34年)、西宮市初の名誉市民。
小林 絹治(こばやし きぬじ、1888年(明治21年)2月2… 小林 絹治(こばやし きぬじ、1888年(明治21年)2月20日 - 1973年(昭和48年)3月28日)は、日本の政治家。自由民主党衆議院議員(7期)。 1888年(明治21年)2月20日、兵庫県加東郡河合村三和(現・小野市三和町)の農家の次男として生まれた。河合小学校を卒業し、関西大学法学部卒業。代用教員をしつつ正教員を目指したが一念発起してアメリカに渡り、1916年(大正5年)にカリフォルニア大学・同大学院法科を修了する。 帰国後は立憲政友会系の中央新聞主筆、同編集局長を経て、1921年(大正10年)には南満洲鉄道に入社。秘書、参与、ニューヨーク支店長、東京支店庶務課長を歴任した。1929年(昭和4年)に退社して立憲政友会に身を置く。
北浦 圭太郎(きたうら けいたろう、1887年12月3日 -… 北浦 圭太郎(きたうら けいたろう、1887年12月3日 - 1954年10月16日)は、日本の政治家。衆議院議員を通算4期務めた。 奈良県出身。関西大学専門部法律科卒。小学校訓導、函館区裁検事を歴任。その後弁護士となる。 1930年に行われた第17回衆議院議員総選挙に立憲民政党公認で立候補して初当選。その後民政党を離党し、1939年に行われた衆議院議員選挙の再選挙に無所属で立候補して2度目の当選を果たす。 院内会派の第一議員倶楽部に所属し、1940年に北浦がかつて所属していた民政党の先輩議員にあたる斎藤隆夫が反軍演説で除名された際にも除名に反対票を投じている。この時除名反対票を投じたのは北浦を含めて7名であり、そのうち斎藤の所属政党である民政党に所属していたことがある議員は北浦以外では投票にあたり民政党を離党した岡崎久次郎のみであった。
古河 和一郎(ふるかわ わいちろう、1887年〈明治20年〉… 古河 和一郎(ふるかわ わいちろう、1887年〈明治20年〉6月18日 - 1945年〈昭和20年〉7月9日)は、日本の計理士、政治家。衆議院議員(兵庫県第四区選出、当選2回)。 1887年、兵庫県生まれ。古河弥太郎の長男。1902年、家督を相続する。関西大学専門部法律科で学び、中退した。 税務署に務めた後、一ノ宮商業銀行大阪支店長に就任する。同銀行退職後は、大阪北浜で株仲買店を経営する。1927年、計理士を開業し、計理士会理事、大阪市、大阪府各計理士会長を務める。その他、日本連管工業社理事長を務めた。 1928年の第16回衆議院議員総選挙から1932年の第18回総選挙まで兵庫県第4区から立候補し続けたが落選続きで、1936年の第19回総選挙で立憲政友会公認で立候補して初当選した。
岡田 春夫(おかだ はるお、1887年(明治20年)3月24… 岡田 春夫(おかだ はるお、1887年(明治20年)3月24日 - 1937年(昭和12年)12月11日)は、日本の政治家。通算3回衆議院議員選挙に当選した。 兵庫県生まれ。1911年(明治44年)関西大学法律科を卒業、北海タイムスに入社し政治部記者となる。美唄町議、北海道議、北海道参事会員を経て、1928年(昭和3年)普通選挙が日本に導入されて初の総選挙に立憲民政党公認で旧北海道4区から立候補したが落選。1930年(昭和5年)の第17回衆議院議員選挙に前回の総選挙と同じく民政党公認で立候補し初当選。 1932年(昭和7年)の第18回衆議院議員選挙では次点だったものの、4年後の第19回衆議院議員選挙では再び当選し政界に返り咲いた。
北村 徳太郎(きたむら とくたろう、1886年5月9日 - … 北村 徳太郎(きたむら とくたろう、1886年5月9日 - 1968年11月15日)は日本の政治家、銀行家。 1886年5月9日、京都で生まれる。子供の頃から身体が弱く、ほとんど病床で過ごしたため、幼年時代の遊びは全く知らず、友だちと外で駆け回ったこともなかった。青年期も健康にはならなかった上に、二人の兄が早く死んだ。また一人の兄は16歳で亡くなったので、自分がその年頃になると、ますます死の恐れを感じ、この不安を何とか解決したいと思い悩んだ。生家は浄土真宗だったので、ただ阿弥陀如来に頼れば極楽浄土に往生すると教えられたが、信じることができなかったという。 読書するうちにトルストイの作品に出会い、感動し、聖書を読み始めるようになった。
松田 正一(まつだ まさかず、1884年(明治17年)12月… 松田 正一(まつだ まさかず、1884年(明治17年)12月23日 - 1972年(昭和47年)7月20日)は、日本の政治家。衆議院議員(7期)。 和歌山県名草郡、のちの海草郡貴志村(現和歌山市)で生まれた。関西法律学校を経て、1906年京都法政大学(現在の立命館大学)法律科卒。卒業後は古河鉱業から大阪市役所に勤務する。津市共融合資会社の法律顧問となり津市に来住。 その後、津市議、同副議長、三重県議などを経て、1930年の第17回衆議院議員総選挙では三重1区(当時)から立憲民政党非公認で立候補して最下位で初当選し、同選挙区で民政党4人目の当選者となった。以来連続7回当選。米内内閣大蔵参与官、第1次吉田内閣運輸政務次官などを歴任した。
大柏 清三郎(おおかし せいざぶろう、1884年〈明治17年… 大柏 清三郎(おおかし せいざぶろう、1884年〈明治17年〉2月18日 - 没年不明)は、大正から昭和時代前期の政治家。香川県丸亀市長。 1905年(明治38年)関西大学専門部法律学科を卒業し、大阪府属となる。1909年(明治42年)香川県属に転じ、1919年(大正8年)高松市助役職務管掌を経て、1920年(大正9年)高松市助役に就任し、爾来15年間勤続する。1934年(昭和9年)7月、助役を辞し、同月25日に丸亀市長に当選した。
内藤 正剛(ないとう まさたけ、1883年(明治16年)2月… 内藤 正剛(ないとう まさたけ、1883年(明治16年)2月28日 - 1959年(昭和34年)1月22日)は、日本の衆議院議員(立憲民政党)、弁護士。 岡山県阿賀郡新見村(現在の新見市)出身。関西法律学校(現在の関西大学)を卒業した後、中央大学で学び、判事検事登用試験に合格した。司法官試補となったが、後に弁護士となり、大阪弁護士会副会長を務めた。弁護士のかたわら大阪市会議員・同議長、大阪府議会議員・同議長を歴任した。 1932年(昭和7年)、第18回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。第20回まで3回連続当選を果たした。 戦後、公職追放となる。1951年追放解除。 その他に大阪木材相互市場株式会社顧問、関西大学監事などを務めた。
福田 関次郎(ふくだ せきじろう、1882年(明治15年)3… 福田 関次郎(ふくだ せきじろう、1882年(明治15年)3月18日 - 1979年(昭和54年)7月14日)は、日本の実業家、政治家。衆議院議員(通算3期)。 山口県出身。1904年、関西法律学校(現・関西大学)卒。朝鮮で小学校校長をした後、京都製薬所長、七寿肥料(株)社長などを務め、京都市議、京都府議を経て、1932年の第18回衆議院議員総選挙において京都1区(当時)から中立(無所属)で立候補して初当選した。以来3回連続当選。当選後の会派は第一控室を経て、立憲民政党に入った。民政党解党後は鳩山一郎率いる同交会に入り、1942年の翼賛選挙では非推薦で立候補したが落選した。 戦後の1946年の第22回衆議院議員総選挙と翌1947年の第23回衆議院議員総選挙(京都1区)に日本自由党公認で立候補したがいずれも落選し、政界から引退した。
作間 耕逸(さくま こういつ、1880年(明治13年)5月1… 作間 耕逸(さくま こういつ、1880年(明治13年)5月15日 - 1951年(昭和26年)1月2日)は、日本の衆議院議員(憲政会)、貴族院勅選議員、弁護士。 山口県吉敷郡秋穂二島村(現在の山口市)に音羽清逸の三男として生まれ、作間家の養子となった。東京郵便電信学校を卒業し、大阪逓信局に勤務した。在職中に関西大学法律科に入学し、1902年(明治35年)に卒業した。その後長崎逓信局で外国郵便課係長、監理課係長を務め、1906年(明治39年)に退職した。同年、上京して日本大学高等専攻科に入学し、弁護士試験に合格した。 1914年(大正3年)、東京市会議員に当選し、参事会員にも選出された。 1920年(大正9年)、第14回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。
広瀬 徳蔵(廣瀬 德藏、ひろせ とくぞう、1878年(明治1… 広瀬 徳蔵(廣瀬 德藏、ひろせ とくぞう、1878年(明治11年)5月19日 - 1933年(昭和8年)5月8日)は、日本の政治家、弁護士。衆議院議員(大阪府第三区選出、当選4回)。 大阪市出身。広瀬種蔵の長男。関西法律学校(現在の関西大学)出身。判検事登用試験・弁護士試験に合格し、判事に任命された。辞職して弁護士を開業した。白川静を事務所に雇い入れていたことがある。その後、大阪市会議員、大阪府会議員・議長を歴任した。 1924年(大正13年)、第15回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。以後、4回の当選を重ねた。憲政会、立憲民政党に所属。一方で、宝塚尼崎電気鉄道株式会社の取締役、城北土地株式会社・東神火災保険会社・大阪土地建物株式会社・境川運河株式会社の監査役を務めた。
大石 大(おおいし まさる、1878年(明治11年)1月28… 大石 大(おおいし まさる、1878年(明治11年)1月28日 - 1966年(昭和41年)2月10日)は、日本の政治家。 高知県長岡郡長岡村(現南国市)に出生。小学校を3年で退学。1895年(明治28年)以降、長岡村役場書記、代用教員、裁判所書記などを経て、1903年(明治36年)に明治法律学校を卒業。1904年(明治37年)、関西法律学校に学んだ。大阪府警部などを務めた後、1912年(明治45年)から実業界に転じ、愛媛鉄道、大分国東鉄道等の重役、社長を務めた。1918年(大正7年)、政界に転じ、1920年(大正9年)5月の第14回総選挙で政友会から立候補し、衆議院議員に当選(以降、5回当選)。
玉置 良直(たまき よしなお、1876年7月2日 - 193… 玉置 良直(たまき よしなお、1876年7月2日 - 1934年9月21日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。 奈良県出身。十津川村会議員、同村長、吉野郡会議員、同議長、奈良県会議員、所得税調査委員、地方森林会議員、大和山林会評議員となる。 泊園書院(現・関西大学)を経て東京専門学校(現・早稲田大学)で学び、1920年の第14回衆議院議員総選挙において奈良5区から立憲政友会公認で立候補して当選する。衆議院議員を1期務め、1924年の第15回衆議院議員総選挙には立候補しなかった。1934年に死去した。
板野 友造(いたの ともぞう、1874年(明治7年)5月18… 板野 友造(いたの ともぞう、1874年(明治7年)5月18日 - 1945年(昭和20年)12月12日)は、日本の政治家、弁護士。衆議院議員。 岡山県吉備郡足守町(現在の岡山市北区)で生まれる。関西法律学校(現在の関西大学)を卒業後、明治法律学校(現在の明治大学)に学び、1901年に卒業した。同年、判検事試験に合格し、司法官試補として高松区裁判所に赴任するが、半年で辞した。1902年(明治35年)より大阪市で弁護士を開業。 1913年(大正2年)、大阪市会議員に選出され、副議長を務めた。1920年(大正9年)1月、衆議院に補欠当選。以後、当選回数は合計5回を数えた。当初は立憲国民党所属であったが、立憲国民党解党後は革新倶楽部を経て立憲政友会に参加した。
石原 市三郎(いしはら いちさぶろう、1873年〈明治6年〉… 石原 市三郎(いしはら いちさぶろう、1873年〈明治6年〉2月10日 - 1940年〈昭和15年〉8月29日)は、昭和時代戦前の政治家。岡山市長。 石原友治の長男として、岡山県津高郡田益村(御津郡横井村、津高町を経て、現岡山市北区津高地域)に生まれる。関西大学法科に学ぶ。1906年(明治39年)普通文官試験に合格。1904年(明治37年)神戸税務監督局に出仕。豊岡税務所長、主税局事務官を経て、1924年(大正13年)東京市役所に入り、区画整理局庶務課長、監査課長、収税課長を経て、1933年(昭和8年)経理課長を歴任した。 1934年(昭和9年)2月25日に岡山市長に就任し、早々に前任の守屋松之助が廃止した助役二部制を復活させた。
野田 文一郎(のだ ぶんいちろう、1872年4月12日(明治… 野田 文一郎(のだ ぶんいちろう、1872年4月12日(明治5年3月5日) - 1960年(昭和35年)3月9日)は、広島県三次郡三次町(後の三次市)出身の裁判官、政治家。関西法律学校(後の関西大学)卒業。正四位勲二等旭日重光章。 広島県三次町(後の三次市)の造り酒屋に生まれ、関西法律学校卒業後、明治法律学校を経て司法官試補となる。大津区裁を振り出しに神戸地方裁判所、大阪控訴院判事を歴任後、兵庫県神戸市で弁護事務所を開業した。1920年、後立憲民政党となる憲政会から出馬し衆議院議員初当選。しかし1924年の総選挙で落選し議員生活を離れる。このため若手弁護士グループに担ぎ出され神戸弁護士会会長に就任。
中林 友信(なかばやし とものぶ、明治4年2月3日(1871… 中林 友信(なかばやし とものぶ、明治4年2月3日(1871年3月23日) - 昭和3年(1928年)2月18日)は、衆議院議員(立憲政友会→政友本党→立憲民政党)。 大阪府泉北郡東陶器村岩室(現在の堺市南区)出身。関西法律学校(現在の関西大学)を経て、明治法律学校(現在の明治大学)を卒業。1895年(明治28年)より破産管財人を務める。 泉北郡会議員、大阪府会議員を経て、1902年(明治35年)の第7回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。当選回数は合計で5回を数えた。 大阪盲人学校を創設して校長を務め、また大阪府教育会副会長に就任した。 その他、東京自由通信社主幹、日刊近畿新聞社社長などを歴任した。
下岡 忠治(しもおか ちゅうじ、1870年10月26日(明治… 下岡 忠治(しもおか ちゅうじ、1870年10月26日(明治3年10月2日) - 1925年(大正14年)11月22日)は、日本の内務・農商務官僚、政治家。衆議院議員、朝鮮総督府政務総監。号・三峰。 庄屋・酒造業、下岡直一の二男として摂津国川辺郡広根村(現:兵庫県川辺郡猪名川町)で生まれる。一時東京に転居し、麹町小学校を卒業。その後は、官立大阪中学校、泊園書院、第三高等中学校を経て、1895年7月、帝国大学法科大学政治学科を卒業。第三高等中学校、帝国大学時代を通じての同級生に浜口雄幸と幣原喜重郎がいる。大学卒業後内務属となり内務省大臣官房文書課勤務となる。同年11月、文官高等試験に首席で合格。 1896年1月、熊本県参事官に就任し、京都府参事官、茨城県書記官、法制局参事官、兼法制局書記官などを歴任。
成田 栄信(榮信、なりた しげのぶ、1869年12月16日(… 成田 栄信(榮信、なりた しげのぶ、1869年12月16日(明治2年11月14日)‐ 1946年(昭和21年)1月1日) は、日本の言論人、実業家、政治家。衆議院議員。 伊予国宇和郡下灘村(現愛媛県宇和島市) で、成田亀太郎の二男として生まれた。1897年(明治30年)に分家した。苦学して関西法律学校(現関西大学)、英吉利法律学校(現中央大学)で学び水産講習所(現東京海洋大学)を卒業した。 生命保険事業に従事し安田共済支店長を経て、東京社を創立して雑誌『東京』を発行し、1907年(明治40年)に東洋通信社を創立して社長に就任。その他、日本織物取締役を務めた。 1912年(明治45年)5月の第11回衆議院議員総選挙愛媛県郡部選挙区に立憲政友会(政友会)から出馬して当選したが、同年12月10日に衆議院議員選挙法違反事件の控訴を取下げて禁錮刑が確定したため議員を退職した。
津原 武(つはら たけし、1868年11月22日(明治元年1… 津原 武(つはら たけし、1868年11月22日(明治元年10月9日) - 1953年(昭和28年)5月20日)は、日本の弁護士・実業家・政治家。衆議院議員、加悦鉄道社長、宮津銀行監査役、丹後縮緬工業組合理事長。 1868年11月22日(明治元年10月9日)、因幡国鳥取に生まれた。関西法律学校、明治法律学校、和仏法律学校(現・法政大学)で学び、京都府与謝郡宮津町(現・宮津市)で弁護士を開業した。 与謝郡会議員・議長、宮津町長、京都府会議員などを経て、1915年(大正4年)に第12回衆議院議員総選挙に当選した。民政党に所属して5回の当選を果たしている。 また、加悦鉄道社長、宮津銀行・橋北汽船などの役員、丹後縮緬工業組合理事長などを歴任した。
坂本 素魯哉(さかもと そろや、1868年11月10日(明治… 坂本 素魯哉(さかもと そろや、1868年11月10日(明治元年9月26日) – 1938年(昭和13年)8月3日)は、日本の銀行家、政治家(衆議院議員)。実弟は、衆議院議員を務めた坂本志魯雄。 1868年、土佐国長岡郡瓶岩村亀岩(現・高知県南国市)出身。1885年、高知師範学院卒業。1893年、大阪の関西法律学校(関西大学の前身)を卒業。1896年、明治法律学校(明治大学の前身)卒業後、日本銀行に入行。台北出張所に赴任し、台湾銀行創設に参画。1905年、彰化銀行設立に伴い、支配人として招聘され、1914年、専務取締役に就任。1920年、第14回衆議院議員総選挙で立憲政友会から高知県第3区に立候補して当選。
武田 貞之助(たけだ ていのすけ、慶応4年4月15日(186… 武田 貞之助(たけだ ていのすけ、慶応4年4月15日(1868年5月7日) - 昭和17年(1942年)3月11日)は、日本の衆議院議員(立憲国民党)、弁護士。 近江国伊香郡高時村(現在の滋賀県長浜市)出身。1884年(明治17年)に滋賀県師範学校を卒業し、小学校教員を務めていたが、大阪に出て関西法律学校(現在の関西大学)に入学した。1892年(明治25年)に卒業した後、弁護士試験に合格し、大阪に事務所を開いた。 1908年(明治41年)、第10回衆議院議員総選挙に出馬し、当選を果たした。 その後大阪商業学校校主・理事、原田汽船株式会社監査役、虎屋信託株式会社監査役、福井商店監査役などを務めた。
内田 重成(うちだ しげなり、1868年2月18日(慶応4年… 内田 重成(うちだ しげなり、1868年2月18日(慶応4年1月25日)- 1965年(昭和40年)10月4日 )は、日本の裁判官、海軍法務官、政治家。最終階級は海軍法務中将。貴族院議員。旧姓は平井。山口県出身 長門国豊浦郡、のちの山口県豊浦郡内日村(現下関市 )で、清末藩士・平井貢蔵の二男として生まれ、1892年(明治25年)11月、下関市清末の内田護の養子となった。 関西法律学校(後の関西大学)、和仏法律学校(後の法政大学)卒業後、1890年(明治23年)12月、文官高等試験に合格。1891年(明治24年)1月、司法官試補に任官し千葉地方裁判所詰となる。以後、千葉区裁判所検事、弘前区裁判所判事、栃木区裁判所判事、前橋区裁判所判事を歴任。
武内 作平(たけうち さくへい、1867年11月18日(慶応… 武内 作平(たけうち さくへい、1867年11月18日(慶応3年10月23日) - 1931年(昭和6年)11月8日)は、日本の政治家、弁護士。衆議院議員、内閣法制局長官。 伊予国越智郡日吉村(現・今治市)に士族武内清治の長男として生まれる。関西法律学校(現・関西大学)、和仏法律学校(現・法政大学)、東京専門学校(現・早稲田大学)に学ぶ。1897年(明治30年)に弁護士試験に合格する。大阪北浜で弁護士事務所を開業し、大阪弁護士会長、大阪米穀取引所、大阪土地建物、日本冷蔵、阪堺電鉄などの役員を歴任する。1902年(明治35年)に衆議院議員に初当選。その後、海軍政務次官、大蔵政務次官、予算委員長を経て第2次若槻内閣では法制局長官を務める。
永田 仁助(ながた にすけ[要出典] / じんすけ、1863… 永田 仁助(ながた にすけ[要出典] / じんすけ、1863年5月9日(文久3年3月22日)- 1927年(昭和2年)3月10日)は、明治・大正期の実業家、政治家。浪速銀行頭取、貴族院勅選議員。 摂津国西成郡(後の大阪市南区高津町四番丁。現在の大阪市中央区高津)で、米穀商・永田仁左衛門の長男として生まれる。藤沢南岳の泊園書院(現在の関西大学)で漢籍を学んだ。その後、家業を廃し、1889年(明治22年)第1回大阪市会議員選挙で当選。その後、大阪府会議員にも選出された。 その後、大阪の経済発展の必要性を考え、1894年(明治27年)8月、大阪明治銀行の設立に際して取締役に就任。その後、大阪市中銀行の合同の計画を推進し、1898年(明治31年)に浪速銀行が設立されると常務取締役となり、1908年(明治41年)第3代頭取に就任し、1913年(大正2年)まで在任した。
奥 繁三郎(おく しげさぶろう、1861年8月1日〈文久元年… 奥 繁三郎(おく しげさぶろう、1861年8月1日〈文久元年6月25日〉- 1924年〈大正13年〉9月8日)は、京都府出身の明治・大正時代の政治家。衆議院議長。関西法律学校(現:関西大学)卒。 山城国綴喜郡八幡(現:京都府八幡市)で、代々石清水八幡宮神官の奥家、季次の長男として生まれる。 1879年(明治12年)、京都府師範学校を卒業。小学校訓導兼校長を務めた。関西法律学校在学中に代言人試験に合格後、1888年(明治21年)に京都府会議員となる。 1898年(明治31年)3月、第5回衆議院議員総選挙に京都府第4区から出馬し衆議院議員に初当選。1901年(明治34年)12月、第6回総選挙京都府第4区選出の喜多川孝経の辞職に伴う補欠として当選。
山田 喜之助(やまだ きのすけ、1859年6月30日〈安政6… 山田 喜之助(やまだ きのすけ、1859年6月30日〈安政6年6月1日〉 - 1913年〈大正2年〉2月20日)は、日本の弁護士、政治家。衆議院議員(東京府第3区選出、当選2回)。衆議院書記官長。司法次官。東京代言人組合(東京弁護士会の前身)会長。号は奠南(てんなん)。東京専門学校、英吉利法律学校創立に関与した。 大坂・船場の商家に生まれた。八郎兵衛の二男。生家は家号を「桜井屋」といい、江戸時代から代々続いた富裕な薬種砂糖商として有名だった。母・志ようは喜之助が4歳の時に死去した。父は、6歳になった喜之助を、船場淡路町にあった儒者・藤沢南岳の泊園書院(泊園塾、現在の関西大学)に通わせた。漢学、特に漢詩の素養を身につけた。
松岡 康毅 (まつおか やすたけ、1846年8月14日〈弘化… 松岡 康毅 (まつおか やすたけ、1846年8月14日〈弘化3年6月23日〉- 1923年〈大正12年〉9月1日)は、日本の司法官僚・政治家。徳島県板野郡上板町七条出身。位階・勲等・爵位は贈従一位勲一等男爵。検事総長、農商務大臣、貴族院議員。日本法律学校第2代校長、日本大学初代学長・初代総長。幼名は毅之進、のち康毅。 検事総長や農相を歴任。学問的遺業の中には拷問制度の廃止と裁判所構成法を中心とする訴訟制度近代化の提唱が特筆されている。 山田顕義の死後、廃校決議まであった日本法律学校を立て直し、30年間にわたり日本大学の発展に寄与し、同学の礎を築いた。
大矢 卓史 は、日本の政治家。衆議院議員(2期)。位階は正五… 大矢 卓史 は、日本の政治家。衆議院議員(2期)。位階は正五位、勲等は勲三等。
中村 正雄 は、日本の政治家。位階は正三位。
前田 正 は、日本の政治家・実業家。
吉田 真次 は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(3… 吉田 真次 は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(3期)、防衛大臣政務官兼内閣府大臣政務官。
桐山 徹郎(きりやま てつろう、1950 - )は、日本の政… 桐山 徹郎(きりやま てつろう、1950 - )は、日本の政治家、実業家。生野町長、全但バス社長、但馬空港ターミナル社長。 兵庫県出身。兵庫県立生野高等学校を経て1973年関西大学経済学部経済学科卒。 1973年神姫バス入社。1999年4月、朝来郡生野町長に就任。2005年6月に生野町教育長、2009年全但バス社長を歴任し、2020年4月但馬空港ターミナル社長に就任した。