スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
上遠野 修(かとうの おさむ、1978年〈昭和53年〉9月2… 上遠野 修(かとうの おさむ、1978年〈昭和53年〉9月20日 - )は、日本の政治家。茨城県東茨城郡城里町長(第3代)。 茨城県水戸市出身。茨城県立水戸第一高校、東京大学経済学部卒業。大林組、楽天勤務、民主党衆議院議員の福島伸享の政策担当秘書を経て、2013年2月17日投開票の城里町長選挙に出馬したが、現職の阿久津藤男に敗れ、落選。 ※当日有権者数:18029人 最終投票率:64.48%(前回比:-pts) 2014年9月21日投開票の城里町長選挙で当選。 ※当日有権者数:17819人 最終投票率:63.75%(前回比:-0.73pts) 2018年9月、再選。 ※当日有権者数:17306人 最終投票率:43.38%(前回比:−20.37pts) 2022年8月、再選。
鈴木 定幸(すずき さだゆき、1967年(昭和42年)1月1… 鈴木 定幸(すずき さだゆき、1967年(昭和42年)1月12日 - )は、日本の政治家、実業家。茨城県常陸大宮市長(2期)。元茨城県議会議員(3期)。 茨城県常陸大宮市出身。茨城県立水戸第一高等学校卒業。防衛大学校卒業。コスモ石油に勤務したのち、石油販売会社の代表取締役を務める。 2010年(平成22年)12月の茨城県議会議員選挙に立候補し初当選。県議時代は自由民主党に所属した。 2020年(令和2年)2月27日、任期満了に伴う常陸大宮市長選挙に出馬する意向を表明。同年4月5日告示、4月12日投票の市長選で無投票により初当選した。4月23日、市長就任。 2024年(令和6年)4月44日の市長選で2度目の当選をした。
大井川 和彦(おおいがわ かずひこ、1964年〈昭和39年〉… 大井川 和彦(おおいがわ かずひこ、1964年〈昭和39年〉4月3日 - )は、日本の政治家、経産官僚。茨城県知事(公選第19・20・21代)。無所属。 茨城県土浦市生まれ。土浦市立真鍋小学校に入学後、父親の転勤のため、日立市立宮田小学校に転校した。日立市立宮田小学校、茨城大学教育学部附属中学校、茨城県立水戸第一高等学校、東京大学法学部卒業。1988年、通商産業省(現経済産業省)入省。1996年、ワシントン大学ロースクール修了(国費留学)。1998年、通商産業省の初代シンガポール事務所長に就任。 2003年、経済産業省を退官し、同年よりマイクロソフトアジア執行役員。マイクロソフト(現日本マイクロソフト)執行役常務を経て、2010年よりシスコシステムズ(日本法人)専務執行役員。
山口 那津男(やまぐち なつお、1952年〈昭和27年〉7月… 山口 那津男(やまぐち なつお、1952年〈昭和27年〉7月12日 - )は、日本の政治家、弁護士。公明党常任顧問。 衆議院議員(2期)、参議院議員(4期)、防衛政務次官(第51代)、新進党副幹事長、公明党参議院国会対策委員長、公明党政務調査会長、公明党代表(第3代)を歴任した。 茨城県那珂郡那珂湊町(那珂湊市を経て、現在はひたちなか市)に誕生、高等学校卒業まで日立市で育つ。父の秀男は日立市天気相談所所長、母の政子は小学校教員だった。妹がいる。日立市立中小路小学校、茨城大学教育学部付属中学校、茨城県立水戸第一高等学校卒業後、一浪を経て1972年東京大学文科一類に入学。弁護士を目指して司法試験の勉強を始める。
藤田 幸久(ふじた ゆきひさ、1950年(昭和25年)4月1… 藤田 幸久(ふじた ゆきひさ、1950年(昭和25年)4月19日 - )は、日本の政治家。民進党所属の参議院議員(2期)、民進党国際局長。
三次 真一郎(みつぎ しんいちろう、1948年(昭和23年)… 三次 真一郎(みつぎ しんいちろう、1948年(昭和23年)5月20日 - )は、日本の政治家。元茨城県常陸大宮市長(3期)。 茨城県那珂郡山方町(現在の常陸大宮市)出身。水戸第一高等学校を経て、早稲田大学教育学部を卒業。その後山方町長に就任し、常陸大宮市発足後の2008年の市長選挙で初当選。2012年、2016年とともに無投票当選。常陸大宮市長を3期務め、2020年に退任した。
高野 博師(たかの ひろし、1947年〈昭和22年)3月1日… 高野 博師(たかの ひろし、1947年〈昭和22年)3月1日 - )は、日本の政治家。 参議院議員(2期)、環境副大臣、公明党中央幹事、外務省参与などを歴任した。 1947年(昭和22年)3月1日、茨城県大子町に生まれる。 茨城県立水戸第一高等学校を経て、東京外国語大学外国語学部中国語学科に入学し、1972年(昭和47年)3月に卒業する。同年4月、外務省にノンキャリアとして入省する。外交官としてアメリカ、アルゼンチン、コロンビアなどに赴任し、30ヶ国あまりを歴訪した。1991年(平成3年)にコロンビアで発生した日本人技師2人が左翼ゲリラに誘拐された事件では、当時帰国中で不在だったコロンビア国駐箚特命全権大使塚田千裕に代わり、臨時代理大使としてコロンビア政府や州知事に事件解決の要請を行うなどして対応の指揮を執った。
村田 省吾(むらた しょうご、1946年(昭和21年)3月4… 村田 省吾(むらた しょうご、1946年(昭和21年)3月4日 - 2017年(平成29年)1月17日)は、日本の政治家。茨城県北茨城市長を3期務めた。 茨城県多賀郡大津町(現在の北茨城市大津町)出身。茨城県立水戸第一高等学校を経て、1968年に芝浦工業大学建築学部卒業。卒業後は山下寿郎設計事務所(現在の山下設計)に入り、一級建築士となり、郷里で建築事務所を開く。北茨城市青年会議所理事長、公民館長、保護司などを経て、1995年の北茨城市長選挙に立候補し、初当選する。1999年は無投票で再選。2003年に三選した。北茨城市長は2007年まで務めた。2017年1月17日午後7時57分、日立市の日立総合病院で死去、70歳。
橋本 昌(はしもと まさる、1945年11月19日 - )は… 橋本 昌(はしもと まさる、1945年11月19日 - )は、日本の政治家。自治官僚。茨城県知事(6期)。退任時には、現職の都道府県知事としては石川県知事の谷本正憲と並ぶ最多選者であった。 茨城県那珂郡東海村生まれ。茨城中学校、茨城県立水戸第一高等学校を経て、東京大学法学部卒業。 1969年自治省に入省。山梨県総務部長や、国土庁・消防庁などの役職を歴任し、1993年、自治省公営企業第一課長を最後に退官した。 1993年、自由民主党・新生党・新党さきがけ・日本新党の推薦を得て、不祥事(汚職事件)による竹内藤男の辞職に伴う茨城県知事選に立候補し、前水戸市長の佐川一信を破って初当選。高知県の橋本大二郎に次ぐ戦後生まれの知事となった。
種田 誠(たねだ まこと、1945年8月7日 - )は、日本… 種田 誠(たねだ まこと、1945年8月7日 - )は、日本の政治家、弁護士。茨城県水戸市谷田町出身。茨城中学校、茨城県立水戸第一高等学校、中央大学法学部法律学科卒業。元参議院議員(1期)、元日弁連副会長。茨城バングラデシュ友好協会名誉顧問。種田法律事務所所長。学校法人茨城理事長。
磯崎 久喜雄(いそざき くきお、1945年6月26日 - 2… 磯崎 久喜雄(いそざき くきお、1945年6月26日 - 2025年3月18日)は、日本の政治家。自由民主党所属の元茨城県議会議員(5期)。茨城県議会副議長(2008年 - 2009年)、議長(2011年 - 2012年)を務めた。 那珂湊市(現在のひたちなか市)出身。茨城県立水戸第一高等学校、早稲田大学政治経済学部卒業。日本住宅公団、住宅・都市整備公団勤務を経て、1984年から赤城宗徳の秘書と中山利生の公設第一秘書を務めた。 1994年の茨城県議選に出馬し、初当選。その後には5回連続当選を果たし、茨城県議会議長及び副議長を務めた。 2025年3月18日、多臓器不全のため死去。79歳没。没日付にて従五位に叙された。
長谷川 好三(はせがわ こうぞう、1916年(大正5年)12… 長谷川 好三(はせがわ こうぞう、1916年(大正5年)12月1日 - 1970年(昭和45年)1月1日)は、日本の政治家・実業家。茨城県議会議員・笠間市長。大泉砕石株式会社・初代代表取締役、茨城放送取締役、茨城新聞取締役、茨城県砕石協会会長。茨城県砕石共同販売理事長。 茨城県笠間市福原出身。県立水戸中学校を卒業し、時事新報・いはらき新聞で記者を務める。その後、日立市議会事務局長を経て1948年に茨城県議に初当選。2期務め、県会財政委員長・運営審査委員長を歴任した。 1963年に笠間市長に当選するも、直後に公職選挙法違反で逮捕。裁判で争うも有罪確定によって1965年に失職。在任中は日動画廊・笠間日動美術館創業者の長谷川仁や洋画家・朝井閑右衛門、小説家・田村泰次郎らと共に特産品の笠間焼による地域振興に取り組み、1964年に笠間市芸術村を開村した。
遠藤 正則(えんどう まさのり、1914年(大正3年)6月3… 遠藤 正則(えんどう まさのり、1914年(大正3年)6月30日 - 2009年(平成21年)4月26日)は、昭和から平成時代の政治家。東京都文京区長。文京区名誉区民。 茨城県水戸市出身。茨城県立水戸中学校(現茨城県立水戸第一高等学校)を卒業後上京し、1933年(昭和8年)7月、東京市本郷区に奉職し、1939年(昭和14年)中央大学商学部二部を卒業した。戦時中は千葉県市川市国府台の高射砲隊にいた。のち文京区教育委員会学務課長、総務部長、助役を経て、1973年(昭和48年)12月、文京区長に就任した。1999年(平成11年)4月の任期満了まで6期24年務めた。この間、特別区長会会長を歴任した。ほか、特別区人事・厚生事務組合管理者、特別区協議会理事長を務めた。
塚原 俊郎(つかはら としお、1910年10月2日 - 19… 塚原 俊郎(つかはら としお、1910年10月2日 - 1975年12月7日)は、日本の政治家。総理府総務長官・労働大臣。正三位勲一等。通商産業大臣を務めた塚原俊平は長男。 現在の茨城県常陸太田市に、下妻中学校(現在の茨城県立下妻第一高等学校)や太田中学校(現在の茨城県立太田第一高等学校)などの校長を歴任し、茨城教育界で名校長として知られた教育者・塚原末吉の二男として生まれる。水戸中学校(現在の茨城県立水戸第一高等学校)、水戸高等学校を経て、1935年東京帝国大学文学部社会学科を卒業後、同盟通信社に入社し10年間の記者生活を送る。 戦後は官界に転じ、情報局情報官、内務省地方局世論調査課長を務めた後、1947年増田甲子七運輸大臣秘書官となる。
木村 傳兵衛(きむら でんべえ、1908年(明治41年)11… 木村 傳兵衛(きむら でんべえ、1908年(明治41年)11月11日 - 1972年(昭和47年)6月13日)は、日本の政治家。茨城県水戸市長(2期)。 茨城県水戸市生まれ。水戸の老舗醤油メーカー「井伝」に生まれる。1927年、旧制水戸中学校(現・茨城県立水戸第一高等学校)卒。井伝醬油社長となり、1967年。水戸市長に当選した。市長就任後に市役所の移転、市内の各学校に体育館やプールの設置、市民会館や市民プールの着工、市民憲章の制定などがある。1972年、狭心症のため、急逝した。
飯村 泉(いいむら いずみ、1908年〈明治41年〉5月26… 飯村 泉(いいむら いずみ、1908年〈明治41年〉5月26日 - 没年不明)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。 茨城県東茨城郡小松村(のち常北町、現・城里町)出身。1927年、旧制水戸中学校を卒業。卒業後は官立神戸高等商船学校(のち神戸商船大学、神戸大学海事科学部を経て、現神戸大学海洋政策科学部)を経て、京都帝国大学卒。日刊油業報知新聞社員、東京都油脂配給協同組合職員、岩城興業(有)営業部長、東京都油脂配給統制組合秘書課長となる。 1946年の第22回衆議院議員総選挙で茨城県から無所属で立候補するが落選。翌1947年の第23回衆議院議員総選挙において茨城1区から民主党公認で立候補して当選した。
山本 敏雄(やままと としお、1899年(明治32年)4月2… 山本 敏雄(やままと としお、1899年(明治32年)4月27日 - 1971年(昭和46年)11月4日)は、日本の政治家。元茨城県水戸市長(5期)。 茨城県出身。1917年、茨城県立水戸中学校卒業。小学校代用教員を経て東京堂に勤務。水戸市会議員から水戸市助役となる。1947年、当時の水戸市長・風戸元愛が公職追放令により市長を辞職。市長選挙に立候補し、当選する。爾来5期20年に亘り市長の座にあった。水戸市から名誉市民を贈られた。
大高 康(おおたか やすし、1899年(明治32年)1月8日… 大高 康(おおたか やすし、1899年(明治32年)1月8日 - 1969年(昭和44年)1月29日)は、大正・昭和期の実業家、政治家。衆議院議員(4期)、茨城県多賀郡高萩町長。 茨城県出身。1917年(大正6年)茨城県立水戸中学校(現茨城県立水戸第一高等学校)を卒業した。 高萩町会議員、高萩町長、同消防団長、茨城県会議員、同議長などを務めた。1953年(昭和28年)4月の第26回衆議院議員総選挙に茨城県第2区から改進党公認で出馬して初当選。第27回総選挙で再選されたが、1958年(昭和33年)5月の第28回総選挙は次点で落選。1960年(昭和35年)11月の第29回総選挙と第30回総選挙で再選され、衆議院議員に通算4期在任した。
川嶋 虎之輔(かわしま とらのすけ、1897年(明治30年)… 川嶋 虎之輔(かわしま とらのすけ、1897年(明治30年)11月1日 - 1984年(昭和59年)7月2日)は、日本の陸軍軍人、政治家。最終階級は陸軍少将。八千代市議会議長。川島と表記される場合がある。 和歌山県出身。陸軍主計大尉・川嶋守太郎の息子として生まれる。水戸中学校(現在の茨城県立水戸第一高等学校)、名古屋陸軍地方幼年学校、中央幼年学校を経て、1919年(大正8年)5月、陸軍士官学校(31期)を卒業。同年12月、砲兵少尉に任官し重砲兵第3連隊付となる。1922年(大正11年)12月、砲兵中尉に昇進。1925年(大正14年)12月、兵科を航空兵に転科し航空兵中尉に任官し下志津陸軍飛行学校教官に就任。
石橋 茂(いしばし しげる、1882年(明治15年)5月1日… 石橋 茂(いしばし しげる、1882年(明治15年)5月1日 - 1946年(昭和21年)9月15日)は、日本の衆議院議員(立憲同志会→憲政会→立憲民政党)。弁護士。 茨城県行方郡要村(現:行方市小幡)出身。茨城県立水戸中学校、第一高等学校を経て、1910年(明治43年)に東京帝国大学法科大学独法科を卒業。卒業後は貴族院事務局に勤務し、立教大学講師を務めた。1912年(明治45年)、水戸市に弁護士事務所を開業。その後、水戸市議会議員を務めた。 1915年(大正4年)、第12回衆議院議員総選挙に出馬し、当選を果たした。 1917年(大正6年)、台北市に事務所を移し、台北弁護士会副会長、同会会長を歴任した。
伊藤 東一郎(いとう とういちろう、1879年12月18日 … 伊藤 東一郎(いとう とういちろう、1879年12月18日 - 1950年10月5日)は、日本の政治家。衆議院議員(3期)。 岐阜県海津郡、後の城山村(城山町、南濃町を経て現海津市)出身。茨城県立水戸中学校卒業後は郷里に戻っていたが、1900年12月より一年志願兵として名古屋歩兵第6連隊第3中隊に属する。日露戦争に従軍後、陸軍歩兵中尉で除隊。その後は輪西中普通水利組合会議員、石津村議、岐阜県議、同参事会員、同副議長、自作農創調査委員、小作、金銭債務各調停委員となる。ほか帝国在郷軍人会海津郡連合分会長、大日本砂防協会評議員となる。 1936年の第19回衆議院議員総選挙において岐阜1区(当時)から立憲民政党公認で立候補して初当選。
小泉 秀吉(こいずみ ひできち、1879年(明治12年)9月… 小泉 秀吉(こいずみ ひできち、1879年(明治12年)9月21日 - 1959年(昭和34年)2月11日)は、日本の船員、労働運動家、政治家。参議院議員(1期)。 茨城県久慈郡馬場村(後の誉田村大字馬場、現在の常陸太田市馬場町)で、鋳物業・小泉長介、とみ夫妻の六男として生まれた。太田尋常小学校、太田町立太田高等小学校を経て、1893年4月、茨城県尋常中学校に入学。1896年3月、中学第3学年を修了後退学し、同年7月、官立商船学校(現在の東京海洋大学海洋工学部)航海科に入学。1902年1月、同校を卒業した。 大阪商船の貸費生であったので、卒業後直ちに同社に入社し監督課技士となる。1903年夏過ぎ、大阪商船を退職し、同年9月、三井物産船舶部に入社して阿蘇山丸に二等運転士として配属された。
西野 元(にしの げん、1875年(明治8年)11月29日 … 西野 元(にしの げん、1875年(明治8年)11月29日 - 1950年(昭和25年)8月3日)は、日本の大蔵官僚、政治家、銀行家。大蔵次官、貴族院議員、枢密顧問官。大蔵省の至宝といわれた人物で、八八艦隊計画成立後に、海軍首脳に対しその実施不可能であることを踏まえワシントン会議に臨むよう訴えた。 茨城県出身。西野元聿の長男として生まれる。水戸中学校、第一高等学校を経て、1902年(明治35年)7月、東京帝国大学法科大学政治学科を優等で卒業し、銀時計を授与された。同年11月、文官高等試験行政科試験に首席合格。同年12月、臨時秩禄処分調査局属兼大蔵属に任官。一時期、上京してきた同郷の荒川敬を寄寓させていた。
根津 啓吉(ねづ けいきち、1874年(明治7年)2月15日… 根津 啓吉(ねづ けいきち、1874年(明治7年)2月15日 - 1954年(昭和29年)12月4日)は、山梨県出身の地主、政治家、実業家。貴族院議員を務めた。 明治7年2月15日、山梨県巨摩郡築地新居村(現在の中巨摩郡昭和町)で、父・内藤宇兵衛(思温)、母・とよの間に四男として生まれた。1893年(明治26年)に同志社普通学校を卒業、この頃にキリスト教の洗礼を受けた。1896年(明治29年)には同志社ハリス理科学校(現在の同志社大学理工学部)を卒業した。京都滞在は通算9年に及んだ。 卒業後、茨城県立水戸中学校(現在の茨城県立水戸第一高等学校)、同下妻中学校(現在の茨城県立下妻第一高等学校)で教職を務めた。
井坂 孝(いさか たかし、1870年1月9日(明治2年12月… 井坂 孝(いさか たかし、1870年1月9日(明治2年12月8日)- 1949年(昭和24年)6月19日)は、日本の実業家、政治家。貴族院勅選議員、枢密顧問官。 常陸国茨城郡水戸(現在の茨城県水戸市)で水戸藩士・井坂幹の三男として生まれる。茨城県尋常中学校、第一高等学校を経て、1896年(明治29年)7月、東京帝国大学法科大学を卒業し、東洋汽船会社に入社。 以後、東洋汽船会社取締役兼営業部長、横浜海上火災保険 (株) 専務取締役、同社長を務めた。経営破綻した七十四銀行の整理を行い、受け皿となる横浜興信銀行を設立し、副頭取、頭取を務めた。1921年(大正10年)4月、横浜商業会議所会頭に就任し関東大震災の復興に尽力した。
渡辺 治(渡邊、わたなべ おさむ、1856年(安政3年2月)… 渡辺 治(渡邊、わたなべ おさむ、1856年(安政3年2月)- 1893年(明治26年)10月15日)は、明治時代の政治家、新聞経営者。衆議院議員(1期)。 のちの茨城県出身。郷里の私塾で漢学を学んだのち茨城中学校を経て慶應義塾を修了する。時事新報創立と同時に同社に入社し編集や庶務会計に携わった。1888年(明治21年)大阪毎日新聞に主筆として招かれ、同社を株式会社に改組後初代社長に就任した。ほか都新聞社を経営した。 1890年(明治23年)7月の第1回衆議院議員総選挙では茨城県第1区から出馬し当選。衆議院議員を1期務めた。