スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
中川 コージ(なかがわ こーじ、1980年2月29日〈戸籍上… 中川 コージ(なかがわ こーじ、1980年2月29日〈戸籍上は3月1日〉 - )は、日本の戦略科学者、中国研究者、実業家。「月間中国ニュース」編集長。北京大学光華管理学院経営博士。埼玉県行田市出身。本名は中川 幸司(こうじ)。 行田市長を務めた中川直木は祖父、行田市議員の中川邦明は父。 埼玉県立熊谷高等学校を経て2002年、慶應義塾大学商学部卒業。2006年、北京外国語大学漢語進修班卒業。北京大学光華管理学院より2008年に経営学修士号、2012年に経営学博士号取得(日本人初)。 2015年から2017年までデジタルハリウッド大学特任教授。2014年から中国人民大学国際事務研究所客員研究員。2023年からIIMインド経営大学院(Lucknow・Delhi-Noida校)リサーチフェロー。
大久保 智生(おおくぼ ともお、1977年 - )は、日本… 大久保 智生(おおくぼ ともお、1977年 - )は、日本の心理学者。香川大学教授。専門は教育心理学、社会心理学、犯罪心理学。埼玉県出身。 関西学院大学文学部教育学科教育心理学専修卒業。早稲田大学大学院人間科学研究科博士後期課程修了。
中澤 渉(なかざわ わたる、1973年 - )は、日本の教育… 中澤 渉(なかざわ わたる、1973年 - )は、日本の教育学者、立教大学社会学部社会学科教授。 埼玉県熊谷市生まれ。1992年埼玉県立熊谷高等学校卒業。1998年慶應義塾大学文学部人間関係学科卒業。2003年東京大学大学院教育学研究科博士課程単位取得退学。 2005年「高校入試改革のプロセスと帰結に関する社会学的研究 推薦入学制度の変容に着目して」で博士(教育学)。 2005年兵庫教育大学教育社会調査研究センター助手、2006年東京大学社会科学研究所助手、2007年助教。 2008年東洋大学社会学部専任講師、2011年准教授、2012年大阪大学大学院人間科学研究科准教授、2018年教授。 2014年『なぜ日本の公教育費は少ないのか』でサントリー学芸賞受賞。
原田 範行(はらだ のりゆき、1963年 - )は、日本の英… 原田 範行(はらだ のりゆき、1963年 - )は、日本の英文学者、慶應義塾大学文学部教授。第23代日本英文学会会長。 埼玉県立熊谷高等学校を経て、1989年慶應義塾大学文学部英文学科卒業、94年同大学院博士課程満期退学。2003年「「文学」の誕生 サミュエル・ジョンソンの初期作品群に関する研究」で慶應義塾大学博士(文学)。杏林大学外国語学部助教授、教授、東京女子大学現代教養学部教授。1997年日本英文学会新人賞受賞、2004年厚生労働大臣表彰(『ヴィジュアル版ガリヴァー旅行記』による)。2017年日本英文学会会長。2019年4月慶應義塾大学文学部人文社会学科英米文学専攻教授。
神山 敬次(かみやま けいじ、1961年 - )は、日本の建… 神山 敬次(かみやま けいじ、1961年 - )は、日本の建設・国土交通官僚。国土交通省国土交通政策研究所長、大臣官房総括監察官、国土交通大学校長等を歴任した。 退官後、2020年11月から西日本建設業保証(株)理事。 埼玉県熊谷市生まれ。埼玉県立熊谷高等学校、東京大学法学部(公法コース)を経て、1985年建設省へ入省。 1985年 建設省入省。河川局・建設経済局勤務の後、人事院長期在外研究員制度によりロンドン大学LSE校都市地域計画修士コース留学(M.Sc.)。 都市局勤務を経て、北九州市企画課長等を歴任。その後、河川局、在イギリス日本国大使館一等書記官、道路局ITS推進室、地域振興整備公団を経て、国土交通省国土計画局に勤務。
塩原 肇(しおばら はじめ、1961年 - ) は、日本の地… 塩原 肇(しおばら はじめ、1961年 - ) は、日本の地震学者。東京大学地震研究所教授。 埼玉県生まれ。埼玉県立熊谷高等学校を経て、北海道大学理学部地球物理学科卒業。北海道大学大学院修了。理学修士。理学博士。北海道大学理学部助手、富山大学理学部助教授、東京大学地震研究所助教授を経て、同教授。2015年には篠原雅尚らとの論文で海洋調査技術学会技術賞を受賞した。専門は海底固体地球物理学。
坂本 忠久(さかもと ただひさ、1959年6月2日 - )は… 坂本 忠久(さかもと ただひさ、1959年6月2日 - )は、日本法制史学者、東北大学大学院法学研究科教授。 埼玉県秩父市生まれ。埼玉県立熊谷高等学校をへて、1983年早稲田大学法学部卒、金沢大学大学院修士課程修了、1991年大阪大学大学院法学研究科博士課程単位取得退学。1992年千葉大学法経学部助教授、2001年教授、2012年東北大学大学院法学研究科教授。1998年「天保改革の法と政策」で東北大学法学博士。
根岸 雅史(ねぎし まさし、1959年3月 - )は、日本の… 根岸 雅史(ねぎし まさし、1959年3月 - )は、日本の英語教育学者。東京外国語大学世界言語社会教育センター特任教授、同名誉教授、応用言語学博士(Ph.D.)。 専門は、英語教育学、特に、言語テスト論、英語リーディング論。 埼玉県立熊谷高等学校をへて、1982年3月 東京外国語大学外国語学部英米語学科卒業。1984年3月 東京学芸大学大学院教育学研究科英語教育専攻修士課程修了、1985年7月 レディング大学大学院言語学研究科応用言語学専攻修士課程修了、1996年12月 レディング大学よりPh.D.(応用言語学)の学位を取得。 1985年9月埼玉県立熊谷女子高等学校講師、1986年4月小山工業高等専門学校講師。
小島 孝夫(こじま たかお、1955年4月26日 - )は、… 小島 孝夫(こじま たかお、1955年4月26日 - )は、日本の民俗学者、成城大学教授。地域自治論専攻。 埼玉県に生まれる。埼玉県立熊谷高等学校を経て、1980年に武蔵野美術大学造形学部彫刻科を卒業、1983年に筑波大学大学院環境科学研究科修士課程を退学した。千葉県立大利根・安房・関宿城博物館学芸員を経て、成城大学文芸学部教授。
浜 日出夫(はま ひでお、1954年 - )は、日本の社会学… 浜 日出夫(はま ひでお、1954年 - )は、日本の社会学者。慶應義塾大学文学部教授。東京通信大学情報マネジメント学部情報マネジメント学科教授。 福島県出身。埼玉県立熊谷高等学校を経て、1976年大阪大学人間科学部卒業、1980年同大学院人間科学研究科博士課程中退、大阪大学人間科学部助手、1982年新潟大学教養部講師、1985年助教授、1988年筑波大学社会科学系助教授、1999年慶應義塾大学文学部助教授、2001年教授。日本学術振興会特別研究員等審査会専門委員。日本社会学会会員。 専門は、社会学学説史研究、理論社会学、メディア論。社会学の言語論的転回に関する学説史的研究。博物館の歴史展示(筑波のがまの油、江戸東京博物館、渋谷東邦生命ビルの尾崎豊の記念碑など)に関する知識社会学的研究。
関根 義彦(せきね よしひこ、1952年4月 - )は、海洋… 関根 義彦(せきね よしひこ、1952年4月 - )は、海洋物理学者。三重大学生物資源学部教授。共生環境学専攻。 埼玉県立熊谷高等学校をへて、1975年 東北大学理学部卒業。1982年 東北大学大学院理学研究科博士課程修了。1981年 4月 日本学術振興会奨励研究員。 1983年 7月 防衛大学校地学科講師。1987年 4月 防衛大学校地学科助教授。 1988年10月 三重大学生物資源学部助教授。1990年 4月 三重大学生物資源学部教授。
伊藤 公雄(いとう きみお、1951年10月4日 - )は、… 伊藤 公雄(いとう きみお、1951年10月4日 - )は、日本の社会学者。大阪大学名誉教授、京都大学名誉教授。京都産業大学教授。男性学の研究で知られる。 一般社団法人ホワイトリボンキャンペーン・ジャパン共同代表。京都文化創生機構副理事長。 埼玉県出身。埼玉県立熊谷高等学校をへて1976年、京都大学文学部哲学科社会学専攻卒業、1981年、京都大学大学院文学研究科博士課程単位取得満期退学。 大阪大学人間科学部教授を経て、2004年同名誉教授、京都大学大学院文学研究科教授。2017年定年退任、名誉教授、京都産業大学教授。2008年より放送大学教養学部客員教授。 内閣府男女共同参画会議基本問題調査専門委員会委員、大阪府男女協働社会作り審議会会長代理など、行政への参加も多い。
桑子 敏雄(くわこ としお、1951年7月25日 - )は、… 桑子 敏雄(くわこ としお、1951年7月25日 - )は、日本の哲学者、社会的合意形成・プロジェクトマネジメントコンサルタント。一般社団法人コンセンサス・コーディネーターズ代表理事、東京工業大学名誉教授。 群馬県太田市生まれ。埼玉県立熊谷高等学校を経て、1975年東京大学文学部哲学科卒業、1980年同大学院博士課程単位修得退学、同文学部助手、1994年学位取得(博士(文学)、東京大学)。1981年南山大学文学部講師、1984年助教授、1989年東京工業大学工学部助教授、1996年同大学院社会理工学研究科教授。2018年東京女子大学現代教養学部教授、2022年同退職。この間1983-1984年ケンブリッジ大学客員研究員、2002-2003年フランス国立社会科学高等研究院客員教授、2009-2011年大連大学客員教授。
茂木 貞純(もてぎ さだすみ、1951年 - )は、日本の神… 茂木 貞純(もてぎ さだすみ、1951年 - )は、日本の神道学者。國學院大學神道文化学部名誉教授。 神道宗教学会理事、日本マナー・プロトコール協会理事、熊谷市古宮神社宮司。 専門は、神道学・神道祭祀・戦後神道史。皇位継承問題についても発言する。 埼玉県熊谷市生まれ。埼玉県立熊谷高等学校をへて1974年國学院大學文学部神道学科卒業。80年同大学大学院神道学専攻博士課程修了。 神社本庁に入り、教学研究部長や総務部長などを歴任する。2005年國學院大學神道文化学部に就任した。2022年3月末で退職、4月から國學院大學名誉教授。
田嶋 一(たじま はじめ、1947年7月 )は、日本の教育学… 田嶋 一(たじま はじめ、1947年7月 )は、日本の教育学者。國學院大學文学部名誉教授。 埼玉県生まれ。埼玉県立熊谷高等学校卒業、東京大学教育学部卒業、東京大学大学院教育学研究科博士後期課程単位取得退学。 農水省農業者大学校非常勤講師、日本学術振興会奨励研究員をへて、神奈川県立湘南高等学校、神奈川県立翠嵐高等学校(定時制)で教員として勤務。 1981年、國學院大學文学部(教育学研究室)専任講師となり、1984年に助教授、1991年に教授に昇格。2018年定年退職。この間、神奈川大学、東京大学、京都大学、鹿児島大学、聖心女子大学などで兼任講師をつとめる。また、国民教育研究所、講談社野間教育研究所、飯田市歴史研究所にて研究員職を歴任。
石川 弘道 (いしかわ ひろみち、1947年5月15日 - … 石川 弘道 (いしかわ ひろみち、1947年5月15日 - )は、日本の経営情報学者。前高崎経済大学学長。専門は経営情報システム論・経営科学。 埼玉県上尾市生まれ。埼玉県立熊谷高等学校、早稲田大学理工学部卒業。早稲田大学大学院理工学研究科修士課程修了・早稲田大学大学院博士課程単位取得退学。 1981年4月、高崎経済大学経済学部の講師、助教授を経て、1991年4月より教授。経済学部長、大学院経済・経営研究科長、副学長を歴任。2011年4月母体の高崎市から公立大学法人へ移行して最初の学長ならびに法人の副理事長に就任。2017年退任。 2023年、瑞宝中綬章受章。
松本 健一(まつもと けんいち、1946年1月22日 - 2… 松本 健一(まつもと けんいち、1946年1月22日 - 2014年11月27日)は、日本の評論家、思想家、作家、歴史家、思想史家。麗澤大学経済学部教授。 中国日本語研修センター教授、麗澤大学経済学部教授、麗澤大学比較文明文化研究センター所長、一般財団法人アジア総合研究機構評議員議長、東日本国際大学客員教授、内閣官房参与(東アジア外交問題担当)などを歴任した。 群馬県前橋市生まれ。埼玉県立熊谷高等学校を経て、1968年に東京大学経済学部を卒業。東大の同期生には川本三郎、仙谷由人、谷垣禎一、荒井正吾、溝口善兵衛、平沢勝栄がいた。旭硝子に入社するが、1969年に退職。1971年、法政大学大学院修士課程日本文学科修了。
坂本 和彦(さかもと かずひこ、1945年 - )は、日本の… 坂本 和彦(さかもと かずひこ、1945年 - )は、日本の環境化学者。埼玉大学大学院理工学研究科教授を経て、同名誉教授。元埼玉県環境科学国際センター総長。元環境省中央環境審議会会長代理。埼玉大学重点研究テーマ「分子環境工学」領域リーダー(2006年4月-)。 専門分野は環境化学(大気汚染、酸性雨、地球温暖化の制御)、エアロゾル科学(エアロゾル計測や除去)、環境制御工学。光化学スモッグや酸性雨の発現機構解明と汚染制御手法の開発、黄砂と硫黄酸化物の反応、石炭クリーン燃料化、循環型汚染制御技術の開発、光触媒等による空気浄化を研究。
田代 順孝(たしろよりたか、Yoritaka Tashiro… 田代 順孝(たしろよりたか、Yoritaka Tashiro、1945年 - )は、日本の緑地造園学者。千葉大学名誉教授。千葉大学グランドフェロー。工学博士。 専門は国際ランドスケープマネージメントやレクリエーション領域。住みよい街づくり国際コンクール常任審査委員・理事。 (財)都市緑化技術開発機構 研究顧問、International Federation of Park and Recreation Administration(IFPRA)国際公園レクリエーション管理行政連合日本代表理事、World Urban Parks初代理事。International Awards for Liveable Communities理事、国際審査委員。
米倉 迪夫(よねくら みちお、1945年 - )は、日本の美… 米倉 迪夫(よねくら みちお、1945年 - )は、日本の美術史学者。東京文化財研究所名誉研究員。 専門は日本の中世絵画史。 埼玉県立熊谷高等学校を経て、国際基督教大学教養学部を卒業後、東京芸術大学大学院修士課程を修了。東京国立文化財研究所を経て、上智大学国際教養学部教授。2010年3月、同大学を定年退職。 1995年には『源頼朝像 沈黙の肖像画』において、神護寺三像の「源頼朝像」と伝えられる肖像画が、実際には「足利直義像」であるとする説など三像の像主比定に異論を提唱し、美術史や歴史学界に大きな影響を与えた事で知られる。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
嶋村 紘輝(しまむら ひろき、1944年6月23日 - )は… 嶋村 紘輝(しまむら ひろき、1944年6月23日 - )は、日本の経済学者、早稲田大学名誉教授。 埼玉県深谷市生まれ。埼玉県立熊谷高等学校卒、1967年早稲田大学商学部卒、1972年同大学院博士課程満期退学。1997年「マクロ経済学研究 景気循環とマクロ経済政策の理論的分析」で商学博士の学位を取得。早大商学部助教授、教授、2015年定年、名誉教授。
千代田 邦夫(ちよだ くにお、1944年1月2日 - )は、… 千代田 邦夫(ちよだ くにお、1944年1月2日 - )は、日本の会計学者、立命館大学名誉教授、早稲田大学特任教授。 公認会計士で、2013年公認会計士・監査審査会会長。 埼玉県生まれ。埼玉県立熊谷高等学校をへて、1966年早稲田大学第一商学部卒業。1968年同大学大学院商学研究科修士課程修了。 鹿児島経済大学講師・助教授、1976年立命館大学経営学部助教授、1984年立命館大学教授。 1986年「アメリカ監査制度発達史」で立命館大学経営学博士。1999年経営学部長、のち名誉教授。 2009年熊本学園大学会計専門職研究科教授、2012年早稲田大学大学院会計研究科教授。2015年特任教授。 1995年『アメリカ監査論』で日経・経済図書文化賞受賞。
押田 茂實(おしだ しげみ、1942年11月11日 - )は… 押田 茂實(おしだ しげみ、1942年11月11日 - )は、日本の医師、法医学者である。日本大学名誉教授。 専門は、医療事故の現状分析と予防対策、DNA型鑑定、中毒の代謝などであり、法医鑑定(埼玉県内の法医解剖の他、親子鑑定・医療事故などの鑑定や物件鑑定・再鑑定)に携わっている。日本のDNA型鑑定の第一人者として、保土ヶ谷事件(ある監察医が解剖しないで鑑定書を作成したのではないかという疑惑事件)の臓器のDNA型鑑定や東電OL事件のDNA鑑定、足利事件のDNA型鑑定、飯塚事件の鑑定を行ったことでも知られる。 押田は高校時代、どちらかと言うと文化系の科目が得意としており、「将来は弁護士か外交官」と思っていたという。
竹本 修三(たけもと しゅうぞう、1942年5月5日 - )… 竹本 修三(たけもと しゅうぞう、1942年5月5日 - )は、日本の地球物理学者。専門は、固体地球物理学・測地学。 京都大学大学院理学研究科教授を経て、同大名誉教授。国際高等研究所フェロー。 埼玉県秩父市生まれ。埼玉県立熊谷高等学校をへて、1965年京都大学理学部地球物理学科卒業後、京都大学防災研究所助手、京都大学理学部助教授、京都大学大学院理学研究科助教授を経て、1996年1月より京都大学大学院理学研究科教授、2006年3月に定年退職した。 独立行政法人大学入試センター客員教授、日本学術会議測地学研究連絡委員会委員長、地震予知連絡会委員、国際測地学協会地球潮汐委員会総裁を歴任。2003年4月より2007年3月まで日本測地学会会長。
石川 光庸(いしかわ みつのぶ、1942年 - )は、日本の… 石川 光庸(いしかわ みつのぶ、1942年 - )は、日本のドイツ語学者、京都大学名誉教授。ゲルマン語学、独語専攻。 埼玉県生まれ。埼玉県立熊谷高等学校をへて、東京教育大学卒、慶應義塾大学大学院博士課程中退。 慶大助手をへて、商学部助教授。1976年京都大学教養部助教授、教授をへて、人間・環境学研究科教授。2008年定年退任、名誉教授。
今村 都南雄(いまむら つなお、1941年10月10日 - … 今村 都南雄(いまむら つなお、1941年10月10日 - )は、日本の政治学者。 専門は行政学・地方自治論。主に組織論のアプローチに基づいた研究を行う。 山梨県甲府市生まれ。1960年、埼玉県立熊谷高等学校卒業。1965年、中央大学法学部法律学科卒業。1967年、国際基督教大学大学院行政学研究科修了。1967年、中央大学法学部助手。1971年、中央大学法学部助教授。1978年、中央大学法学部教授。1981年、中央大学大学院法学研究科教授。2005年、中央大学公共政策大学院教授。2010年、中央大学名誉教授。山梨学院大学法学部教授・山梨学院大学大学院社会科学研究科長。2002-2004年度日本行政学会理事長。
小林 圭二(こばやし けいじ、1939年5月6日 - 201… 小林 圭二(こばやし けいじ、1939年5月6日 - 2019年5月27日)は、日本の原子力工学者。関東州(現:中国)大連市出身。 1953年、埼玉県熊谷市に引き揚げる。埼玉県立熊谷高等学校をへて京都大学工学部原子核工学科卒業。京都大学原子炉実験所(現:京都大学複合原子力科学研究所)助手を経て、2002年に同講師。2003年、定年退職。 当初は原子力発電の実用化を推進する立場で研究していたが、やがて批判に転じる。 1973年、四国電力の伊方原子力発電所1号建設に反対する住民訴訟を支援。高速増殖原型炉もんじゅの設置許可の無効確認を求めた行政訴訟(もんじゅ訴訟)では、原告特別補佐人、証人を務めている。
薗田 稔(そのだ みのる、1936年〈昭和11年〉4月27日… 薗田 稔(そのだ みのる、1936年〈昭和11年〉4月27日 - 2024年〈令和6年〉12月31日)は、日本の神職、宗教学者。秩父神社元宮司。京都大学名誉教授。 宗教学や民俗学の視点を入れた神道研究、日本宗教史研究を行う。2002年5月、京都・賀茂御祖(下鴨)神社糺森研修道場において、上田正昭らとともにNPO法人社叢学会を設立した。 埼玉県秩父市出身。埼玉県立熊谷高等学校を経て、1960年に東京大学文学部宗教学科を卒業、1965年に同大学院博士課程満期退学。1972年に國學院大學文学部講師、1974年に同助教授、1981年に同教授、1991年に京都大学教養部教授、のち京都大学総合人間学部教授、2003年に國學院大學神道文化学部特任教授、皇學館大学大学院特任教授を歴任。
吉田 宏晢(よしだ こうせき/ひろあき、1935年2月25日… 吉田 宏晢(よしだ こうせき/ひろあき、1935年2月25日 - )は、真言宗の僧侶、日本の仏教学者で大正大学名誉教授、川崎大師教学研究所相談役。真言宗智山派菩提院結衆、集議を経て智積院化主(智山派管長)。埼玉県本庄市栗崎の宥勝寺住職。 埼玉県生まれ。1953年埼玉県立熊谷高等学校卒業、1961年東京大学文学部哲学科卒業、1971年同大学大学院人部科学研究科印度哲学科博士課程満期退学、1973年大正大学仏教学部専任講師、1980年助教授、1983年教授、1991年「空海思想形成過程の研究」で、文学博士(早稲田大学)の学位を取得。1997年大正大学大学院研究科長、2005年大正大学を定年退任、名誉教授。
宮川 公男(みやかわ ただお、1931年11月16日 - )… 宮川 公男(みやかわ ただお、1931年11月16日 - )は、日本の経営学者。学位は、商学博士(一橋大学・論文博士・1963年)。一橋大学名誉教授、麗澤大学名誉教授。埼玉県行田市生まれ。 受験勉強を熱心にしておらず旧制浦和高等学校に進学する気にならなかったため、経済学専攻志望で慶應義塾大学予科、早稲田大学高等学院などを受験して合格し、戦時中に軍国主義教育に走らなかったなどとの評判から当時高倍率となっていた東京商科大学(現一橋大学)予科に進学した。在学中学制改革があり、改名された新制一橋大学の前期課程では石田龍次郎ゼミで人文地理学を専攻した。今井賢一(一橋大学名誉教授)は予科時代からの友人。 後期課程ではマルクス経済学者の杉本栄一ゼミに所属し、杉本のもう一つの専門であった計量経済学を継いだ。
川野辺 敏(かわのべ さとし、1930年 - )は、日本の教… 川野辺 敏(かわのべ さとし、1930年 - )は、日本の教育学者、星槎大学特任教授。ソ連の教育政策について研究した。 埼玉県熊谷出身。埼玉県立熊谷高等学校をへて、1953年東京外国語大学ロシア語科卒。 文部省で外国教育調査(ソビエト担当)を担当した後に、国立教育政策研究所勤務、指導普及部長、生涯学習研究部長を経て、常葉学園大学教授。星槎大学副学長、特任教授。元日本比較教育学会会長。 日本学習社会学会創設にも関わり、初代会長を務め、同学会理事として活動中。
倉林 正次(くらばやし しょうじ、1925年9月27日 - … 倉林 正次(くらばやし しょうじ、1925年9月27日 - 2024年11月6日)は、日本の日本史学者・民俗学者。 専門は日本の儀礼文化全般・宮中祭祀・埼玉県内における民俗学を研究。文学博士(國學院大學)。日本における祭祀研究の第一人者。 埼玉県秩父郡皆野町出身。旧制埼玉県立熊谷中学校を経て、1950年國學院大學文学部日本文学科卒業、埼玉県神社庁職員、神社本庁職員を経て、1963年同大学院文学研究科日本文化専攻博士課程単位取得満期退学、同文学部専任講師、1970年に論題「饗宴の研究:文学編」で國學院大學にて文学博士号を取得した。同文学部助教授、同文学部教授。1968年西ドイツ・ボン大学客員教授(~1970年)。
山村 秀夫(やまむら ひでお、1920年1月23日 - 20… 山村 秀夫(やまむら ひでお、1920年1月23日 - 2017年11月25日)は、日本の麻酔学者。東京大学名誉教授。旧姓は茂木。 埼玉県熊谷市出身。旧制埼玉県立熊谷中学校、旧制静岡高等学校、東京帝国大学医学部卒業。1948年医学博士。東京大学医学部助教授、1956年教授となる。1978年東京大学医学部長となる。1980年定年退官、名誉教授、東京専売病院長。1990年康済会病院理事長、1998年日本救急医療財団理事長。麻酔専門医制度の発足や日本麻酔学会の創設に参加し、1982年山村記念賞が設けられた。墓所は多磨霊園。
井上 宇市(いのうえ ういち、1918年4月23日 - 20… 井上 宇市(いのうえ ういち、1918年4月23日 - 2009年7月17日)は、日本の建築設備学者。日本建築学会名誉会員。早稲田大学名誉教授。 公益社団法人 空気調和・衛生工学会では井上宇市記念賞を設けている。 埼玉県秩父郡秩父町(現・秩父市)生まれ。旧制熊谷中学校を経て1940年、旧制新潟高等学校を卒業したが、肺結核で一年療養を経て、東京帝国大学第一工学部船舶工学科に入学。1944年に卒業し、同年10月に福生航空教導師団を経て陸軍技術中尉任官し第1航空技術研究所勤務。 戦後の1946年から大成建設株式会社に勤務を経て1953年より早稲田大学第一理工学部及び第二理工学部建築学科専任講師に転任。
三友 國五郎(みとも くにごろう、1904年 <明治37年>… 三友 國五郎(みとも くにごろう、1904年 <明治37年> - 1983年 <昭和58年> 3月1日)は、日本の地理学者、考古学者。吉野ヶ里遺跡の発見者。位階は正四位。 埼玉県大里郡久下村(現・熊谷市)に生まれる。 旧制埼玉県立熊谷中学校(現・埼玉県立熊谷高等学校)、旧制浦和高等学校(現・埼玉大学)を経て、1931年に京都帝国大学文学部史学科を卒業した。 卒業後は旧制福岡県立東筑中学校(現・福岡県立東筑高等学校)の教諭となる。当地では北九州郷土史研究会に参加した。1934年に吉野ヶ里遺跡を学会に報告し、七田忠七とともに発見者となった。 1938年に日本統治下の朝鮮にあった旧制平壌第三中学校に転任、1940年に旧制平壌第一中学校に移る。
小宮 義孝(こみや よしたか、1900年2月18日 - 19… 小宮 義孝(こみや よしたか、1900年2月18日 - 1976年2月4日)は、日本の寄生虫学者。 埼玉県出身。旧制熊谷中学校、第一高等学校をへて、1925年東京帝国大学医学部卒、同衛生学教室助手。国崎定洞の影響を受けて社会医学を志す。1931年上海自然科学研究所に入所、寄生虫を研究。1932年「鐵筋コンクリート建病室に於ける換気に関する研究」で医学博士(東京帝国大学)。 戦後は、1949年群馬大学医学部教授、1952年目黒寄生虫館評議員、1966年国立予防衛生研究所長、1967年日本寄生虫学会名誉会員。1964年第8回野口英世記念医学賞を受賞。 戦前はマルクス主義者で、戦後も早くから中華人民共和国をたびたび訪れた。
浅見 義弘(あさみ よしひろ、1898年(明治31年)6月2… 浅見 義弘(あさみ よしひろ、1898年(明治31年)6月28日 - 1991年(平成3年)5月6日)は、大正から昭和時代の電気工学者、通信技術者。 浅見竹三郎の三男として埼玉県深谷市に生まれる。1931年(昭和6年)分家する。旧制熊谷中学、旧制第一高校を経て、1922年(大正11年)東京帝国大学工学部電気工学科を卒業し、逓信省電気試験所研究員となる。1925年(大正14年)北海道帝国大学教授となり、12余年に渡り欧米各地に駐在し、帰国後の1936年(昭和11年)10月、工学博士となる。同年9月、北海道に行幸した昭和天皇に帯広市にて「高周波電気現象と其の応用」と題する進講を行った。第二次世界大戦後、1946年(昭和21年)9月、同大学応用電気研究所長、のち1960年(昭和35年)同大工学部長を経て、1962年(昭和37年)退官し、成蹊大学主任教授、1969年(昭和44年)同大工学部長となる。
宮城 音五郎(みやぎ おとごろう、1883年8月3日 - 1… 宮城 音五郎(みやぎ おとごろう、1883年8月3日 - 1967年9月14日)は、日本の工学者、政治家。 東北帝國大学教授、宮城県知事、東北工業大学学長などを歴任した。 1883年(明治16年)埼玉県出身。旧制埼玉県立熊谷中学校を経て、1908年(明治41年)東京帝國大学卒業。 仙台高等工業学校(現・東北大学工学部)教授となった後、1917年(大正6年)から翌年にかけてアメリカ合衆国に留学した。帰国後は東北帝國大学の工学部長などを務めて1945年(昭和20年)に退官、1946年から1950年までは宮城県仙台第一中学校(現・宮城県仙台第一高等学校)の校長を務めた。1952年(昭和27年)から1956年(昭和31年)まで宮城県知事を一期務めた。