スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
山田 吉彦(やまだ よしひこ、1962年〈昭和37年〉9月7… 山田 吉彦(やまだ よしひこ、1962年〈昭和37年〉9月7日 - )は、日本の海洋学者、政治家。国民民主党所属の参議院議員(1期)。埼玉大学大学院経済科学研究科にて博士(経済学)。東海大学海洋学部客員教授。 元東海大学海洋学部教授。東海大学元静岡キャンパス長(学長補佐)兼務東海大学沖縄地域研究センター所長。 千葉県千葉市出身。千葉県立佐倉高等学校、学習院大学経済学部在学時代は陸上競技部に所属し、佐倉高校在学時は小出義雄の指導を受け第30回全国高校駅伝に千葉県代表として出場(2区)している。1986年3月に同大学を卒業後、同年4月東洋信託銀行に入行。その後、1991年に日本船舶振興会へ移籍。海洋船舶部長、海洋グループ長などを勤務の傍ら、2003年、多摩大学大学院経営情報学研究科修士課程、2008年、埼玉大学大学院経済科学研究科博士課程修了海賊対処法策定時、参議院外交防衛委員会に参考人として関わるなど海賊問題の第一人者として知られている。
村松 励(むらまつ つとむ、1948年12月23日 - )は… 村松 励(むらまつ つとむ、1948年12月23日 - )は、日本の心理学者、専修大学名誉教授。専門分野は臨床心理学、非行臨床、犯罪心理学。警察庁科学警察研究所顧問。元日本犯罪心理学会会長。 千葉県出身。東京都立大学 (1949-2011)人文学部卒業。東京大学大学院情報学環教育部中退。 大学在学中、家庭裁判所調査官補Ⅰ種試験(現・裁判所職員採用総合職試験(院卒・大卒、人間科学区分))に合格。その後家庭裁判所調査官として、長年に渡り少年保護手続を担当。少年事件における家庭裁判所の審判では一般の刑事訴訟と異なり刑罰を下すのではなく、少年法の規定に従って「非行少年の再非行の抑止や更生を目的」としており、これら審判手続きを通じて、臨床心理学、犯罪心理学等、少年の犯罪に至る過程及び更生における援助を法務省、警察庁等、関連諸機関と協力して対処することを専門としてきた。
勝田 茂(かつた しげる、1936年12月2日 - )は、日… 勝田 茂(かつた しげる、1936年12月2日 - )は、日本の医学者。医学博士(九州大学)。筑波大学名誉教授。東亜大学大学院名誉教授。専門はスポーツ科学、環境生理学、運動生理学(特に体力医学・栄養生理学)。研究テーマは骨格筋線維の可塑性、超高齢エリートアスリートの身体機能とパフォーマンスなど。日本体育学会副会長。 日本体力医学会理事、評議会会長。 日本バイオメカニクス学会監事。日本運動生理学会理事。秩父宮記念スポーツ医・科学賞受賞(2020年)。 スポーツ医科学分野における研究者であると同時に自身もアスリートであり、80歳を超えてもなおテニスプレーヤーとして活動している。高校・大学時代はレスリングや柔道に没頭していたが、30歳を超えてからセカンドスポーツとしてテニスを始めた。
白鳥 庄之助(しらとり しょうのすけ、1934年(昭和9年)… 白鳥 庄之助(しらとり しょうのすけ、1934年(昭和9年)7月23日 - )は、日本の会計学者、経済学者。成城大学名誉教授。カリフォルニア大学バークレー校客員研究員、大蔵省企業会計審議会委員等を歴任。日本会計研究学会賞受賞。 1934年、千葉県印旛郡八街町生まれ。千葉県立佐倉第一高等学校を経て、1958年一橋大学社会学部を卒業し、公認会計士事務所に入所。また同大学大学院課程に進み、1965年に一橋大学大学院商学研究科博士課程を単位取得退学。在学中は片野一郎ゼミで学んだ。 その後、千葉商科大学専任講師を経て、1967年成城大学経済学部専任講師となった。後に、同大学助教授教授に昇進。同大学大学院経済学研究科長、同大学経済研究所第3代所長を務めた。
岡田 直之(おかだ なおゆき、1933年 - )は、日本の社… 岡田 直之(おかだ なおゆき、1933年 - )は、日本の社会学者。専門領域はマスコミ論・世論研究。世論の概念をめぐって議論を概括し、量的世論調査においてもその概念を問うことの意義を主張した。現在名は高橋直之。東京出身。 1951年千葉県立佐倉第一高等学校(現千葉県立佐倉高等学校)卒業、1956年東京教育大学(現筑波大学)文学部卒業、1961年東京大学大学院社会科学研究科社会学専攻博士課程満期退学、1962年成城大学文芸学部講師、助教授、教授、1991年-2003年東洋大学社会学部教授。1994年「マスコミ研究の視座と課題」で東洋大学社会学博士(高橋直之)。
水島 一也(みずしま かずや、1930年11月12日 - 2… 水島 一也(みずしま かずや、1930年11月12日 - 2017年10月31日)は、日本の経営学者。保険・リスクマネジメントの研究者。学位は、商学博士(神戸大学・1965年)。神戸大学名誉教授。元保険審議会会長。作家で精神科医の加賀乙彦は、名古屋陸軍幼年学校時代の1年先輩。旧東京府(現東京都)生まれ。 大学院門下生として、高尾厚、岡田太志、李潤浩、許碩芬、金基辰がいる。
大沢 慶己(おおさわ よしみ、1926年3月6日-)は、日本… 大沢 慶己(おおさわ よしみ、1926年3月6日-)は、日本の柔道家、早稲田大学名誉教授。柔道で事実上の最高段位となっている十段の所有者(120年以上の柔道の歴史のなかで2006年現在、過去を含めて十段所有者は15名のみ)。柔道が初めて五輪正式種目となった1964年東京オリンピックの柔道競技コーチ、全日本柔道連盟国際試合選手強化委員会(女子)委員長、講道館女子部部長、早稲田大学柔道部師範、早稲田大学人間科学部教授を歴任。今日の日本および世界の柔道の隆盛にも大きく貢献した。2006年、早稲田大学スポーツ功労者表彰。
内海 喩(うつみ さとり、1919年4月16日 - 2003… 内海 喩(うつみ さとり、1919年4月16日 - 2003年3月15日)は、日本の化学者。理学博士。専門は分析化学。特に微量陰イオンの定量法の研究で知られる。元東京工業大学理工学部分析化学教室教授。日本大学名誉教授。 香川県出身。旧制千葉県立佐倉中学校(現在の千葉県立佐倉高等学校)を経て東京文理科大学(現在の筑波大学)卒業。1992年、勲四等旭日小綬章を受章。2003年3月15日、急性心筋梗塞のため83歳で死去。
比留間 豊(ひるま ゆたか、1918年1月6日 - 2002… 比留間 豊(ひるま ゆたか、1918年1月6日 - 2002年1月26日)は、日本の土木工学者。東京帝国大学(現在の東京大学)土木工学科卒。 技術開発、特に道路の機械化施工に取り組み、高速道路事業に大きな功績を残した。コンクリート製防護壁の発明者。土木学会名誉会員。建設省道路局道路公団監理官、株式会社間組常務取締役、東京道路エンジニア株式会社社長などを歴任。日韓トンネル研究会参与。1989年6月、勲三等瑞宝章受章。2002年1月26日、心不全のため死去、享年84。
入江 春彦(いりえ はるひこ、1915年(大正4年)10月2… 入江 春彦(いりえ はるひこ、1915年(大正4年)10月21日 - 1999年(平成11年)9月26日)は、日本の海洋生物学者。農学博士。専門は端脚類の分類。東京帝国大学農学部卒業。長崎大学名誉教授。元日本プランクトン学会長。勲三等旭日中綬章受賞。位階は正四位。 長崎県大村湾の調査、対馬暖流開発調査、日本湾岸水域の基礎生産力調査、国際黒潮調査(CSK)など日本国内外の研究調査に幅広く参画。特に1965年前後に大村湾において大規模に出現した赤潮発生機構の解明、被害調査に従事し、日本の赤潮研究で指導的な役割を果たした。
市原 松平(いちはら まつへい、1915年3月30日 - 2… 市原 松平(いちはら まつへい、1915年3月30日 - 2001年4月11日)は、日本の土木工学者。京都帝国大学工学部卒業。名古屋大学名誉教授。土木学会名誉会員。地盤工学会名誉会員。土圧・間隙水圧の計測方法に関する研究を行い多面土圧計などの計測機器を開発。特に土圧研究の分野で多くの業績を上げた。勲二等瑞宝章受章。 1915年(大正4年)、現在の千葉県佐倉市に生まれる。旧制千葉県立佐倉中学校(現:千葉県立佐倉高等学校)、旧制大阪高等学校(現:大阪大学一般教養部)を卒業。 1941年(昭和16年)12月、京都帝国大学工学部土木工学科卒業。内務省国土局に採用される。 1942年(昭和17年)2月、近衛工兵連隊に現役兵として入隊。
森谷 延雄(もりや のぶお、1893年(明治26年)10月2… 森谷 延雄(もりや のぶお、1893年(明治26年)10月28日 - 1927年(昭和2年)4月5日)は、日本の家具デザイナー、インテリアデザイナー、東京高等工芸学校(現在の千葉大学工学部)教授。 旧制千葉県立佐倉中学校(現在の千葉県立佐倉高等学校)を経て、東京高等工業学校(現在の東京工業大学)工業図案科を卒業。清水組に入社し、1920~22年に海外派遣。ロンドン王立美術学校と中央美術工芸学校で家具デザインを学ぶ。「誠之堂」(東京都世田谷区から埼玉県深谷市に移築、1916年築、国の重要文化財)や「晩香廬」(東京都北区、1918年築、国の重要文化財)等の室内装飾を手掛けた。
伊東 忠太(いとう ちゅうた、慶応3年10月26日〈1867… 伊東 忠太(いとう ちゅうた、慶応3年10月26日〈1867年11月21日〉 - 1954年〈昭和29年〉4月7日) は、明治から昭和期の建築家、建築史家である。号は紅雲。位階・勲等・学位・称号は、正三位・勲二等瑞宝章・工学博士・東京帝国大学名誉教授・早稲田大学教授。出羽国米沢(現山形県米沢市)出身。米沢市名誉市民第1号。 少年時代を東京、佐倉で過ごす。帝国大学工科大学(現在の東京大学工学部)を卒業して同大学大学院に進み、のちに工学博士・東京帝国大学名誉教授となる。 西洋建築学を基礎にしながら、日本建築を本格的に見直した第一人者で、法隆寺が日本最古の寺院建築であることを学問的に示し、日本建築史を創始した。
小柴 保人(こしば やすと、安政6年1月2日(1859年2月… 小柴 保人(こしば やすと、安政6年1月2日(1859年2月4日) - 大正13年(1924年)5月9日)は日本の工学博士。第二高等中学校(現東北大学教養部)教授。旧制鹿山中学校(現在の千葉県立佐倉高等学校)を経て東京大学理学部(土木科)卒。土木学会会員。
津田仙(つだ せん、天保8年7月6日(1837年8月6日) … 津田仙(つだ せん、天保8年7月6日(1837年8月6日) - 明治41年(1908年)4月24日)は、日本の農学者、キリスト者。学農社創立者。青山学院大学・筑波大学附属盲学校の創立に関わる。また、日本で最初に通信販売を行った人物でもある。同志社大学の創始者新島襄、人間の自由と平等を説いた東京帝国大学教授の中村正直とともに、“キリスト教界の三傑”とうたわれた。明六社会員。娘に、後に津田塾大学創設者となる津田梅子、サンフランシスコで日本語新聞「日米新聞」を発行し日系人社会のリーダー的存在だった安孫子久太郎と結婚しアメリカに移住した安孫子余奈子がいる。
本沢 竹雲(もとさわ ちくうん、1836年3月26日(天保7… 本沢 竹雲(もとさわ ちくうん、1836年3月26日(天保7年2月10日)- 1907年(明治40年)10月13日)は「チョンマゲ学校」として知られる山形県東村山郡所在の格知学舎を開いた浄土真宗の僧侶で漢学者。幼名は八郎、通称は俊丸(としまる)、本名は盛遜。竹雲は雅号であるが、他に老山、虎山、虚堂、寄嘱子の号があった。
依田 学海(よだ がっかい、旧字体:學海、天保4年11月24… 依田 学海(よだ がっかい、旧字体:學海、天保4年11月24日(1834年1月3日) - 明治42年(1909年)12月27日)は、日本の漢学者、文芸評論家、小説家、劇作家。幼名は幸造、信造。通称は七郎、右衛門次郎。諱は朝宗(ともむね)。初め字を百川(ひゃくせん)といったが後にこれを本名とした。学海は雅号で、柳蔭とも号した。
大野 磯吉(おおの いそきち)は、日本の海洋生物学者。専門は… 大野 磯吉(おおの いそきち)は、日本の海洋生物学者。専門は海洋生物の分類と生態。 旧制千葉県立佐倉中学校(現在の千葉県立佐倉高等学校)を経て、東北帝国大学農科大学(後の北海道帝國大學、現在の北海道大学)水産科を卒業。夷隅水産高校(現 千葉県立大原高等学校)に水産科を設置することに尽力した。 藻類のオオノノリの学名Pyropia onoi は、大野磯吉に献名されたもの。鮭の異名の一つ「銀毛」は、1932年に大野磯が降海期を迎えた山女魚に「銀毛山女魚」と名付けたのが始まりとされる。
斉藤 博(さいとう ひろし)は、日本の法学者、弁護士。 専門… 斉藤 博(さいとう ひろし)は、日本の法学者、弁護士。 専門は知的財産法。法学博士(京都大学)。 資料によって「斉」が異字体で「齊藤 博」や「齋藤 博」等の表記がされるが、本稿では著作に表記されていることの多い「斉」とした(弁護士登録は「齊藤 博」となっている)。