スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
宮島 将郎(みやじま まさろう、1937年〈昭和12年〉7月… 宮島 将郎(みやじま まさろう、1937年〈昭和12年〉7月27日 - 2025年〈令和7年〉5月23日)は、日本のテレビプロデューサー・実業家、元ラジオパーソナリティー、社会運動家、音楽家。 東京都新宿区出身。東京教育大学附属高等学校(現:筑波大学附属高等学校)卒、1962年(昭和37年)慶應義塾大学商学部卒。在学中は慶應義塾ワグネル・ソサィエティー男声合唱団に所属し副指揮者を務める。2025年(令和7年)現在埼玉県入間市に在住していた。 1962年(昭和37年)日本テレビ放送網株式会社入社、芸能局音楽班配属。教育・音楽番組を制作。宮島が最も気に入っている番組は幼児教育番組『カリキュラマシーン』だという。
石 弘光(いし ひろみつ、1937年4月9日 - 2018年… 石 弘光(いし ひろみつ、1937年4月9日 - 2018年8月25日)は、日本の経済学者。専門は財政学。学位は、経済学博士(一橋大学・論文博士・1977年)(学位論文「財政構造の安定効果 : ビルトイン・スタビライザーの分析」)。一橋大学名誉教授(第14代学長)、放送大学名誉学長(第6代学長)、中国人民大学名誉教授。オックスフォード大学客員教授、政府税制調査会会長なども務めた。 東京府(現・東京都)出身。父は教育学者(学校経営学)の石三次郎(元全国家庭科教育協会長・東京教育大学(現筑波大学)教授)。環境ジャーナリストの石弘之(元東京大学教授)は弟。末弟の石和久は日本の医師、医学博士であり順天堂大学名誉教授。
篠沢 恭助(しのざわ きょうすけ、1937年(昭和12年)3… 篠沢 恭助(しのざわ きょうすけ、1937年(昭和12年)3月1日 - )は、日本の官僚。元大蔵事務次官。 東京教育大学附属中学校・高等学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)、東京大学法学部第二類(公法コース)卒業後、大蔵省入省(為替局総務課)。 当時の事務次官候補の異動としては珍しく、大臣官房の文書課長や秘書課長、地方支分部局の局長などを経ずに主計局総務課長から、いきなり同局の末席次長に抜擢された。同期の千野忠男は主計官補佐(主査)、主計局総務課企画官、主計官、文書課長、近畿財務局長を経験していたが、他の同期より年齢が上で、主計局長→事務次官の順番待ちの最中に定年の壁に引っかかるため、篠沢を主計コースとし、千野を財務官となる国際金融コースへと変更した。
小野 茂樹(おの しげき、1936年12月15日 - 197… 小野 茂樹(おの しげき、1936年12月15日 - 1970年5月7日)は、東京都渋谷区出身の歌人。 1955年に東京教育大学附属中学校・高等学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)を卒業後、早稲田大学文学部国文学科に進学、早稲田大学短歌会に入会。同じく会員であった石本隆一の紹介により前田夕暮系の短歌結社「地中海」に参加し、香川進に師事。1963年に大学を中退し、角川書店や河出書房新社に編集者として勤務する。 1968年に第一歌集『羊雲離散』を刊行し、翌年第13回現代歌人協会賞を受賞。瑞々しさにあふれたやわらかな相聞歌が高く評価された。また、少年期の学童疎開(9歳で長野県に集団疎開し、栄養失調状態で帰京)の経験が作品に濃厚な死の影を落としているとも評される。
金森 博雄(かなもり ひろお、1936年10月17日 - )… 金森 博雄(かなもり ひろお、1936年10月17日 - )は、日本の地震学者・地球科学者。カリフォルニア工科大学名誉教授、東京大学理学博士。父は第1次吉田内閣の憲法担当国務大臣、国立国会図書館初代館長の金森徳次郎、兄は経済評論家の金森久雄。 地震発生の物理や、地震を引き起こすテクトニクスを専門としている。 1960年代以前に環太平洋地域で発生した複数の巨大地震の地震波を解析し、それらがプレートの沈み込みに起因することを実証した。また地震の各種パラメータが地震の大きさに応じてどう変化するかをまとめると共に、地震の大きさを表す手法を改良し1977年にモーメント・マグニチュードを考案した。津波の規模の研究を行い、地震の規模と対比して津波の規模が特異的に大きな地震を1972年に津波地震と定義した。
小林 義明(こばやし よしあき、1936年9月8日 - )は… 小林 義明(こばやし よしあき、1936年9月8日 - )は、日本の元映画監督・プロデューサー。主に特撮テレビドラマ作品を手がける。東映に所属していた。株式会社自由メディア代表。 1952年 東京教育大学附属中学校(現・筑波大学附属中学校)卒業。1955年 東京教育大学附属高等学校(現・筑波大学附属高等学校)卒業。1960年 日本大学藝術学部を卒業後、東映東京撮影所に入社。 佐伯清に師事し、社員監督の立場で数々の作品に携わる。最初に助監督としてついた作品は片岡千恵蔵主演の『二発目は地獄行きだぜ』(1960年1月27日公開)、デビュー作品は1966年のテレビドラマ『刑事さん』。その後、労働組合の幹部になったことから2年ほど労働を禁じられていたが、労使交渉により復帰し、吉川進プロデューサーの招きにより、1978年の『スパイダーマン』より特撮作品の演出に進出。
十文字 一夫(じゅうもんじ かずお、1936年4月13日 -… 十文字 一夫(じゅうもんじ かずお、1936年4月13日 - 2024年4月14日)は、日本の教育者。元学校法人十文字学園理事長。祖母は同創設者の十文字こと。母は同二代目理事長を務めた十文字良子、父は金門製作所社長の十文字俊夫。東京都出身。 1955年、東京教育大学附属高等学校を卒業。 1959年、慶應義塾大学法学部卒業。 1984年、学校法人十文字学園理事に就任。1987年に同学園の理事長に就任し、学園の運営に尽力した。 2024年4月14日に東京都内の病院で死去。一夫の死後は妻の十文字佑子が理事長に就任した。
大橋 光夫(おおはし みつお、1936年(昭和11年)1月1… 大橋 光夫(おおはし みつお、1936年(昭和11年)1月18日 - )は、日本の実業家。昭和電工(現:レゾナック・ホールディングス)社長、会長を務めた。公益財団法人日本台湾交流協会会長。慶應義塾評議員。国民政治協会会長。 父は政治家で労相や運輸相を務めた大橋武夫、祖父は元首相の濱口雄幸、富士銀行元頭取の岩佐凱実は義父。 東京に生まれる。東京教育大学附属中学校・高等学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)を経て、1955年に慶應義塾大学経済学部経済学科に入学。 同大学を卒業後は三井銀行に就職したが、3年足らずで退職、1961年12月に昭和電工に入社する。 入社直後の1962年、昭和電工が八幡製鐵、カイザー・アルミニウムと合弁で設立する「スカイ・アルミニウム」計画のため、米国に派遣される。
稲本 洋之助(いなもと ようのすけ、1935年 - 2018… 稲本 洋之助(いなもと ようのすけ、1935年 - 2018年6月1日)は、日本の法学者。専門は民法。野田良之門下。東京大学名誉教授。弁護士。東京生まれ。 学部生時代のゼミの指導教官は稲本が所属していたセツルメント法相部の指導教授でもあった来栖三郎。来栖は社会科学研究所への進路を稲本に勧めはしなかったが、セツルメントにおいて漁業権と関連した難題が生じた際、渡辺洋三・潮見俊隆といった当時の社会科学研究所所属の高名な学者を紹介することで、社会科学研究所助手採用の道筋をつける役割を果たした。 法社会学者の立場から平成4年の借地借家法改正に伴う定期借地権制度の創設・理論のベースを構築し、定期借地権推進協議会の名誉会長を務めた。
保利 耕輔(ほり こうすけ、1934年9月23日 - )は、… 保利 耕輔(ほり こうすけ、1934年9月23日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属。
大久保 治男(おおくぼ はるお、1934年〈昭和9年〉5月9… 大久保 治男(おおくぼ はるお、1934年〈昭和9年〉5月9日 - )は、日本の法制史学者。井伊氏および彦根藩の研究者。駒澤大学名誉教授・武蔵野学院大学名誉学長。 1934年に東京都、小石川に生まれる。1947年に東京高等師範学校附属国民学校(現・筑波大学附属小学校)を卒業。その後1953年には東京教育大学附属中学校・高等学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)を卒業する。1954年、学習院大学政経学部中退。1958年、中央大学法学部を卒業。1960年、中央大学大学院法学研究科修了。1962年、東京大学教育学部研究生を経て東京大学法学部研究員となる。 その他、上智大学、中央大学、創価大学、帝京大学、川村学園女子大学、国士舘大学、山梨学院大学、山梨大学、武蔵野短期大学等で非常勤講師を兼任した。
佐藤 欣子(さとう きんこ、1934年4月26日 - 200… 佐藤 欣子(さとう きんこ、1934年4月26日 - 2008年12月24日)は、日本の弁護士、法学者、評論家、秀明大学元教授。東京生まれ。旧姓斎藤。夫は政治学者の佐藤誠三郎、息子は評論家の佐藤健志。 父駒之助は郵政省に勤め、杉並郵便局長、鶴見郵便局長などを務めた。1948年母ツネ子が死去。欣子は、 東京地方検察庁、横浜地方検察庁を経て東京高等検察庁勤務。ハーバード大学研究員、国連アジア犯罪防止研修所次長、内閣総理大臣官房参事官、1981年退官し弁護士となる。
久城 育夫(くしろ いくお、1934年<昭和9年> 3月30… 久城 育夫(くしろ いくお、1934年<昭和9年> 3月30日 - )は、日本の地球科学者。専門は岩石学。学位は、理学博士(東京大学・1962年)(学位論文「Petrology of Atumi dolerite(温海粗粒玄武岩の岩石学的研究)」)。日本人で唯一のウォラストン・メダルの受賞者。東京大学名誉教授。日本学士院会員。勲等は瑞宝重光章。 東京大学理学部助教授、カーネギー研究所地球物理研究所所員、東京大学理学部教授、東京大学理学部学部長、東京大学副学長、岡山大学教授、岡山大学地球内部研究センターセンター長、海洋科学技術センター固体地球統合フロンティア研究システムシステム長などを歴任した。 大阪府出身。
渡辺 泰造(わたなべ たいぞう、1934年3月16日 - )… 渡辺 泰造(わたなべ たいぞう、1934年3月16日 - )は、東京府出身の外交官。駐エジプト大使、駐インドネシア大使、外務省顧問、全日空顧問、青山学院大学教授などを務めた後、2005年日本国際博覧会政府代表。
田波 靖男(たなみ やすお、1933年12月12日 - 20… 田波 靖男(たなみ やすお、1933年12月12日 - 2000年3月21日)は、日本の脚本家・作家・プロデューサー。東京都出身。ペンネームに「梅野かおる」「大井みなみ」がある。名前の表記は「靖」の右下の「月」が「円」になっている旧字も使われている。
徳山 明(とくやま あきら、1933年〈昭和8年〉 - )は… 徳山 明(とくやま あきら、1933年〈昭和8年〉 - )は、元・富士常葉大学学長、静岡大学及び兵庫教育大学名誉教授。日本の地質学者。理学博士(東京大学)。東京都出身。
小林 信彦(こばやし のぶひこ、1932年12月12日 - … 小林 信彦(こばやし のぶひこ、1932年12月12日 - )は、日本の小説家、評論家、コラムニスト。中原 弓彦(なかはら ゆみひこ)の筆名も用いた。早稲田大学第一文学部英文学科卒業。血液型B型。 風間賢二は小林をさして「我が国における元祖おたく作家」と評した。 東京市日本橋区米沢町2-5(のちの東京市日本橋区両国18-5、現在の東京都中央区東日本橋2-18-5)に生まれる。江戸時代から9代続いた老舗和菓子屋「立花屋」の長男であった。 代々婿養子が跡を継ぐ家風であったが、やり手であった祖父は自分の息子に跡を継がせようと考えていた。だが、その「長男」(小林の父)は自動車の運転・修理が趣味であるようなモダンな趣味人であり、商人としては無能で後に小林の一家が没落する原因となった。
髙坂 和彦(こうさか かずひこ、1932年12月9日 - 2… 髙坂 和彦(こうさか かずひこ、1932年12月9日 - 2006年12月19日)はフランス文学者、翻訳家。東京都出身。
佐藤 方哉(さとう まさや、1932年10月27日 - 20… 佐藤 方哉(さとう まさや、1932年10月27日 - 2010年8月23日)は、日本の心理学者。専門は行動分析学。文学博士。慶應義塾大学名誉教授。行動分析学の第一人者と評される。 佐藤春夫と谷崎潤一郎の元妻・千代の長男として、東京府東京市小石川区関口台町(現・東京都文京区)に生まれる。谷崎が名づけ親となった。 1945年、東京高師附属国民学校卒業。1952年、東京教育大学附属中・高を卒業後、慶應義塾大学医学部予科に入学。その後、慶應義塾大学文学部哲学科心理学専攻に転部し、1957年に卒業。同年、慶應義塾大学大学院社会学研究科心理学専攻に進学。1962年、同博士課程単位取得満期退学、慶應義塾大学文学部助手となる。
吉田庄一郎(よしだ しょういちろう、1932年8月25日 -… 吉田庄一郎(よしだ しょういちろう、1932年8月25日 - )は日本の光学設計者、実業家。元ニコン社長・会長。
藤井 裕久(ふじい ひろひさ、1932年(昭和7年)6月24… 藤井 裕久(ふじい ひろひさ、1932年(昭和7年)6月24日 - )は、日本の引退した政治家、元大蔵官僚。民主党顧問。
中江 陽三(なかえ ようぞう、1932年6月15日 - )は… 中江 陽三(なかえ ようぞう、1932年6月15日 - )は、元NHKアナウンサー。現在はフリー。
嘉納 行光(かのう ゆきみつ、1932年4月5日 - 202… 嘉納 行光(かのう ゆきみつ、1932年4月5日 - 2020年3月8日)は、講道館柔道創始者・嘉納治五郎の嫡孫で、講道館館長と全日本柔道連盟会長を務めた。 1932年、嘉納履正(講道館第3代館長)、百合子の長男として東京に生まれる。全く柔道経験のなかった父と異なり幼少時に柔道を始め、初段に至った。しかしその後、第二次世界大戦が終わり占領期で、GHQにより、柔道が禁止されたため修業は断念した。 1945年に東京高等師範学校附属小学校(現・筑波大学附属小学校)、1951年に東京教育大学附属中学校・高等学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)を卒業。同級生には、小林信彦(小説家)、鈴木淑夫(元日本銀行理事)、徳山明(元富士常葉大学学長)、中江陽三(元NHKアナウンサー)、藤井裕久(元財務大臣)、吉田庄一郎(元ニコン会長)などがいた。
麻生 誠(あそう まこと、1932年3月30日 - 2017… 麻生 誠(あそう まこと、1932年3月30日 - 2017年4月24日)は、日本の教育社会学者。大阪大学名誉教授、放送大学名誉教授。 東京生まれ。東京教育大学附属高等学校卒業、東京大学教養学部文科二類に入学し、東京大学教育学部卒業。卒業後、東京大学人文科学研究科大学院教育研究科教育社会学専攻(修士課程)修了。同大学院博士課程満期退学。日本育英会専門員を経て、東京学芸大学学芸学部(教育学部)専任講師、助教授。1974年、大阪大学人間科学部助教授、1980年教授。1995年、定年退官、名誉教授。以後は、放送大学教授、副学長、名誉教授、東京女学館理事長、東京女学館大学学長を歴任した。2017年4月24日、死去。
中村 靖(なかむら やすし、1932年2月27日 - )は、… 中村 靖(なかむら やすし、1932年2月27日 - )は、日本の政治家、元自由民主党衆議院議員。
宮脇 磊介(みやわき らいすけ、昭和7年(1932年)1月2… 宮脇 磊介(みやわき らいすけ、昭和7年(1932年)1月2日 - 平成26年(2014年)2月9日)は、日本の警察官僚。元皇宮警察本部長。元内閣広報官。
川西 進(かわにし すすむ、1931年10月24日 - )は… 川西 進(かわにし すすむ、1931年10月24日 - )は、日本の英文学者、東京大学名誉教授。
鈴木 淑夫(すずき よしお、1931年10月12日 - )は… 鈴木 淑夫(すずき よしお、1931年10月12日 - )は日本のエコノミスト、政治家。衆議院議員 (2期)を務めた。経済学博士(東京大学)。鈴木政経フォーラム代表。公益財団法人日本国際フォーラム政策委員。
村岡 博人(むらおか ひろと、1931年9月19日 - )は… 村岡 博人(むらおか ひろと、1931年9月19日 - )は東京府小石川区(現:東京都文京区)出身のジャーナリスト。また、サッカー選手としてもプレーし、日本代表として国際Aマッチ2試合に出場した。現役時代のポジションはGK。
平川 祐弘(ひらかわ すけひろ、1931年7月11日 - )… 平川 祐弘(ひらかわ すけひろ、1931年7月11日 - )は、日本の比較文学研究者、評論家。東京大学名誉教授、国家基本問題研究所理事。
坂口 昂吉(さかぐち こうきち、1931年7月8日 - 20… 坂口 昂吉(さかぐち こうきち、1931年7月8日 - 2021年4月6日)は、日本の西洋史学者。学位は博士(史学)(慶應義塾大学・2000年)。慶應義塾大学名誉教授。
石井 進(いしい すすむ、1931年7月2日 - 2001年… 石井 進(いしい すすむ、1931年7月2日 - 2001年10月24日)は、日本の歴史学者。東京大学名誉教授。専門は日本中世史。 1931年、東京都で生まれた。東京高等師範学校附属小学校(現・筑波大学附属小学校)に入学し、同校では後に東京大学教授となる芳賀徹、平川祐弘、高階秀爾、平田賢と同じクラス(第1部)であった。1944年に卒業し、東京高等師範学校附属中学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)に進学。1950年に卒業し、東京大学文学部に進学。文学部国史学科で学び、在学中は佐藤進一に師事。1955年に卒業し、同大学大学院人文科学研究科国史学専門課程に進んだ。1957年に修士課程を修了し、1960年に博士課程を単位取得退学。
外山 雄三(とやま ゆうぞう、1931年5月10日 - )は… 外山 雄三(とやま ゆうぞう、1931年5月10日 - )は、日本の指揮者・作曲家。東京市牛込区(現在の東京都新宿区)出身。東京藝術大学音楽学部作曲科卒。父は作曲家の外山國彦。弟は声楽家・合唱指揮者の外山浩爾。
竹田 晃(たけだ あきら、1930年11月26日 - )は、… 竹田 晃(たけだ あきら、1930年11月26日 - )は、日本の中国文学研究者。東京大学教養学部名誉教授。明海大学名誉教授。六朝の志怪小説、唐代伝奇小説が専門。元東京大学運動会硬式野球部監督。
俵 孝太郎(たわら こうたろう、1930年11月12日 - … 俵 孝太郎(たわら こうたろう、1930年11月12日 - )は、政治評論家。血液型はA型。
鹿島 昭一(かじま しょういち、1930年(昭和5年)8月1… 鹿島 昭一(かじま しょういち、1930年(昭和5年)8月12日 - )は日本の実業家、鹿島建設取締役相談役。工学博士(東京大学)。東京都出身。
三浦 公亮(みうら こうりょう、1930年2月23日 - )… 三浦 公亮(みうら こうりょう、1930年2月23日 - )は、日本の航空宇宙工学者。専門は宇宙構造物の設計。東京大学名誉教授。東京大学宇宙航空研究所助教授、文部省宇宙科学研究所教授を歴任。
岡野 行秀(おかの ゆきひで、1929年9月19日 - 20… 岡野 行秀(おかの ゆきひで、1929年9月19日 - 2014年5月9日)は、日本の経済学者。位階は従四位。 専門は交通経済学。東京大学名誉教授、創価大学名誉教授。郵政研究所所長、道路経済研究所理事長等を歴任。道路経済研究所最高顧問兼参与。従四位。東京都出身。
本間 長世(ほんま ながよ、1929年7月5日 - 2012… 本間 長世(ほんま ながよ、1929年7月5日 - 2012年9月15日)は、日本の政治学者・思想史家で、東京大学教養学部名誉教授。専門は、政治文化論、アメリカ思想史。文化功労者。
大島 通義(おおしま みちよし、1929年〈昭和4年〉6月2… 大島 通義(おおしま みちよし、1929年〈昭和4年〉6月27日 - )は、日本の経済学者。東京都出身。慶應義塾大学名誉教授。財政学専攻。 研究テーマはドイツ財政社会学。
越智 通雄(おち みちお、1929年〈昭和4年〉4月23日 … 越智 通雄(おち みちお、1929年〈昭和4年〉4月23日 - 2021年〈令和3年〉1月30日)は、日本の大蔵官僚、政治家。位階は正三位。 衆議院議員(8期)、経済企画庁長官(第41・44代)、金融再生委員会委員長(第2代)を歴任。日韓親善協会中央会会長。 東京生まれ。東京高師附属中(現・筑波大附属中・高)卒業。同期生に大川慶次郎、大島通義、岡野行秀、三浦公亮など。旧制一高を経て、東京大学法学部法律学科を卒業後、大蔵省に入省。ニューヨーク副領事、福田赳夫大蔵大臣秘書官、主計局調査課長などを経て退官。 1972年の第33回衆議院議員総選挙で賀屋興宣の後継として旧東京3区より出馬し当選(当選同期に小泉純一郎・加藤紘一・山崎拓・石原慎太郎・三塚博・村岡兼造・保岡興治・瓦力・野田毅・深谷隆司など)。
村松 剛(むらまつ たけし、1929年3月23日 - 199… 村松 剛(むらまつ たけし、1929年3月23日 - 1994年5月17日)は日本の評論家、フランス文学者。筑波大学名誉教授。立教大学、京都産業大学、筑波大学、杏林大学の各教授を歴任。
大川 慶次郎(おおかわ けいじろう、1929年2月6日 - … 大川 慶次郎(おおかわ けいじろう、1929年2月6日 - 1999年12月21日)は日本の競馬評論家。 慶應義塾大学文学部心理学科を卒業した。 予想家として、通算4度パーフェクト予想を達成し、競馬の神様の愛称で親しまれた。競馬評論家の大川智絵は長女。 青森県八戸市の大平牧場で競走馬を生産するオーナーブリーダーであった大川義雄(高千穂製紙社長、通称「タイヘイ氏」)の二男として、東京府北豊島郡王子町(現在の東京都北区王子)に誕生した。実業家渋沢栄一の曽孫にあたる。また「日本の製紙王」大川平三郎は祖父である。母方の祖父は東京山中銀行取締役のほか日本建物、東京調帯社長などを務めた大村五左衛門。 幼少のころより大平牧場や東京の外厩で競走馬を間近に見て育った。
正井 泰夫(まさい やすお、1929年(昭和4年) - 20… 正井 泰夫(まさい やすお、1929年(昭和4年) - 2012年(平成24年)11月20日)は、日本の地理学者、立正大学名誉教授。
林 昌二(はやし しょうじ、1928年9月23日 - 201… 林 昌二(はやし しょうじ、1928年9月23日 - 2011年11月30日)は、日本の建築家。日建設計で、チーフアーキテクトとして活躍。1971年にはポーラ五反田ビルで日本建築学会賞作品賞を受賞した。夫人は建築家の林雅子。
蝋山 道雄(ろうやま みちお、1928年8月11日 - 20… 蝋山 道雄(ろうやま みちお、1928年8月11日 - 2009年10月18日)は、日本の国際政治学者、上智大学名誉教授。
岡田 新一(おかだ しんいち、1928年1月9日 - 201… 岡田 新一(おかだ しんいち、1928年1月9日 - 2014年10月27日)は、日本の建築家、都市計画家。日本芸術院会員。茨城県水戸市生まれ。 1945年、東京高等師範学校附属中学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)卒業。同期に建築学者の鈴木成文がいる。旧制静岡高等学校を経て、1955年に東京大学工学部建築学科を卒業。1957年に東京大学大学院修士課程を修了し、鹿島建設に入社した。 その後留学。1963年にイェール大学建築芸術学部大学院を修了し、帰国後の1969年、独立して岡田新一設計事務所を設立した。 2014年、呼吸不全のため死去。享年87(満86歳没)。
山本 正三(やまもと しょうぞう、1928年〈昭和3年〉1月… 山本 正三(やまもと しょうぞう、1928年〈昭和3年〉1月3日 - 2025年〈令和7年〉1月6日)は、日本の地理学者。位階勲等は従四位瑞宝中綬章。 筑波大学名誉教授。筑波大学自然学類長、筑波大学附属高等学校長、第27代日本地理学会会長等を歴任した。学位は理学博士(東京教育大学・1961年)。 静岡市生まれ。1945年(昭和20年)静岡県立静岡中学校卒業。1948年(昭和23年)東京高等師範学校文科4部3年修了。1951年(昭和26年)東京文理科大学地学科地理学専攻卒業。1951年(昭和26年)4月、静岡県立静岡城内高校教諭。1952年(昭和27年)3月、同校教諭退職。1955年(昭和30年)東京文理科大学(研究奨学生)前期修了。
坂本 義和 (さかもと よしかず、1927年9月16日 - … 坂本 義和 (さかもと よしかず、1927年9月16日 - 2014年10月2日)は、日本の政治学者。専門は、国際政治学・平和学。東京大学名誉教授。国際基督教大学平和研究所顧問。戦後の進歩的文化人を代表する人物の一人であり、学問的活動とともに、論壇で発言し続けた。父は東亜同文書院教授の坂本義孝。 米国ロサンゼルスで義孝・太代子の第二子として生まれた。生後間もなく上海に移り、小学3年まで同地ですごした後、日本(鎌倉・東京)に定住することになった。 1945年3月に東京高等師範学校附属中学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)を卒業。旧制第一高等学校を経て、1948年 東京大学に入学し、演習は丸山真男ゼミであった。
鈴木 成文(すずき しげぶみ、1927年7月30日 - 20… 鈴木 成文(すずき しげぶみ、1927年7月30日 - 2010年3月7日)は、日本の建築学者である。東京大学名誉教授、元神戸芸術工科大学長、専門は建築計画学。