スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
岸 朝子(きし あさこ、1923年11月22日 - 2015… 岸 朝子(きし あさこ、1923年11月22日 - 2015年9月22日)は、日本の料理記者、食生活ジャーナリスト。旧姓は宮城(みやぎ)。 沖縄出身の両親のもと、東京で生まれる。父親はアメリカで苦学して養殖業を学び、カナダと日本で牡蠣養殖を成功させた人物。女子栄養学園卒の友人がつくったロールサンドの味に魅了され料理に興味を持つ。永田町小学校(現:麹町小学校)から東京高等師範学校附属小学校(現:筑波大学附属小学校)に転入し卒業。東京府立第三高等女学校(現:東京都立駒場高等学校)を経て、1942年、女子栄養学園(現:日本栄養大学)卒業。東大農学部勤務後、21歳で軍人と見合い結婚し、1947年から夫婦で千葉県でカキの養殖業を手がける。
渡部 武(わたなべ たけし、1923年 -2022年 )は、… 渡部 武(わたなべ たけし、1923年 -2022年 )は、日本の倫理学者。 東京生まれ。1947年東京帝国大学文学部倫理学科卒、同大学院修士課程修了。東京都立駒場高等学校教諭、東京都立戸山高等学校教諭、跡見学園女子大学助教授、教授。
宮城 黎子(みやぎ れいこ、1922年5月27日 - 200… 宮城 黎子(みやぎ れいこ、1922年5月27日 - 2008年6月1日)は、東京都大田区田園調布出身の女子テニス選手。東京府立第三高等女学校卒。 1950年代から60年代にかけて一世を風靡し、全日本選手権では1952年にシングルス初優勝。男女通じ最多となるシングルス10回(8連覇を含む)、ダブルス11回、混合ダブルス11回優勝。史上最多となる合計32個のタイトルを獲得している。 1964年、第2回フェデレーションカップ(現・フェドカップ)の日本代表選手に選ばれた。この年に全豪選手権と全米選手権にも出場し、42歳にして4大大会に挑戦した。全豪選手権は初戦敗退に終わったが、全米選手権では1回戦を突破し、2回戦でビリー・ジーン・モフィット(アメリカ、当時21歳)に挑戦したことがある。
森 麗子(もり れいこ、1921年3月6日 - )は、日本の… 森 麗子(もり れいこ、1921年3月6日 - )は、日本の教育者、生物学者、手芸家、詩人。 旧姓は萩原(はぎわら)。書籍などで森 れい子(もり れいこ)との名義を用いることもある。 静岡県森町高等女学校、静岡高等学校、文化服装学院での勤務を経て、ガブロム工房主宰などを歴任した。 静岡県出身の手芸家である。旧制高等女学校や旧制高等学校の教員を経て、結婚を機に手芸家として活動する。エドナ・マーチンに師事したのち、さまざまな技法を駆使して糸で絵を描く「ファブリックピクチャー」を確立し、日本における第一人者として知られている。ガブロム工房の主宰としても活動し、個展だけでなく工房展なども開催した。旧制の静岡県森町高等女学校や静岡高等学校で教鞭を執り、戦後は文化服装学院において後進を育てた。
築地 正子(ついじ まさこ、1920年(大正9年)1月1日 … 築地 正子(ついじ まさこ、1920年(大正9年)1月1日 − 2006年(平成18年)1月27日、享年86歳)は、日本の歌人。本名は築地 正(ついじ まさ)。 1920年(大正9年)1月1日、東京に生まれた。実践女子専門学校(現・実践女子大学)国文科在学中から作歌を始め、短歌結社「鶯」をへて竹柏会「心の花」の同人となった。戦後、二十六歳の時に熊本県長洲町に両親と共に移り住み、五十年以上をそこで土を耕しながら過ごした。一時期絵画を志したが、熊本移住後に断念している。熊本ではその地になじめず、最後まで東京への望郷の思いを持ち続けた。彼女は人間嫌いとも言われるほど世俗を退け、家に電話も置いていなかったところから、「孤高の歌人」と呼ばれたが、長洲町の豊な自然(鳥や虫、植物など)との交感や老いを題材に、彼女独特の美学や哲学に基づいた清新な歌風の作品を残している。
阿部光子(あべ みつこ、1912年12月25日 - 2008… 阿部光子(あべ みつこ、1912年12月25日 - 2008年2月26日)は、作家、キリスト教伝道者。本名、山室光(みつ)。
長谷川 テル(はせがわ てる、1912年〈明治45年〉3月7… 長谷川 テル(はせがわ てる、1912年〈明治45年〉3月7日 - 1947年〈昭和22年〉1月10日ないし1月14日(文献により異なる)は、日本のエスペランティスト、反戦・反帝国主義運動家。 本名は長谷川 照子(はせがわ てるこ)。筆名は緑川 英子(みどりかわ えいこ)。エスペラント名は Verda Majo (ヴェルダ・マーヨ:緑の五月)。父は土木技師。女優の吉永小百合の母和枝とその妹の評論家川田泰代は遠縁にあたる。 山梨県大月市に生まれる。1929年、東京府立第三高女(現在の東京都立駒場高等学校)を卒業後、奈良女子高等師範学校(現在の奈良女子大学)に進学。学内で文化サークルを同級生と伴に作り、エスペラントを学ぶ。
田井 洋子(たい ようこ、1911年8月9日 - 2008年… 田井 洋子(たい ようこ、1911年8月9日 - 2008年3月13日)は、昭和・平成期の脚本家。 東京生まれ。兄は田井真孫。本名・丸茂ふぢ子。東京府立第三高等女学校卒。その後薬剤師を目指して薬学専門学校に進学するも、学内が大学への昇格運動 で揺れて休校状態だったため、進路を変更してタイピストになり、10年間官庁に勤務。 1929年、詩人の河井酔茗に入門し師事。しかし田井本人は詩が書けなかったことから、河井に勧められた岡本綺堂に師事して劇作を始め、綺堂主宰の「舞台」などに作品を発表。河井の元にはその後河井が亡くなる1965年まで通い続け、他に額田六福、岡田八千代にも世話になった。 1948年NHK懸賞放送劇に「魚紋」が1位入選。
由利 聖子(ゆり せいこ、1911年7月8日 - 1943年… 由利 聖子(ゆり せいこ、1911年7月8日 - 1943年2月)は、日本の児童文学作家。本名、鈴木 富美子。 1929年(昭和4年)、東京府立第三高等女学校卒業。第三高女在学中から少女向け雑誌「少女の友」に投稿する。1932年(昭和7年)頃から同誌に短編を発表。また、ミス・マミコのペンネームで「少女画報」誌に作品を発表。 「少女の友」の姉妹誌「新女苑」では丘 文子のペンネームを使用した。 『モダン小公女』……「少女画報」1934年1月~12月連載 新泉社 1935年 戦後版は偕成社1948年 『チビ君物語』……「少女の友」 1934年12月~ 1936年12月連載。単発あり。 実業之日本社 正編1939年 続編1941年 戦後版は東和社1948年 続編は『小さいお母さん』と改称。
小山 千鶴子(こやま ちづこ、1911年5月 - 2010年… 小山 千鶴子(こやま ちづこ、1911年5月 - 2010年3月29日)は日本の著作家、編集者。元名古屋市教育委員会委員長。 元衆議院議長で、中日新聞の前身の1紙に当たる名古屋新聞を経営した小山松寿の長女。夫は元中日新聞社社主の小山龍三。 1911年(明治44年)、名古屋市で出生。父の松寿は長野県佐久郡小諸町(現在の小諸市)出身で、実業家の山田才吉から譲り受けた中京新報を『名古屋新聞』に改題して発行元の名古屋新聞社を経営する傍ら、名古屋市会議員として政界に進出していた。1915年(大正4年)、父が第12回衆議院議員総選挙で初当選する。 東京府立第三高等女学校(都立駒場高校の前身の1校)を卒業後、父と同郷で名古屋新聞に入社した平井出龍三と結婚し、龍三は松寿の養嗣子となった。
小森 和子(こもり かずこ、1909年〈明治42年〉11月1… 小森 和子(こもり かずこ、1909年〈明治42年〉11月11日 - 2005年〈平成17年〉1月8日)は、日本の映画評論家、タレント。旧姓は安彦(あびこ)。愛称は「(小森の)おばちゃま」。 東京府東京市赤坂区(今の東京都港区赤坂)に生まれ育つ。実家は裕福であった。小学校は赤坂区内に通い、当時麻布区にあった東京府立第三高等女学校(現・東京都立駒場高等学校)を卒業した、今風に言えば港区育ちである。高等女学校卒業後、『婦人公論』誌編集部で見習い記者を務める。 関係を持った菊池寛の運営する『映画時代』誌編集部へ移り、さらに京都で作家の川口松太郎の愛人生活を送るようになる。その後、神戸にあったイギリスの船舶会社『P&O』の日本支店で会社員生活を送る。
近藤宮子(こんどう みやこ、1907年3月21日 - 199… 近藤宮子(こんどう みやこ、1907年3月21日 - 1999年4月8日)は広島県広島市国泰寺町(現在の中区国泰寺町)出身の唱歌作詞家。唱歌『チューリップ』、『こいのぼり』作詞者。
四家 文子(よつや ふみこ、1906年(明治39年)1月20… 四家 文子(よつや ふみこ、1906年(明治39年)1月20日 - 1981年(昭和56年)7月16日)は、昭和期の歌手、声楽家。息子は元日本テレビプロデューサーの横田岳夫。 東京府出身。東京府立第三高等女学校の1学年上には女優の高島愛子がいた。東京音楽学校でネトケ=レーヴェに師事。首席で卒業後、「不壊の白珠」で歌手デビューする。とはいえ、四家が契約したビクターは当時、「波浮の港」「東京行進曲」「愛して頂戴」「紅屋の娘」などのヒット曲を連発していた佐藤千夜子がトップ歌手だったので、四家のデビューは小さいものだった。それに四家自身は「音楽学校卒業者があまり低俗にはしるのもよくない」として藤野豊子という変名で吹き込みも行っていた。
井口 秋子(いぐち あきこ、1905年11月1日 - 198… 井口 秋子(いぐち あきこ、1905年11月1日 - 1984年10月2日)は、日本のピアニスト、ピアノ教育家。東京芸術大学名誉教授。夫は同じくピアニスト・ピアノ教育家の井口基成。結婚前の姓は澤嵜(さわざき)。 訳書に「現代ピアノ演奏法」(ライマー・ギーゼキング著)がある。 息子の井口家成は物理学者で東京工業大学教授。
宮川 庚子(みやかわ かのえこ、1900年1月19日 - 1… 宮川 庚子(みやかわ かのえこ、1900年1月19日 - 1993年11月21日)は、日本の女性医師。 女性として日本で最初に医学博士の学位を授与された(昭和6年1月、東京帝国大学)。 父が農林学校長として盛岡市に在住していたときに生まれる。このとき住んでいた家の隣には原敬の生家があった。 3歳の時に父が甲府の農学校長及び農事試験場長となったため一緒に移り住み7歳までそこで過ごす。その後、父が関西の肥料王である多木久米次郎に招聘され多木製肥所の技師長となったのに伴い、兵庫県別府に移住した。その後、父が多木製肥所を辞職し、深川で肥料問屋の経営者となったため上京し、初等教育を東京府青山師範学校附属小学校で終えた。
及川 貞(おいかわ てい、1899年(明治32年)5月30日… 及川 貞(おいかわ てい、1899年(明治32年)5月30日 - 1993年(昭和61年)11月13日)は日本の女流俳人。旧姓は野並(のなみ)。 東京市麹町区(現千代田区)生まれで、幼い頃は麻布にて育つ。 1916年(大正5年)に東京府立第三高等女学校(現在の都立駒場高等学校)を卒業後、海軍将校、及川鉄五郎の元へ嫁ぐ。そして夫に随って、佐世保、呉、舞鶴などの軍港都市に転居を繰り返した。1932年(昭和7年)に息子の中学入学のために四谷に仮寓する。その翌年、神田で開かれた俳句会にて水原秋桜子の指導を受け、俳人として進むきっかけとなった。 後に『馬酔木』婦人句会を起こしたことで知られ、多くの優れた女流俳人を輩出した。
大橋 照子(おおはし てるこ、3月5日 - 、本名:山本 照… 大橋 照子(おおはし てるこ、3月5日 - 、本名:山本 照子)は、フリーアナウンサーである。現在はNPO「日本スピーチ・話し方協会」代表を務めている。 山口県周南市生まれ。東京都立駒場高等学校を経て慶應義塾大学文学部ドイツ文学科在学中にFM東京で番組『ファッション・クラシック』を担当し、卒業後に日本短波放送(ラジオたんぱ、現在の日経ラジオ社、愛称はラジオNIKKEI)へ入社する。 アナウンサーとして公開番組『ヤロウどもメロウどもOh!』などを担当すると、深夜放送とBCLの流行にともないラジオパーソナリティとして「チェリーちゃん」の愛称で人気を博する。シングルレコード「たんぽぽ色の飛行船、素敵な昨日」とLPレコード「さくらんぼ」を発売すると、週刊誌やテレビのドキュメント番組が取材する他、自他共に親衛隊を称する熱心なファンらが大橋本人が公認の下で、通勤時や私事の買い物に荷物を持つなどして同行する姿が散見されている。
高畑 百合子 は、TBSアナウンサー。