スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
賀来 賢人(かく けんと、1989年〈平成元年〉7月3日 -… 賀来 賢人(かく けんと、1989年〈平成元年〉7月3日 - )は、日本の俳優。 東京都出身。アミューズ所属を経て、フリーランス(2022年9月から)。妻は女優の榮倉奈々。叔母は女優の賀来千香子。 暁星小学校、暁星中学校、暁星高等学校を経て、青山学院大学経営学部中退。 高校生時代はバスケットボール部に所属して打ち込んでいた。部活動を引退した頃、とある芸能事務所からスカウトを受けたことを家族に話したところ、偶然賀来家の家族写真を見た現在の事務所(?)のスタッフから「この子(賢人)に連絡が欲しいと伝えてください」と名刺を渡され、預かっていると知らされる。もともとドラマを視聴することが好きだったこともあり、興味を抱いた賀来が自ら連絡をとり事務所に所属。
椿 彩奈(つばき あやな、1984年7月15日 - )は、日… 椿 彩奈(つばき あやな、1984年7月15日 - )は、日本のファッションモデル、タレント、俳優、競技麻雀のプロ雀士。青山学院大学文学部フランス文学科卒業。本名、中村 有里(なかむら ゆり、改名したもの)。旧芸名、椿姫 彩菜(現在の芸名と読み同じ)。元Twin Planet→ホリプロ所属、フリーを経て現在はGrick所属。プロ雀士としては日本プロ麻雀協会所属。 埼玉県川口市出身。2人兄妹の長男で、2歳下の妹が居る。暁星高校を経て、青山学院大学を卒業。 2006年、性別適合手術を受け、戸籍を女性に変更。 2008年4月、菓子ブランド「ガトー・デ・フェ」を菓子メーカーのちぼりとの共同開発、菅野結以・武藤静香との共同プロデュースで立ち上げる。
芦田 昌太郎(あしだ しょうたろう、1976年10月9日 -… 芦田 昌太郎(あしだ しょうたろう、1976年10月9日 - )は、東京都出身の日本の俳優。本名同じ(旧姓・松山)。祖父は俳優・芦田伸介、父は俳優・松山英太郎、姉は女優・由夏。 暁星小学校、暁星中学校・高等学校を経て獨協大学外国語学部フランス語学科卒業。身長170cm、体重60kg。
四代目 尾上松綠(よだいめ おのえ しょうろく、新字体:松緑… 四代目 尾上松綠(よだいめ おのえ しょうろく、新字体:松緑、1975年〈昭和50年〉2月5日 - )は、俳優、歌舞伎役者。屋号は音羽屋。定紋は四ツ輪に抱き柏、日本舞踊家としての紋は藤輪に花菱。歌舞伎名跡「尾上松緑」の当代。 荒事や世話物や書き物などの男性的な役柄を得意とし、舞踊や立廻りなどにも定評がある。 また六世藤間勘右衞門として日本舞踊の藤間流勘右衛門派の家元もつとめる。 本名は、藤間あらし。 12歳で父・初代尾上辰之助(1987年死去)、14歳のときには祖父・二代目尾上松緑(1989年死去)と、頼るべき肉親を相次いで亡くす苦難を味わった。以後は父の旧友であり、音羽屋一門宗家にあたる七代目尾上菊五郎に直に師事することになる。
平 岳大(ひら たけひろ、1974年〈昭和49年〉7月27日… 平 岳大(ひら たけひろ、1974年〈昭和49年〉7月27日 - )は、日本の俳優。東京都世田谷区出身、ハワイ在住。ORPHE所属。 父親は俳優の平幹二朗、母親は俳優の佐久間良子。二卵性双生児の兄である。妹の朋子は、名前と顔写真を公開し、2人の子供の母親で、岳大が個人事務所を設立後に岳大のマネージャーを担当していることを、2019年11月6日に『徹子の部屋』で語る。両親は1984年5月に離婚し、母親の元で育つ。両親の離婚前も父親はほとんど家におらず、寂しいと感じることはあまりなかった。 暁星小学校、暁星中学校を経て、暁星高等学校在学中の15歳のときに渡米する。アメリカ合衆国ロードアイランド州プロビデンスのモーゼス・ブラウン・スクールを卒業後、ブラウン大学理学部応用数学科へ進学する。
目黒 大樹(めぐろ だいじゅ、1973年4月20日 - )は… 目黒 大樹(めぐろ だいじゅ、1973年4月20日 - )は、日本の元俳優。男性。東京都出身。血液型O型。暁星高等学校卒業。
十代目 松本 幸四郎(じゅうだいめ まつもと こうしろう、1… 十代目 松本 幸四郎(じゅうだいめ まつもと こうしろう、1973年〈昭和48年〉1月8日 - )は、歌舞伎役者、日本の俳優。屋号は高麗屋。定紋は浮線蝶、替紋は四ツ花菱。歌舞伎名跡「松本幸四郎」の当代。日本舞踊松本流の三世家元を兼ねる。東京都港区出身。身長175cm、体重80kg、血液型AB型。本名は藤間 照薫(ふじま てるまさ)。松竹エンタテインメント業務提携。 豊かな演技力で古典から復活狂言、上方歌舞伎から新作歌舞伎まで挑戦し、二枚目から実悪、色悪、女方までつとめる。また、父と同じ、万能型であり『アマデウス』や劇団☆新感線の舞台など、歌舞伎以外の演劇でも幅広い活躍を見せ、テレビ俳優としても知られる。
七代目 市川染五郎(しちだいめ いちかわ そめごろう、197… 七代目 市川染五郎(しちだいめ いちかわ そめごろう、1973年(昭和48年)1月8日 - )は、俳優、歌舞伎役者。屋号は高麗屋。定紋は三つ銀杏、替紋は四つ花菱。歌舞伎名跡「市川染五郎」の当代。
伊吹 謙太朗(いぶき けんたろう、1960年11月22日生ま… 伊吹 謙太朗(いぶき けんたろう、1960年11月22日生まれ)は、東京都台東区生まれ、台東区育ちの俳優。本名は、羽島 裕謹(はじま ひろのり)。旧芸名は三神 健(みかみ けん)。 暁星高等学校卒業。劇団新国劇の伊吹聰太朗の長男として生まれ、1981年に父親の跡を継ぎ俳優となる(当初の芸名は三神健)。 その後、1985年に歌手として作曲家三島大輔、レコーディング・ディレクター馬渕玄三に師事する。現在は俳優・殺陣師として活動。さらに、後進の指導にも力を入れている。 (2019年9月、2021年8月)
三波 豊和(みなみ とよかず、1955年〈昭和30年〉8月1… 三波 豊和(みなみ とよかず、1955年〈昭和30年〉8月10日 - )は、日本の俳優・タレント。本名:北詰 豊和(きたづめ とよかず)。 東京都中野区出身。青年座映画放送所属。以前はホリプロや太田プロダクションに所属していた。 演歌歌手・浪曲師の三波春夫(本名:北詰文司)の長男。 小学校から高校までの12年間を暁星学園で過ごし、慶應義塾大学文学部史学科国史専攻卒業。日本舞踊名取(藤間勘豊)。 1965年、歌舞伎座「三波春夫特別公演」で初舞台に立った。これ以降も親子で「三波春夫特別公演」に出演を果たしている。 1976年に、『青春よ翔べ』で歌手としてデビュー。20代前半は歌手としても活動していたが、その後は俳優・タレントとしての活動がメインとなる。
永井 秀和(ながい ひでかず、1951年〈昭和26年〉12月… 永井 秀和(ながい ひでかず、1951年〈昭和26年〉12月3日 - )は、日本の俳優、歌手。本名、永井 仁(ながい ひとし)。東京都出身。所属事務所はえりオフィス。 父は時代劇の名悪役で知られた俳優の永井秀明。1967年「夕陽のチャペル」でビクターレコードより歌手デビュー。同年に発売された「恋人と呼んでみたい」が大ヒットとなり、第9回日本レコード大賞の新人賞を受賞する。しかし、学業に専念するために歌手業を引退した。 日本大学芸術学部卒業後、芸能界に復帰。1973年のNHK大河ドラマ『国盗り物語』に出演。池内淳子扮する油屋の女主人・お万阿の手代・杉丸を演じて再び人気沸騰。池内と今度は母子役で共演した『つくし誰の子』第三シーズン、霧島京弥役を演じた『旗本退屈男』など立て続けにドラマにレギュラー出演して人気を集めた。
モト 冬樹(モト ふゆき、1951年〈昭和26年〉5月5日 … モト 冬樹(モト ふゆき、1951年〈昭和26年〉5月5日 - )は、日本のミュージシャン、タレント、俳優、声優。東京都豊島区巣鴨出身。デューズ所属(FIRST AGENTとの業務提携)。本名は武東 裕男(むとう ひろお)。兄はタレントのエド山口。 実家は開業医(産婦人科)。暁星小学校、暁星中学校・高等学校卒業。高校在学中は成績最上位クラスだったが、ギターに夢中になって2番目のクラスに落ちると、グッチ裕三と同クラスとなり音楽で意気投合、兄のエド山口とバンドを結成し音楽活動を始める。 プロデビューはグループ・サウンズブーム終息後に結成されたGS的バンドのローズマリー。当時の芸名は東冬木であった。1974年に、やはりGS的バンドのジュテームに参加していたが、またもブレイクすることなく解散した。
エド 山口(えど やまぐち、1948年〈昭和23年〉7月9日… エド 山口(えど やまぐち、1948年〈昭和23年〉7月9日 - )は、日本のタレント、俳優、ミュージシャン、ラジオパーソナリティ。エレクトリック・ギターバンド「エド山口&東京ベンチャーズ」のリーダー。株式会社オフィスアイリス所属(2013年〜)。東京都中央区築地出身。和光大学、成城大学中退。本名は武東 郁夫(むとう いくお)。弟は同じくタレントでミュージシャンのモト冬樹。 裕福な開業医の家に生まれる。曾祖父は警察署長、祖父は海軍主計大佐という堅い家系だった。医者の息子ということで慶應義塾大学医学部、東京慈恵会医科大学、日本医科大学、東京医科大学、順天堂大学医学部を受験するが全て不合格。和光大学経済学部、成城大学経済学部に進学するが、いずれも中退。
峰岸 徹(みねぎし とおる、1943年7月17日 - 200… 峰岸 徹(みねぎし とおる、1943年7月17日 - 2008年10月11日)は、日本の俳優。本名は、峰岸 知夫()。東京都出身。元妻は藍とも子、血液型はO型。最後の所属事務所はアクトレインクラブ。 東京都出生、中央区立泰明小学校3年生時に日本橋浜町へ引っ越す。戦後、銀座で料亭「竹水」を営む母に育てられ、虚弱体質の少年だったが、ジェームズ・ディーンと石原裕次郎に憧れて俳優を志す。 幼少期より落語にも魅せられ、よく母に人形町末広亭などの方々の寄席へ連れて行ってもらっていた。 1962年に峰 健二の芸名で東宝映画『高校生と女教師・非情の青春』でデビュー。当時、六本木野獣会(渡辺プロダクションの渡辺晋社長が当時話題を呼んだ六本木族にならって若手スターの話題作りのためにプロデュースした集団)に属し、日本橋浜町の自宅には頻繁にメンバーの面々が集うほど慕われた存在であった。
北大路 欣也(きたおおじ きんや、1943年〈昭和18年〉2… 北大路 欣也(きたおおじ きんや、1943年〈昭和18年〉2月23日 ‐ )は、日本の俳優、声優。本名、淺井 将勝(あさい まさかつ)。京都府京都市紫竹出身。ホリプロ・ブッキング・エージェンシー所属。 父は戦前の時代劇から戦後の東映時代劇全盛時代に活動した映画俳優の市川右太衛門。芸名の由来は右太衛門の邸宅が京都市内の北大路に在ったことから、右太衛門が「北大路の御大」と呼ばれていたため。田村正和など同世代の俳優仲間からは「きんやちゃん」と呼ばれている[要出典]。 市川右太衛門の次男として生誕。京都市立紫竹小学校、同志社香里中学校から暁星中学校に編入。暁星高等学校を卒業後、早稲田大学第二文学部演劇専修卒業。
二代目 松本 白鸚(にだいめ まつもと はくおう、1942年… 二代目 松本 白鸚(にだいめ まつもと はくおう、1942年〈昭和17年〉8月19日 - )は、日本の歌舞伎役者、日本舞踊家、俳優。屋号は高麗屋。定紋は四つ花菱、替紋は浮線蝶。歌舞伎名跡「松本白鸚」の当代。前名の九代目 松本 幸四郎(くだいめ まつもと こうしろう)としても知られる。俳名に錦升(きんしょう)がある。また舞台演出家としては九代 琴松(くだい きんしょう)の名を用いることがある。東京都出身。暁星中学校・高等学校卒業、早稲田大学第一文学部文学科演劇専修中退。本名は藤間 昭曉(ふじま てるあき)。 日本芸術院会員、文化功労者、文化勲章受賞者。 身長175cm、体重78kg、血液型B型。 歌舞伎では、お家の高麗屋の芸を継承するだけでなく、外祖父の播磨屋の重厚な演目も受け継いでおり、『勧進帳』の武蔵坊弁慶役は1200回という現役最多の出演記録を誇り、時代物の主人公役は高く評価される。
九代目 松本幸四郎(くだいめ まつもと こうしろう、1942… 九代目 松本幸四郎(くだいめ まつもと こうしろう、1942年8月19日 - )は、日本の俳優、歌舞伎役者、舞踊家。日本藝術院会員。本名、藤間 昭暁(ふじま てるあき)。
石濱 朗(いしはま あきら、1935年1月29日 - 202… 石濱 朗(いしはま あきら、1935年1月29日 - 2022年7月26日)は、日本の俳優。石浜朗とクレジットされる作品もある。最終所属はミズキ事務所。血液型はB型。身長172cm、体重68kg。 東京府(東京都)出身。立教大学文学部英文科卒業。 1951年、高校在学中に姉に薦められて応募した『少年期』にて16歳でデビュー。演技が好評だったため、そのまま松竹専属になる。 木下惠介、野村芳太郎、小林正樹などの作品に出演していた。 1961年からは『若い季節』に出演。テレビドラマでの助演も務めた。 2009年より日本映画俳優協会の理事長を務める。 2014年3月12日、東京・池袋の新文芸坐での特集「有馬稲子と十八人の監督たち」のトークショーに出演。
藤村 俊二(ふじむら しゅんじ、1934年〈昭和9年〉12月… 藤村 俊二(ふじむら しゅんじ、1934年〈昭和9年〉12月8日 - 2017年〈平成29年〉1月25日)は、日本の俳優、声優、タレント、振付師、実業家。神奈川県鎌倉市出身。愛称は「おヒョイ(さん)」。俳優事務所、有限会社O’hyoi & Sons(オヒョイアンドサンズ)所属。 実父はスバル興業社長2代目や国際宣伝企業株式会社常務を務めた藤村一良。兄に藤村哲司、妹に晴美、弟に藤村和三郎、藤村良典(後にキョードー東京関連会社キョードー横浜の会長を務めた)、藤村和良がいる。父は1904年6月東京生まれで、1923年に慶応義塾商業を卒業後旭硝子に入り日本油化工業の課長を務め、1946年からスバル興業専務となった。
犬塚 弘(いぬづか ひろし、1929年〈昭和4年〉3月23日… 犬塚 弘(いぬづか ひろし、1929年〈昭和4年〉3月23日 - 2023年〈令和5年〉10月26日)は、日本の俳優、ベーシスト。東京府荏原郡大森町(現在の東京都大田区大森)出身。本名は犬塚 弘(いぬづか ひろむ)。 コミックバンド『ハナ肇とクレージーキャッツ』で最後まで存命だった人物であり、昭和・平成・令和と3つの時代にわたって存命していた唯一のメンバーだった。最終所属は境事務所。 生家は代々裁判官の家系であり、江戸っ子の16代目にあたるという。また、元は徳川家康と共に三河から江戸へ出てきた直参の旗本の家柄で、祖父の代まで十数代にわたり現在の第一ホテル東京本館の一帯に居を構えていた大地主だったともいう。
片山 明彦(かたやま あきひこ、1926年11月11日 - … 片山 明彦(かたやま あきひこ、1926年11月11日 - 2014年11月16日)は、日本の俳優、元子役。本名は鹿児島 燁彦。東京市世田谷区船橋[要出典](現:東京都世田谷区船橋[要出典])出身。京都府京都市出生[要出典]。暁星中学校・高等学校卒。 太平洋戦争以前に映画会社日活多摩川で子役として映画に出演した。戦時中は長崎県大村市の西部方面後方支援隊に召集された。戦後は70年代前半まで俳優として活動した。所属した映画会社は、大映、東宝、新東宝、東映、赤坂プロダクションなどであった。 2014年11月16日、心不全のため死去。88歳没。墓所は多磨霊園。 父は俳優の島耕二、母は女優の大谷良子。
東 千代之介(あずま ちよのすけ、1926年8月19日 - … 東 千代之介(あずま ちよのすけ、1926年8月19日 - 2000年11月9日)は、日本の俳優・日本舞踊若菜流の家元。 本名、若和田 孝之(わかわだ たかゆき)。東京府出身。 長唄の六代目杵屋弥三郎の子。七代目坂東三津五郎に師事して日本舞踊を学ぶ。暁星学園を経て、1949年(昭和24年)東京音楽学校(現・東京藝術大学)邦楽科卒業。1954年(昭和29年)東映に入社し、『雪之丞変化』でデビュー。端整な容貌と日本舞踊で鍛えたしなやかな身のこなしで人気を集め、中村錦之助、大川橋蔵らと共に東映時代劇の黄金期を支えた。1960年代半ば、時代劇の衰退に伴い当時の東映京都撮影所長・岡田茂が時代劇を切り捨て、任侠路線に急転換したため、これに反撥して、中村錦之助(萬屋錦之介)、里見浩太朗らと1965年に東映の俳優組合(東映俳優クラブ組合)を結成し副代表になった。
桜井 センリ(さくらい センリ、1926年〈大正15年〉3月… 桜井 センリ(さくらい センリ、1926年〈大正15年〉3月20日 - 2012年〈平成24年〉11月10日)は、日本のピアニスト、コメディアン、俳優。本名・桜井 千里。ワタナベエンターテインメント所属。 公式プロフィール上では1930年(昭和5年)3月20日生まれとなっているが、実際は1926年(大正15年)生まれ。これはハナ肇とクレージーキャッツの他のメンバーとのバランスを取るためだったとされている(最年少の安田伸は1932年(昭和7年)生まれ)。その結果、旧制中学の後輩である石橋エータロー、犬塚弘より年少ということになった。旧名・桜井 ヘンリーとして父志郎の赴任地のイギリス・ロンドンに生まれ、3歳までその地で育つ。
松村 達雄(、1914年〈大正3年〉12月18日 - 200… 松村 達雄(、1914年〈大正3年〉12月18日 - 2005年〈平成17年〉6月18日)は、日本の俳優。東京俳優生活協同組合所属。 大学時代はラグビー選手として活躍し、劇団を結成して舞台で活動するが、劇団の解散後は映画・テレビドラマに多く出演した。しやがれた声の独得な台詞まわしと、芝居臭さを感じさせないリアルで深味のある演技で個性的なバイプレイヤーとして活躍し、崩れたインテリ役に定評があった。映画『男はつらいよ』シリーズで2代目おいちゃん役を演じたことでも知られる。 神奈川県横浜市に父・武重と母・トエ(高橋榮太郎の長女)の3男2女の3男として生まれる。兄は錠司と重雄。父は大阪府の松村繁三郎の三男として1882年3月に生まれ、帝国蓄音機やスタンダード蓄音機、コロムビアレコードの取締役文芸部長となった。
夏川 大二郎(なつかわ だいじろう、1913年8月31日 -… 夏川 大二郎(なつかわ だいじろう、1913年8月31日 - 1987年7月16日)は、日本の俳優。 1913年(大正2年)8月31日、斎藤大二郎として東京市芝区桜田本郷町(現在の東京都港区西新橋)に生まれる。 1919年(大正8年)に映画芸術協会製作の『生の輝き』に姉の夏川静枝と共に夏川大吾の芸名で子役で出演した。 1933年(昭和8年)日活太秦撮影所に監督見習いとして入社、その後、俳優に転向し1934年(昭和9年)に日活映画でデビューした。 1940年(昭和15年)五所平之助監督『木石』などに主演。 戦後は脇役として、1946年(昭和21年)『瀧の白糸』、1949年(昭和24年)『透明人間現わる』などに出演した。
徳大寺 伸(とくだいじ しん、本名・寺田静夫、1911年〈明… 徳大寺 伸(とくだいじ しん、本名・寺田静夫、1911年〈明治44年〉10月5日 - 1995年〈平成7年〉7月19日)は、日本の俳優、実業家。慶應義塾大学中退。 赤坂の料亭「金林」を営む寺田きんの店に、歌舞伎役者の六代目尾上菊五郎がよく訪れていたのがきっかけで、実弟である後の七世尾上梅幸が養子となる。 慶應義塾大学中退後、1932年に松竹に入社。当初は文芸係兼舞台監事として勤務していたが、松竹社長の大谷竹次郎の推薦で俳優に転向。松竹蒲田撮影所に転籍する。翌年、『大学の若旦那』でデビュー。当初の芸名は大綱豪であったが、名前が強すぎるとのことで、徳大寺伸に変更する。芸名の由来は、徳大寺の大は当時の松竹社長であった大谷社長の大の字をとり、伸は長谷川伸の伸の字をとったとのことである。