スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
関口 祐弘(せきぐち ゆうこう、1939年〈昭和14年〉2月… 関口 祐弘(せきぐち ゆうこう、1939年〈昭和14年〉2月12日 - 2005年〈平成17年〉2月9日)は、日本の警察官僚。第17代警察庁長官(在任1997年 - 2000年)。東京都出身。従三位瑞宝重光章。 都立大学附属高校を経て、1963年に東京大学法学部卒業。同年、警察庁に入庁。山梨県警察本部長、警察庁刑事局保安部長、大阪府警察本部長、警察庁長官官房長、警察庁次長などを歴任。警察庁長官狙撃事件を受け、國松孝次の後任として1997-2000年まで警察庁長官を務めた。 オウム真理教事件の捜査を指揮、通信傍受法を成立させた。1999年には覚醒剤を使用した警察官の隠蔽を初めとする神奈川県警察の不祥事が明らかになるなど、全国で警察不祥事が相次いだ。
吉原 健一郎(よしはら けんいちろう、1938年8月1日 -… 吉原 健一郎(よしはら けんいちろう、1938年8月1日 - 2012年3月22日)は、日本の歴史学者。成城大学名誉教授。専門は日本近世史、文化史。 1938年に東京府で出生する。1967年に東京教育大学大学院文学研究科日本史学専攻修士課程を修了。東京都公文書館主任調査員を経て、成城大学文芸学部文化史学科教授に就任する。江戸時代を中心に主に近世庶民文化を研究した。2009年に成城大学名誉教授となる。また、成城大学民俗学研究所所長、歴史学会会長を務めたほか、千代田区、港区、墨田区、江東区などの文化財保護審議会委員を歴任した。 2012年3月22日、肺がんのために死去。73歳没。
川上 隆朗(かわかみ たかお、1938年 - )は日本の外交… 川上 隆朗(かわかみ たかお、1938年 - )は日本の外交官。 神奈川県生まれ。1961年に東京大学法学部卒業後、外務省に入省する。フランス、イタリア、英国、ザイール(現コンゴ民主共和国)、国連代表部、OECD代表部などでの海外勤務を経て、経済協力局政策課長、審議官を務める。その後、1988年にソ連特命全権公使となる。そして、1990年に経済協力局長を務めた。1994年に駐パキスタン大使となる。1997年には駐インドネシア大使として赴任する。2001年に国際協力事業団総裁(~2003年)、後に外務省参与、国際協力機構顧問、2007年に国際開発高等教育機構理事長を歴任した。2013年、秋の叙勲で瑞宝重光章を受章した。
森 正武(もり まさたけ、1937年8月26日 - 2017… 森 正武(もり まさたけ、1937年8月26日 - 2017年2月24日)は、日本の数学者。学位は、工学博士。京都大学名誉教授、筑波大学名誉教授。京都大学数理解析研究所元所長。専門は、数値解析・応用数学。 1937年に東京で生まれる。1961年に東京大学工学部応用物理学科を卒業後、東京大学大学院数物系研究科修士課程・博士課程へ進学。1965年に中退。 1965年に東京大学工学部助手となり、1967年に工学博士の学位を取得した。1970年に京都大学数理解析研究所助教授となる。 1979年に筑波大学電子・情報工学系教授に就任した。1987年に同大学電子・情報工学系長および評議員を経て、1989年-1997年に東京大学大学院工学系研究科教授を務める。
武市 英雄(たけいち ひでお、1937年6月4日 - )は日… 武市 英雄(たけいち ひでお、1937年6月4日 - )は日本の新聞学者。上智大学名誉教授。専門はジャーナリズム、マスコミュニケーション、マスメディア。 東京都出身。1960年に上智大学文学部卒業後、読売新聞で記者となる。1967~1968年にフルブライト留学生としてミネソタ大学大学院ジャーナリズム専攻へ留学する。1970年に記者を退職し、上智大学文学部新聞学科専任講師へ転身した。上智大学教授に就任後は、1997年に文学研究科委員長、2000年に同大学社会正義研究所長となり、2001年に名誉教授を授与される。その後、大妻女子大学文学部コミュニケーション文化学科教授となる。 この間、1991年に日本時事英語学会会長、1999年に日本マス・コミュニケーション学会会長を務める。
三木 靖(みき やすし、1937年4月15日 - 2023年… 三木 靖(みき やすし、1937年4月15日 - 2023年11月17日)は、日本の歴史学者。鹿児島国際大学短期大学部名誉教授。専門は中世城郭史。 東京出身。1965年に早稲田大学大学院文学研究科修了。鹿児島短期大学学長を経て、鹿児島国際大学との統合により、同大学短期大学部教授・学部長を務める。また、鹿児島国際大学生涯学習センター長、鹿児島県文化財保護審議会会長、音楽療法士養成協議会顧問を歴任する。研究では日本古文書学会、九州史学会、南島史学会で活動した。南九州における中世城郭史のほか薩摩島津氏の研究において第一人者である。 2013年4月に、瑞宝中綬章を受章。 2020年には、第71回南日本文化賞(学術部門)を受賞。
柿沼 孝子(かきぬま たかこ、1937年 - )は日本の文学… 柿沼 孝子(かきぬま たかこ、1937年 - )は日本の文学者。立正大学名誉教授。専門は米文学、意味論。 東京女子大学英米文学科を卒業後、法政大学大学院英文学専攻修士課程を修了する。後に立正大学経済学部教授となる。専門の米文学ではマーク・トウェインを主に研究した。2007年に立正大学を定年退任し名誉教授となる。
白鳥 正喜(しらとり まさき、1937年 - )は、日本の大… 白鳥 正喜(しらとり まさき、1937年 - )は、日本の大蔵官僚、経済学者。元大蔵省国際金融局次長。専門は国際金融論、開発経済学。 東京都立大学附属高等学校を経て、1960年に東京大学法学部第2類(公法コース)を首席で卒業。大蔵省に入省する(為替局総務課)。1962年6月に関東財務局理財部。1963年6月には経済企画庁調整局貿易為替課へ出向。1964年4月に大臣官房財務参事官付調査主任(フルブライト留学生としてコロンビア大学留学)。1966年12月に国際金融局企画課長補佐(総括・企画・貴金属特会)。その後、IMF財務局上級エコノミストやOECD日本政府代表参事官などを経て、国際金融局課長・次長となる。
藤正 巖(ふじまさ いわお、1937年 - )は、日本の医師… 藤正 巖(ふじまさ いわお、1937年 - )は、日本の医師、医学者、医学博士。東京大学名誉教授、政策研究大学院大学名誉教授。専門は医用生体工学、社会構造学、医療政策、人間生物学。 1964年に東京大学医学部医学科卒業後、1965年に東京大学医学部電子研究施設助手となる。1975年に助教授となった後に、1986年に東京大学先端科学技術研究センターへ移籍する。1988年に同センター教授に昇格し、医学部教授を併任した。1996年に埼玉大学大学院政策科学研究科教授となり、翌年に創設された政策研究大学院大学教授に就任した。2005年に定年後は、同大学のリサーチフェローを経て、アカデミックフェロー・客員教授を務めた。
大熊 幹章(おおくま もとあき、1936年8月16日 - )… 大熊 幹章(おおくま もとあき、1936年8月16日 - )は、日本の林学者、農学博士。東京大学名誉教授。専門は林産学、生物資源科学。日本学術会議会員(第16期)。 東京出身。1960年東京大学農学部林産学科卒業。東京大学大学院を修了後、1987年東京大学農学部教授(- 1997年)。東京大学名誉教授として定年退官後、1997年九州大学農学部教授(- 2000年)となる。その後、宮崎県林務部顧問として、宮崎県木材利用技術センターの設立に携わり、2001年同センター所長に就任する。また、2005年から独立行政法人森林総合研究所理事長を務めた(- 2007年) 1966年 東京大学 農学博士。論文の題は「合板の機械的性質に関する研究」。
福島 章(ふくしま あきら、1936年1月29日 - 202… 福島 章(ふくしま あきら、1936年1月29日 - 2022年8月1日)は、日本の医学者・精神科医。専門は、犯罪精神医学・病跡学。上智大学名誉教授。 1936年、東京生まれ。東京都立大学附属高等学校を卒業。東京大学医学部を卒業し、同大学大学院医学系研究科精神医学専攻に進んだ。1968年、博士課程を修了し、学位論文『窃盗累犯の精神医学的研究 意志欠如精神病質者の犯罪学および性格学への一寄与』で医学博士の学位を取得。 卒業後は府中刑務所医師として勤務した。後に東京医科歯科大学助教授、上智大学文学部教授となった。2001年に上智大学を定年退任し、名誉教授となった。学界では、日本病跡学会名誉会長をつとめた。
鎌田 豊成(かまだ とよしげ、1936年 - )は日本のアー… 鎌田 豊成(かまだ とよしげ、1936年 - )は日本のアートディレクター、クリエイティブディレクター、造形作家。元長岡造形大学学長。 東京で生まれる。東京芸術大学美術学部工芸科図案計画専攻を卒業後、株式会社大広のアートディレクターとなる。その後、株式会社グレイ大広でクリエイティブディレクターを経て、1991年に有限会社カマダデザイン事務所を設立する。1994年に長岡造形大学教授となり、2004年に同大学学長に就任。2008年に学長を退任し、現在は長岡造形大学名誉教授である。 2002年~2003年に韓国の東西大学客員教授を務める。また、社団法人中越防災安全推進機構理事、新潟総合テレビ番組審議会委員、長岡市復興委員会委員など新潟県の地域活動に参画した。
柳澤 信夫(やなぎさわ のぶお、1935年6月22日 - )… 柳澤 信夫(やなぎさわ のぶお、1935年6月22日 - )は日本の医学者、医師、医学博士。信州大学名誉教授。東京工科大学名誉教授。専門は神経学。日本学術会議会員(第17期)。 東京府出身。1960年に東京大学医学部卒業後、同大学大学院を修了する。1965年に東京大学医学部附属病院神経内科の助手となる。同年3月、東京大学医学博士。論文の題は 「Thalamic influences on the gamma motor system(視床外腹側核刺激のガンマ運動系に及ぼす影響)」。1969年にハーバード大学霊長類研究所生理学部門へ留学する。その後、1980年に信州大学教授となり、1993年に信州大学医学部附属病院院長に就任する。
太田 勝洪(おおた かつひろ、1935年4月28日 - 20… 太田 勝洪(おおた かつひろ、1935年4月28日 - 2004年3月27日)は、日本の歴史学者、国際政治学者。元法政大学教授。専門は中国史、国際政治学。 1935年に東京都で生まれる。東京都立大学附属高等学校を卒業後、東京大学文学部東洋史学科へ入学した。その後、同大学院国際関係論専門課程博士課程を修了する。1965年に国立国会図書館の調査及び立法考査局外務課へ勤め、現代中国に関する研究を行う。1973年に法政大学法学部政治学科助教授となり、1978年に教授に昇格する。1993~98年に中国研究所理事長として活動した。また、大連外語学院訪問教授、東京女子大学非常勤講師などを務めたほか、逝去時まで日本現代中国学会理事であった。
柳井 満(やない みつる、1935年3月30日 - 2016… 柳井 満(やない みつる、1935年3月30日 - 2016年2月1日)は、日本のテレビプロデューサー、演出家。東京都出身。1958年、TBSに入社。1995年、TBSを定年退職後はドラマプロデューサーとしてTBSと専属契約を結んでいた。 東京都立大学附属高等学校、東京大学文学部社会学科を卒業後、1958年にラジオ東京入社。東大時代は日高六郎に師事していた。当時は民放テレビはまだ本放送を開始して間もないころであり、柳井も当初は新聞社入社を志していた。同じくドラマ演出家である鴨下信一、久世光彦は東大文学部・TBSの同期である。 入社当時は報道部への配属を希望していたが、ドラマ制作部に配属された。1980年代を代表するテレビプロデューサーであり、1980年代の世相を反映した「問題児」をテーマにした作品を多数制作した。
雨宮 健(あめみや たけし、1935年3月29日 - 202… 雨宮 健(あめみや たけし、1935年3月29日 - 2026年2月24日)は、アメリカ合衆国の経済学者。スタンフォード大学名誉教授。専門は計量経済学。Econometric Society、アメリカ統計学会、アメリカ芸術科学アカデミーのフェロー。東京都出身。 東京都立大学附属高等学校を経て、国際基督教大学卒業後渡米。アメリカン大学大学院修士課程、ジョンズ・ホプキンス大学大学院博士課程を修了して経済学博士号取得。一橋大学経済研究所講師を経て渡米。スタンフォード大学で教鞭を取り、同大学名誉教授。 2026年2月24日、誤嚥性肺炎のため、カリフォルニア州の自宅で死去した。90歳没。
隅野 隆徳(すみの たかのり、1935年 - )は、日本の法… 隅野 隆徳(すみの たかのり、1935年 - )は、日本の法学者(憲法学)。専修大学名誉教授。 東京府に生まれる。戦時中に集団疎開を経験した後に、1958年に東京大学法学部第二類卒業。1963年に同大学院博士課程を中退した。同年に専修大学法学部講師に就任、1968年に助教授、1975年に教授となり、法学部長などを歴任した。専修大学に42年間勤務し、主に憲法学の研究・教育に従事した。2005年に同大学名誉教授。 九条の会など護憲を主張する論客としての市民活動もあり、共産党推薦で参議院憲法調査会公述人として出席している。国民投票法や教育基本法改正、有事法制などに批判的である。憲法改悪阻止各界連絡会議代表幹事などを務め、共同声明での政治的意思表明をすることも多い。
小中 陽太郎(こなか ようたろう、1934年〈昭和9年〉9月… 小中 陽太郎(こなか ようたろう、1934年〈昭和9年〉9月9日 - 2024年〈令和6年〉12月3日)は、日本の小説家、社会評論家、翻訳家。 兵庫県神戸市生まれ。 幼時を上海で過ごす。東京都立大学附属高等学校を経て、東京大学文学部仏文科で渡辺一夫に師事。1958年に同大学を卒業してNHKに入り、ディレクターとして『夢であいましょう』などを手がける。 1964年に退職してフリーとなり、野坂昭如の薫陶を受けてルポルタージュやコラムを執筆。 1965年、小田実たちと共にベ平連を結成。世話人としてパリやハノイやストックホルムに赴き、国際連帯に貢献する。特に脱走兵援助では、ハノイやモスクワを巡った。 1970年から法政大学講師を務める。
原 康夫(はら やすお、1934年3月30日 - 2024年… 原 康夫(はら やすお、1934年3月30日 - 2024年2月13日)は日本の理論物理学者、理学博士。筑波大学名誉教授。専門は素粒子理論、科学教育。 1934年に神奈川県鎌倉市で生まれる。東京都立大学附属高等学校を経て、1957年に東京大学理学部物理学科卒業、1962年に東京大学大学院数物系研究科博士課程を修了する。同年に東京教育大学理学部助手、1966年から助教授を経て、1975年に筑波大学物理学系教授となる。1992年に筑波大学副学長に就任する。1997年に定年退職し名誉教授となった後に、2004年まで帝京平成大学情報学部教授を務めた。 この間、カリフォルニア工科大学、シカゴ大学、プリンストン高等研究所、トリエステ国際理論物理学センターなどの研究員、2004年から工学院大学CPDセンター客員教授を歴任した。
山口 祐司(やまぐち ゆうじ、1934年1月23日 - 20… 山口 祐司(やまぐち ゆうじ、1934年1月23日 - 2017年11月5日)は、日本の実業家、商学者。桜美林大学名誉教授。専門はホスピタリティ経営。長女はノンフィクション作家の山口由美。 1934年に神奈川県横浜市で生まれる。1957年に早稲田大学第一商学部卒業後、三菱商事に入社する。1958年には富士屋ホテルに転職した。1959年にホテル業界で有名であるコーネル大学ホテル経営学部に入学し、1961年に卒業する。その間に、ウオルドルフ・アストリアホテル、ロイヤルハワイアンホテルに勤務する。その後、1971年に富士屋ホテル取締役、1988年には副社長、富士屋ホテルチェーン総支配人を経て、1999年に監査役となる。
鳥海 靖(とりうみ やすし、1934年1月21日 - 202… 鳥海 靖(とりうみ やすし、1934年1月21日 - 2020年2月29日)は、日本の歴史学者・日本近現代史研究者。東京大学名誉教授。立憲政治体制や歴史の相互理解を研究する。 東京市目黒区出身。東京都立大学附属高等学校卒、1958年東京大学文学部国史学科卒業。1961年同大学院人文科学研究科国史学専門課程博士課程中退し、同年東京大学教養学部助手、1964年専任講師、1967年助教授、1982年同教授となる。1994年に定年退官し、名誉教授、中央大学教授。2004年定年退職。2007年、第2期日韓歴史共同研究委員会・日本側委員長。NHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」では監修(脚本諮問委員)を務めた。
桜井 靖久(さくらい やすひさ、1934年1月13日 - 2… 桜井 靖久(さくらい やすひさ、1934年1月13日 - 2011年1月12日)は日本の医師、医学者。東京女子医科大学名誉教授。専門は医用生体工学、生体材料学。 1934年に東京府で生まれる。1958年に東京大学医学部を卒業する。1959年から東京大学第二外科勤務、アラビア石油カフジ鉱山業所医師を経て、1965年に東京大学医用電子研究施設助手となる。1971年-1973年に同助教授の後に、1974年より東京女子医科大学教授に就任する。1976年から同大学医用工学研究施設長を務める。1999年に東京女子医科大学名誉教授・顧問となり、2001年-2004年には早稲田大学客員教授を歴任した。 専門分野として医用材料、薬物送達システム、未来医学などを研究し、東京女子医科大学教授岡野光夫等と共に特許も多数取得している。
土肥 博至(どひ ひろし、1934年 - )は、日本の建築家… 土肥 博至(どひ ひろし、1934年 - )は、日本の建築家、都市計画家、アーバンデザイナー、芸術工学者。工学博士。元神戸芸術工科大学学長。専門は環境デザイン、建築デザイン。筑波大学名誉教授。東京都出身。 1934年に東京都で生まれる。東京大学工学部建築学科を経て、同大学院数物系研究科へ進学する。その後、日本住宅公団に就職し、若林時郎,小林篤夫,東京大学高山研の土田旭,大村虔一らと高蔵寺ニュータウン計画、若林、南條道昌らと、筑波研究学園都市の計画、設計、建設を担当した。1971年に東京教育大学助教授となり、筑波大学のキャンパスデザインを行った。1976年に筑波大学芸術学部(後に芸術系)の教授となり都市計画・建築計画、園芸学・造園学、農業土木学・農村計画学などの研究を行う。
波多野 ミキ(はたの みき、1934年 ‐ )は、日本の教育… 波多野 ミキ(はたの みき、1934年 ‐ )は、日本の教育者でカウンセラー、元女優、翻訳家。 夫は法学者の波多野里望、息子は小説家の波多野鷹。 高校卒業後、NHK劇団で女優となる。 読売新聞に掲載された記事をきっかけに波多野里望と知り合い結婚する。 社交上などからも大学での勉強の必要性を感じ、大学受験する。早稲田大学文学部仏文専修を卒業し、大学院に進学も、妊娠したため退学した。その後、東洋大学文学部教育学科へ学士入学、教育学士と社会教育主事の資格を取得する。義母の波多野勤子が創立した波多野ファミリースクールで副理事長に就任し、教育活動を行う。また、日本家庭福祉会理事長や東京家庭裁判所の家事調停協会副会長、日本尊厳死協会副理事長を務めたほか、国際法学者の里望と共に海外での活動経験も豊富である。
野々山 真輝帆(ののやま まきほ、1934年 - 2016年… 野々山 真輝帆(ののやま まきほ、1934年 - 2016年3月8日)は、日本のスペイン文学者、翻訳家。筑波大学名誉教授。獨協大学名誉教授。本名・ミチコ。 東京外国語大学スペイン語学科卒業。イリノイ大学博士課程修了後、ハーバード大学に学ぶ。 1981年『スペイン内戦』で毎日出版文化賞受賞、1993年『リスボンの春 ポルトガル現代史』でロドリゲス通事賞(ポルトガル)受賞。1995年イサベルカトリック女王勲章(スペイン語版、英語版)受章。 1998年まで筑波大学教授、のち獨協大学教授。文学だけでなく現代史も論じた。
吉松 安弘(よしまつ やすひろ、1933年11月24日 - … 吉松 安弘(よしまつ やすひろ、1933年11月24日 - )は日本の映画監督、脚本家。元帝京大学教授。専門は表象文化、比較民俗学。 1933年に東京都で生まれる。1957年に東京大学教育学部を卒業後、東宝撮影所に助監督として入社する。黒澤明などのもとで下積みをした後、1973年に東宝を映画監督として契約し退社した。そして、映画『さえてるやつら』を発表し監督デビューする。1976年には文化庁芸術家在外研修員としてニューヨーク大学などに留学した。また、脚本家、ノンフィクション作家としても著作を発表する。後に帝京大学短期大学情報ビジネス学科教授として教育・研究に従事し、日本映画監督協会理事などを歴任した。
北村 貞太郎(きたむら ていたろう、1933年11月15日 … 北村 貞太郎(きたむら ていたろう、1933年11月15日 - 2013年9月20日)は、日本の農学者。農学博士。京都大学名誉教授。専門は農業土木学、農村計画学。第14期~16期日本学術会議会員。 1933年に東京府で生まれる。京都大学大学院農学研究科博士課程へ進学。京都大学農学部助教授(農村計画学研究室)を経て、1981年に大学院熱帯農学専攻の設置に伴い、同大学教授(地域計画論講座担当)に就任した。1997年に京都大学を定年退官し名誉教授となった後は、東京農業大学国際食料情報学部教授として研究・教育に従事する。その後、財団法人地球環境財団の地球環境総合研究所所長を務めた。 この間、スイス連邦工科大学へ留学する。
冲永 荘一(おきなが しょういち、Dr. Shōichi O… 冲永 荘一(おきなが しょういち、Dr. Shōichi Okinaga、1933年6月29日 - 2008年9月25日)は、日本の学校法人経営者、教育者、医学者(産婦人科学)。 東京府渋谷町(現・東京都渋谷区)に財団法人帝京商業学校を創設した冲永荘兵衛の長男として1933年東京府荏原区(現・品川区)に生まれる。都立高等学校 (旧制)を経て1958年に東京大学医学部を卒業。 1963年に東京大学大学院医学系研究科博士課程を修了し医学博士号を取得、1966年に帝京大学を創設し学長・理事長に就任、1981年には同大学総長に就任し、2002年に総長を退任した。 治療や研究を通じて人間の生命を救う事が出来る医学に志と使命感を持ち、教育理論より社会に直結した実学を重視した冲永荘一は、『医学は実学を象徴する学問である』との想いから東京大学医学部大学院在学時に博士論文において史上最年少(当時)で日本産科婦人科学会賞を受賞した。
宮川 淳(みやかわ あつし、1933年3月13日 - 197… 宮川 淳(みやかわ あつし、1933年3月13日 - 1977年10月21日)は、日本の美術評論家、西洋美術史研究者。成城大学文学部助教授、東京大学教養学部非常勤講師などを務めた。戦後日本における前衛美術批評の重要な書き手の一人であり、とくに1960年代の「反芸術」をめぐる批評や、マルセル・デュシャン、シュルレアリスム、フランス現代思想の受容において大きな足跡を残した。 東京市大森区に生まれる。幼少期には、外交官であった父の赴任に伴って海外と日本を往復した。戦後、東京都立大学付属高校を経て、1955年に東京大学文学部美学美術史学科を卒業した。 1953年から、種村季弘、吉田喜重らと同人誌『望楼』を刊行した。
小関 智弘(こせき ともひろ、1933年2月1日 - )は、… 小関 智弘(こせき ともひろ、1933年2月1日 - )は、日本の作家・ノンフィクション作家。 東京市大森区(現・東京都大田区)生まれ。東京都立大学附属高等学校卒。大田区周辺の町工場に旋盤工として勤務。1960年代から『新日本文学』や同人誌『塩分』などを舞台に小説を発表、1977年『錆色の町』で直木賞候補、1978年『地の息』で同、1979年「羽田浦地図」で芥川賞候補、1981年「祀る町」で同、同年『大森界隈職人往来』で日本ノンフィクション賞受賞。2004年『職人学』で日経BP・BizTech図書賞、2015年『町工場のものづくり』で産経児童出版文化賞・産経新聞社賞受賞。
野口 洋二(のぐち ようじ、1933年1月28日 - )は日… 野口 洋二(のぐち ようじ、1933年1月28日 - )は日本の歴史学者。早稲田大学名誉教授。専門は西洋中世史、特に西洋中世の宗教政治史・文化史。 1951年東京都立大学附属高等学校卒業。1956年早稲田大学第一文学部史学科卒業。1962年早稲田大学大学院文学研究科博士課程修了。1964年早稲田大学文学部助手。1966~1968年、スイス政府給付留学生としてジュネーヴ大学へ留学した。1969年同講師、1972年同助教授、1977年同教授。同年、文学博士(早稲田大学)。1990年早稲田大学図書館長。1991年に総合学術情報センターの開館式を挙行する。早稲田大学理事(文化事業担当)、同大学総合研究機構長、同大学會津八一記念博物館長などを歴任した。
近藤 耕人(こんどう こうじん、1933年1月16日 - )… 近藤 耕人(こんどう こうじん、1933年1月16日 - )は、日本の英文学者、写真評論家、明治大学名誉教授。 東京生まれ。東京大学文学部英文科卒。1962年戯曲「風」で文芸賞佳作入選。明治大学教授を経て名誉教授。多摩芸術学園、多摩美術大学などで英語、文学、映像論等を教える。 甥はクリエイティブプロデューサーの近藤ヒデノリ(1971 - )。
中村 嘉男(なかむら よしお、1933年 - )は、日本の医… 中村 嘉男(なかむら よしお、1933年 - )は、日本の医師、生理学者、歯学者、医学博士。東京医科歯科大学名誉教授。専門は口腔生理学、基礎歯科学、脳科学。 1933年に東京府で生まれる。1958年に東京大学医学部を卒業。1963年に東京大学大学院生物系研究科第一基礎医学課程を修了し、医学博士を取得した。学位論文は 「Spindle bursts and hippocampal EEG in relation with autonomic function(紡錘群発と海馬脳波 : 自律機能と関連づけて)」。 1972年から東京医科歯科大学教授(歯学部顎口腔総合研究施設咀嚼研究部門)を経て、1982年に歯学部口腔生理学教室担当となる。
堀内 茂男(ほりうち しげお、1933年― )は日本の劇作家… 堀内 茂男(ほりうち しげお、1933年― )は日本の劇作家、放送作家。 東京府生まれ。学習院大学経済学科卒業。 大学在学中に、演劇集団「マスカラ」の旗揚げに参加し、脚本を担当した。以後、テレビドラマやラジオ等において、構成作家として活動する。 長寿ラジオ番組『JET STREAM』のナレーション構成担当としても知られる。1970年より同番組に参加し、「遠い地平線が消えて…」で始まる有名なナレーションを手掛けた。その後1994年末で一旦降板したが、2002年より同番組の構成に復帰し、現在も取材を行う毎日である。
速水 佑次郎(はやみ ゆうじろう、1932年(昭和7年)11… 速水 佑次郎(はやみ ゆうじろう、1932年(昭和7年)11月26日 - 2012年(平成24年)12月24日)は、日本の経済学者。専門は、農業経済学・開発経済学。学位は博士(アイオワ州立大学)。旧・東京都立大学名誉教授。位階は正四位。勲等は瑞宝重光章。文化功労者。 東京都立大学経済学部教授、青山学院大学国際政治経済学部教授、政策研究大学院大学教授などを歴任した。 東京府(現:東京都)出身。東京都立大学附属高等学校を経て、東京大学教養学部教養学科卒業。 農林水産省農業総合研究所で研究員となり、1957~60年に米国アイオワ州立大学経済社会学部大学院へ留学し、同大学院博士課程修了。農業経済学の博士号を取得した。
田村 秀昭(たむら ひであき、1932年9月21日 - 20… 田村 秀昭(たむら ひであき、1932年9月21日 - 2008年1月4日)は、日本の航空自衛官、政治家。工学博士(京都大学)。参議院議員(3期)、国民新党結党時の副代表。最終階級は空将。 東京都生まれ。東京都立大学附属高等学校(同級生に佐藤信二)から防衛大学校へ進み、1957年に第一期生として卒業後、航空自衛隊に入隊。また、京都大学大学院工学研究科に進学して冶金工学を専攻し、博士課程を修了。1964年に工学博士の学位を取得。 航空自衛隊では、F-4EJ技術連絡官(在米1年間)、技術研究本部技術開発官付、航空幕僚監部装備部長、保安管制気象団司令、航空自衛隊幹部学校長(空将、1986年12月 - 1988年1月)を歴任。
佐藤 信二(さとう しんじ、1932年〈昭和7年〉2月8日 … 佐藤 信二(さとう しんじ、1932年〈昭和7年〉2月8日 - 2016年〈平成28年〉5月3日)は、日本の政治家。運輸大臣、通商産業大臣、衆議院議員(8期)、参議院議員(1期)などを歴任。位階勲等は正三位勲一等。衆議院議員永年在職表彰受彰。父は第61、62、63代内閣総理大臣の佐藤榮作。 山口県熊毛郡田布施町出身。東京都立大学附属高等学校を経て慶應義塾大学法学部卒業後、日本鋼管株式会社(現JFEスチール、JFEエンジニアリング)に入社。1972年、冷延鋼板課長として訪中。日中国交正常化直前のタイミングではあったが、広州に滞在して鋼材の売り込みを行った。 1974年の第10回参議院議員通常選挙で全国区に出馬し初当選。
千野 栄一(ちの えいいち、1932年2月7日 - 2002… 千野 栄一(ちの えいいち、1932年2月7日 - 2002年3月19日)は、日本の言語学者、翻訳家、東京外国語大学名誉教授、元和光大学学長。専門は言語学、およびチェコ語を中心としたスラブ語学。 晩年は旧字体の「千野 榮一」と表記した。 1932年、東京府豊多摩郡渋谷町(現:東京都渋谷区)栄通1丁目生まれ。1948年、東京都立高校(旧制)尋常科(現:東京都立桜修館中等教育学校)修了。当時からの友人に地理学者江波戸昭がいる。 1949年、東京都立高校高等科(現:東京都立大学)修了。1955年、東京外国語大学第四部(ロシア語)を卒業。1958年、東京大学文学部言語学専攻を卒業した。同年よりチェコスロヴァキア政府奨学生としてプラハのカレル大学に入学。
石川 哲(いしかわ さとし、1932年 - 2022年 )は… 石川 哲(いしかわ さとし、1932年 - 2022年 )は日本の医師、医学者、医学博士。北里大学名誉教授。専門は眼科学、環境医学。 1932年に東京府で生まれる。1957年に東北大学医学部を卒業した後に、東京大学医学部眼科学教室に入局する。その後、フルブライト留学生としてアメリカで研究活動を開始し、1965年にニューヨーク大学助教授となる。同年に東京大学医学部眼科講師となり、1971年に北里大学医学部眼科学技術振興調整費教授に就任する。同大学医学部教授として神経眼科、環境医学、神経毒物、自律神経学などの研究に従事し、1995年からは医学部長を務めた。1998年に定年退職し名誉教授となった後は、北里研究所病院環境センター長および森下記念病院名誉院長に就任した。
米本 恭三(よねもと きょうぞう、1932年 - 2024年… 米本 恭三(よねもと きょうぞう、1932年 - 2024年12月23日)は、日本の医学者、医師。専門はリハビリテーション医学、神経内科学、整形外科学。学位は、医学博士。 東京慈恵会医科大学名誉教授、東京都立大学名誉教授。元東京都立保健科学大学学長、元東京慈恵会医科大学主任教授、元東京慈恵会医科大学附属第三病院病院長、元慈恵看護専門学校校長。 1958年に東京慈恵会医科大学を卒業する。1963年に同大学院を修了し、整形外科学教室・第二生理学教室の助手となった。1970年から1971年まで東京大学医学部脳研究施設・神経内科に国内留学する。1972年から東京慈恵会医科大学整形外科講師となり、1977年に助教授、1983年から教授に就任しリハビリテーション科、体力医学研究室を担当した。
椎名 素夫(しいな もとお、1930年8月19日 - 200… 椎名 素夫(しいな もとお、1930年8月19日 - 2007年3月16日)は、日本の政治家、実業家、物理学者。衆議院議員(4期)、参議院議員(2期)、自由の会代表、無所属の会代表などを務めた。 自由民主党副総裁、外務大臣、通商産業大臣を歴任した椎名悦三郎の次男。 東京府東京市(現・東京都文京区)出身。旧制府立高等学校を経て1953年名古屋大学理学部物理学科を卒業。電源開発に入った後、アメリカアルゴンヌ国立研究所に入所する。帰国後、精密機械メーカーサムタクを設立し、自ら取締役に就任した。1979年、父・椎名悦三郎の引退に伴い、第35回衆議院議員総選挙に旧岩手2区から自由民主党公認で立候補し、初当選する。
岡崎 久彦(おかざき ひさひこ、1930年〈昭和5年〉4月8… 岡崎 久彦(おかざき ひさひこ、1930年〈昭和5年〉4月8日 - 2014年〈平成26年〉10月26日)は、日本の外交官、評論家。位階は従三位。サウジアラビアとタイ王国で特命全権大使を歴任し、また外務省で情報調査局長を務めた。祖父の岡崎邦輔は、陸奥宗光の従弟にあたる。 関東州・大連生まれ。白金小学校、旧制府立高等学校を経て、東京大学法学部入学。東大法学部在学中に外交官試験合格。大学を中退し、外務省に入省。八木秀次によれば、岡崎は卒業証書は小学校のものしか持っておらず、その後は大学まですべて「飛び級」だったという。岡崎邦輔は祖父。 外務省ではケンブリッジ大学での英語研修を皮切りに、在外で在フィリピン大使館、在フランス大使館、在米国大使館、在韓国大使館に駐在し、本省では国際連合局に勤務する。
甘糟 章(あまかす あきら、1929年5月30日 - 201… 甘糟 章(あまかす あきら、1929年5月30日 - 2013年11月19日)は、日本の雑誌編集者。元マガジンハウス副社長。 神奈川県横浜市中区伊勢佐木町出身。実家は米屋を営んでいた。神奈川県立横浜第三中学校(神奈川県立横浜緑ケ丘高等学校の前身)、府立高等学校(東京都立大学の前身)を経て、1955年に東京大学文学部仏文科を卒業。 学習研究社を経て、1959年に平凡出版へ入社。『平凡パンチ』『週刊平凡』『an・an』の編集長として、1960年代から1970年代の流行の先駆者として活躍。その後、『クロワッサン』『ダカーポ』などを創刊し、大人になった『an・an』世代へのライフスタイルの提言を行う。1980年代に至るまで、出版文化の中での影響力は大きなものがあった。
杖下 隆英(つえした りゅうえい、1929年 - 2017年… 杖下 隆英(つえした りゅうえい、1929年 - 2017年11月21日)は、日本の哲学研究者、東京大学教養学部名誉教授。英国哲学、デイヴィッド・ヒュームを専攻。 東京生まれ。父は1928年に東京帝国大学を卒業した中国思想研究家で、東洋大学教授の杖下隆之。1952年東京大学文学部哲学科卒業。同年東京大学教養学部助手、のち助教授、教授。1990年定年退官、名誉教授。2014年瑞宝中綬章受章。
斉藤 孝(さいとう たかし、1928年11月2日 - 201… 斉藤 孝(さいとう たかし、1928年11月2日 - 2011年1月28日 )は、日本の歴史学者、国際政治学者。学習院大学名誉教授。専門は、国際政治史。社会学博士(東京大学、1967年)。東京生まれ。長男の哲郎は大東文化大学教授。
香原 志勢(こうはら ゆきなり、1928年6月4日 - 20… 香原 志勢(こうはら ゆきなり、1928年6月4日 - 2014年11月16日)は、日本の人類学者。立教大学名誉教授。専攻は人類学、比較行動学。 1928年、東京生まれ。旧制麻布中学校を経て、1945年に旧制都立高等学校理科乙類に入学。戦時下の空襲で自宅や母と妹を失った。1948年に東京大学理学部人類学科に入学。人類学教室では、木村邦彦、寺田和夫、埴原和郎らがいた。1951年に卒業し、同大学大学院に進んだ。 1954年、信州大学医学部第二解剖教室助手に採用された。1956年に講師、1960年に助教授昇格。鈴木誠の下で解剖学実習などにあたるとともに、信州大学在職中には長野県南佐久郡北相木村の栃原岩陰遺跡の発掘に参加した。
米里 恕(よねざと ひろし 1928年5月10日 - 201… 米里 恕(よねざと ひろし 1928年5月10日 - 2018年8月25日)は、旧 大蔵省銀行局長。 中国・上海生まれ。旧制都立高等学校を経て、1951年東京大学法学部卒後、大蔵省入省、大臣官房秘書課属。入省同期には山口光秀(事務次官)、加藤隆司(国金局長、理財局長)、平尾照夫(IMF理事、東北財務局長)ら。 1972年 証券局資本市場課長を経て、大臣官房調査企画課長、名古屋国税局長、大臣官房審議官を経て、1979年4月に銀行局長に就任。 銀行局長時代には、土田正顕銀行局総務課長、銀行局総務課企画官である坂本導聡(1964年入省)、鏡味徳房(1965年入省)、吉田正輝銀行局担当審議官(1954年入省)らと、およそ50年ぶりに新銀行法改正を成立させ、当時の大蔵主導の金融効率化行政の下、自由競争導入を一歩推し進めた。
山本 草二(やまもと そうじ、1928年(昭和3年)2月25… 山本 草二(やまもと そうじ、1928年(昭和3年)2月25日 - 2013年(平成25年)9月19日)は、日本の法学者。専門は国際法。学位は、法学博士(東京大学・1969年)(学位論文「宇宙通信の国際法-国際企業の法形態として-」)。東北大学名誉教授。国際海洋法裁判所裁判官。長野県上田市出身。長男は外交官の山本条太。
河野 俊二(こうの しゅんじ、1927年(昭和2年)8月1日… 河野 俊二(こうの しゅんじ、1927年(昭和2年)8月1日 - 2012年(平成24年)6月12日)は、日本の経営者。宮崎県出身。元東京海上火災保険社長・会長。元日本損害保険協会会長。
詫摩 武俊(たくま たけとし、1927年〈昭和2年〉6月30… 詫摩 武俊(たくま たけとし、1927年〈昭和2年〉6月30日 - 2018年〈平成30年〉12月30日、享年91歳)は、日本の心理学者。(旧)東京都立大学名誉教授、東京国際大学名誉教授。学位は、文学博士(東京大学・1961年)(学位論文「双生児法による遺伝心理学的研究」)。小児科学者詫摩武人の長男。 千葉県出身。旧制都立高等学校理科を経て東京大学文学部卒。 その後、東京大学文学部助手、学習院大学文学部教授を経て(旧)東京都立大学人文学部教授を定年退職まで務めた後、東京国際大学教授として人間社会学部および臨床心理学研究科の設置に関わる。ドイツのミュンヘン大学に留学・滞在した経験とも関係して、日本では比較的珍しいヨーロッパの性格学の流れを汲む性格心理学を展開した。